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2007年03月27日(火)
世界の民に The Rape of Nanking !?
この前の日曜に大阪護国神社にて映画「南京の真実」(仮題)の製作を* 支援する集いに行って来た。盛況で何よりであった。ここに「南京の真実」(仮題)の11カ国語訳がある。多くの外国人を友に持つ人に紹介して欲しい。 (Eine Fälschung) Der Raub von Nanking ( Informationen Kriegsführung ) Nanjing Blutbad ( Reklameanzeige der Lüge ) ( Uma falsificação ) A violação de Nanking ( Guerra da informação ) De massacre Nanjing ( Propaganda da mentira ) ( Подлог ) Изнасилование в Нанкине ( Информационная война ) Нанкин массовые убийства ( Реклама на ложь ) ( مزورة ) اغتصاب نانكينج ( حرب المعلومات ) مذبحة نانجينغ ( اعلان من كذبة ) ( 捏造 ) 强奸的南京 ( 情报战争 ) 南京大惨杀 ( 广告说谎 ) ( 날조 ) 강간·오브·난징 ( 정보 전쟁 ) 난징대학살 ( 사기의 광고 ) ( Una falsificazione ) La violenza di Nanchino ( Guerra delle informazioni ) Massacre di Nanjing ( Pubblicité della bugia ) ( Una falsificación ) La violación de Nanking ( Guerra de la información )Masacre de Nanjing(Anuncio de la mentira ) ( Un faux ) Le viol de Nan-King ( Guerre de l'information ) Massacre de Nanjing ( Publicité de mensonge )「南京の真実」(仮題)の11カ国語訳
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* 主催:さくら草莽会 河内国民文化研究会 →2003年の今日のたん譚「値違ひ奇にして今宵寝違ふ」
寝床に入ってから本を読む習慣があり、連日面白さのあまり明け方6時過ぎまで読んでいた。朝六時過ぎ頃になると北隣の家の白梅の木辺り?に鶯が数日前から同じような時間帯にやって来て、鳴き始める。間断なくさえずっているのだが、何だか変なのだ。 ホーホケキョ・ケキョ・ケキョ・ケキョ・ケキョときて、またホーホケキョまたは簡単にホーホケキョと単音節?で鳴くのが常道なのだが、白梅の鶯はどーも新参でさえずりの練習をしているとしか思えない鳴き方をする。ホーホー、ホーホキョ・ホキョ・クキョ。キョッ・キョッ、聞いていて思わずガクッとずっこける。ホーホーキョッ、ホーキョ。ホーキョはないゾ。ケはどうしたケは! ケが(怪我)無くてよかったね何て言ってる場合ではない。お前はほんまにウグイスか?おもわず独り言ちてしまう。 本当に下手で三日めもまともに鳴けなかった。聞いていて、もしやこいつは、父(てて)無し子かも知れないと思うに至った。 うぐいす(他の鳥達も)は放っておいて「ホーホケキョ」と鳴けるわけではない。産まれてすぐにカラスの側に置いておけばからすのカーカーの鳴き声になる。先生が必要なのだ。普通は親が先生だ。 中学生の頃うぐいすを飼っていた。いい鳴き声に育てるには、いい鳴き声の鶯の横に置けと教わった。 きっと今来ている鶯は、教わる前に何かの事故で親を失ったかどうかしてちゃんと教わらなかったのに違いない。鳥には鳴き方が、地鳴きとさえずりの二通りあって、唄うように鳴くさえずりはどうも機嫌のいい時のようなのだ。 うぐいすの普段の鳴き方(地鳴きという)は、人が舌打ちする時の「チェッ!」と言う音を連続して繰り返すような音で、これをやると山で鶯を呼べる。 20世紀初頭フランスの作家で映画監督だったマルセルパニョルと言う人がいた。マルセイユで幼い頃過ごした。父は小学校の教師、当時の進歩的教師で宗教を信じなかった。幼児のマルセルはこの父が教壇に立っている間、教室の最後列の席に子守りも兼ねてか置いておかれた。 ある日、生徒達に黒板に書かれた綴りを読めと書いたそれをマルセルは読んでしまう。誰も教えていない。それなのにいつの間にか覚えてしまって学習していた。 それからと言うもの、家では本と言う本、意味も分からず手当り次第に音読していたらしい。親が本を取り上げる程であったと言う。そういうことがあってやがて作家になり監督になる。 この事からも周囲の環境が子に与える影響は絶大でへたをすると将来が決定されてしまいかねない。それも自我の芽生える前が肝心なようだ。無尽蔵な受容器を持っている。音楽学習などはまったくそのように思える。 そんなことをこの音痴の鶯君から思った。 うぐひすのなく早旦ごとに聞てみれば うつろふ囀(てん・さえずり)に露(つゆ)ぞ吹きける 詠み人知らず(古今集)か? *家人に、うぐいすの子供は子指くらいで、孫はもっと小さくて小指の先ほどで、並んで止まっている図はとてもほほえましいとでまかせを以前言ったのを、最近までずっと信じていたらしく詰問された。本当はウグイスの若鳥は見場も成鳥と同じ。 うぐいすとめじろをその色から混同している人が多いので色見本を示しておく。ちなみに、梅の木に蜜を吸いにくるのはめじろで、うぐいすはあまり高い木には止まらない。せいぜい身の丈くらいの低木に止まる。英語でも、Japanese Bush Warblerといい、直訳すると、日本の低木Bush にいるさえずるように唄う人(アメリカムシクイ)Warbler。→2002年の今日のたん譚「男女平等の怪」 →2003年の今日のたん譚「国連てなんだ」
2007年03月09日(金)
生きたるきけぇ(又はききゃぁ)
最近つまらない映画、とくに日本製の映画は何だか漫画と連動してガキ相手の私小説的なスケールの小さい物ばかりで、いくら日本映画の世界はバブルと言えどもあんまりだと思っていたら、大当たりの映画に出会った。 予告編を見ていて、直感的に面白いと思っていた作品で、後数日で終了だというので泡食って出かけた。おまけに一日に一度きりの上映時間で夕飯の時間帯だったが、無理して出かけてよかった。 この映画のすごい所は、事実は小説よりも奇なりを感じさせる事に加へ、見ていると自然に「国を愛する」ということはどういう事かと言う事が理解出来る事だ。静かなる感動で別に涙の場面ではないのに泣ける。* 「泰平(たいへい)の眠りをさます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜もねむれず」 という狂歌で始まる。これは黒船が日本に来て慌てふためく様子を謳ったもので、* 上喜撰とは茶の事で蒸気船にかけた言葉。 この「長州ファイブ 」という映画、 明治維新前夜、伊藤俊輔(伊藤博文)野村弥吉(井上勝)山尾庸三 遠藤謹助 志道聞多(井上馨)の五人の物語で、英国の新聞は彼等の事をそう言った。 吉田松陰の影響を色濃く受けた長州藩の志士達は高杉晋作の命で、品川に出来た完成まぢかの英国大使館を焼き打ちするも、その虚しさから、信州に佐久間像山を訪ね孫子の兵法「敵を知り己を知れば百戦危うからず」を説かれ、 それを機に英国渡航を決心しついに文久3(1863)年、まだ数えで二十一歳だった伊藤等五人は長州藩に秘密裏の援助を受け、英国へ密航した。片道数ヶ月の航海である. 物語は、山尾庸三を主人公として描かれている。山尾は後の工部大学校(現東京大学工学部)の設立に尽力し、聾唖教育の普及、日本で初めて手話を紹介した。 五人は上陸後、石で出来た建造物蒸気機関車に肝をつぶす。圧倒される。 これは硫黄島の栗林忠道中将も米国留学の際に抱いた西欧諸国への畏怖と同質の物であった。志士達は気がついてないが、文明も文化も既に日本にはあったのだが自覚が無かった。それが後の鹿鳴館時代のような極端な西洋化を行ってしまった事にも現れている。江戸後期、江戸人は地動説なんて一般人でも知っていたし、医学などもシーボルトに見るように知っていた。黒船蒸気船も最新式ではない事も知っていた。驚かなかった。だから、江戸から発の改革が興らなかった。それは今も変わらない。ただ、志士達は田舎者で純粋であった。あっと驚いてしまったのだ。 印象に残った場面を書いてみる。
左前 井上馨27才 左後 遠藤謹助27才 中央 井上勝20才 右前 山尾庸三26才 右後 伊藤博文21才 英国に住み始めて二年目に下関戦争(馬関戦争)の予兆を英国の新聞で知り、伊藤と井上(馨)は「攘夷」を止めるべく急遽帰国する。残った三人は、「生きたるきけぇ(長州なまりで、機械の事)」となって尽力すると決意する。現今「産むきけぇ」でがたがた言う世の何と愚かな事か。 現代に大和撫子がいるとしたら、人口減少化を止めるため「産みたるきけぇとなって尽力する」と公言する女が居てもいいと思うが、寡聞にして知らない。 ある時酒場で残った三人が飲んでいる所に、正式に渡航して来た薩摩藩士達と出会い、長州が英国にした事に対し、藩同士の対立から喧嘩になる。山尾がなだめて後、和解。山尾は造船技術の大事を言うが、金銭的理由でまだ出来ないともらす。 その後がすごい。そこにいた薩摩の志士達が、山尾に金をそれぞれ握らせる。藩同士の争いに終始している場合ではない* 「国」のために貸すのだと言って手渡した。現在の額で100万円くらいで、これを元に山尾はグラスゴー(工業都市)に向かい、生きたる機械となって造船技術を学ぶ。 当初「日本野郎」と蔑んだ船長も、志士達の礼節勤勉と品格を感じ、ついには自分達と同じかそれ以上の存在として扱うようになる。 ある時、山尾が懇意になった女友達を暴漢から救うべく割って入るが、ボクシング発祥の国、殴り倒されるがそこに一本の棒切れ。 ここで山尾は武士に戻る。まげを切って武士を捨てて来たが、ここから示顕流の剣術が見られる。まったく無駄の無い動き、的確に相手を立てなくする。「剣道」とは違う剣術の動きが見られて興味深い。間違っても面や胴はとらない。 創作話だと、喀血した遠藤なんかは、英国で客死にすると残念無念で話も劇的要素を帯びて来る所だが、遠藤は 死病と言われた病に倒れ志半ばで帰国するもどっこい生きて、英国で見た精巧な紙幣に感心、日本でも作りたいとおもったのか後に大阪造幣局長を務めた。「桜の通り抜け」はこの遠藤の発案。 野村弥吉(後の井上勝)は、鉄道の研究に励み、後に日本で初めて新橋横浜間の鉄道を開通させ鉄道の父と呼ばれた。 乳製品で有名な小岩井牧場の名は創設した三人の頭文字の合成でなっていて、日本鉄道社長「小」野義真、三菱財閥の「岩」崎弥乃助、最後の「井」が井上勝である。 伊藤俊輔(後の伊藤博文)は都合三度の渡航をしている。二度目は明治維新後の明治四(1871)年から明治六(1873)年にかけて岩倉使節団の一員として。三度目は明治十五(1882)年から明治十六(1883)年にかけて日本の憲法制定にあたり、列強各国の近代憲法を自ら学ぶために渡欧。ドイツを模範(条文憲法・シヴィル・ロー)とし日本初の憲法制定、内閣制をつくり、初代総理大臣になった。 志道聞多(後の井上馨)は、下関戦争(馬関戦争)の通訳、開化政策を薦める。明治政府の外務大臣。伊藤と共に鹿鳴館時代をつくる。 小説なら、密航した五人が五人とも功成り名遂ぐなんて、ちんけで如何にも嘘くさくなり、物語として成り立たない。ここが事実は小説より奇なりと言う所以である。 中学生高校生大学生一般人皆に見てもらいたいと思った。この映画監督は「兼高かおる世界の旅」や「地雷を踏んだらサヨウナラ」の五十嵐匠。* 萩市内の民家で見つかった吉田松陰直筆とされる「燕都流言録」では アメリカガのませにきたる上喜撰 たった四杯で夜も寝ラレズ となっている。* 上喜撰…お茶の商標。 平安初期の歌人、喜撰は、京の茶の名産地山城の人で、後に宇治に隠遁した。それにちなんで商標としたのだろう。茶はカフェインが強い。上等のと言う事だから玉露の事と思われる。飲み過ぎると眠れなくなる。* 「国」のために貸す…。この借りは現在に至るも返してないらしい。
2007年01月29日(月)
南京事件映画制作を応援する
映画、硫黄島関連二作 などがアメリカで大ヒットとまではいかないが評価されたのが契機かどうか、それを良く思わない勢力、(主に中国)が必ず何か画策する。インターネットの黎明期に名を馳せた、AOLというアメリカの接続会社の元副社長が中国に抱き込まれた。 産經新聞のインタビューで、中国の映画会社と先きのAOL元副社長と共同で「南京大虐殺」の映画が出来た事が解った。中国の映画会社と言っても、共産党支配の国である。実質国営と言っていい。多分金で抱き込まれたか、決定的な弱みをつかまれてしまったか、AOL元副社長は協力した。そしてサンダンス映画祭で公開された。 それもあまりにも初歩の間違いが多すぎて、日本の出版社が訳すにあたり,訂正を求めたが頑として受けつけず、出版社の信用に関わる故に日本での出版が見送られた、曰く付きの「レイプ オブ ナンキン(著 アイリス・チャン 故人)」の本を下敷きにしていると言う。これからも他に七本 ('070327訂正。さらに増えて10本 )近く同様の映画が出来ると言うのだから尋常ではない。 南京大虐殺は本当の所はどうだったか。もう5・6年前になるだろうか東京の九段会館で「南京事件」のシンボジュームがあり、聞きに行った。その時の争点は、一般市民の虐殺などではなく、捕虜の処断の方法を巡っての解釈であった。学者のレベルでは、三十万?市民の虐殺などは問題になっていなかった。端からあり得ないことだったからである。 ここでなぜあり得ないかと言う事を箇条書きにしてみる。 一、世に出回っている証拠写真と言われるものを徹底的に調べた結果、一枚の南京大虐殺を写しているものは無かった事。(東中野修道著「南京大虐殺写真の検証」) 二、あったとされる期間は十二月中旬から翌年二月中旬まで、に三十万人殺したと言う事になっている。南京の冬はマイナス二十度くらいに凍てつく。殺して埋めたというが、二つしか無い葬儀社の五十人にも満たない数の社員が、戦時に、車も無いブルドーザーもない状態でかちんかちんの凍土をどうやって掘って誰が運んで埋めて、またかき氷のような土をかけて埋めたのか。 三、広島の原爆を持ってしても、十五万人しか殺せない。当時の銃器能力で朝から晩まで(弾があったとして)二ヶ月間撃ち続けても殺せない。それでたとへ殺せて、死体がてんこもりになっているそれを、最低二人が一人の死体を運搬する事になる。誰がどうやって運んだのか。三十万人でっせ。 ナチのユダヤ人虐殺で、まとめて埋められた場所は戦後二十数年経ってもその上に立つと、油がにじみ出て、ぐずぐすのクッションの上にいるようだと作家の開高健は書いている。そう言う所が南京には至る所にあった筈であるが、聞いた事が無い。見たものもいない。 四、決定的なのは、極秘機密文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』で解った。この事は、日本をおとしめるための、宣伝工作、すなわちでっちあげだったと言う事である。 そこで、スカイパーフェクTV のチャンネル桜 の水島社長が日本国の汚名を晴らすためについに立ち上がった。先きの中国製映画の反論としての映画を作る。以下。 【 製作趣旨 】 南京陥落70周年の今年 (平成19年・2007年)、米国サンダンス映画祭にて、南京「大虐殺」映画が公開されました。 さらに、中国、カナダ、米国等で計7本の南京「大虐殺」映画製作が予定され、全世界で公開されると言われています。 歴史的事実に反し、誤った歴史認識に基づくこのような反日プロパガンダ映画によって、南京「大虐殺」なる歴史の捏造が「真実」として、世界の共通認識とされる恐れがあります。 また、そこから生まれる反日、侮日意識が、同盟国の米国だけでなく、世界中の人々に定着しかねません。 「情報戦争勃発」とも言える危機的事態に、私たちは大同団結し、誤った歴史認識を是正し、プロパガンダ攻勢に反撃すべく、南京攻略戦の正確な検証と真実を全世界に伝える映画製作を決意しました。映画は英語版や中国語版等も同時に作り、世界同時公開を目指します。また、インターネットの動画配信も実行する予定です。 この映画製作には、全国草莽の皆さんの熱いご支援ご協力が必要です。 是非、映画製作にご参加いただき、祖国日本の誇りと名誉を守りましょう。 平成 19 年 1 月 映画「南京の真実(仮題)」製作委員会 監督 水島 総 日本映画監督協会会員 日本脚本家連盟会員 日本文化チャンネル桜 代表 【 映画「南京の真実(仮題)」に寄せて 】 ■賛同者■ ※1/24現在 (50音順 敬称略) 赤池誠章 阿羅健一 井沢元彦 石原慎太郎 井尻千男 板垣正 伊藤哲夫 稲田朋美 井上和彦 上杉千年 遠藤浩一 大江康弘 大高未貴 大原康男 岡崎久彦 小川義男 小田村四郎 小山和伸 加瀬英明 勝岡寛次 椛島有三 日下公人 工藤美代子 クライン孝子 倉林和男 児玉源太郎 小林正 小堀桂一郎 櫻井よしこ 桜林美佐 佐藤守 佐藤勝巳 佐藤和男 佐藤政博 篠沢秀夫 田形竹尾 高橋史朗 高森明勅 田久保忠衛 田中英道 戸井田徹 頭山興助 富岡幸一郎 冨澤繁信 中西輝政 中村粲 中村信一郎 名越二荒之助 西尾幹二 西部邁 西村幸祐 西村眞悟 花田紀凱 東中野修道 福田逸 藤井厳喜 藤岡信勝 藤本隆之 細谷茂樹 松下新平 松原仁 松本洋平 水間政憲 宮崎正弘 三輪和雄 茂木弘道 百地章 八木秀次 山際澄夫 山田惠久 屋山太郎 笠浩史 鷲尾英一郎 渡辺周 渡部昇一 ほか たん譚も個人的にこの問題はずっと勉強して来た。出来る範囲で協力したいと思っている。
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昨年、2006年12月19日(火) 無防備都市宣言とUFO中の「京都無防備宣言」は、無防備都市宣言があまりにも考えられないので、電話にて確認、京都府→京都市→消防局→総務課とたらい回しの末、結局「宣言」?であって議会などには通っていない との事であった。日本語は難しい。何の記事だったか探したけれど見つからず。しかし、何で消防局なのだ! 訂正しておきます。何にしてもよかった。
残り福をもらいに、えべっさんにいく前に、神社近くの仏料理屋「鼈種(仮名)」にて腹ごしらえをした。北山で穫れた「鹿」と、比叡山で穫れた「猪」を食った。猪はしっかりした噛み応えがあり、鹿はホワっと膨らんだうす桃色の肉がうまい具合に焼けており、どちらもとても美味かった。これに合うワインはCh.マルゴー二級のパピヨン??ルージュか,ボルドーのサンテフテフ村??の物がいいのだが,生憎なかったので。クローズ・エルミタージュにした。これはこれで獣肉によくあったのだが、先のどれかにするとこれが今年の干支を含んだ目出たい役となる!?。「猪^鹿^蝶」
ここの料理屋は、川端からも入れるし、置屋の多くある東側(恵美須神社西側)からも入れる。終わって東側から出ると置屋から出て来た芸妓と すれちがった。景気ええのか?お参りを済ませた所でご無沙汰している日本料理屋の主人一家とばったりあった。京都はせまい。 新しい笹を買い帰宅した。 →2002年の今日のたん譚→ゑべっちゃん
さ、さ 一献。 おにいさん、朝から一献,また一献。 酒 手前の左・屠蘇 左奥・シャンペン 酒の肴 中央・白みそ仕立ての玄米もち雑煮 左奥 くわい,れんこん 冬筍、きぬさや、金時人参 右奥 ぐちだけの紅白かま鉾 からすみ 数の子醤油漬け 右真ん中 いくら醤油漬け 初詣は近くの神社で済ませ、また一献。酩酊せり、箸少し行儀悪し。→2006年の今日のたん譚 →2005年の今日のたん譚 →2004年の今日のたん譚 →2003年の今日のたん譚 →2002年の今日のたん譚
蕎麦を打ちながらチャンネル桜 の「人間の杜」を見る。 終戦まぢか本土に爆弾を投下しに来たB-29に対して名機「*飛燕 」で決死の体当たりをし、二度に渡って生還した板垣政雄 元軍曹そして生野文介元大尉(数々の伝説的な空中戦で帝都防空に活躍。陸軍飛行第244戦隊)がゲスト出演していた。 一部評論家が書いている特攻の前夜、未練を持ってやけ酒飲んで刀を振り回したなどという幻影はこの244戦隊には無い。板垣・生野さんも語っているが、「微塵もわたくしごころはなかった、怖いと言う事も無かった.ただ一矢報いて道連れにしてやる」と機銃も体を守る装甲板も外して(外さないと高高度まであがって行けない)B-29のいる高度一万メートルに飛んで行く。 そして真正面から近づき(後方からだとスピードの差だけで接近するため時間がかかりその間に撃たれるため)交差するや否や反転し、なんと敵機の上に馬乗りになり、プロペラで敵の胴体をかっ捌(さば)いた。板垣さんは一度目は衝撃で機内から放り出され、落下する時に正気に戻りパラシュートを開き助かる。後また特攻する。運のいい事にまた生還する。 「ここに恐怖などというものは一切無かった。特攻の前日、生への未練で泣いた人も中にはいたかもしれない、が多くはそんな事無く果敢に飛び立って行った」と淡々と語った。 評論家の立花隆は、特攻隊の最後の写真を見て、「死にに行くのにこんな清々しい顔など出来ない、これは*ヒロポン をやったためで、戦後この軍にあったヒロボンが市井に流れて民間に中毒者が多くでた」等とまるで軍を悪者扱いして書いているが、馬鹿を言え。ヒロポンは*昭和17年に既に一般に向けて 「覚せい剤」として広告され売りに出ている。 その往時を語る佇まいに感動してしまって、涙が打っている蕎麦に入ってしまい、今年の暮れの年越し蕎麦は少ししょっぱかった。 東京上空で果敢に突っ込んで行った光景を見た人は多い。 除夜の鐘重なるを聞きつつ食す蕎麦飲むモンラッシェ。*飛燕 …< ドイツのメッサシュミットの改良型。エンジン部は高額な契約金を二重に支払って(既に海軍がライセンスを取得しており、ダイムラーベンツ社もそちらから譲って貰うよう忠告してくれたにも拘らず、海軍への対抗意識から独自に契約を結んだ。故障が相次ぎ、稼働率は低かったが高高度には向いていた。川崎重工製。 *ヒロポン …「アサヒグラフ」昭和17年8月26日号に掲載されたヒロポンの広告 頭脳の明晰化 作業能の亢進 疲労除去 睡気一掃 本剤は、未だ曾つて知られざる特異なる中枢神経興奮作用を有する最新の薬剤であって、その服用により、気分爽快・明朗となり、意想の奔流、思考力の増強を来し、同時に体力の昂揚と作業欲の亢進を促す。のみならず、疲労感、倦怠感の防止及び睡気一掃に効果があり、従って非常時に於ける精神的及び肉体的活動には勿論、徹宵、夜間作業等に甚だ好適である。その他乗物酔、宿酔、頭重、憂鬱時等にも奏功し、医界、産業界等各方面に異常なる注目と愛用を喚起しつつある。 参考web … 兵器生活 →2006年の今日のたん譚 →2005年の今日のたん譚 →2003年の今日のたん譚 →2002年の今日のたん譚
2006年12月19日(火)
無防備都市宣言とUFO
* 京都はついこの間、無防備都市宣言(無防備地区宣言) をしてしまった。無抵抗で占領をしてもらうと言うことである。偽善の宣言であり、奴属・屈辱の宣言である。 ジュネーブ諸条約追加第一議定書第五十九条に基づいていると言っているが、過去完全に守られた例などない。守られたとしている所は、戦略的に価値のない所だったりする。 最近、家人と自然災害の際の落ち合う場所、戦時になった場合の避難場所を再確認した。 最悪の、京都に核ミサイルが飛んで来た場合、多分十数分位で飛んで来るだろうから、情報から離れているとだめだが、万一、発射されたと解ったらその時点から十分以内に某寺院の地下深くある百人くらい収容出来る避難壕まで辿り着かねばならない。以前模擬的に歩いてみた。歩いては間に合わない。自転車ならどうにか可能だ。信者でないから行っても入れてくれないかもしれない。 我が家の非難時の食糧はありきたりの物とは違っている。精神的に参っている時に、乾パンなどはのどを通らない。だから装備としては普通食っている玄米と野菜の種と酵母。 玄米は十数年前から試しに置いてみて、どうなるか試してある。これをビニール袋に入れて少量の水を入れ、ウエストバッグに入れてこれに体温を移す。動いている間に膨らみ発芽するのを待つ。これで他に何もなくとも殆ど完全食となる。水は、濾過器とロッシェル塩(海水を真水に変える)を持っている。ヨードも必需品だ。国も都市も助けてくれないのだったら自己防衛しかない。 スイスの民間防衛の本には、一般市民はなにも(武力攻撃)するなと書いてあったが、戦いたければ戦時国際法に則って意思表示すれば問題ない。 無抵抗で手を挙げても、入って来た敵が一般市民や婦女子をそのままにするわけが無い事がわからないのか。敗戦後、米国は日本を占領した時、女を要求した。日本は一般人の婦女子に危害が及ぶ事を恐れて、その道の玄人(娼婦)を募って米国の相手をさせたが、今そんな事を決断出来る政治家がいるか。それでも無防備都市として手をあげるのか。 敵の立場に立てば、日本に宣戦布告してまず無防備都市を占拠する。占拠してくれと宣言までしてくれてるのだから有り難い。ここを拠点に攻撃開始する。ここは他から物理的に攻撃されない都市なので安心して一方的に攻撃出来る。 圧勝である。 その昔、(今また嘘で固めた南京大虐殺の映画が出来たと騒いでいる)支那の首都南京を陥落せしめた、大将松井石根は知支那派であった。攻撃の際も支那の文化財を傷つけては行けないと、何と* 中山陵を傷付けないよう守りながら戦闘している。これがために日本軍は苦戦したと言われる。 支那はこの時気付くべきだった。この中山陵から攻撃していれば勝てたかもしれなかった。 先週だかの週刊新潮に、臭汗金曜日主催の、皇室を誹謗中傷した集会の記事が掲載された。これはここの主催ならその面々からさもありなんと納得したが、同雑誌に「日航機長のUFO遭遇から20年」の記事の方に目が行った。 目撃記事はかなり具体的で細部の描写に圧倒される。最初共同通信が、後に朝日新聞が正式に記事にした。その取材に応じた事で地上勤務となった機長(元戦闘機操縦士)が医者に幻覚だったんだと思えと、言われたと言うような事を書いていた。 日本は良い研究のきっかけがあったにもかかわらず、結局二〇年後の現在も何もされていないのだ。 このまったく慣性の法則に反する動きをする飛行原理が解明出来れば「核」なんて怖くないゾ。ものすごい武器になる。なぜこれを良き刺激として研究をしないのだろうか。 将来「重力」を制す者が世界を制す。絶対零度の世界では成功している。これを常温で行い、それ自体完結(地球の重力から離れて)して、ベクトルの方向に動けたらいい。 何で日本にこれを研究する大学が無いのだ。 今をときめく戦闘機ステルスだって百年一寸前には、* 「この世で空を飛ぶ機材も燃料も存在しない」と科学者どもが高らかに宣言した時点では、あり得ない存在だったのだ。 それをあざ笑うかのようにアメリカの自転車屋を営む兄弟が飛行機を飛ばした事は良く知られている。プロベラに動力を伝えたのは、自転車のチェーンであった。* 中山陵(ちゅうざんりょう)は、孫文(国父と呼ばれている)の陵墓であり、南京の東に位置する紫金山に1926年 - 1929年に建設* 「機械が飛ぶことは科学的に不可能」…サイエンティフィック・アメリカン、ニューヨークチューンズ、ニューヨーク・ヘラルド、アメリカ合衆国陸軍、ジョン・ホプキンス大学の数学と天文学の教授サイモン・ニューコムなど各大学の教授、その他アメリカの科学者 は,ライト兄弟の試みに対し、こう公言した。<訂正>2007・1・21 無防備都市宣言があまりにも考えられないので、電話にて確認、京都府→京都市→消防局→総務課とたらい回しの末、結局「宣言」?であって議会などには通っていない との事であった。少し前に読んだ記事は何だったんだ。確かにそう読めた。 訂正しておきます。何にしてもよかった。→2001年の今日のたん譚:「国家予算と酒の関係」
2006年12月07日(木)
狂言と、冬を感じた夜
今回狂言を観に行こうかどうか少しためらいがあった。 先回の狂言観劇で観世会館でちょっと嫌な思いをした。 どうしようもない馬鹿を見たからである。 二階の特等席でたん譚のための指定席がある。いつも家人とそこの席に座る。(但し、他人様が先に陣取っておられると自動的にその他人様の席になる) 先回いつものように二階の指定席に向かい扉を開けると、いつもと空気が違う。八割がた席が埋まっており我が指定席もすでになく、仕方が無いのでいつもの席の何列か後ろの席におとなしく二人して座った。 ところが何だかざわついて妙な活気がある。やっぱり空気が違うので不思議でたまらず、前に座っているお嬢さんに「今日は何ですか」と聞いたらポンタラ(忘れた)キャリエールとかいう専門学校の授業?の学生達であった。 今時「狂言」鑑賞なんざ見上げた学校だと思ったが甘かった。 始まってからも、ざわざわ五月蝿い。他に目をやると、すでにこっくりこっくり船をこいでいるのがいる。 甚だしいのは男の学生で、こやつは、二階の最前列(たん譚の指定席)にいて、ひょろ長い足を前の手すりに投げ出し、しょっちゅう動いてごそごそする。 狂言はその大半が古語で語られるので、前説を良く聞いておかないと,ほとんどその面白さがわからないだろうに聞いてなかったのかすでに匙を投げて耐えている風なのがよくわかる。真摯に受け入れる気持ち、学ぼうと言う気持ちが端から無い。 途中休憩のときに、こやつは外の休憩場で、「出席したんやからもう帰っていいか」と先生だか引率者に迫って、聞き入れられないとなると後半長い足を無作法に折り畳んで、しばらく静かになったと思ったら、すやすやお眠りになっていた。嫌なら堂々と欠席すれば良い。そうまでして単位がほしいのか。 学校としては、教養として見せたいと思ったのかどうか、そうだとしたら、はっきりいって遅すぎる。子供の頃に見せるのが一番良い。出来たらテレビ的な笑いを知る前に。 たん譚は、小学校の時に学校から観に行って、あまりのおかしさに「瓜盗人」という題名まで覚えていた。この経験が無かったら多分現在金だしてまで行っていない。殆ど言葉遣いなぞ解らなかった筈なのに深く心に残り、後年精神的余裕が出来たときに、ふとあの笑いを思い出し訪れ以後病付きとなった。 今回の曲、「萩大名」に見る馬鹿大名の妙は、テレビの餓鬼相手の馬鹿殿とはちがうのである。 テレビのそれを見て育った子は即物的な笑いしか体得出来ていない。頭を使って考え無くても良いように出来ている。 何で大名は和歌が苦手で太郎冠者に教えてもらうはめになるのか。これは時代を考えないと解らない。昨日までは農民だった奴が武勲を立てて今日大名になる世の中で和歌がはやっており、他家の庭を愛でて和歌を詠むその時、にわかの成り上がりではまず無理である。 三十一文字と言ってみても何の事か解らない。そこでお付きの太郎冠者が脇から、先きに交わした符丁で合図してみても、馬鹿な大名は全て取り違へ、庭の亭主が失笑する、こちらもくすくす笑う。 「人のやる事は今も昔も変わらんなぁ」という事を楽しむのだ。ただのどたばたや即物的な笑いは飽きられる。 で今回の狂言、茂山童司が上手くなっていた。安心してみられた。最後の曲の「* 止動方角」で今回初めて見た、馬役の(終始顔は見えなかったが)馬とは思えないぼさぼさ頭の馬を演じた井口竜也が良かった。妙な存在感があって、もの言わずなのだが何だかそこはかと面白い。 満足して帰ったその深夜三時頃、水を浴びたらとても冷たく今年初めて冬を感じた。そのまま素っ裸で庭に出てしばらく雲ない夜空に青く煌煌と照る月を見ていた。 庭の寒暖計は三度を指していた。人の世は移って行くが、人のやる事は月と同じで変わる事が無い。* 「止動方角(しどうほうがく)」…どう(動)どうと言えば馬はとまり、し(止)・しと言えば馬は動く。なぜか反対の意味になっている。暴れる馬をなだめる時に止動方角止動方角と唱える。