ケイケイの映画日記
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2017年02月18日(土) 「たかが世界の終わり」




賛否両論の作品ですが、私はとても感動しました。100分足らずで、子供たちが幼い頃の楽しき家庭から、何故現在のようにいがみ合い、罵り会う家族になったのか、その軌跡が手に取るようにわかるのです。監督はグザヴィエ・ドラン。

劇作家として成功した34歳のルイ(ギャスパー・ウリエル)。死期が近い彼は、それを告げに12年ぶりに家族に会いに帰ります。母(ナタリー・バイ)や、当時子供だった妹シュザンヌ(レア・セデゥ)は大歓迎です。初めて会う兄嫁のカトリーヌ(マリオン・コティヤール)は、一生懸命場を和ませようとします。ですが兄のアントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)は弟に対して、揚げ足を取ったり食って掛かったりを繰り返します。

ルイはゲイ。彼がこの家を離れたのは、田舎らから都会に出たいとの思いもあったでしょうが、当時から居場所の無さを感じたのでしょう。初対面なのに、カトリーヌとは心が通じあるように見えるのは、二人ともこの家族の中で、自分の居場所を探しているからです。血は水より濃しですが、離れている年月は、確実にその血を薄くしてるのです。

まだ子供だった妹には、ハンサムで成功した次兄は、自慢だったでしょう。彼女の部屋が、それを示している。子供の頃のような愛情を兄に示す妹に対し、大人の女性になった妹に、どう接していいか、わからない兄。

アントワーヌは、わかり辛い存在です。最後の方で「父とルイが対立した」という台詞が出てきます。それもゲイが原因だと思いました。あっけらかんと、「ゲイは美しいものが好きなのよ」と、派手でケバケバしい装いの母。勘違いであっても、それは久しぶりの息子を持て成す感情なのに対し、胸に一物あるアントワーヌ。

美形で才能があり、寡黙なのに人を惹きつける弟。対する自分は田舎町にくすぶり、仕事も転々としている。「ゲイの弟」に対するコンプレックスが、彼を呪縛しているのだと思う。でも弟がゲイであるというには、唯一の自分の感情へのいい訳だと、兄はわかっているはず。だから、それを隠すため、弟に対して横柄で攻撃的になる。弟に会うと言うことは、卑小な自分を自覚する事。彼はそれが堪らないのでしょう。

幼い頃、毎週末は、車で家族へ出かけた話をする母。何度も聞いたと言う長男に対し、私が楽しいから話したいのと、全く意に介さない母。そうでしょうとも、私もわかる。その頃が母親として一番楽しく、活気があった時代だからです。夫に文句を言われながらも、ニコニコ同じ話を聞くカトリーヌは、良き嫁です。

アントワーヌは、家庭でも暴君なのか?私はカトリーヌの一生懸命この家で居場所を探す姿に、違うと思いました。カトリーヌと二人で育んだ家庭は、二人の子の父親として、大黒柱として、居場所があるはずです。それはカトリーヌが作ったのでしょう。しかし実家に帰れば、居場所の無さを実感するアントワーヌ。暴君でなくとも、実家では段々と居場所は無くなるもの。それ自体は健康的な事なのに、攻撃的にしか表現出来ない兄。

唯一母だけは昔と同じ愛情で子供たちに接します。彼女は何故このようにいがみ合う家庭になっていったのか、わかっていると思います。ルイが出て行き、夫が亡くなり、女ばかりの実家で出来の良くない長男は、無言の弟との比較に乱暴になる。しかし彼女は、いつも無邪気で自分勝手に事を進める。何があっても「変わらない」存在なのです。「あなたは、まだ気づかないのね。私があなたを愛していること。この気持ちは、誰も奪えない」。何たる名台詞。ルイが自分の死を知らせなければと思ったのは、この母がいればこそです。

子供が自立し家を出て行くのは、当たり前の事です。でもルイは,けんか別れのような形で出て行ったからか、後ろ暗く思っている。その贖罪のつもりが、誕生日に出す絵葉書。しかし、書くことがない。だから、絵葉書なのでしょう。

ルイを演じるギャスパー・ウリエルが、静かな存在感。絶世の美少年でしたが、今も憂いのある美青年です。ほとんど台詞のない役で、感情を表すのは難しかったろうに、今ルイは何を考えているのか、こちらに伝わってきます。狂言回しのように、家族それぞれの思いを浮かび上がらせたルイですが、ラスト近く、思いを込めて家族に語ります。それは母が望んだ内容ですが、それだけではなく、本心からの、ルイの願望も入っているはず。

ナタリー・バイのお母さんも出色の演技。一軒破天荒な母ですが、家族の集まりに手料理を振る舞い、時には道化のように笑いを誘おうとします。何か重大な事があるのだと、多分わかっているのに、次々食べ物を出しては、気をそらず。ルイを黙らせてしまうのは、聞きたくなかったのでしょう。ラスト、ルイではなくアントワーヌを追いかけたのには、とても肯きました。とってもいいお母さんです。曲がりなりにも、この家庭が成り立っているのは、この母あってだと思う。

その他、役者は皆熱演・好演でした。

私も家族が集まると、一触即発。常に気の張る家庭に育ちました。今の楽しく笑い会う自分の家庭は、毎日が奇跡のように思えるのです。今振り返れば、皆が皆、屈託や不満を抱え、自分を守ることで精一杯だったのだと思います。誰かを思いやる余裕なんか、なかったんだ。毎日が嵐みたいなかつてを、この作品を観て、懐かしいような気持ちで思い出しました。

家族という、厄介で煩わしく、そして愛おしいもの。その全てが描かれた作品でした。ドランの作品は、これからも見逃せません。


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