ケイケイの映画日記
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2015年06月06日(土) 「国際市場で逢いましょう」




韓国映画史上、歴代2位の動員数を得た作品。朝鮮動乱後、父不在の家で、幼い頃から家長としての責任を全うした、一人の男性の人生を描いた大河ドラマです。朝鮮戦争で生き別れた親族を探す番組は、昔日本でも中国残留孤児の親探しとしてあったなぁと、驚くほど日本と酷似した状況もあり、日本でも理解しやすい心情を描いているのが、こちらでもヒットの所以だと思います。個人的に私の夫や義兄が心に浮かび、とてもしみじみした感慨に浸った作品です。監督はユン・ジェギュン。

朝鮮戦争の混乱のさなか、はぐれてしまった妹を探しに行った父と、生き別れになってしまったドクス(ファン・ジョンミン)。父方の叔母の家に身を寄せてからも、別れ際父から「お父さんのいない間は、お前が家長。家族の事をしっかり頼むぞ」との言葉を胸に、母と共に弟妹のために、一生懸命働いていました。弟の大学進学のお金のためドイツの炭鉱に、妹の結婚資金や店の権利を得る為、技師としてベトナム戦争に出稼ぎに行きます。そんな彼には、常に妻ヨンジャ(キム・ユンジン)が寄り添っていました。

老いたドクスとヨンジャが、子供や孫に囲まれて仲睦まじく暮らす様子を映しながら、ドクスの回想として、過去が描かれます。最初の父との別れの場面で、既に私は滂沱の涙。以来観ている間、涙と笑いを行ったり来たりで大忙しでした。

せっかくソウル大学に合格したと言うのに、弟は兄ばかりに負担はかけられない。兄は家族の犠牲になっていると、自分も働くと言います。確かにドクスは、家族のために次々自分の夢を握り潰して、家族のために働く事を選びます。しかし彼はそれを犠牲だとは思わなかったと、私は思います。父親の代わりであると言うのは、彼の支えだったと思うのです。傍若無人に振る舞い、わがままばかり言う妹も、ドクスと父が同化していたのでしょう。物心ついた頃から、妹にとって父はドクスだったはず。母は妹を諌めるも、彼が何でも言う事を聞いてやるのは、父を知らない妹を不憫に思っていたからだと思います。

ドクスが頑張れたのは、常に傍に母がいたからだと思います。昔の韓国や日本では、夫亡き後でも「二夫にまみえず」の心があったと思いますが、再婚を選ぶ女性もいたはずです。生死のわからぬ夫を待ち続ける母がいてこそ、彼は頑張れたのでは?結婚してからは妻、そして一生苦楽を共にした親友のダルグ(オ・ダルス)。ドクスが孤独であった事は、人生で一度もない。彼を理解し支える人が、必ず傍らにいたのですね。

夫は両親健在の家庭で育ちましたが、在日一世の親の元、赤貧洗うが如しの生活だったそうです。兄弟は兄と妹二人。義兄は中学生からアルバイトしては、姑にお金を渡していたそう。義兄を真似て夫も同じく。妹たちもそれに倣って、それは各々が結婚するまで続きます。皆親孝行だったと、生前姑は言っていました。その中で一番苦労したのは、私はやはり、両親とずっと暮らした義兄だったと思います。

私の姑は良き人で、お小遣いやプレゼントをした時も、心の籠った礼の言葉を送ってくれる人でした。ある日私がスーパーから帰宅すると、姑がにこにこして待っています。「あんな、この子(留守番していた当時小4の二男)がお茶入れて、自分の食べていたお菓子を皿に分けてくれてな、お母さんもうじき帰ってくるから、待っといてやて。あんたが私を大事にしてくれるから、孫まで大事にしてくれるねん」。横で誇らしそうに胸を張る二男。あの時は嬉しかったなぁ。

そんな姑でしたが、ただ一つ私が不満だったのは、「親孝行するのは、親のためじゃないで。自分のためやで」と度々口にする言葉でした。なんでやの、私はお義母さんに喜んで欲しいと思ってやっているのに。でも口ごたえするでもなく、自分の胸にしまっていました。その言葉を思い出したのが、夫が二度目の失業から、せっかく勤め出した仕事を半年で辞めたいと言った時です。

当時58歳目前。仕事に関しては辛抱強い人で、自分から辞めたいと言った事は無い人です。様子がおかしいので、夫が言い出したら、いつでも辞めて良いと言おうと、心積もりは出来ていました。その時長男が夫に「息子が三人もいてるやんか。こんな時は自分たちを頼って欲しい。お母さんも働いてるやん、休みたいだけ休んでや」と言った言葉に、男泣きに泣く夫が、「俺が頑張って親兄弟のために働いたからや」と言うのです。

夫はその事について、苦労したとか、自分は偉かったとか、私や子供に言った事は皆無でした。いつも当たり前の事をしただけと。その時初めて、姑の言った言葉の意味がわかりました。ドクスが父の写真の前で、「辛かった・・・」と言った時、苦労はしていない、でも辛かった。義兄や夫もそうであったのだろうと、涙が溢れました。この場面でドクスに似た人を思い浮かべたの、私だけではないと思います。韓国や日本で、たくさんそうした人がいたのでしょうね。

そんな夫ですから、兄と二人で家族を養うより、自分一人で私一人を養う方が楽と、結婚してからの方が遊びだします。子供が生まれても自覚なし。自分の親兄弟の為なら我慢できたのに、妻子には出来ないのか!と、私は何度激怒した事か。あれはドクス程には苦労していなかったからだと、妻にも気配り出来るドクスを観て痛感。夫ももっと苦労してたら良かったのに(笑)。

夫は家族の愛情を描く映画やドラマ、ドキュメントを観ても、還暦を過ぎた今でも、親子の愛情にしか涙腺が動かない人でした。それも自分が親の立場ではなく、自分が子供として見るのです。夫婦ものには心が全く動かず。それが朝ドラの「マッサン」を気に入って、観られない時は録画して、総集編まで観ていました。そしたら妻エリー亡き後、妻からの手紙を読みながら涙するマッサンを観て、夫が泣いているのです。驚愕。でも、もうどうでもいいんですが(笑)。私が夫の実家がアウェイだった時に泣いて欲しかったなぁ。

この作品の中で、外国人に向かって二度ほど自分たちの事を、「哀れな韓国人」と赦しを乞います。今では時代が代わり、韓国が移民を受け入れる側。ドクスを通じて、哀れだった時代に持っていた韓国人の矜持が、豊かになった今は、失われてしまったと、訴えていたと思います。

コモ(父親の女兄弟)から受け継いだ店を、ドクスが頑なに守る事に拘ったのは、弟妹を結婚させ、子供を成人させ、母を見送った今、彼に人生に形として残ったものだからだと思います。それを吹き飛ばさせたのは、長年彼を支え、苦労をかけた妻の「愛しているから」の言葉だったのは、嬉しかったです。

形としても残っていますよ。ドクスは「親は家族じゃないのか?」と、家族旅行に行く子供たちに怒っていたけど、ちゃんと「これ法事のお金」と、妻に渡していたでしょう?親孝行は自分のため、なんですね。


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