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2003年02月27日(木) 武士と料理人



 昨日、BSでフランスF2のニュースを見ていたら、フランス、ブルゴーニュのソーリューにあるホテル・レストラン「ラ・コート・ドール」のシェフ、ベルナールロワゾーが自室で猟銃自殺したと言って、レストランガイドや、点数制の是非などを報道していた。
フランス人の料理人は、過去にも名誉と威信をかけて自殺した人が出ている。このニュースを見ていて、すぐに、ヴァテルを思った。

 一・二年前に「宮廷料理人ヴァテール」という英仏合作映画の主人公のあのヴァテル(「ホイップクリーム=クレーム・ド シャンティイ」の発明者と俗に言われている)だ。映画の題名は「宮廷料理人」となっているが、実際は宮廷付でも料理人でもなくて、コンデ公の「食卓係」であった。当時ははっきりと「料理係」と「食卓係」に分かれていた。
コンデ公は ルイ14世の治世下にあって、反旗を翻し、フロンドの乱に加担した。内乱で国王を裏切ったコンデ公は、王の信頼を取り戻したいと願っていた。

 ある時、国王の臣下ローザン公爵から、大公の居城シャンティイ城に国王が3日間滞在する事になると通達がある。威信回復のチャンスが訪れたと考えた公は、莫大な借金(日本円で三兆円とも言われている)をして三日間の宴を開く。それの総合演出を受け持ったのがヴァテルだった。

 彼は最終日、魚の献立で、ブーローニュ港まで当てにしていた魚を探しにやっていたが、それがなかった。コンデ公のお家の断絶かどうかの瀬戸際で、ヴァテルの責任は非情に重かった。
結局魚は間に合わず、公夫人が「ヴァテルは待っている食料が間に合わなかったので自殺した」と言っているように、責任をとって自殺した。当時の価値観から見て、例えヴァテルが自殺しなくても、料理長か主に責任を問われて殺されていただろう。

 今の目で見ると、そんなあほなと思うかも知れないが、ルイ十四世に仕えた財務長官フーケの持つ、ヴォーヴィコント城に招待された王は、その城の美しさに嫉妬して、彼に横領の罪を着せ投獄していたりするのだ。
 
 しかしヴァテルは自殺した。そうして先日、ミシュランの星を、三つから二つに落とした(結局、ロワゾーの早とちりで星は落ちなかった。)ロワゾーも自殺した。日本の武士の所作とも見える。この責任の取り方が結局、世界の公式晩餐会の料理が、フランス料理となった事の一つの元になっているのかもしれない。
日本の料理人でそこまで出来る人がいるのか?

 余談だが因果応報か、ルイ十四世は主治医に、上下全歯を抜かれ、(全ての病気は歯から来るという持論から)そのため噛めず、食物を丸のみにし、ために消化不良となり、そのために肛門をやられ、手術をしたが、垂れ流しに近い状態になり、臭いを消すために、庭に千本のオレンジを植え、祭りにはオレンジジュースを噴水から吹き出させ、臣下はハンケチに動物性の香水をたっぷり振りかけ鼻を覆い、謁見していた。太陽王と言われたルイ十四世も実際の所はこんなものだった。

 参考文献:美食の文化史 ジャン・フランソワ・ルベル(筑摩書房)










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