★☆なぽ日記☆★
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2004年11月25日(木) 紅白とかバイオリンとか。

昨日の「紅白辞退」のニュース。
「出るんだろうなぁ」と、なんとなくではあるけれどほぼ確信に近いものがありました。
でも「何歌うんだろう?ビミョーーー」という気がしていたので、辞退もまぁ良いかなと。
大晦日にSMAPを見て締めくくれないのは残念っちゃあ残念だけど。
音楽活動してないってコメントには苦笑い。
今頃言うなって。
結果的にそうなったにしても、「CD出してません」「コンサートやってません」って、
待ってたファンにしてみれば「今さら何を言う」って感じですね。
コメントどおりだとすれば、絶対来年は音楽活動頑張るんだろうなっっっ!
お願いしますよ(懇願)。

実は紅白辞退でちょっとホッとしました。
何故かというと・・・またもやDVDレコーダー不調(怒)。
HDDで録画したのを移そうとしてRAMを入れても
保護設定になってしまってRAMに書き込めない・・・。
番組ごとのRAMに分けて保存しているのにRAMを入れる度に保護になってしまう上に
新しいRAMまで保護設定になるーーーー!!!
出し入れを繰り返してるうちにたまーに保護が解除になることがあるんだけど
5回目ぐらいで解除になることもあるし1日かかってやっと1回だけ、ということもある。
昨日はなんと1回も保護が解除になりませんでした。
そうなるとHDDはたまる一方。
バイオリンのスポット張りでほとんど1日中フジテレビを録りっぱなしだというのに。
これから年末に向けていろいろあるから今修理に出すわけにもいかず、
紅白を録画しないで済むのはラッキーでした。
とは言っても、年末年始をどう乗り切るか・・・大問題であります。


報告が遅くなりましたが、先週金曜日に「海峡を渡るバイオリン」の試写会に行ってきました。
フジテレビクラブ当選35組の中に入るというWちゃんの強運の恩恵に与りまして。
多少のネタバレになるやもしれませんのでご承知おきくださいませ。

会場に入るとシートの後ろに「陳昌鉉様」「陳昌鉉様御家族」という紙が貼ってあって
ご本人がいらっしゃることがわかりました。
他にも杉田監督や大多Pの席もあり、京都のスタッフ、韓国のスタッフと
ドラマに携わった方々と一緒の鑑賞ということでドキドキ。
まず初めに企画の山田良明氏から挨拶がありましたが、これがひどかった。
「ご本人を前に失礼かもしれませんが、
 地味な話なので松田聖子さんのドラマには負けるかもしれません、
 いや、負けると思いますが(とわざわざ言い直す)
 弟やDr.コトーには負けたくありません」
みたいな、本当に失礼なことを。
思わずWちゃんと「今のは何?」と顔を見合わせてしまいました。

気を取り直して始まり始まり。
とにかくCMが入らず、大きなスクリーンで見ることができたので
ドラマの世界にどっぷり浸れました。
テレビではこうはいかないので、本当に豊かな時間であると同時に
目の端にいつも陳さんご本人がいるという不思議な感覚を味わいながら見ていました。
テレビで見ていたら「剛のドラマ」としてしかとらえられなかったかもしれないけれど
ドラマのようなドキュメンタリーのような、
陳さんがそこにいることでとても迫力のある空間になっていたように思います。
視界にちょこっとだけ入る陳さんの後姿は背筋がピンと伸びていて
ご自分の半生を身動きせずに見つめている感じでした。

実は今回、Wちゃん曰く“なぽさんにしては珍しい”原作・テレビ誌一切読まずの
予備知識ゼロの鑑賞でした。
杉田監督ということで「北の国から」のあったかい雰囲気と
「いいひと」剛主演ってことで
漠然とほんわかサクセスストーリーをイメージしていたんだけれど
いい意味でぶち壊してくれました。
全然いいひとじゃないし。
スポットで見せてくれるとおり「げーっ!うそぉぉぉぉ!」なキレっぷりだし。
会見で剛自身、喜怒哀楽という言葉を使っていたけれど
まさにいろんな感情がぶわーっと出ていて
それもまた国民性なのかと思いながら剛と陳さんがシンクロさせてました。
ストーリー的には原作読む派だから
「これがこうなって、ああなって」と筋道立てて見るにはもっと知りたいことがあったけれど
作品としての完成度は高かったと思います。
陳さんの子供時代を演じた子(インパルス堤下似)もうまかったし。
それからお母さんに田中裕子をキャスティングしたのも効いてました。
韓国語しかしゃべらないんだから韓国人でも良かったんだろうけど
田中裕子がおしん以来持ってる(古っ!)「内に秘めた強さ」のイメージを
セリフ以前に存在そのもので表現していた感じ。
カンちゃんもさすがでした。
脇も渋くかためていたし。
それから脚本がこれまた良かった。
剛はもちろんのこと。(甘々ファンですから^^;)
大画面は嬉しいけど家で見てるみたいに剛のアップで「萌え〜」とメールできないのが難点でした(笑)。
とにかく乞うご期待、であります。



2004年11月13日(土) 11月13日。

PCを買った時にちょこっと書いたけど新しく仕事を始めた。
不精者なので外に出て働く気は全然なく、家でできる仕事なのだけれど
平たく言えば納期みたいなのがあって、
仕事がある時は土日がかなりハードになる。
現在その状態。
なので今日の日記は一言だけ。

拓哉&Yちゃん、誕生日おめでとう!



2004年11月07日(日) 反省文。

中居JRAイメージキャラクターで舞い上がってしまった。
金曜までに夫の競馬口座に預かったお金を振り込んでおく約束をしていたのに
ケロケロケロッと忘れてしまっていた。
「入れておいてくれた?」
「あっ、忘れたー!(ニコニコ)」
っていう嘘をよくついていて、夫ももうその手には全く引っかからなくなっていたので
本当に忘れていた今回は「また〜ぁ、ホントは行ってくれたんでしょ?」と
どんなに心から謝っても取り合ってくれなかった。
さすがに青くなった私を見て「ホントなの?」とこれまた青くなる夫。
PAT(PCや携帯で馬券を買えるシステム)はあらかじめJRA用の専用口座を開いてあって
競馬中にお金がなくなったからと言って途中で入金ができないように
土日は口座が完全にロックされてしまう。
だから金曜までにお金を入れておかないと土日の競馬ができない。
確か水曜の夜に頼まれて、翌日のあの騒ぎ(笑)ですっかりそれが抜け落ちてしまった。
競馬中継を見ながら「あーあ、つまんない」と何度も皮肉を言われた。
それも仕方がない。
スマスマの録画を頼んでおいて忘れられたのと同じくらいガッカリだろうから。(同じか???)
楽しみを奪ってしまってすみません。

録画を頼むと言えば、土曜日にどっちの再放送をやっていた。
全然知らなくて車の中でテレビのチャンネルを変えていたら
「あれ?剛の声?」
栗とさつまいものデザート対決の回だった。
剛、めっちゃかわいい!!!
茶色くて長いこの頃の髪型、すごい好き。
どっちは見れない時だけ録画しておいて、見たら消してしまうので残っていない。
久しぶりにかわいい剛をリピートしたくなって(最近の髪型はどーもダメなのだ)
思わず家に「録画しておいて!」と電話してしまった。
その頃のスマスマとかのDVDを引っ張りだせばいいことなんだけど面倒でね(苦笑)。
運転中のテレビ、運転中の携帯電話。
マナー違反ですみません。

新選組、今日のサブタイトルは「局長襲撃」。
襲撃か〜、どんどん終焉に向かって行くな〜と寂しく思いながら見ていたら。
8時35分頃電話が鳴った。
最近、家に電話がかかってくると言えばほとんどセールス。
邪魔しやがって〜!すぐ「結構です」って切ってやる〜!と思いながら不機嫌そうに出たら
・・・大学の卓球部の友達からだった。
「どうしたの?具合悪い?」って言われちゃった。
OB会に行くかどうかの電話だったんだけど
久しぶりにしゃべったので長くなって当然襲撃シーンは見られず。
電話を切る前に「ねぇ、メアドはないの?」って聞いたら
笑いながら「ごめんね〜、私、そういうの全然ダメでやらないのよ」。
「じゃあ○○との連絡は電話ね」と笑いながら電話を切った。
メールができないって不便だとこんなところで実感。
そのわりには最近全然メールしてない。
皆さんお元気なのかしら?
不義理ばかりですみません。



2004年11月04日(木) またアノ生活が。

朝からウキウキワクワク。
ホントなの?ホントみたい!やったーーー!!

中居、来年のJRAイメージキャラクターに決定!

来年はまた競馬場通いだわ。
ライブ中の土日はレープロどうしようって心配したらYちゃんに笑われた。気が早すぎるか。
グリーンチャンネル、解約しちゃったけどまた入らなきゃ。
ダービーの入場券発売は3週間前だっけ?
CMもポスターも楽しみだな〜。
まずは年明け、金杯から競馬場だ!
すっかり冷めてた競馬熱が急上昇。

98・99年は毎週必ず競馬場に行っていた。
当時はまだ土曜日は隔週で学校があって(全部だったかな?)
子供たちを送り出すとすぐに競馬場に向かったりした。
家族で出かけるっていうと競馬場。
息子は競馬場で売ってるドーナツが大好きで、行くと必ず買いに行く。
ドーナツ屋のおばちゃんに顔を覚えてもらっていた。
友達の家族と連れだって行っていたので
子供は友達と、競馬場内の公園で朝から夕方まで泥だらけになって遊んでたな〜。
贔屓の馬や贔屓のジョッキーもいた。
「競馬っておもしろい!」って、まんまと拓哉にしてやられた。
おかげで夫は堂々と競馬ができるようになり、
お互い好きなことを尊重しあうという今のスタイルは競馬のおかげと言ってもいい。

2000年以降はもうレープロを取りに行く必要がなくなったのと
夫はパソコンで馬券を買えるようになったのとで
私はパタリと競馬から手を引いてしまった。
結構思い入れのある馬が走る時は馬券を買ってもらったりしていたけど
知ってる馬はどんどん引退していくし、
競馬新聞や競馬中継をほとんど見なくなったから
新しい馬は全然わからなくて「どう思う?」って聞かれても「わからん」。
それまではレースの話や予想やらで結構盛り上がってたのに
私が話し相手にならなくなってしまったので夫は不満のようだった。
だから、ニュースを知ってすぐに
「中居がJRAやるんだって。来年は競馬場行くぞー!」ってメールした。
返事は「ほー、そうですか」。
平静を装いやがって、嬉しいくせに(笑)。

嬉しい。いや、私が一番嬉しいんだ(笑)。
なんでこんなに嬉しいんだろ。
ギャンブラーの血が騒ぐ?(笑)
とにかく2年間、忙しくなりそうだ。


ってオイ、一押し誰だよ?(爆)



2004年11月01日(月) 笑の大学。

土曜は笑の大学の舞台挨拶に行ってきた。
映画館の前に着いたら知り合いじゃないんだけどあっちこっちでよく見かける人がいて
「あの人どこにでもいるんだよね〜。
 ビーナスやニンニンの舞台挨拶にもいたし
 先週は2046にもいたしスマフィルムの日にもいたし、誰のファンなんだろう?」
って友達に言ってからハッとした。
いろんな所にいたことを知ってるってことは、私もどこにでも顔出すオバサンになってるってことだ(汗)。

映画は2回目だったけど、何度見てもおもしろい!
1度見ていてもおんなじ所で笑ってしまうし
セリフがわかってる分、来るぞ来るぞってフライングで笑いそうになったりもした。
今回は結構細かいところまで見る余裕があって、
役所さんのうまさとか吾郎の子犬っぷりが余計際立って感じられた。
映画館の中がまさに大ウケで、
まるでそこに役所さんがいるように役所さんのセリフに拍手が湧き起こったり。
エンドロールになってもみんな席を立たず、終わった時にも大拍手だった。
今日とくダネで笠井さんが「人がいっぱい入っているうちに見てほしい」って言っていたけれど
公開からかなりたってお客さんもまばらになった頃では思いっきり笑えない。
大勢のお客さんの中で周りを気にせずガハハと笑えるうちに是非見てもらいたいと思う。

そのとくダネ。(以下ネタバレあり)
三谷さんのインタビューはとてもおもしろかった。
椿一を自分と重ね合わせて語るところはなるほどな〜と頷けた。
とくダネを見ていない方のためにちょっと説明。
同じ脚本家として、映画のような検閲こそないものの、
「ドラマは45分」とか「AさんとBさんは険悪だから一緒のシーンを作らないでほしい」とか
ああしてほしい、こうしてほしいといろいろな制約を受けるている。
でも自分はそれを「できない」とは言いたくない。
要求を全部受け入れて、なおそれまで以上におもしろいものを書きたいと思っている、という話。
椿のあのセリフのまんまじゃん。
三谷さんの脚本家としての心意気がそのまま椿の言葉となっていたんだね。
インタビューでしきりに「八方美人」「人に悪く思われたくない」と言っていたけど
それも、「さるまた失敬」の連発や座布団回しがおもしろいのかというくだりの
「それを入れることで役者さんが気持ち良く仕事ができて、
 まわりの人たちの空気も良くなればそれでいい」
っていうセリフにつながってるんだな〜と思った。
もう1度見に行くことになっているので、次は吾郎と三谷さんを重ね合わせながら見ちゃおう。
私、やっぱりかなり三谷さんが好きだ(笑)。


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