ケイケイの映画日記
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2007年06月21日(木) 「毛皮のエロス ダイアン・アーバス幻想のポートレート」



先週観損ねてやっと今日観てきました。実在の写真家ダイアン・アーバスへのオマージュで描かれた作品で、伝記ではありません。なので「幻想」なのかな?私は全然知らなかった人ですが、ダンアンは美醜の概念に挑戦し、ポートレートに新しい息吹を与えた人だそうで、ホームレスや異形の人たちに心を寄せ、彼らの痛みを共有し尊重した人だそうです。普通の主婦から変貌していく彼女の甘美で力強い姿を、強さだけではなく、痛みと柔らかさを持って描いている秀作でした。今回ネタばれです。

1958年のアメリカ・ニューヨーク。裕福な家に育ったダンアン・アーバス(ニコール・キッドマン)は、誠実で優しい写真家のアラン(タイ・バーレル)の妻であり優秀な夫の助手でもあります。可愛い盛りの娘も二人いて幸せなはずなのに、この上流の暮らしに何故か違和感を感じる日々を送っています。そんなある日、目の部分だけをくりぬいたマスクをかぶり、全身をマントで覆った姿の男が、彼女の二階に越してきます。その男ライオネル(ロバート・ダウニー・Jr)に心奪われたダイアンは、彼によって隠された自分自身の「秘密」を、露見させていくのです。

毛皮商である父親主催のパーティで、情緒不安定ぶりを見せるダイアン。私は才能があるのに夫の助手として暮らしていることが、彼女の神経を蝕んでいるのかと思いましたが、違っていました。夫は良い人で、彼女に助手を止めてもう一度写真学校へ通えば良いと勧めます。妻の才能を認めて応援したいと思う夫。しかしダイアンはそれを拒みます。そんなことでは、自分の心が静まらないのは、彼女が一番わかっていたのでしょう。

ライオネルへの好奇心を抑えられない彼女は、意を決して彼を訪ねます。ライオネルは多毛症で、全身が狼男のように毛で覆われていました。ダイアンは普通なら引いてしまいそうなライオネルの容貌に親しみを感じます。彼女自身、少女期に露出症だったり、死体を愛好するという性癖があり、それは両親から矯正されたようです。しかしライオネルに出会い、封印していた心の底の「秘密」が現れたのでしょう。二人でプールのようなバス(だと思う。そう言ってたし)に浸かり、親密になっていったのは、羊水に入ったような感覚を共有したからかと感じました。

ライオネルの導きのお陰で、水を得た魚のように生き生きしていくダイアン。傍目には家事をせず子供の面倒をみず、彼女はどんどん退廃的に自堕落になったように映ったでしょう。しかし彼女の心が次第に解放されて行く様を一番感じ取っていたのは、夫であるアランだと思います。最愛の妻の心を解きほぐしたのは夫の自分ではなく、異形のライオネルであったことは、忸怩たる思いがあったと思います。内心の怒りを押し込め妻を理解しようと努めるアランは、本当に妻を愛していたのですね。ダイアンも不倫というつもりではなく、本当にアランを心から愛していたとも思います。愛する夫や娘たちとは、相容れぬ自分の真実の心との板挟みに苦しむダイアン。しかし自分の心のバランスをとってくれるのは、ライオネルだという確信もあったと感じました。

美しいダイアンとの友愛は、見世物小屋に出たり、屈辱的な生計の立て方をしていたライオネルに、人間としての尊厳を取り戻させたかと思います。それが常に被っていたマスクをはずし、手袋を取り始めた様子に表れていました。

異形の人たちに囲まれた、その奇妙な三角関係に終止符が打たれる出来事が起こります。夫というものは妻が他の男に心を奪われる辛さを噛みしめても、直接妻が相手と肌を重ねないということで、プライドを保つものだと思います。その夫の心に報いるための「友愛」であったのが、ライオネルの死期が近いことが露見すると、それは「男女の愛」として本当の姿を表します。

自分の全身の毛を剃ってくれとダイアンに頼むライオネル。これは愛の告白です。全身刈られた彼は、毛に覆われていた時のあの強いまなざしもなく、少し気弱で優しげな青年でした。異形の姿の時は、これほど心を強くしなければいけないものなのかと胸が痛みます。毛の下の繊細な彼は、いつものダイアンを導く存在ではありません。彼女を抱くのではなく、抱かれたかったのだと思いました。

二人で海に入る姿はとても幻想的で美しいです。ダイアンとライオネルのシーンでは、衣服や部屋の壁など青が象徴的に映し出されますが、それはこの海のシーンへつながっているかと感じました。哀しいはずなのに涙は出ません。この世の不条理から、ライオネルは解放されたと私は感じたからです。二人の真白い肌が印象的でした。

ニコールは髪をブラウンに染め、いつものゴージャスさを封印。地味で貞淑な主婦の心の解放を、メイクや服の力を借りずに好演。ハリウッド大作の彼女より数段魅力的で、素顔に近いメイクは今までのどの作品よりも美しかったです。ロバート・ダウニー・Jrは、ほとんどが特殊メイクなのですが、低くよく通る声が素敵で、容姿からは想像しにくいライオネルの豊かな感受性と知性を感じさせて、出色の存在感でした。「ゾディアック」とは全然違う役柄で、本当にカムバックしてくれて嬉しいです。

死しても、彼女の才能を開花させようとするライオネル。それを示唆するアルバムを観ながら微笑む彼女。涙がないのが、やはり普通の男女とは違うのですね。男女の愛もあるけど、同士愛も感じます。夫や子供たちに詫びの気持ちを抱きつつ、ダイアンは写真家として羽ばたきます。映画の冒頭おどおど不安だった彼女は、ラストではライオネルが異形の時に放っていた、あの力強い瞳で被写体を観ていました。この時代、こう言う人たちを撮るのは勇気がいることで、その勇気はライオネルが与えてくれたのでしょう。

本物の異形の人たちがたくさん出てきますが、見世物小屋的好奇心ではなく、ダイアンの視点で愛情を込めて撮っているので、観てはいけないものを観るような、居心地の悪さはありません。これは真のダイアン・アーバスの気持ちを汲んで欲しい思う、監督スティーブン・シャインバーグの願いが込められているのかも知れません。人によっては変態映画かも知れませんが、異形を生きる人・魅せられた人・それを理解したい人を繊細な感受性で撮った、とても真面目で上品な作品です。たぶん私の今年のベスト10に入る作品かと思います。


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