Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review
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2005年12月30日(金) 「え?アジカン瞑想?」「たださん、そのアジカンではないですよ、もちろん」

音楽サイトmusicircusにて、「2005年に聴いた10枚」という企画が更新されました。
ジャケが並ぶ。
盟友堀内さんとの思いがけない共同企画。

わたしは「ベスト10、順位は文章の順」としました。
『ロヴァ耳日記・2005年度年間ベストCD有馬記念』は、義太夫、ジャレット、マッカートニーという着順でありました。
さすが大川耳次郎さん。的中。

ううむ。限りなく独り遊びであるゆえ、そこはかとなくむなしいぞ。こんなに自信もって世界に向かってハローなんて手をふるのに。
たぶん、ぼくはこのエゴイスティックな聴き方を、やはり変えることはできなくて。
今年も「聴けてる」と思えた一年なのだけど、聴くべきなのに聴いていないCDも多い気がする。

ジャケが並ぶ、その下に「Jazz Tokyo」に発表したベストにリンクしています。
これまた壮観なりや。みな説得力のある推薦文の数々。
未聴のCDは全部捕獲する来年の3ヶ月になりそう。

さっそく『密教 阿字観瞑想』を買うぞ。
高野山に行って、阿字観瞑想をしたのだ。「え?アジカン瞑想?」「たださん、そのアジカンではないですよ、もちろん」


2005年12月27日(火) 【Mr.Children DOME TURE 2005 “I♥U” 12/27(TUE)in東京ドーム】

ミスチルライブのあと。夜更かしして編集CDRを試作。カップやきそば「おれの塩」にお湯を注いで放置したまま忘れてしまう。

平井英子が歌う「うさぎのダンス」、ラ・ブームの「バンザイ」、オーネットコールマン「裸のランチ」、ミドリカワ書房、ピェン・スレッギル、アジカン、篠田昌巳(as) as Compostela、特撮 feat.三芝理(p) and Narasaki (vo,g)、スブラクシュミ、トミフェブ、ハルカリ、ジャングル大帝のテーマ、ミスチル、曽我部恵一、くるり、ハナレグミ・・・。前半のめくるめく刺激に対して、後半のJポップ連打に余裕のなさを感じる。選曲構成の練り直しだ。

スブラクシュミまでの展開がかなりいいので、なんとかかたちにしたい。

と、仕事でも見せないような集中力をもって編集CDRを作っていたりして。
なもんだから、カップやきそばをまたダメにしてしまった。たまごとソーセージを焼いてごはんでたべる。
なもんで、爆睡してしまい、翌朝遅刻する。
上層部に遅刻の理由をきかれる。
「わたしの自己管理責任です。厳しいご処置をお願いします。自宅謹慎1週間というのはどうでしょうか。」とお伺いをたてる。
却下される。

【Mr.Children DOME TURE 2005 “I♥U” 12/27(TUE)in東京ドーム】
11月27日の曲目に「Sign」が加わった。
DVD収録ライブのせいか、こなれた展開でなかなかに良いライブでした。「innocent world」は1番ぜんぶを観客が歌って、東京ドーム全体が若い女の子数万人のコーラスになる。ありがたや。ありがたや。

ライブのラストに。小林武史が登場する。ひときわ大きな歓声。「Sign」のイントロ。悲鳴に近い歓声。
「緑道の木漏れ日が君に当たって揺れる 時間の美しさと 残酷さを知る」
残酷さを知る、の歌詞のところで映し出される櫻井くんの表情。厳しい表情に宿る確かな覚悟。達観。
ほんに日本は仏教の国であるのだ。なんまいだぶ。なんまいだぶ。

Mr.Childrenというのは小林武史のプロデュースによって「かたち」になっている、という。すぎる当たり前なこと。
櫻井くんの作曲能力はすごい世界的なものだ。それをこうした「かたち」とし続けている小林武史もまた偉大だと思います。
タイコのジェンくんのミスチルサウンドへの貢献についても同様なことが言えてる。

DVDにするんなら「sign」入れとかないと売り上げがぜんぜん違うよねー。と、クールな分析も耳にした。そうだよねー。


2005年12月26日(月) 『ロヴァ耳日記・2005年度年間ベストCD有馬記念』 オッズ

おおっと。1番人気は「日の出マーチ」だー!
ピエール瀧のシュール過ぎて一周して戻ってきてしまうような作詞が切り取る現代性、微分音とエレクトロによる不条理サウンドが高い評価を得ています。
2番人気は義太夫の豊竹山城少掾。3番人気がミドリカワ書房。上位3枚が日本もので占められています。日の丸飛行隊を見る思いです。
つい「虹と雪のバラード」をくちずさんでしまうではありませんか!
4番人気からジャズが並んでいます。キース・ジャレット、ウイリアム・パーカー、菊地雅章と実力者が続きます。
このあたり解説の大川耳次郎先生、いかがでしょう。
「これは驚きですねえ。Jポップの曲というのは即効性ですからねえ。短距離ではいいんでしょうが、アルバムとの対決では分が悪いでしょう。やはり音楽は格ですからねえ、義太夫とスブラクシュミの2頭から、ジャレット、パーカー、マッカートニーがわたしの本線です。」

「日の出マーチ」は人気に応えて年間ベストCDになるのか。
結果の発表は音楽サイトmusicircusで近日中に。テキストの順序が着順になります。

01-01 134.0 「ファンタスティポ / トラジハイジ」
01-02 18.3 『Sweet Home / Pyeng Threadgill Sings Robert Johnson』
01-03 9.1 『BROOKLYN CALLING / Ad Peijnenburg, William Parker』(Dino)
02-04 102.1 『COOL JO JO / 高柳昌行セカンドコンセプト』
02-05 10.4 「HEAVEN / 浜崎あゆみ」
02-06 4.0 「日の出マーチ / ASA-CHANG&巡礼」 (『みんなのジュンレイ』収録)
03-07 44.7 『アンスピーカブル / ビル・フリーゼル』
03-08 72.9 『adore / 小谷美紗子』
03-09 46.5 『4g – cloud / Keith Rowe, Oren Ambarchi, Christian Fennesz, Toshimaru Nakamura』(erstwhile)
04-10 7.2 『義太夫 豊竹山城少掾/菅原伝授手習鑑〜道明寺の段』
04-11 13.4 『ライブ・アット・カーネギーホール / M・S・スブラクシュミ』
04-12 286.5 『Pat Metheny = Ornette Coleman/SONG X : TWENTIETH ANNIVERSARY EDITION』
05-13 140.2 「同じ月を見ていた / ゴーイング・アンダーグラウンド」
05-14 22.2 『オールド・フォークス / 渋谷毅・武田和命クヮルテット』
05-15 98.0 「プロミス / Candy」
06-16 24.0 『センデロス / ディノ・サルーシ&ヨン・クリステンセン』
06-17 9.8 『Beyond All / KO Project〜菊地雅章&グレッグ・オズビー』
06-18 28,6 『グッドバイ / ボボ・ステンソン・トリオ』
07-19 7.3 「それぞれに真実がある / ミドリカワ書房」
07-20 33.4 『hana-uta / ハナレグミ』
07-21 9.0 『裏庭の混沌と創造 / ポール・マッカートニー』
08-22 466.5 『Invitation / 田中陽子』 (1990)
08-23 19.3 「POP STAR / 平井堅」
08-24 8.5 『レイディアンス / キース・ジャレット』


2005年12月25日(日) DVD、3ぼん。

DVD『俄然パラパラ学園 〜パラパラだよ!全員集合編〜』。
体育着の小学生ふたりの踊りが別格によい、らむちゃんのやる気まんまんなはつらつさとりょうすけくんのきちんとした性格のやぼったさの組み合わせがよい。

西口プロレス、長州小力の小力パラパラ。

ハロフク・ガールズ(ラ・ブーム)の「バンザイ」。このやる気なさげなおねえちゃんのはなうたのようなうた。
いくらお金があっても、体力も持久力も知性もあっても、地位も名誉もあっても、このおんなのこの声が放つ母性の萌芽にはかなわないのである。なんの役にも立たないのである。

いち、にい、さん、しい、ごお、ろく。


2005年12月24日(土) 盗撮犯を現行犯で捕まえる

ひとさらさんぜんえんの焼肉を3さらたべる。国産黒牛。
かつては安楽亭で間に合っていたのに、昨年から牛角でなければとなり、今年からは牛角もまずいと思いはじめ、
叙々苑レベルでなければ食べられない燃費のわるい体になってしまっている。牛角は避け、安楽亭はオゴリでも食べない。

盗撮犯を現行犯で捕まえる。ケータイをミニなみにした制服のスカートのおしりのぶぶんに横切らせたのを見た瞬間から、犯人からケータイを奪ってもみくしゃにかっちゃかれている場面までの記憶がない。被害者の女子高生はスレンダーで色白で目がろんぱりでかわいい。いっしょにパトカーにのる。そんなうるうるした目でみないでほしい。

毎日夕暮れがあり星がまたたき月が照らすというのに、つい忘れて過ごしてしまう。

12.5キロのダンベルをしていたら5キロ体重が増えて左ひざの関節痛が再発しはじめる。

盗撮犯はわたしに捕まったときちんちんをおおきくしていた。公共の場で。当たり前だと言えば当たり前なのかもしれないが。性犯罪をするひとって、これ、刑務所に入れたくらいでは更正できっこないのだ。

ディスクユニオンに入ってマットマネリの新譜を見てしまったら止まりようのないわたしのように。


2005年12月22日(木) 羅睺星

3ヶ月ほど前に、昭和53年発行の真言宗総本山東寺・監修、小久保和夫著『伝真言院曼荼羅』(サンブックス)を入手していた。
ここに描かれる羅睺星。
胎蔵界曼荼羅の最外周の右上に位置している。

耳に手をあててひろげた仏さまの満面の笑み、の、あたまと手のひらだけが中空に浮かんでいる、というもの。

日食や月食を引き起こす謎の暗黒星だというのに。

これをロヴァ耳のアイコンにすることにしました。


2005年12月21日(水) 『ロヴァ耳日記・有馬記念』枠順確定、フルゲート24まい

Musicircusで発表する今年の10まいの選定を終え、作文もあと3枚に迫りました。

選定作業をする枠組みは、本日発表する『ロヴァ耳日記・有馬記念』枠順確定、フルゲート24まい(むかしの日本ダービーに準ずる1わく3まい)から10まいが選抜される。
さらに、この馬番順に脳内「紅白歌合戦」をして次々にアーティストをステージに登場させてみるのだ。
司会はじぶん・・・。審査員も自分。
このラインナップの文字列をパソコンで眺めながらじっとしたままうれしくて「はあはあはあ」と息をして1じかんは過ごせるものだ。
わたしゃ宮沢賢治の虔十(けんじゅう)か。
わたしは「CDを700まい買ってけろ」と両親にねだり、わたしはさっさとプレイヤーに入れせっせと聴きはじめました。

01-01 「ファンタスティポ / トラジハイジ」
01-02 『Sweet Home / Pyeng Threadgill Sings Robert Johnson』
01-03 『BROOKLYN CALLING / Ad Peijnenburg, William Parker』(Dino)
02-04 『COOL JO JO / 高柳昌行セカンドコンセプト』
02-05 「HEAVEN / 浜崎あゆみ」
02-06 「日の出マーチ / ASA-CHANG&巡礼」 (『みんなのジュンレイ』収録)
03-07 『アンスピーカブル / ビル・フリーゼル』
03-08 『adore / 小谷美紗子』
03-09 『4g – cloud / Keith Rowe, Oren Ambarchi, Christian Fennesz, Toshimaru Nakamura』(erstwhile)
04-10 『義太夫 豊竹山城少掾/菅原伝授手習鑑〜道明寺の段』
04-11 『ライブ・アット・カーネギーホール / M・S・スブラクシュミ』
04-12 『Pat Metheny = Ornette Coleman/SONG X : TWENTIETH ANNIVERSARY EDITION』
05-13 「同じ月を見ていた / ゴーイング・アンダーグラウンド」
05-14 『オールド・フォークス / 渋谷毅・武田和命クヮルテット』
05-15 「プロミス / Candy」
06-16 『センデロス / ディノ・サルーシ&ヨン・クリステンセン』
06-17 『Beyond All / KO Project〜菊地雅章&グレッグ・オズビー』
06-18 『グッドバイ / ボボ・ステンソン・トリオ』
07-19 「それぞれに真実がある / ミドリカワ書房」
07-20 『hana-uta / ハナレグミ』
07-21 『裏庭の混沌と創造 / ポール・マッカートニー』
08-22 『Invitation / 田中陽子』 (1990)
08-23 「POP STAR / 平井堅」
08-24 『レイディアンス / キース・ジャレット』


2005年12月19日(月) 小女子十二楽坊

小女子十二楽坊、というジュニア版がデビューするというニュース。
つい彼女たちの足は纏足になっているのではないかとうたがうわたし。ひもでぐるぐる巻きにして足首から先の成長を止めてしまうという纏足。
彼女たちが逃げないように、とは、おもて向きの理由で、しわしわになってプニュプニュした彼女たちの土踏まずの部分で輪を作って強弱をつけてさすってもらうのらしい。指の動きがこの世の果てにいざなうらしい。

中国十三億人の技術革新だましいに日本は勝てるのか。

中国で爆発的に実験音楽や現代ジャズやアヴァンギャルドミュージックが制作されるときがきたらすげえんだろうな。

エチゼンクラゲで日本の漁村を襲いまくっている中国の工業化を小女子十二楽坊で終わらせてはならない。



2005年12月17日(土) 貝祭文は、仏教や神道で祈願などに用いられた祭文が、山伏らによって俗化して芸能として普及したもの

このところごはんをたべるときはハウルのまねをして「うましかて!」といいます。業務中に「またれい!」を連発中。

「でろれん、でろれん」という口三味線が特徴的な語り芸の貝祭文、と。
うおお。でろれん、でろれん。ジョージ秋山か。でろれん、でろれん。くちぐせになりそう。

『関山学長は「貝祭文は、仏教や神道で祈願などに用いられた祭文が、山伏らによって俗化して芸能として普及したもの。浪曲のルーツでもあり、音頭仕立てにして江州音頭にもなった」と解説した。』


貝祭文の実況録音CDはないのだろうか。DVDのほうがもっといいです。

西新宿の中古盤屋を徘徊しながらでろれんでろれんと唱えながらCDを物色する老後をふと夢見てたりして。

でろれん。でろれん。


2005年12月15日(木) 音楽サイトmusicircusで、スティーブ・レイク氏執筆の「ECM New Series の歩み」連載がスタート

音楽サイトmusicircus で、スティーブ・レイク氏執筆の「ECM New Series の歩み」連載がスタートした。

『クラシック音楽の録音現場においてのみ費やされるような種類の細かな配慮が、ECMにおいてはジャズを録音する際にも発揮され、そのことによって、新しい形式感覚がもたらされたのです』
『アイヒャーは「New Series」を立ち上げるに際し、今度は逆に、インプロヴィゼーションに特有な「柔軟性」や「自発性の意識」といったものをクラシックの演奏・録音に取り入れようと試みました』

アルヴォ・ペルト『タブラ・ラサ』から20ねん経ったのか。
ECMファンクラブ時代に、しあくくんが西ドイツECM本社をアポなしで訪ね、日本のファンとして総帥マンフレット・アイヒャーと会談をしてきた(あまたのミュージシャンが門前払いされる中にあって例外的な歓迎だったと思われる)という快挙があり、凱旋セレモニー、といってもしあくくんのアパートに6にんほどが集まっただけだけど、で、披露された驚くべき紙質のLP『タブラ・ラサ』、これがこの作品のみならずニューシリーズ作品の日本初上陸であった、を、しあくくんのアパートのステレオで鳴ったあの瞬間の沈黙。

ゆうべのできごとのようです。

音楽にしても恋にしてもこうした永遠の瞬間にめぐりあうことが人生の歓びなのでしょうか。むしゃのこうじさねあつ。

アルヴォペルトが評価されるのに日本のジャーナリズムでは2ねんほどかかった。
朝日新聞の視聴室で吉田秀和さんがこの『タブラ・ラサ』と取り上げるのは早かったように記憶している。さすがに慧眼なじじいだ。



音楽サイトmusicircusにロヴァ耳アワード2005を発表することにしました。忙中作文中。
Jazz Tokyoの年間ベスト企画では国内と海外のそれぞれ1作品を挙げて、読者に「これも聴いてくださいー!」と提議する気持ちでしたが。

musicircusにもまた何がしらの態度と矜持をもって掲げるのだと思いますが、同時に、素朴な「わたしのベスト10」は可能なのかという問いも発生してきます。メディアによって規定される、が、正解です。しかしmusicircusは規定することは本義ではないと想念されていました。・・・と、またいつもの「ああでもないこうでもない」病のブラックホールに落ちててもしようがないので、

10作品が、互いに支えあうような、そういうランナップを、今年ぼくが聴いた作品で並べてみたい。それらのジャケたちで世界に向かってハローなんて手をふるー、ように。わくわく。

こういう、そううつ、の、そう状態にあるときに、ぱさぱさ進めないと。いやあ、スブラクシュミのライブ盤に一気に“落ち”ました。


2005年12月11日(日) ウィンダムヒルはヒッピーとフォークの自然主義的自閉症と言うことも可能だ。

たださん、マンガはなにがすきー?とふーちゃん20さいがきいてきたので、
やっぱ『幕張』でしょう!、と、こたえたら、知らなーい、と、いわれた。だめだ。こんなことはあそびたいけどあそべない。
いいレビュだ。>

たださん、音楽はなにがすきー?とひろこさん32さいばついちさんがきいてきたので、
マニアックなのー、と、こたえたら、わたしはピアノを教えてるんだけど、ジョージ・ウィンストンってマニアックなピアニストしってますー?
と、きくので、知らなーい、と、こたえた。

そうかー。知らなーい、と、こたえるのには理由があるのか。

そいえばECMファンクラブ時代に、SJ誌で「ジョージ・ウィンストンはジャズか否か」という企画に問われたことがある。
わたしは当然のごとく毒のないものは音楽でもジャズでもないと断罪した。
いま考えるとジャズだったかもしれない。時代を反映する装置としてのジャズ。
ECMがドイツロマン主義の残響と仮に言うなら、ウィンダムヒルはヒッピーとフォークの自然主義的自閉症と言うことも可能だ。

・・・言葉あそびはもういい。

またレビュを仕上げたのでここに置いとく。

『グッドバイ / ボボ・ステンソン・トリオ』
Goodbye / Bobo Stenson, Anders Jormin, Paul Motian (ECM 1904) 2005

1曲目のあふれ出る叙情。聴き始めて胸からわき上がったと思うと、口から鼻から、目から耳から、同時にぶわっと身体からはみ出て止まらなくなるような窒息的な叙情。こ、こんなの反則だ。人生のいいところを味わいつくしたおっさんたち、ステンソン60さい、ヨルミン47さい、モーシャン73さいのおやじパワー・まごパワーによる余裕の技である(2004年録音)。この3世代ピアノトリオ、それぞれに曲を持ち寄ってもいるが、ジャズではトニー・ウイリアムス、オーネット・コールマンの曲を取り上げているほか、ブロードウェイの作曲家スティーブン・ソンドハイム、アルゼンチン・フォークロレのアリエル・ラミレス(ホセ・カレーラスが歌った『ミサ・クリオージャ』の!)、ロシアの歌手ウラジミール・ヴィソツキー、英国バロックの作曲家ヘンリー・パーセル、ハワイ音楽の第一人者ゴードン・ジェンキンスという、耳の達人ぶりを示す選び具合。これらが統一的な美と叙情の世界に浮遊しているのである。選曲センスではジャレット、メルドーのトリオに勝ててるかも。モーシャンが叩き出す、よっぽど表現力の強い演奏家でなければ埋没してしまう空間に、よくステンソンのピアノもヨルミンのベースも相応しい演奏を前のめりになって張り出している。ピアノとベースの表現のせき立てを喚起しているモーシャン、を、聴くべし。


2005年12月10日(土) 編集CDR『死』 by Keima Tada

メリクリ予算概算要求闘争をエクスワイフが仕掛けてくる。そういえばそんな時期か。
7まんの要求に対し、5まんの回答を提示するが、「じゃあ平等に歩み寄ってまんなかの6まんえん、ね!ね!ね!」「平等、あー・・・そうかなあ・・・。」「じゃあ、6まんえんということで!」ガチャンと電話を一方的に切られる。
そういう戦略なら1まんえん回答をすべきだった。
4にんの子どもへのクリスマスプレゼントの総額が6まんえんは多いのか少ないのか。
きよちゃんへはシュタイナー教育でよく使われるペンタトニックな鉄板だか木琴だかの楽器だという。
6まんえんあったらなんまいCDが買えるんだ!
というわけで、年末の目玉であるマイルスのライブボックスの入手可能性が危ぶまれながら師走は過ぎるのだった。

仕事で、ハルカリ、見逃す。

けいまさまからもらった編集CDRの曲目がメールで届いた。斉藤和義はなにげにいいなあ。

編集CDR『死』 by Keima Tada
01. 夜明け前 / Tokyo No.1 Soul Set
02. ラストシーン / Asian Kung-fu Generation
03. Twilight,トワイライト / ポルノグラフィティ
04. カリビアン・ブルー / Enya
05. 海のバラッド / レミオロメン
06. ブラームス : ワルツ 第15番 変イ長調 / ピートゥラス・ジェニューシャズ&クセニア・クノール
07. Castle・imitation / 鬼束ちひろ
08. 無意識と意識の間で / 斉藤和義
09. Dromatic Irony / Salyu
10. 首輪 / Yuki
11. Worlds End / Mr.Children
12. モーツァルト : きらきら星変奏曲 / クララ・ハスキル
13. 夜明けのスキャット / 由紀さおり
14. 見えない光 / 矢井田瞳
15. 陽 / 奥田民生
PS、今度はaikoの新曲「スター」を主としたものを作ろうと思っている。「スター」は良い歌だと思うからね。

このところの首都圏では中国人観光客がずいぶん目立つ。金持ちたくさんできてるからな。貧富の差はすごくて、50げんで個室で仲良くできるという買春情報もあるとか。という中、「鳥インフルエンザ感染は既に中国全土に拡散している」という記事が。

やばいぞ、これは。ひとがたくさんいるところをよく通るので、花粉用マスクをして仕事をすることにした。


2005年12月09日(金) ぬっかー!当日に気づいたー!ハルカリのミュージックステーション、な、生出演ー。

ぬっかー!当日に気づいたー!ハルカリのミュージックステーション、な、生出演ー。
ハルカリのエピックレコード移籍初シングルー、「Tip Taps Tip」>
わー、これはもう眠れないー。さっき起きたばっかだし。

けいまさまからメール。これへの返信と思われる。
「わかる、わかる、わかる、わかる、わかる、わかる、
わかる、わかる、わかる、白子のみそ汁、わかる、
わかる、わかる、わかる、わかる、わかる、わかるよ」
おのれの真の欲望を潜ませた秀逸なアート作品のようなメールである。
たしかに、築地の寿司屋でのんだ白子のみそ汁、あれは美味かったな。
しかし、おまい、食い物のためにならどんな言説も辞さないなんて、ひょっとしたらジゴロの資質をおれから受け継いでいるのか?

Jazz Tokyoの年間ベスト企画、これは、初年度からコンプリートしたいと思う。
わたし的にはこの企画内通し番号をつけていただきたかった。原稿到着順に。
番号がついているものはひととおり揃えなければならないという祖父からの家訓があるので、仮面ライダーカードとか、D年18組の女子ぜんいんとデートをするとか、チンイツイッツウとか、ECMレーベルコンプリートコレクトとか、わたしの人生は山おり谷おりだ。折り鶴だよ。

お。堀内さんの選盤をチェックしとこう。
ECMのティグラン・マンスリアン2枚組。録音されたサンクト・ゲロルド寺院て、ポールブレイ、エヴァンパーカー、バールフィリップスの即興巨匠トリオの第2作目も録られた場所ですね。ここで録られたECM盤はいくつかありそうです。


2005年12月08日(木) 英国のマーキュリー音楽賞

ウード奏者のアヌール・ブラヒムAnouar Brahem、バスクラとソプラノ奏者ジョン・サーマンJohn Surman、ベース奏者デイブ・ホランドDave Hollandが会して録音された『シマールThimar』(ECM1641)1997は、聴く者に忘れがたい痕跡を残すECM名盤のひとつである。ブラヒムの郷愁とサーマンの孤独、それを支えるホランドのジャズ、と、とりあえずは言ってみるけれども、その残余は大きい。ホランドのベースが支えるところのジャズという感覚の可能性は、通念的に思われているジャズをはみ出て(広義の)民族音楽をつなげる・共約する音の空間の所在を示している。

この『シマール』が英国のマーキュリー音楽賞にノミネートされていたという情報記憶があったので、92年から始まっているマーキュリー音楽賞というものはすごいなあと思っていた。いまチェックしてみたら、違うのね。>
ECMでノミネートされていたのは98年ジョン・サーマンの『Proverbs & Songs』。これはサーマンの代表作でも本質を示した作品でもない。サーマン個人の精神的な帰依を宗教歌に反映させた作品である。
マーキュリー音楽賞について>

アウトゼア誌を手伝っていたころにマーキュリー音楽賞をこえるスタンスの賞を作りたいと思っていて、いろいろ考えてみて執筆者の年間トップを無条件にノミネートする、選考基準は個々の執筆者に委ねられており、その基準についてはレビュ文に反映されたところを読み知る(基準を明示しない自由もある)、したがって執筆者の人選だけが賞の性質を規定している、という、それなりに理想的なものを構想したのだった。

Jazz Tokyoの年間ベスト企画は、思えばこの構想どおりである。
・・・お。おいらが書いたテオ・マセロの『ブラック・ナイト』、・・・い、いかん、ディープパープルが耳に鳴ってきた・・・ストップ!ストップ!
「聴き手である私は、マセロの欲望や4人の演奏家を通じて、“ピアニストの不在”を中心として意識が旋回し始める。」そう、そんな音楽だった。この作品を選出したまーくんえらい、いいこいいこと自分をほめてあげたい。テオ・マセロをわかることのできるしあわせ。

音楽を聴くことは恋に似ている。

音楽サイトmusicircusの構築においても、マーキュリー音楽賞のようなことをしたいと思っている。音楽へのラブレターを書きたいのである。
I would like to praise wholeheartedly the songs of such brave love on this web site.
しかしながらこのロヴァ耳日記@練馬平和台しか書いていないのはどういうわけですか。
えー。いや、この、まあ。デヴィッド・シルヴィアンはグローバリゼーションに加担する、を書いて、から。仕事の合間にしか音楽を聴けない環境になってしまい。musicircus award賞へ至るには、時間と財力と知識と教養が必要なのだ。いかん。どれも足りない。なんとかしないと。

音楽はどのように存在し始めたか、は、
よくわからないけれども。
なぜ歌うのか、という問いには、
イチゴ摘みの作業中に歌わせておけば
イチゴを盗み食いされないですむ、
というリクツに
説得力を感じる。
教育とは治安である、というリクツを
直感的に感じてきたわたしである。
アートを作れるという人間だけのちからは、
アートに魅了されるちからこそが愚行の源泉であったことでもあり、
と、バタイユの『エロティシズム』に掲載された
清朝の刻み刑を受ける女性の
アヘンによる薄ら笑い、が脳裏をよぎる。


2005年12月07日(水) ケティル・ビョルンスタの名作『海 the sea』に対してジャズライフ誌のレビュ文中に“脳死”という単語

当時ケティル・ビョルンスタの名作『海 the sea』に対してジャズライフ誌のレビュ文中に“脳死”という単語が出てきてのけぞった。
文章を忘れたけど決して悪い意味の文脈ではなかった。そして、ついそう筆走ってしまうに相応しい作品なのだった。
わたしはそのレビュワーに拍手をして讃えたい気持ちになった。
その後、小野好恵さんの海への散骨が行われた際にこの音楽が流されたと知った。

そのレビュワーよりもこの作品にのめりこんでいたわたしは、90年代でもっともECMで素晴らしい作品であるとECMファンサイトで絶賛し、
「これはジャズじゃない」「ピンとこない」という反応にはECM美の御旗をたてて子どもじみた攻撃を仕掛けている。

この作品はぼくの人生の軌道を変え続けている。
ビョルンスタ本人と会い彼の本を借り、ぼくにとってのその後の1ねん半にわたるノルウェーデイズというべき美しい日々が訪れた。

ぼくはときおり、ノルウェーの海岸にあった石を手にして記憶と交信する。土地の名や建物のたたずまい。月のかたち。風のにおい。声。

英国に留学していた友だちが彼らのライブ音源をMDで録って送ってくれた。
彼らは“the sea quartet”というグループ名でコンサートをしていたのだ。
Ketil Bjornstad p, David Darling cello, Terje Rypdal g, Jon Christensen ds <見ないで打てたぞ

日々は過ぎる。なっとうごはんをたべて、目覚ましをセットして夜更かしをする。

もう5ねんは聴いていない。ときどき耳に鳴り始めて動けなくなる。


2005年12月06日(火) 『tommy February 6』は、Jポップ史上に輝く金字塔である(再確認)

トミフェブ川瀬智子ちゃんがJ-WAVEで、メガネブームに火をつけたアーティストとしてコメント。
「最初は本を読む女の子というインフォメーションをあたえるアイテムとして手にしただけなんですが。これを機会にまた商売ができるというのは、ほんとうに感謝しております。」というようなクールな物言いで。いいなあ、この妄想を寄せつけないサブカルスタンス。
で。
放送でかかった「Everyday At The Bus Stop」のあまりもの瑞々しさを失わないことよ。
ファーストアルバム『tommy February 6』は、Jポップ史上に輝く金字塔である。この完成度。で、これ以降の川瀬智子のプロジェクトのことごとくが精彩に欠けている不思議である。『tommy February 6』の永遠性を際立たせるためにだけ、川瀬智子は死の仮面舞踏をしているのか。

より、2箇所引用する。
(1)
「あ・ぱ・た・ぱ」「あ・ぱ・た・ぱ」という赤ちゃんをあやすようなイントロ(実際には at the bus stop と歌っている)から楽曲にインするリズムの加速、このリズムの加速感覚、これこそが9・11以降失速していた世界の耳を加速させることができた2001年の金字塔である。
(2)
「ほしいものはいつもまっすぐてにはいらないほうがぜったいドラマチック!」これを天性の5才児設定のロレツで、青空に文字を置くように歌うのだ。これなぞは聖書に匹敵するよな神のコトバだ。与えてくれる神さまはみんなおなごじゃ。

聴きたくなったわたしは通算6枚目の『tommy February 6』を中古でゲット。ついでに奥田民生『comp』もゲット。


2005年12月05日(月) スブラクシュミ、聴きたいー

今朝は寒かったですね。車のフロントガラスが真っ白に。風呂桶のお湯をかけて早朝出勤。Quruliの『NIKKI』で川越街道。
今日は紅ずわい蟹の缶詰を買ったのでたまご4玉焼き乗せごはんにするぞ。

栃木女児殺害の犯人はまだ捕まっていない。
この6月から出所者居住地情報の運用がなされているが、再犯性の高い性的犯罪は服役すればお終いというのは不備であることは明白で、再犯1回目ではキンタマを1個取るとかしといてもらわないと税金の払い甲斐がない。せめて犯罪者には発信チップを埋め込めてください。もっとセキュリティの高い生活を。高性能監視カメラ網を公共事業化して監視国家しろ。せっかく背番号を付けたのなら銀行郵貯残高を網羅して脱税を根絶しろ。企業内部監査を徹底して、労働基準監督を強化しろ。公務員の海外視察にオンブズマンを同行させろ。おんぶして同行させろ。

小泉内閣が断行する政策でもっとも寒い目に遭わされる層が圧倒的に小泉内閣を支持していたり、監視国家を望んでいたり。
階層化とその断絶はすでに実体化しており、あと、ぼくたちは支配者層の「いたわり」のビヘイビアを心より待っています。

このようにして、順調に小泉ジャパンのファシズム化は進んでいることを佐藤優さんは『一冊の本』(朝日新聞社)連載「ラスプーチンかく語りき」で。ふうん、なるほどね。・・・おれはそれでいいよ。

明日は恒例の大江戸温泉物語オフ会。


ヤン・ガルバレクの音楽性とインド音楽との親和性についての探求は20ねん以上放置したままです。
うおお。スブラクシュミ、聴きたいー。

(以下、コピペ)
M・S・スブラクシュミの『ライブ・アット・カーネギーホール』
 M・S・スブラクシュミはインド亜大陸の南端に位置する都市マドゥライで1916年に生まれました。1940年代から歌手として活躍をはじめ、以後半世紀以上の間現役の歌手として活躍。なんとインドの初代大統領ネルーやジミ・ヘンドリックスも彼女の歌を敬愛したといいます。
 ご存知のようにインドの古典音楽はデカン高原を境に北インドのヒンドゥスターニー音楽と南インドのカルナータカ音楽に分かれています。元々インド亜大陸に存在していた音楽は現在のように分かれていませんでしたが、13世紀頃イスラム教に征服された北インド側は音楽的にもイスラムの影響を受けたのに対し、南インド側は元来のドラヴィタ文化の土着的な信仰に基づく音楽がその後も継続されていったため、音楽性に違いができたとされています。そしてスブラクシュミが歌うのはもちろん南のカルナータカ音楽。緊張感のあるヒンドゥスターニー音楽とは対照的な、緩やかな時間の流れが感じられる音楽性がその特徴です。
 本作は1977年にニューヨークのカーネギー・ホールで行われた歴史的ライヴを収めた2枚組で、15世紀の作曲家アンナマイヤや19世紀のカルナーティック三楽聖の曲など、南インドの人々なら誰でも知っている古典曲を中心に、軽やかかつ深慮なスブラクシュミの歌声が全編に渡って楽しめます。


2005年12月04日(日) お。そいえばけいま、

お。そいえばけいま、おまえの作った編集CDR『カエランド』、良かったぞ。
こないだミスチルのライブのときにもらった編集CDR『死』はさらに深化してるな。曲目くれよ。
・・・なに、おまえ、サイトにアップしてんの?
どれどれ。
・・・な、なんなんだ、このむすこの文章を読む気恥ずかしさは!
・・・なに?おとうちゃんの書く文章のほうがはずかしいだと?

まあいい。おれがさっき自分で自分の聴取にガッツポーズをしたレビュー文を読ませてやろう。
この平易なテキストに含まれた正しさといったものはだな、レトリックをパズルにしてレコード会社や雑誌社におもねってお仕事をするライターとは格がちがうんだな。わかるか?おまえ、わかるって言ったら、また築地で寿司くわしてやる。ほら。言え。

『センデロス / ディノ・サルーシ』 
今年のベストはジャレット『Radiance』の到達、菊地雅章・グレッグオズビーの試みの始動という二択が妥当なのであるが、Erstwhileレーベルの4G『cloud』(たぶん今ここが耳感覚の最先端だと思います)とかボボ・ステンソン・トリオ『グッバイ』(噴出する濃厚なロマン性)とか『Unspeakable / Bill Frisell』(技の匠ぶりに潜んだ自由な精神)をあえて選んでみたい衝動にもかられている。しかしジャズというテーマから少し離れて、音楽が聴く者の意識を、まるで旅をさせているように、視界の想起を伴わせながら連れまわしてしまう、そういう作用の強さでもって計ったときに、この『センデロス』は傑出したものを示していたもので、ここではこれを挙げる。バンドネオン奏者のディノ・サルーシとドラマーのヨン・クリステンセンのデュオによる作品であるが、これはもはやデュオではない(それは風景が大地と空のふたつだというくらいの意味しかなさない)。この二人がパノラマのように繰り広げる80分の演奏はパット・メセニー・グループの最盛期の作品や『シークレット・ストーリー』といったスケールにあることの驚異である。いや、サルーシもクリステンセンも「まあね、こういう旅行は楽しいよね、おれたちのほうがジャズだろ?」と言うかもしれない。お、「センデロス」は「道々」の意だって?やはりアタリですね。


2005年12月03日(土) 本日のミスチル討論会で出された意見

ジャコーのコニャックトリュフ(カカオまぶしのビターチョコ)をわりばしでたべながらロングピースをすってブラックコーヒーをのんで。
29時間。
仕事もしているけど、Jazz Tokyoで発表する今年の一枚2005の選考もする。締め切りは明日だ。
LocalとInternationalがある。
Localは『豊竹山城少掾/菅原伝授手習鑑 道明寺の段』の復刻が確定だろう。
Internationalはジャレットの到達、菊地雅章・グレッグオズビーの試みの始動という二択が妥当なのであるが、Erstwhileレーベルの4G『cloud』とかボボ・ステンソン・トリオとか『Unspeakable / Bill Frisell』をあえて選んでみたい衝動にもかられている。

Jazz Tokyoにおける今年の一枚、と、今年のわたしの10枚、と、musicircusが選定する10枚(たとえば)、と、それぞれ選考結果は異なる。
今年のわたしの10枚であればミドリカワ書房、「日の出マーチ」、『スマイル』は確定だろう。

もっと音楽を聴く時間がほしい。

本日のミスチル討論会で出された意見を並べておく
・桜井和寿が「ランニングハイ」において、「まだ間に合うかな、クーリングオフ」と本音を実は言っている
・Bank Band とap bank、うーろんしゃ、小林武史、を、クーリングオフすべき
・4曲入り『四次元』とCD『I♥U』の銭ゲバリリースにはビジネス判断が優先されていただけである
・『Q』までのミスチルは“青春”がテーマであり続けた
・『It’s a wonderful world』『シフクノオト』で悟りの境地に到達した
・ビートルズでいえばサージェントに達したと解すれば次はホワイトアルバム的な展開が必然であったはず
・『I♥U』はホワイトアルバム的なメンタリティであった創作活動を“パッケージ”(もしくはトータルアルバム性)に仮装した(小林武史によって強制的に)結果として聴くことが可能ではないか
・桜井は今さしあたって言うことがないときには遊んだり実験してみたりしていていいのである
・SMAPの「友だちへ」の失敗は小林武史にもはやミスチルは手におえないんだと観念させていい
・『シフクノオト』のあと活動休止をして桜井は作曲活動やBank Bandだけやっていてもよかった
・Bank Bandを固定メンバーのバンドとして考えるのではなく桜井和寿のJポップカヴァープロジェクトとして(いわばソロとして)展開させる

「寒山拾得〜編集CDRを愉しむ耳老人の会」連絡事項
・編集CDR『CD1:Death of an Interior Decorator』10月1日の日記参照
を作成してくれたすぎやまくんがシリアル8(会員番号)といたしました。


2005年12月02日(金) ミスチルファン必携、山下邦彦著『Mr.Children Everything―天才・桜井和寿 終りなき音の冒険』(太田出版)1996

こないだ東京ドームのミスチルのコンサートのとき、馬券売り場入り口にある本屋で
山下邦彦著『Mr.Children Everything―天才・桜井和寿 終りなき音の冒険』(太田出版)1996
が、2メートル幅の陳列棚めいっぱいに並べられていた。200冊は並んでいた。

「桜井和寿のメロディーの変遷をかなり詳細に分析しており、さらには、1996年時点で翌年の活動休止を予言していた。ディープなファンにとって、この本は必携である。」そのとおりである。

いや、山下邦彦の「きみが探しているのはesなんかじゃない」と指摘されたことに反応して、桜井はその誠実さゆえに反応していたことが、活動休止の理由のひとつであった可能性がある。
活動復帰(「終わりなき旅」のリリース)に際して桜井が取材してほしかったのは山下邦彦ではなかったか。

この本から10年。

わたしは山下邦彦が「Not Found」や「ファスナー」「天頂バス」をどのように聴いたか、非常に気になる。


山下邦彦がアナライズしてきたのはキース・ジャレット、坂本龍一、ビートルズ、ユーミン、小室哲哉、チック・コリアというラインナップ。
(・・・え?チック・コリアだけは、わたし感覚的にピンときませんが。)

Jazz Tokyoで、山下邦彦と菊地雅章の公開質問状という企画が進行している。


2005年12月01日(木) バンプとアジカンの新譜シングルを買った

バンプとアジカンの新譜シングルを買った!盆と正月が一緒に来たみたいにうれしー。
あまりにうれしくて、レジの前で踊ってみせたら、かわいいかわいいのりこちゃん(28さい)が
「ポップスターですね、ひだりがわ(セーターを着たまじめなほう)の(平井堅)?」と受け。そうなんだよー。お見事。

バンプのほうはバラッドで、歌詞もいい。
別れてすべて終わってからわかるんだ、と、胸が締めつけられる。思い出はどんどん甘美になるとです。

バスの最後尾にあるシートにあがって後ろを向いてずっと後続車両が追いかけてくる風景をながめている。
風景は後方に広がってゆく。
どんどん遠くなってゆく空や山や建物や並木道や彼女の姿にさようならと手をふって出会うんだ。

アジカンのほうは、変拍子アレンジが気持ちいいけど、ちっとも面白く感じられなかった。今日のところはね。


Niseko-Rossy Pi-Pikoe |編集CDR寒山拾得交換会musicircus

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