目次|過去|未来
今問題になっている汚染米の事を聞く国側と市民との対話(チャンネル桜取材放送「汚染米農水省追求集会」)を見て感じた事。
最初に、責任者が平成17年までは、今問題になっている米は、汚染米ではなかったと言っている。被害者が出たから、汚染米になったのではなく、基準が変わったから現在汚染米となった、と言っているにもかかわらず、市民は聞く耳持たない。微に入り細に及んで質問は同じ所を巡る。 この人達、寿司は食べているだろう。もう忘れたか?一昔前、マグロの水銀汚染で世の中連日のようにマスコミが騒ぎ、混乱した。ところがある日を境にぴたっと騒動がやんだ。何故か?マグロに含まれる、水銀値の基準値を緩めた(例えば2.p.p.mから、ええい面倒だから10.p.p.mにと言うように)からである。 多分水銀値は今も増え続けているだろう。だが、誰も何も言わない。毒は、消えたのである。 今回の汚染米はこれの反対を行く。以前白だった者を食品法改正(誰がどういう判断でやったかは知らないが)で、平成18年から汚染米に降格した。昨日白だった筈のものが、黒になることは事件ではよくある。しかし其れは決定的証拠がある場合である。 平成17年まで汚染によって被害者続出してたのか? 「被害が出ないと良いのか」と言う人があるが、良いのである。食品(白とは何か?即、吐いたり、下したり、死に至らしめないものとしか言いようがない。)摂取で被害が出てないのに問題にすることが出来るだろうか。太古から現在までの試行錯誤の結果が今日の食物(品)と言われるもので、社会的道徳規範とは一線を画する。道徳などは関係ない。
短絡する脳は、すぐ、安全→自然→無農薬米と考える。日本は1ヘクタールあたりの米の収穫量は世界一である。何のおかげか。農薬のおかげである。米が安く買えるのもこのおかげである。無農薬米に全部することは不可能である。 度を過ぎた使用(事故で混入も含)は必ず犠牲者が出る。 森永ヒ素ミルク事件、カネミ醤油事件など、人間は愚かだから、そう言う経験をしてからでないと解らない。 日本ではメタボリックが問題になり、腹回り85cm以上はメタボだと医者は言っていた。ところが、世界規模でメタボ基準を決めることになった。日本で問題にしている腹まわりは問題となっていない。 基準値とは何だ? 実際に意図的に悪意で使われた農薬で死ぬことはあっても、今まで農業で使われてきた残留農薬によって重度の障害、死亡した話は聞かない。むしろ茸や、フグなど自然の食物で毎年犠牲者が出ている、常日頃からそう言うことを考えていない脳に限って大騒ぎし、腹が減ったら、回る寿司屋で無邪気に寿司を食っている。新基準になったら、以前より確実に増えている水銀含有率にはもう頓着しない。米よりよっぽど怖いのに騒がないのは、頭がゲーム脳になっているからだ。
中国で日本産の米が人気である。目には目をと言う言葉もある。汚染米まとめて「日本産米」ブランド名はお煎餅にあやかって「御煎米(おせんまい)」として中国に売ったらどうだ。下水に浮く油を食用油(信じがたいが上海の一流レストランでも使用していると当の厨房長がTVで言っていた)にし、偽物の卵まで作る国だ、17年までは潔白だった米だ、下水油に比べたら綺麗なもんだ、完売間違いなし。問題一挙解決。
ゲーム脳…ゲームに熱中している人間の脳波にはβ波が出ない場合がある、そして、この状態の脳波は簡易脳波計における痴呆(認知症)患者と同じだとし、脳の情動抑制や判断力などの重要な機能を司る前頭前野にダメージを受けているという説。
→2007年の今日のたん譚
| 2008年10月08日(水) |
ミシュランの蕎麦屋とカウンタック |
先月の末、この正月に山で死んだ後輩の追悼登山の予定だった。今では山の行き方の定番にしてしまったやり方、前日までに 現地ホテルに登山靴から何から、道具一式を送っておき、ホテルで着替えて朝一番のバスで登山口まで行く、着ていった服は、最終の旅館なりホテルに送っておく、という方法で山に入っている。 ところが、出発の前日にちょっとした事情で、登山出来る状態ではなくなってしまい、予約していた山小屋と下山後の温泉旅館は急遽メールでキャンセルしたが、電車の切符はすでに買ってしまっていたので、当日キャンセルはどう考えても無理だと思い、無駄にするのも何なので荷物を送ってある飛騨高山のホテルまでとにかく行くことにした。 何年かぶりの高山は、都会に流れる低周波の騒音がなく、とても静かなのには癒される。ホテルに届いていた荷物はすぐに送り返す手続きをして、後輩には申し訳なかったが、またの機会にして、今回槍平行きはあきらめた。
翌日京都にとんぼ返りする電車の乗車まで少しの時間があったので、たまたま、この高山界隈の蕎麦屋がミシュランガイドに載った事を知っていたので、行ってみることにした。 国道41号線に面してその店はあった。 ここをフランス人がどうやって見つけたのかは知らないが、外国人特有の思い込みによる的はずれではなかった、生粉打(十割)蕎麦、二八蕎麦、蕎麦掻きとが一膳になっているのは他の蕎麦屋ではあまり見かけなく、これは良いと思った。別にワインが置いてあるというわけでもなく、普通の職人のいる蕎麦屋だった。フランスではミシュランに載る店は必ず、男女別の厠があることが必須だと過去聞いたことがあるが、ここで厠は使わなかったので真偽は分からなかった。 食べ終わり店を出て、駅まで少し歩いていると、町はずれの見通しのきかない狭い四つ角の信号で正面に白いランボルギーニ・カウンタックが停まった。
世の中、アメリカが転けて、続いて日本が転けそうな時勢にも金持ちはいて、この怪物のような車を持てる人はいるものだと、横断歩道を渡りつつその車をすれ違いざま見ていると、なんと、その後続いてフェラーリ数台、ポルシェ数台、またカウンタック数台と、一列に並んで原色の十数台が爆音を発して通り過ぎていった…。 いなくなってしばらくあっけにとられて今のは何だったのだと夢から醒めた気分になった。 現在生活に車と携帯電話は、必ずしも必要ない。携帯電話は未だ持たずとも不便はなく、車は手放してからもう10年は経つ。ただ外国の田舎に行った時は日本ほど道路事情が良くなく、車は必要なので空港からレンタカーを運転するが日本では殆ど自分で運転することはない。 過去車の事故には三度あっていて、(いずれも歩行中轢かれた)車に乗ることが趣味にはなり得ない。ただ足として今まで乗って来た。だから、例へフェラーリをやると言われてもいらない。 午後、特急で京都に帰ってきた。山小屋の宿泊券は先に購入していたが、期限無しに何時でも使えるので無駄にはならない。次回行った時には、ちゃんとお経も上げるつもりでいる。もう少し待っててくれ。
最近、肥満計量や色々な機能が付いた体重計が壊れたのをきっかけに、体重だけが量れる簡素な計りを購入した。100種類あまり計りの意匠を見た。存在感のない、言い換えればどこに置いておいても、そこに体重ばかりの存在感のないものが欲しかった。 ようやく見つけたそれは硬質強化硝子で出来ていて、どこにおいても下の床が透けて見えるので、遠目には直接目に留まらない。 送られてきて使い始めて気がついたことがある。この量りは、つま先で手前を少し浮かせると「8」の数字が左から右へと走り電源が入る。 最初何で「8」なのか、何の意味があるのかと不思議だったが、直後に「あっ!」と思い当たった。多分中国でオリンピックが無かったら、頭の片隅では知ってはいたが、具体的には思い当たらなかっただろう。 日本製とばっかり思って会社を確かめて買ったつもりだったが甘かった。 販売は日本の計量器会社、どう見ても消え入るほどにちっチャイナ字でメイドインチャイナと書いてあった。 オリンピック開催日は言わずと知れた「8」の横並びである。中国では縁起の良い数字とされている。意匠に置いてもこういう精密なものが中国でも出来るようになったかと矯めつ眇めつ観察すると、見ている内に笑へてきた。 この計りは角のない五角形をしていて一枚板の強化硝子でできている、それを、先の部分はステンレス製の、白い樹脂製の円柱の足で支え、細いステンレスのパイプが上下の丸い足に連結され中々しゃれた意匠となっている。 ところが、五角形の切り方が左右おかしい。パイプも平行ではない。日本人が作ったら完成品としてはお払い箱にしてしまうような失敗作である。
思い立って、買ってもう何年になるかグラム単位で量れる意匠とも非常に気に入っている英国、計り専門会社ソルターハウスウエア社の計りを出してきて電源を入れてみた。今まで気がつかなかったが、これも「8888」と出た。我が家に知らぬ間に中国製が侵入してすでに久しいが、いつの間にか価値観までもが侵入していた。 計(謀)られた!?
| 2008年09月20日(土) |
ねこむ事なく大往生 (1/2) |
晩年の婆さまは、脳梗塞で三半規管をやられ、部屋をくるくる回った。目と耳はほとんど役に立たず耳元で大きな声で名を呼ぶと少し反応した。 時に風呂場では、声をあらん限り裏声になってしまうくらいに何事か絶叫した。明け方が多かった。用を足す時は、後ろに回り、両脇にこちらの手を添えて厠まで誘導するが、自立心があって最後まで一人で行こうとした。
何年前だったか、フランスに出かけた十日ほどの間、友人の娘さんに世話を頼んだ。世話して貰っていた間は事無かったが、娘さんが帰り、こちらが空港から帰るわずかな時間の空白の間に、六畳間の替えて何ヶ月も経たない、藺草(いぐさ)の香りあふれる畳の一枚一枚に綺麗に雲古と下呂をしていた。自分をほったらかして行った当てつけに思えた。替えに来た畳屋は其れを見て絶句した。
医者に行っても保険証がないので吃驚するくらいの診察料を取られた。医者は医者で、百歳を越えてなを、強靱な大腿部の筋肉があると驚いて、うちの病院でこれほどまでの患者は診たことがないと、その身体上の健康状態と若々しさにお墨付きを貰った。 ここ一年は、風呂場での絶叫もなくなり、 おとなしくなっていた。食欲は相変わらずだったが、ある日、食欲と摂取量がバランスを保っていないことに気がついた。わかりやすく言うと、食べている素振りをしているのである。一見、相も変わらずの食欲で茶碗からがつがつ食べる。 がつがつ食べてしばらく茶碗の中を見ると全然減っていない。食べる意欲は往生するまで衰えなかったが、すでに体は受け付けていなかった。医者は、超高齢なのでいつ何時事があるかも知れない、冷静に対応してくださいと言った。 そのせいか、診察に連れて行っても、*神田二八先生(かんだにっぱちせんせい。仮名。家ではそう呼んでいた。が、週刊誌にもその名が載った事がある位の名医)は、背中の皮を引っ張って、その戻り具合で判断したり、目をのぞき込んで診察する。レントゲンを撮ったり、血液検査もしない。別の医者ではそう言うことは当たり前だったが、検査後の長い診断説明もなかった。100歳を過ぎるとそうなのかもしれなかった。
「最近奥目になりましたなあ」 「はぁ…。」 「目玉が奥に引っ込むとよくない、注意して観察していてください」 「えっ!?奥目が??…。」 皮膚も引っ張って戻りを見たり、押して見たりする。薬は殆ど出ない。*神田二八先生とは、それでも話が弾んだ。
ここの医院は、世間の大病院と違って、二時間待ちの五分診療なんて事はない、一分待ちの二、三十分診療で患者にとってはありがたい。ここの患者で最高齢はうちの婆さま。
その日は婆さまの様子が少し違った。 親しい友人から届いた美味しい一夜干しが夕飯の食卓に上った。婆さまも食べた、いやいつも以上に飛びついてがつがつと食べた…格好をした。少しおいて皿を見ると全然減ってなかった。元気な時は好物の魚は全部残さず食べていた。 その夜、今から思うと虫の知らせだったか、いつもは別の部屋で寝ているが、枕元に婆さまの寝具を移して一緒に寝ることにした。案の定、夜半容態がおかしくなった。肩で息をする、苦しそうなので、体をさすり続けた。 まじまじ見ると、顔は元気な時に比べて幾分やつれていた。 と、婆さまの目から大粒の涙が頬を伝った。涙を見せたことがない婆さまが泣いた事に心からびっくりした、どこか痛いのか、何が悲しいのか、意思疎通出来る手段(婆さまは生まれつきうまく喋る事が出来なかった。)は何もなかった。手拭いで涙を拭いてやった。介護を感謝してくれているのだとその時は思った。しばらくすると寝息に変わったので少し安堵し家族も眠った。
翌朝、家人が様子を見た時には、すやすや眠っていた。昼過ぎに、いつもならご飯時には、必ず自力で食卓についたが、一時過ぎても起きる様子がないので見に行ったら、事切れていた。静かに眠ったまま誰にも迷惑かけずに逝ってしまった。 夕べの涙は別れを惜しむ涙だったのかも知れない。
* 老舗二八蕎麦屋の代表は砂場、藪、更科。その内、神田にあるのは砂場と 藪
→2003年の今日のたん譚
→2001年の今日のたん譚
日本文化チャンネル桜ホームページより転載
「日本文化チャンネル桜二千人委員会」創設と委員会参加へのお願い
皆様へ
日本文化チャンネル桜は、創立五年目を迎えましたが、ここに至りまして、運営資金が致命的な不足に陥り、平成二十年九月以降の放送を続けることが困難になりました。 この五年間は、代表取締役社長である水島が、私費約七億円(衛星放送フィリピンチャンネル株売却や個人預貯金等)を投じ、チャンネル桜の運営資金に当てて来ました。 しかし、それも全て尽き果て、公共電波による放送続行が不可能になりました。 残念ながら、これまでの視聴者や個人スポンサーの皆様による支援だけでは、チャンネル桜の放送を続けていけないのが、厳しい現実であります。
いかなる外国や外国勢力、いかなる企業、政治、宗教団体からも自由と独立不羈の志を守って来た日本で唯一の公共放送局「チャンネル桜」が、今、消滅する危機を迎えております。 代表の水島は、自身が無一文になったことは後悔しておりませんが、日本で唯一の草莽テレビ局の消滅は、国家的危機を迎えたこの時代にあって、日本と日本人にとり、計り知れないマイナスになるだろうと深刻に憂慮しております。 是非、これからは全国草莽の皆さんによって、この細々ではありますが、切り開かれた道を後に続いていただき、何とか、日本国民の、日本国民自身による、日本国民のための公共放送の最後の砦を守り抜いていただきたいと、心より願っております。
チャンネル桜は、我が国の伝統文化の復興と保持を目指し、戦後日本を見直そうとする日本で最初の、そして唯一の草莽メディアとして創立されました。 繰り返しになりますが、私達のチャンネルは、国家権力やいかなる外国や外国勢力・政治団体・宗教団体・大企業等からも、自由と、独立を守ってきた草莽チャンネルでありました。 私達はそれを誇りに思います。
日本文化チャンネル桜の社是は、「草莽崛起」(吉田松陰)と「敬天愛人」(西郷南洲)であります。 その旗印を高く掲げ、これからも私達の「志」実現へ、全身全霊で邁進する所存であります。 その実現に向けて、現実的な道として、「チャンネル桜二千人委員会」創設があります。 今、世界の大転換期にあって、私たちは、この草莽崛起、独立不羈の「志」を実践、推進し、日本人としての「正論」を皆様に発信し続けるため、また、新たな、そして大きな出発を実現するために、「チャンネル桜二千人委員会」創設を提案させていただくことを決意しました。
この委員会は、二千人(以上)の委員の皆様が月に一口一万円以上のチャンネル桜を支える資金を提供していただき(形式的には贈与とか寄付にならぬよう広告スポンサー料となります)、NHKが国民の視聴料で運営されているように、二千人以上の日本人委員によって、あるいはそれ以上の数の草莽日本国民によって、自由で独立不羈のテレビ局を運営しようというものです。いわば、小さいながら新たな「新NHK(新日本放送協会)」を日本国民の手で創設しようというものです。 これはまた、本来の公共放送局の在り方を国民の手で実現しようとする草莽日本国民運動でもあります。
現実の問題として、例えば、衛星放送「ハッピー241チャンネル」放送開始当初のように、毎日約三時間から四時間の放送番組の製作と放送を続けるためには、毎月約二千万円が必要となります。 つまり、一時間あたりの番組製作と放送のために、約十六万円が必要だということになります。 この内訳には、全ての経費(衛星放送時間枠使用料・番組製作の出演者ギャラ・撮影費・ロケ取材費・美術費、スタジオ使用費、スタッフ人件費、光熱費、連絡費、事務所経費等)が含まれています。 また、この金額には、インターネット動画放送So-TVのサーバーと回線使用料と技術者人件費も含まれています。 地上波の深夜の三十分番組でも、製作費が数百万の予算であることを考えていただくと、いかに私たちが無駄のない超低予算で番組制作をしてきたかご理解いただけると思います。
もし、二千人委員会が目指す二千人を超え、四千人委員会になったなら、二十四時間の放送を新たに再開出来るようになります。
月額一万円という金額は、草莽の日本人にとっては大変大きなお金です。 しかし、一億二千万人の日本人の中には、必ずやこの草莽チャンネルを自ら支えようとしてくれる二千人以上の「草莽」がいることを私たちは信じています。
世界最古の国の国民として、長い歴史と文化を築き受け継いできた祖先のため、そして、これから生まれてくる私たちの子孫のため、日本国民の日本国民による日本国民のための草莽テレビ局を皆様の志と力により、守り育てていただきたく「日本文化チャンネル桜二千人委員会」創設の告知とお願いをさせていただきました。
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして 国家の大業は成し得られぬなり。 西郷南洲翁遺訓より
私達は、「仕抹に困る」メディアであり続けます。 私達は、日本を最も愛するメディアであり続けます。 私達は、日本と日本人を信じます。 私達は、日本と日本人の未来を信じます。
私達は、日本唯一の草莽メディア「日本文化チャンネル桜」です。
全国草莽の皆様におかれましては、何卒、委員の一人になっていただきたく、心よりお願い申し上げます。 また、皆様におかれましては、全国各地で二千人委員会の拡大と各地区支部創設のためのご支援、ご協力に立ち上がって(草莽崛起)いただきたく、お願い申し上げます。
平成二十年九月十一日
株式会社日本文化チャンネル桜 代表取締役社長 水島 総 「日本文化チャンネル桜二千人委員会」準備委員会事務局長 松浦芳子
「チャンネル桜二千人委員会」の詳細についてはこちら
この前、露助(別に蔑称ではない。アメリカンがメリケン、ホワイトシャツが、ワイシャツと聞こえるがごとく、ルスキー(ロシア人)はロスケ)幕内力士が、覚醒剤をやっていて逮捕され首になった。 続いて他の露助力士も首にされたと聞いて意外な感じがしなかったのは、過去に露助達が、京都の瀟洒なレストランでやったことを目撃していたからだった。
そのレストランは、古い洋館立て(元京都中央電話局庁舎、有形文化財指定・大正十二年建築)で、食堂の天井の高さが四メートル近くあり、広々とした食堂には、一台数百万円はする直径三四十cm位の銅製レコード板式のオルゴール(写真の物は銅ではないようだ)が数台置かれていた。最奥のホールにはグランドピアノが置かれ、時間制で静かな曲が生演奏されていた。今はザールランド(ドイツ)とニューヨークに住んでいる友人がコンビを組んで、ピアノとフルート演奏をしていた。
ある日、ここはコンク貝の刺身がうまかったので、それとそこそこの白ワインを注文し、二人の演奏を聴いていた。 演奏の合間を見て厠に立った。綺麗でひろびろとした厠に入ろうとしたら、でぶやらのっぽやら、屈強な感じのやら、ロシア語を喋る一団と入れ違いになった。観光客の一団と思われた。別にがらが悪いとも感じられない普通の人々で、黙っていれば米国人と間違へたかもしれない。 男用の朝顔の前に立ってびっくりした。
 目の前にある棚、洗面台に、飲んだばかりのウオッカの瓶が散乱していた。 多分、露助は、度数の弱いワインやビールでは物足りなかったのだろう、 5、6人でトイレで飲んで、良い気持ちになってまたテーブルに付いたに違い ない。玄関ホール右横にはバーもあるが、そんなことは関係ないらしかった。 たとへ、オクラホマやアイダホから来た田舎者の米国人だとて、バーボンをレストランのトイレに持って入り、集団で飲むという発想はしないだろう。 この時の印象があまりに強烈で以後、露助の民度、指導者層や一般人の性癖をうたぐってかかっている。 相撲取り首事件のちょっと前には、オリンピック開催と同時に、南オセチア独立の肩を持つ露助のグルジア侵攻があった。南オセチアは元グルジアのレスラー上がりのマフィアのおっさんが牛耳っている自治区で、露助の傀儡のような奴らしい。ロシアに成りたがっている。独立支援とは名ばかりで、また露助の悪い癖がはじまった。国連は無力で只々、小沢(おさわ)がせの存在である。 最近は白い中国人(チャガン・マオ?)だと思っている。 ロシアの歴史も中国同様、愛国歴史家が捏造しているしよく似ている。世界はやったもん勝ち。ところで、露助と雲助なんか字が似てないか?
→2003年の今日のたん譚 医者豹変す
オリンビックが終わったらしい。 実況はまったく見てないので、ニュースで知ることになる。開会式に口パク少女や、偽花火、多民族共生と言いながら、民族衣装を着てたのは漢民族であった、偽装があったと、英国マスコミも騒いでいた。英国と豪州(オーストラリア)が身内なのは豪州の国旗を見てもわかる。漢民族の茶番劇を言う前に身内がシドニー五輪開会式の時にした同じような事(先住民と白人仲良くしようと共に踊ったが、アボリジニの格好をして踊っていたのは黒塗りの白人だった)は、ちゃんと批判したんか。
漢人とアングロサクソンの異民族皆殺しの歴史はまったくよく似ていて、英国がチベットやウイグル問題を取り上げてニュースにしているのを見ると笑ってしまう。インディアン、アボリジニ、タスマニア人殲滅はあやまったのか?同じ穴の狢がよく言えるなぁ。厚顔無恥とはこの事だ。
なを、戦いの最中(北海道他 8月19日訂正 北方という意味で書きましたが、意味不明なので。北方の島々ではこの日以降のソ連による侵攻に再び戦闘が始まり好戦していたその戦いという意味)、天皇の詔勅により武士達が一斉に武器を投げ出し戦いの刃を鞘に収めた日(負けたと自覚して手を挙げたのではない)
この戦いを世界ではどう呼称したか。
日本
「大東亜戦争」
米国 日本に対して「太平洋(方面)戦争」 対独に対して「ヨーロッパ戦争」
欧州 「第二次ヨーロッパ戦争」 ソ連 対日、対独とも 「大祖国防衛戦争」
対ドイツなら分かるが、条約破って、日本に対して何を防衛??
また、人が引けた後日、護国神社のパールさんと顕彰碑の前で一杯やろうと思っている。 →2002年の今日のたん譚
| 2008年08月09日(土) |
オリンピックが始まったらしい? |
日本選手団だけ(訂正08/10:正確にはパキスタンとカタールと計三国らしい)、中国の小旗と日の丸の小旗をもって行進したらしい。中国の旗を持つ位なら、なんでオリンピックの旗を持たないのか。 昔から思っているが、スポーツ選手と言うのは、「それだけ!」の人間が多すぎる。なーんにも考えてない。というより考えられない頭になっている。 東トルキスタン独立派が、宣戦布告して中国は戦時に近い状態だと言うのに、よくもまぁ脳天気に中国の小旗をふれたものだ。中国様を支持しますの表明と世界は見るにちがいない。最後までオリンピック中継は見ないことにしているので、すべてネット上からの情報で書いている。 文武両道という言葉が好きだ。 なにも、今拳闘界で人気のある、ウクライナのクリチコ兄弟のように、世界ヘビー級チャンピオン(弟は、現在IBF・WBO世界ヘビー級チャンピオンで1996のアトランタオリンピック、スーパーヘビー級で金、兄は世界チャンピオンを経て後引退した)でなおかつ博士号を持つような人のことを言うつもりはない。スポーツをしていると年がら年中、西洋式身体反復練習運動するあまり、頭が回らなくなる。博士号とれとは言わんから、せめて、今、世界がどういう事に注目して何が問題となっているのか、その時自分はどういう立場をとるかぐらい大人なんだから考えるアタマを持って欲しいと思う。知っている限り、スポーツ界で、日本人ではっきり意思表明しているのは、登山家の野口健くらいだろう。 チョモランマ最高齢登山に固執する、同じ登山家の三浦雄一郎なんかは、中国問題をどう思ってるのか。確か政治に関心があって、北海道知事選や、参議院選挙にも立候補していたくらいだから政治に関心がないとは言わさんゾ。が何にも言わない。
皮肉な事に、最高齢の新記録達成かと思いきや、直前に意外なダークホースの出現で新記録成らず(一歳年上のネパール人が出現登頂した)、でどうするか見ていたら、次は八十歳でやるという。もうええやんか。一度チョモランマの天辺に立てただけでもサミッターとして登山家冥利に尽きるのにどうして最高齢にこだわるのだ。もう只のギネスねらいとしか思えない。
中国政府が、登山路の変更を行ってきても、黙って従い、中国情勢の中のオリンピックに関しても、知っている限りでは何も言っていない。多くの人々にとって、たった一度のチャンスという意味で、オリンピック出場も、チョモランマ登頂も同じ位困難な事だが、三浦雄一郎は恵まれた環境、スポンサーがつき、行くと言えば何度でも行ける。が、最高齢と言ったって、*他の隊員達が支えてるのだ。たった一人で挑戦しているわけではない。見てるものにとってここに感動はない。 それよりも、野口健のように、中国に関して何か言えば、明日にでもスポンサーに捨てられる(実際に一社から企画中止スポンサーの辞退があった)、自分のこれからの行動を制約される降ろされると承知していても言わずにいられない登山家に、心から共感できる。
以上のような事どもを、昔は、前者をスポーツ馬鹿、後者を年寄りの冷や水と言った。
*最高齢ネパール人登頂者を陰で支え、随伴したRaiさんは凍傷のため両手の指と右足の指を切断した。その原因となったのはシェルチャンさん(76歳 最高齢登頂記録保持者)の着替えや靴や靴下を履くのを手伝うため、厳寒の中、何度も手袋を外さなければならなかったことからだという。入院して、保険も出ない、給料の支払いもちゃんとされていないという。登山隊の助手として十七年間働いてきたが、もう二度と仕事に戻ることはできないと病院で語った。自分で自分のことが出来ない登山家ってなんや??
昔、全盲で登ったと喜んで気勢をあげていた人がいたが、その陰でこれに似たことが事がきっと起こっている。それでも登りたいという、こういう人の気持ちが分からない。一遍ちかくのぽんぽこ山(700 m位の)にでも、本当にたった一人で登ってみたらいい、その時自分が何者かを思い知るだろう。
一週間前の今日、「北朝鮮拉致被害者の全員奪還、西日本緊急集会の後デモ行進、大阪西長堀→難波高島屋前までデモ行進に参加した。
もうだいぶ前から、心の中では一つの結論が出ている。北王朝が滅びるか、こちらが取り返しに特殊部隊をやるしかないとおもっている。声を限りに街頭で叫んでも空しい思いがするばかりだ。 ようやく、シオンの丘を手に入れ、建国したイスラエルは、前からいたパレスチナ人他、まわりは敵ばかりの四面楚歌、孤立した中、短期間で一撃を与えるにはどうしたらよいかどうやれば勝てるかを考え,二度三度日本を訪ねた当時のダヤン国防相は大東亜戦争の指導者たちに会い、いろいろの教訓を掴んで帰りそしてわずか四日間でアラブの軍事力を殲滅してしまった。それぐらい精強な軍事ノウハウが日本にはあった。 今の日本はどうだろうか。戦う前に、攻めてきたら無防備都市宣言して明け渡してもいいという運動のようなものがある。イスラエルは、他の国はこれを見てどう思うだろうか。明け渡したとして其れからのことを考えてないところが末期症状で、戦うのが怖い、死ぬのが怖い、だから明け渡す、のだろう。生存至上主義者達に一つ教えてやろう。死より怖い物があるんだゾ。
漢の高祖劉邦の妻が、高祖亡き後寵愛していた戚婦人をやっかんで、行われた処刑の仕方にこんなのがある。その人間の四肢(両手足)を関節途中から死なないように切り落とす。そうしておいて、ぽったん式の便所の便槽に放り込んでおく。そして、毎日便所に行くたびに、上から唾を吐きかけ、クソをする。四肢を切り落とされたその人間は、糞の海でのたうつ。ざまぁみたかとこれをやる。生きている限りやる、死なせない。 それでも、何が何でも生きたいか?(死刑反対論者はこの事が分かっていない。死刑は極刑ではない。極刑とはこの事を言う。) 人間が動物と違うのはここなのだ。ペルシャとスパルタ、マサダの闘い、大東亜戦争、みんなそのために死を賭して戦った。
デモ行進が終わってからの、ねぎらいの会で、かって鎌倉武士が蒙古襲来を撃退した時の武勇を歌った、「元寇」という唄を有志達で大合唱となった。歌詞中の鎌倉男児(だんじ)の所を、西村眞悟(拉致議連幹事長)に置き換えての大合唱。聞きながら、今すぐにでも助けにいけないことをもどかしく思った。引き裂かれた家族達はもう今さら言うまでもないが、ご高齢で時間がない。日本という国も内(中国移民一千万人と外国人参政権、国内少数民族が問題化)と外(領有権の曖昧態度で)から、潰れてしまうまで、時間が余り無いように感じる。 次回の選挙の立候補者の一人でもいいから、日本国、日本国民奪還のためには、戦争も辞さないという強い決意を言う議員候補が出てくる事を、そしてそれを理解する国民が出てくる事を心から願う。
「元寇」 作詞・作曲 永井建子 肆佰餘州(しひやくよしう)を擧(こぞ)る 拾萬餘騎(よき)の敵 國難(こくなん)此處(ここ)に見る 弘安(こうあん)肆年夏の頃 なんぞ怖れ(おそれ)ん我(われ)に 鎌倉男児(だんじ)あり 正義武斷(ぶだん)の名 壹喝(いっかつ)して世に示す(しめす)
多多良濱邊(たたらはまべ)の戎夷(えみし) 其(そ)はなに蒙古勢(もうこぜい) 傲慢無禮者(がうまんぶれいもの) 倶(とも)に天を戴(いただ)かず いでや進みて忠義に鍛(きたえ)し我が腕(かいな) 茲(ここ)ぞ國のため 日本刀(にっぼんたう)を試(ため)し見ん
心筑紫(つくし)の海に 浪押し分けてゆく 益荒(ますら)猛夫(たけお)の身 仇(あだ)を討(う)ち歸(かえら)ずば 死して護国(ごこく)の鬼と誓(ちか)いし箱崎(はこざき)の 神ぞ知ろし召す(しろしめす) 大和魂(やまとだま)潔(いさぎよ)し 天は怒り(いかり)て海は 逆巻く大浪(さかまくおおなみ)に 國に仇(あだ)を為(な)す拾餘萬(じふよまん)の蒙古勢は 底の藻屑(もくず)と消えて 残るは唯參人(みたり) いつしか雲はれて 玄界灘(げんかいなだ)月清し
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