ケイケイの映画日記
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2007年06月01日(金) 「しゃべれども しゃべれども」

実はワタクシ、とある方のご紹介により、最近映画の合評会なるものに参加させていただいております。ちょっと堅苦しいですが、参加される皆さんはどなたも慧眼の持ち主ばかりで、映画をより深く鑑賞するのに、大変勉強になっています。そんでもって6月のお題の一本がこの作品。多分来月は参加出来そうにないのですが、この作品をお題に提案されたのが、親愛なる別のお友達の方でして、それではと言うことで初めて「なんばパークスシネマ」で観てきました。スクリーン自体は観やすくて綺麗でいい感じですが、駅からは思いっきり遠いぞ。それとたかが映画(あえてそう言いたい)を観るくらいで、あのうやうやしさはどうざんしょ?という感じが。私のようにお安い劇場の方が落ち着く人間には、あんまり縁のある劇場ではなさそうです。しかし!作品の方は小品ながらとても心の和む、暖かい作品でした。
  
二つ目の落語家・今昔亭三つ葉(国分太一)は、新作に勤しむ他の中堅どころと違い、古典落語にこだわる落語家です。今ひとつ伸び悩んでいる三つ葉ですが、ひょんなことから、美人なのに仏頂面で無愛想な五月(香理奈)、東京へ転校してくるも、抜けない大阪弁のせいで友達が出来ない優(森永悠希)、しゃべりべたなため、野球の解説が大の苦手な元プロ野球選手湯河原(松重豊)に、落語を教えるはめになります。

東京の下町の人情のある風情がとてもいいです。三つ葉が祖母(八千草薫)と住む家も、畳の匂いのする風通しの良い家も、とても懐かしい気分にさせてくれます。この町で家で育った三つ葉が、普段でも着物で通し古典落語にこだわるのは、わかる気がします。

正直この三人が三つ葉に落語を習う動機は、ちょっと無理があります。でもエピソードのユーモアと暖かさとおセンチさが、無理を救って余りあります。その積み重ねの心豊かさは確かに庶民のもので、世話物を扱う落語の世界と通じます。

教える三つ葉と三人は、落語を習得した後も、劇的な変化があるわけではありません。変化ではなく一皮剥けたという感じでしょうか?それは自分の欠点を正すのではなく、優の落語は大阪弁のまま教えたように、あるがままの自分を肯定しているように感じます。あるがままでマックスの力を出すのですね。その前に各々新しい自分に生まれ変われたら、と、もがいたり苦しんだり、屈辱を味わったりした後の自分らしさの再確認なので、素直に共感出来ました。

三つ葉の一皮むけた様子はちょっと描きこみ不足の感がありますが、人に物を教えると言うのは、自分がそれを本当はどう思っているのかという確認に繋がるのは想像できるし、三つ葉の三人への入れ込みようは爽やかだったので、これでもいいかな?

国分太一は本当に落語が出来てびっくり。マジで笑ってしまったのでまたびっくり。自分の持ち味を生かす役柄を、誠意をもって一生懸命頑張っている太一くんは、この作品のテーマとだぶります。香理奈も愛想よくしたいのに出来ない女の子をデリケートに演じていて、同性として切なかったなぁ。あんな若い別嬪さんが、地味に家業のクリーニング屋を手伝っているという設定は、外で散々いやな目に合い、自分の性格にコンプレックスや嫌悪を持っているだろうと想像出来ました。男に振られた設定よりずっと機能していました。

子役の森永君は大絶賛させて下さい。口から生まれたような愛嬌のたっぷりの浪花っ子を演じて堂々たるもので、場内の爆笑を誘うのはみんな彼でした。あの絶妙なツッコミは大阪育ちでなければ絶対無理。今年の各地の映画祭で、助演男優賞でノミネートしてほしいくらいです。

人から笑われるということは、本当恥ずかしいことなのに、三つ葉は優に「笑われるって嬉しいだろう?」と教えます。笑われるのではなく、笑わせるから楽しくて嬉しいのですよね。笑わせることはかっこいいのだ。私は同様に、焼き鳥屋での無様な湯河原の姿もとってもかっこ良かったと思います。

八千草薫のお祖母ちゃんがとっても素敵。普段の彼女からは想像しにくい江戸前の気風のいい女性で、五月のことを特別扱いしないのに、「ぶきっちょだねぇ」と言った後の微笑み、「遅かったじゃないか。家の周り全部掃除しちまったよ。何してんだい、さっさと家にあがりな。」と言いながら箒で追い立てる様子は、愛情がいっぱいこもってました。口にすればきつい言葉に愛を感じさせるのは、人間の器で決まるので、これは高度な技なんですよね。私は器が大きくないので、それをカバーするため普段とっても愛想がいいのだと、発見してしまいました。


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