ケイケイの映画日記
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2015年05月24日(日) 「真夜中のゆりかご」




デンマークの名匠スサンネ・ビアが、久々に家庭と言う身近なフィールドを舞台にした、シリアスな人間ドラマ。今回は母性や父性、虐待がテーマです。昨今のイクメンブームに若干の違和感を覚えている私は、まさかデンマークの映画で、その理由を教えて貰えるとは本当にびっくり。この手のテーマには、本当に国境がない事を痛感しました。力作です。

刑事のアンドレアス(ニコライ・コスター=ワルドー)は、美しい妻アナ(マリア・ボネヴィー)と、生まれたばかりの息子アレキサンダーと幸せに暮らしています。薬物中毒のトリスタン(ニコライ・リー・コス)を相棒の刑事シモン(ウルリク・トムセン)と捜査している中、偶然彼と妻のサネ(リッケ・マイ・アナスン)が、乳児の息子ソーフスに対して、育児放棄しているのを見つけます。憤懣やるかたないアンドレアス。親としての自覚と、妻への感謝を心して生活しているアンドレアスでしたが、最愛のアレキサンダーが原因不明で急死。取り乱し半狂乱の妻を眠らせた彼は、トリスタンの家に忍び込み、亡くなったアレキサンダーとソーフスを入れかえて、ソーフスを連れて帰ります。

冒頭直後、不衛生でゴミ屋敷のような家の中、糞尿にまみれたソーフスが映り、これはかなりショッキング。毎日のように虐待やネグレクトの報道を目にしますが、それだけでもかなり辛いのに、目の前に表現されると、これはかなりきついです。離婚していますが、子供のいるシモンやアンドレアスの怒りを、観客も共有。ここでトリスタンとサネは、絶対的な悪と印象付けられますが、「子供を取り上げないで!」の、サネの絶叫も脳裏に残ります。

アンドレアスが赤ちゃんを取り換えに行ったのは、警察や救急車が来ると、息子と離されるから、そんな事をすると死んでやると言う妻をなだめる為と、いずれ親から放置され、遠からず死んでいくだろう、ソーフスを救いたいため。後者はよくわかるのですが、前者は意味がわからない。案の定妻からは、「私はアレキサンダーと会いたいのよ!」と詰られる。

この作品、力技で説得力を持たせる演出なのですが、アナの表情や言動、アンドレアスの様子に、私はずっと違和感を持ち続けていました。反対にソーフスの描写は、母親のサネが何故おむつを替えず、ミルクを与えないのか?替えられないし、あげられないのです。この描写は胸を突かれました。ネグレクトを報道されると、それでも母親かと猛烈なバッシングに合う母親たちも、サネのような事情があるのではないか?と立ち止まる事は必要だと思います。

お話は異様とも当然とも思える展開となり、力技でぐいぐい観客を引っ張って行く中、私の違和感がはっきりしてきます。それは父性と母性の違いでした。

アレキサンダーはよく夜泣きをする子で、アンドレアスは自分が面倒みると言う妻を制して、夜中に寝かしつける為、ドライブに連れて行っていました。それを憂鬱そうに見送るアナ。手のかかる子だと言う台詞もありましたが、これは父親としてやり過ぎだと思います。寝不足で仕事で失敗したら?アナは現在は専業主婦のようですし、身の置き所がないでしょう。自分の子を産んでくれた妻に、言葉でも態度でも過剰に感謝を表現する夫。これでは「育児が辛い」と言えず、返ってアナは追い詰められていたのでは?

それなのに、子供を取り換える際、偽装がばれないように、自分の息子の遺体に糞尿をなすりつけるアンドレアス。仰天しました。自分の息子の遺体です。
泣きながらでしたが、全く理解出来ない。これは死んだ子が自分の子でないのもわからないトリスタンとともに、父親と母親は違う、その描写ではなかったかと思います。自分の子に拘るアナなら、決して出来ないはず。そして何度言いくるめても、アレキサンダーの遺体を抱きながら、私の息子は生きていると言い続けるサネの姿の、対比だったと思います。

辿り着いた驚愕の秘密。ですが私は腑に落ちました。母性と言うのは子育てしている間に育つものです。ですが手のかかる子、劣悪な環境に見を置かれた母親たちは、その萌芽をむしられるのです。サネの場合は、クズの夫から逃げる智恵を身に付けるべきだし、救い出せる社会の整備も必要だと思いました。

夫の育児や家事の手伝いは、大いに結構なのですが、昨今のイクメンブームも、母親から母性の芽を摘んでいるのだと、この作品を観て痛感しました。子供からの愛情の対象として、父親は母親には決して勝てないものだと、私は思っています。そして幼い子に取って、自分が一番の存在なのだと言う自負と気概がなければ、育児は出来ません。だから辛抱も我慢も出来るのです。

誤解を恐れず言えば、母親が家事をすることをも大切です。食事を作って「お母さんのご飯は美味しいね」と、赤ちゃんに語りかければ、妻は喜んで次の日もご飯を作るでしょう。そうやって巣作りや、食育も覚えて行くのです。大事なのは、幼い母親である妻を支え励まし、自信を付けさせる事です。母親の代わりになる事ではありません。大事なのは、育児が楽しいと妻に感じさせる事。イクメンで一番大切な事は、それじゃないでしょうか?

何故昔と違い、母性を育てる事が、かように面倒なのか?女性の生き方が多様化し、母親が迷っているからだと思います。過去の価値観と今の価値観の狭間で、自分がどうすればいいのか、混乱しているのだと思います。それを救うのは、夫だけではない筈。社会全体で彼女たちを見守る必要を感じました。監督がその思いを込めて描いたのが、アナやサネだと思いました。

自分も傷つきズタズタになったはずのアンドレアスの、穏やかで安堵した表情と子供の笑顔に、最後の最後救われました。母性の敗者復活はあるのです。母親の先輩である私たちは、虐待する母親を、決して見限ってはいけないのだと思います。子育ての苦労を理解し、喜びを伝えるのは、私たちしか出来ないのだから。アナの母親の存在は、それを私たちに促すだめだったと思います。

骨太の作りの中に、繊細に母性と父性の違いを浮き彫りにし、迷える母親たちに社会の理解を求めた作品。やっぱりスサンネ・ビアは素敵です。


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