ケイケイの映画日記
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2023年09月16日(土) 「福田村事件」




素晴らしい!関東大震災から100年。当時の知られざる出来事が浮き彫りにするのは、正に今の日本でした。掛け値なしの傑作にして必見作です。監督は森達也。

1923年の千葉東葛飾郡福田村。関東大震災から五日後の9/6。香川県から薬売りの行商に来ていた一行が、朝鮮人だと間違われ、妊婦・子供を含む9人が、自警団に殺害されるという事件が起こります。

映画はその数日前から、福田村に暮らす人々、薬売りの一行の様子を、丹念に描きます。たくさんの登場人物の中、短い出番で、一人一人の心情を掘り下げるのが、とにかく上手い。

船頭の東出昌大は色男で、夫が出征している人妻のコムアイをつまみ食い。「貧しい国から来て、雇ってやっているだけでも有難いと思え」と、朝鮮人も差別している。これ、現在日本で働いている技能実習生にも、同じ事を思う人が、沢山いるのでしょう。だが在郷軍人たちに盾突き、例え差別している朝鮮人であろうとも、命は守ろうとする。倫理観は薄いけど、群集心理に負けない己の意思と気骨がある。うん、私はこんな男に覚えがあります。「存在の耐えられない軽さ」のダニエル・デイ・ルイス。ルイスと東出の違いは、学のあるなしじゃないかしら?学があれば、差別心も彼なら、なかった気がします。

三人の人妻が、それぞれ間男を引き込む。内容の差はあれど、一様に心が寂しく不安なのです。その不安さを、人肌の暖かさで埋めたいのですね。国の内情は不安定で、政府は矛先を「危険な朝鮮人」に向けようとしてる。彼女たちは、平和な日常を送っていれば、浮気などしなかったと思う。

薬売りの一行は、実は部落出身者。「西では稼げぬ」と言う言葉は、部落は西日本に集中しており、東日本には部落の概念が薄く、差別も薄かったのかと感じました。効用の怪しい薬と知っているのに、口先三寸で行商する日々。仲間に入って日の浅い少年に何故と問われた親方の永山瑛太は、「弱いもんは、もっと弱いもんから取るんや」と、哀しくて重い言葉を吐く。

被差別者の彼らとて、皆同じ考えではない。朝鮮人と部落では、自分たちは日本人なので、朝鮮人とより偉いと言う者もいれば、親方の永山瑛太は、「お前が鮮人の飴は毒が入っていると言うから、(朝鮮人から)飴を買ったんや」と言う。「俺はエタの薬には毒が入っていると言われた事がある」と。親方のように、自分たちと朝鮮人を、同じ苦しみを託つ物同士であると、認識している者もいる。同じ被差別者であっても、多様なのです。それは、日本人や朝鮮人だとて、同じです。

村長の豊原功補、朝鮮で教師をしながら、朝鮮人の虐殺に心ならずも加担した事の傷心で、日本に帰ってきた井浦新。在郷軍人で警官の水道橋博士の三人は同級生。時は大正デモクラシー。教育を受け、リベラルな思考を持つ豊原と井浦が、ひ弱さを隠せないのに対して、強烈な愛国心と言う名の自我を放つ水道橋。容姿も教養も二人には劣り、多分出自もそうでしょう。彼らにコンプレックスがあったと思う。愛国者、軍人と言う鎧を得て初めて、二人に物申す事が出来たのだと思う。ネトウヨの原型を見る思いです。

何故朝鮮人が震災を機に暴動を起こしたとの流言飛語が飛び交ったのか?私はこの作品を観るまで、巷の人々の伝聞だと思っていました。それが政府からのお達しとして、朝鮮人を探し出し、殺せと命じている。驚愕し、震撼しました。知らなかった事を恥じました。この機に乗じて、左翼活動家もたくさん処刑されている。

何故日本人は流言飛語を信じたのか?政府に日和る新聞は、日頃から朝鮮人の蛮行を捏造して煽り、市井の日本人の最大公約数は、それを信じて朝鮮人を蔑み、暴行を繰り返したでしょう。だから、反撃・復讐に怯えたのです。差別の根源は何か?私は貧しさだと思う。自分の今の境遇の不満を、ぶつける相手を探している。政府が国民を宥めるため、生贄として差し出したのが、朝鮮人や部落の人たちなのだと思います。

作中、男たちが常に心に澱を抱えている中、一服の清涼剤のように自由闊達な井浦新の妻、田中麗奈。彼女の伸びやかさは、教養とと共に、豊かな親の財力もあるのでしょう。貧しさを知らないのです。しかしその財力は、朝鮮で企業して朝鮮人から様々に搾取しているはずの、父親の財力です。皮肉なようですが、その環境から、ニュートラルでリベラルな思考を持つ人が現れるのは、光を感じました。

私が感服したのは、平易な言葉をセリフに使っていた事。差別、人権、政府やジャーナリズムの腐敗、正しい教育の必要性、群集心理の恐ろしさ。扱っているテーマは全て、ともすれば、暗く重たくなるものです。しかし重たさはなく、重厚感はあっても軽妙、躍動感すらある。どうして上記の事が起るのか、誰が観ても解り易く、深く推考したくなる作りだった事です。ほんと、凄い!

飴売りの朝鮮人の少女が、殺されるときに自分の韓国名を叫んだこと、永山瑛太が、間違いで殺されそうになっているのに、「朝鮮人なら殺していいんか!」と絶叫した事、忘れ難いシーンが満載でした。貧者の叫びの尊さに、人は誰しも貧者である自覚を持たなければと、強く心に誓いました。語り継がれる作品になると思います。



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