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■ わたしが思い出になってしまう。
椎名林檎のある歌に、
「あなたはいつも写真を撮りたがる。 あたしはいつもそれを嫌がるの。 だって写真になっちゃえば、 あたしが古くなるじゃない」
というフレーズがあった。
わたしはよくこの曲をカラオケで熱唱したりするけれども(射手座のB型だし←関係ないけど)、でも必ずしもこの部分に共感しているわけではないのだろう。
どちらかというとわたしは、現在進行形のものを次々と思い出、つまり過去にして生きている。いま、どれほどすばらしい瞬間を過ごしていても、誰かと楽しい時間を共有していたとしても、心の隅っこでこの「今」が過ぎ去ってしまって古くなり、二度と戻れなくなる日のことを考えている。 とても淋しいことかも知れないが、そうなのだ。 そうやってわたしはいつも、「刹那」をどこか淋しい気持ちで大切にする。それがいつかなくなることを考えながら。
小さなころからしばらくごとに新しい土地に暮らし、いつしかひとつところにとどまれなくなった。こういう生き方が、わたしをこういうふうにしてしまったのだろう。
だからわたしは、写真を撮る。 思い出を切り取り、過去にしてしまう。その「刹那」を封じ込めながら。
ずいぶん昔は、「懐かしい」という感情にどのように接して良いのかがわからなくて苦しんでいた。今では、そのときを「過去」にしてしまうというすべを覚えたのかもしれない。自分自身とだけ生きていくすべを、覚えた…のかもしれない。
だって、少なくとも「今」を同じ密度で同じ感触で、いつかまた誰かと共有するなんて、どうひっくりかえってもできっこないのだ。だから、写真にするのだ。
今日、先日ムトコ地区の村を訪ねたときの写真を、やっと写真屋さんでプリントアウトしてきた。わたしを連れて行ってくださった職場の人は、ほんとうに喜んでいた。写真をとるなんて、やっぱりちょっとぜいたく。でも彼らにとって、わたしとは違う意味を持つ。 あんなに喜んでくれるなら、早くあげればよかった。
案外最近まで、古典的なフィルムのコンパクトカメラだったが、デジタルカメラに変えたとたん、ポストカード級のご自慢の写真があまり撮れなくなってしまった。もっとうまい使い方を覚えなくちゃいけないんだけれど。 デジタル一レフの練習もしなくては。この腕を活かせるように。(うふふ)
やっぱり、ものを書くことも、「今」の感情を過去のなかに封じ込めることなんだろうか。
2006年11月09日(木)
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