ケイケイの映画日記
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2011年01月27日(木) 「愛する人」

年に何本かは、あらすじを読んで、これは私の映画だと直感する作品があります。この作品もそうでした。たくさんの母と娘が出てきますが、手に取る様に全ての人の心が深く沁み入り、途中からもう滂沱の涙。恥ずかしいくらい泣きました。丁寧に繊細に情感豊かに、母と娘の心の軌跡を紡いでいく秀作でした。監督はロドリコ・ガルシア。

作業療法士としてクリニックで働くカレン(アネット・べニング)。14歳の時に出産した彼女は、実母によって強制的に娘を養子に出され、ずっとわだかまりを抱えつつ、今は母を介護していますが、娘の事は片時も忘れてたことがありません。その娘エリザベス(ナオミ・ワッツ)は、養父母と折り合い悪く早くから自立。今は優秀な弁護士として活躍していますが、男性とは体の関係以上の事は求めず、独りでいることを望んでいます。形を変え、二人とも不器用な生き方をしていた頃、エリザベスは思わぬ妊娠をし、生みの母を意識し始めます。

至る所で確執を感じさせるカレンと母。甲斐甲斐しく介護する様子からは充分な親孝行を感じさせますが、二人とも笑顔一つ交わしません。折々に養子に出した娘の事をカレンは口にしますが、それは母親を暗に責めているからです。

気難しく殺伐とした印象のカレン。娘の事を後悔して自ら律したと言うのもあるでしょうが、それ以上に母親がそれ以降厳しく接したと思うのです。日本であれアメリカであれ、14歳の出産は本人のふしだら以前に、親としての責任が問われる事です。親にとっても人生が変わるようなショッキングな事のはず。娘の将来を案じた母は、自分の育て方の至らなさを猛省し、娘がこれ以上「堕落」しないように懸命だったのではないでしょうか?しかし立派に職を得て自立した娘は、人としての温かみを一切失ってしまいます。

それが端的に現れていたのが、カレンに好意を寄せる同僚男性パコ(ジミー・スミッツ)とのやり取りです。自分も関心があるのに、その先を考えてまず身構えてしまい、ケンカ腰の物言いで、最悪です。そのあまりの不器用さに、過去が心の傷となり、以降恋をした事がなかったのだと感じました。

母が薄々解っていた自分の過ち(とは一概には言えないが)を確信したのは、毎日来るラテン系のメイドと幼いその娘のお陰でしょう。女手一つで健気に娘を育てるメイドから、自分の娘にもこういう生活があったのではないか、何故自分は母として支える事を考えなかったのか、そうすればカレンの人生にも笑顔があったのではないか?きっと悶々としたでしょう。

母の死後、メイドから「お母様はあなたに謝りたいと仰っていました」と聞かされ、「何故直接私に言ってくれなかったの!」と慟哭するカレン。ここで私も一緒に号泣。痛いほどその涙がわかる。母は言うのが怖かったのです。娘の一生を台無しにしたのが、誰あろう娘を一番愛していると自負している、自分であると認める事が。

メイドはカレンの過去は聞いていないと言いますが、私は知っていたと思います。だから通う日数を減らされて賃金が減っても来ると言います。カレンに嫌われている娘も連れて。きっと彼女は亡くなった母を深く理解していたのですね。母の代わりにカレンを見守り、じっと変化するのを待ったのだと思います。

苦悩するカレンの日常と並行しながら、物語は出自に葛藤するエリザベスの生活も映します。自分の過去を誰にも言えず抱え込むカレンに対し、問われれば包み隠さず自分の出自を話すエリザベス。カレンは母という存在の煩わしさもあったでしょうが、守ってくれる存在でもあったはず。しかしエリザベスには何もない。本当の天涯孤独。心に火傷したり砂を噛む思いもいっぱいして、真っ裸の自分を晒すことで強く生きる選択をしたのでしょう。

自分に好意を寄せる上司ポール(サミュエル・L・ジャクソン)の気持ちを察し、自ら誘うエリザベス。そのしなやかな様子は、実母カレンと違い数々の恋の経験を感じさせます。しかし彼女はこの直後、信じられない行動を取ります。その様子に、「あの日、欲望の大地で」のシルヴィアが重なります。女が誰とでも寝るというのは、私は一種の自傷行為だと思うのです。幸せを望みながら幸せを怖れ、自らを堕落させ幸せから遠ざかろうとする。それは母親ときちんと向き合う事が出来なかった事に、起因していると感じます。エリザベスは頭では母を忘れていても、心では解決出来ていないからなのでしょう。「いつも必ずロサンゼルスに帰ってくるのは、私が生まれた場所だから」という吐露に、また号泣する私。

思わぬ妊娠に心が千々に乱れるエリザベス。彼女は誰にも告げずに産む選択をします。その頃カレンは昔の自分と対峙します。母が亡くなり、その呪縛から抜けだそうと試みているのでしょう。

重要な登場人物がもう一人。子供に恵まれない黒人の若妻ルーシー(ケリー・ワシントン)。母になりたいと熱望する彼女は、養子縁組を望みます。その事に待ったをかける実母。この母がおせっかいで鈍感、暑苦しく母性を振りまく人で、その母にルーシーは苛立ちます。しかし娘がどうしようもない苦しみに陥った時、この母はあらん限りの愛情で受け止めます。娘のお角違いの甘えには、毅然と叱咤も出来るのです。この真っ当な愛情のお陰で、ルーシーは見事に再生します。カレンやエリザベスの不器用さに比べ、一途に自分の信じた幸せを求めるルーシーの姿は、この下世話で善良な肝っ玉母ちゃんに育てられたからだなと、つくづく感じました。

盲目の少女とエリザベスのエピソードが滋味深い。心の目で語りかける彼女に、初めて自分の心を素直に出せるエリザベス。そして彼女の心には実母が膨らんで行くのです。けれどその後の展開に確信を持っていた私は、全く違う方向に話が進み狼狽して呆然。怒るのではなく、もう哀しくて哀しくてまた号泣。しかしその哀しさの先に物語は深く続いて行きました。

私は母には産みの親も育ての親もないと思っています。育てた人もしっかり母です。しかし生みの母は育てずとも、合えば一瞬に長い空白がなくなるのも事実。要はこの作品に出てきた別の母の言葉に尽きると思うのです。「あなたの事を思わない日はないわ」。子供の幸せをいつもいつも心から祈る人。それが母なのだと思います。

「あの子の目は母に似ているわ」という、カレンの嬉しそうな表情が忘れられません。人が死に人が生まれ、そして育てる。その自然の摂理の偉大さを、深々と感じさせる言葉です。

とにかく主演二人が素晴らしくて。べニングは最初の殺伐としたカレンから、慈愛に満ちた母の表情に変化して行く様子が唸りたくなります。ワッツも一見魔性の女を身にまとったエリザベスの、真の孤独を演じきってお見事。ワシントンも、応援したくなる猪突猛進のルーシーを熱演して、とても好感が持てました。男優陣の大人の男性っぷりもとても良かったです。

全ての女性に観てほしい作品。男性もジャクソンやスミッツ演じる人を見て、是非女性に対して真の優しさとは何なのか?を感じて欲しいと思います。早くも私の今年のベスト10候補作品です。












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