ケイケイの映画日記
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2015年06月13日(土) 「あん」




当初パスの予定でした。内容や出演者は魅かれるものの、監督が相性の悪い河瀬直美。しかしうなぎ上りの評価に、これ原作あるし(ドリアン助川)、もしかしてイケるかも?のギャンブル気分で観てきました。結果オーライ。じっくり見て行く中で、最後の最後まで温かく引っ張って貰い、ラストにあぁ、と胸にストンと落ちるものをいただきました。素敵な作品です。

小さなどら焼き屋の雇われ店長の千太郎(永瀬正敏)。ある日店の張り紙を観て、老女の徳江(樹木希林)がアルバイトに雇って欲しいと現れます。年齢が行き過ぎていると断わる千太郎ですが、徳江の置いていったあんを一口食べてびっくり。辛口の彼でもわかる、絶品の美味しさだったのです。早速徳江に働いて貰い、店は大繁盛。しかし心無い噂が立ち、店の客足は急激に減って行きました。徳江は元ハンセン氏病患者だったからです。

少女たちの会話の素人くさいナチュラルさに、あぁ〜やっぱり河瀬直美かぁ〜と苦笑するも(私には合いません)、彼女たちを圧倒も威嚇もせず、自分の演技をする永瀬に、まず感心。

千太郎のどら焼きのあんは、実は業務用。上手く作れないと言います。「どら焼き屋のあんこが、業務用なんて・・・」と、絶句する徳江。お金を貰って商品にしているのに、職人としてのプライドがないと言いたいのでしょう。徳江の様子は、詰るのではなく、諌めると言う感じです。

徳江のあん作りを丁寧に追って、映していく様子は、あんに対する愛情がいっぱい。美味しいものを食べると、幸せになるでしょう?きっと徳江は、どら焼きを食べる人に、幸せになって貰いたいんだと思う。

この作品は、ハンセン氏病に対する誤った偏見を正そうとしているのか?違うと思います。世の中に蔓延る偏見を正そうとしているのか?それも違うと思う。差別や偏見は、世の中から無くなるようなものではない。じゃあ、差別される側は、どうしたらいいのか?自分が生まれてきた意味を考える事、与えられた環境で、丁寧に誠実に生きる事。自分の心は自分のものです。自分で自分を束縛しない。自由になりなさい。徳江は壮絶な不自由にまみれて、でももみくちゃにされなかった、自分の半生を語る事で、千太郎やワカナ(内田伽羅)に、その事を感じて欲しかったんだと思う。

ラストの千太郎の姿は、徳江の言葉の意味を彼が掴み取り、自ら望んだ姿だったと思います。そう解釈した時、千太郎と行動を共にする女子中学生のワカナ(内田伽羅)の存在の意味が、初めてわかりました。ワカナも恵まれぬ家庭に生まれ、世の中の不平等に鬱屈しつつ、受け入れている子です。彼女には境涯に押しつぶされない、心を自由自在に解き放つ子になって欲しい。この作品のメッセージを、未来に繋ぐ存在として、ワカナは存在していたのだと思います。

ワカナに内田伽羅をキャストしたのは、大成功でした。「奇跡」は、彼女の子供ながら楚々とした美少女ぶりが印象的でした。成長した内田伽羅は、私が予想した美少女とは、方向性の違う少女に成長していました。演技自体は稚拙で、もごもごとどら焼きを食べる様子はあどけないのですが、少女ながら威風堂々としているのです。面差しこそ父親に似ていますが、祖父母・両親と、個性的なDNAをたくさん受け継いでいるにも関わらず、誰にも似ていない。伽羅は伽羅なのです。この大物感。大人しく清楚なのですが、とても心の逞しさを感じました。ヒロインであるお祖母ちゃんの口添えもあっての出演かもですが、ワカナの明るい未来を確信させるには、彼女の堂々たる風情が必要だったと思います。

永瀬正敏は、ずっと暗い眼差し。でもぶっきら棒な中に節度のある態度を見せ、千太郎の中に眠る誠実さを見え隠れさせていました。その溜めに溜めた静かな演技があってこそ、男泣きに泣く場面に、共に泣けたのだと思います。そしてラストの晴れ晴れとした笑顔にも、心底良かったと、また泣けました。

今や国民的女優になった樹木希林ですが、そこに存在するだけで、観る者の心を落ち着かせます。難しい言葉を使わなくても、彼女が発するだけで意味を掴もうと、聞く者は思うでしょう。徳江を観ていると、私もお婆さんになるんだなぁと、わくわくします。

心斎橋シネマートで観ましたが、通路に何人も座っていました。こんなの初めて。寡黙な描き方ですが、雄弁に心に響く作品です。


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