- 2001年08月04日(土) この週末は、実家に帰った。 珍しく出張の鬼親父がおり、クラブの鬼弟がおり、 往年のテニス部の星、お袋さんがテニスに出かけるというので、 近所の焼肉屋にメシを食いに行くことになったのだが…… この焼肉屋、隣がカラオケだった。 ……何の因果か、行く破目になってしまった。 数年前の正月に、母方の一族打ち揃ってカラオケに行ったことがある。 いや、ひどかった。それはもう、ひどかった。 音痴一族だとうすうす思っていたのは本当だった。 誰も音程があってない。誰も歌いだしが合わない。 そりゃもう、作曲者と作詞者がいたら、足摺して泣いたであろう…… だから戦々恐々として入ったのだが…… これがどうして、なかなかのものなのである。 親父のレパートリーがビートルズ、ニール・セダカ辺り、 何ゆえか英語の歌の方が日本語の歌よりうまい。 弟は、ゆず、19、ポルノグラフィティ、その他現代モノは何でもござれ。 私? 私は中島みゆきとZABADAK。 ネタこそ多くは無いが、どれも歌いこんでるのでどんと来い。 親父は一族カラオケのときは酔っ払って寝ていたから聞かなかったが、 弟の歌は、確かあのときは、とんでもなく下手クソだったはずなのだ。 そして私もひとのことを言えない状況だったはずなのだ。 しかし、それ以来けっこうカラオケに行っている (正確には引きずって行かれている)のが、練習になっていたらしい。 つくづくと、実力は費やした努力の結果に比例すると思った。 ちなみに、私は「歌える」というレベルには、百回は聞き、 十回はマイクを握って練習するという時間を費やしてようやく到達するのである。 向いてないことは疑いない。才能がないことも疑いない。 だがともかく、無理ではないのだ。 そういえば、「天才とは努力できる才能だ」と、誰かが言ってた。 このでんに従うなら、天才と凡才は、どうやら地続きらしい。 -
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