ケイケイの映画日記
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2004年11月10日(水) 「オールドボーイ」

今年のカンヌ映画祭グランプリ作品。タランティーノが絶賛と聞いて、きっと暴力描写に迫力がある、バイオレンスの色濃い作品だと思っていましたが、確かにそんな描写もふんだんにありますが、その奥の奥に、深くて哀しい世界が広がっていました。

主人公オ・デスは、娘の誕生日に理由もわからず監禁されます。以来15年ホテルの一室のような部屋に閉じ込めれます。ある日突然解放され、犯人ウジンから5日以内に自分が監禁された理由を捜せ、さもないと命がないと言われます。ふとしたことから知り合った若い女性・ミドといっしょに、デスは理由を探ります。

昨日観ました。逆恨みのような通らない監禁の理由に首を捻ったり、、嫌悪感をもっと感じてもいいはずなのに、何故か切ない気持ちや、登場人物に感情移入出来てしまうのが不思議だったのですが、一日経ちよくよく考えてみると、伏線やちょっとした演出が冴えていて、知らず知らずに頭に入っているのですね。だから倫理観や常識など取っ払って、素直にこの作品に感嘆してしまうのです。

デスとミドといっしょに、観客も監禁の理由を探っていきます。これが上手い筋運びで、一向にわからない。脚本がとてもよく練られていて、途中デスとミドの間に横たわる、2重3重の秘密の一番最後の部分に気づきましたが、すぐに否定してしまいました。出会いにもっと理由を求めてもいいのに気にならなくて、それほど二人の出会いは必然に感じ、疑惑を力とスピードのある演出が払拭してくれます。

監禁の理由と言うのが、誰にでも一度や二度心当たりのあるようなことです。したことも記憶にないような出来事。たかがそんな理由で、とも思う反面、自分には大したことではなくても、相手には人生を左右するくらい大変なことなのだ、という思いも抱きます。

デスを演じるのは、いつもながら芝居巧者のチェ・ミンシク。平凡なサラリーマンだった監禁前と、体を鍛えて”モンスター”なったデスを、別人ではなく、ちゃんとつながって同じ人間に見えるよう演じて、相変わらず上手いです。ミドはカン・へジョン。信じられないくらいの愛らしさです。この幼い可愛さが、のちのち痛々しさを増す役柄です。出色はウジンを演じたユ・ジテ。好みの容姿ながら、「春の日は過ぎ行く」の情けないネチネチ男ぶりに憤慨していた私ですが、今回は内面に隠された狂気じみた孤独と怨念を、キザないやらしさで不気味に包み、若造だった「春の日〜」から格段に大人になっていて、すっかり惚れ込みました。

原作とは違う、監禁が15年間であるというのが鍵。「何故監禁されたかではなく、何故解放されたかが大切なのに、お前は問わない。」という、ウジンの言葉が全てです。韓国公開版にあるラストのあるシーンが、日本版ではないそうですが、それによって解釈が全然違ってきます。日本版の解釈より、韓国版の方が罪の重さを自覚して生きる辛さがあると思います。

デスを自分と同じ立場にして、苦しめ恨みを晴らすように見えるウジンですが、そうでしょうか?デスの行為がなくても、行き着く先は同じだったように思います。彼にはそれがわかっていたから、生きていくエネルギーを得るため、誰かを恨み復讐を遂げようとしたのではないか?その誰かがデス。彼の「孤独だ・・・」の言葉が胸に残ります。ラストはウジンの呪縛ではなく、生きる力を与えてくれたデスに、自分と同じ至福の喜びを(大変間違ってます)、ウジンは与えたかったのではないでしょうか?この作品が大ヒットとは、儒教の国・韓国も、価値観が多様化してきたのですね。


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