ケイケイの映画日記
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2006年05月25日(木) 「ダ・ヴィンチ・コード」

昨日のレディースデーで観て来ました。多分大ヒット中だと思ったので、前日ラインシネマで座席を予約。上映開始10分前に着くと、普段の日曜日以上の自転車の山とチケット売り場の長蛇の列にびっくり。来る人来る人、みんなこの作品目当て。私は原作も読んだことだし、交通費のかからないラインシネマで観られるし、と期待はなしで観ましたが、それでもなぁ・・・。オフ会の時大倉さんに止められたけど、これなら「海猿」にしときゃ良かったかも。

ルーブル美術館館長ジャック・ソニエールがルーブル内で殺されます。遺体の側のダイイング・メッセージとも思える奇妙な暗号と共に名前があったことで、容疑者としてフランス司法警察警部のファーシュ(ジャン・レノ)から容疑者として目をつけられえたフランス滞在中のハーバード大学教授のラングドン(トム・ハンクス)ですが、寸でのところで暗号解読官のソフィー・ヌヴー(オドレイ・トトゥ)に助けられます。彼女はソニエールの孫で、祖父のメッセージからラングドンの無実を確信しており、暗号解読にはラングドンの協力が必要だというのです。かくしてパリを舞台の二人の暗号解読の冒険が始まります。

私は原作を読んでいるので、字幕版を選びました。読んでいたので、あのシーンこのシーン、あぁこれだとピンと来ましたが、それなりに丁寧に原作に忠実に描いてはいるものの、なんせ原作は全三巻の超大作。猛烈なスピードで描くので、読んでいない人はこれでわかるんでしょうか?

恥ずかしながら原作を読んでいる時、暗号解読なんぞさっぱりの私は、行ったり来たり何度したことか。謎解きならコナン君、金田一耕介及びその孫、時々山村美佐&西村京太郎と言う方は(私のこと)、この描き方ではさっぱりわからないと思います。なので、あの謎解きが解明した後のあぁスッキリした!という感じに著しく欠けます。

原作の方では長尺なので、全ての登場人物の掘り下げも充分で、長いからこそ段々登場人物に心を寄せて行けるのですが、これも猛スピードor拙い脚色(のちほどネタバレで)なので、悪玉はだたの悪玉、善玉は普通の人にしか見えず、両方それぞれに抱える痛みや苦しさに感情移入出来ません。

オフで大倉さんも、「ルーブルの美術品が目当てだけに観に行く」と仰っていましたが、普段の日のチケット代では、金返せ!になるかも。原作で丹念にルーブルの中や絵画の講釈がありましたが、それも大幅にカットされています。原作者は美術と宗教をからませた、現代の「インディ・ジョーンズ」にしたかった模様ですが、この活劇部分が如何せん小粒も小粒。原作を読んだのを差っ引いても、盛り上がりに欠けます。同じフリーメイスンやテンプル騎士団が出てくるなら(宗教はないけど)、これなら「ナショナル・トレジャー」の方が、まだ私は面白かったです(暴言だろうか?)。

ヘアスタイルのため懸念だったハンクスですが、演技自体は彼の力量で知性的にも見えましたが、やっぱりあの頭は変。気持ちがそがれます。オドレイもソフィーが原作で30過ぎ(32だったかな?)ということで、実年齢(27)より大人っぽさを出したかったのでしょうか、メイクが古臭いのです。あんな青いシャドー、目の上いっぱいに塗るのを久々に見ました。ヘアスタイルも鬱陶しいです。髪を切るのがNGなら、アップにしても良かったかも。ファッションも暗号解読官ということで、地味でやぼったくてもいいのですが、普通はこういう時パンツスタイルではないでしょうか?あちこち逃げ回って膝をすりむいたり、スカート姿がなんかとっても間抜け。彼女はこの作品の鍵を握る人物で、秘密がわかった後、観客が納得出来るスケールの大きさを感じさせねばならないのに、この演出では、知性にも勇気にも欠け、その辺の可愛い子でしかありません。彼女の個性が生きるのは、この手の娯楽大作ではなく、小品っぽい佳作ではないでしょうか?

解読に協力するリー・テービングを演じるイアン・マッケラン、オプス・ディの信徒シラスのポール・ベタニーは光っていました。でも彼等も描き方に不満があります。(これも後で)。よく原作物は、わからなければ原作を読めと言われる方がいますが、原作と映画は別物。読むとどうしても比較してしまいますが、原則は映画は映画で理解出来るように作られて、しかるべきだと思います。原作を読まないとわからないなんて、それは反則です。もっと大胆に削って、これは外せないと思った箇所を掘り下げたら良かったと感じました。この作品は日頃映画館に縁のない方も取り込むような、メジャー系拡大公開の娯楽大作のはずですが、キリスト教にも暗号解読などにも知識の乏しいだろう一般の日本の方には、あまり面白い作品ではないと感じました。


では付録のネタバレ 原作との比較**********






シラスの所属するキリスト教集団オプス・デイは本当に存在します。原作では同じキリスト教を信仰するのに、異端視され迫害される様子が描かれ、撮った行動は良くないものの、同情心も湧きます。映画で描かれたように、肉体にキリストと同じような痛みを感じて修行するようです。シラスは色素欠乏症で、そのため父親から疎まれ家庭の愛を知らず非行にも走ったのですが、巡りあった同集団のアリンガローサ司教(アルフレッド・モリナ)から手厚い愛情を注がれ、彼の元修行に励むようになります。この師弟の結びつきの暖かさと絆は、私は原作で一番好きでした。彼等の過ちに対して同情も湧きました。映画の演出でわかるかな?あれではシラスはただの変質者、オプス・デイもただのカルト集団です。

リーも人生の全てを注いだといっても過言でないほど、聖杯探しに情熱を注いでいました。彼の行動もまた×ですが、その狂信的な姿には少し哀れさも感じます。映画ではただの悪党ですよね。

ファーシュ警部も原作ではオプス・ディの信徒ではありません。あんな密告一つで犯人を決め付けるなんて、宗教って怖いなぁとの思いだけが残りますし、フランスの警察にも失礼ですよね。原作のファーシュは狡猾でちょっといやらしい人ですが、愛嬌も感じられる面白い人です。

原作では、ソニエールとソフィーは実の祖父と孫です。ソニエールが総長を務めたシオン修道会で執り行われた儀式は、「アイズ・ワイド・シャット」で描かれた、乱交もどきのものです。私は「アイズ〜」を観た時、もったいぶった乱交パーティだと思っていましたが、この原作の描写を読んだ時、真っ先に浮かびました。ソニエールとソフィーが仲違いした原因は、祖父に連絡せずに留学先から自宅に戻ったソフィーが、この儀式を見たためです。彼女が昔の祖父を懐かしみ慕う心と、嫌悪感が交錯し葛藤する様子は、血の繋がりの本質を描いていて、心に残るものでした。

そしてソフィーが目にした祖父の相手というのが、実は祖母である祖父の妻。原作では祖父がソフィーを、祖母が弟を引き取り、キリストの血を守るため、仲睦まじかった夫婦が別れ別れに暮らすのです。だから乱交パーティだと思っていたものは、実はとても愛のこもった行為であったわけ。映画だけの方には、あの描写でも不満はなかったかもです。でも私は原作では、これだけのモノを犠牲にしても、孫を守りたかったソニエール夫妻の愛に打たれ、そのために多くの犠牲者が出ていることに目が向きませんでしたが、映画の方では、そんなに大事に守らなくちゃいけないことなのか?と疑問に思いました。それに直系って、普通は男子ですよね?マグダラのマリアの生んだ子は女子で、その解釈もおかしい気が。原作も女子だったかしら?失念しました、すみません。


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