ケイケイの映画日記
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2004年10月01日(金) 「父と暮らせば」

昨日は8月末から公開しているこの作品を、やっと観ました。延び延びになっていたので期待も膨らむばかりでしたが、期待通りの秀作でした。

原爆投下から3年経った広島。美津江は図書館司書として働きながら、焼け跡に残った元旅館だった自宅で一人暮らしをしています。たくさんの人々が亡くなった原爆で、自分が生き残ったことに負い目を持つ美津江は、人並みの幸せは望んではいけないと、自分を戒めながら生きています。そんな彼女の前に、原爆の資料を集める青年・木下が現れ、お互い好意を持つのですが、負い目に縛られる美津江は、木下からの好意を素直に受け取れません。そんな時、死んだはずの美津江の父親・竹造が彼女の前に現れます。

幽霊のように思える父・竹造ですが、彼は美津江の想念が生んだ幻です。幸せになってはいけない、そう思い続けていた彼女ですが、木下の出現で恋心が芽生え、自分も幸せになりたいと思う気持ちとの葛藤が生んだ産物です。ですから「俺はお前の応援団長」、そう語る竹造の言葉も彼女の想念と言う訳です。一瞬の間に、肉親・友・恩師など大切な人々を失った美津江には、彼女の心の痛手を癒す人も、真っ当な好きな人と添いたいと思う気持ちも、後押ししてくれる人はいない切なさに胸が痛みます。

幻であるはずの竹造ですが、私には幽霊のように思えてなりません。「私は幸せになってはいけんのです。」「死ぬ勇気もないがです。」「この3年、生きていただけでも褒めてつかあさい。」そう父の幻に語り、慟哭する美津江に、私も一緒に涙を流します。他人の私が涙を流すのに、例え肉体は滅んでも、これほどの娘の心の窮地に、あの世から父の魂が舞い戻らずにはいられないと思いました。そしてそう感じさせて当然の、娘を思う父の言葉には、重みと生身の暖かさがあります。それは生前の父と娘の絆の深さ、お互いを思う気持ちの深さをも表しています。

美津江を演じる宮沢りえが素晴らしいです。現在30歳くらいのはずですが、23歳の美津江を演じて違和感なく、透明感と聡明さの中に心に傷を負う美津江を、静かに熱演しています。華奢な容姿から似つかわしくない豊かさとまろやかさを感じさす彼女は、内面からの溢れ出ている美しさのように感じました。10年ほど前の彼女は、女優ではなくバラエティー向きのタレントでした。若い時分、スキャンダルからマスコミに追いかけられ、そこから這い上がった彼女の芯の強さを見た思いです。きっときっと今以上に素晴らしい女優さんとなってくれるはずです。

ほとんど二人芝居なので、竹造はとても重要な役です。宮沢りえに負けず原田芳雄も絶品。若い頃の彼はアクが強く、こんな娘との愛を表現する人になるなどど、思いもしませんでした。木下に手紙を出せない娘に「出せ!」と強い口調で言ったり、幸せになってはいけないと言い続ける娘に、「お前は女専まで出て、何を勉強しておったのだ!」と言う怒鳴り声の暖かさよ。これが母親から出る言葉なら、悲痛な叫びであったはずです。竹造の発する言葉に込められる包容力・力強さは、母性とは違った、父性の特性を浮き彫りにもしていました。

このお話は、元は井上ひさし原作の舞台劇だそうです。なるほど、セットは舞台のようですし、竹造演じる「エプロン劇場」の演出の仕方も舞台のままなのでしょう。舞台をそのまま映画にするという事に抵抗のある方もいらっしゃるみたいですが、私のように時間の隙をかいくぐって映画を観ている人間には、夜に上演が中心の舞台までは中々行けません。こうした優れた舞台劇を映画化してもらえるのは、とてもありがたく思えます。

何故幻が友や他の人でなく父なのか?その秘密はラスト近くに明かされます。原爆だけでなく、今も続くなくならない戦争に、たくさんの美津江や竹造がいるのだと思いました。普遍的な父娘の愛情を軸に、静かにそして本当に力強く、原爆を風化させたくない黒木和雄監督の心を感じる作品です。


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