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■ ジンバブエを頑張る。
なんてうつくしい夕暮れ時なのだろうと思う。 どこの国でも夕日はうつくしいとおもったけれど、ひときわ心に染みるのはやっぱりひとりで立っている今、このアフリカの大地に沈む太陽と空の色だ。
日が暮れて、いただいたフレッシュな野菜を料理する。 たまねぎを炒める。キッチンに熱を入れる。
日々の暮らしを立てること。自分自身のための暮らしを立てること。 このことがとても大切なのだともう一度思いながら、カーテンを閉める。
今日は、先週に引き続き遠出。 先月から今月にかけて、お出かけ月間である。 別の方向に、別のひとたちと。
広い大地、なだらかな丘。緑が映え、大農場のあとが広がる。この国が豊かでうつくしい農業国だということがとてもよくわかる。それでも、いまは人為的に生産された食糧不足に陥っている。それもかまわずに、太陽は降り注ぐ。
一日を終えて、もうひとつの「現実」であるこのハラレのフラットに戻ってきた。贅沢にお湯をたくさん使って身体をリラックスさせ、そして音楽をかける。
夕暮れのなか、こころがしんとして、淋しさにおそわれる。この夕暮れのうつくしさやひとりの静けさという意味の淋しさではなくて、とても長い時間の、遠い人生における孤独感のような種類の淋しさだった。
今日、とてもすてきな場所を見せてもらった。 ハラレから100kmほどの街から少し外れたMupfureという土地。ここでもまた、小さな暮らしがたくさんある。そしてわたしは、ジンバブエにいるという感覚を取り戻す。このエリート階級の暮らしでは決定的にかけてしまっている、どこか「正常な」感覚を。
それに気づくと、どうしようもなく淋しくなる。 わたしはこの夕暮れの空を、どこに向かって生きていくのか。 そういうことをぼんやり考えるのである。たったひとり、自分自身の生きているアフリカという大地のこと。これから先、わたしはどこに何を求めるのか。
あれこれ田舎を訪問する計画を立てていたら、ほんとうに精神状態がとてもよくなってきたような気がする。本来の自分のやりたかったこと。これを無理せずすんなりと素直に実現できる精神状態。
そして別々の、しかしそれぞれにうつくしい「故郷」のような土地を見てふと思う。
ジンバブエを頑張らなきゃ、と。
それがどういう意味であれ、今の気持ちにしっくりくる表現はこれだった。人々に会う、知らない村を訪れる、食べたことのないものを食べ、マーケットでお買い物をする。そして風を感じること。 そして、仕事もそう。この国の政治経済状況について対外的にまとめていくこと。そして、ものを書くこと。わたしの意識を通したアウトプットという作業なのだ。
ものを書くことで、わたしは生かされている。 そういう種類の感情なのである。
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*本日の旅、Chegutuという小さな町から少し外れたMupfureという場所については、メルマガ『あふりかくじらの自由時間』【95】ご参照。ま、これから書くんですけど。
2006年11月05日(日)
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