- 2001年08月03日(金) 絵をやっている親友に連れられて、美術展に行ったことがある。 誰の展覧会かは忘れてしまった。猫で有名な日本画家だったように思う。 人出もそこそこあり、二時間ほどもかかっただろうか、 見物を終えて、私と友人は会場を出た。 私は、3畳分もありそうな、柳が風を受けてたなびく様子を描いた屏風の あまりの見事さがまだ脳裏から消えやらず、あれが一番よかったと言った。 友人は、確かにあれはいい、と同意してから、 自分が一番いいと思ったのは、小さな盛椿の絵だったと言った。 言われてすぐに、私はその絵を思い出した。 ちょうどその前に人が集まっていたので、少し離れたところから見た絵だ。 ごく小さな絵だった。 底の浅い硝子の腕に盛られた椿は、異様な静謐さを湛えていた。 異様な静謐さ、そうだ、空気さえ透明に凝り、流れないような。 盛られた椿は均衡を破ることを恐れて枯れることもできないような。 私の目はその異様さを感じ取ったが、柳の絵のような単純な感動を 許されずに、見えなかったふりをして通り過ぎるよりほかなかった。 ああ、あの絵か、と、答えて、私は何と続ければいいのか困った。 あの異様さを美しいと評するには、私は多分、健全すぎた。 しかし、凄さで言えば、柳の絵よりも数段凄い絵だというのもわかっていた。 いい絵だったね、確かに、と、口の中で呟いて、私は誤魔化した。 -
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