ケイケイの映画日記
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2013年05月12日(日) 「セデック・バレ 第二部 虹の橋」




14日の火曜日に予定していましたが、もう一部を観てから、ずっとこの作品の事が頭から離れず、観たくてたまりません。それで本日は母の日とあって、通常は日曜日は映画館には行かないのですが、今日だけは特別にね。二部はよりセデック族の誇りを際立たせ、より娯楽色の濃い作りとなっていますが、私の傑作と言う感想は保たれました。本当に凄い作品です。

霧社での蜂起で、女子供まで日本人は皆殺しにしたセデック族たち。事は瞬く間に日本軍に伝わり、早速セデック族の制圧にかかります。しかし地の利を生かしたセデック族たちに手を焼く日本政府でしたが、妻子を殺された小島(安藤政信)が駐在する集落の頭目タイモ・ワリス(マー・ジーシアン)が、モーナ・ルダオ(リン・チンタイ)と敵対している事に目をつけ、集落の男たちを引き込む事に成功します。次第に追い詰められていくモーナたちでしたが・・・。

日本軍VSセデック族の戦いが二部の中心となるので、アクションシーンが一部以上に盛りだくさん。そしてセデックの若者たちの抜群の身体能力を生かしたアクションは、いつまでも見ていたいくらいの見目麗しさで、本当に虜になります。険しい山道や森を縦横無尽に駆け回る彼ら。目にも止まらぬと、風に例えられるその様子は神出鬼没で、日本軍を翻弄します。

女たちはこの戦いの無謀さを承知しており、夫や息子たちの足でまといにならぬよう、自死を決意。命懸けの負け戦に向かう男たちが、今生に情けを残さぬためです。実際はどうであったかわかりませんが、この作品中では、セデックの男たちは、何でも自分たちだけで決めていましたが、女子供は必ず守ってきた印象がありました。彼女たちが従順に男たちに従ってきたのは、強い信頼があったからでしょう。死なないでと泣き喚く息子バワン(リン・ユワンジェ)に、母が「もう大人よね。立派な戦士になって、お母さんは嬉しいわ」と語る姿に、堪らず号泣する私。まだ10歳過ぎたばかりの少年たちは、霧社での活躍で、額と顎に勇者の印の刺青が入っていました。

一方、セデックの血と日本への帰化との狭間で、苦しみ葛藤する警官の花岡一郎と二郎(兄妹ではありません)。一郎が「俺は天皇の赤子か?それともセデックの息子か?」と、同じ立場の二郎へ問いかけます。苦しみを断ち切り、開放しろと言う二郎。彼らの苦渋の末路も、とても理解出来るものでした。

私にはこの二人の苦悩はとてもリアルでした。私は国籍は韓国ですが、生まれも育ちも日本。韓国語は喋れません。韓国人でもなく日本人でもない。文化は和韓折衷でどちらも中途半端。しかしアイデンティティをどこに求めるかと問われれば、即答で韓国と答えます。セデックの伝統的な暮らしをしてきた親を持つ、モーナの息子タダオ(ティエン・ジュン)たち多くの若者も、自分に重なりました。刺青もなく首狩りをした事がなくとも、彼らは紛れもなくセデックの子なのです。タダオのような誇りは持たない私ですが、この作品で、改めて自分の血と向かい合う事が出来ました。

一郎と二郎は、当時の帰化政策で、優秀な子弟は日本人になるように進められていたようです。セデック族からは裏切り者と言われ、日本人からも差別される彼ら。在日社会でも、私の幼い頃は同じような事が言われていたようです。それを思うと、帰化の進む現在の在日社会は隔世の感があります。「後20年我慢しろ」と言った一郎の言葉は、間違いではないと思いました。

モーナたちは負け戦と知りながら蜂起したのは何故か?いずれはセデックの文化は滅んで行くと理解しているからです。屈辱的に滅ぶのか、セデックの勇者として滅ぶのか?後者を選んだのです。ひとり、またひとりと死んで行くのに、戦い続ける彼らを、私は美しいと思いました。普通「戦争」を描いて、ヒロイズムを感じてはいけないのでしょうが、この作品に限っては、この感想で正解だと思います。森を焼かれ、逃げてしまったと思われたセデック族の生き残りが、炎と共に日本軍に飛びかかるシーンは、ため息が出るほどカッコよく、身震いするほど素敵でした。

「死んで虹の向こうに行くと、みんな仲良くするのでしょう?」と言うのは、ワリスの幼い息子です。「たった300人で数千人と戦ったセデック族は、日本人が忘れていた武士道を持っていたのではないか・・・」と語るのは、日本軍指揮官蒲田(河原さぶ)です。この言葉を永遠なものにするための、今回の映画化だったのじゃないかと思います。

とにかく興奮する作品。多分今年の私のNO.1です。


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