終わらざる日々...太郎飴

 

 

- 2001年09月04日(火)

1:
父方のじいさんの葬式を憶えている。
土葬の慣習のある村なので、遺体を収めた棺桶を、墓地に運んだ。
深く掘った縦穴に、棺桶をゆっくりと下ろして、
上からシャベルで土をかけた。

棺桶が見えなくなり、穴が埋まり、
その上にどれほどか土が盛られて。
私の後ろに立ってた親父が言った。
「一年たったら、棺が腐って、土の重みで落ちるから、
そしたらまた上に土を盛り足すんだ」

戒名を書いた棒杭が立てられて、
埋葬は終り、皆で坂道を登って家に戻った。
少し雲のある秋の始めの日だった。
長い坂の上まで、喪服の人々がほつほつと、
見えない糸につながれた黒い数珠球のように並んで上ってた。

ふと。――ふいに。
百年たてば、ここにいる人は、みんな、
やっぱり埋められて、一年後にまた上から土を盛り足されているのだと思った。

とても明るくて、とても広く、とても寂しかった。


2:
弟が生まれた晩を憶えている。
親父は例によってどこぞ南の島に出張中で家におらず、
私と姉に寝ているようにと言って、母は病院に電話をかけた。
少しして、上の階に住んでいる母の友人が、
母を病院に送るためにやってきた。

寝かしつけられた蒲団の上で、
暗い部屋の向こう、襖の隙間から居間の灯りを見ながら。
私にできることはなんにもなかった。

次に起きたときには父方のばあさんが来ていて、
今朝、弟が生まれた、と、言った。

生まれるということ、は、私にいつも、
寝たふりをして襖の隙間から見ていた居間の明かりを思い出させる。
低い母の声を思い出させる。

それはひどく孤独で、ひどく、寂しく、陰惨でさえ、ある。


3:
17の夏に、中国に行った。
長江を下った。
川というにはあまりにドでかいこの代物は、
地平を埋め尽くして赤く、流れているのかいないのかすら、曖昧で。

船の舳先に立って、私は川面を見下ろしてた。
顔を上げた。


「行くものは、斯くの如きか、昼夜を措かず」
             『論語』より


渺茫として流れ下るこの赤い巨きな水面が、哀しかった。
私の愛惜してやまない史中の人物全て、この流れに飲み込まれたのだと思った。


この巨大な流れは、

一切を余すことなく抱きしめて、
その記憶を深く抱いて、
身もだえすることさえできず、
嘆きに身を破られ、
嘆きのあまり形をなくして、
  ――なお

流れつづけているのだ。


夜には、遥かに水平線から月が姿を顕すだろう。
月は川面に往時と変らぬ姿を映し、
川面は月を往時と変らず映すだろう。
嘆きはそのとき凝固して身じろぐこともできず、互いに見入るばかりであろう。

時に川はその嘆きに耐えかねて堤を破り氾濫し、
咆哮し、荒れ狂い、全ての波頭を矛と換えて触れるもの全てを打つのだろう。
実に、そのような瞬間を度々持たねば、耐え切れぬ嘆きであったろう。
死ぬことができれば、幾千度でも死んだだろう。

私は、自分の手が短すぎるのが哀しかった。
両手を伸ばして、地平を抱き取りたいと思った。
両手の間に、この巨大な川を抱き取りたいと思った。
そうできないのが、哀しかった。


4:
この頃、とんと小説を読まない。
作為や自己顕示、美化や卑下がバカらしく感じられるようになっては、
とてもではないが小説は読めない。
今は評論やら随筆を読んでいる。
そのうち、それも読めなくなるだろう。
表現はそれ自体、作為を前提とするのだから。
その枠から、出られないのだから。
そうしたら、実世界に出てゆく他ない。

そうして、私はそれを薄々予感している。

そのとき私は読むことをほとんど止めるだろう。
そうして書くこともまたほとんど止めるだろう。
読むことは休憩に過ぎなくなり、
書くことは外部記憶の更新に過ぎなくなるだろう。

そのときが、私の、生まれるときだ。
それはやはり、陰惨だろう。

そのときは、私の、死ぬときだ。
それはやはり、明朗だろう。

そうして、ひどく――寂しいだろう。
私を抱き取るものはいないだろう。
私を抱き取る術はないだろう。


だがそれが、どうしたというのだ。
どうあったって、生きてゆくのが人間だ。
どんなに蹉跌いたって、その歩みが生きるということだ。
十全な人生を生きるつもりはない。


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