Diary?
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2005年01月30日(日) べうべうと

 べうべうと風吹きすさぶ。私は、冬の気温は低くても湿気は多い気候に育ったので、関東平野のこの乾き切った冬の風が辛い。辛いというよりも、なんだか悲しい気分になってしまう。こんなに寒くて風が容赦なく吹き付けて、なのに雪が降るでもなく見上げれば間抜けな青空が広がっている。泣きたくなってくる。

 そういえばべうべうという言葉、今の表記ではびょうびょうだけれど、狂言では犬の鳴き声として使われる。「暮らしのことば擬音・擬態語辞典」によると、江戸時代まで犬の鳴き声は「びよ」だったらしい。人に尋ねてみたことはないけれど、私は子供の頃から犬の鳴き声がどうしても「わん」とは聞こえなくて不思議だった。びょうびょうやびよの方がよっぽど近い気がするのだが。皆さんいかがですか?犬は何と鳴いていますか?

 さてそんな北風ぴーぷーの週末、珍しく二日とも出かけた。偉いぞ私。昨日は吉祥寺で定例のお茶会。0次会のはずのヴィレッジバンガードダイナーでの昼食が、ついつい昼酒会と化す。だってほら、メニューがソーセージだのフィッシュアンドチップスだので、ビール飲まずにおらりょうか。すっかりいい気分で、今日はもういいや的な空気が流れていたのも事実だが、そこはまあ一応お茶会だしってことで。幹事さん宅で玉露と雁音と焙じ茶を頂く。今日は夕刻から都内某所で秘密な感じのライブに行き、他にもいくつか用を済ませて帰ってきた。うむ、私としてはなかなか活動的な週末だった。


2005年01月28日(金) AB沢

 会長を辞任した翌日に顧問に就任するなんて、common senseが欠けておるよ、チミ。うーわっはっはっはっは。

 今日一日、日本中で何人の秘書が拳を固く握りしめたことであろうか。ご愁傷様。


2005年01月26日(水) 無害ですが食べられません

 脱酸素剤やゲル状保冷剤に「無害ですが食べられません」と表示してある。あれを読むたびに何となくいらいらしてしまうのは何故だ。無害なら食べたっていいのではないのか。味の問題なのか。しかしそれなら「食べても無害ですが美味しくありません」ではないのか。もしかして食べられませんというのは、食べようとしても何らかの理由でどうしても食べること叶わないのか。袋を開けたとたん気化するのか。そして気化したそのガスを吸っても無害であると。はたまた袋を開けたとたん何か形の定まらぬぶよぶよしたものが躍り出て跳ね回り捕まえようとしても手の間をぬらりぬらりとすり抜けて挙げ句の果てに流しの排水口からずるずると下水へと逃れてしまうのか。それなら確かに「無害ですが食べられません」だ。ああなるほど。


2005年01月24日(月) 神保町の日

 岩波ホールで「酔画仙」。朝鮮王朝の末期に実在した画家の物語。

 客層は年配の女性が多い。いわゆる「韓流ブーム」の余波と思われる。

 韓国の映画って、最近のアクションものも純愛ものもあるけれど、この映画のように「情念どろどろ、悲惨な人生の物語、でも映像が美しい」といった特徴を持つ一連の映画が存在している。私はそれが好きで観に行っている。「春夏秋冬そして春」の時も思ったけれど、韓流ブームの流れでこれらの映画を観てしまったおばさま達は、一体どのような感想を持ったのだろうか。このタイプの映画に共通することがもう一点、ものすごくリアルなセックス描写ってのもあるのだ。別にことさら裸や性器を映したりするわけではないが、もうエロとかいってられないような動物的なセックスが描かれる場合が多い。今日もそういうシーンがあって、客席が息を呑んで固まっている感じがありありと伝わってきて、何となく親と一緒にテレビ見てたら濡れ場が始まってどうしましょう的な身の置きどころの無さ。終わってからも、みんな映画のことを全然喋っていなかった。いきなり「昨日の韓国ドラマが」って話になっててちょっと面白かった。

 お昼過ぎに終わったので、神保町をぶらぶらしながら文銭堂の地下の「莉須凡」でお昼。けんちん汁セット。ほどよく煮詰まって味のしみたけんちん汁と、今日のおかずは竜田揚げとシャキシャキのきんぴらゴボウ。ここのご飯はすごく普通で良い。特にごちそうではないけど、ちゃんと作りましたという感じがする。そういえばここは甘味処なのに、お弁当しか食べたことがないなあ。

 あ、昨日のカレーは大成功でした。すごくコクが深くなった。果物系のチャツネは酸味があるけれど、お茶ジャムは酸味じゃなくて苦味だからなのか、大人の洋食っぽい味に仕上がった。ハヤシライスやビーフシチューにも入れたらいいかもしれない。


2005年01月23日(日) 茶つね

 今日はぼちぼちとOSXの様子を窺いつつ二胡を弾きつつ、寒いのでひきこもっていた。週末2日とも家から出なかったけれど、私は明日も休みなのだやっほーい。月に一度の有休消化。岩波ホールに映画観に行って神保町うろうろしようっと。




 で、今日は冷蔵庫にあるものでカレーを作ろうかなと。そこで思い出したこの新茶ジャム。この間友達にもらった。「カレーを作る時にチャツネとして使うと美味しいらしい」との情報とともに。茶だけにチャツネってか。ばんざーい。でも使う機会がなくて冷蔵庫に入れっぱなしになってた。今こそ開け時だわと思って開けてみた。当然のことながら、お茶の色。濃い緑の、粘性のある物体というのはスライムくらいしか見たことがないのでびっくりする。ひとくち舐めてみる。…これはあれだ、お茶の飴。まんまあの味。

 さすがの私も少々ためらいを感じたのではあるが、せっかくだからジャワカレースパイシーブレンドで作成中のチキンカレーに投入してみた。現在煮込まれている最中だ。さてさてどんな味になるのやら。


2005年01月22日(土) Panther




1月22日午後、バックアップの合間に洗濯や食事を済ませ、
今からPanther導入作業に入ります。

5年前のiMacDV SE、
内蔵メモリ128MB増設無し←不安材料。

みなさま、私がネット上で音信不通になったら
何か可哀想な事態になったと思ってしばらく見守っていて下さい。

では。


夜追記。
9.0.4→9.1→9.2.1→9.2.2→ソフトウェアアップデート→Pantherを一日でやると疲れます。
まあなんだ、いくつか出たエラーをぶっちぎってなんとかなったわよ。
あとは使い方を把握する「だけ」です。ああ目が慣れない。


2005年01月20日(木) 李白の会 第一回定例会@有楽町紅鹿舎






 喫茶店巡りの会を結成した。今のところ会員は私と同僚一名、総勢二名。会員数は少ないけれど、その分フットワークが軽い。というわけで結成とほぼ同時に第一回定例会を開催する運びと相成った。
 
 記念すべき第一回定例会は、有楽町の「紅鹿舎」で行われた。ピザトースト発祥の店、だそうである。当然ピザトーストを食べる。メニューを吟味した結果、「チキンカレーのオーブン焼き」も頼む。コーヒーはブレンド。何故か勢いに乗ってホットケーキまで食べてしまう。おなかがいっぱいだ。喫茶店なのに。さすがにピザトーストが美味しい。が、コーヒーよりもビールが欲しくなる味という気もする。

 今日は第一回なので、食べながら今後の会についての話し合いを持つ。会の趣旨としては、コーヒーの味の追究はしない。とりあえずブレンド。割とフードメニュー重視。その店にしかなさそうな食べ物は食べてみる。二人とも行ったことのない店を優先する。その後にどちらかが行ったことのある店でおすすめのところを紹介し合う。定例会は月に一度のペースで開催する。会の名前は、私達の愛した今は無きあの店に敬意を表して「李白の会」とする。というようなことが話し合われた。

 この会の記録ページを別に作ろうと思っている。普通にHTMLで作るか、掲示板もうひとつ借りるか考え中。月一くらいの更新だとブログってほどのこともないし。何か簡単なツールないかしら。


2005年01月18日(火) シャガク好きなもんで

 ヨン様ブームと白馬の王子様幻想について。関西の女性はダメ男が好き、名付けて春団治症候群。関東の女性はしっかりした男性に甘えたい。日本の男性は基本的にロリコンなのか?

 今日は職場で上司とそのようなことを論じた。面白かったのでもう少し思考を深めて書いてみようと思ったのだが、帰りにちょっと飲んでしまって酔っぱらいなので挫けた。後日の宿題。


2005年01月17日(月) 10年前

 10年前の朝、私は世田谷の叔母からの電話で起こされた。

「ふぁい。」
「もしもしKちゃん?あなたお家に電話した?」
「んあ?えーと、先週しましたかねえ。最近はしてないかなあむにゃむにゃ」
「…Kちゃん、起きなさいっ!起きてテレビ見なさいっ!大きな地震があったのよっ!お家に電話しなさい!じゃあ切るから!」
「へ?」
「ツーツーツーツー」

 なんだ?テレビ?パチ。

 関西で大地震との字幕、どこかの街がむちゃくちゃに壊れて燃えていた。その時点で私の頭はショートした。関西全域があんなことになったのかと思って、心臓が口から飛び出しそうになって息が苦しくなってがたがた震えて、感情なんて麻痺してるのに涙がぼろぼろ流れた。震える指で実家の電話番号をプッシュしながら、どうやって帰ろうどうやって帰ろう、新潟に出て日本海側から行けば帰れるだろうかなどと変に細かいことを考えていた。日本海といえばうちは原発から30キロ圏内だってことも思い出してしまって、よけいにパニックに陥った。

 今から思うとラッキーなことに、電話は一度で繋がった。父の「いやあ神戸はひどいみたいやなあ、今テレビ見てるんやけど〜」という呑気な声が聞こえてきた。母は「外に出た方がええかなと思ったけど、外は雪で寒そうやったから布団にもぐってた」などと笑っている。腰が抜けた。生まれて初めて、本当にこれが腰が抜けるってことかと知った。大阪の友人達には一日中電話が繋がらなくて心配したけれど、その頃には私も被害の範囲を認識していたので割と落ち着いていた。

 これが私の10年前の一日。さすがに鮮明に憶えている。


2005年01月15日(土) 山は生きている〜

 寒いし天気悪いし病み上がりだし、今日は引きこもろうと思ったのだが、朝の9時に宅急便に叩き起こされたらもう眠れない。この天気じゃ洗濯も布団干しもできないので、目黒シネマで「モンスター」と「CODE46」を観ることにする。「モンスター」は、何となく20年くらい前のドイツ映画みたいだった。三鷹オスカーあたりにかかってたような。「CODE46」は割と好きかな。でも主演のサマンサ・モートンって「モーヴァン」の印象が強くて、観てるうちにマリアなんだかモーヴァン・カラーなんだか、ストーリーまで混同しそうで困った。

 で、先月と同じ轍を踏み「ソウ」の予告編に鳥肌を立て、「茶の味」の予告編で「やーまーよ、山よ」が耳から離れなくなったのだった。ああもう。


2005年01月14日(金) 本年の野望

覚え書き。

スイミング再開
パンサー導入 とりあえずパーテション切ってOS9と併用
それに伴いiPod導入
宮古島
ぶくぶく茶
京都観光
父と旅行
髪を伸ばす
ベランダー再開
ポジション移動とヴィブラート


2005年01月12日(水) 粉食決算

 三連休、一歩も外に出ずに過ごしたおかげで復活を遂げたわけではあるが、どうもお腹の調子が万全ではない。一時は真剣にノロウイルスを疑ったものだ。昨日、ノロウイルスのことをトロウイルスと言った人がいて、それは何となく脂が乗ってて美味しそうだと思った。それはともかく、調子が悪い時に限って何故か辛ーいインドネシア料理を食べてしまったりもするのだった。食欲がいつもほどには湧いてこないので、お腹のことはさておき(何を食べても結果は同じなので)とにかく食べたいと思うものを食べてみようと思い、その結果、昨日はインドネシア料理、今日は粉食の日と相成った。

 普段は、だいたい一日の食事で米飯と麺類のバランスを取っている。昼がご飯だったら夜は麺というように。しかし今日はすごく粉モノが食べたかった。朝・昼とパンを食べ、夜はタコ焼きが食べたくて銀だこに行った。ねぎだこの小舟。大根おろし入りのたれにつけて明石焼きスタイルではふはふ食す。美味しい。しかしそこで、今日ひと粒の米も食べていないのは米農家の娘としてどうなんだろうと自省し、気休めにたこ飯のおにぎりを追加する。あんまり美味しくない。そして自分がねぎ臭い。


2005年01月09日(日) 猫耳を襲われる

 何だそれは。猫耳を着用した女子ばかり襲う通り魔か。それなら猫耳を外しさえすれば襲われることはないので話は簡単だ。猫耳に水なんてのは、たぶん誰かが「こんなオモシロイこと考えちゃったよ(≧▽≦ )」とかそういうテンションで書いてるだろうなあと思うのだ。ジオシティーズとかで。いやなんとなく。イメージですイメージ。

 そうではなくて、この天気の良い三連休に寝込んでいるのだった。そういえば毎年このくらいの時期に寝込むような気がする。帰省疲れで。疲れることはわかっているので、最近は前もって自分に御褒美を用意しておくのだ。例えば狂言のチケットを取っておいたり、旅行の予定を立てておいたり。それを楽しみに東京に戻ってくるのだ。そうすると、気力で体力をカバーできるのであまり倒れるようなことはない。

 今回は旅の予定を立てていた。名古屋に二泊して、前半は一人旅で養老の天命反転地で平衡感覚を鍛え、後半は友人達と合流してかの名高き「マウンテン」 で恐怖の甘口スパゲティでも食そうと思っていたのに。ちぇ。げばら。すまんまだ熱が下がらなくて。

 マウンテン単独行は危険だと思うのでやめておくが、養老はずっと行きたいと思っていたので、天気の様子を見ながら来週か再来週にリベンジだ。とりあえず寝る。


2005年01月06日(木) アラブな母

 お正月に、NHKでシルクロードの新シリーズを父と二人で見ながら母のことを思う。一緒に見たかったなと思う。

 母は、それはもうシルクロードやらアラブ世界やらを愛していた。オタクであった。終戦直後、大学に進む女性自体がそう多く無い時代に、大学でアラビア語を学んだ人である。一体なぜアラビア語だったのか。それを尋ねておかなかったのが悔やまれる。そんな時代にアラビア語ができたからといって別に何の得にもならなかったらしく、しばらく貿易関係の翻訳などしていたようだがその後の人生はアラビアとは全く関係無く暮らしていた。しかしアラブオタクであった。「タリバン」にしても「王国のサバイバル―アラビア半島300年の歴史」にしても、まさか日本の農村で70代の婆さんがこの本を読破していたとは著者も出版社も思うまい。

 そもそも気質としてオタクの素質があったようで、鉄道関係にもうるさかった。地図マニア、時刻表マニアで、やはり70代になってからのことだが「廃線になるローカル線があるから乗りに行ってくる」と一人で出かけて行ったりした。

 母がそういう人だったので、私は「変人」についての基準が少しシビアだ。「私って変わってるってよく言われるのー」「彼はアーティストだから少し変わってるんだよ」などと聞かされても、うーんママほどは変わってないなと思ったりする。わがままで、高慢で、家事はまったく苦手であまりお母さんらしくはなかったけれど、とにかく見てて話してて面白かった。ほんと飽きなかったわ。


2005年01月05日(水) 明けましておめでとうございます

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
今年もぼちぼち書きますのでよろしければおつき合いをお願いします。

昨日の夜に東京に戻り、今朝宅配で送った荷物が着いて、今日は普通に仕事をしました。三田の「りょう華」で初餃子・初ラーメンしてきました。明日は二胡の初レッスン。

さて昨日の夜は、部屋の鍵を宅配の荷物の方に入れてしまっていたために、部屋の前で呆然と立ち尽くす羽目に陥りました。幸いなことに大家さんが留守でなかったので、鍵を借りることができました。なんだか以前にも正月早々、大家さんの家に駆け込んだ記憶があるのですが、それはこのエンピツ日記の第二回に書いてましたね。2年前の1月4日。何でしょう。正月の夜に何かが起きる運命なのでしょうか。いや昨日のは自分のせいでした、はい。

帰省中の日記は、おいおいこちらに転載しようと思います。今は疲労が甚だしいのと、今週末ちょっと旅に出る予定なので少し遅くなりそうですが。


2005年01月04日(火) 帰省日記01/04 移動日

 


東京へ。
期間限定・携帯日記も今日までです。書いてみて思ったことは「携帯のバッテリーって切れるんだねえ」。普段ほとんど使わないので、バッテリー切れなんて見たことなかったよ。写真撮ったり文書いたりしてたら初めて充電して下さいってメッセージを見た。


2005年01月03日(月) 帰省日記01/03 ナカノOhYeah!の皇子




この雪で唯一有り難かったこと。柚子の樹の上の方の、普段は届かない枝が雪でしなって降りてきた。今がチャンスとばかり収穫する。さすがにもう大分スカスカになってきているが、たくさん絞って和え物に使ったら美味だった。

午後、町内の人が所用で来訪。父がお引き止めして飲み始める。今年はうちにおせち料理の用意が無いので焦る。なんとか有り合わせのものをお出しして、酔っぱらい爺二人の相手をしたり世話をしたり。
ぐでんぐでんで「長靴がうまく履けない〜」などと大騒ぎしながら、その人は軽トラで帰って行ったのでした。相変わらす無法地帯だ。ああ、田舎暮らしに危険のタネは尽きない。…って、だいじょうぶかマジで。


科学と非科学の間/安斎育郎

映画
グース

TV癖がついた。大化の改新を見つつ。


2005年01月02日(日) 帰省日記01/02 地響きがするのです

 


雪は一段落。
しかし屋根から大量の雪がどっかんどっかん落ちてくるので外に出る時は油断できない。元々藁葺きだった農家なので、屋根が急勾配なのだ。昔はこの落ちてくる雪に埋もれて亡くなる人が時々あったようだ。ああ、田舎暮らしに危険のタネは尽きない。

午後から幼なじみと喋りまくる。この間会ったばかりだけど。そのまま一緒にカニ鍋。

昨日からシルクロードにどっぷり


2005年01月01日(土) 帰省日記01/01 初茶

  


お雑煮。里芋、金時人参、三つ葉、焼いた丸餅。出汁は適当。私が作るようになってからは専らほんだし。味噌は100パーセント白味噌で、あまーい。鰹節をトッピング。

今年最初のお茶は、抹茶入り白折
お茶うけは茶々餅。


午後がヒマだったので、せっかくだからとBSを見続けてみた。一年分くらいTVを見た気がする。スケッチショウ+坂本龍一(=YMO)のライブが見られたのはラッキー。無意味良品とかいう番組がバカで最高。阿川佐和子ってこんなキャラだったかなあ。

映画
イルマーレ


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