ケイケイの映画日記
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2008年06月13日(金) 「アウェイ・フロム・ハー 君を想う」




わぁ〜、これも本当に良かった!長年連れ添った妻が認知症となり、夫である自分のことを忘れてしまう・・・。「君を幸せにできるなら、この孤独を受け入れよう」。このコピーだけで絶対観ようと思った作品。監督は女優でもあるサラ・ポーリー。製作当時27歳だった彼女が、自分の全てを注ぎ込んで作った入魂の作品であろうことが、深々伝わってきました。人生の先輩である高齢者に対して、とてもとても敬意を感じる、立派な作品でした。

結婚して44年になるグラント(ゴードン・ピンセント)とフィオーナ(ジュリー・クリスティー)夫妻。愛し合い仲睦まじく暮らしていた二人でしたが、物忘れが激しくなったフィオーナが認知症と診断されます。段々と生活に支障をきたすようになったフィオーナは、自ら介護施設に入所を希望します。身を引き裂かれる思いで妻の頼みを承諾するグラント。施設の規則で一ヶ月間は面会は出来ません。ようやく面会の日に花を持って妻を訪ねた夫は、そこに見知らぬ男性に甲斐甲斐しくする世話をする妻を見つけます。
「あなたは、どなた?」妻はグラントのことを忘れていました。

うぅ、あらすじを書いているだけで、また涙が出そう。私は夫婦愛のお話だと予想していたのですが、視点はずっとグラントでした。最愛の妻が自分を忘れてしまう。それもたったの一ヶ月で。微笑ましく仲睦まじい二人の様子や、施設に入る妻を必死で引きとめるグラントを観ていたので、茫然とするグラントを尻目に、私は号泣モードに。

妻の恋する男性は、言葉がしゃべれず車椅子のオーブリーです。寄りそうフィオーナは、まるでオーブリーの妻のようです。嫉妬に駆られ、孤独に立ちすくみながら、それでも来る日も来る日も妻を見舞うグラント。彼は大学教授時代、何人もの女子学生相手に、浮気を繰り返していた過去があります。妻は自分に復讐しているのじゃないか?本当は自分をわかっていながら、芝居をしているのじゃないか?悩み苦しむグラント。

苦悩するグラントは、親しくなった看護師クリスティン(クリステン・トムソン)に相談します。彼女の答えは、「悪くない人生だった、と最期にいうのは大概男よ。女は違うわ」。

夫というのは、自分の妻にしてきたひどい仕打ちに、本当にほとんど覚えていないものです。しかし妻にされた仕打ちに対しても、忘れているものです。妻はというと、されたこともしてきたことも、覚えています。しかし夫に語る時は、されたことだけが多いはず。何故ならその方が数が多いから。忘れる夫に忘れられない妻。切ないなぁ。

その妻の欝蒼たる気持ちを、熟年女性らしいしなやかさで払拭してくれるのが、オーブリーの妻のマリアン(オリンピア・ドュカキス)です。自分を訪ねてきたグラントに、施設から夫を退所させたのは、お金がたくさん必要で、このままでは家を売る羽目になるからだと語ります。たとえ専業主婦だったとして、家を手に入れたのは、マリアンの内助の功あってこそのはず。家は、欝蒼たる気持ちを我慢し、その選択が正しかったと彼女に思わせる形なのだと思います。夫の病のせいで手放すなど、そんな理不尽な話はないでしょう。静かに気風よく語る彼女ですが、病に対してのやり場のない怒りも感じるのです。

しかしマリアンはグラントと出会ったことを、単なる出会いとせず、人生の新たな転機として捉えます。今までの自分から飛び出すことは、高齢になればなるほど足が竦むものです。「魂萌え!」のヒロイン敏子に通じる勇気としなやかさは、長く人の妻であったことで、蓄えられた力のように感じます。マリアンの選択は、女性はクリスティンの言葉を、ただの怨念として抱えているのではないと、表現しているようです。

彼女の存在で、この作品はただの抒情的な美しい作品だけではなく、力強さを感じさせ、作品に深みを与えていたと思います。


グラントを演じるピンセントは撮影当時76歳ですが、昔大学教授だった知性と、「あなたは女たらしね」と、他の認知症女性に見抜かれる往年の伊達男の面影を忍ばせながら、静かで感情の起伏が少ない演技も、とてもこの作品に合っており、忘れられない名演でした。妻であってもそうではなくても、女性には花を持って訪ねるところが、とても素敵な老紳士ぶりでした。

クリスティーはこの役でゴールデングローブ賞を受賞したとか。60半ばとは信じられない美しさで、自分が自分でなくなっていくフィオーナの哀しみを、毅然と、そしてエレガントに演じて素晴らしいです。この役を引き受けてもらうのに、ポーリーはストーカーの如く、ジュリーに付きまとったとか。夫の感情を前面に出なさければ行けないこの作品では、患者役なのに、受身の演技が必要だったと思うのですが、見事に監督の期待に応えていたと思いました。

「あなたは私を捨てる機会もあったのに、そうしなかったわ。感謝しているの。」「もう私のことは忘れてちょうだい。」フィオーナの言葉は、とてもとても切ない言葉です。長年愛した人の前には、女のプライドなど、いくばくの価値もないのだなぁと思いました。この言葉が、グラントの疑問を払拭してくれたはずです。

カナダの大自然はとても美しかったですが、厳しさを感じる冬をロケーションに選んだのは、主人公たちの年齢を表現していたのでしょう。しかし施設に降り注ぐ陽光は、決して人の心の希望を、もぎ取りはしません。監督のポーリーは、幼い頃から多数の映画に出演していますが、若き名声に押しつぶされる子役出身者が多い中、しっかり自分を見失わなかったのですね。文句のつけようのない、素晴らしい作品でした。

最後に「君を幸せにできるなら、この孤独を受け入れよう」。静かにグラントが決断した時、施設に出発する時、「私、きれい?」と聞いたフィオーナに、「素直で曖昧、優しくて皮肉」とグラントが答えた、そのままの出来事が起こります。それが人生というものなら、素敵なものではないかと、私は思います。



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