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ヒラリー(第67代米国務長官)が来た。BSニュースを 見ていたら、皇后陛下と抱き合って(ヒラリーが抱き寄せているように見える)キスまで交わしていた。見た瞬間、何て無礼な物を知らない馬鹿だと腹が立ったというより唖然としてしまった。一辺、その行為をローマ法王にして見ろ! 世界の当たり前の常識として、神の子孫である御皇室はローマ法王の葬式には出なくて良い。神の代理人である法王には,天皇の代理人でいいからである。 我が国の天皇は、我が国の神々の子孫である。神の子孫が代理人の葬式には出かけない。位と格がそもそも違う。米国の世俗選挙で選ばれた大統領のそのまた代理人がする行為か。世界の常識と恥を知れ。 マスコミもなぜあのシーンを流したのか、例へばNHKの新入社員が、「あら、いやだぁ」と上役の肩をポンとたたいて何とも思わないそのアホ社員でも、社長には同じ事は出来ないだろう、わかりやすくいうとそう言うことだ。 信じられない光景だった。
近くの動物園に、友人の子供が勤めている。二年前くらいに結構な競争率で難関を突破して入園した。お祝いを言いに動物園を訪れた時に、担当している鹿についておもしろい話を聞いた。 当時担当していたのは朝鮮鹿で、これが動物園の中でも特に発する臭いが強く、一端暴れ出すと飼育員でも手に負えなく、人工的に設えた藪の中に自ら身を沈め、興奮が収まるまで待つしか無いくらいに気性が荒いと言うのを聞いて、何だ、朝鮮人と同じだなぁと大笑いしてしまった。 これは差別でもなんでもなく、朝鮮の特有の病気に「*火病」と言うのがあって、まさにこの鹿が持っている性質と同じである。ちゃんと認定されている「風土病」なのである。 天才と言われている騎手の赳浴衣(たけ・ゆかた 仮名)の豪邸が、この鹿の檻の煉瓦塀一枚隔てた道路を挟んだ向かいにあって(臭いのせいかどうかつい最近引っ越したと言う話をいつも贔屓にしているタクシーの運ちゃんからきいた–3月–)、あんまりの臭さにそこから園に苦情が来ていると言っていた。 後から動物園の真横に引っ越してきて、臭いは無いだろうとまた笑って後、画学生時分、写生に来て以来の動物園見学をした。すでに三十数年動物園に来ていないことになる。小さい子供でもいれば家族で来ることもあると思うが、縁がなければ誰でもそんなものだろう。 風の強い明け方、ゾウや何かの獣の遠吠えが我が家まで聞こえてくる。だから動物園の存在はいつも意識にはある。もし、神戸阪神クラスの地震があったら、煉瓦積みの長い塀は簡単に崩れるだろう。 その時は、猛獣どもは間違いなく我が家のある、山の方に向かってやってくる…。
それはさておき、見て回っていて気が付いたことがあった。ここの動物達(他の動物園も)は、人間と同じか、かなりそれに近い環境で過ごした結果、自然界では見られない事が起こっている。 動物界に老人?がいるのである。普通、自然界の動物は、例えば、チーターは時速六十キロで走る縞馬を捕捉するのに、それ以上の速度で走らないと捕捉出来ない。
高い木ノ上から狙いをつけて飛びかかるにしても、老齢で歯が欠けたりしていると、致命傷を与えられず、結果餓死に至る。だから自然界に長老は存在しない(亀などの例外は除)。自然の動物には病気がないと言うが、なに、ほどよい内に死んでしまうのでかかる暇がない。 こうして、その群れは常に野生本能に満ちた強いオスが統治する。ところが平和ぼけした動物園では戦う事、食料調達することなく過ごせてしまう結果、長寿の動物たちが存在する。 今の日本は世界に冠たる長寿の国である。動物園の動物を見て思ったことは、長寿者が多く存在する国は、それだけ野生本能が失せているのではないか(平均寿命、日本1位、177カ国中、米国・韓国29位、中国68位 UNOP.人間開発報告書2007/2008)。
野生とは「戦い」である。 多分、世界一の長寿国は、世界一戦闘(精神面でも)能力に欠けた国になり果ててしまっているのではないかと言う思いがしている。一般人が徴兵にて戦地に行った時、白兵戦なんかは端から駄目だろう。子供が少なく爺婆が元気な国を若い兵隊が守る。婆さんは化粧をし、胸元の開いた服を着て、動物界ではあり得ない年取っても色気を振りまく行動をしている。 こういう事が日常茶飯の我が国を守るのは出来るだけ兵を動かさずに守る「核」しかないのではないか。
*火病…朝鮮特有の精神疾患の一つ。朝鮮では鬱火病ともいう。鬱火病の鬱は鬱病とは関係ない。若者の火病の初期症状として、強い怒りと共に八つ当たりの行動を伴う。アメリカ合衆国の精神科協会において、1996年に文化結合症候群の一つとして登録された。
→2007年の今日のたん譚
丑(うし)の声 臘(ろう= 晦日、12月)を送り、嘉辰(良き日)に入る 比叡山に祥雲、暁色新たなり まづ、屠蘇を哺(飲みほ)し、旭日を迎へ 君に献ず多幸一陽の春を。
ささ、一献。
健康に悪い高コレステロールの 数の子醤油漬け 鯛の子はぜ煮 屠蘇 [酒 真澄 純米吟醸(信州)+屠蘇散]
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| 2008年12月31日(水) |
大晦日(市川啓二君追悼)−− |
例年のごとく蕎麦を打つ。ことしの蕎麦粉は、蕎麦屋の主人より分けてもらった蕎麦粉で打った。去年のこの日、午前零時近く高校時代の山岳部後輩が槍ヶ岳槍平にて雪崩遭難、亡くなった。除夜の鐘を聞きつつ、手を合わせた。酒は、弔いの意味も込めて、インドのシャンペン、SURA Brut Methode Champenoise (Nashilk Vintners)で。
市川啓二君の思ひ出
・未稿(書いている途中です。丁寧に書きたいと思うので遅れます。)
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| 2008年12月20日(土) |
仕舞ひ狂言つれづれ 2/2 |
… そうすると、着物の袖が椅子の背もたれ部にひっかかり危うく持っている物を落としそうになったり、ドアだとノブにやはり袖がひっかかり頭をぶつけそうになる。改めて、日本家屋の引き戸は、このための引き戸だと納得がいく。下着もパンツでは大小大変(ゴム部の位置が、帯の位置と重なり、降ろす時難儀する結果、着くずれる)だ。これも褌が最適だと分かる。米国特殊部隊の隊員は日本の褌を付けている。軍靴を履いたまま、ズボンを降ろした状態で下着を交換できる。 一体誰がひろめたのか、日本人の定番になってしまったTシャツ。べとつく暑い夏(クーラーは使わず制作中も扇風機とうちわのみ)にも以前は疑いもせずに着用していたが、昔からある甚平を知ってから、家にいる時はまったく着なくなった。「甚」は暑いという意味があり、それを平らかにするというので、甚平(じんべい)というそうだが、まさに、これを着ると名前の通りで、夏の暑い時になんでTシャツを着る習慣が出来てしまったのか、きっと戦後、東京を中心とし服飾評論家が広めた、和物より洋物(立体裁断)を良しとする風潮と米国の宣伝工作の結果だと思っている。 これを服飾界の東京裁断私感という。和洋混交の実際的な混乱は、戦後の精神的混乱と軌を一にしている。
御所の東隣にある通称萩の宮、梨木神社の萩祭りに行った時もその一端を見た。行事の弓(小笠原流)の儀式、*『三々九手挟式』で、能舞台(茂山家による奉納狂言もある)から門横の的に向かって弓を引くのだが、その際、片肌脱ぐのを、射手がもたもたし、あげく助っ人が入り、片肌脱がせてもらってようやく射ることが出来た。普段着物を着付けていないと衣装を付けて、弓を立ち居で射ることは難しいに違いない。 案の定、的には当たらなかった。小学生の時に、大学生高校生に混じって、寺で和弓を習ったので、今でも射るまでの作法は覚えている。 射手があんまり、ぎくしゃくしているので後で聞いたら、弓の儀式が復活したのはつい最近のことだと分かった。心も体の動きも洋服になれてしまった結果だろう。
また狂言に戻る。 狂言で、太郎冠者と主人、もしくは他の共演者が同時に台詞を喋る時がある。見物は聖徳太子ではないから同時に聞き取れない。それに腹から出す声なので甲高い声が入り乱れ響き渡る。これが狂言で唯一不快な所である。
モーツァルトは、オペラでのこの問題を和音(俗に言うハモった)で解決した。現代劇では、絶対に同時には喋らない。 今年の見納めは、日頃は、現代演劇には興味がないので行く事はないが、福田恆存原作だと言うので、初めて劇団四季の演劇を見に行く。S席が一万円以下だと言うと、今までの劇団四季の席は、そんな額では買えなかったらしく、こちらは不況の波の影響が出ているようであった。
*梨木神社(なしのきじんじゃ)… 御祭神:三條実萬公・実美公 *三々九手挟式…武家社会では正月4日の弓始式の時に限り行われた厳格な弓の儀式。 文武を統べる道として天下泰平を祝う射礼として行われていた。
写真中央奥,赤い服の見物は家人、右に一人とばして顔半分のここの主。
| 2008年12月13日(土) |
田母神論文–張作霖の爆殺に関して覚え書き– |
田母神大将のコミンテルンに関する記述 コミンテルン謀略説を口汚くののしっている,昭和史研究家で、東大法科卒、大蔵省資料課(窓際)にいた秦郁彦(従軍慰安婦に対しての調査は○ 南京事件に関して×、今回も×)に対して、大将の主張を裏付ける本の紹介があった。*瀧澤一郎さんが、「チャンネル桜」の「今日の自衛隊」に出演、 ロシアで発刊、元諜報員らの手で書かれた 「赤い蜘蛛の巣1919-1943」(邦訳無)という本中に張作霖の日本人殺害説を否定している事を紹介していた。この中で、ロシア諜報機関がハルピンに秘密地下機関をつくり、十分準備の後、二度目に張作霖爆殺成功、は定説となっている。
秦郁彦らがしがみついている、小川平吉文章というのがあり、小川は宮沢喜一の祖父。当時、満州浪人の工藤何某(てつしろうとも、ちゅう?とも。)という人物がいて、愛新覚羅溥儀の側近になり侍従武官長までになった。その工藤が小川の所にきて言った事をまとめたのが小川平吉文章といわれる。その工藤は陸軍が大嫌い、軍学校を出ていないのに、なりすまし、変な這い上がり方をしたため、陸軍エリートに劣等感を持っており、憎くてしかたがなかったようだ。云々。
張作霖を殺したという本人、河本大作大佐が括弧付きの「手記」?で、「自分が犯人だ」という自白の部分は、この人が中国の収容所に居た時の、同じく収監されていた、親戚でもあった平野れいじ(漢字不明)という拷問洗脳後の人物が聞き書きしたものを、平野の死後文藝春秋に持ち込まれて世間に知れた。今流布されている物(日本軍犯人説)は殆ど全部が伝聞資料だと言う事と、東京裁判の記録を参考にしているということ。
張作霖爆殺は一度目は失敗して、二度目に成功、上記の本はその事件を詳細に記しているという。一度目は、ニナーロフという男で爆弾を運び込むも失敗し捕まっている。ここまで具体的にロシアでは発表され本になっているようだ。 だいぶ前から、張作霖の乗った列車の爆発状況は、列車の天蓋が吹っ飛んでいたとの記録が出ていたようで、当時の状況から、日本軍が列車内に仕掛けることはまず出来ないと思われる。当然通過時間を予測して、列車軌道に仕掛けるというのが正しいと思う。ところが、列車の下部は吹き飛んでい無いと言うことは何を意味するのか。
昭和史家の不勉強 昭和だけ切取り物を言い
はなはだ、秦迷惑。
*瀧澤一郎 国際問題研究家・もと防衛大学校教授
→2004年の今日のたん譚
| 2008年12月10日(水) |
仕舞ひ狂言つれづれ1/2 |
この前、今年最後の狂言を見に行った。一時に比べて、二階席などはがらがらだった。景気のせいとも思えない、映画代より少し高いくらいである。 前説で、千之丞が、うちのマンションの給湯設備が故障し、十数年来朝風呂の習慣があり、仕方なしに朝風呂に入りにホテルに泊まったと言っていた。昨今は伝統文化の継承者ですらマンション暮らしなのかと改めてため息がでた。 かって民放のテレビを見ていた頃、演歌歌手のお宅拝見を偶然見て、スペイン風の中庭にプールが付いているのやら、豪勢ながっちりした鉄門に遮られた豪邸を見て、なんか本人との不釣り合いが可笑しく笑ってしまったことがある。どこにどんな風に住もうと当人の勝手だが、明治より少し前、整然と軒を連ねる灰色の甍の屋根に外国人は総じて驚嘆し賛辞したのはもう遠い昔のことになってしまった。
給湯器というしゃれた物がないので、故障すると不便を感じてしまうという意味が分からない。大体専用の湯沸かしがない。台所にはそれ専用のガスの口が用意されているが、キャップをかぶったまま、二十数年。取り付ける必要に迫られずに今まで来ている。
小学校に上がる前(昭和三十年頃)は、家には電気製品と言えば、各部屋の電灯と、父親の机のスタンド、頭が丸い木製のラヂオ(h21.3月読み返している時思い出したので追加)だけだった。玄関右奥をずっと入るとおくどさん(土を盛り上げ固め、そこに釜や鍋をかけて薪を燃やして調理する)があり、中庭の井戸からの水を使い、水道・ガスは来ていなかった。暖は練炭をいれた火鉢、寒い冬は、豆炭を入れた炬燵か、湯たんぽ。洗濯は中庭で盥と洗濯板で洗って、糊をかけ干していた。電気洗濯機が来るのは引っ越してからだった。なぜか、氷を入れる式の冷蔵庫はあった。
小学生になって直ぐ、父親の転勤で田舎の都会のど真ん中で暮らすようになって、極端な最新文化生活になった。当時一般には発売されていない、単一乾電池十数個!をいれて持ち運べる、三菱電機の超小型TVとか、今から考えると、今のリモコンの元祖を使って操作する大型のテレビ(白黒)を見た。それにいくらでも水が出る水洗式厠。くみ取りの車が来ていた時代である。
今もマンションではなく、土と木と紙の昔からの家を借りて住んでいる。二十年前くらいに億ションと言われるマンションを見に行ったことがある。天井は低く、部屋はのっぺりして凹凸が無く病室のようで、和室は絨毯みたいなぺらぺらの畳の部屋があって居心地が悪かった。誰も住んでいないマンションの玄関だけが立派だった。住めば都と言うが、別にこんな都なら住め無くて結構だと思って以来、興味は失せた。
昔からの木の家に住むこの快適さは、着物を着て過ごすとたちまち了解できるのだが、一切が和の暮らしというのは不可能である。当然 夕飯は座敷で座って食べ、コンピュータなどは机と椅子になる(仕事用の椅子は長時間座るので、椅子の脚を床上十数センチ位に切って、あぐらをくめる高さに改良した。禅坊主が瞑想する時に尻に敷く座布団をヒントにつくった。これに座ると十時間でも座っていられる。後脚は、前脚より二倍くらい高く切ってあるので、自然背筋は伸びる)。
→2003年の今日のたん譚
| 2008年11月18日(火) |
国籍法改「正」で日本存亡の危機 |
知らぬ間に、こんな怪しい法案が提出されている。 今日の午後一時に本会議採決が行われ採決されると決まったようだと言っている。 わかりやすい国籍法の解説
11月28日↓追加収録 「国籍法改正」に反対する緊急国民集会 H20/11/28
20日↓再収録
続いてみたい方は番組終了後の画面下に現れる小画面から選ぶと新たな番組が見られます。
チャンネル桜提供 他の*民放マスコミでは一切報道(産経新聞は報道)しない。この貴重な放送局を応援(財政難で潰れかかっている、一切の企業を排し、個人のお金で運営されている)したい。 応援とはお金を出すと言うこと。応援したい人は→チャンネル桜 SO-tv
*19日フジテレビ系のニュースアンカー「青山繁晴がズバリ」で取り上げられたようです。
昨日、大阪地方裁判所の202号法廷にいた。「沖縄集団自決冤罪訴訟」の判決を聞くためだった。運良く傍聴券を頂き傍聴できた。何でたん譚がこんな所にと思うだろうが、一つの糸を辿っていくとここにもつながっていて、これは自分自身の問題意識の果てであって他に何もない。 図書館に行くと、この裁判で訴えられている大江健三郎「(日本の勲章、天皇直接授与の賞は断り、あらゆる戦争に使用される火薬(ダイナマイト)で大儲けしてつくったノーベル賞は有り難く頂き、それにもかかわらず戦争反対を訴へ、アメリカ様が作った憲法の9条を守ろうと主張するりっぱな作家様)」の争点にもなっている本「沖縄ノート」はどこに分類されているか。資料区分は 「沖縄県−歴史」となっている。 その本に疑問を持ち、現地取材を精緻に行なった作家の曾野綾子の書いた、事実上の反論の書「ある神話の背景–沖縄・渡嘉敷島の集団自決–」の本の区分は同じ「沖縄県−歴史」所かと思いきや、「太平洋戦争 沖縄県」となっている。 当時、現地に行きもしないで、風聞を元に時節の風潮に乗っかって、ナチスまでも持ち出し、それこそ日本軍隊悪しの、先に結論ありきで主観的に書かれた本が、「沖縄県−歴史」に分類され、それに疑問を持った曾野綾子の本が「太平洋戦争 沖縄県」となんだか、米国側の分類資料のような扱いで書庫に眠っている。これは最近復刻されたが、かたやの大江主観創作本は岩波のご威光かノーベルの虎の威か版を重ね売れ続けている。
今回の裁判は当然過去の自分なりの読解で、勝訴を疑わなかった。勝つにしてもちゃんとその判決理由がどういう経緯を経たのか聞きたかったので傍聴した。が、マスコミ向けの二分の写真撮影の後、裁判長の蚊の鳴くような消え入りそうな声で判決文を読み上げた判決は大江健三郎勝訴。まさに絶句した。その間わずか一、二分。一瞬水を打ったような静寂があり、人々は外に出た。
今までの、自分自身の資料他、読解がおかしかったのだろうか。改めて反問したが、これはどう考えても「おかしい」。新しく出た宮平証言(You tubeやチャンネル桜に証言ビデオがある)についても「とうてい信用できない(嘘だというのである)」と言う。普通、人が嘘をつく時は多分に自分の不利益になることは言わないものだ。宮平さんの証言は何一つ自分の利益にならないのである。細かい違いは戦後60年近く経っている。記憶違いはままあるだろう。大筋に於いて何を言いたいかを裁判官は捕らえずに、信用できないと言いつのるのである。大江は信用できて、当の島住人の言説は信用しない、この戦後二年経って生まれた裁判長の頭の中の構造を知りたい。
この裁判官はこれを最後に、定年退官するそうで、これを大江敗訴にしたところで、やめるのだから、出世とかそう言うことにはもう無縁であるはずだ。 何からも離れて本当の判断が出来たはずなのだ。
が、 その裁判官が、あらたな視点で「言論表現の自由」?を表に出してきた。「え?」それ争点なのか?確かに今回の控訴は「出版差止等請求控訴事件」だが、もう法律素人のたん譚には最初単純な事であった筈の事件が、年を経、回を重ねるたびに変な複雑な方向に行くのを見て半ばあほらしくなった。これでは、たとへ最高裁に持ち込まれても、駄目かも知れない。救いは、梅沢隊長赤松隊長への名誉回復は暗黙の内になされているに等しいと言うことである。今までの経緯を読めば、そう読める。直接命令なんてあり得ない。ついに証明は今まで出来ていない事からもわかる。
司法界自体、裁判官自体がその育ちをさかのぼると、やっぱり東大法科になり,戦後の変節漢、横田喜三郎や宮澤某の影響下にあると思い知る。 戦後の軛(くびき)がここまでとはおもわなんだ。
そして、それに同調するかのように、自衛隊の田母神幕僚長(大将)の「日本の侵略戦争否定」論文を書き発表しただけで、更迭されたと今日の新聞で読んだ。 論文要旨を読んだが、まっとうでどこがおかしいのか。
神戸の大震災の時、米軍の助けを断り、自政府だけでやれたのなら凄いことだったが、結果を見れば、多くの人々が救助対策の不手際で犠牲になった、その時の張本人、信じられない党の合併(自民党と社会党 )により出来た、珍首相の村山富市の言った日本の過去に対する談話を踏襲するために、この日本のことを本当に心配している大将を更迭した。 「日本は捨てたもんじゃない」と言えば更迭され、「侵略した悪い国です」と珍総理が言うのに従えばマスコミが安心する。こんな妙な政府は自民でも民主でも同じ穴の狢で日本を本当に救えはしない。反省したら世界が評価するか?するわけ無い。何に付け利用され、金をふんだくられ、馬鹿にされ続ける。
考えられない阿呆である。どこに自国の民を悪く言う、何の根拠も持たない言説を踏襲するために、正論を言っている大将を更迭する国があるのか。民放のニュース報道を見て納得するな。今はインターネットの時代である。本当にどちらの言い分が適当か、ユーチューブ、チャンネル桜などで見てくれ。 中国と韓国しか文句を言っていないのに、アジア全部が言っているような近隣諸国と言い方をNHK はしている。この事に関して目が覚めない限り、日本は沈む。 今、政府が言っていることは口裏合わせて嘘をつき(日本が悪〜ございましたと)通せと言っているのである。 この二つの事件?に通底している事。日本の昔軍隊今自衛隊は「負の存在」だと言うことを言っている。軍隊を自衛隊を忌諱する国、国民に未来はないゾ。
→2003年の今日のたん譚
| 2008年10月25日(土) |
ねこむ事なく大往生 (2/2) |
婆さまは猫である。名前はあって、吉四六(きっちょむ)、通称、きち。または、きっちゃんと呼ばれた。 21歳と7ヶ月。(人の歳としては百歳を超える)天寿を全うし、死と共に体を抜け出し、輪廻転生のために猫の閻魔に審判を受けて近頃、転生し、何と家の冷凍庫の扉に生まれ変わったようだ。 今まで、みし、とも開け閉めに音など出ない扉であったのに、死後数十日目位から、なんと!開ける時に、きっちょむ*刀自の低い特徴のあるだみ声で「に''やー」と扉が鳴くのだ。何度開けて聞いても、きち刀自の声である。
死んだら皆神になる。輪廻転生は仏教用語だが、ここは、神州八百万の神々が御座(おはす)す国である。*本地垂迹説もある。石や木にも神は宿る。それに、地球上有機体は炭素を含んで出来ている。だから、扉も有機体なら、生命体も有機体、姿形は違っても同じだ。ならば、冷凍庫扉にきっちょむ刀自が宿って、何とか存在を示そうとしてもおかしくはない。 日に何度かは開けた時に鳴いてくれるので、寂しくはないと家人はいう。
二年前、印度のガンジー廟のガンジー生前の瞑想所で印度の数少ない仏門の坊様達と共にお経を上げて以来の、「般若(ニャー)心経(弟子に仏様が教え諭す、そして、覚醒させる物語。)」、その経中の舎利子(「釈迦の弟子」の意)の「舎(sha)」は、フランス語のchat(sha)と同じ音でchatは「猫」という意味がある。だから、舎利子sharishiの所を、ーchatkiti–猫吉と変えて?、毎日あげている経この頃である。??
二十二年間近く、家族を本当に慰め、和ませてくれたきっちょむ刀自に心から有り難うと言ってやりたい。 死んだのはもう数ヶ月も前のことになってしまった。表面は何事もないようだったが、家人のショック症状は相当なものだった。いまようやく、たん譚に書くことが出来ている。成仏しておくれ。
飼い猫でこうなのだから、子に先に逝かれた親の心境やどれほどのものかと思う。
*本地垂迹説(ほんぢすいじゃくせつ)…神道と仏教を両立させるために、奈良時代から始まっていた神仏習合(神仏混交、神と仏を同体と見て一緒に祀る)という信仰行為を、理論付けし、整合性を持たせた一種の合理論
*刀自…年輩の女性を敬愛の気持ちを込めて呼ぶ称。名前の下に付けて敬称としても用いる
→2002年の今日のたん譚 →2001年の今日のたん譚
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