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ひとりごと〜リターンズ〜
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2001年08月31日(金)
「夏の漂泊編」 第4部 M喞山

天気 曇り後雨

ニセコの温泉宿を出て、バスは小樽へと向かう。
小樽では今回唯一にして最後の自由行動が待っている。

が、そんなことはどうでもいい。

俺がバスの車中でずっと気になっていたのは羊蹄山だ。
日本百名山の一つ、なんてのはどうでもいい。
百名山なんてのは深田某が勝手に作ったものだ。
百名山なんて自分の登った山、登りたい山から百選んでそれぞれが作ればいい。

しかし、彼の深田某がこの羊蹄山を百名山に加えたのは分からなくもない。

バスから非常に近く見えるというのに、その存在感。

これは・・・昨日のトレッキングはこちらでやった方が良かったんじゃないのか?

思わず呟いてしまうほどにいい光景だった。
しかも、行程の関係上、バスは何度もその前を通過した。

畜生・・・いつか必ず登ってやる。
もはや小樽自由行動などは完璧に頭から去っていた。

そう、俺の頭の中は既に山モードに切り替わっていたのだ。
今日帰宅したら早速次の山行の計画を煮詰めていこう。
既に計画は半ば以上出来上がっているんだ。

後は・・・・準備を進めるだけ。
8月はもう終わる。
山の上では秋山と言われてもおかしくない季節になってくる。

それでも、

俺の夏はまだ終わっちゃいない。
まだ、もう少しやることがあるんだ!
学生時代最後の夏に!!!

第4部 北の大地で思うこと 完



2001年08月30日(木)
「夏の漂泊編」 第4部 ▲肇譽奪ング

天気 曇り

今日の主な行事はトレッキング。
いわゆる簡単な山歩きみたいなもんだ。
それをこの内定者のメンバー約30人でやるという。

コースとしては約3時間で回れるところを6時間ほどかけて、
様々なゲームやなんかを織り交ぜて歩くことになる。
当然だが、俺にとっては物足りないぐらいの歩きだった。

「君には余裕でしょ?」
履歴書に「趣味・山登り」等と書いていたのだから採用担当の方は当然知っている。

もちろん余裕です。
大体山に登る時はもっと色々な荷物を持ってるし・・・やめた。
ここでこういうことを説明しても仕方がないよね。

今日は滅多に出来ないトレッキングを楽しもうじゃないか。
こういう場面になると人の性格というのは割りと顕著に現れるものだ。
子供のようにはしゃぐ者。
なかなか輪に入りきれない人。
見るからに面倒そうな顔をしている奴。

だが、もっとそれぞれのキャラクターが浮き彫りになる場面が設けられた。
夜である。

夜にはそれぞれ3〜4人程度の部屋で就寝するのだが、
この日は2つほどの部屋にそれぞれ10〜20人ずつの人間が集まり宴会(?)を催した。
盛り上がっていく部屋の中で、

こいつらが同期になるんだなぁ。
でも一緒の職場で働くことはほとんどないんだろうなぁ。
なんか凄そうなやつは、あいつとあいつとあいつと・・・・。

ついつい物色してしまう自分がいた。
でもきっと、そういうためにこういう場はあるんじゃないだろうか?
にぎやかなまま、夜はふけていった。



2001年08月29日(水)
「夏の漂泊編」 第4部 )未惱犬

天気 曇り

俺のいた山は見えね-かなー。
朝5時に起きたというのに飛行機のなかで眠ろうともせずに、俺はひたすら景色を見ていた。
関西からの内定者は4人。
ひとりは既に知っている加宮君(仮名)だが、後の2人は現地ではじめて合流することになっている。
一体どんなやつなのだろうか。
期待は膨らむばかりである。
そいつらも、こうやって景色を見ているのだろうか?
それとも、加宮君のように夢の中(本人談)にいるのだろうか?

いずれにせよ、まだ見ぬ東京の内定者や、北海道内定者と合流する前に少しでも仲良くなっておきたい。
別に地方で集まるつもりはないのだが、地方独特のノリというものは存在する。
関西人のノリに、関東や札幌の人がそう簡単に着いてこられるだろうか?

・・・着いてこられなかった。
予想通り、関西のメンバーと初対面で打ち解けられたほどには、
他メンバーとはすぐ仲良くなれたわけではなかった。

無論、関東や北海道にも色々な人はいる。
始めは少し、距離感を感じてしまうだけだろう。

そう信じて、明日、明後日と少しでも親睦を深めていかなければ。

本社が存在する、この北海道という土地で・・・。



2001年08月28日(火)
「夏の漂泊編」 第3部 Φ都観光

天気 晴れ

昨夜、友人宅で遊んでいると電話があった。
山小屋でバイトしてるとき一緒だった秋田の大学生梓ちゃんからだった。

「今京都にいるんですけど・・・」

はよ言え!

夕方までに京都についていたんなら、もっと早く連絡すればもっと遊べたのに!
というわけで、今日は梓の京都観光に付き合うことになった。

等持院、龍安寺、三十三間堂。
これだけで1日が費やせるのだから不思議な連中だと思ってくれて結構。

主に等寺院でボーっとしたり、龍安寺でセミの声を聞いたり、
三十三間堂で千手観音を可能な限り一体一体ゆっくり眺めてみたり。

ある意味とても有意義に観光したかもしれない。
色々なところを短時間で回るよりも一箇所に時間をかけて楽しむのもいいね。

結局、夕方から秋田に帰ることなど当然の如く不可能なので(だって青春18切符だもん)、
梓は俺の友達の家に泊まり、朝一番で出発することになった。

俺は俺で朝一番で出発し、明日からは内定者会で北海道に行くことになっている。

関西に帰ってきたからゆっくりするかなーと思ったけれど、
結局お茶の間を楽しんだのは、
 実に束の間だったという駄洒落のような落ちで終わってしまった。(お粗末)

第3部 束の間のお茶の間編 了




2001年08月27日(月)
「夏の漂泊編」 第3部 シ搬單渡

天気 晴れ

久々に京都の街中で遊んだ。
山での生活、病院での生活、実家での生活。
ま、本当の意味でゆっくりした場所って言うのが実はなかった。
病院ではゆっくり出来すぎて、早く出たいって気持ちばかり焦っていたから。
この1ヶ月で伸ばした髭を友達に見せびらかしながら、
カラオケとか、漫画喫茶とか、本当に街中にいる人間らしい遊びを堪能した。

でもよく考えたら・・・下界にいてもこれらを楽しむことは珍しいんだけどね。

そして、ふと、携帯ショップに足が向いた。
やたらキップのいいお姉さんが呼び込みをやっていて、
「かなり安くしてくれる」らしいのだ。

面白い、どれぐらい安くしてもらえるか聞いてみよう。
こっちはこれでも使ってる携帯会社の直営店で、煮え切らない対応ばかりされてむかついてるんだ。

「ここ今月一杯でつぶれるんでギリギリまで値引きしますよ。」

おお・・・・いっちまいやがった・・・・。

しかし、いいのか?
ここまでしてもらって、店員さん、あなたは大丈夫なの?

そう思ってしまうほどに安くしてもらえた。
あまり大きな声では云えない様な裏ワザを大放出して、とことん値引きしてくれた。

「好き勝手やらせてもらわれへんかったらここにおる意味ないわ。」

仲間内でそんなことを話しているのさえ聞こえた。

嗚呼、もしかして半ばやけくそですか?
それともあなたは日頃からそうなんですか?

でも、ま、いいや。
とにかくこっちは安くで機種変更させてもらったんだから。

「その機種ね。」
ん?
「特に問題ないんですけど、ひとつだけ。」
はいはい?
「ちょっとハムスターがうっとおしいかも」
確かに待ちうけ画面、その他の画面で常にハムスターが登場するが・・・

「全然OKです。」
ともかくカラーで16和音になったんだ!
もうそれだけで云うことはねぇ!!!



2001年08月26日(日)
「夏の漂泊編」 第3部 ど饌罎郎討啜都へ

天気 晴れ

京都に帰る前にすることが一つだけあった。
地元の病院に行って診てもらうことだ。

なんとなく、ちょっとだけ不安だったのだ。
多分今は治っていると思う。

が、この間の病気が再び起こることはないのだろうか?
治ったというのも完全なのだろうか?

不安要素は取り除いておいた方がよい。
休日でも診察してもらえることを確認して、近所の私立総合病院に行ってみた。

簡単にその時の状況を説明すると、
先生は「腸炎」ではなく「けいしつ炎(漢字がわからん)」ではないかという。

ただ、まぁ治療方法は腸炎と同じであるし、現在症状が出ていなければ特に問題はない。
どうしても不安だったら、今度は前の病院での診断書をもってくれば、
きちんとした検査の日程を組んであげても良い。(診断書は後日前の病院から家に送られてくる予定。)
との言葉を頂き、とりあえず安心して京都にもどることにした。


山に持っていっていた荷物と、今回衝動買いした服たち、
それらを持って髭を生やしてサンダルで電車に乗っている俺。
なんかやたら注目されてるような気がしたのはきっと自意識過剰というものだろう。

京都の部屋にたどり着いて、やっと帰って来た、落ち着いた、という気がした。

しかし、まだ不十分だ。

荷物を置いて、すぐさま俺はいつものラーメン屋「なか房」へと向かった。
京都に帰ってきたら、まずあれを食べないと!


★日記はしばし待ってください。★

書けたら書きます。
(こんなこという奴はしばらく書かない。)

ていうか、手元にあるルーズリーフには各日に会った出来事がメモられています。

とりあえず、8月分の日記は、
「夏の漂泊編第1部〜4部」で校正される予定です。

9月は「続・漂泊編(未定)」になるかもしれないしならないかもしれない。


忘れたわけではないのだよ。
とだけは言っておこう””


と、以前書いていたところまでとりあえず追いついた♪
もったいないし面白いからこの予告みたいな文章も残しておこう。



2001年08月25日(土)
「夏の漂泊編」 第3部 H親

天気 晴れ

昨夜は、部屋の片付けのことで随分親と争った。
あまりにもムカついたので徹夜で済ませて、朝一番で帰ろうか、何てことも真剣に考えた。

が、ここでそんな大人気ないことをしても仕方がない。
どうせ1ヶ月ちょっとしたら再びここに住む事になるわけだし、
その時には出て行くところなどないのだから。
(もっとも今の俺なら家を出ても何とかして生きていく妙な自信はあるが)

どちらにせよ、中途半端は気に入らないので、
夜のうちに納得の行くところまでは掃除を済ませた。

かなり妥協もしたが、見た目には非常に綺麗になっている。

そもそも、京都の下宿に生活に必要なものが全部あるのに、
今実家の部屋がこんなに散らかっているのがおかしいのだ。
ここにあるものは全部捨てても良いぐらいだ。

何故って今まで2年近くも必要としてこなかったものなんだから。


そんな内容のことを呟いたり、叫んだり、うめいたりしながら掃除は終了した。
その頃には東の空が明るくなっていたような気もする。

が、ともかく終了したのだ。
そして、今日は疲れ果ててゴロゴロして過ごしてしまった。

昨日の反動としかいいようがない。

気が付けば1日過ぎてしまったな・・・・という感じだった。
だが、一応やることはやってからなので、心からゆっくりできた。
昨日の親との喧嘩は引きずっていなくもないが、
自分自身で区切りがついたので、そっちの満足感の方がおおきかった。

さて、明日には京都に戻るか・・・・。
今度はあっちの部屋ですることがいくつかあったはずだよなぁ・・・。



2001年08月24日(金)
「夏の漂泊編」 第3部 激闘の果てに

天気 晴れ

寝坊した。
いけない、こんなに遅くまで・・・・
そう思って時計を見たらまだ6時半だった。

6時半で寝坊・・・・。

山小屋では4時半から働いていた。
病院では6時には皆おきており、酷い時には朝5時半から採血があったりもした。

その癖がついたのか、昨夜結構夜更かししたのに6時半に目覚めてしまった。

まぁ起きちまったものは仕方がない。
まずは今日する予定だったことをひとつずつ片付けていこう。

最初は盆にしそこなった、墓参り。
そういえば、3年前山で病気になった時も帰ってきてから墓参りしたっけ。
もしかして盆にきちんと墓参りをしないから山で大変なことになるのか?

実家の近所のお墓から帰ってきたら今度は部屋の掃除を始めた。
携帯電話の会社に電話したりもしたいのだが、
残念ながらその手の電話は10時からしか受け付けてくれないらしい。

難航を極めた掃除の合間に電話してみると、
どうやら直営のお店まで滞納分のお金を納めに行かないと使えないままらしい。
なんて不便な話なんだろう・・・・。

掃除しながら母親と捨てるもの、残すもので険悪な雰囲気になりかけていたので、
(注:掃除していたのは俺1人だ!!)
気分転換も兼ねて携帯電話のお店に赴く。

さっさとお金を払って、ついでに機種変更のことを詳しく聞く。
安かったら変えようとも思っていたのだが、いまいち話が通じない。
新入社員か・・・?
なんか店員の方が全然分かっていないようなので、
更にいらいらしながら家へと向かう。

帰り道にとてつもなく安い服屋があったので、
この間のバイト代でついつい衝動買い。

・・・・たくさん買ったな・・・・。
思わぬストレス解消になったが、俺は自分にそんな面があったことを少し驚いた。

もちろん、掃除は途中だったので、帰ればまたストレスは溜まるに違いない。
大体なんで俺は自分で散らかしてもいないものを片付けなくちゃいけないんだ?

俺の部屋、なんでこんなに汚れてるんだよー!!!



2001年08月23日(木)
「夏の漂泊編」 第2部 退院 / 第3部 ゝ宅

天気 曇り

朝から俺はいつになくはしゃいだ気分だった。
もうすぐ家に帰られる。
いや、むしろ病院から出ることができると言うことが嬉しくて仕方なかった。

同時に、本当ならまだ山の上でバイトしている期間だったのに・・・
山上にいたのならば、実家に帰らなければならないことを、
こんな風に喜んだりはせず、むしろ渋っていたに違いない。
と思うところがなくもなかったが、
それはそれで仕方ない。

ともかく、もうすぐ自由になれるのだ。

母親は午前中に迎いにくるといっていた。
「昼食はいりませんので」
にこやかに看護婦に告げる俺。

だが、昼前になって看護婦から受けた報告は気持ちを一気に暗くした。

母親は電車が遅れたため、現在名古屋にいる、ということらしい。

結局予定より3時間ほど遅れて母は到着した。
近鉄電車が遅れたために、新幹線に乗り遅れたらしい。
実際退院できる日程より1日遅れていただけに、
俺にはその理由が随分と不当なものに感じられた。

しかし、それでもこの病院から退院できると言う事実には変わりはなく、
この際何でもいいから早く帰りたい、という気持ちが勝った。

退院の準備をテキパキとすばやく済ませ、
手続きを終えた母親を追い立てるようにして歩き、駅に来ていた電車に乗り込む。
調度1時間数本の電車が来たところだった。

ほとんど逃げるように、俺は自分の入院していた病院のあるO町から出て行ったのだった。

第2部 O町某病院編 了


第3部 束の間のお茶の間編

O町から実家への道のりは長かった。
それでも、母親と一緒だったため、日頃決して乗らない新幹線にも乗り、
荷物も随分少なかったのだが・・・・長かった。

長い道のりを経て、ついにたどり着いたのは大阪府は某市の我が実家である。

家ではまた、当然のように起きて待っていた父親がいた。

なんとなく、家族に心配もかけたし、数日は実家でゆっくりしようかな・・・と思う。
しかし、退屈続きの生活をしていた俺にとって、
帰って来た家ではすることがあまりにも多かった。

部屋の片付け、
盆にしそこなった墓参り、
止められた携帯の復活。

すべきことをリストアップし、
親父が持ち帰っていてくれた荷物を片付け、
それだけで夜は随分とふけていた・・・・。



2001年08月22日(水)
「夏の漂泊編」 第2部 退院前日

天気 雨

昨夜はなかなか寝付かれなかった。
頂上宿舎でのこと、クライミングのこと、色々なことを考えていたら眠れなくなった。
そんなわけでほんの少し寝不足だったのだが、
看護婦さんには「よく眠れました♪」と答えていたのは言うまでもないことだ。

朝食から全粥食になった。
牛乳と納豆がついてきて、やっと朝食らしくなってきたってもんだ。
俺にはやはりこの2つのどっちかがないと朝を迎えた気がしない。
それが両方出てきたのだから・・・
その嬉しさといったら言葉では表現しにくいぐらいだ。(大袈裟か。)
こうやって食事が進化していくにつれて、
自分も健康に近づいていく気がする。
と言うか本人は既に健康のつもりなのだが。

昨日購入した「エイジ」を読み終わったので、更に売店へ向かう。
どうもよさげな本がなかったので、
少しだけ気になった、藤原伊織「雪が降る」を購入。
退院が近いので短編集がよいかな・・・・と思ったわけだ。

夕食からは待望の(待ちに待ったぜ7日間!!)常食。
米の飯だ、米の飯!!
気分はいよいよ退院モードに入って来た。
テレビカードも予定通り夜7時半でピッタリと使いきれたし・・・

後は帰るだけだな、おい?



2001年08月21日(火)
「夏の漂泊編」 第2部 ι村式榮

天気 曇り→雨

午前、ついに点滴が外れた。
今まで四六時中ついていて、夜寝返りも満足にうてやしない。
そんな思いも今日限りなのだ。
多分最初は、夜だけはずして昼間も抗生剤のみ点滴したり、
そういうことになると思っていたのだが、

「いえ、これで完全に終わりです。」
あら、なんとなく拍子抜け。
でも、外れてくれるならそれに越したことはない。
はっきり言っておなかの痛みももうほとんど全くなくなっているのだ。
後は退院するのみだ。

隣の人も朝一番から意気揚揚と退院していく。
いいなぁ。
でも俺も明後日で退院だ。
それに今日からは本当に自由に動けるんだ。
もう、点滴台(でいいのか?名前?)のゴロゴロ言う音が五月蝿ぇとか言いながら、
あの台を手で持ち上げて歩いたりしないでいいんだ。
(よっぽど力有り余ってたんだな。)

昼食からは7分粥になった。
だんだんと普通の食事に近づいてきたことが嬉しくてしょうがない。
おもゆから三分粥、五分粥、7分粥・・・・。
俺は7分粥=普通の粥で、十分になると普通の飯が出るものと思い込んでいた。
時々そういう勘違いをする人はいるようで、
実は全粥食と言うのものも存在する。
その次がやっと常食と言うわけだ。

常食がやっと近づいてきたと思ったら、実はまだ1ランク残っていた。
少し残念だったが、それでも常食を口にする瞬間は確実に近づいている。
いつしかそれが2番目の楽しみになってきた。
(無論1番は外に出て走り回ることである。)

そうそう、午前中でついに「何故人を殺してはいけないか」を読み終わる。
点滴が外れた嬉しさのあまり、売店に走っていき、
本コーナーを眺める。
何故か唯川恵の「恋人たちの誤算」を購入。
かわいこぶってるとかいうな!そういう気分だったんだ!

読んでるうちに、病室を変わってくれないかと、看護婦から打診された。
現在俺がいる4Fは外科の病室。
外科の患者が多くて入りきらないため、
退院間近の患者は空き室の多い、整形、脳外科病棟へ移動させられているらしい。
とくに俺のほうで断る理由もないので承知する。

移動後は整形外科の病室(ここも本当は脳外科の病室なのだが)で、
向いの人を除いた全員。
つまり4人部屋で3人までが外科から回されてきた患者だった。

向の野村(仮名)さんは白馬岳の下のほうにある猿倉というところから、
車で100m程の高さを転落して腰骨を折ったタクシードライバー。
歩くことは当然出来ず、はじめは脳にも障害があったらしいが、そちらは今は平気。
むしろ命あっただけでも幸運な人だと本当に思う。

斜め向の平林さん(仮名)はよく喋るおじさん。
聞いてもいないのに「後10年生きられたらいい」とかなんとか。
この人は人の素性についても随分根掘り葉掘り聞きたがる。
別にそういうの、話したくない訳ではないのだけれど、
あんまり色々聞かれるのはちょっと疲れるかな。

隣の藤村氏(仮名)はなんか子供っぽい人。
たぶん社会人で、奥さん、子供もいるのだけれど、
暇があったら漫画にテレビにゲームボーイにクロスワードパズル。
おまけに机の上にはお菓子が並び、珈琲牛乳なんかもよく飲んでいる。
でも愛嬌があり、看護婦さんとも仲のよい、なんか不思議な人だった。

そうそう、夕方には「恋人たちの誤算」読了。

さらに売店に走り、重松清「エイジ」購入。
読んでるうちに、外は暗くなっていた。



2001年08月20日(月)
「夏の漂泊編」 第2部 ジ舞いの人たち(2)

天気 曇り

大型の台風11号が近づいている。
そういえば今日下山する奴らが結構多かったはずだ。
彼らは無事に降りてこられるんだろうか?
山田君の話によると、桃城や仲村は下山後見舞いに来てくれるらしいのだが。

午前の回診によって、水曜日には退院できるとのこと。
水曜日と言うと・・・・2日後。
もうすぐじゃないっすか!?

が、家に電話してみたところ木曜日にしてくれと・・・。

なんで?
俺は退院できるようになってから、こんなところに更に1日余分にいなきゃいけないんすか?
金はある。(←バイト代)
荷物は親父が持って帰ってくれたので少ない。
支払い自分で済ませて、そんで自力で帰ってみせる。
っていってもダメだった。
どうしても迎いに来たいらしい。
そのために1日退院を遅らせるなんて・・・エゴだよ、それは!(アム○大尉)

等と愚痴ってみても詮無いこと。
点滴ももうすぐ外れるらしいし、そうすれば風呂にだって入られる。
何故か俺のところにだけ昼食が来なかった以外にはとくにトラブルもなかった。
(もちろん後で持ってきてもらったが、明らかに電子レンジで暖めた熱さだった。)

夕方頃、見る見る外の天気が微妙になっていくのを眺めていると、
病室の入り口から騒がしい奴らが入って来た。

桃城、仲村、水谷、意外なことに島村さん(仮名)や福岡さん(仮名)の姿もあった。
今日降りてきたのは野郎3名、女人2名のバイトと、従業員の江坂さん(仮名)の計6名だったらしい。

「台風来る前でよかったなぁ」
「いやー、本当それが心配で慌てて降りて来たんすよ。」

一応病室であることはわかっているらしく、小声で話す様気をつけているらしい。
が、小声で話していてもなんとなくにぎやかな雰囲気のする連中だ。

「後、これ食べてください」

なんとなく誇らしげに、一応5人の中ではリーダー格の桃城が果物の箱を置く。
なんか凄く高そうだ。

「5000円ぐらいしたんですよ。」

・・・・そこで値段言うかな・・・・。
ていうことは、1人1000円。
奮発してくれたんだなぁ。

「そこらへんのスーパーで買ったんですけど、ちゃんと値切りましたよ。」

桃城・・・・スーパーで値切るなよ・・・・
なんでそんな大阪人の見本みたいなことをしてるんだ・・・・。

今は流動食からやっと三分粥食に代わった所なので食えない。
が、数日後には退院だからその後で頂く。
そんな話をしていると、今日の夕食が運ばれてきた。

五分粥食。
すこしずつ粥がご飯に近づいていく。

「三分から五分になったんだ、よかったね」

そういいながら、食事の邪魔になるといけないからと5人は去っていった。
なんだかんだで嬉しいもんだね、お見舞いは。

桃城とか仲村とか、関西にいて比較的近所のお前ら!
退院したらいつか飯でもおごってやる!
覚悟してろよ!!



2001年08月19日(日)
「夏の漂泊編」 第2部 じ舞いの人たち(1)

天気 晴れ

午前中、退屈に慣れてきた俺はボーっと過ごしていた。
本を読んだり、テレビを眺めたり、廊下を歩く人を眺めたり。
その時も本を読んでいる目をちらっと廊下の方へ向けたところ、
なんだか見覚えのある姿が病室の前を通り過ぎていった。

・・・・山田君?
見舞いに来てくれたのだろうか?
しかし、何故通り過ぎる?
退屈のあまり、都合のよいように見間違えたのだろうか?

程なく、彼は俺の病室に入って来た。
間違いない、山田君だ。
いつものさわやかな笑顔で、目的の場所を発見できた歓びを表現している。
どうやらすぐに俺の病室を発見できなかったらしい。

そして缶詰らしきものを渡してくれる。
まだ点滴が取れず、お茶しか出ていないことを告げると残念そうな顔を見せてくれる。
本当に素直な奴だ。

山田君からは色々な話を聞いた。
俺が下山してからの3日間で、色々と面白いことがあったらしい。
17日夜の飲み会で倒れる人続出。
酒豪で名高い梓ちゃんまでも吐き気止めの点滴をうたれたとか。
他にも宴会芸で脱ぎだす男が続出したとか、
山田君は昨日見舞いにくるつもりだったけど、
2日酔いの為下山が午後になり、こられなかったとか。

あー、山の上は楽しそうだなぁ。
そんな3日間だったらあっという間だったろうに。
俺は病院に来てから既に1週間ぐらい過ごした気分だ。
山田君が帰ったあと、そんな考えが頭をよぎったのだった。

が、いつまでも退屈退屈言っていても仕方がないので、
そろそろ病院内を探検することに決めた。

とりあえず売店に行ってみよう。
思ったより色々なものが売られていて、昔の病院の売店と言うよりは、
小さなコンビにと言う雰囲気を漂わせている。

本の類に目移りするのだが、よく考えたら持ってきた本をまだ読みきっていない。
小浜逸郎著「何故人を殺してはいけないか」。
下界で読もうとして、なかなか読めなくて。
山に持っていけば読めるかと思ったけど、山の上では読む気もしなかった。
せっかくだから病院で読もうと決めていたのだった。

とりあえず本は後回しにして、コップ、はし、箸箱を買ってみた。
箸と箸箱は別売り。
どれもサイズは一緒だったのだが、買ってから箸を箱に入れてみると箸が妙にちっちゃい。
おいおい、どうなってんだ?
ま、いいけど。

因みに食事は2食ごとにレベルアップしていく。
夕食お茶→朝食お茶→昼食流動食 といった具合に。
昨日お茶が出たと言うことは今日には食事が出るはずなのだ。

・・・・ん?
待てよ?
その計算で行くと、今日の夕食は・・・・。
そう、出てきたものは流動食だった。
いつもの通り丁寧な文字で俺の名前と「流動食」と書いた紙片とともに、
なんか食事っぽい器たちが並んでいる。

あけてみると、当然の如く全部液状。
今日のメニューはおもゆ、具のないおすまし、お茶、ホットミルク、トマトジュース、などである。
最も固形に近いものがトマトジュースという不思議な話だった。

結局、箸、出番なし。




2001年08月18日(土)
「夏の漂泊編」 第2部 B犇を飼いならせ

天気 晴れ

退屈な日々が続く。
俺は退屈が苦手だ。
休日だって、夏休みだって何か予定が入っていないと落ち着かない。
何かすべきこと、できることがあるのにやらないのはもったいないと感じる。
が、病院ではそういうものがなにもない。
しいて言うなら「身体を早く治すこと」なのだろうが、
そのためには「退屈に耐えること」が必要になってくる。
しばらくはこいつが苦痛だった。

が、しかし。
よく考えたら昔は俺は退屈しない子供だった。
みんな子供の頃はそうなのかもしれないが、
本もテレビもなくても、空想に思いを馳せるだけで時間を過ごすことが出来た。

大人になると言うことは想像力を失うことなのか?
いや、ただ忘れているだけなのだ。

そして俺は、この退屈を飼いならす努力をしてみた。
要するに、日がな一日ボー---っっとしていたのだ。

ぼーっと過ごすのも今日で随分なれて来た。
なれると結構楽なものだ。
「オール読み物」を片っ端から全部読むのも平行して進めていたが、
やはり読み慣れないものを読むのは疲れる。
好きな作家もいればそうでない作家もおり、それも全部読もうとするのだから。


ふと、思い出した。
そういえば今日あたり山田君が下山する日だ。
彼は元気にやっているのだろうか?

いや、きっと元気だろう。
ただ無事に降りられたかどうか、それだけが心配だ。
なんだか数日しか経っていないのに、もう小屋が懐かしい。

なんてことを考えていた時。
ナースからのコールが入る。

「家に電話してください。」
家からナースステーションに電話が入ったらしい。
が、病院の規則として患者に電話を取り次ぐことは出来ないらしい。

しぶしぶとテレホンカードで実家に電話をしてみると、
母親が、
「昨日受け取ってきたあんたの給料病室に置き忘れてないか?」

昨日再び病室に戻ってきた時に預かってきてくれた給料だが、
病院で持っていても仕方がないのでもって帰ってもらうことにした。
が、どうやら持って帰るのを忘れたらしい。

こちらは午前中に既に気付いていたので、病院内のATMを使って既に預けておいた。

なんだか妙に疲れた気持ちでいるとうとうとしてしまった。

目がさめると目の前にお茶が置いてあった。

丁寧な文字で俺の名前とともに
「番茶」
と書かれた小さな紙片とお茶が一つおいてあった。

そういえば今日の昼食からお茶が出るとか出ないとか・・・・。
しかし「番茶」って・・・・。

久々に飲んだ番茶は・・・・やはり番茶の味だった。



2001年08月17日(金)
「夏の漂泊編」 第2部 退屈

天気 快晴

退屈だ。
とことん退屈だ。

昨日来た両親は朝から白馬村の方へ行ってしまった。
公社の方に挨拶して、ついでに俺の給料を受け取ってくるためだ。

今日も今日とて引き続き絶飲絶食、点滴生活。
飯は食えねぇは、水も飲めねぇは、自由に動き回れないので、
トイレ行くのもめんどくせえは。

畜生、腹の痛みが大分ましになってきて、
しかもなまじ頭が働くだけに退屈この上ないぜ。
昼間っからテレビとか見てみたけど特に面白くともなんともねーし。

うがぁ・・・・せめて食事ぐらい始まってくれないか!?


と、身体全体で退屈を表現していたら
それが目にとまったのか、向かいのベッドの中島さん(仮名)が、

「これ、もう隅から隅まで読んじまったからやるよ。」
と言って「オール読物」をくださった。
直木賞作家特集?
そういえばこういう系の雑誌ってあまり読んだことがなかった。
また、あまり買う気もしていなかったので、ちょうど良い。

せっかくだから暇つぶしに読んでみるか。



2001年08月16日(木)
「夏の漂泊編」 第1部 吋悒蝓/ 第2部 ‘院

天気 引き続き悔しいぐらいの快晴

朝一番で医大の消化器系専門の先生が帰って来た。
今までの先生や、医大生の話を聞き、
その後で俺の腹を触ってみて

「虫垂炎でほぼ間違いないでしょう。下山ですね。」
と判断を下した。

この診断しだいで俺を下山させるべきかどうかが決まることになっていたらしい。
診断後、支配人が現れ、俺を下山させることが決まった旨を伝えに来た。
下山には県警のヘリを使わせていただけることになった。
むしろ、救助隊も今夏ほとんど出動の機会がなかったらしく、無料で飛んでくれた。
通常はヘリが1度飛ぶと100万円ぐらいするといわれている。

ある程度は歩けるのでヘリが到着したら乗り込むまでは自分の足で行った。
医大の先生と、医大生1人が付き添ってくれ、ヘリは飛び立った。
荷物はバイトの皆がまとめてくれたらしい。

抜けるような青空の中やってきたヘリに向かって俺は点滴をもってもらって走って行った。

宿舎のバイト、従業員、全ての人が見守る中、ヘリは再び飛び立った。

「また上っておいでね」
バイトの誰かがそういってくれたのが耳に残った。
ああ、覚えてろよ。
いつか必ず、しかも近いうちに帰ってくるからな!

第1部 白馬岳山小屋バイト編 完


第2部 O町某病院編

ヘリで約10分、救急車で約5分の行程。
そして病院に入ってから。

俺はヘリに駆け込んだ人間でだったのが嘘のように病人らしく扱われた。
ヘリに乗った時、景色見たさのあまり、

「寝てるより、座ってた方が楽です」
等と口にしてみたのだが、シートベルトをおなかのあたりに締めるわけにも行かず、
結局横にされ、その後は一歩も動かせてもらえなかった。

O町某病院では、レントゲン、採決、エコーなどの結果、俺の病気は「腸炎」と診断された。ただ、「診察はいまいち曖昧」なのだそうだ。
一番炎症のきつかった時期は抗生剤の点滴で過ぎている・・・というのが理由らしい。

絶飲絶食の上抗生剤の点滴で治るだろう、ということらしい。
手術を想定して個室まで用意されていたのだが、

「手術ないので大部屋の方がいいですか?」
そう問われて個室がいいなどと言えるはずもない。
経済的な事情も考えたうえで大部屋(4人部屋)へ移してもらうことにした。

公社の広田さん(仮名)が見舞いに来てくださった。

「何か欲しい物はないか」と尋ねられて、
どうしようもなく暇だったので、思わず「新聞」と答えていた。
しかもせっかくだから地元紙が読みたいとかわけのわからないリクエストをしてしまった。
数分後、広田氏は信濃毎日新聞とテレビ用のカードをもって帰って来た。
感謝の言葉もない。

夕方には両親もやってきた。
俺が案外元気そうな顔をしているのでかなり安心したようだ。
お約束どおりみかんやなんかを持ってきてくれたようだが、
当然食べることは出来ない。

病院内で泊まることは出来ないので、両親は車の中で眠ることにしたようだ。

あ〜、一体どれぐらい入院してなきゃいけねーんだろう。



2001年08月15日(水)
「夏の漂泊編」 第1部 杏駄召蓮 

天気 悔しいぐらいの快晴

あー、畜生、時間が長いぜ。
俺は今朝からずっと横になったままだ。
いや、昨日診療所に行ってからずっとだからもっと長いか。

ともかく昨夜、診療所には先生はおらず、医大生に診察してもらった。
熱が38.5℃で腹痛が激しい。
これは風邪から来る炎症ではないかと診断された。
喉の痛みはうったえていないのだが、どうやら喉も晴れていたらしい。

夜、暗くなった部屋で寝ている俺の周りで、
仲村や立花が頭の下の氷を変えてくれたり、
水分補給にとポカリを持ってきてくれたりテキパキと動いてくれていた。

彼らが余りよく動くので、手持ちぶたさで、
しかし心配そうに遠くから様子を見てくれている山田や梓の姿も見えた。

「仕事の方は気にしないでしっかり治して」
そう言ってくれてるのは大東さんの声だった。
皆には本当に迷惑をかけたし、申し訳なかったと思う。

が、今朝になって多少熱が下がって(それでも37℃)、
周りの皆が朝の仕事に向かうと、
朝4時に起きる癖がついてしまった自分は大変な寂しさを感じた。
皆が働いている時に働けないのがこんなに淋しくて苦痛なものだとは。
おまけに外は悔しいぐらいの晴天。

ああ、畜生〜。

その後、このきちんとした医療設備のそろっていない山小屋で、
俺の病名はどんどん変化していった。

まず疑われたのは盲腸。
だが、触診、問診を繰り返すうちに、

「(患部のあたりに手を当てて)押した時と話した時とどっちが痛いですか?」
「押した時・・・・かな?(よく分かってない。)」

実はこの時点で盲腸ではないと判断されたらしい。
他にも

「(背中のあたりをたたきながら)響きますか?」
「あ、響きます。痛い。」

この時点で尿管血石が疑われ、俺は水を死ぬほど飲むことになる。
排尿も1時間に1回ぐらいのペースでおこなったが、
血石らしきものは出てこない。
出る瞬間ものすごく痛いらしいが、出てしまえば治る、ということなので、
尿管血石だったらいいのになぁ、とまで思ったほどだ。

しかしこの医大の長谷川さんは、どうやら俺の気持ちをよく分かってくれているらしく、
特に何か言ったわけではないのに、

「今日中にはなんとか治るように考えますからね。」
と言ってくださった。
仕事を他の人々に任せっきりなのが一番つらいと言うことを、
どうやらわかって頂けている様でその心遣いが非常に嬉しかった。
きっといい医者になるよ、この人は。
そんなことを心の中で考えていた。

夕方には先生が戻ってきて、再び診察された。

「ここの設備でははっきりしたことは言えないが、やはり虫垂炎の可能性が高いね。」
やはり盲腸か?
ともかく、この診断によって俺の絶飲・絶食・点滴生活が始まった。

夕方頃、元・岸本さんがいた個室に移動しないかと勧められた。
俺としても、夜に点滴の交換をしてもらったりする時に、
他の同室の人間に迷惑がかかることなども考えられたので、
少し淋しいけれどその誘いを受けることにした。

それでも、夜には仲村や山田、梓たちがそれぞれ遊びにきてくれたので退屈はしなかった。



2001年08月14日(火)
「夏の漂泊編」 第1部 腹痛

天気 晴れ

今日こそは本当に晴れた。
一日中晴れたのは久々だ。
とりあえず午前中には、
山田、牧園君、立花、水谷君、光田さん、梓の大所帯で頂上へ。
本当は桃城も行く予定だったが、ある男の陰謀でそれは叶えられなかった。
しかたなく桃城は、

「上の小屋でチョコレートを買ってきてくれ・・・」
と言い残しフロント業務へと戻った。
運のない男だ。

因みに上の小屋と言うのは、俺たちのいる小屋よりさらに頂上近くにある小屋である。
俺たちが勤めているのは村営の宿舎。
上にあるのは民営の宿舎。
だからが「頂上」という名のつく小屋の更にうえにまだ小屋があったりもするわけだ。
そしてそこではチョコレートなどのお菓子が比較的安く売られているのだ。

今回大勢で頂上に行くことになったのは暇だったのと、
久々に天気が良かったのもあるが、実はその小屋を探検する目的もあったのだ。

ともあれ、大勢で歩くのはやはり楽しい。

しかし・・・この頃から俺は自分の身体に違和感を感じていた。
右腹部に軽い痛みを感じる。
なんだ・・・これ?

しかし基本的に日頃から薬などは飲まない性格なので、

ほっとけば治るだろう。

ぐらいに考えて放っておいた。


昼は常駐の医大生主催で餅つき大会が催された。
一体どこから杵と臼を持ってきたのかは謎だが、
確かに盛り上がったし、もちも確かに美味しかった。

問題だったのは、腹痛のはずの俺がいつもどおり、
いや、いつも以上に大量に喰ってしまったことだろう。
それが原因かどうかは知らんが、午後には更に腹痛が激しくなっていた。

と言う状態だったのだが、午後は午後で天気が良かった。
あまりにも天気が良いので、
長澤さんと立花、山田、梓を誘って内緒で外へ遊びに行くことになった。
行った先は主稜線から少し離れたところにある旭岳。

長澤さんを戦闘に俺、立花、梓、山田と続く。
立花や山田はともかく、女の子ながらに梓は良くついてきたと思う。
結構きつい道なんかもあったし、頂上近くは岩稜帯になっていて危険だったからだ。

それなりに楽しんだ後、遠くから近づいてくる人影が見える。
あれは・・・・大東さんに昭子さん、秦野さん?

せっかくお忍びで来たのに早速見つかってしまった。
ていうか・・・・同罪だよな?
よく考えたら繰る途中で岡谷さんと五月ちゃんも見かけたから、
厨房の従業員、バイトが全員集まっていることになる。
なんて団結力だろう。

こうしてみんなで楽しく遊んで宿舎に戻ろうとした時、
俺の腹痛は更に酷くなっていた。
いや、腹痛だけではない。
なんとなく頭がボーっとする。

それでもまだ動けなくはない。
むしろ、休憩時間に遊びまくって疲れて働けないなんて思われたくはない。
夕食の準備をいつもよりはだいぶ動きが鈍かったが何とかこないして、
やっと自分たちの夕食の時間になった。
なんだかここまでの時間が妙に長く感じられた・・・。

・・・が。
食えない。
どうしても夕食を食うことが出来ない。

隣に座っていた立花に

「調子悪くてもきちんと食べなさいよ」
と怒られてしまったが、でもやっぱり無理だ。
少しは口に入れたのだが、それ以上食える気がしなかった。

「医大の人に言ってきてあげましょうか?」
とうとう立花は心配してそこまで言ってくれたが、
きっと今後彼には迷惑をかけるだろう。
俺は自分から立ち上がり医大生が食事をしているテーブルに向かった。

「すいません、身体の調子が悪いんですが、看てもらえませんか」



2001年08月13日(月)
「夏の漂泊編」 第1部 困惑の大掃除

天気 晴れ後曇り

今日は久々にいい天気だった。
あまりにも天気がいいため、こっそり杓子岳に行ってみようかと思うほどだった。
が、朝食終了後の掃除中にこんな放送が入った。

「業務連絡。本日清掃終了後にチェックをいたします。
 終わったら担当者は報告に来るように。」

え?支配人・・・突然何を言い出すんだ?
今まで、少なくとも俺が上ってきてからの2週間そんなことは1度もなかったじゃねぇか。
なんて思っていたら再び放送がかかった。

「業務連絡。中途半端な清掃で報告に来た場合は、その部署で連帯責任とします。」

・・・挑戦状だな。
これはもう大掃除をしろと言っているようなものだな。
長澤さんは高校の時から6回もここでバイトしたことがある。
現支配人のやり方はよく知っている。
彼に言わせれば、

「これはもう今日は朝の休憩時間なくなったと思ったほうがいいよ。」

(どうでもいいがここら辺の話、ほとんど原文どおりに書いています。
 頼むから支配人、この日記を見つけるなよ!!
 後、他の人で見つけた人がいたら絶対チクらないでね〜)

仕方がないので全員普段はやらない窓拭きにまで着手し、
窓のさん、消火器の下、防火扉の裏側・・・・

思いつくところは全て掃除した。
真面目な話、連帯責任で休みがなくなるとか言う以前に、
掃除だけで午前中がつぶれてしまった。
午前中かけてもまだ終わらなかったぐらいだ。

だが、それが良かったのかどうか。
他の場所の人々は結局連帯責任で休憩時間なしにされていたが、
我々は昼食の後で呼び出され、とりあえず掃除はここまでで終って良いと伝えられた。

そして、支配人からなぜこんなことをしたのかの「語り」が始まった。
なるほど、それ自体はまぁ納得しろと言われれば出来ない内容でもない。
ただ、どうしてそれを最後に言うかが疑問だ。
最初に言ってくれればもう少しマシな気分で掃除できたかもしれないのに。

え?
何が理由だったかって?
なんかアホらしくなってきたのでやめときます。
ま、いいや。ってね。

そして午後は我々だけ休みがもらえた。
が、他の人々が休みをもらえず働いていることを考えるとゆっくり休む気もせず、
ましてや休憩時間に外に遊んでいくなんて気にはもっとならなかった。
大体、午前中はあんなに天気が良かったのに、午後はまたガスってるじゃないか。

あ〜あ。
天気まで嫌がらせかよ〜。



2001年08月12日(日)
「夏の漂泊編」 第1部 星に願いを

天気 曇り

今日も今日とて頂上はガスっていた。
が、なんか休憩時間に立花が「丸山に行こうかなぁ・・・」と呟いているのが聴こえた。
このガスっている中丸山へ行こうと言うのか?
・・・・ふっふっふ、面白い!
なんか俺の中で悪戯心が目覚めた。

丸山と言うのは小屋から南に10分ぐらい言ったところにあるマイナーピーク(小さな頂上)。
白馬三山と言われる白馬岳、杓子岳、鑓ヶ岳のうち、
白馬岳と杓子岳を結ぶ稜線上に存在する。
一応、バイトは白馬岳頂上から丸山までの稜線上以外は行ってはいけないことになっている。
本当だったらほかの色々な山にも行きたいのに、
俺が頂上ばかり何度も往復しているのにはそういう理由があったのだ。

ともかく、丸山にはすぐにいける。
せっかくだから、先回りしてやればガスに隠れて見えないだろうから脅かしてやろう。
随分と子供じみたことを企んだものだが、そういうことほど面白いものなのだ。

すばやく丸山に到着して待つこと5分、10分。
いつまでたっても立花は来ない。
挙句の果てに小雨が降り始めた始末。

来ねぇな・・・・諦めるか。

戻る途中で立花と出会ってしまった。

「何やってるんすか?」

いや、何って・・・遅かったね・・・。

「いや、丸山行こうと思ったんすけど雨降ってきたから帰ろうと思って。」

あ・・・そ・・・・。

「で、何してたんですか?」

もう・・・いいです。


このように天気は良くなかったのだが、
夜には随分と好転した。
皆で休憩室でテレビを見ていると、誰かが

「外すごく星きれいだよ!」
と言い出したので皆でこぞって出て行った。

確かに、あれだけガスっていたのにもうすっかり晴れている。
満点の星空とはこのことを言うのだろうか。
天の川がはっきりとわかる程に良く見え、
小さな星星がそれ程良く見えるため、
都会で見えるような星座がかえってわかりにくいぐらいだ。
こういう星空を見たことがないわけではないが、
正直夜空を眺める余裕なんて今までの山登りではほとんどなかった。

一度だけ4年程前の夏に見たこともあったが、今日の星はそれよりも綺麗だ。
しかも今日はペルセウス座流星群の日らしいのだ。

「一番流れる時間は午前2時ぐらいだけど、今でもよく見たら結構流れると思うよ。」
長澤さんがみんなに解説してくれる。
長澤さんは星にも詳しいのだ。

午前2時か、4時に起きて仕事する俺たちは間違いなく寝ている時間だ。
もったいないな。

様々に思いをめぐらせながら、俺はずーっと口をあけて空を見ていた。
お蔭で流れ星もいくつか見ることが出来た。

ん?
そういえば岡谷さんと五月ちゃんがいないぞ?
確か一緒に出てきたはずなのに・・・・
周りは真っ暗で隣にいるのが誰かすらもわからない状態だが、
岡谷さんがいればにぎやかなのですぐわかる。

ふふっ、二人でどこかへ行きましたね〜。

ま、いいか。



2001年08月11日(土)
「夏の漂泊編」 第1部 山上の恋

天気 雨

岡谷さんの様子が一昨日あたりからおかしい。
なんか妙に機嫌がよかったり、携帯電話を見つめてニヤニヤしたりしている。
一体誰にメールを送っているのだろう。
女か?

余談だが頂上の宿舎ではドコモの電波が入る。
他の携帯も調子がよければ入るらしい。
因みに俺のはau。
だが俺は山中では携帯を使わないというポリシーを貫くため、
出発してからはずっと電源を切っている。
電波を探ってすらいないのだ。
他のバイトの皆さんは結構やってたけどね。余談終了。

果たして勘は当たっていた。
昨日のこと。

「明日岡谷君の彼女が上ってくるんだって〜」
休憩室で昭子さんが言っていた。
面白いから皆で色々追求するが、当の岡谷さんはいつものように

「エヘへぇ〜」
とおどけて見せるだけ。
なかなかうまいやり方だ。
畜生、ずるいぜ。

ともかく、その岡谷さんの彼女が今日、雨の中上山してきたのだ。

名前は五月ちゃん(仮名)。
昨年俺たちと同じ様にこの小屋でアルバイトしていたのだという。
畜生、うまいことやりやがって。

これ以降五月ちゃんは岡谷さんとべったりだった。
もう、飯炊きのサポートをする山田君にいたっては、

「俺居場所ないっすよ」
とまで言う始末。

まぁ幸せそうなのでよしとしてあげようじゃないっすか。
どうせお盆休みの間だけなんだから・・・・んっふっふ。

ん?お盆休み?
そういえばここ数日天気が悪いのって・・・
もしかしてお向かいの剱岳に、盆休みの百田君と木下君が登りに着てるからなのだろうか?
木下君は俺の知る限り最強の雨男。
彼とともに山に入って全行程まともに晴れたことはないという。

そうか・・・この秋雨前線みたいな奴は君が持ち込んだのか!木下君!!



2001年08月10日(金)
「夏の漂泊編」 第1部 「エコエコアザラク」

天気 曇り

皆さんは黒井ミサという女性をご存知だろうか?
その昔少年チャンピオンに連載されていた漫画「エコエコアザラク」の女主人公である。
中学生にして黒魔術の奥義を修め、各地の中学校を転校し続けている。
彼女の転校した学校では必ず人が死ぬという、なんかグロイ漫画です。

なぜ、いきなりこんな話を?
今日の天気を見て欲しい。
一応「曇り」とは書いてあるが、正しくはガス。
つまり霧が濃くて外に出る気がしなかったのだ。

結果、休憩時間を全て休憩室で過ごすことになる。
休憩室で何をするか?
それは大変難しい問題だ。

あるものはテレビを見、あるものは人生について語り、
あるものは縄文人のように石を削るのに夢中になり、
あるものは集中力ゲーム(バランスボードみたいな奴、わかる?)に熱中し、
そしてあるものは小屋においてある漫画にはまる。

この小屋の本棚には誰がおいていくのか不思議なくらいの本がある。
しかも妙に古い漫画なんかがあったりするのが面白い。
もともとは秦野さんが
「久しぶりに読んでみたくなった」
と引っ張り出してきた漫画だったのだが、
俺が読み、他の奴が読んでる間に、なんかみんなに流行っていった。

エコエコアザラク エコエコザメラク

こんな呪文が山小屋の中で流行語になるってのは結構怖いものがある。
しかし、俺は俺なりに色々と考えるものがあった。
この漫画では随分とたくさんの人が死ぬ。
が、そこにはそれなりの理由が感じられた。
因果応報である。
必ず報いがある。
自分の行動には責任を持て。
子供たちにその様に訴えかけていた漫画なのではないだろうか?

ちょっと過激なシーンも結構あるが、読んでみて損はない漫画かもしれない。

まぁ、現代の「漫画やゲームが子供に悪影響を云々」とかいう世相じゃ、
なかなか売れないかもしれないまんがですがね。

古本屋さんで見かけたら立ち読みしてみては如何か?
人によって好き嫌いが激しく分かれると思います。



2001年08月09日(木)
「夏の漂泊編」 第1部 負傷

天気 雨

あー、足が痛い。
実は昨日午後、ヘリが来て、豚しょうが焼きを作って、
その後、午後は途端に暇になった。

みんなは外に出て日向ぼっこをしたりしていた。

俺は、例によって持ってきた運動靴に履き替えて頂上へと向かった。
通常ゆっくり歩いて30分ぐらいと言われるコースを何分でいけるか。
大体いつもは20分弱ぐらいだったが、今日は走れるところまで走り、
きつくなったら歩く、という方向に変えてみた。
結果、宿舎から14分6秒。
おお、15分を軽くきったぞ。すげぇ。

そうなると当然調子にのって下りも走り始める。

いや、わかってる。みなまで言うな。
くだりで走ると危ないんだよな。
勢いがつきすぎてなかなか止まれなくなって。
もちろんそんなことはわかった上でやってるんだ。

そして・・・・

ぐねっ

「いってぇ!!!」

足を捻りました。
アホですね。はい、あほだよ。悪いね。
捻挫しちゃったわけだ。

しかし、すぐに体勢を立て直し、何もなかったような素振りでまた歩き出す。
アホの見本みたいですね。
それでも下りは10分ちょっとで収めた。
ってまだタイムにこだわってるし。

さすがにその後は部屋でおとなしくしてると山田君がにこやかに近づいてきた。

「頂上行きましょう!」
・・・・。
行ってやろうじゃねぇか!!(←もはやアホの大将)


これが昨日の話。
お蔭で捻挫は当然酷くなる。
おとなしくしてると治ったかな?という気もするのだが、
働いているとき、不意に足首に加重がくると「ひしっ」という痛みを感じる。

今日は天気が悪かったので当然外には行かなかったが、
天気がよければきっとまた性懲りもなく外で暴れていたのだろう。
雨に感謝しなければなるまい。


よるには小屋を運営している公社の人や、その他村のエライ人などが来て、
常駐隊、グリーンパトロール等の宿舎で働いている人々との飲み会が始まった。

ただ酒が飲める機会というのは非常に貴重である。
が、人がたくさんいる宴席と言うのはやりにくいものでもある。
他の奴らはそれを感じたのか、気付いたらバイトはどんどん減っていた。

残っていたのは立花、梓、俺、長澤さんに秦野さんぐらいだったんじゃないだろうか。
いや、待てよ、立花は途中でグロッキー状態になって、それで皆に連れて行かれたんだ。
だから人が減ったんだな。
しかし、なんとなく高所にいると酒に酔いやすい気がするのは気のせいだろうか?

立花は、この後厨房にあったボールを抱いて寝かされ、
見事にリバースしたらしい。

合掌。



2001年08月08日(水)
「夏の漂泊編」 第1部 ヘリ襲来〜豚しょうがの嵐〜

天気 曇りのち晴れ

「今日もガスってるからヘリは来ないだろうなぁ。」
「でもいつ晴れるかわかんないから容易はしといたほうがいいよ」
みんなでそんな話をしながら朝食の片付けをしていたら、
まさしく片付けが終わったその時にヘリの音が聞こえてきた。
よかったー、朝飯食う時間があって。

ヘリ到着後はまさしく上を下への大騒ぎだった。
俺は南極前に待機し、次々運ばれてくるものを一つ一つ受け取って整理する役目だった。
楽そうに聴こえるかもしれないが、実はこれが一番しんどかったかもしれない。
大体ヘリの姿を見られなかったってのはそれだけで不幸だ。

ともかく、ヘリの荷は思ったよりは少なく、非常にスムーズに進んだ。
が、問題は南極前に積み上げられた食材の山をどうやって整理するかだ。
一応中はそれなりに片付いてはいたが、それでも作業は大変だった。
もし昨日の作業をきちんとやっていなかったらと考えるとぞっとするものがある。

はじめに多少苦労をしておくと、後で楽が出来る。
なんだかその好例だった気がする。

今日から昼食は交代でアルバイトが作ることになった。
メニュー、作り方は料理の本で調べて、それぞれが作るように。
大東さんからの指示だったが、正直不安だった。
いつも従食を作ってくれる昭子さんがアドバイスしてくれると言う言葉に勇気付けられ、
それではと、秦野さんと二人で作戦を練る。
今回の当番は俺ら二人なのだ。

「秦野さん、豚しょうが焼き、美味しそうですね。」
「そうやねぇ。昭子さん、豚しょうが焼きって難しいですか?」
「それだったらちょうど近いうちに作ろうと思ってたから教えてあげるよ」
話は簡単にまとまった。

普通は11時に厨房入りして昼食の用意をするのだが、
何故かこの時俺と秦野さんは妙に気合が入っていて10時半に集合していた。

あまりにも早すぎたので、

「じゃぁ二人で付け合せのキャベツ千切りでもやりますか?」

二人して危なっかしい手つきで包丁を手にとる。

・・・・分厚い。
なんか二人とも分厚いぞ、キャベツ。
少しずつなれてきて薄くなっていくけれど、でもやっぱり分厚い。
こりゃ千切りじゃなくて百切りだな・・・。

まぁキャベツのことはさておき。

いよいよ豚しょうが焼きそのものに手をつけることになった。
なんだかんだで実際作る段になると、昭子さんが作り方を一から教えてくれる。
というか、味付けはほとんどやってくれた。

これは・・・もう後は焼くだけだな。

なんか自分たちで作った気はあまりしないのだけれど、
でもまぁ結果として美味しいものが出来たことには違いない。
よしとするか?



2001年08月07日(火)
「夏の漂泊編」 第1部 南極物語

天気 雨

昔は山小屋の食料と言うのは全て強力が荷あげしていたのだろうか?

ふと、そんなことを考えた。
現代ではヘリコプターのおかげで、必要な食料、その他消耗品は全て楽に届けられる。
届いた荷物は全員で背負子(しょいこ)を使ってヘリポートから食品庫、冷凍庫へ運ぶ。
これはこれで大変な作業なのだが、昔に比べれば遥かに楽になったものだ。

ただ、冷凍庫(通称南極)の中があまりにも乱れており、
岸本さんが発注して届く予定になっていた食料が入りそうには見えなかった。

たまたま今日は雨のおかげでヘリが来ないことになっていた。
ヘリは晴れている日、しかも雲間から下が見える日しか来ないのだと言う。
これはタイミングが良かった。

この機を利用して大東さんと秦野さん、俺の3人で南極の整理を、
立花と梓の二人が食品庫の整理を行なった。

南極は巨大冷凍庫。
恐らく全てのものをどかせば6畳〜8畳ぐらいの広さはあるのではないか?
その中に入り必要な食材を取り出して厨房に運ぶのは、気が付けば俺の仕事になっていた。
しかも昨日からは南極の中の食材の在庫、出庫も把握して管理することも任されてしまった。

はっきりって面倒くさい。
が、それが必要な仕事であることも理解できたし、
近い将来自分のするであろう仕事の内容を考えても無駄にはならないだろうと思えた。

因みに同様のことは食品庫にも言える。
ただこちらは寒くないので(当然か)作業もしやすい。
俺以上に几帳面な性格の立花と物の場所を把握している梓任せることにした。

南極、食品庫両方の整理と棚卸し。
客1人あたりの食糧の消費量の計算・・・・。
することはたくさんあったが、はっきりって途中で疲れた。
ある程度のところまで進んだ時には、俺と秦野さんは殆ど同じ気持ちだったらしい。

「後はヘリが来てからやりますか?」

あんまり一気にやりすぎても良くないんだってば。



2001年08月06日(月)
「夏の漂泊編」 第1部 転機

天気 晴れ

今まで触れていなかったが、厨房の担当の従業員は岸本さん(仮名)という。
岸本さんは基本的に優しい人で、指示する時の口調も丁寧だ。
反面、存在感が薄く、厳しさが足りないところもあるように感じられた。
ある人に言わせれば人付き合いが苦手なんじゃないかということだが、そうかもしれない。

その岩本さんだが、実は身体があまり丈夫そうではない。
はじめて見た日から風邪を引いていたし、飲み会の席でも姿を見なかった。

そんな岸本さんの下で厨房のバイトは動いていたわけだが、
その中の1人、山田君がとうとう天狗の頭(白馬岳の南、山二つ越えて2時間半ぐらい)に向かって出発する日が来た。
支配人に直訴した結果は朝になって聞かされた。

「天狗で足を怪我した奴が1人いるらしい。」
つまり山田を代わりに送り込むと言うことだ。
頂上の宿舎も、天狗の山荘もどちらも村営である。
だから何処で働いても給料は同じところからでるし、その額も同じだ。
上の(というか下界にいるから下のか?)人にとっては何処で働かせても同じなのだろう。

朝の掃除が終わった後、部屋では山田が荷造りをしていた。

「お、そろそろ出発かい?」
「ええ、お世話になりました。」

まだ一週間目なのに、自分より後から来て、もう去っていく人がいると言うのは不思議な気分だ。
それ以上に不思議なのは、こいつが4,5日の付き合いとは思えないことだろう。
もっと長いことつきあってきて、これからもずっと友達でいそうな、そんな感じのする奴だ。

そこへフロントから放送がかかる。

“業務連絡、業務連絡。アルバイトの山田君。至急フロントまでくるように”

支配人直々の放送だ。
山田は残りの荷物を一気にザックに詰めて部屋を出る。
途中でフロントから来た坂本に出くわす。

「あ、山田君、支配人がすぐに来いって言ってます。」
こいつは日頃口の聞き方を知らんくせに、時々妙に丁寧になる。
まぁどうでもいいが。

ともかく荷物を背負った山田はいつでも出発できる姿で支配人室を訪れた。

お世話になりました。それではこれから天狗へ向かって出発します。

そう言おうとしたに違いない。
が、彼がその言葉を発する暇はなかった。
支配人が妙に楽しそうな顔でこういったからだ。

「実はあの後、下(←下界にある公社)と天狗と話し合って、
 それぞれの事情が変わってきて、
 今日お前を天狗にやらなくてよくなった。」

は?

明らかに不意打ちを食らった顔をしている山田。

「だから、荷物をまとめてたら悪いと思って少しでも速く呼んだんだが・・・」
結果として山田はあおられた形になってその分早く荷物をまとめたわけだ。
少しの間があいて周囲にいたバイト、従業員から爆笑がもれる。
山田は少しばつの悪そうな、しかし嬉しそうな顔で照れていた。

そう、山田君と我々の願いは数奇な「事情」によって叶えられることになった。
しかしその事情とはなんだったのか。
それを俺たちはこの少し後で聞くことになる。

「岸本さんが荷物をまとめています。」

え!?なんで!?

後で聞いた話では、岸本さんは昔から目を悪くしていたらしく、
こうやって下山することは毎年のようにあったらしい。

恐らく、それで人間が足りなくなる分を何とかしようと言うことで山田君の残留が決まったのだろう。
午後には支配人がバイト全員を集めた。
山田の残留。岸本氏の下山を告げた後、バイトの本格的な配属を発表した。
現在の形では厨房に人がたくさんい過ぎる。
なので、厨房から仲村と小嶋さん(仮名)を新館レストランへと異動させることになった。
さらに、厨房の担当を岸本さんの代理で大東さんが行なうことになった。

厨房内でも飯炊き、味噌汁、客食おかず、従食手伝い、ホールのそれぞれに人を配置し、
秦野さんをバイトのリーダー格としてミーティングを行なった。

こうして様々な変化のあった後、夜は長澤さんの誕生日会が催された。
が、俺は休憩室で誕生日会を横目に見ながらノートを前に途方にくれていた。

えっと、ほうれん草の在庫が・・・・

冷凍庫、食品庫の在庫管理を大東さんから命じられてやることになった。
大東さんの考えでは、バイトは管理するよりも参加させた方が楽しく働ける。
ということらしく、これは俺の想いとも一致している。

が、この後しばらく俺はノートと電卓を前に頭から煙を出すことになった。
計算は苦手なんだ!



2001年08月05日(日)
「夏の漂泊編」 第1部 酒宴

天気 晴れ

朝の掃除を終えて、週末の大騒動は終了した。
また一週間後までは普通のペースに戻るのだろう。

掃除を終えて部屋に戻ると山田君がなんとなく外に出たそうな顔をしている。

「頂上へ行きましょう!」
明日には天狗に行かないといけないので今日のうちに行っておこうということらしい。
短い期間だったが山田君はもうすっかり厨房のバイトとして溶け込んでいる。
素直で善良そうでお人好しそうなその性格を嫌う人は恐らくいないだろう。
そして山田君自身、今の場所が気に入っているようだ。

「支配人に頼んでみたら?」
一緒に歩いていた仲村や百白、それにフロントのバイト光田さん(仮名)らも同意見だった。

「そうして見ます。」
頷く彼をみながら、

他所にやるのはもったいないが、こいつなら他所でも十分やっていけるだろうなぁ。
そう思った。

夜には支配人の計らいで飲み会が催された。
海の日から今日までご苦労だった。
今日で長澤と水谷(仮名)も帰って来たのでバイトは全員集合した。
この夏はこのメンバーでやっていく。
今後も頑張ってくれ。

そういう趣旨だったのだろう。
要はバイトの顔見せ&懇親会だ。

全員がそれぞれ自己紹介をし、後は各々飲んで食べて騒いだ。
特筆すべきは、仲村・牧園君の逃げ足の速さ。
長澤さんの酔っ払った時の面白さ。
それに梓嬢の飲むこと飲むこと。
あ、後は岡谷さんは盛り上げ上手だってことだろうか。
気付いたら俺は岡谷さんに「モンゴル人」という仇名をつけられていた。

そういえばそろそろ髭が伸びてきている。
髭剃りなんて持ってこなかったからなぁ。
少し気になるが仕方がない。
この夏はしばらく伸ばす事にするか。



2001年08月04日(土)
「夏の漂泊編」 第1部 ケの週末

天気 雨

今日は俺が来てからはじめての週末。
土曜日の夜、日曜日の朝は客が多いと聞かされてきたが、
土曜日には長澤さんが帰ってくるはずだったので安心していた。
バイトの中では秦野さんを除く俺にとっては唯一の年長者、
しかも一通りの仕事を教えてくれた人ということで俺は長澤さんを頼り切っていた。

そこに、長澤さんが熱を出して今日登ってこられなくなるという情報が入った。
少し不安を感じたのは確かだ。
が、はっきりって仕事はもう覚えた。
テキパキとは行かないが確実にこなせるようにはなってきていた。

なんとかなるさ。

仲村もいれば立花もいるし、梓もいる。
昭子さんも手伝ってくれるみたいだし、
ホールの方も秦野さんが加わって動きやすくなったようだ。

よし、なんとか頑張って見よう。

雨が降っていたので今日は部屋の中でそんなことを考えていた。
雨が降ると山小屋は暇になると考える人が多いのではないだろうか?
逆である。
多少の雨ならばせっかく休みを取ってまで来た山を中止する社会人は少ない。
むしろ、先まで行く予定を中止して手前の小屋に泊まろうと考える人が多いのだ。

結果として頂上手前の小屋は大入りになる。

特に新館レストランでは濡れた身体を乾かし、雨宿りする人が増える。
結果として新館レストランは大騒ぎだ。
厨房からも2時間ごとに2人ずつ交代で助けを出すことになった。

新館の手伝い、夕食の準備と大騒ぎだったが、なんとかこなすことが出来た。
やってみればなんとかなるものだったらしい。
長澤さん、俺はなんとかやりましたよ。

しかし、今日の土曜日は実はまだ大したことがなかったそうな。
近年では盆休みよりも海の日前後に客の入りはピークになるらしい。
その頃はバイトの数も少なく、客は今日の倍ほど。
バイト部屋、休憩室も客室に使われ、みんな食堂の隅っこで眠った。
聞けば聞くほど凄い話だが、自分がそこにいなかったのが少し淋しい気もした。

でもまぁ、そんな時でもなんとかなっているんなら、
俺もきっとうまく出来るはずだ。

そうそう、そういえば俺が来る前に来ていて一時下山していた坂本君(仮名)が上ってきた。
少々変わったところがあり、口の利き方を知らないところがあるが、
彼は彼で一生懸命な人間であるようだ。
分かり合えるかどうかは別として、彼の元気の良さは認めてやるべきだと思う。
以上。



2001年08月03日(金)
「夏の漂泊編」 第1部 さ抃銅爾砲

天気 晴れ

今日も俺が飽きずに頂上に行ったのは言うまでもない。
やはりというか、仲村は今日はついてこなかった。
立花と山田君の3人で行くことになった。
厨房のバイトは忙しい時間は非常に忙しいが、
休憩時間は恐らく一番多い。
俺たちが外出する時、フロントあたりから羨ましそうな声が聞こえるがそれは黙殺。
確かに彼らには少し申し訳ない気がするが、
せっかく使える時間を使わないのはどう考えてももったいないからだ。

色々と話してみて、立花はかなり器用な男。
         山田君は素直で純粋。
      そして二人とも周囲に気配りのできる奴だと感じられた。
もちろん、俺はどちらも気に入っている。
他のメンバーも個性的な奴ばかりだが、この二人がもっとも付き合いやすいと思った。

アルバイトの話ばかりしているが、従業員の人々も皆それぞれに個性的で面白い。
夕食の片付けが終わった後の話だ。
バイト部屋は基本的に寝るだけの部屋になっている。
この部屋で夜騒ぐのは禁止だ。
が、休憩室という部屋があり、こちらはコタツとテレビがあり、何時まで騒いでいてもいい。
もちろん翌日はきちんと働くのは言うまでもない。

休憩室には常に仕事が終わった後に集まる人たちがいる。
外回り担当の従業員大東さん(仮名:友達の大東君と同じ苗字)や、
飯炊き担当の従業員岡谷さん(仮名)らは、俺が休憩室に入ると必ず既にコタツでごろごろしている。

はじめははっきりって入り込みにくかったのだけれど、
少しでも慣れる為にはこういう所に積極的に入っていくのが良い、と経験が教えてくれる。
今日も同じ様に、コタツの一角へ失礼する。
じきに従食担当の従業員昭子さん(仮名)や、秦野さんもやってきてにぎやかになり、
その後には、いつものように秋田の女子大生梓ちゃん(仮名)が缶ビール片手に現れた。

大東さんは実際の年齢よりずっと若く見える。
頭は長髪で金色に染まっているし、服装も、顔つきも若く見える。
(どう見ても30代前半にしか見えないのだが・・・・!)
冬場は八方尾根スキー場でアジア料理のレストランをやっているのだそうだ。
秦野さんはその見せで大東さんと知り合い、ここに来たらしい。
当然の如く彼らの趣味はスキー。
それもテレマークスキーに手を出しているらしい。

「歳をとるほど無茶がしたくなんだよなぁ〜」
そんな大東さんはクライミングも少しするらしい。
なんでも自分の部屋にクライミングボードを置いているとか。
俺が自分もやるということを話すと、
近くに登れる岩があるので内証で連れて行ってくれる、ということになった。

正直、ここに来る前には下界でのバイト先の藤原さんたちに、
「白馬なんてチャラチャラした所に行くのか〜」
なんて言われていたし、自分も「確かにチャラチャラしてるかも」と思っていた。

お客の中には山を舐めているとしか思えない人も数多くいたのは確かだが、
どうやら小屋で働いている人は決してそうではなく、
むしろ素直に「すげぇ」と思える人たちだった。



2001年08月02日(木)
「夏の漂泊編」 第1部 Qを望む

天気 晴れ

高山病対策には、急激に高度をあげない、つまりゆっくり歩くというのが最も一般的だ。
他にも利尿作用の高いお茶をたくさん飲み、小便をたくさん出すとか、
色々なことが云われるが、要するに上手に高所に慣れることが大事なのだ。

ところが、初日は源三さんに対抗してついつい早く登りすぎた。
それが原因か、以前高山病になったことがあるためか、ここ2,3日少し頭痛がしていた。
明らかに高山病の初期症状だ。

こういう時は、近くにある少し高い所に登ってまた下りて来るという方法が効果的だという。
後は、多少つらくても身体を動かし続ける方が順応しやすいらしい。

その二つを実践するために、俺は初日から頂上に登り続けた。
俺たちがいた小屋は「頂上」と名がつくものの、実際には頂上よりは200m程低いところにある。
そりゃまぁ、本当に頂上に小屋があったらちょっとびっくりするし、
大体風が強くてどうしょうもない。
むしろ頂上に行けば行くほどそんなスペースがなくなるのも自明だ。

ともかく、小屋から頂上を往復する30分は、俺にとって格好の高所順応コースだった。
今日はガス(霧)がかかっていなかったので、
立花君と京都の高校生仲村君(仮名)と3人で頂上へ行くことにした。

高校時代はワンゲル(ワンダーフォーゲル部)に所属していた立花はなかなかの山好き。
テニスサークルにいながらもこういうところに来る理由が少しうなずけた。
現在高校生の仲村君は親が勝手にバイトに応募していて、
出発前日頃いきなり採用通知が来た、という若いのに波乱万丈な男。
ほとんど某テレビ番組●派少年系山小屋生活って感じだな。(ありそう・・・)

頂上では3日目にしてはじめてまともに景色が見えた。
剱岳が向かいにはっきりと見え、昔のことを思い出す。
大学1年、2年の合宿のこと。
2年の合宿での出来事。
そして、それ以降山をしばらく離れることになったこと。
思わずノスタルジックな気持ちに浸っていると、
仲村君がニヤニヤ笑いながらこっちを見ている。

「で、いつ戻りますか?」
どうやらこっちの胸中を盗み見られたわけではなく、
ただ単にこの男は山頂の景色に飽きただけらしい。

小屋に戻りゆっくりしていると、
新たに上ってきた二人のアルバイトが部屋に姿を見せた。

秦野さん(仮名)は32歳の最年長。
7月の中旬から働いていたのだが、下界の用事で一時下山していたらしい。
帰ってくるなりバイト部屋の布団の配置、片付けなどをテキパキと支持し、
厨房バイトのトイレ掃除ローテーションなどに着手する。
それでいて陽気で話し易い。
感じのいい大人といった雰囲気の人だ。

もう1人は山田君(仮名)。
4日後には天狗山荘の方へ行ってしまうが、それまではこちらで働くらしい。
地元松川村から来た大学1年生。
バレーボール部に所属しているらしく、さわやかな兄ちゃん。
人見知りするのだろうか、最初は結構無口な雰囲気だが、
なんとなく真面目そうな雰囲気を感じた。

8月に入ったため仲村、俺、に続きどんどんバイトが集まってきた。
(仲村は俺より2日早く上山したらしい)
後2,3日後には全員がそろうらしい。
非常に楽しみだ。



2001年08月01日(水)
「夏の漂泊編」 第1部 二人の関西人

天気 曇り

もともと俺は8月1日から働くつもりでいた。
8月1日から働くのならば8月1日には既に山に入っていなければならない。
ということは前日には入山しなくてはいけないのではないか。
そんな思い込みから昨日入山したところ、実際には7月31日から働くはめになった。
もっとも早く仕事が覚えられればそれに越したことはない。

それに、昨日俺に仕事を教えてくれた年長のバイト長澤さん(仮名)が、今日から一時下山することや、
今日新たに二人のバイトが上山してくることを考えても、
昨日のうちに長澤さんから色々な仕事を教えてもらえたのはタイミングのよい事だったと思えた。

頂上近くにあるこのの宿舎では、
アルバイトは「本館フロント」「本館厨房」「新館(レストラン)」に振り分けられる。
俺は「とりあえず」厨房に配属された。
後数名のバイトが上山して、それぞれの様子を見ながら正式な配属を決定するようだ。

厨房の仕事は朝夕の客食準備、後片付け。
それに朝、昼、夜の従食(従業員用の食事)の手伝い、後片付。
それから朝食後に客室の清掃とローテーションでトイレ掃除も行なう。。
昨日昼前に来た為、長澤さんが今日の朝食後出発するまでには一通りの仕事を見ることが出来た。

厨房には既に長澤さんの他にも何名かのアルバイトと従業員がいた。
が、長澤さんの担当していた部分は俺がそのまま引き継ぐ形になった。
詳しくはここには書けないが、仕事事体は実はそれ程複雑ではない。
どんな素人を連れてきても1日で覚えられるようなものにはなっている。
ただもちろんどんな仕事も要領よくこなせるようになるには多少の時間はかかる。

俺はそれを今日上山してくる二人のバイトにも教えなくてはいけないのだろうか。
実は少々自信がなかった。
が、まぁなんとかなるだろう。
いつもの感覚で構えていた。

二人の男が昼過ぎに小屋に到着した。
随分と遅い到着だったが、普通はこんなものなのかもしれない。
そいつらは余計な荷物が多くて源三さんにどつかれたという話を小耳に挟んだが・・・
まぁ、そんなことはどうでもいい。
驚いたのはそんなことじゃない。
なんと、そいつらは二人とも俺と同じ大学の一回生だったのだ。

立花君(仮名)と桃城君(仮名)。
うちの大学でテニスサークル所属。
はっきり云ってそこらへんにいくらでもいそうなチャラチャラ系の大学生。
山の中で会うには非常に不釣合い。
俺の中で彼らに対する第一印象は随分と不当に低かったかもしれない。

が、実際に話してみると、
やはりもともと同じ関西人であることも手伝って非常にうちとけやすかった。
さらに、どちらも他の様々なアルバイトの経験を匂わせる要領の良さを持っていた。

こいつら、もしかしたら俺なんかよりよっぽど使える奴らかもしれない。
負けてはいられない。

人は、同じ目的に進む他者、すなわちライバルを意識した時大きく成長し始めるのかもしれない。
立花君と桃城君は俺にとって大学でもここでも一応後輩という位置付けだったが、
俺は彼らを同列に見ることに決めていた。

昨日の源三さんといい、こいつらといい、
この山では面白げな出会いが多い。
明日はどんな人が登ってくるのだろうか。