日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2009年10月31日(土)

どうしようもなく、ある講座に行きたいと思っていました。

ねーねー、一緒に行こうよー!と友人にねだりましたが渋られました。
珍しく、ひとりでは行く気にはなりませんでした。

突然、気づきました。
わたしはその講座に行くことで「できるようにしてもらいたい」と思っていたことに気づきました。
自分でできるようになるためにわたしがすることは与えてもらうだけ、オートマチックでお任せコース、という気持ちでいたことに気づきました。

「自分でできるようになりたい」と思っていたため、「自分で行おうとしていないお任せ気分の自分」に気づいて、なんじゃそら、と思いました。
自分の中の相反する思いですね。

部屋の棚を見たりすると、自分でできるもののヒントがたくさんあります。
いくつか自己トレ法も知っていたりするのに、やってないよね!と思いました。

そんなわけで。
自分でやろうと思いました。わお!講座費が浮くわねえ〜♪
「実際にやろう」と決めたことで、もともと「与えてもらおうと思っていた」ものと何かつながって意欲が出たし、実験くん魂がうずうず。
自習道具もいくつもあるのに、「最初だけおもしろがって使い切ってはいないんだよなあ」なんて思ったら、一気に行く気がなくなりました。
わざわざ行く必要がないじゃん〜。とにかく使い切ってみようよ〜。

そうしてたら、おもしろいもので。
友人が「行こうよ〜」と誘うようになりました。 (^^;)
わたしに相反する思いがなくなったからでしょうか。

えー?
でもさー、行かなくてもやる気あればできるよー。自習道具もあるし〜。必要ないよー。
と答えるわたし。なんてコロコロ意見が変わるのか。

ですが。
さらに変わります。

必要。不必要。
今度は、よく使ってきたそれらの考えと大きく離れた思いが出てきました。

「自分でもできるけど、行くと「おもしろそう」だなあ〜」 (*^^*)

必要だからとか、使えるからとか、自分のためになるからとか、人に伝えたいものだとかいうよりも、純粋におもしろそうだから気になる今日この頃。
ある意味、無駄な思考がなくなって感じたものという感じ。

ほんとに、「おもしろそう」という感覚しかなくて、知らないことを知るのがおもしろそうとか、そういう理由もなくて、ただ楽しそう!みたいな。
大好きなディズニーリゾートに遊びに行くような感覚に近いです。

コロコロと考えが変化して結局どうなるのか、観察中です。
変わるほどに良い感じに流れてるように感ずるので、もっともっと変わっていってもいいよ♪


...

つらつら - 2009年10月28日(水)

久々にホロトロしてみました。
しんどいけど、やっぱりおもろいなあ、この呼吸法。
葛藤によってからだにある緊張を、これで取ることで内側に働きかけるって感じなんかな?


グータン見てて、「20代前半みたいに勢いで行けないよね〜」という発言を聞いて。
勢いで行くことにあこがれている、でもできないと思っているんかな?
勢いで行ってもいーじゃん!と思いました。

いろいろ見てきたから勢いで行けないと言ってたけど、うーん。
あこがれる行動ができないということを、年齢や経験・知識のせいにするのはもったいないような〜。
経験・知識と共に、じゃまなものもくっついているのかも?

経験や知識は、自分の幅を広げるツールとして使いたいから、逆に狭めるツールにしているように見えて、何となく日記に書きたくなったのでした。

なんか、もやもや〜。
そう見えるってのは、わたしにも何かいらんものがあるのかも〜。
ポノっとこ。



バシャールペーパーバックの4巻に森の中を歩く誘導瞑想が書いてある(P121〜)のですが、おもしろかったのでちょっとシェアします。

シェアしたい部分のみ誘導瞑想部分を抜粋して書くので、他の部分にも興味がある方は実際に本を手に取ることをお勧めします。
では、レッツ誘導瞑想!


★「バシャールペーパーバック4」 ダリル・アンカ (VOICE新書) より抜粋

☆☆☆

三つ深呼吸してください。
そしてリラックスしてください。
目を閉じたい人は閉じてください。
それから次のようなイマジネーションを動かしてください。

次にいうことをただシンプルにやってください。
ここでもう一度皆さんにいっておきたいのは、正しいやり方とか、間違ったやり方とかはないということです。
できる限りみなさん自身のやり方で、みなさん自身の森を想像してください。

自分で楽しみたいような「森」をイメージしてください。
自分にとって自然に受け入れられる森です。
その森を見ながら、次のようなことも観察してください。
今、自分の森が一日のうちで何時ごろかを見てください。
イメージしている森が、どんな日なのかを見てください。
それをやりながらもうひとつ、考えてもらいます。

その森をどういう方法で抜けていくかを考えて欲しいのです。
道はあるのか、ないのか、そしてその森をどういう風に抜けていくのか。
どんな方法でも結構ですから、自分でイメージした方法でその森の中を歩き始めてください。
どんな木を自分がイメージしているのかも、よく観察します。
周りの全体的な様子も見てください。

そこをずーっと進んでいくと「壁」があります。
どんな壁でしょう?
そしてあなたはその壁に対してどういうことをするでしょうか?
ちょっと時間を使っていいですから、その壁をどうするか自分で見ていてください。
その壁をどうするかを自分で決めたら、自分でその壁を通り抜けた人は、再びその道を進んでいきます。
どうしてもその壁を抜けられない人は、残りの瞑想をやっている間、自分で何をしているか、好きなことを決めて置いてください。

歩き続けている人に対して進めます。
さらに森の中を進んでいきます。
すると、今度は「熊」が出てきます。
どんな熊が出てきたでしょう?
そして熊はあなたに何をするでしょう?
あなたはその熊をどうするでしょう?
自分がその熊となにをしているか、見ていてください。
そしてそれが終わったら、再び森を先に進みます。

(以下省略〜)

深呼吸を三回します。
呼吸をしながら、だんだんその森から出てきます。
そしてこの部屋に戻ってきて、目を開けます。

そして正直に、自分が森で出会ったひとつひとつにどんな行動をとったか思い出してください。

☆☆☆


どうでした?
やってみました?
以下、解釈を抜粋。


☆☆☆

最初に見た「森」は、みなさんの人生そのものです。
環境としての人生を自分はどんな風に感じたでしょう?
木はどうだったでしょうか? 高い木だったでしょうか? 低い木だったでしょうか?
いい、悪いは、ありません。
しかし、自分が人生をどういう目で見ているかを知ることができます。
この瞑想の中で自分で変えたいものがあれば、変えて行けばいいだけの話です。

一日のうちの何時ごろかと聞きました。
それには次のような意味があります。
今、自分の成長の段階の、どのへんにいるかということです。
ちょうど夜明けにいるのか、午後くらいにいるのか、もしくは理解や知恵の中に落ち着こうとしている夕日の中にいるのかを表しています。
次にどんな日かと聞いたのは、人生があなたをどう扱っているかということです。
冷たい日と感じるのか、それとも暖かいのか。

今いった森全体、時間、どんな日か、この三つは自分の人生がどんな人生かということを基本的に表しています。

そして森の中をどういきたいかというのは、自分の人生をどう進んでいきたいかということです。
それが好きか嫌いかにかかわらず、自分は今こんな風に人生を歩んでいる、ということを知ることができます。
自然の、くねくねと曲がった道があったでしょうか? 道を歩きながら、道筋にあるものを観察して行けるような道だったでしょうか?
それともスーパーハイウェイが通っていて、周りにある木などには目もくれず、ただスピードだけで行ったでしょうか?
あるいは、全く道などなくて、木と木の間に隙間があっただけだったでしょうか?

(略)

「壁」は、あなたの人生の中の「挑戦」や「傷害」を意味します。
低くて短いものだったでしょうか?
そうなら、飛び越したり、まわりに廻ったりすることもできます。
あるいは広く長く、その反対側に行くには時間がかかったかもしれません。

(略)

挑戦や障害に出会ったとき、自分がどうやってそこを抜けるかを象徴してくれています。

(略)

壁を通り抜けて出会った「熊」は、ある状況に対処する場合のあなたの感情的パターンと人間関係を象徴していました。
人間関係の象徴と見たとき、そこには大きな恐れがあったでしょうか?
それとも可愛らしい、抱いてあげたいような熊がいたでしょうか?
自分にとって、どうしようもないような熊だったでしょうか?
それともコミュニケーションが取れるような熊だったでしょうか?
その森に自然にいるような熊だったでしょうか?
それとも全くよそから来たような、緑の森に白熊は似合いませんが、そんな熊だったでしょうか?
その熊を避けて先に進みましたか?
それとも熊と一緒に手をつないで歩いたでしょうか?
あるいは、ただそこにいるということを認めてあげて、そのまま先に進んだでしょうか?
熊は、あなたに向かって唸ったでしょうか?
あなたは唸り返したでしょうか?
これらの象徴を、自分の人生に対する感情的な対応パターンと人間関係と思って観察してください。

☆☆☆



わたしの思い浮かべた森は、ドリーン・バーチューさんのユニーコーンのオラクルカードの森のような感じで、明るくて、光の筋が木々の間から差し込んでくる、緑の美しい森でした。
木は低くもないけど、すんごく高い木でもなくて。
へー、そんなにきれいなものとわたしは見ているのか、と思いました。

森の時間は朝。
それほどすごく早朝というわけでもなくて、8時前くらいかな? 光にまぶしさがあるけれど、ちょっと落ち着いたような感じ。
ん?わたしの成長はまだまだこれからなのね。ほっほっほ、燃えるでないの。

森を抜けていく方法は、徒歩です。
道が見えているのだけど通らないで、その道はナビにしているけれど、わたしは森の木々の間をくるくるとくぐりながら楽しんで歩いています。
せっかくこんなに美しい森にいるのだから、木に触りたいし、きれいな空気を身近に吸いたいし!みたいな感覚。
わたしは正統派ルートにそれほど惹かれないってこと、でも自分の力だけでバリバリ進む感じでもないということが、よーくわかりました。

壁はコンクリートでできていて、それほど高さも高くない。一般家屋の塀くらい。
あ、壁だ、と思って。
上を乗り越えようと思えば乗り越えられない高さじゃないけれど、コンクリに腕とかお腹とか擦りそうだからな〜とカニ歩きしたら意外と壁は短かった、って感じで、そのまま通り抜けて。

熊と出会いました。

わたしと出会ったのは、リアル熊。ちょっと劇画調。よだれとか出てて凶暴そうな感じですよ。

ガオー!と吠える熊。

ぎゃー!と怖がるわたし。

…。

時が止まる。
その後に何が起きるわけでもなくて、わたしと熊のあいだに間があく。

間があいたことで、あれ?と冷静になって熊を観察。
ああなんだ、熊も怖かっただけか。熊もわたしにびっくりしただけか。
とわかった。

どきどきしますね…。
そうですね…。

と、少々ぎこちなく、でもお互い同じ気持ちだったねとわかりあったここちよさと共に、どきどきする自分自身を感じながら、丸い白いテーブルを挟んでお茶を飲みました。

うーん。この通りかもしれないなー、と思いました。

今度はリラックマ出演希望。

あ、いや違うな。
見た目が劇画調クマであっても、中身はリラックマだってことを「知っていれば」いいんだ…。

っていうかその方が、ギャップ好きのわたしはメロメロですので、それ採用。

みなさんはいかがでした?


...

つらつら - 2009年10月25日(日)

しばしの期間、日記を書くことを休止し、「君に届け」にどっぷりとはまり、ゲームまでやってしまったわたくしです。
(風早クリアしたので、とりあえず終わってみた)

ゲームをしてみて、それぞれの登場人物に対して自分がどのように感じているかってことを気づきました。
例えばわたしにとっては爽子は自信がない子ではないし、風早はゲームよりもっとかっこわるい子です(笑)

ピンの「あきらめちまえよ」ってセリフも、爽子のことをあきらめろというよりは、自分でいっぱいいっぱいで爽子のことが理解しきれないという自分を認めて、それでいいと、それをどうにかしようとする自分をあきらめろと、そういう風にわたしは取っているんだなあ、とかわかったし。

爽子のことは自信どうこうというより、「今までそうでなかったからそうではないんだな」と認識している子と見てるようだなあ、とかがわかりました。

なかなか興味深かったです。

ちなみにピンのセリフは、その後コミックスを読み直したらまた解釈が変化。
自分でいっぱいいっぱいになっていて、それで「爽子のことが理解しきれない」って言って、もういいよ、なんて言ってるんだったらあきらめろ、って意味か、と解釈しなおしました。


今日は、デパートにアロマのスペースができたので見てきました。

しあわせ…。

すごいたくさんアロマの種類があって、テスターあるから嗅いだことない香りも嗅げるし、オイルも使ったことないものがたくさんあるし…。

探さなくてもそこにあるという幸せをすんごい感じました。 (*^^*)

そしてその後は、ジェンベっていうアフリカの方の太鼓の体験に連れて行ってもらいました。
ジェンベって何?って状況で行きましたが、これまたおもしろかったです。

わたくし音楽にはこれまでの人生、あまり触れ合ってこなかったので、リズム感が悪いとは思ってないんだけど、「こういうものだな」という感覚がないので頭で何とかしようとしてしまい、覚えにくい。 (^^;)

そんなわけで出来なすぎたけど、まーいっかーと途中でいい意味で諦めまして。
耳と身体とで聞くことや手で叩いた太鼓の感触を感じることを重視しながら楽しみました。
歌も歌いましたが、例えると子供が聞こえたまま記憶に残っているまま歌うような感じで、周りの声を聞きながら、ある意味てきとーに歌いました。
でもそうやって「諦めて楽しんだこと」が久しぶりなことで、その久しぶりなことがとても楽しかったです。
子供の頃は、「諦めた」なんて思ってないのになあ、なんても思ったりして。

ダンサー参加でジェンベ叩きながら、ダンス見ながら(ダンスに目を惹かれて何度も間違えながら)、それがすごく自然の中で生きている感じがして良かったです。「これが自然の状態だよ」って場所に連れてきてもらった感じ。
あー、わたしまだまだ不自然だ!

そして、へたっぴ初心者でもその感覚だから、もう音楽が身についていてその自然な状態が当たり前であり、そういった状態で楽しんでいる人ってどんなよ!って思いました。

リーダーさんの教え方も上手で、周りを広い視野で見て、出来なくても大丈夫、良い悪いはないよ、という感覚で伝えられるところが見習いたいと思いました。
(わたしはニットのカーディガンを着てても寒かったのだけど、リーダーさんは裸足で半袖で、その姿にもエネルギッシュだなと)

時間としては2時間ちょっとやったのかな。
立ち上がるとふら〜っとする、いい感じに疲れました。太鼓を叩いていたから手のひらも何かじんじんとして、変。
でもすんごくおもしろかった!

また行きたいなー。
あと数回行ったら、普通にジェンベ買いそう。
太鼓叩いて歌を歌ってダンスして。
こりゃスピリットくるよねー。感謝の気持ちも届くってもんよねえ。

もうちょっとゆとりができたら、その間違いない感覚を異なる方向から確認してみたいなあと思います。

連れて行ってくれてありがとう〜♪


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つらつら - 2009年10月17日(土)

嫌なことがあったり自分の思うように行かないことがあったりすると、わたしは眠くなるってことが多かったんですが。
ネットをうろうろしていたら、納得する解釈がありました。

赤ちゃんの頃に、ミルクを飲みたいのに飲めなかったり、おしめを換えて欲しいのに気づいてもらえてなかったり、そんな感じで「自分の思うように行かないこと」が起きた時に、そういう自分の気持ちを「思うように行かないんだ」と諦めて、そして布団のふわふわの中のここちよさにその空間を埋めてもらって、そのパターンを今も使っている、…という解釈。

あー、それっぽい、と思いました。



あきらかに自分が変化していってることに気づきます。1年前とかと比べてもまるで違うことが。特に人との関係性とか。

以前わたしは、周りを悪く解釈する人が苦手でした。
その人の思い込みから見るもので、実際はそういうつもりはないということに対しても「感じ悪い」と評価するような方が苦手でした。

今はそうでもないというよりも、違う感覚になっています。
「!!」と感じていたものが、「?」と感じるというか。
1年前は「!!」だったんで、それを思い出して「変わるもんだなー」と。

「?」と感じて、理解するという形になっています。
「自分にそれだけ許していないことが多い人なんだなあ」とか、「大変そうだなあ」とか。
その人がどう受け止めているかっていうのが、直接的な言葉や態度を使わなくとも、言葉や態度として総合的に表現されるので、そう受け止められたくないと感じる人は離れて行っちゃうよなあ、とただ理解したりとか。

なんで周りを悪く解釈する人が苦手だったのかなーと今、見つめてみたんですが、どうやらわたしはその人からの承認を得られないかもしれない、と感じて、嫌だと感じていたみたいです。
その人からの承認が欲しかったんだねえ。

そして今なんで嫌だと感じていないかといえば、まあいろいろやってきたからでしょうが。
思い返せば、もはや日課になっているポノポノがとても有効〜。
「外部」からの承認を得ることへの欲求というか、必要性というかがなくなりますねえ。
自分自身がわたしのことを「愛してる♪愛してる♪」と承認しているので、それでもう満たされるみたいですね。
すごいなー。自分からの愛情ってすごいんだねえ。


うまくいっているのでどんどんいこうということで、これも早く手放したーい!と、しばらく見つめている思い込みがあります。
現在のわたしには、「自分の感じたことを素直に言ってはいけない」という思い込みがあります。
だから、自分の感じたことを素直に表現できる人に対して惚れぼれとするところがあります。
「あれよあれ、あれがわたしが欲しいと感ずるものなの!」っていう感じで。

でも、何を恐れているのかが全く見当ついていません。
自分の感じたことを素直に言ったらどうなってしまうと思っているんだろ?
その葛藤は、何かに対する意見とかには出てこなくて、わたしはこれが好き、わたしはこれが嫌い、ということへの表現に対して、抵抗が出てきます。
なんなのだろうなあ。

そのうちに、「なんだろうなあ、と思っていたなあ」と懐かしく思うんだろうなあと、信頼しています。

今までそうだったから、って信頼できるくらい積み重なってきました。
むふ。


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つらつら - 2009年10月16日(金)

マンガ大人買い読書シリーズみたいな感じで、「夏目友人帳」も一気読み。

あうー (T^T)

涙腺壊れますなあ。これまたおもしろいマンガだなあ。

読んでて、
さみしいとか、
かなしいとか、
いとしいとか、
感情が大きく動いて眼球水分過多になるたびに、ポノポノしてみてます。わたしが持っている記憶と共鳴しているんだろなということで。
つーか、以前までのように「わかるなあ…やさしいなあ…」と泣いて解放する、ってだけでは満足しなくなったカモ。 (^^;)

ポノポノしていると、それでいいよー、がまんしなくていいよー、むずかしくしなくていいよー、ってそのままふんわり包んであげられる。
ポノポノは、そのままじゃない余分なものをくっつけた姿をそのまま上からふんわりと包んだだけなのに、本当の「そのままの自分」を出してあげられる。
これって、なんて素敵なんだろか。

ヒーリングも、自分が自分のままでいられるなら、それだけでヒーリングになるんだなーってすごくわかってきました。
ポノポノして、誰かが言い争っていたり、相手の使う言葉からリラックスしていないことに気づいたり、どこか波風が立っていたりしても、わたしは自分のそのままでそれを見つめていれば、その場から周りからヒーリングが起きるなあと観察しています。

いろいろやろうとするものは、大抵がんばっているもので、そして自分が本当にやりたいものではなかったりするというか…。
自分が「そのまま」でいる、そのままの自分が「何か思うわけでなく、ただやりたいからやっている」って時を意識して観察していたら、それだけでヒーリングが起きているなあと感じたのでした。

自己探求系に飽きたら、身について新しくなくなったら、身について自分が新しくなったら、その自分で何しようかなーと思いはじめました。
これまでは「知るのがおもしろい」で、来ちゃったけどね。まあ切りないだろうし。知りたければ、わざわざ知ろうとしなくても教えてもらえそうだし。
まあ探検家タイプなので切りなくとも関係ないかもですが。
それはそれとして、何しようかなーって思いました。

ちなみに。
「君に届け」9巻を読んだら、別マで続きまで読んでしまう羽目になりました。
…高校生以来だ、別マ買ったの。
読み手もひと段落つきました。よかった〜。
もっかい1巻から読み返そう〜。


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つらつら - 2009年10月14日(水)

わたしは恋愛至上主義ではありません。
恋愛がパートナーシップ部門の幸せナンバー1ではないということも、先日の日記に書きました。

が、しかーし!

うおー!恋愛してえっ!

と、この度思うことになりました。それがナンバー1じゃなくても、幸せだー!

きっかけは、アニメ化もされた「君に届け」を8冊大人買いして一気読みしたからという単純さではありますが。まあ、いいだしょ。

その読むきっかけは、なあなあです。
突然今日、amazonでこのコミックスってどんな内容?と気になって(なぜ気になったのかもよくわからんです)、そうして、アニメになってるんだーとyoutubeで探し、1話2話と見てなんだかおもしろかったので大人買い、というコース。

そういや昨夜、男性性と女性性の瞑想をしたからこのきっかけが来たのかな…。(関係あるのか?)

読んで、涙ぼろぼろ、わははと声上げて笑う、そしてハートはきゅーん!きゅーん!
いやー、テンション高まる高まる!

基本わたしはラブコメ系は読んでるとかったるくなってくるのですが(←求む乙女)、この作品はそんなことなし!
変な勘違いとかでぐだぐだやってないから、イライラしなくて済むんですよね。(←男気溢れた言葉)

もっとも素敵なのはもちろん主人公のピュアさ。
自分の中にないと自分の世界に出てこない、ってのをちゃーんと証明して清清しいです。
周りがそういう気持ちでの行動でなくとも、本人には関係ない(見え方は本人内部の問題)のだなー、としみじみです。
そして、あの自分の気持ちを正直に伝えようとする様はすんごい見習いたいです。
あれが、あれが、わたしが今すごく欲しいものだ…。おお…。 (-_-;)

そして王子・風早もしゅてき♪
どこが気に入っているかというと、よくありがちな「初めは正義感からだったけど、それが恋に♪」ではなくて、初めから主人公を自分の目で素直に見ているところ。
そして、まー普通に理由なく好みです。 (*^^*)

8巻を、うおー!よけーなことするなよー!?と、丹精込めてコツコツと育てた作物を大切に思うように、読み終わり。

早く続きが読みたいでございます。
ねーねー、まだー?

…と出ている分は全巻買ってきたと思ったら、9巻ってもう出てんじゃん!
なんかネットでレビューを読むと、わたしの苦手な勘違いすれ違い的な内容のようですが、もうそんなの関係なーい!

今すぐ行ってきます!(本屋)


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ワクワク - 2009年10月13日(火)

どうもわたしは、一つずつ物事を終わらせていくということができませんな。
でも、そんな自分は嫌いではなかったりします。
ワクワクするものに、素直に進みます。

まだアロマ受講もタロット受講も途中だっちゅーのに現在、あるスクールの講義にとても惹かれています。

もともとそのスクールには興味があったのだけど、金銭的なこととか期間的なこととかでちょっとわたしの抵抗が大きくて、まあ「葛藤があるなー」なんて見てたりはしてたものの、いいなーって指をくわえて見ていた感じでした。
1年以上東京通いになるし、わたしはその内容を職業にしたい程かというとよくわからない。
でもわたしが好きなことだということはとてもわかります。

趣味レベルでそれでいいのかな…とか、いらん葛藤をしてみたりするわけですよ。
(ホントにいらん)

去年だか一昨年だかに、行きたいでも行けない、みたいな葛藤を延々やって疲れてしまったので、そのスクール受講に関してはもう、「いいなー」とうらやむだけの他人事にしていました。

今年の夏あたりに、その1年以上の過程の中から1セクション(3ヶ月くらい)のみ受講が可能になるということが発表になったのだけど。
へえ〜そういうのも始めたのだなー、とあっさりスルーしたのでした。

そうやって放っていたら先日、その講座内容関連でティーチャーコースができました。これが先日のことなのだけど。

それを見たら、突然火がつきました。

わたしは学びたい欲求が大きいので、自分が好きなことに関しては教えることも好きだったりします。(知ってればね)

でも、これまでいろいろやってきたものはどちらかといえば「施術すること」がわたしのメイン目的で、レイキのティーチャーコースも「京都の先生には会いたいし、教わる時間がとても充実するだろうけど、わたしはレイキを教えたいって感じではないんだよな…」とどうもピンとこなくて。

ファシリテーター(伝導者)となるものもいくつか受けていたりもしますが、自分が受けたいから受けてて、これまた伝える感じになったことがない…。
これができるよ、と公開もしていません。
今習っているタロットも、教えることができるレベルまで習うつもりはありませんでした。

ところが。
今回の、1セクション受講内容に関しては、とても「伝えたい」と感じています。とてもワクワクします。
って言っても1年やらないと教えられることにはならないかもですが、初めて思いました。わたしが伝えるのが楽しいと感じるのはこれだ、と。
伝えなくても純粋に好きだけど♪

そして。
全セクションを改めて見直してみて、いちばんわたしが興味があるのがその1セクションだということにも気づきました。
他のセクションもおもしろそうだけど、今もある程度できると感じているものであったり、その1セクションを深めれば自己トレでいけるんじゃないか?(これを自信過剰ともいう)なんて思うものだったり。
…あれ、お得じゃない?

次回(来年)は受けに行くかどうかはわかりません。
来年行かないとしても、2011年に行くだろけど。
楽しみだなー。

書いていて気づきますが、本当に葛藤って邪魔だわ…。
これがあると自分が惹かれていてお得情報であっても、全くもってスルーしたり気づかなかったりするってことを実感しました。


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つらつら - 2009年10月12日(月)

先日、ある旅番組を見ました。
路線バスだけ使って、日光から松島まで行くっていう内容。福島県内を移動するので、おおーここに行ったんだーとか、そっちのルート以外にないの?とか言いながら見てたのですが。

見終わって、この旅番組は果たしておもしろいのか?と思いました。

路線バスだけで行くので、日光から松島まで行くのに4日くらいかかっているのですが、もうね、早く撮影終わりたいだろうなーって印象。
なぜかっていうと、まずバスだけで移動だから疲れるだろうなーって思うのもありますが、それから、もうバスの時間が気になってというか最優先事項なので(1日に1本しかその方角に行くものがなかったり、待ち時間が1時間とか当たり前だったりするので)、コンビニで買ったおにぎりを路上で立ち食いしていたり、行き当たりばったりでそれが別に楽しそうに感じないし、観光もしているわけじゃないし、町の人とふれあうわけでもない。
ゆとりがない、って言うのかな。

ひたすら、バスの時刻を外さないようにして、1本後のバスにずらそうとかもせず、いちばん最初に来るバスの時刻の周りでちょろちょろと遊ぶ、という感じ。

そんなわけで、わたしにとってはあんまりうらやましくなったり幸せな気分になったりはしなかった旅番組でした。
松島に着いた達成感だけしか爽快感が感じられない…。 (^^;)
途中でおいしいものを堪能したりさ、ゆったり温泉とかさ、地元の人とのふれあいとかさ、旅番組はそこが楽しいんじゃんねー、と思いました。
もしくは芸人さんが行かされたりするような、ハプニングがおいしい旅とかね。

で。
ふと思ったんですが。

これ、「今に生きているかどうか」っていうのと同じだなあと。

目的意識を持っているのは素敵なことと思うけれど、そればかりを見て、いつもなんか焦っている感じ。
それってやっぱりもったいないよねえ。
目的地しか目的になってないって、えらいもったいない。

いつでもどこにいても、幸せを感じて旅をしていたいなあとこの番組を見て思いました。
人の振り見て、我が振りなおすきっかけに。

そんなわけで、結果的にわたしにとって素晴らしい旅番組になりました。ほんと、ひとつのことにいろんな面があるものだ。
せんきゅー。 \(^o^)/


...

ハト - 2009年10月11日(日)

数日前、玄関先が汚れていました。ちょうど扉を開けて横の方。
何だろうこれ?と見てもよくわかりませんでした。仕事から帰ってきて暗くてよく見えなかったり、朝は朝できゃあきゃあしてるのでよく見ようとしていなかったり。

自然物っぽいけど。草かなんかかしら?と思っていました。
アパートの廊下はよく近所の子供たちが遊んでいたりするので、彼らが何か散らかしたのかなーくらいであまり気に留めなかったんですね。
アパートの管理人さんが掃除してくれることをいいことに、まあ放っておこうと片付けもせずに放置。←女子

で。
管理人さんが片付けてくれてきれいになったんですが。

また同じものが玄関先に散らかっていました。


同じものが同じところに散らかるってどゆこと?
子供の散らかしだったら、そんなことは起こらないよなあと。同じもので同じ場所で遊ぶことはありえなくないけれど、玄関先なんか秘密基地になりそうでもないし、そこだけ散らかっているというのが「?」。

「?」と思いながら、ふと上を見たら。

おお。

ハトが、いました。

電気系統のボックスみたいなものの上に、ハトが。

散らかっていたものの正体は、ハトのフンだったようです。コロコロぱさぱさしているものなのですね。

えーと、ハト用のトイレ箱を用意しようかな…えさとかあげなくて大丈夫かな…冬ってどうしてるんだろう…。
など、突然ハトの世話を考えるように。

うちの軒先を選んでくれたのが、なんかうれしい。散らかるけど。

ということで、飼っているとも同居しているともいえませんが、ハトがきましたという日記。
どのくらいの期間かわかりませんが、どうぞよろしく。


と、のんびりしていたのだけど、よく考えたらアパートだからなあ。多分、そんなに一緒にはいられないかもね。
掃除して清潔にしておいて、あとは管理人さんに任せよう。


...

つらつら - 2009年10月10日(土)

最近、夢と現実に差がなくなって来ました…というとなんだかなあですが、感覚的にそんな感じです。

例えば、以前夢でやってたことを、現実でもやってたりとか。

かといって、デジャヴュとかそんな感じではなくて。
2人自分がいて、その2人の言い合いをもう1人のわたし(意識的なわたし)が眺めている感じ。



「認めない!認めたくない!」

どうして認めないの? 自分のそのままを、ただ認めればいいのよ。

「認めたら、その願いは叶うの!? 叶うって約束してくれなきゃ認めない!認めたくなんかない!」

願いが叶わないと、自分自身に起きていることを認めないの? どうして、願いが叶わないとしたら認めたくないの?

「うう…」



そんな会話が脳内に繰り広げられてました。(仕事中)
で、意識のわたしがそこで試しに「認めてみようか」と意図してみました。

そうしたら、認めたくなかった、ある自分の気持ちが現れました。
「ああ、やっぱりあるのか、この気持ち」と思いました。

認めたくなかったなあ。
願いが叶わないって思い込んでいたなあ。
それを欲しがって、手に入らなくて、悲しくなりたくなかったんだなあ。

っていう自分の想いが出てきました。

そうして、「叶うとか叶わないとか関係なしに、いいやもう認めちゃえ」と改めて認めてみました。

そうしたらどうなったか。

そのことで何が起こったわけでもなく、別にその願いが叶ったわけでもありません。

でも、自分の気持ちを素直に認めることができました。
今までずっとわたしが出来てなかったことが、できました。

よくやったよくやった、と褒めています。
願いが叶ってもこの感動はこないかも、ってくらい感動してるのがちょっと自分では正直微妙です。


...

つらつら - 2009年10月08日(木)

昨日の日記を書いてから思ったのだけど。

人生って本当に、自分の望む通りになっているものなのではないか、と思いました。

スピ系とかでよく聞くけども。
考え方次第で受け取り方も受ける感情も変わるということよね、とそういうものを読んだわたしは思っていたのですけども。

本当に、自分の望む通りになっているんじゃないか、と突然に思ったのでした。

望み通りになっているのに、その自分の望みに気づいていないから、悩んだり、迷ったり、しんどくなったりするもんなんではないの?、と突然思ったのでした。

本当の自分の望みに気づいていれば、やっほう♪という事柄なんではないかしら。
望みが叶っていることに対して、「嫌だなー」とか「気が重い」とかやっているんではないかしら。わざわざ。

要するに、「自分の望みが叶わないなんてことはありえない」んじゃないかと思うことになってみました。
ただ、本当に自分が望んでいることを、意識的な自分が認識できていないだけなんではないかと。

自分の望みが叶っていないという方が幻想だ、という説が少しわかってきたような。

「桃太郎の役をやりたい!」とお芝居に参加するけどそれをすっかり忘れていて、「なんで桃に入って川を流れてるんだ…みんなと同じように生まれたかった…」とか言っているようなもんなのかな。
忘れていなかったら、「どんぶらこ♪どんぶらこ♪」と楽しんでそうな気が。

忘れていても「望み通り」を楽しんでいたら(もしくは、楽しめなくとも葛藤せずに過ごせていたら)、そうなるともう自然の法則というか、「あえて忘れてみた」けど繰り返すごとに「望み」は浮き彫りになる気がします。

まだまだよくわかりません。
でも、これまた「大発見!」みたいな感覚で思ったので、一応書いておくです。


...

つらつら - 2009年10月07日(水)

昨年の夏、エンジェルレイキを習いに行きました。
それで天使たちから道具を授けていただいた時に、わたしは虹色の羽をいただきました。
虹色だって♪かわいいな〜、とお気に入りでした。でも、虹色ってなんだろ?と思いました。

エンジェルレイキが終わる時には、みんなで一枚ずつタロットを引きました。これからのこと、を意図したのだったかなあ。どうだっけ?
わたしの引いたカードは“戦車”のカードでした。タロットを今よりもよく知らなかったわたしはネットにて調べてみましたが、「ふうむ?どういうことなんかな?」という感じでいました。

で。1年経ちました。
タローデパリを使うようになりました。
今は一枚ずつ、絵柄と意味を見比べているところ。初級講座の復習というか、ダウンロードというか。

先日、一緒に習ったヒーラー仲間さんからの話にて、「ああそういえば、エンジェルレイキの講座の最後にタロット引いたなあ」と思い出しました。
引いたことは忘れているのに、何を引いたかは覚えています。

“戦車”かあー。
そうか、そう言われてみれば、あれからバリバリ自己探求系の本読んだり、前世療法講座や自分クリーニングの講座を受けに行ったりやってるなあ。

と、タロットを始めた今、わかる感じになりました。

そうして、へえーとか思いながら、自分のタロットを一枚ずつ見ていく作業をしていました。

そして。
タローデパリの14番目のアルケミーのカードそしてカード解説を見た時に、ああっ!と。

アルケミーのカードのストーリーは、このようなことが解説書に書かれています。


「大アルカナ7番目のカード“戦車”に登場した4頭の馬※タローデパリでは馬が4頭は今や一つの力に統合され、…」

「騎手が手にした剣は太陽を差し貫き、思い込みや丸覚えからではなく、直接体験から知識を得ることの重要さを強調しています。(略)光そのものは、プリズムを通過するまでは色を持ちません。この絵柄では、光の輪に包まれた騎手のヘルメットに一条の光が当たり、…」


ちなみにこのカードは、「自分のために行ったことが周りに広がる」というカードでもあります。自らが反射板となって、周りに虹色の光を放ちます。

一年が経ち、意味のわからなかった&そういうことがあったことも忘れていた戦車と虹色が、今になって一つのカードでわたしの中で繋がりました。
「大発見!」という感覚、そして全てのパーツや情報が集まらないと(わたしに繋げる準備ができないと)繋がらない、というこの感覚を感じて、それがたまらないです。ワクワクします!

ありがとう、って思うし、その通りですね、って思うこの感覚。

そっか、そういう役割か。
演じきってみます。



最近、松田翔太くんがよく夢に出てきます。
でも、どうやら中身が松田くんではない。TVでのイメージよりも柔らかい感じ。TVで見る方が肌もきれいです。
松田くん好きなのでうれしいですが、「これ誰?」って思います。
見た目が松田くんだからではなくて、その「松田くんもどき」さんと夢を一緒に過ごすと、すっごい幸せを感じます。ああ、わたしはこういうことが幸せなんだ…と確認したりします。

誰なんだー。どこにいるー。
見た目に惑わされずに、アンテナ立てておこうと思います。
こういう時に何気に前世療法講座を利用している今日この頃。
見た目じゃなくてその人のエネルギーを感じて、知っているエネルギーかどうか確認する作業。

知ってる人のエネルギーなのかなあ。まだ知らないのかなあ。
(まだ見つけていない)


そうそう。
最近気づいたんですけど。

わたしにとって結婚自体はまだよくわからないものなんですが。
それなら結婚じゃなくて恋愛をしたいのかな?と思ってたんですけど、そうでもないみたいです。
そうではなくて、あの「松田くんもどき」さんと一緒に過ごしている時のような幸せな感覚を現実でも味わっていたいと。
付随する可能性もあるのかもしれないけれど、結婚や恋愛がわたしにとっての幸せのメインではない感じ。(パートナーシップ部門ね)

意識の部分では、気づいたばっかり、みたいな感じですが、ちゃんと今までの生き方がそれを物語っています。
頭でわかっていなくとも、ちゃんと自分が望むように生きている…。すごいな。

そして、そういえば以前タロット引いたら、「恋愛観を広げろ」と出たんですわ。
こういうこと?今まで周りからインプットしていたもの以外、今まで「こういうものだ」と思い込んでいたもの以外のものをみなさいってこと?

…誰かわたしの取説をください。 (^^;)


...

つらつら - 2009年10月03日(土)

「嫌い」は重要。
「嫌い」はチャンス。
ムッと来たりイライラしてきたりしたら、今だ!って感じ。

「嫌い」は自分を許すチャンス。

よく本とかに書かれているけれど、わたしは「自分を許す」って意味がよくわかりませんでした。
わからないなりに、許すぞーとしてはいたけれども。

マイブームのため、ひたすらポノって、そうしたらあんまりうれしくない感情もクリーニングのチャンスと捉えるようになりました。
それまでもうれしくない感情を見つめる系はしていました。自己観察。ただありのまま観察する、そういう感じ。
ポノでは、比較するともっと積極的に受容するというか、うれしくない感情をウエルカムな感覚で迎えているって感じがわたしにはあります。

そうしてポノを繰り返すうちに、自分を許すって意味がわかりました。

「イライラ」をポノで手放していったら。
あ、これ、自分に許してないや、って。

たとえば、陰口を言っているのを聞いて「本人に言えばいいじゃない…イライラ」となった時にポノって。
ああ、わたしは「陰口を言ってはいけない」って思い込んでるなー。陰口を言うことを自分に許していなかったんだなーって。

そうして、自分に「別に、陰口を言ったっていいのよ」と許しました。
そうしたら、ふうっと何かが取れて。

陰口を言っている場面を想像してみました。
「わたしはあの人のこんな嫌な部分に気づいたぞ、知っているぞ」と競い合っていく、そして同調し高まっていくエネルギーをイメージしてみました。

パワフル。
でも、その場面にいるイメージの中のわたしは、表情に何かこわばりがある…。やわらかく笑えない感じ…。どこかが緊張をしている表情。
なんかを無理してるな…。それがなんだかわからないけど。
知的にはそれを楽しんでいる感じを受ける…。でも顔が。←気になる
ハートはワクワクしたり楽しいとは感じていないみたいだ…。

ふーん、ハートがおもしろくないんじゃそんなに楽しくないんか。
っていうか、顔がさあ…あんな緊張を感じてたら疲れるっていうか、美容の大敵よねえ。
お肌のお手入れ大好きなわたしにとって、それはおもしろくないことというか、興味ないや。

そんな風に変化していきました。
初めの、「言ってはいけない」というエネルギーからの変化。「興味ない」

そうして、いろんな「イライラ」なり好きじゃないことを察知する度にポノっていたら。
わたしはそういう一般的に「そうするといい」とされていることに対しての葛藤が多いことに気づきました。
よいことに対する葛藤が多いw

ポノで、感情込めるわけでもなくただ「許してください」と唱えて。
そうしたら、「あ、これをわたしも別にやってもいいって風に許してないや」と気づいて。

「愛しています」とただ唱えて。
そうしたら、許した自分も許せない自分も、どっちも同じように愛しているから大丈夫よ、と感じて。

残りのフレーズも、許す自分にも許さない自分にも同じように平等な響きで浸透していくことを感じて。

そうしているうちに、手放せていっているような気が。
軽くなっている感じ。

そうして満月になりました。
自分のよいところもそうでないところも高まっている時期の自分を感じて、「これが今の自分」と味わってみました。

悪くないね。



追記。↓

わかっちゃった。少しだけ。
上の方で、

「でも、その場面にいるイメージの中のわたしは、表情に何かこわばりがある…。やわらかく笑えない感じ…。どこかが緊張をしている表情。
なんかを無理してるな…。それがなんだかわからないけど。」

と書いているけど、それがちょっとだけわかりました。

「自分のことと受け入れていないからこうなっているんだなあ」って。
「自分はその件に対して無力であり、どうにもできない」と感じているから緊張すると。

確かに、ホ・オポノポノしながら誰かに対する不満を聞いたとしても、緊張している感じにはならないなあ。ポノポノは「自分のこと」としているもんね。

っていうかポノポノしていると、もうそれを「陰口」って感じないね。

ともなって、108か引き寄せ関連で読んだ「変えたい現状を見ていても変えられない」ということともつながりました。

「陰口」としている時は、「自分はその件を変えることができない、無力である、でも現状の良くない部分を見つけることはできるぞ!」としています。一生懸命、良くない部分・良くないその時(過去)を見てる感じ。時間の流れが止まっている感じ。

ポノポノしながらだと、「自分のどの部分に関係しているのかな?」としているから、もう自分の望む部分に焦点が当たっている感じ。流れに乗って進んでいる感じ…。

はあーん。ほおー。へえー。
すごく感心しているひとです。


...

つらつら - 2009年10月02日(金)

「よいこと」は、自分にとってよいこと。
だから、「よいこと」は、わたしが好きなこと。わたしが好きなことが「よいこと」。

ある人にとって「よいこと」でも、わたしにとってそうではない場合もあるし、逆のこともあります。

わたしはそうは思わないな、と感じたら、そういう自分の意見を言うよりも、最近ではもっぱらホ・オポノポノ。

すると、わたしが何も言わないでいても、実際に言葉で伝えようとするよりも伝わるようです。

言葉で「わたしはこう思います」と伝えようとして、断固たる考えがある方から「それは間違っている」と総攻撃が返ってきたことがあります。

同じ話題で同じ方が話し相手で、今回は否定も賛成もせず「そうなんですね」とポノポノしながら聞いていたら、なんていうか…わたしは何も言葉としては言わないんだけど、空気というか肌からというか、耳でないところで「聞こうとされている」ことを感じました。

自分が聞こうとするから、相手の言いたいことを聞き取ることができる。
自分が聞きたくないとなっていれば、聞き取れない。

当たり前、と思いながらも、んーなるほどー、と感じています。


...




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