終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年09月14日(金)

第三回:始まらなかった物語編

1:あったこと、それともなかったことなのか。

私は良き魔物。一つの魂を探している。
炎から作られた我が身にかけて、唯一の神の御名にかけて、ただ一つの魂だけを。
それは、そもそものはじめから私の伴侶だった。
分かち難きを分けたもうたのは、神の御業。

(こう前置きして、その魔物は言葉を始めた)

夜の砂漠、露の滴る大地の憩いのとき、私は初めて目覚めた。
私を作るのは、輝く青い炎の奔流。
創られたばかりの私を前に、神は静かに言われた。
全ての魔物は欠けている。魂を探せよ。
かくして全ての魔物の負う宿命を、私もまた内に刻まれて生まれ落ちたことを知った。
そうとも、全ての魔物は欠けているのだ、旅人よ。
だからこそ我らは人間に纏わり、時には害を時には利を与える。
我々は、我々とは、捜し求めるものなのだ。

(私は言った。「だが人間もまた己の平安を捜し求める」
 すると魔物は笑ったようだった)

汝等の平安は汝等の内にある。だが、人の子よ。
我らの平安は、我らの外にあるのだ。

(私はそれ以上、魔物の邪魔をしようとは思わなかった。
 そこで魔物は続けた)

灼熱の陽光に焼き付けられながら、砂漠のうわべを彷徨する遊牧の民の天幕を探した。
月光の下、白銀に輝く海の面を行く船の狭い船窓から内を覗いた。
湧き出る泉のほとり、 なつめやしを育てる者たちの白い土の家に訊ねた。
豪奢を極める秘められた後宮でさえ、私の探索を逃れることはできず、
商人たちの集う市場、 騎士たちの遊ぶ馬場 、奥まった路地裏の静かな家々、
皆、私の訪問を受けなかったものはなかった。
だがどこにもなかった。私の平安、私の魂は。
嘆きは幾世紀の上に続き、彷徨は幾万の日と月におよんだ。
輝かしいこの身の青い奔流も、絶えることなき嘆きにより色褪せるかと思われた。

だが、至高の神は称うべきかな。
その前に隠されたるものなく、詳らかならざるものなし。

                    (2000?)


2:ジンニーア、あるいは雛形か

 少女は青ざめた頬にゆっくりと微笑を浮かべた。
 ひどくぎこちなく、ひどく苦しげな笑みではあったけれど――

 ――それでもそれは、笑みと見えた。

「――ああ」

 ハールーンは呟いた。その言葉は激しい風に吹き攫われて誰の耳にも入りはしない。
 そうだ、聞こえるはずがないのだ、少女には。聞こえるはずが。
 だのに。
 言葉は止まらない。

「あなたは――おぼえていてくださったのですね」

 ハールーンがあるのは高い塔、少女が立つのは城壁の頂き。
 二人を隔てているのは血臭を含んだ風の吹く膨大な空間と、埋めえぬ恩讐の溝。

「ジンニーア」

 手をのばしたとて届かない。ハールーンの強い手であっても。

 微笑する少女は身じろぎもしない。髪を覆う布だけが揺らめいている。
 約束したかのような沈黙の中にも息を殺す軍勢は足下の大地にひしめき、少女のわずかな合図があれば、再び動き出すだろう。

「……いいでしょう」

 ハールーンは刃を抜いた。
 かすかに音立てて黄金の鞘を逃れた鋭い切っ先は優雅に湾曲し、
 深い淵を覗き込むような青さは刀身を染めている。
 乱戦の中では数え切れぬ兵士を切り裂いてきたというのに刃こぼれ一つなく、脂も浮いてはいない。
 たった今鍛冶場の炉から出てきたばかりのように、澄んで、青い。

「この血はあなたに差し上げる」

 ひたり、と刃を喉に押し当てる。その冷たさ。
 遠い少女の頬には笑み。ハールーンもまた微笑した。少女よりも深くまた柔らかに。
 ハールーンは全身に負った幾創もの傷を忘れた。汚名を忘れた。滅ぼされた家を忘れた。
 父と母の死、幼い弟の死。憎しみ。裏切り。ハールーンは忘れた。

 そのようなものは、どうでもよかったのだ。

 遠いはずの少女の微笑だけがハールーンの上にあった。

『最期に見るなら――』耳に蘇るのは遠い言葉。『――あなたの笑顔がいい』

 過去は瞬間に立ち返り。あまりにもあざらかに甦り。
 そのとき吹いていた微風の具合さえ。
 揺れていた天人花の茂みの緑さえ――少女の髪に落ちていた陰と光の綾さえ。

 ハールーンは親しく笑う。少女の微笑はわずかに震える。そして。

 ハールーンの手に力がこめられる。そして。

 刃が。

 ――刃は。

 乾いた音をたてて転がる鋼。
 真紅の虹は束の間美しく、やがて薄れて消えた。少女の微笑と同じく。
 そして二度と戻りはしない。

 ――少女の微笑と同じく。

                     (1999?)


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