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■ 翻訳のテイストを知れば。
どうにもこうにも、翻訳というのは 語学力や背景知識のみならず、センスと勘のよさと、 ときにユーモアやら言葉遊びのテクやらを 微妙にマッチさせて作られる。 ここに、翻訳の芸術性というものがある。
ということは、翻訳者によって訳は千差万別。 文芸ならなおさらで、そのひとが小説を読めば 十人十色のイメージを持つに決まっているのだもの。 犯罪的なミスを犯したり、作品を殺してしまったりすることもある。 現にベッシー・ヘッドの……(以下略)
だとすれば、翻訳という仕事は非常に重要だ。 わたしの小説を誰かが外国語に訳そうとするのであれば、 それは素晴らしいことでもあると同時に、 非常に恐いことでもある。 翻訳者が、わたしのソウルメイトであってくれれば良いのだが。 その文章のセンス、生き方、考え方。 あと、なんというか趣味みたいなもの。
わたしは、ベッシー・ヘッドの一方的ソウルメイトであるつもり。 だから自分が訳してる今の作品には、最新の注意を払う。 彼女を敬愛するから。(墓参りもしたしね)
あと少し、1960年代のボツワナの農村にいるつもり。
2004年07月14日(水)
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