ケイケイの映画日記
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2011年01月22日(土) 「ソーシャル・ネットワーク」




実は私、facebookのアカウントを持っております。義妹の方の甥っ子がアメリカのとある研究所で働いており、「元気にやってるよ」というのを時々親戚中にメールで知らせてくれておりました。そんなある日招待状が。はは〜ん、これで近況見てくれっちゅーことね。と、すぐに登録したのですが、哀しいかなイマイチ使い方がわかりません。それでも時々甥っ子の元気な姿を観るべくアクセスするのですが、facebookにこんな背景があったとは。現代のアメリカの世相を映しながらの青春ドラマ。私はとても面白かったです。監督はデヴィッド・フィンチャー。

2003年、ハーバード大学の学生マーク・ザッカーバーグ(ジェシー・アイゼンバーグ)は、彼女のエリカ(ルーニー・マーラ)に振られた腹いせに、学内のデータをハッキングして、女子の人気投票のサイトを立ち上げます。二時間に2万2千のアクセスがあり、サーバーはダウン。これが学内で評判になり、マークは校内でエリートの双子のウィンクルボス兄弟(アーミー・ハマー)から目をつけられます。ハーバードの学内交流のためのサイトを立ち上げてくれと頼む兄弟。しかしマークは友達のエドゥアルド(アンドリュー・ガーフィールド)に、独自のサイトを立ち上げる事を持ちかけます。瞬く間に登録者を増やすサイトだったのですが・・・・。

まぁ〜とにかくセリフの洪水!それも主役のマークは早口で立て板に水のようにまくし立てます。天才的な頭脳を持っているのはわかるのですが、知性は全く感じられず。対人関係でもコミュニュケーション不全であり、友人もごく少数。天才であっても優秀ではないのです。しかしこのマークの早口につられてか、画面はスピーディーに進み小気味よいです。

天下のハーバードなんですから、学生はどんなに優秀かしらと思っていたら、選民意識丸出しで学生クラブを作ったり、マークにアイディアをパクられたと腹を立て、親の手も借りて学長に「告げ口」しに行くところなんて、小学生か?学生の幼稚化というのは、世界共通なんだわと憂いてしまいます(嘘。超面白かった)。

軽薄でイケイケの若き企業家パーカー(ジャスティン・ティンバーレイク)に、一見影響された様に見えるマーク。そのため共にfacebookを育ててきたエドゥアルドを切り捨てます。そしてウィンクルボス兄弟、エドゥアルドの両方から訴えられるマーク。この様子が現在の調停の様子と過去の彼らの姿が交互に描かれ、その時々の心模様が描かれます。

世界一若い億万長者となったマーク。一見成功した者に付きものの孤独と虚無感を、殺伐としたネット社会を通して描いているように見えます。でも本当にそれだけ?私は違うと思う。

双子もエドゥアルドも、事あるごとに「父」を引き合いにだします。父に頼もう、こんなことを仕出かして、父に怒られるなど。対するマークやパーカーは全く親は出てきません。学内ハイソクラブの招待状も、エドゥアルドには出すのに、その腕を見込んでネット立ち上げを頼んだマークにはなし。自由なはずの学内でも、容姿や家柄で格差社会があるわけです。

最初マークは、双子たちにひと泡吹かしたかったのだと思います。しかし急成長するサイトの様子に、欲が出たのだと思う。それはお金や名誉ではなく、人から尊敬されたかったのではないでしょうか?彼らはお金や名誉は親の代より持っているけど、尊敬はないもの。何度も彼が口にする「クール」と言う言葉。イケてる、カッコイイと言う感じかな?彼はこれで尊敬を得られると誤解したのかと感じました。

人に尊敬されるのには、感動がなくちゃね。世に破滅型の天才はたくさんいますが、それは芸術家に多いです。何故その人たちが愛され敬意を保たれ続けるかと言うと、それは人の心を感動させるからだと思うのです。この作品のマークからは、友人のいない孤独を嘆く心は、私はどこにも見つけられませんでした。むしろ失って行きサバサバしていたように感じました。それってダメな事ですかね?友達いなくちゃダメですか?エドゥアルドの方が、友人関係の終焉に未練があるように感じました。それはマークの方にもちょっとあったかな?

中盤で出てくる「ネットで書いたことは消せない。あなたは私を侮辱し傷つけた。話したくない。」という簡単明瞭なバッサリとしたセリフは、この作品の中でも強く印象に残ります。調停の中でマークが反省したのは、友人を失った事では無く、誰かを傷つけてしまったことだったように思います。

それがラストシーンや、マークに的確なアドバイスをする若手女性弁護士とのやり取りに繋がると思いました。マークは決して空っぽな人ではありませんが、これは大変な人としての成長だと感じました。

実在の人物、それもみんな若くて健在の中、いくらフィクションを交えたと記しても、映画化は難しかったでしょう。でも私は、登場人物誰にものめり込みませんでしたが、嫌悪感もなかったです。壮大に見せてくれた若気の至りは、ほろ苦く、でも美味しい味でした。


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