ケイケイの映画日記
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2007年11月02日(金) 「グッド・シェパード」



監督ロバート・デ・ニーロが描く、CIA創世期物語。正直いうと、色々な年代が交錯して、筋がよくわからなかったんですが、見応えのある、重厚な秀作だと感じました。三時間近くの長尺の作品ですが、その割には退屈もせず観られました。


1961年、キューバのカストロ政権の転覆を謀ったCIAの作戦は失敗します。作戦の失敗には内通者がいると判断した上層部は、ベテラン諜報部員エドワード・ウィルソン(マット・デイモン)に嫌疑をかけます。そのころ、一通の手紙にテープと写真が入れられ、エドワードのところに送られてきます。同時にエドワードの過去が描かれます。第二次世界大戦間近のアメリカ。イェール大学に通うエドワードは、FBI捜査官ミュラッハ(アレック・ボールドウィン)の接触や、大学のエリートで結成された秘密結社「スカルス&ボーンズ」にスカウトされたり、その人脈からサリバン将軍(ロバート・デ・ニーロ)と出会ったエドワードは、対外諜報部員に乞われます。承諾するエドワード。その頃彼には聾唖の恋人ローラ(タミー・ブランチャード)がいたのですが、友人の妹マーガレット(アンジェリーナ・ジョリー)に誘惑され、関係を持ちます。ほどなくマーガレットは妊娠し、エドワードは彼女と結婚。その結婚式の最中に、海外に出向くようエドワードに電話が入ります。

と、ここまではHPを今初めて開けて、ストーリーを要約しました。なるほど、そういうストーリーだったのか(いや、ほんまに)。ご覧になる方は、↑の前半のあらすじはお読みになって下さい。これくらいが頭に入っていると、ぐ〜んと筋が飲みこみやすく、場面場面の意味が咀嚼しやすいかと思います。

何故わかりづらいかと言うと、時間の経過が20年以上に及ぶというのに、主演のマットに変化が見られないからです。それを補足する意味で「何年何月何日 場所」と出てくるので、辛うじて何とかわかります。しかし次に更なる問題。諜報部員というと簡単にいうとスパイなんで、「007」を筆頭にドンパチ派手なサスペンス仕立てでいっぱい観てきているので、こういう現実に即しての描き方に私は慣れておらず、歴史的背景を細かく知らないので、前半は筋について行くのに精いっぱいになってしまいました。

しかし第二次大戦終結後、6年間の海外赴任からエドワードが帰国して、マーガレットと息子と暮らしはじめる頃から、CIAの有能諜報部員としての活動と、隙間風吹く家庭が交互に描写され、こういう仕事を持った故の苦悩や葛藤が丁寧に描かれ、俄然深みのある人間ドラマとして面白くなってきます。

エドワードの人格形成には、幼い頃海軍にいた父が自殺したということが、重要な要素になっています。アメリカは歴史の浅い国です。エドワードの生きた時代は国民自ら、「国のために」という気概を持たねば、国家として成り立たない部分があったのでしょう。繰り返し挿入される諜報部の人たちの「国家のために」と言う言葉はそれを意味していると感じました。イタリア系マフィアを排他する様子からは、浅い歴史からは、階層や上下関係を作るのは学歴や財力だけではなく、人種のるつぼのこの国で、どれくらい長くアメリカに住んでいるかも差別対象になったのだとわかります。あの時代、大国となったアメリカが、如何にこのことにコンプレックスを持っていたかが感じられました。

やや高慢な風情の秘密結社や、CIAはその象徴ではないでしょうか?父と早く死に別れたエドワードが生き方を模索し、人生の指針や理想をこの仕事に求めたのは理解出来ます。

しかし仕事では「誰も信じるな」が当たり前、その代り家庭は「信頼=一番安全な場所」のはずが、エドワードは妻さえ信じません。何故なら彼は妻を愛して結婚したのではいからです。仕事上の機密を守っているだけではなく、妻に心を開いていない様子は、一度も家族だけの団欒がなかったことや、つい本音が出て妻に浴びせる非情な言葉からもわかります。エドワードの息子への強い思いも、彼は断ち切られた父と息子という間柄を取り戻し、確認したいと喝望したからではないでしょうか?

再会したローラが、もし二人が結ばれていたら、穏やかな日々を送っていただろうと語ります。それはエドワードとて同じでしょう。しかし彼がローラを選ばなかったのは、マーガレットが妊娠していただけではなく、ローラが聾唖だということも躊躇したのでしょう。エリートの階段を順調に上る自分が、ローラでいいのかと。敏感に感じていたローラは、何度も自分を卑下していました。それなりの地位に昇りつめた今、ローラの語る言葉は、彼の胸に突き刺さったはずです。

ローラからエドワードを奪った形になったマーガレットですが、最初若くて美しく、親に財力もある女性は傲慢だなと思いましたが、彼は兄からエドワードの話をいつも聞いており、その時から恋していたのでしょうね。やっと会えた彼は、一目でマーガレットにとって最愛の人になったのでしょう。その人の子を産み妻となったのに、こんな残酷な日々が待ち受けているとはと、私はマーガレットに痛く同情しました。

自分なりに良き夫、父であろうと努力するエドワード。恩師の行く末に対しての葛藤や、妻への裏切りの際のけじめの付け方など、本来の彼は誠実な男性なのだと感じさせます。それが一たび仕事となると、信じられないような冷酷さを発揮するのです。最愛の人にとって、自分が一番信頼されている=安心できる存在だと思っていたはずのエドワード。そうではないと思い知らされても、父からの遺言を読んでも、エドワードは変わりなく仕事を続けます。国に忠誠を尽くすとは、どういうことなのだろうと、考え込んでしまいます。

ソ連の諜報部員が、「ソ連はアメリカに対抗できるような備えのある大国ではない。ソ連に大国でいて欲しいのは、アメリカなのではないか?」と、皮肉めいて語るのが深く印象に残りました。敵を作らねば、上下関係を作らねば、生きていけないアメリカ。その様子は今にも受け継がれています。CIAという特殊な環境に生きるアメリカ人を描きながら、実はすべてのアメリカ人に共通する心の病巣を描いていたのかも知れないなと、今感じています。






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