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2006年03月23日(木) 日本の女に絶対出来ない事



 昨日の午後、電話が鳴り家人が出た。「今、犬の散歩の途中、場所は河原町五条の鴨川敷、大変なものを見てしまった」と。
午後四時過ぎ、まぁるい女の白いお尻が二つ、草むらで並んでしゃがんでいる。どうも大か小か用を足しているようなのだ。草むらと言えど、どこからも丸見えなのにも関わらず平然としているという。
電話の彼女は絶対中国人だと断言した。
何かで、在日一世が昔の日本の女は言葉遣いや、立ち居振る舞いがよかった、今は全然駄目と腐しても、白日の下、町なかを流れる鴨川の河原で連れション?する、日本人の女はいまだ出現していないと信じたい。いや絶対無いと断言したい。

 五条の橋の袂には、木屋町に面して公衆便所がある、それに、どうしても仕方なくそうなってしまったと仮定してもなを、二人で連れ添って尻を出すなんて、日本の女は絶対にできないし考える事もできないのではないか。
 これを聞いていて、畜生と同じと軽蔑の感情よりも、可笑しさの方が先に来て、しばらくその光景を想像して笑い転げてしまった。
 
中国に旅行して日本人が一番困るのがトイレである。中国ではトイレにプライバシーなどという概念は存在しない。トイレでしゃがむと隣丸見え、前は次の順番を待つ人が立っている。遮るドアなど無い。二度と行きたくないという人も多い。支那人、ケツを捲る?

→2002年の今日のたん譚









2006年03月18日(土) 存在に喜ぶ



 先週、雨の中、今苦境に立たされているN議員(行動を共にする会主催)の講演会に行って来た。まだ、初公判が3月9日に終わったばかりで、有罪も無罪も決定されていないのに、国会では自民・民主とも「出て行け」という結論が出た。

「出て行け」に反対したのは、平沼赳夫さんと坂田利夫じゃなかった、鈴木宗男だった。平沼さんの態度は尊敬に値する。武士である。このN議員の真価を分かっている数少ない人だろう。世には手のひら返す輩が五万といる。一番唖然としたのは、N議員が収監された後すぐに、産經新聞の文化コラムに「前からうさんくさい人物だと思っていた」と書いた作家だか横文字経営者だかがいる。こういうのが、一番うさん臭い。
 
 産經新聞もその不正額を最初、8億とかなんとか大仰に書いて、知らぬ間に2・3千万と修正していた。さらに減っているようである。ちょっと計算してみたら、不正に渡ったとしたら、その額は年に,サラリーマンの平均年収くらいで、今回のゲストの漫画家、坂本未明も、どうせならもっと馬鹿でかい何百億とかで挙げられて欲しかったと言って会場を笑わせた。
 
その事は置いておいて、予々、日本の特殊部隊は存在するのか,存在するのならどのくらいの実力を備えているのか、皆目見当がつかないでいた。テレビを見ない分、最近の映画は、批評家になれるくらい見ている。よくある特殊部隊の捕虜奪還物語などを見るにつけ、一体日本はどのくらいの実力があるのか知りたかった。

先日も、元航空自衛隊の*佐藤守元中将(06/05/03訂正:大将は幕僚長、中将が海将・陸将だから陸将補は少将)が、自衛隊を使った、北朝鮮からの拉致被害者を奪還する、疑似作戦の講演があったばかりであった。
N議員はきっぱり言った。「少なくとも五カ国語を操る精鋭特殊部隊がいて、詳しくは言えないが日夜訓練に明け暮れている」、そうである。聞いていてとても心強く感じた。
日本の本当のトップガンは、映画、アメリカのトップガン、フランスの主力戦闘機ミラージュのナイト・オブ・ザ・スカイよりも上を行っていると思う。

 N議員のような、しっかりとした歴史観と愛国心(patriotism)を持った政治家は2・3の人を除きほとんど我が国には存在しない。これからも応援して行く。

*防衛大航空工学科卒(第7期)。航空自衛隊に入隊。戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間)。外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、南西航空混成団司令(沖縄)。平成9年退官。軍事評論家。岡崎研究所特別研究員.チャンネル桜コメンテータ。平河総研・専務理事
 自衛隊の階級はごまかしでできていて分かりにくい。この前、アメリカの軍人がインタビューを受けていたが、字幕にははっきりと「大将」と書かれていて簡潔明瞭。佐藤さんの場合は、陸将補だから、*中将(06/05/03
訂正:大将は幕僚長、中将が海将・陸将だから陸将補は少将)になるのか、大将の次。どちらにしても偉い。あえて*中将少将が正しい)と書いた。


*☆訂正の参考書・そのとき自衛隊は戦えるか 井上和彦  扶桑社


→今日の話題との関連たん譚
→2002年の今日のたん譚









2006年03月11日(土) 訴えられて思った事



 三月九日の産經新聞朝刊の何面目かの右半分全面広告は、「最高裁判所」のコマーシャルコピー

「ゆっくりつき合っていこうとおもいます・あなたが参加する裁判員制度、平成二十一年五月までには始まります」
だった。
 去年の秋頃、近所の爺様に訴えられた。懸案は庭の木の事(枝が爺様の離れの庭にかかっている)でたわいもない事だったが、なぜ、簡単にすぐ訴えるのか不思議に思った。この爺様(80歳くらい?)、近所中の人を相手に、訴えたり、ストーカーまがいの事をする常習犯で、近所の老婦人はノイローゼのようになって、家に相談に来た事もあったが、対岸の火事くらいにしか思っていなかった。それが、突然裁判所から呼び出しが来た。今も、調停中である。

 齢(よわい)80を越える歳になると、普通なら孫もいて、好々爺(こうこうや)然として、にこやかに趣味に生きるという印象があるが、この爺様に限ってなぜなんだろうと疑問が湧いたので調べたら、すぐに分かった。若い頃、どうも法科で学んだようだった。それで法律知識を武器に、すぐにあちこち訴える行為に走るのだと合点した。
 新聞のテレビ欄を見ると、何年か前から行列のできる法律相談など、そう言う類いの番組が載っている。民放は見ないので知らないがゴールデンタイムにあるくらいだから人気なのだろう。これらを参考にして、これからこの爺様もどきがどんどん増える。

 アメリカが毎年日本に命令に近い文書『年次改革要望書』を出して来ているのを知っているだろうか。国会議員ならほとんどが知っているというが、なぜか新聞などではあまり読んだ事が無い。ほぼ、日本国政府は言われるまんまに要望どおりにしている。属国と言われる所以である。

 その中でアメリカは、日本の司法制度の改革をして、「遅い裁判を早くしろ」、遅いのは「裁判官や弁護士の人数が少なすぎる」からで、増やせ。「弁護士業務の自由化をしろ」、「陪審員制(日本では裁判員)にしろ」と言っている。日本は言われるまま、2004年4月、アメリカ型の法律家を数多く育てるため、法科大学院を作った。今年から新司法試験が開始され、2010年頃には今の3倍に近い年間3000人の法曹が誕生することになるとホームページにある。

 法律には、ヨーロッパ型とイギリス(アメリカ)型があって、簡単に言うとヨーロッパ型は、ローマ帝国時代の法大全とナポレオン法典の流れなどをくんで、法学者など専門家が体系付けて編纂した、これを「制定法(シヴィル・ロー)」と呼んでいる。
他方、イギリス(アメリカ)型は、過去の裁判の判決例の集積を法とし、「判例法」とか「コモン・ロー」と呼ばれている。当然アメリカはこの、「判例法」をとっているから、裁判にあたって、過去の判例を調べるのに膨大な人員がいる。アメリカの弁護士が異常に多いのはこの辺の事情によるものだ。一つの事務所に何百人も抱えていたりする。
日本は,六法全書を紐解く型の「制定法(シヴィル・ロー)」だったが、上の法科大学院は、「判例法」とか「コモン・ロー」と呼ばれるアメリカ型で、これが毎年何千人と排出されるようになる。過去の判例を調べるだけなら、六法全書を紐解く型 の専門家はいらなくなる。

 個人は、マグドナルドのコーヒーをこぼして火傷したのは、マクドナルドが悪いと気軽に訴え得るようになる。企業相手に何十億もの金を踏んだくる事ができる可能性が出て来た。個人が株をする大半は欲からである。同じ楽して儲けるならこっちがいいぞ。
アメリカは最終的に、日本を訴訟型社会にして有り余る弁護士どもを日本に向けて来る。偏に自国の利益のために。やがて、子供が親を、親が子供を訴える、兄弟が兄弟を訴える、ご近所がご近所を訴える。目出たく日本の美徳「お互い様」は消えてなくなり、がさつなアメリカ型拝金主義の国と成り果てる。
2010年からそれは始まる。



参考文献: 拒否出来ない日本 関岡英之 文芸春秋


→2002年の今日のたん譚









2006年02月27日(月) 今月から過去の同じ日へリンク



 あんまり更新していないのに、しょっちゅう目を通していただいている読み手に。
過去の同日の日記へのリンクを置きました。たん譚更新されていない時、これでも読んでお茶を濁して下さい。その日の過去のたん譚が必ずあるとは限りません。リンクが書かれてない日は過去にもありません。



2003年の今日のたん譚









2006年02月23日(木) これからも読みたい… か?



2/25 補足
よく読んでいただいている人は、頁下まで行かない、らしいので、頁の最後と、すぐ上に↑も置いておきますので、これからも、読んでやろうという奇特な人は上下にあるどちらかの→ボタンを訪れる毎に一押し。









2006年02月20日(月) 親より子が先立つ不孝−上−



 子猫が死んだ。家には親猫とその子猫がいた。子猫と言っても、16年生きた。ずっと17年と思っていたが、数えて見ると16年と数ヶ月だった。親猫は19年生きていて目と耳は見えない聞こえない状態だが元気だ。
 その子猫の方が紀元節の日未明から朝の間、暖かさの残る風呂場の浴槽の蓋の上でつめたくなっていた。一ヶ月くらい前から、ものを全然食べなくなって、あんまりだから動物病院に連れて行った。



病院では、問診書みたいなものをとられた。飼ってられる猫は何人ですかと聞かれる。何のつもりで何人などというのだろう。何匹でいいじゃないか。採血され、結果が出るまで小一時間、待っている間も、犬、猫、モルモットなど、続々と患者?がやってくる。待合室で、足下の寒さが気になりかけた頃、再び診察室に呼ばれた。点滴をしましょうという。その間、吐く息のとても煙草臭い先生が、採血結果の一枚の白い紙を前に、頭から滔々と読み上げ始める。人間ドックのあの、診断結果のものとほとんど同じ内容、β値、γ値 赤血球白血球、ヘマトツリット、ナトリウム・カリウム・クローム…。2、3十分は続いたろうか。

それでどうかと言えば、一等最初に触診をした際の「腎臓が腫れてます」以外の具体的な事は、だらだらとした数値報告からは何も理解出来るものは無かった。
診察後、こちらの都合もいっさい聞かず、「明日も来い」という。人間様の病院だって、「明日はこられますか?」と聞くのが普通である。

何か違うものを感じて、そうそうに引き上げた。以後、医者には行かず、つききりで家で様子を見た。何の病気もしなかった猫が、突然何も口にしなくなって、水ばかり飲んでじっとしている。動物は自己治癒の本能で治しているのだと、ずっとそばにいるとよくわかった。一週間位して持ち直し、赤みの刺身に口を付けたが、戻してしまう。

いつも居る風呂場でじっとしていたが、最後の一週間は風呂場から出て来て,家族の横で寝ていた。玄米の粥を作り、これに溶かした栄養剤を混ぜ、ミキサーで砕き流動食にして一日二度スボイトで食べさせた。体重は半分に減ってしまっていた。背骨と腰の骨が触るとはっきりとわかった。
普通の餌には、口を近づけるが一切食べずに、前足で砂をかぶせる行為をした。
 
この猫は、何度呼んでも、どこにいても呼ぶのが聞こえると必ず「にゃぁ」と返事した。一度など、一体何回返事し続けるか試してみたが、こちらが根負けしてやめるくらい律儀に返事した。
「おい!」「にゃぁ」「元気か」「にゃぁ」「どや、調子?」「にゃぁ」「おまえはほんまに可愛いなぁ」「にゃぁ」「そろそろ寝なよ」「にゃぁ」きりなく返事した。
紀元節の日の、朝五時頃まで一緒にいて、眠るために、風呂場に帰って行った。それが最後となった。家族が見つけたのが午前10時だから、わずか5時間の間に死んだ事になる。最後の最後まで親猫・家族と一緒にいられたのだから猫は幸せだったと思う。     −続く−











2006年02月01日(水) 天皇家の男系という伝統について考える。



 簡単に言うと、ご先祖を辿ると、初代神武天皇に辿り着くという事。なぜ、女系だとだめ(良い悪いの問題ではなく)なのか、図を作ってみた。



独身で終わった女帝は、傍系から猶子(ゆうし、養子 一般の養子とは異なる)を迎え入れたりした。女帝はあくまでも、次の男系が決まるまでの「中継ぎ(ピンチヒッター)」であった。

 男は「種」、女は「畑」と考えると、直感的に理解しやすい。よその畑(朝鮮人・ロシア人を、嫁に迎えても)に、種を植えるとき、同じ種であれば、同じものが出来る。ところが、畑が帝になって、よその種を迎えるとどういうことになるか。植える種(迎える婿)によって、時には、粟(あわ)・時には麦・時には米、となってしまい、到底、*万世一系にはなりえない。この万世一系というのが、日本の皇室の伝統なのである。世界でも例のない、神からの子孫とされている。
信じようと信じまいとそうされてきた。西暦が、キリストさんが生まれた後先を境にしてなっている事と同じで、信じようと信じまいとそうなっているのである。大切にしたい。
ちなみに 男女平等論も関係のない事である。

*万世一系
日本は神の子孫たる天皇家によって、他国のように革命や王朝の断絶を経験することなく統治されてきたとする史観

参考文献
「皇室断絶」        中川八洋 著  ビジネス社
「女性天皇容認論を排す」  八木秀次 著  清流出版
「皇室伝統」       谷沢 永一 著 PHP研究所 




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2006年01月16日(月) 仰天2題(下 -終- )仙人現る !




(後ろの木立の下は深い谷)


  聞けば、仙人はドイツで数年勤めた後、今はエクス(エクサンプロヴァンス 、ここからだと車で時速100kmで走ったとして、二時間はかかる)に居る。そこから、山をたどり歩いて来た!!のだと言う。神戸に家族を持つ人であった。日本に帰る前の最後に一帯を歩いて回っている、帰ったら、この辺の石積みの家や塀などを家の参考にしたいと言った。
 今日はここ、オペデット(Oppedette)に宿を見つけて泊まる予定で、その前に、ここからの眺めが良いので崖をよじのぼって一人眺めていたのだそうだ。
異国の山のど真ん中で出会ったことの奇遇を思いながら、それではお元気でと、別れを告げた後、崖をよじ登り、いい光の状態になるまでカメラを備え待った。



 しばらくすると、ここから見て村右端の断崖絶壁を見下ろす野原に、黒い点が現れた。両手を大きく振っている。さっきの仙人であった。こちらも大きく手を振って答えた。いいなぁ、気ままな旅ここに極まれり。結局、この日は、良い光線に恵まれず、数時間後日の翳りとともに撤退した。

 それから数日後、多くある村の一つ、サン・サトルナンレザプト()の評判のオーベルジュ(宿付レストラン)のレストラン、サンチュベールに昼飯を食べに出かけた。
午後の心地よい日差しの差し込む、リュベロン山が見渡せる眺めの良い窓際の席に案内された。季節はずれのこともあって、窓際の席には隣に英国人の夫婦一組だけであった。そこで、上機嫌で飯を食っていると、伴侶の箸が止まって、 バーをはさんだ表の小さなロビーの方を見ている。ロビーは通りからの光で逆光になって人は影にしか見えない。どうしたと聞くと、今外から入って来た人のシルエットが、数日前オペデットで会った仙人に似ている、いや絶対にそうだと言うので、ロビーに見に行ったらなんと、仙人であった。
「何でここに!!」また言った。 
村は沢山あって、オペデットと直接つながっている村ではない。また別の山系にある。仙人曰く、オペデットを後にして、歩きながら山々に点在する村を眺めていると、向こうの山に、惹かれる村があった、のがここで、予定を変えて来たという。まったく、その奇遇にあらためて驚いた。

 仙人は、チェックインした後、ワイングラスとワインの入ったカラフを手に、ギャルソンにわけを言って、横のテーブルに来た。仙人の話では、オペデットは、断崖絶壁にあるので、水は、村前にある役場からペットボトルを配給してもらうのだそうである。夜はゴーストタウンのようになって、怖かったと言った。
しばし、他国の村のレストランで日本語で楽しく談笑し、別れた。一期一会ではなくて、一期に二度の会であった。不思議極まれり、びっくりの連続だった。









2006年01月03日(火) 初笑い



昨年の各国留学生のトップは、中国であった。中国からの留学生を多く受け入れている、東北の大学の話。

ある時、日本人学生が学生食堂に行ってみたら、中華料理になっていた。









2006年01月01日(日) コマーシャレ




初めて放送メディア(チャンネル桜)に正月三ヶ日限定だが、「哲学の小径ギャラリー」のコマーシャルを出した。半ばしゃれである。この放送局に頑張って欲しいとの思いからの、寒波じゃなかった、カンパである。本来、チャンネル桜の主張などは、NHKの役割であった筈のものである。当のNHKは、あんまりな受信料支払い拒否に、値下げすると言い出した。
頓珍漢ここに極まれり。払わないやつには、スクランブル(画面にフィルターがかかり、金を払うと見られるようになる)をかけるという。
そうすればいい。そうすると金を払ってまで見たいかと人は自問する。
本日見た、チャンネル桜の番組、子供寺子屋は、日本の子供は九・九までだが、インドの子供が、19x19まで習得しているのなら、さらに日本人は、20x20まで覚えようと、子達は、暗唱して披露していた。見ていて思ったが、これはこれですごいのだが、そろばんが少し出来ると、この位は昼飯の前?くらいには出来るのではないか。
そろばんを、面白い遊戯として教えてやる方がいいかもしれないなどと、屠蘇のまわった頭で思った。


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