ケイケイの映画日記
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2010年01月15日(金) 「牛の鈴音」




いや参りました。素晴らしい。昨日は私のマッツ・ミケルセン様を観に、テアトル梅田まで行くはずだったんですが、あまりの寒波に急遽予定変更。自宅からちょっとは近いシネマートで上映のこの作品にしました。リストアップはしていましたが、新作がイケイケドンドンなので、もうパスしようかと思っていたんですが、本当に見逃さないで良かったです。ただひたすら、老夫婦と老牛の日常を撮ったドキュメンタリーなのに、老いること、働くことの意味、ひいては人生哲学まで感じさせる秀作でした。

韓国は慶尚北道の片田舎。80歳前のチェ爺さんと70半ばのお婆さんは、農業を営んでいます。子供たち9人を無事育てあげ、今は二人暮らし。お爺さんの相棒は、御年40歳の雌牛です。普通牛は15歳くらいが寿命なので、すっかりお婆さん牛です。段々老いていく牛を獣医に診せると、あと1年くらいの寿命と言われます。しかし牛を大切にしながらも、お爺さんは毎日の畑仕事に、牛を連れて行きます。

老人の生活にふさわしく、時がのんびりと過ぎていきます。喧騒はない代わり、お婆さんの口の悪さがとっても愉快。口癖は「何でこんな男と結婚したのか。それが不幸の元だ」です。このセリフには場内の大半を占めていた年配の奥様方ともども、爆笑しました。嫁さん稼業というのは、どんな年代も似たり寄ったりですな。朴訥で寡黙だけれど、頑固ぶりもなかなか手強いお爺さんとのやり取りは、とてもユーモラスです。

何故うちだけ機械を使って草取りしないのか、農薬を使わないのかと、お爺さんを責めるお婆さん。もう農業と牛の世話に明け暮れる生活がしんどいのです。しかし機械を使うのはちゃんと収穫出来ないからダメ、牛に農薬入りの草を食べさせるのかと怒り、果ては牛が引くのがしんどいから、お前は荷台から降りろとまで言うお爺さん。

「私がしんどくても薬も買ってくれないのに。私より牛の方が大切なんだろう?」と、悪態をつきまくるお婆さん。何だか牛に嫉妬しているみたいで、クスクス。雌牛だしね。でもずっと観ているうちに、お爺さんの心の中が見えてくるのです。

お爺さんは8歳の時の鍼治療の失敗で、左足が少し不自由です。ふくらはぎの太さは右の半分、筋力が落ち、断続的に痛みが襲ってきます。この不自由な体で少年期から働きづめで、立派に妻子を養ってきました。人より劣る身体で、人並みかそれ以上の、男としての勤めを果たしたのです。仕事で辛い時苦しい時、お爺さんの傍らに常に寄り添っていたのは、この老いた牛だったわけです。

「この牛は畜生だが、わしにとっては人間以上の存在だ」というお爺さん。人々は普通の倍以上の寿命を生きながらえて、農耕牛として働く牛に、働くと言う業を背負っていると言います。取りも直さず、それはお爺さんのことだと思うのです。

会話でわかったのですが、どうも農耕牛として引退すれば、売らなければならなようです。余生を過ごすというのは無理なよう。そこが家畜とペットの違いなのです。お爺さんは大事な牛を売るのがいやだったのでしょう。だから老いてもこき使い、機械を取り入れず農薬もまかず。お爺さんはそこに、生涯一農夫として生きる自分の宿命を重ねたのかも知れません。大切にはするけれど、分は守らせるのです。

旧盆に実家に帰ってくる子供たち。口々に親を思いやるけれど、誰もこの老親と暮らそうとは言いません。「子供は充てにできない。今更子に気を使って生きるのもいやだ」というお婆さん。そう言いながら、新米は一番に子供たちに贈る二人、口うるさく元気いっぱいのお婆さんの耳には補聴器が。頭痛に悩まされるお爺さんも映します。どんなに子が親を思っていたとしても、親が子を思う半分もないもんです。子供を持つと痛いほどわかるのがこの事です。小津の「東京物語」を観た思春期、何て薄情な子供たちだと思いつつ、私は絶対ああはならないと思っていたのに、今の私ときたら似たり寄ったり。お爺さんより年上の父親の顔が浮かび、胸が痛むのです。

段々弱ってくる牛の代わりに、新しく若い牛を買ったのですが、この牛がお婆さん曰く「若いくせに怠け者だ」そうで、働いているシーンが全然映りません。そのくせ角で老いた牛を威嚇し、えさを横取りしようとします。若いと言うだけで傲慢なその姿は、人間そのもの。画面はお爺さんの汚れた爪、白髪交じりの汚い鼻の穴まで映し、決して老いを美化しません。年を取ると言う事は、身綺麗とは反対の薄汚くなっていくものですよ、と言いたげです。
作り手は執拗にその小汚い姿を映しながら、自然に老いることを肯定しているような気がしました。

売られそうな時や今際の際、牛の流す涙がとても心に染みました。「畜生だが、わしには人間以上」の牛が畜生でなくなった時、畜生の証だった鈴が外された時、私から思いがけないくらいの涙が溢れました。寂しくもあり哀しくもあり、そして安堵もし。ほんの一時間半足らず、この老夫婦と時間を重ねた私にも、牛は人間並みの存在になっていたようです。

公開時韓国では、その年一番ヒットした作品だったとか。韓国的儒教の考えが薄らぎ始めているらしい今の韓国。その反動のようなものが、観客動員に繋がったのかも知れませんね。


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