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ひとりごと〜リターンズ〜
不知火
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2001年09月30日(日)
さらば、2年間の棲家よ


昨夜終電を逃して、うちに泊まった二人がやっと目を覚ましたようだ。
朝一番で起きて帰ると言っていた割には随分ゆっくりだ。

俺は俺で、残った荷物を引越し前夜に徹夜で梱包する予定が、
結局中途半端な準備で止まっていた。

そろそろ動かなくては。
全員がそう思っていたとき。

・・・・なんか玄関で扉を開けてる音がしない?
・・・・そういえば昨夜カギ、かけて寝たっけ・・・?

・・・・。
「まさか!?」
そこにいたのは言うまでもなく俺の両親だった。

何故?
こんなに早く!?
え?8時には来るって言ってた?
8時に家を出るじゃなかったのか???

寝ぼけた頭を右に左にかき回していると、
さっきの二人はそそくさと帰ってしまっていた。
あ、昨夜立て替えたカラオケ代いつ返してくれんだよー。
ま、いっか。そのうちで。(よくない)


引越しの準備が予定より進んでいなかったので大慌てで動き出す俺。
大部分の梱包は終了していたものの、PCや細々したもの、
それにさっきまで最後の宿泊客が使っていた布団も片付けなくてはいけない。

天気予報は雨。
とにかく雨が降るまでに荷物を運び出してしまわなくてはいけない。

俺は出来るだけ急ぎ、残りの準備を済ませた。

全ての荷物を、父親が会社から借りてきたトラックに積み込み、
全員が車に乗り込んで出発した直後、雨は降り始めた。

ラッキーとしか言いようがない。
しかしこの雨では実家にたどり着いてから荷物を下ろすことが出来ないかもしれない。
困ったな。

ところが、実家につく少し手前で雨はやんだ。
おお、やっぱしラッキー!

しかし、雲行きはまだまだ怪しい。
これは急いだ方がいいか??

さらに、全ての荷物を家の中にとりあえず放り込んだ頃、
再びの雨が降り出した。

これはもうラッキーではない。
日頃の行いが良かったとしか言いようがないぞ。

かなり調子のいいことを考えながら家の中での荷物の行き場を考えていたのだが、
どう考えてもPCとステレオの置き場所がない。
この二つは特に自分の部屋におきたいのに・・・・それはどうやら不可能らしい。

うーーーん、どうしたものか・・・・・。
それだけが悩みだ・・・・。

なんていいつつも、片付かない荷物は他にも山のようにあったのだが・・・。



2001年09月29日(土)
卒業

卒業式は予想通りあっという間に終わった。

親しい友人たちは皆3月に卒業してしまった後だったし、
今日の卒業式は知らない人間ばかりだから出なくてもいいかと思っていたぐらいだ。

あ、いや、知ってる人も結構いたか。

以前日記に登場した鎌倉君。
それと昔同じゼミにいた奴が2名ほど。(そいつらは途中でゼミを抜けたのだ)

後、顔は知らないけど、
中国語(再履)の教室で出席取られる時に名前だけ聞いてた人々。(不思議と変な名前が多い教室だった。)


とにかく、卒業式そのものはすぐに終わってしまった。

あー、今日から学生じゃなくなるんだなー。
・・・・実感がない。

とりあえず明日で引越しだし、最後になか房のラーメンでも食っておくか。

ここでもなんだかんだでいつもどおりの食事。
一抹の寂しさは俺の心の中にだけ残し、
結構通った割に、あまり会話しなかった大将は帰り際にいつものように「また待ってます」。

悪ぃ、次いつ来れるかわかんないや。
でもきっと来るから。


夜には既に卒業した友達の中で集まれる奴らが集まってくれ、
久々に飲み会が開かれた。

ノリは以前と同じなのだが、メンバーの集まり方が少ない。
社会人になるのはこういうことかと思うほどに、みんなの休みがあわない。
懐かしく、楽しいけれど、あの頃とは違う。
そんなちょっぴり淋しい盛り上がりの中で、夜はどんどんふけていった。




2001年09月28日(金)
その実力

今日はついに我がサークルの新人がデビューする。
それは誰かと問われれば、
誰あろう、白馬岳で出会った立花君である。

昔はサッカーもやっていたらしいのでそこそこ良い体格をしているし、
リーチがあるのも有利。
しかし、何よりも妙にやる気が入っているのが良い。

山の上にいた時に軽く岩を触らせてみたところ、
思ったよりも怖がらずに登るので、誘いをかけてみたところかなり興味をもったらしい。
それでは、ということで早速の入部を決定し、
今日は手始めに人工壁へと招待してみたわけだ。

初めてのクライミングで一体どれほど登れるものだろうか?

俺はかつて全然登れなかった記憶がある。

しかし、全く始めてやる人間にそんな全く登れないようなコースを勧めて、
果たして次回から続くのだろうか?

常々俺はそう思ってきた。
やはり最初は楽しさを教えてやるべきだ。
簡単なルートを何本か登らせ、次に難しいルートに挑戦させる。
登れなくて、「ちくしょー」っと思わせればこっちのもの。
負けず嫌いは成長するものと相場が決まっている。

昼の1時過ぎ、いつものクライミングジムに集合する。
簡単な登録手続きを済ませて、立花に簡単な説明を施して、
そして、立花の初クライミングが始まった。

彼は、長身クライマーのほとんどがそうであるように、
はじめてであるにもかかわらず予想以上に良く登った。
若干調子に乗りすぎる傾向はあるが、調子に乗せやすいというのはこちらとしては、やりやすい。

・・・初回はこの程度でいいだろう。

そう思って切り上げたのは夜の7時を回っていた。
山名君とその後輩3人もいたため、少人数で来るよりも時間がかかってしまったらしい。

随分と長い時間いたのだが、あっという間だった

ま、よくがんばったから、晩飯ぐらいはご馳走してあげようかね。
・・・・って言ってもカツ丼程度だけどな。

後輩に恵まれなかった俺らは、こういうのに凄く憧れていたんだな。
キムチチーズカツ丼を喰らいながらしみじみと感じた。



2001年09月27日(木)
健康診断

朝一番から健康診断を受けるため、実家へと帰って来た。

本当は昨夜の晩から実家に帰っているつもりだったのだが、
なんとなく面倒くさかったので、今朝になった。

今回健康診断を受けたのは実家の近くの病院。

今年の夏、退院後に診察してもらったら、
腸炎と言う診断が怪しい、といった病院であり、
割と信用できる病院だと思っている。

病院では健康診断の受付は10時までとなっている。
朝7時過ぎに京都を出て、実家に着いたのは9時過ぎ。
「少し余裕を持って」という表現がぴったりな、この到着時間に、
なんとなくニヤッとする俺。

健康診断そのものは、実は思ったよりずっと早く終わった。
病院は混雑していたし、昼過ぎぐらいまでかかると思っていたのだが、
実際には1時間もかからなかったのではないだろうか。

あまりにも早く終わったので、その後実家に泊まる予定だったのを変更。
さっさたと来た道を逆戻りし、京都へと帰還。
よく考えたら明日はごみの日。
引越し準備で出た山のようなゴミ袋を出しておかなければならないのだった。

まぁ、他にも、
残り少ない京都の部屋での時間を満喫しておこうかと思ったことももちろんある。
残り多い日記を一生懸命少しでも多く書こうかと思ったのも、なくはない。(苦)

と言うわけで、やっと日記、半分ぐらいかけたぞー。うおー。



2001年09月26日(水)
疾風怒濤

朝から引越しモード全開。

まず、片付くだけの物を徹底的に片付け、
9時を回った時点で、N○T、○西電力、郵便局に電話してみる。
それぞれ、電話、電気を止め、郵便物の転送をかけてもらうためだ。

その後、10時を回った頃には、
旧バイト先へ電話をいれ、段ボール箱の件について話す。
以前から余ってたらでいいので分けてくれと頼んでいたのだ。
どうやら忙しい時間ではなさそうなので、早速向かう。

会社に入ってみると、最後に遊びに来た数か月前と同じ顔が並んでいた。
むしろ変わっていたのは俺のほうだろう。

皆が俺の髭とサンダルの姿を見て「小汚い」という。
まぁ当然か。

しかし、「そこから好きなだけもってって」と言われたダンボール箱は、
どれもまだ新しいものばかりだった。
本当にいいのだろうか?

「古いダンボールもうなかったのよ」
だから新しいのを持って行けと・・・・?
俺はその好意に甘えることににした。
ていうかよく考えたらこっちから頼んだことなんだから、
好意も何もあつかましいだけなのだが・・・。

ダンボールを家に持ち帰り梱包作業に入ったはいいが、
俺は時間が気になってしょうがなかった。

3時から、大学で学祭実行委員会主催の説明会があるのだ。
うちのサークルでは学祭に参加する意思は全くないのだが、
学祭の間だけではなくその前後を含む2ヶ月間。
つまり10月1日〜11月末までの間、活動するサークルは来い、ということだった。

仕方なく大学の方へ赴いてみたのだが・・・。
時間の無駄だったかもしれない。
よく考えたらうちのサークルは、大学内での活動と言うものがない。
常に外のジムか岩場へ向かうからだ。
そもそも現役会員が少ないわけだし。

今回説明されたのは要するに、
この期間の大学内での施設の借り方とかそういう話だった。
今回が第1回説明会。
2回、3回と全部で4回までの説明会があるらしいが・・・

絶対行かん。

ただ、今年の実行委員会にはなかなか有能な奴がいた。
レジュメを配布する段取りが悪いな・・・無能者め。
内心のそんな辛らつな評価を隠そうともせずに座っていた俺も、
実際の説明が始まって「お?」と思ったものだ。

「ちょっと始まるのが遅くなりましたし、
 皆さんも早く終わらせたいと思っているでしょうから、
 今日は1時間で終わらせます!」

実際、この司会進行の兄ちゃん、50分で終わらせやがった。
たいしたもんだ。
内容はどうあれ、な。


そして、再び俺は家に戻り、たくさんの荷物と格闘するのだった・・・・。




2001年09月25日(火)
恐怖。

先週、久々の人工壁で、そこそこ登ることが出来た。

あ、なんだ、案外身体は覚えてるじゃないか。
これだったら今日は自然の岩行っても大丈夫だね。
なんて考えはやはり甘かった。

仕事が休みの百田君と二人でいつもの裏六甲にある岩場に行った。
百田君は、今月前半仕事が忙しくて休みがほとんどとれず、
そのかわり後半になって急に暇になってきたのだと言う。
今週などは2日に1回ペースで休んでいると言うのだから羨ましい。
もっとも、それらは前半の苦労の上に成り立っているのだが。

ともかく、その百田君とともに久々の自然壁だったのだが・・・・
怖いですね、やっぱり。
人工壁に比べて
「落ちるんじゃないか」
「落ちたら痛いだろうな」
と思う度合いが高い。
もちろんロープはつけて登るので、
死にはしないし、怪我もほとんどしないだろう。

それでも、自然の岩場ではジムに比べて怖いと感じる何かがきっとある。

今日などは、いつもなら難なく登れていたルートも登れなかったりして、
本当に散々な結果だった。

「今日こそは」と意気込んでいたルートに、
挑戦する気も起こらなかったのは仕方ないのかもしれない。

もうすぐうちのサークルでも新人がデビューすることになる。
それなのに俺がこんな情けないことでどうするか。

今年度は残り後半を力一杯クライミングに費やそう。
そんな決意を再び固めてみた。



2001年09月24日(月)
カウントダウン

引越しの日は9月30日。

どうやら実家に帰るまで1週間をきってしまったようだ。
そろそろ引越しの準備をしないと、今週は色々な予定がつまっている。
が、段ボール箱が尽きたのと、なんかやる気がしないので今日は全然すすまなかった。
一応、昨日梱包できたものは、まとめて近所のサークルKに持っていった。
段ボール箱2つと、衣装ケース1つ。
これを3つとも自転車に乗せて運ぶのは至難の業だった。(分けて運べって。)
ダンボール一つをかごの上、もう一つをサドルの上、
そして衣装ケースをその間に乗っけて押していった。

我ながら器用なことをする。

なんて思ったが一度は荷物を落としてしまった。
一生懸命体勢を直して再び歩き出す俺を、
周囲の人はかなり不思議そうな目で見つめている。

通りかかった子供は変な人を見る、そんな視線を隠そうともしない。
確かに、夜中にこんなことしてる奴って、アホでなけりゃ危ない人だなぁ。

そんな自分自身の心の声は聞こえなかったことにして、
コンビニから着払いで実家への宅急便を送った。

残りの荷物を梱包するべき段ボール箱は、
明後日、元・バイト先より頂きにあがる手はずになっている。
せっかくだから挨拶もかねて・・・ということだ。

そんなこんなで、今日はもうとことんのんびり過ごそう。
(昨日も一昨日もそうだったけど)



2001年09月23日(日)
心残り

実家に帰って来たはいいがすることがとことんない。
昨日は1日ほとんど昼寝で過ごしたし、
今日もやはりすることがない。

どうやら家族は皆出かけてしまうらしいし、
わざわざ実家に帰って来てまで留守番することもない。

どうせ一人で過ごすのならさっさと京都の部屋に帰ってゆっくりしよう。

不思議と、近鉄大阪線の実家の最寄駅よりも、
京都市営地下鉄烏丸線に乗った時の方が「帰って来た」と言う気がした。
2年の間に、ここまで感覚が変わってしまったのだな・・・と思う。

京都の自分の部屋で、予想通り実家にいたよりもずっとゆっくり出来た。
狭い部屋だが、その狭さが良いのかもしれない。
自分ひとりがいるのにちょうど良い広さ。
必要なものが少し動けば簡単に届く。
人間広すぎるとかえって落ち着かないものなのかもしれない。

なんてことを言う俺は、もしかしたら器の小さい人間なのかもしれない。

もっと広いスペースがあれば、恐らくそのスペースを管理することに悩む。
狭い部屋だからこそ全体に目が届き、快適に保とうとする気も起こる。
要するに自分にとって掌握できるスペースはこの畳6畳だけだということなのだろう。


夜になって、流石に腹が減ったので、
京都に帰って来たとき、京都を出て行くとき必ず行く近所のラーメン屋
「なか房」を訪れた。

夜9時だというのに店内は満席に近い。
が、実はこの前の木曜日も満席で諦めているので、
今日はたった1席残っていた隅っこの席に強引に入り込んだ。

「トンカツ定食とミニラーメン」
なんとなく面倒なメニューを注文してしまった。
ここのトンカツ、チキンカツはでかいので揚げるのに時間がかかるのだ。

隣のおっちゃんらが店の繁盛具合について話し合っていた。
やはり学生の口コミが原因ではないだろうか・・・という内容だった。

そっかぁ、学生の多い町だからこういう大将の店が繁盛するのかな。

とか思って見てると大将、トンカツを切って見て、また揚げ直している。
をいをい、確かに混んでるけど、慌てなくて良いよー。

出てきたトンカツは予想通りいつもより固かった。
むぅ。

ちょっと残念な思いで勘定を払おうとすると、
大将はいつもの人好きのする笑顔で頭を下げた。

「すんません、トンカツ思ったほど揚がってなかったから2度揚げしてしもた。
 次からこんなことないように気ぃつけます」
俺が見てたことには気が付いていなかったはずだ。
言わなければばれなかったかもしれない。(ばれてたけど)
また、俺はそのことについて何も言うつもりはなかった。

だが、その正直な姿勢と憎めないキャラクターこそが、
1年半前、始めてきた時流行っていなかったこの店に、
固定客がつき始めた要因なのは間違いなかろう。

俺もその1人だ。

最も、顔を見た瞬間に「今日もみそラーメン?」「いつものやつでいい?」
と聞かれる程の最常連客にはとうてい及ばない。
結局そこまでの常連にはなれなかった。

学生が多い町だから、こういう店が流行るのだとしたら、
学生の多い町にはこの大将の一族がどっかで店を出しているのだろうか?

実はこの町を離れる一番の気がかりはこの店に来られなく事だったりする。

1人暮らしはまた、する機会があるだろう。
しばらくは家族と過ごすのもまぁ、しょうがない。
こっちにいる友達にも時々は会えるだろうし、電話やメールで連絡は取れる。

が、この店のラーメンを日常的に食うことが出来るのは、
京都の、しかも今住んでいるこの地域にいる間だけなのだ。

あー、マジで引越しちまうんだなぁ。

なんとなく自分のなかで実感が沸いてきた。

実家に帰ったら、またこんな店を探さなきゃなぁ。
しかしそんな店がそうそう簡単に見つかるはずもない。

ま、そいつを探すのも一つの楽しみにするしかないね。

この店の帰りには、何故かいつも前向きな気分になれる。



2001年09月22日(土)
23歳。

今日は俺の23歳の誕生日。
今回実家に帰って来たのはこのためでもある。
というか、このために帰って来いという命令が下っていたのだが。

何故なら、今回は家族と過ごす最後かもしれない誕生日。
祝ってもらうというのも、嬉しいものだけれど、
親に祝わせて上げるのも思いやりと言うものかもしれない。(生意気)

だが、前回帰宅時に自分の部屋の大掃除を一応済ませてあるので、
今回は昼間とても暇だ。
自分の部屋以外の大掃除もしてやりたい。
はっきり言って、今のこの家の状況に納得できるものでは決してない。
2年間の1人暮らしのお蔭で、常日頃から片付ける癖のついた自分には、
色々と許し難い点が多いのだが・・・・。

だからと言って、自分ひとりでそれが成せるわけでないのもまた事実。
出来るところまで1人でやってもいいのだが・・・・。
また先月末のような大騒ぎはしたくないし、
まして今回はそんな気力は特にない。

9月30日に迫ってきた引越しの準備のため、明日以降忙しくなるであろうに、
今日ぐらいはゆっくりしておこう・・・・
等と思っても誰も俺を責めはしないはずだ。


しかし、23歳になると言うのは自分にとってどういうものなのだろうか?
実はたいして感じるところがなかったりする。
24歳になったら、「あ、あの時のあの人の歳だな」なんて、
バイト先の社員さんの数年前の姿を思い出し、
自分はその頃のその人と比べてどうだろうか?
なんて考えるかもしれないが、
23歳と言う年齢に対して、そういうものはあまりないのだ。

ま、1年経って1つ歳を取った。
ただそれだけですね。


そうそう、余談なんですが、
2日ほど前の9月20日に携帯のCメール(auのcdmaOne同士のメール)に、
「誕生日おめでと♪」
とかいうメールが来ていました。
ここまで書いたらもはや言うまでもないが、
9月20日は俺の誕生日なんかではない。

しかもこのメール、非通知設定で、
(最近のCメール対応機種には番号通知できるものもあるから凄い)
おまけに無記名で先の文章のみ書かれていたのだ。

無記名でCメールを送ってきそうな奴は2名しか思いつかない。
が、二人とも俺の身内なので、誕生日を間違えるはずもない。
(しかも二人とも今日それぞれにメールで「誕生日おめでとう」が来た)

他に誰がいるのだろう?
思い当たらないわけでもないが、まさか、とも思う。

しかしまぁ、無記名でメール送ってくるような人に返事を送る義理もないし、
(まして送ることは不可能だ)
祝ってくれる気持ちは嬉しいが、
間違えた誕生日に無記名でお祝いメールを送るなんてのは、
下手をすれば嫌がらせとも取られかねない。(は言い過ぎか、流石に。)

誰が送ってきたのかわかれば、
「残念、誕生日には2日ほど早かったね」
と教えてあげることも出来たのだが・・・・。

ま、しかし、そういうメールが一通来たと言うだけで、
俺の極めて平和な日常に嵐が吹き荒れたと言うわけでは決してない。

少々謎が残ってしっくりこない気がするが、
はっきり言って影響ないので忘れることにした。

さ、今日から23歳としての1年間の始まりだ〜。



2001年09月21日(金)
成績はっぴょーーーー。

百田君と久々にクライミングジムを訪れました。
約2ヶ月ぶりのクライミングか・・・・。
なんとなく足の捻挫もまだ治ってないし、
今日はリハビリ程度にして控えめに登るかぁ・・・・。

なんて思っていたはずなのに。
気が付いたらいつものテンションで登っている。
いや、久々なだけにテンションはいつもより高いかもしれない。
なんかいつもより、たくさん登っていた気がする。
もちろん、その分簡単なルートを多く選んでいたのは確かだが。

足の捻挫も、普通に歩いている分には痛いけれど、
どうやらクライミングにはそれ程支障をきたさないレベルらしい。


とりあえずそれなりに満足して、今日は実家に帰った。
実家には大学から卒業決定の通知とともに成績表も送られてきていた。
成績表は普通、9月26日に大学に受け取りにいくことになっている。
が、今回は卒業に絡んでくるので、他の人より先に出されたのだろう。

成績表を見てニヤッと笑う。
春学期登録したのは34単位。
うち、20単位取得できれば卒業決定なのだが・・・・
結果は30単位取得。
戦績になおすと、17戦15勝(1不戦敗)となるな。
落とした4単位の内、2単位はさっさと見切りをつけて放棄したものだし、
残り2単位は取れればラッキーぐらいで考えていた。

最悪の計算でも20単位取れる予定だったのだが、
取れないでもいいと思っていたものも60点台で取れていたりして、
ちょっとびっくり。

でもよく考えたら、10単位多く取ってしまったのよね。
と言うことは授業時間にして週5時間。
なんだ、春学期もっと遊べたんじゃないか。
でもまぁ、結構楽しかったし、
大学で勉強するのもこれが最後だと思えば、ま、いっか。

残り半年は、就職先の決まったプータローと言う素敵な身分を過ごせるしね・・・。
(学割がないというのだけは少し惜しいが。)



2001年09月20日(木)
祝!

今日、なんとなく大学へ行きました。
欲しいCDがあったので大学生協へ行くのが目的でした。

・・・・が。
なんとなく気になったので経済学部の掲示板を見て見ました。

すると

「春学期卒業者学籍番号一覧」が張り出されていました。

ドキドキしながら見てみると、そこには俺の学籍番号が!!
よっしゃぁ!!!
ということで

祝・卒業決定です。

長い学生生活でしたが、無事終えることが出来ました。
嬉しくなって、買う予定になかったCDまで買ってしまったし、
生協のリサイクルコーナーに張ってあった

「コンポ譲ります。3000円ぐらいで。取りにこれる人希望」
と書いてあった人のところに電話して、それも衝動買いしてしまった。

もうすぐ引っ越すのに邪魔な荷物を増やして・・・という感じですが、
実家に帰っても今使ってるラジカセ以外に音楽を聞く装置はないので、
ま、ちょうどいいかな、というわけです。

帰ってからは買ったコンポで買ったばかりのCDを聞きながら日記の編集・・・
と言うわけです。

あ〜久々に一人で過ごした(?)。
















2001年09月19日(水)
久々の日常

随分とばたばたした夏だった。
一応夏休みは後10日以上ある。

(というか、私の場合これで卒業(きちんとできたら)なのだから、
 本当はもうずっと休みなのだが。)

と、とにかく。
昨日帰って来た京都は、長野に比べれば確かによっぽど暑かったが、
風の中に秋の涼しさが少し感じられるようになっていた。

夏は十分に満喫したな。
素直にそう思える。
何年ぶりの充足した夏休みだったろうか?
むしろ、今年の夏はこれまでの人生でも最後にして最高に楽しめたかもしれない。

社会人になる前の最後の夏をしっかりと楽しもう。
そんな、妙なプレッシャーにやられていた気もしないではない。
が、結果は大成功だったわけだ。

休みは後10日あるけれども、今年の夏はこれで終了にしてもいいな。


そんなことをボーっと頭に思い浮かべていた。
さて、今日は何をしようか。

夏休みの間、ためにためた日記を書き始めようか。

決断したはいいが体がすぐには動かない。
やはり日記は毎日書くに限る。
その日の感動が薄れないうちに。

よし、今日は夏にあった色々なことを、
その日その日の簡単なメモを参照しながら思い出し、整理する日にしよう。

1日、音楽かなんかを聞きながら、振り返り、反省し、まとめてみよう。

今日までばたばたした日が随分長く続いたから、
今日ぐらいは1人でゆっくり過ごすとしよう。

そんなことを考えていた時。

携帯電話にメールが入った。

「ヒマやし、遊びに来ない?」

まぁ、何をしていたと言うわけでもないし断る理由も特にない。
一度決めたことを簡単に覆すのは好きではない。

「でも、落ち着かないのが俺の日常なのかもしれないな」

30分後には「後で行きます〜」のメールを送っている私だった。



2001年09月18日(火)
続・漂泊編 終章 松本から京都へ

珍しく旅中に寝坊してしまった。

で、松本駅に行き、時刻表を見るが、この時間だと急行、特急ばかり。
今回は学割をもらって来なかったので、乗車券だけを購入し、鈍行で帰ることに。
時刻表によると、10時17分発の中津川行きに乗り、乗り継いでいけば17時半には京都に着きそうだ。

しかし、それまでには1時間以上も暇がある。
どうして過ごしたものか・・・・。

コンビニで立ち読みしたり、うろちょろしているだけでも時間は過ぎるもの。
10時に駅ビルの書店が開いたので、旅のお供に本を2冊買う。

柳美里の「ゴールドラッシュ」と「家族シネマ」だ。
しかし、車内では案外考え事したり、色々するので、読めたのは「家族シネマ」だけだったが・・・。



えぴろーぐ
★こうしてあっちへフラフラの私の夏は一応終わった。
 色々なことがあった夏だった。
 良かった事、悪かったこと、全部含めて思い出だ。
 そして、
 この夏出会った人々の幾人かは思い出に留まるのみではないらしい。
 今後の我が人生においても、関わりを持つことがあるかもしれない。
 たくさんの思い出よりも、実はそれが最も喜ばしい。

 さ。
 とりあえずしばらくはゆっくり過ごしますかね。
 
 いつまで続くことかわかりませんが・・・・。



2001年09月17日(月)
続・漂泊編 第三部Р嫉魁ΑΑδ涼咾茲

下山の日が来た。
昨夜は祝いの酒に参加し、随分飲んだ。
なんだか山の上では酔いが回りやすいという話を信じる気になってきた。
もっとも楽しい酒だったので気分に流されただけなのかもしれないが。

朝食、弁当の準備に向かうが、

「今朝作るのはお前らの弁当なので製作過程を見せる訳にはいかない。御来光でも見てきて」
と厨房を追い出される。
御来光といわれても稜線はガスっていて見えそうもない。
仕方ないのでニュースでも見る。

掃除が終わり全ての準備が整って、出発となる。
下山する時、バイトは大雪渓から下りなくてはいけないが、
今回は居候の特権をいかして白馬頂上〜白馬大池〜栂池ルートで下山することを決定。

稜線に向かって歩いていると、岡谷さんが小屋の前から叫んでいる。

「厨房担当!! 帰って来たモンゴル人!! 居候!! お疲れ様でした!!」
このエール(?)、バイトが下山する時の恒例行事らしい。
前回の下山時はヘリで下ろされたために、俺だけはなかったというわけだ。

「ありがとうございましたぁぁぁ!!!」
思わず元気な声で返しながら、

俺はこのために戻ってきたのかもしれない。
何度目かにそう思った。

稜線は歩きやすく、天気も良く、快適なトレッキングだった。
途中で開けたお弁当も、なかなか手が込んでいて面白かった。

栂池からはロープウェーで下山。
さて、京都までどうやって帰ろう・・・。

とりあえず今日は松本まで、かな。



2001年09月16日(日)
続・漂泊編 第三部祭り

祭りである。
何故祭りと言われるのかは知らないがとにかく祭りなのである。
トイレの底に雨具と長靴を着込んで潜り込み、
溜まっている糞尿をスコップ等で掻き出して外に流しだすのだ。
最後に、「祭壇」と呼ばれる場所に集められた糞は、乾くまで放置され、燃やされるのだと言う。

感想か?
臭かったのはもちろん臭かったが、
思ったほどではなかった・・・というのが素直なところだ。

が、終わったあとの昼食がカレーライスってぇのはなかなかナイスな趣向だと思う。
いや、悪趣味って・・・そういうこと言わない。
伝統なんだから・・・。

午後は妙に清々しい天気の中、明日の下山ルートを考え始める。

明日は何が何でも下山するぞ・・・。



2001年09月15日(土)
続・漂泊編 第三部ツ詐綫箏

長澤さんたちと頂上へ行った。
日本海側の景色が非常に綺麗で、その美しさたるや、
6回の夏を白馬ですごした長澤さんをして、始めて、と云わしめる程のものだった。

さて、そろそろ下山を考える時期かもしれない。
今回は、特に帰らなくてはならない予定はないのだが、
明日辺りには帰ろうと考えていた。

が・・・・。
なんだか、明日「祭り」というものがあるらしい。

「せっかくだからやってけば?人生観変わるよ?」
と言われ、明日下山の予定を明後日に。

さて・・・祭りってなんじゃい??



2001年09月14日(金)
続・漂泊編 第三部け降って・・・

今日は下山していた支配者と岡谷さんが上山してくる予定だった。
が、悪天のため延期になったらしい。

雨が降ったらすることもないので、休憩室でゴロゴロしていた。

お昼ごはんはカレーうどん。
一昨日のカレーライスといい、大量に食える美味しいものが多く、なんだか太ってきたような気がする。
ここは、居心地が良くて食事が美味しいので山の上なのに体重が増えるのだけが悩みの種だ。






2001年09月13日(木)
続・漂泊編 第三部杓子岳、旭岳

バイトは白馬岳頂上から丸山の稜線までしか行ってはいけない。
これは、以前怪我人がでた故に決められたルールらしい。
小屋からは遠くに杓子岳、鑓ヶ岳などが綺麗に見える。
特に、杓子岳などすぐにでもいけそうな距離にあるのに、行ってはいけないと言う。

バイトの時から行きたくてしょうがなかった。

が、今回の俺はただの居候。
バイトではないので大手を振って出かけることが出来るのだ。

杓子岳は見た目どおり近く、1時間とかからずに到着。
天気もよく、剱岳、槍ヶ岳、穂高岳、大キレットなどが良く眺望できた。

午後には主稜線から外れたところにある旭岳という山に行った。
こちらはマイナーなやまだが、人があまりいない分気持ちがいい。
少し涼しすぎたが、なかなか快適な午後が過ごせたというものだ。



2001年09月12日(水)
続・漂泊編 第三部大雪渓再び

約1ヶ月ぶりの白馬岳だ。
あの時とは違い、今回は猿倉から歩く・・・予定だったのだが、
猿倉にて源三さんたちと出合ったため、白馬尻荘まで車で乗っけてもらえた。
車中、アメリカで起こったテロ事件の話を聞き驚く。
事件が起こった時間、俺は急行の中にいたのでニュースなど見てるはずもなかったのだ。

白馬尻荘は解体の真っ最中だった。
乗せてもらったお礼に手伝おうと思ったのだが、特に必要ではないらしく断られた。

そして、再び白馬大雪渓を登ることになる。
以前登ったのが7月の終わりだったので、俺にとっては一ヵ月半振りの大雪渓だ。
流石にあの頃と比べると、雪もかなり減っている。
登り終えて、「大雪渓ってこんなに短かったっけ?」と思うほどだ。(短くなってるんだって)

そして・・・。
小屋に到着。
バイトも随分減っていたが、何人かはまだいた。
山の上でもテロ事件のことで話題は持ちきりだった。

というか・・・
下界と隔離されてる分余計にニュースが気になるのかもしれない。

ともあれ、今日からはバイトではなく居候生活が始まる。



2001年09月11日(火)
続・漂泊編 第ニ部B翩一過 第三部,修靴討泙拭急行ちくま

昨日、微妙にそれたとは言え、台風の影響は大きかった。
あちこちで電車が止まったり、飛行機が止まったりと大変だったが・・・・

それもまぁ過ぎてしまった話。
まさしく台風一過というもので、今日はとてつもなく良い天気だ。

さっそく洗濯をすませコインランドリーで乾燥。
他にも部屋の片付けなど、雑事を済ませていよいよ出発。。。は夜か。

ま、とにかくこれで準備完了だ。
今度の目的には8月にバイトした山小屋だから荷物はあんましいらないんだよな。

第二部 京都編 終了

第三部 白馬再び編 


夜、この夏3度目になる急行ちくまにのり、白馬目指して出発する。
夏にバイトした小屋へもう一度・・・。

あの小屋で居心地が良かったのもひとつだし、
中途半端な状態で下山せざるを得なかったのもひとつの要因だ。

ともかく、もう一度、俺はあの山へ登る。
って、まぁそれは明日の朝の話だけど・・・。




2001年09月10日(月)
続・漂泊編 第ニ部◆[磴砲茲辰謄蕁璽瓮鷁阿気



京都に帰ってきたら近所のラーメン屋さんに行く。
それが俺の中のルールになっていた今日この頃。

大体雨が降ってて昼間外出できなかったんだから、夕方にはそれぐらいの贅沢は許されるはずだ。

このラーメンを食って、それでやっと京都に帰って来た気がするんだから。

台風は微妙にそれたらしいが、しかし洗濯などはまだ出来てない。
これは、明日には意地でもやらなくてはならんな。

ていうか、明日の晩からまた出発するぞ!!!



2001年09月09日(日)
「続・漂泊編」 第ニ部 ゝ⇒

「続・漂泊編」 第二部 京都編

続・漂泊編とかいいながら全然漂泊してません。
京都ですもんね。

ていうか、ここらへんからちょっと省略気味になりそうです。
今これを入力しているのは12月17日午前2時半。
が、9月のこの辺から、手元にあるノートには2〜3行しかメモられてない。
流石に覚えている範囲でしかかけないので・・・・

ご了承願う。


で、京都に帰って来た俺。
どうやら台風は俺が帰ってきてから本格的に接近しつつあるらしい。
つくづく早く下山してきてよかったな・・と思う。

台風接近中にもかかわらず、雨具などの洗濯物を干してみるが。。。当然乾かなかった。

むぅ。

しかし今日は疲れのあまり、昼間(ていうか朝か)からよく眠れたわ・・・・。



2001年09月08日(土)
「続・漂泊編」 第一部ァ〃弉菠儿

この日の行程:常念小屋CS〜松本駅
 天  気 :晴れ

朝、キャンプ許可証を返しに常念小屋を訪れると、
支配人らしき人から

「もう一泊していかない?」
と声を掛けられる。が、俺は今日出発の意思を伝える。

「バイトもう1人いんだけど・・・(必要なんだけどの意味)」
なるほど、俺に残ってバイトして行けと・・・?
日当7000円?
むぅ・・・白馬岳より高いじゃないか!
ってそんなことではなく。
どうも、昨日の堀金君とのやりとりが気に入られたのか?
それとも水を分けてもらったときのリアクション(むっちゃ感謝の意を体全体で表現した俺)がよかったのか、
いや、そもそも水を分けてくれたのがそのための布石だったのか。
昨夜声を掛けてくれていれば、もしかしたら俺は残ったかもしれない。

が、今朝の快晴を見てからでは今日下山しないわけには行かない。
朝起きた瞬間にそう決めてしまったのだから。

申し出は嬉しいが、やはり今日下山する。
その意を伝えて俺は出発した。

今山行最後のピーク、常念岳を早朝にアタックし、後は下山のみとなった。
常念岳の頂上からは、穂高、大キレット、槍、大天井岳と、
今までたどってきたルートが一望でき、最終日に相応しい景色が見渡せた。

長くダルイみちをダラダラと、しかし力強く下りていく俺。
登ってくる人に、つい「今日何曜日でしたっけ」聞いてしまう俺。
「縦走してきたの?」「何処回ってきたの?」
聞かれて答える時の妙に誇らしげな俺の声。
そして、三叉で下山。
全てが最終日に相応しく完璧だった。

どうやら今回は何事もなく下山できたようだ。

下山後、街中までの道をとぼとぼ歩いていると、謎のおばちゃんが声を掛けてくれた。
なんかキノコ取りに山の麓まで来たけれど、もうすぐ帰るらしい。
街まで車で送ってくれるというので、ありがたく乗せてもらった。

風呂に入りたい・・・そんな話をしていたら、見えてきたのは「ほりでい湯」という温泉。
そこで降ろしてもらい、5日ぶりの風呂に入る。

体重計で自分の体重を量ると何キロか減っている。
荷物の重さを量ると・・・・26キロ・・・?
え?26キロ?
ポリタン、MAXにしたら水4.5リットル入るから30.5キロ・・・・。
更に消費した食糧があるから・・・31キロ以上、いやもっと確実に荷物重かったって事か・・・?

そりゃ、足に靴擦れできるわ、肩にザックずれできるわ、捻挫も酷くなるわ・・・。
こんな状態で、もう一回縦走なんてちょっと辞めといたほうがいいかもしれないな。

と、思いながら京都方面に電話してみると・・・。

え?秋田出身の大学生梓ちゃんが京都に遊びに来てるって???


・・・・。

ふぅ、じゃ、丁度、この後の予定を考え直してたところだし、
一旦京都に帰りますかね。


そう心に決めて駅へ向かって歩いていると、また別の人が声を掛けてくれる。
え?松本駅まで送ってくれるって?
らっきー♪

ていうか、午後3時ごろには松本に着きそうなんだが。。。。
それから午前1時の急行ちくままでどうやって時間を潰そう??


続・漂泊編 第一部 北ア縦走編 終了




2001年09月07日(金)
「続・漂泊編」 第一部ぁ ̄震燭僚于颪

この日の行程:西岳ヒュッテCS〜常念小屋CS
 天  気 : 雨

西岳ヒュッテCSでテントを張っていた俺。
結局昨日西岳に辿り着いた頃には雨、俺の疲労も限界近かった。
そして今日も朝から微妙な天気。
台風が近づいているという情報もありほとんど動く気になれない。

が、しかし動かないわけにはいかない。
なんと、隣にテントを張っていた人が出発したからだ。
他にテントはなく、俺だけが出発できないというのは悔しくてしょうがない。
また、単に悔しさばかりではなく、台風はまだ今日は来ない、という情報も入ったからだ。
少しでも今日のうちに先に進んでおいた方が良い。
そういう冷静な判断に基づく。

しかし少し出発が遅れたことなどもあったので、
今日は最悪の場合は予定を変更して大天荘までにしようか、とも考えた。
が、大天井岳に辿り着いたのが案外早かったので、そのプランを打ち消す。

もっとも、大天井岳で下降路を間違えた時は昨日よりも恐怖を感じたが・・・。

大天井岳から常念小屋CSまではトボトボと一定のペースで、しかし休まず3時間、歩き続ける。
はっきり言って雨が体温を奪うため休憩したくなかったんだ。

やがて、辿り着いた常念小屋。
雨ですっかり手がかじかんでいる俺にキャンプ届をかけというフロントの小僧。

しかし、こんなところで敗北を認めてたまるかという意味不明のプライドで書き尽くす。
書かなくてもいいサークル名まで。

そして・・・・奇跡は起こった。

「え?こんなサークルあったんですか!?」
クライミングをやるサークルなんてうち以外にないだろうな、あの大学には。
どうやらこいつも同じ大学らしい。

「入りますか?」
「入ります!ていうか今入りました!!!」

こういう威勢のいい阿呆は大好きだ。
俺だけでなく、他のメンバーたちもこういうキャラは歓迎するだろう。
早速住所と電話番号を交換し、俺はテントに帰る。

その後、1100円、と今までより随分安い水を買いに行った時、

「ああ、水?そこから勝手に持っていって」

セルフサービスか。
と思って、水を入れ終わった後300円払おうとしたら、

「ただでいいよ」
と言ってくれた。
これも彼の差し金だろうか?
なんて嬉しい気遣いだろう。
山の中で水に勝るプレゼントはありえないかもしれない。

彼の名は堀金君(仮名)。
今後活躍してくれることを切に祈る。


夕方、テントの中で暖まっていたら、
隣のテントの大学生パーティらしき人々が外に出てはしゃいでいる。

「雨やみかけてる!夕焼け見えてるで!虹でてる虹!!」

夕焼けに虹か・・・。
明日はどうやら晴れるかな・・・・。





2001年09月06日(木)
「続・漂泊編」 第一部 夢にまで見た槍ヶ岳

この日の行程:南岳小屋CS〜西岳小屋CS
 天  気 :晴れ 後 雨

寒さで目が覚めた。
昨日、テントの張り方が悪くて朝随分寒い思いをしたので、
今度はかなり気をつけて張っておいた。
それなのに寒さで目が覚める。
これはどういうことかと外を見たらテントの外側が凍っている。
これは・・・きちんと張らなかったらこの程度ではすまなかったということか・・・。

しかし、気温は低かったものの、天気は非常に良かった。
後にも先にも、これが最高の快晴だった。

南岳、中岳、大喰岳、と順調に通り過ぎ、ついに夢にまで見た槍ヶ岳に到達した。

大学4年間(と半年)登る機会は何度かあり、その度に何事かがあり中止になっていた。
一度は他の仲間が「槍ヶ岳登ったぜ!」と俺に自慢する夢までみた、槍ヶ岳。

やっと・・・そこに到達することが出来た。
今回、前半の天気が悪かったため、カメラのフィルムはほとんど消費されていなかった。
が、今日に限って運命的なド快晴だったので、ここぞとばかりに撮りまくった。

ゆえに、今回撮った写真の大半は「槍を撮ったもの」もしくは「槍から撮ったもの」になっている。

もう・・・これで大学生としての山登りをきちんと終えることが出来た・・・。
半ばそんな気持ちになっていたが、しっかりと打ち消す。

それではいかん。
下山するまでが登山なんだ、さっさと次に向かって進まないと。

とりあえず今日の宿泊先は西岳ヒュッテキャンプサイト。
槍から下りた途端、天気が崩れ出して、俺もばて始めたけど・・・大丈夫だよな?





2001年09月05日(水)
「続・漂泊編」 第一部◆‖腑レット越え

この日の行程:穂高岳山荘CS〜南岳小屋CS
 天  気 :曇り 一時 ガス

昨日は始めて使うテントの設営に慣れていなかったため、しこたま寒かった。
朝一番で起きてけったくそ悪い山荘を出発したら、先ずは最初の核心、
涸沢岳からの下りに差し掛かった。
今山行最大の核心は今日通過することになる大キレットなのだが・・・。
実際にはこの朝一番の涸沢岳の下りの方がつらかった。

朝一番ということ、大荷物を背負うことを体がまだ完全には思い出していないこと、
そして昨日の雨が少し残っていて、岩が濡れていたことなどが原因だ。

はっきり言って怖かった。
厳密には違うのだけれど、
崖の様なところに鎖やはしごをかけて、そこを降りていく姿を想像してもらいたい。
俺は鎖のかかっているところ(鎖場っていいます)を下るのは嫌いじゃない。
鎖を使わずに普通に岩を持って下りればいいからだ。

が、はしごの箇所はそうはいかない。
なにがなんでもはしごを下りていかなくてはならないからだ。

俺がそうやって人知れずビビりながら、しかし着実に下っていると、
上から昨日の声で「このおーおぞらに、つばさをひろーげー♪」
・・・また飛ぶんかい!と突っ込みを入れたくなるような歌が聞こえてきた。

元気だなぁ・・・と思っていると、その声がピタッと止まる。
どうやらくだりに差し掛かったらしい。
奴らもビビッているんだな・・・と思うとニヤッとしてしまう。


北穂高岳頂上を通過して、ついに核心部の大キレットに到着する。
ここは今日の核心であるというだけでなく、
今山行一、危険な場所とされているところだ。
自然、気合が入ってくる。。。

が、実際には思ったほど危険ではなく、むしろだらだらと長く、だれてくる方が問題だった。

なんだ、たいしたことねーじゃん。
と思っていると、救助隊らしい人が谷に向かってロープをたらして何かやっている。
どうやら滑落した人がいるらしい。

やっぱり危険箇所には違いないんだ。
改めて気を引き締めながら先に進む。

今日の宿泊先は大キレットを越えた先にある南岳小屋のキャンプサイト。
なんだかここまで北だけで今回の山行は半分終わったような気分になる。
ここでは昨日より水が高かったが、支配人らしき人がいい人だったので気にならなかった。



2001年09月04日(火)
「続・漂泊編」 第一部 ‐硝椒織シーあいのり。

この日の行程:松本〜上高地〜穂高岳山荘CS
 天  気 :曇り 一時 雨

さてさて、昨夜急行ちくまに乗った俺は、朝には無事松本駅に到着した。
松本駅から電車で乗り換えて・・・・

と考えていると、駅の外からホームに向かって声をかけてくるおっちゃんあり。

「もう切符買っちゃいましたか?」
まだだ。

「上高地まで行くんならタクシーあいのり料金で3000円になりますけどどうですか?」
本当は15000円かかるところを、5人全員乗れば3000円なので、その料金でどうか、というのだ。
相手はどうやら松本タクシーのドライバー。
上高地からの帰りの客を本来の目当てにしているため、上高地までは客がゼロでも行く。
だから、もし俺1人でもあいのり料金の3000円で行ってくれるというのだ。

ちなみに、電車で行った場合は2800円ぐらい(だったと思う。)。
ほんの少し高くつくが、時間的にはタクシーの方が圧倒的に早いし、
俺なりに考えるところがあったので、この話、あっさり受けた。


数分待つったが、結局乗るのは俺1人らしい。
まぁ天気もあまり良いわけではなかったから・・・当然かな。

タクシーに乗った俺は、運転手さんに積極的に話しかけ、情報収集に力を入れる。
天気の様子、他の登山客の様子、何故そんなに安くできるのか。

そしてもっと重要なことは、

「この辺でこの時間(午前5時半頃)にあいているスーパーか、野菜売っているコンビにはありませんか?」
かなり無茶苦茶を言っているのは自分でもわかっている。
が、電車の中で野菜を買い忘れたことに気付いた俺には死活問題なのだ。
少しでも可能性にかけなくてどうする。

「ないと思いますし・・・コンビニに野菜は売ってないと思うんですが・・・」
といいつつも、途中にあるコンビに一軒一軒に泊まってくれる。
3000円固定だというのにサービス満点だ。

最悪の事態に備えて、最初のコンビニでソーセージだけは多めに買っておいた。
野菜が手に入らなくてもこれだけでなんとか食いつなごう・・・。(米、茶、カレールーはある。)

と思っていたら上高地に向かう最後のコンビニで人参、ジャガイモ、玉ねぎを発見!!
嬉しくなってつい、必要以上の量を買ってしまった。
この重荷が後で自分を苦しめるとも知らず・・・。


上高地からは岳沢ルートを使う。
普通、穂高岳へ行く人はだいたい、横尾谷から涸沢岳を経由していく。
そちらの方が楽だからだ。
岳沢ルートは勾配が急で、しかも一日で3000m以上まで高度を上げてしまうのであまり使われない。
が、なんか敢えてそっちを選んでしまった俺。

かなりだるくしんどかった。
が、前穂高岳で大学生っぽいパーティを追い抜いた時には、
「何時間ぐらいでここまで来ました?」
「6時間ぐらいかな?」
大した時間でもないのだが驚く彼ら。
優越感バリバリの瞬間。
見たか、単独行の身軽さを。
その後、後ろから彼らが歌う、「空もとべーるはずー♪」という声が聞こえてきた・・・。(←伏線:笑)

奥穂高岳では、どうしても今山行最高地点での証拠写真が欲しかったため、
誰かにシャッターを押してもらいたかったのだが。。。。周りに誰もいない。
天気悪いから早く先に進みたいけど・・・・ここは待つか。
ほどなく、奥穂高岳直前で抜いた西洋人っぽい人と、日本人女性のカップル(?)が到着。
記念写真を撮ろうとしていたので、
「シャッター押しましょうか?」
親切そうな顔で出て行ったのは言うまでもない。

今日の泊まりは穂高岳山荘でテントを張る。
夕食には例のコンビニで買った野菜を使ったカレーライス・・・だが。。。。

久々の山での調理、いろはがなってない。
不味い・・・。

穂高岳山荘のバイトも愛想がわるくていけない。
あまり良くない思い出の地となりそうだ。



2001年09月03日(月)
本日出発

本日夜、上高地に向かって出発する。

これ以降の分の日記は、
「続・漂泊編〜 第一部〜第三部」
で構成される予定。

いつ更新されるかは、とことん未定。

夏は短いんだ。



という予告を残して旅立っていた俺だった。
一応もうちょっとだけ日記っぽくした奴をどうぞ。


なんとか準備も終わり、出発の時間が近づいてきた。
昨夜夜を徹して準備できたのかと言われると当然そんなことは不可能。
今朝起きてからやったのがほとんどだ。

ともあれ、出発直前の景気付けに近所のラーメン屋へも行ったし、準備は万端!

・・・・短時間でやったからなにか抜かりがありそうで心配だが。。。。
(後にこの心配が正解であったと証明される。)


夜10時11分。
京都駅にて急行ちくま自由席に乗り込む。

ここで今後の計画について簡単に説明しよう。


電車、バスを乗り継ぎ、上高地へ至る。
上高地より、穂高岳〜槍ヶ岳〜大天井岳〜常念岳を縦走し、下山。

ここまでで大体5〜9日。
その後、長野県内で2日ほど休息したら、
今度は再び白馬岳の山小屋へ。
ここで数日過ごしたら、白馬三山〜唐松岳〜五竜岳〜鹿島槍ヶ岳〜爺ヶ岳と縦走する予定。

帰宅するのは遅くても9月の22日。
俺の誕生日までには帰ってこられるだろう。


さて。。。。予定通り行くかな・・・・?







2001年09月02日(日)
予定は未定・2


天気、曇りのち雨

朝、何故か友人宅にて目覚めた。
あ、間違えた。

朝、何故か友人宅にて眠りについた。
昨夜は3人がかりで徹夜で色々と話していたので眠れなかったのだ。

・・・今日。。。こそは・・・・山行準備をしなけれ・・・ば・・・

あまりにも眠いので仮眠をとって行くことに。


当然の如く昼まで寝てしまい、それからまたみんなで雑談。

夜にはやっと帰宅することが出来たのでした。

なんかこれから準備する気が起きねーが・・・。
いやいや、そういうわけにもいかない。
明日のこの時間には電車に乗ってなくてはいけないのだから・・・・。

夜を徹してでも準備するんだ!!




2001年09月01日(土)
予定は未定・1

天気 曇り 

朝から書店、山道具屋、スーパー等を回っていた。
明後日の夜から山へ出発する為の準備だ。

地図を買って、ガスカートリッジなどの必要な装備を買い、食糧を買い込む。
スーパーへ向かう直前に友人から電話が入る。

ああ、いつものか。

俺は基本的に自分で決めた予定に対して忠実である。
よっぽどのことがない限り、当日に予定の変更はありえない。
だから突然誘われても以前からの予定があれば、大体あっさり断る。
それがわかっているからか、気兼ねなく誘ってきてくれる。

今日も準備が忙しかったため、遊ぶ予定はなかった。

準備を全部片付けてから、余った時間で遊ぶつもりだった。

「もうひとり来るけど?」

・・・・・。
よっぽどのことがあったため予定変更。
久々に珍しい奴と遊べそうだ。
後のことは後でなんとかなるだろう。

・・・・いいのか、これで?