ケイケイの映画日記
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2009年10月03日(土) 「ココ・アヴァン・シャネル」




随分巷の評価が低いので、パスしようと思っていましたが、TAOさんのお勧めにより鑑賞。いやびっくり。繊細に大胆にココ・シャネルがしっかり描かれており、何でこんなに評価が低いのか謎です。監督はアンヌ・フォンテーヌ。

母は亡くなり父には捨てられ、孤児院で育ったエイドリアン(マリー・ジラン)とガブルエル(オドレイ・トトゥ)姉妹。成長して昼間はお針子をしながら、夜は場末のキャバレーで二人で歌手としての成功を夢見ながら歌っており、その持ち歌から、ガブリエルハ”ココ”という愛称を得ます。キャバレーに客としてバルザン(ブノア・ポールヴォールド)という将校が現れ、ココを贔屓にし仕事を斡旋してくるのですが、エイドリアンは男爵との結婚を夢見て、歌手を辞めてしまい、ココの歌手への夢も断たれます。意を決して、バルサンの元に身を寄せるココ。そこは底辺で生きていた彼女の知らない上流階級で、様々な出来事と出会いが、彼女を待っていました。

可愛げなく誇り高い野良猫のようなココが、とっても素敵。シャネルと言う人は、男性に好かれることだけが重要だった女性のファッションを、自分の自己表現としてのファッショに変えた人です。苦しく息も出来ないようなコルセット、埃もいっしょに引きずりそうなスカート丈、鳥や花やフリルで、これでもかと過剰にデコラティブする帽子や服から、女性たちを解放した人。今でこそブランドとしてのシャネルは、オートクチュールの大御所ですが、当時はとってもアヴァンギャルドな存在だったはず。その若き日の姿が、小生意気で勝気な毒舌家であるのは、女性が男性に従順であるべきが当たり前の当時、観ていてとても小気味よいです。

押しかけ愛人のようにバルザンの元に身を寄せるココですが、バルザンからは愛人どころか、娼婦より少しましな扱いです。バルザンにしたら、可哀想な野良猫を拾って、気まぐれに置いているだけなのでしょう。使用人たちからの侮蔑、パーティーでの晒し者のような屈辱的な扱いに傷つつきながらも、堪えるココ。リアリストでもある彼女は、金もなくコネもない自分が成功するきっかけを掴むには、バルザンの元に踏みとどまるしかないと知っていたのでしょう。

そのご褒美のように、バルザンたち上流階級の暮らしから、あらゆるものを吸収し、自分の中で消化していくココ。その中で生まれたのが、紳士物のスーツを基本にしたファッションであったのは、彼女の並はずれた才気と性格を表わしていて、なるほどと納得。体当たりでのし上がろうとしつつ、自我の目覚めから、挫折や苦悩するココの姿も描かれ、彼女を単なる高級娼婦のようには描いていません。

個性とウィットに富む会話から、段々とココがバルザン邸で必要な人となっていく時出会ったのが、実業家のイギリス人ボーイ(アレッサンドロ・ニヴォラ)。物珍しいものとしててではなく、初めてココの個性を認め、エレガントだと褒めるボーイ。そうすると待ち受けているのは、バルザンとの三角関係ですが、これがやっぱりおフランス式大人の関係で、とても魅力的に描かれています。

初めは愛玩物のように振り回していたココに、いつかしバルザンは虜にされていました。バルザン邸に出入りする女優が、「彼はいい人よ」と語ります。出自により有り余る金と暇、家柄と何でも持ちながら、傲慢でも尊大でもないバルザン。自分の世界では理解し難いココを、彼なりに一生懸命理解しようとし守ろうとする姿は、一種父性的でもあります。

対するボーイは一見エレガントな優男ながら、背景にココと似たものがあり、野心家でもあります。それがココと言う当時としては破格の個性を持った女性を、理解出来たことに繋がります。一見不実にも思える彼の言動ですが、自ら愛人の子だと語らせ、彼を理解しやすくしています。

一人は求愛、一人は求婚。当時の価値観からしたら、二人とも自分の立ち場から考えれば、精一杯ココへの愛情を示します。シャネルは生涯独身でしたが、そこには妻になれない哀しさはなく、妻ではない自由を謳歌する姿がありました。しかし「私は一生結婚しないわ。でもその事をあなたといると、時々忘れるの」と涙する姿に、女心の痛みが表わされており、共感出来ます。こういうシーンがあるのとないのとでは、鑑賞後の感想は雲泥の差。繊細に手抜かりがないのに、感心します。

手始めは帽子のデザインから始まりますが、自分が何をしたいかわからないココ。まずは出来ることから一生懸命と言うことでしょう。とにかく働きたいという思いにも共感出来ます。当時は男性の庇護の元に暮らすのが幸せと考えられていたはずですが、きちんとお金も返し、男性は愛しても決してパトロンという立場にはさせないところも素敵です。

オドレイは今回本当に可愛くないのですが、細い体に男物風の衣装はギャルソンっぽく、豪華な衣装より数段似合っていました。目の下のクマや表情が年齢より上に見せる一瞬があり、そのままココの苦悩の深さを表わしていたのでしょう。「アメリ」の印象が強い彼女ですが、立派にフランス映画界を背負って立つ人になりつつあるようです。

パンツスーツだけではなく、パジャマ、ジャージの生地のポロシャツなど、働く女性たちは、シャネルから受けた恩恵は計り知れないなぁというのが、画面を観ていて思い知ります。ゴージャスやスウィートであるだけが命だった女性のファッションに、シックという言葉も組み込ませたのは、シャネルだったのですね。マスキュリンないでたちは、女性らしさを思いの外香らせるものです。まるでシャネルの生き方のようですね。


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