ケイケイの映画日記
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2004年12月03日(金) 「山猫」

昨日観てきました。ヴィスコンティ作品はテレビやビデオで観るも、恥ずかしながら劇場では初めてです。思春期に観た「若者のすべて」には、当時大変感銘を受けた記憶がありますが、他の作品はどうもこれといってピンと来る作品はありませんでした。「地獄に堕ちた勇者ども」も、絢爛たる退廃とでもいうような雰囲気に圧倒されても、どうも好きにはなれず理解も出来ず。まっ、20歳前に観たのですから当たり前ですか。しかし同じ頃観て、ヴィヨルン・アンドレセンの美しさと退屈しか記憶になかった「ベニスに死す」を、去年BSで観て全編揺るぎない美しさに絶句!様式美や登場人物だけでなく、老いの孤独や執着を醜悪に見せているはずなのに、それまでも心には美しく響きました。そんなわけで今回のニュープリント版、どんな感想になるのか、自分でもワクワクの鑑賞でした。

1800年代半ばののイタリア。貴族支配打倒を企てる義勇軍がシチリアに上陸。代々続く名門・サリーナ公爵家の当主(バート・ランカスター)は、やがて来る貴族社会の終焉を見据え、実の息子以上に目をかける甥・タンクレディ(アラン・ドロン)に、平民ながら裕福なブルジョワ家庭の娘・アンジェリク(クラウディア・カルディナーレ)と婚約させ、新しい時代の貴族の有り方を、彼らに託そうとします。

この作品の観る目的の1番はヴィスコンティ作品の中でも名高い作品だということ。2番目は若く輝くような頃のアラン・ドロンを観ること。彼は私の中では、20世紀で一番美しい男性です。しかしこれが・・・。もちろんドロンはとても素敵なのですが、バート・ランカスターがあまりにも素敵過ぎ。威厳と風格を兼ね備え、時代の空気を冷静に見つめるクレバーな知性、貴族社会の幕引きの綱を一人で握り締める孤独、もう見事と言う他ありません。引き際の美学とも言える潔い身の施しには、貴族としての、凛とした品が感じられます。そういう冷静さを観続けた後に、最後に見せるサリーナ公爵の涙は圧巻。彼の心の底の寂しさと葛藤に心を揺さぶられます。

アンジェリカを見ていると、美貌とはかくも女性に自信をつけさせるものなのだと感じます。平民の血筋、足らぬ教養に最初はオドオドしていた彼女が、男性の賞賛の声を浴び、段々と自信に満ちてくる。色気には少々の隙が必要と何かで読んだことがありますが、彼女の場合の少々は品のなさ。しかし情熱的で意志の強そうな瞳を持つ彼女は、今は愛らしいペルシャ猫のようですが、必ず気高い女豹になるでしょう。品は生まれ持ったものであっても、人としての風格は、生き方で築いていくもの。貴族の中でただ一人放り込まれて気後れせず、堂々とした彼女を見てそう感じました。

ランカスターに圧倒されて、少々分が悪いドロンですが、もちろん光り輝く華やかさです。貴族ながら野心に満ちて、風見鶏的に義勇軍から国民軍に鞍替えするタンクレディは、やはり少々品の欠けるドロンには、ぴったりの役でした。自分の母と同じの、長年連れ添う夫におへそも見せないであろう、面白みのないサリーナ家長女のコンチェッタより、魅力的な獰猛さを感じさせるアンジェリカの方が彼にお似合いなのも、貴族と平民の血の混ざる明るい未来を予感させます。

本物の貴族の血筋であるヴィスコンティは、細部に渡るセット・美術まで本物にこだわったそうです。建築物・調度品に至るまで目が眩むようです。彼の思いは、全てサリーナ公爵に注がれていたのでしょうか?

この三人しか出演者は頭になかったのですが、サリーナ家長男は、ピエール・クレマンティ、末娘は子役時代のオッタビア・ピッコロ、義勇軍上官にジュリアーノ・ジェンマなど、出るは出るはのお宝の出演者でした。しかし見渡してみれば、みんな俗っぽい娯楽作でヒットを飛ばしたお歴々ばかりの出演者。その面子で、こんな豪華絢爛の様式美を掲げた芸術的な映画で、普遍的な人の世の移り変わりを見事に描くなんて、やはり唸ってしまいます。少々敷居が高いと感じていたヴィスコンティですが、少しずつビデオで観ようと思っています。美術や芸術に知識の乏しい下世話な私でも、充分に堪能出来た作品です。


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