Land of Riches


IndexBeforeAfter

 2003年12月31日(水)   磨り減る時間 

だから大晦日に締切だなんて無理があったんだよ!―と安易に同意してしまった
過去の自分へ、発散しようのない怒りを覚えつつ。くそっ、フリーズさえなければ…。

----------------------------

年末年始に働くことへの抵抗はないです。今日も市川の倉庫へ―なので、
毎年恒例のこの企画も、暇だった前日にあらかじめ書いておいたものを
貼り付けたかった…のですが(ぶつぶつ)まずは毎回お約束のプレイバックから。

▼2000年
第3位:9人合同運営によるユース代表応援サイト「SeeTheSky」開設
第2位:1週間サッカー漬けの“ソツキ”
第1位:アントラーズと順天堂大学の練習試合…後

▼2001年
第3位:1stステージ・名古屋グランパス vs 鹿島アントラーズ
第2位:チャンピオンシップ・ジュビロ磐田 vs 鹿島アントラーズ
第1位:羽田憲司選手、ワールドユース直前に骨折!!

▼2002年
第3位:ワールドカップ、日本代表予選リーグ突破
第2位:高校選手権3回戦、東福岡/静学
第1位:新横浜駅新幹線改札での遭遇

既に2001年の第2位が霞んでます。鹿島と磐田の決戦は数が多くて、なのに
はっきりと覚えているのは97年や98年だったりするのです。なぜだか。
そして、1年前にも書きましたが、2002年下半期から明らかにサッカーの
見方が変わってきています。今年のランキングもその流れを受けてますね。

第3位:サテライトリーグ・ジュビロ磐田 vs 柏レイソル
具体的には、前半と後半の開始直後に炸裂した菅沼くんの秒殺弾です。
日本にもこんな簡単にシュートを枠へ飛ばすFWがいるのかと思いました。
(私の好きな選手にFWが少ないのは、いわゆるFW的なガツガツした性格を
好まない以上に、試合中に最もフラストレーションを募らせるからのようです)

カミングアウトすると、前半のは私も両チームのメンバーを把握するのに懸命で、
試合へ入り込めてなかったんです。そこで決められてしまったから、後半は
気を抜いちゃダメだと思ってたら…またしても。しかも、このゴールが
綺麗だったんですよ。柳澤くんから出たボールを中井さんがキープしている間に
右サイドでは矢野哲也さんが上がってて、そこへすっとパス。入ったクロスを
菅沼くんがネットへぐさっと。絵に描いたようなサイド攻撃でした(^^)

ワンダーボーイ菅沼くんにやられてしまった私は、この後、いろんな場所へ
彼を追いかけていき、そこで違う選手へ興味を抱くことが何度もありました。
U-18合宿では増嶋くんと出会い、レイソルユースを通しては物好きなヤクザさんしか
行かないと決め付けていた全クラやJユース杯へ足を運ぶはめになり、
いろいろ楽しい体験ができました。そういうわけで、今の私を語る上で
菅沼くんは不可欠なファクターとなっています。無論、彼自身のプレーでも
神戸で初ゴールを見て狂喜乱舞するという素晴らしい経験をしましたし。

ただ、それだけのエポックメイキングでありながら、LRやそれ以外の場所でも
(この一週前にあったグラン戦は身分不相応にもかの「ひしゃく」BBSへ
簡易レポを書いてしまっていたりする)この雨の中の試合―傘を持っていかなくて
浜松駅で慌てて小さな折り畳み傘を買ったからよく覚えている―について、
まともには記載していないのが、我ながら不思議です。同じく浜松駅で買った
無印のグレーのノート編へメモを取ったのも覚えているのですが、このノートを
仕事で使うためにメモの部分を破り捨ててしまったのも、記憶の中にあるのです。

第2位:永田充選手、超飛び級でフル代表に抜擢!
昨年の2位も永田さんなのですが、「世界に飛躍するだろう2003年も見続けて、
らしさを探したいのです」という記述がありました。ここで言う“世界”は
ワールドユース、そして多少はその後にやってくるはずだった五輪代表を
意識していたと思うのですが、事態は全く予想外の方向へ進みました。

そもそもユース代表との接し方一つにしても、2月時点では顔も分からない選手が
かなりいたのに、あれだけ合宿の練習試合へ足を運んでしまいました。
更に、大会延期によって本来は五輪代表イヤーとなるはずが、ほぼ乖離状態。
五輪代表は壊され続けて、私には全く魅力ないチームとなってしまいました。

とはいえ、その五輪代表へU-20世代も多くが招集される中、全く声のかからなかった
永田さんが、10月3日に突如追加された時は、とにかく信じられませんでした。
それも、あのヤマスタでのフィード(あまりに鋭すぎて宇野沢さんが目測を誤り
秀人さんの頭とぶつかったもの)が目に留まって抜擢されるなんて。

得がたいチャンスが、必ずしも歓迎できるものでなかったのも、忘れられません。
友達と出場機会のないフル代表参戦、同時に進んでいたU-20でのレギュラー喪失。
U-20では1年を通し不安定な状況に置かれ、ファンとしては一喜一憂でした。
(いろいろありましたけど、結果としてワールドユースを終えた時の笑顔が
柔らかかった―TBSの総集編のラストシーンで―から、彼にとってのU-20は
それほど悪いものではなかったのかな、と思いました。勝手な推測ですが)

それに対して、レイソルでの地位は負傷離脱以外は揺るがず、けれど代表合宿での
捻挫がもとで少なからず離脱したのは事実で、来期の目標がフル出場なのは
うなずけるところです。もともとレイソルにはフル出場が少なすぎるんですが。
(これで私がレイソルに傾倒していったというのも間違いではないような)

レイソルでの永田さんと代表での永田さん―来年はますます前者の比重が
残念ながら上がってしまいそうですけど、もっともっと上へ行ってほしいな、と
願うばかりです。レイソルはすぐ上にあがれる分、ぶつかるのも早いから…。

第1位:ホームタウンへの引っ越し
トップにやたらプライベート(私にとって)な出来事が入るのもお約束?
しかし、1年前はようやく療養から抜け出して、働くぞ更正するぞとだけ
思っていた私が、まさか一人暮らしを、それも予想もしなかった土地で
始めてしまうとは、正直ここ数年で最も特筆すべき事項かもしれません。

たった1年で違う色のウェアへ腕を通すためらいも消えうせるほど
通ってしまったのです。体も心も。飽きやすい私ですから、今後どうなるかは
怪しいのですが―そのうち小平市へ引っ越したいと言い出しそうでもありますし。

東京に住んでいた頃さえ、鹿嶋はアウェーで、2ヶ月に一度のペースでしか
足を運ばなかったのに。今は自転車で10分、週に5回行ってしまったこともあります。
引っ越す前も菅沼くんと同じ日程をうんぬん、なんて時期もありましたが。

この引っ越しがなんだったか分かるのは、来期になってからでしょう。
少なくとも、鹿嶋が想像していた以上に近くなったのだけは確かです。

…眠くなってきたので、自分でも何をタイプしているのか、よく分かりません。
フリーズする前は、もっとちゃんとした文章を書いていたのに…(しつこい!)
まさか選手権開幕戦の育英対決が始まる時間まで起きているとは思いませんでしたよ。
早く寝ないと仕事に差し障る…群馬の育英の録画は、きちんとセットしました、
今度こそ!(笑)本当はBS朝日である全日本ユース決勝が見たいんですけどね。

それでは皆様、よいお年を。


 2003年12月30日(火)   暗闇にこだまする唄 

“永遠のリベロ”洪明甫が来季で引退へ

Yahoo!のロゴが年末になると大掃除の画像になってプレッシャー…と毎年のように
書いているような気がするんですけど(苦笑)今年は大掃除はなしです。
だって、まだこの部屋に1ヶ月も住んでないですから…(手抜き)

それよりも片付けなければならないのはweb上のスペースで、まずはともかく
LRの書き上げてない分を仕上げないと、とリストアップまではしているのですが、
そこから先がなかなか(汗)明日には大晦日恒例のベスト3を書かねばなりませんし。
とはいえ、今年は11月が終わる前に既に決まっていたりするのですが(微笑)

スペースシャワーTVが15時から日付が変わるまで、今年の売り上げベスト100を
ノーカットで延々と流し続けているので、それをBGVにバシバシ打ちたいと思います。

----------------------------

…とかなんとか言いながら、今日もゲーセンで散財してしまいました(呆)
いいんですけどね、今日は500円で2個ゲットしたりできましたから。

でも、配送料がかかるとかでなくて、やっぱり実物を見て取れるかどうか
ワクワクする感覚に欠ける気がします。というか、ネットで物を買う時って
なんでもそうなんですよ。買い物している気がしない。お金を払った気もしなければ
物を買ったという実感もない―だからお金の出入りの感覚が狂っていく。

環境がよくなったのもあって、ネットでできることは増えましたけど、
だからといっておぼれるのだけは避けたいな、と。マネーゲームでもしなければ
お金を稼ぐという行為だけは自身の犠牲を伴わないとできないのですから。

…そもそも逃避する気になったのは、一生懸命書いてたのがフリーズで消えて
やる気がなくなったからです。今日は「るろ剣」見るほどの気力もないようです。

----------------------------

とかなん(以下略)…見ましたよ星霜編。追っかけ再生(録画の途中でも
最初から再生できるというHDDレコーダならではの機能)で。一言で言えば
巷に渦巻く悪評に納得しました。―原作から少し離れ、お遊び要素を盛った
どこか同人的なノリがあるのがOVAとはいえ、原作のエンディングをあえて
ぶち壊しにしてまで読後感ならぬ見後感を苦くする必要があったのかと。
原作から離してもいい距離というのは個々の感覚によるので、難しいんですが、
これはいくらなんでもひどすぎるだろうと。剣心と薫は幸せになったはずなのに。

ただ、薫の心理描写はすごかったですね。でも私は潔く身を引いた恵の方が
昔から好きなキャラだったり。そして弥彦の輝く瞳がお気に入りです。


 2003年12月29日(月)   おなごとは分からぬもの 

今日も明日ものんびりまったりです。部屋の片隅には未読の無料求人誌が山積み。
一体、全部で何種類あるんでしょうね…TOWN WORKなんか地区ごとにゲットしてたり。
それを読まないで何をしているかといえば、ゲーセンで散財していたり。
(4桁消費してもクレーンで何も手に入らず…ようやく市内でも私が満足できる
レベルのクレーンを揃えている所を発見。やはり国道沿いはいろいろありますね)

明日は国立へ行こうか迷ったのですが、優勝旗返還のために2000円+交通費を
払うのもプー太郎には辛いので、テレビで我慢しようかと思ってます。
とにかく市船が3回戦へ進んでくれるのを―2回戦勝ってくれるのを祈るのみ。

テレビといえば、サッカー関係もいろいろ見てますが(特に千葉でしか
見られないもの)アニメ系チャンネルの年末年始特集・OVAを見まくりです。
DVDを店まで見に行っても、スポーツの次にアニメをチェックしている私ですから。
三つ子の魂百までとはよく言ったもの―サッカーの前は野球、その前はアニメっ子でした。

今夜は「るろ剣」の追憶編。ラストシーンで剣心と共に頬を涙が伝ってました。
泣きたくて泣いたというよりは、いつの間にか。悲恋を描いたものなので
全体的にめちゃくちゃ重苦しいのですが、原作よりは巴の比重が大きくて
(あと新撰組やら桂小五郎も出まくり)更に切なくなっているというか。
あと縁の声をあてているのは佐々木望さんなので、ビジュアルだけでなく
幽助@幽遊白書と重なりまくりでした。幽白もいろいろ見てますから。

…この手の話題でも年齢がバレまくりですね(苦笑)


 2003年12月28日(日)   ストレスをぶち破れ! 

眠くて撃沈しそうだったのに、TBSのU-20総集編(地方では昨日放送だったらしい)が
始まった途端目が覚めて、洗濯なんてしてました。どうして天皇杯準決勝の
2試合ではそういかないのか…ちなみに2試合分、速攻でHDDから消去しました。

------------------------

起きた時体調最悪で、日雇いを欠勤したいと伝えたのですが、代わりがいないので
定時まで(今の現場は残業がデフォルト)やってくれと言われて、死にかけながら
一日働きました。今日は作業量が少なくて全体として残業なしでしたが。
明日も望み通り暇な一日になりそうです。ちょっと寒気がするので、
おとなしく暖かくしてゆっくり過ごそうかと思います。頭がぼんやりするので、
こうやってLRを打つ指もきちんと動かないのですが…とりあえずshockwave.comの
ゲームでストレス発散です(頭や目を酷使するなんて本末転倒だよ!)


 2003年12月27日(土)   百里の道も九十九里を半ばとせよ 

長居は遠いし(遠くなったんですね…(しみじみ))埼玉で静岡ダービーを
見られるというのも結構幸せ―少し前の私にとって静岡ダービーは行きたくても
チケットを入手できないものだった―なので、迷わずさいスタへ行きました。

埼玉で静岡ダービーは不自然だと言いたげにスタンドはガラガラ(約11000人)
深く考えもせず清水側(!)の端へ座り、携帯もろくに打てない寒さに震えながら
まったりと見ていました。私は焦点を合わせる対象がないと、どうしても
流して見てしまうのです。近頃は集中力も持続しないので、試合中に
ふっと意識を離してしまう行為を、意図的にやっていたりすらいますし。

※やる気なく続く


 2003年12月26日(金)   諦めない強さをくれるあなただから抱きしめたい 

松本昂聡選手 期限付移籍加入決定のお知らせ(FC東京公式)
このオフで最も予想しなかった動きで、半端でなく動揺してます。小平行かなきゃ…!

さて、一言だけ言わせて下さい―市立図書館の蔵書へラインを引くな!!
書き込みをしながらでないと本を読めない人がいるのは知ってますけど、
私が珍しく親父と一致した意見として、書き込みしてある本はそれが気になって
ちゃんと読めない(読み返す時に邪魔だから自分の本でも絶対引かない)んです。
行間を読み込まなければならない哲学書は特にダメなんですよ! 全く。

今年のレイソル納めとして、日立台へ行ってきました。今年何回日立台へ行ったか、
ちょっと数えたくありません。特に引っ越し後は、人の顔を覚えるのを
大の苦手としている私が特定ファンの顔を記憶するほど通ってます…(遠い目)

ぱっとピッチを見て、人数少ないなぁ…と数えたら、18人でした。驚くことに、
選手が練習の途中で、たとえば大谷さんが「(10時)50分から」と言って
抜けるんです。逆に入ってくる選手もいて―どうやらリアルタイムで契約更改?

最初からいたメンバーは:
矢野貴・矢野哲・大谷・近藤・落合・増田・菅沼・永井・玉田・加藤・
萩村・下平・平山・石川・谷澤・渡辺毅・根引(順不同)

スタッフがアップ(ジョグをリードするペースメーカー、あるいはストレッチで
1、2…と声を出す役)をかなり嫌がっていた菅沼くんになすりつけてスタート。
なんで嫌がるって、先輩たちついてきてくれないんですもん。イジメだわ!(笑)
一通り済ませても、まだ3分しかやってないとスタッフにいじめられる菅沼くん。
最初の指示は確かに10分やれだったけど、10分も菅沼くんを針のむしろへ
座らせるなんて、お姉さんの方がキレてしまいそうです(爆)

天皇杯敗退後の練習はひたすら楽しいだけとは噂に聞いてたんですが、
センターサークルでなんかぐるぐる回るレクリエーションで(みんな笑顔炸裂)
大の男が互いの背にしがみつく姿を見て、西村ジャパンでそのポーズが
一番似合っていた駒野さんのことを唐突に思い出したりしていました。

次がミニゲームなんですが、足でパスしても受け取るのは手、シュートは頭で
スタート。平山さんが野球場でジョグ、ウインドブレーカー(鹿島では
全員が短パンだったのでビックリしたのは、柏では短パンはくのが菅沼くんと
貴章さんしかいないから…)の雄太さんや、途中からでは練習に混じれないと
勝手に思い込んでてずっと一人でボールを蹴っていた田ノ上さんも合流。
さらに後から来た宇野沢さんは田ノ上さんから「ゴリラーマン」とか
言われてました。でも宇野沢さんは「ゴリ」と呼ばれても無視してるような(笑)

既にアウレリオ監督はいないわけですが、新体制が始動したとも見えず
(建前上はそうなっているそうですが)ノリとしてはプロ野球でキャンプ前にある
合同自主トレのような感じ。真剣にやる必要性がないのだから、楽しさだけが
爆発してもしょうがないといえばしょうがなくて…全ては負けたのが悪いのです。

ミニゲームはコートの位置を変えて、今度は3つのコーンにかけたバーの下を
通すと得点としてカウントされるものに。これのモチベーションも当然ながら
人それぞれ(試合が控えているゆえのものではないので、その高低はもっぱら
各個人の性格に由来します)ですけど、CKになると誰よりもスピーディに
コーナーへダッシュするのは菅沼くん。こんなゲームでもきびきびしてます。

でも、ある時、CKを失敗したら「みのる、やっちゃった」とすかさず言われて
頭抱えちゃったり。それがまたかわいくて…って私の与太はどうでもいいや。
そう言ったのは宇野沢先輩なんですが、このすぐ後に、自陣ゴール前で
菅沼くんがスーパークリアして1点防いだ時に、これまたすかさず
「みのる、今ので取り返した」って声をかけているのを聞き逃しませんでしたよっ。

菅沼くんや宇野沢さんのチームは、細かい足技を不得手としている貴章さん
(相変わらず脚がフットボーラーとは思えないぐらいマッチ棒…)を
自陣ゴール前に置いたのが原因で負けました(苦笑)長い足が絡まって
うまくクリアできないんですよ。浜名高校の監督がそれを理由に貴章さんを
SBからFWへコンバートしたのを思い出しました。さっきの手でキャッチする
ゲームでは長身がかなりのアドバンテージだったのに(微苦笑)

相手チームの俊太さんが「後でコーラね」と言うと、スタッフから「ダイエット?」と
ツッコミが。すぐに俊太さんも「ダイエット」と答えてましたけど、本当に
みんな練習での賭けが好きだなあ、というのは1年通して得た実感(笑)

ほとんどの選手がすぐ引き揚げる中、貴章さんは今日も居残り。スタッフに
後方からボールを入れてもらい、もう1人のスタッフにマーカーとしてついてもらって
それをかわしたり引きずり倒したりしながらフィニッシュへ持ち込む練習。
七夕の短冊へ他の選手が車だの結婚だの世界平和だの書く中で、一人丁寧に
「サッカーがもっとうまくなりますように」と純粋に願った貴章さんらしいですね(^^)
(ちなみに、この中で願い事がかなったのは菅沼くんの「Jでゴール」らしい)

そして途中から来たのでちょっとやりたらなさげ(?)な宇野沢さんは、
これまた居残り大好きっ子に見える菅沼くんと、何の嫌がらせなのか
ファンが待つすぐ目の前(つまりピッチの一番隅)でスタッフ1人をまじえて
延々とパス交換ごっこ。この時2人がこぼす表情がとても柔らかくて、
飛び交う言葉を含めて、本当に仲がいいんだって思いました。実際、宇野沢さんへ
聞いたら、ユースから一緒なんで、とあっさり言われてしまいましたから。
(それは知ってますよ…私はむしろ実は仲良くないとかありがちな答えを
返してくるのかと思ってました。この辺は2人とも性格良いだけあります)

で、終わるのをファンは待ってるわけなんですけど、菅沼くんがボールを
やり取りしている最中にすっと横目でファンを見たのも見逃しませんでした。
見逃さないっていうか…J-STEPに続いて、心臓止まるかと思ったんだよぉ!(T0T)
彼の流し目は本当に体に悪いです(そんな自意識過剰はきっとやぶさんだけ)

そんな終わるかという頃に大谷さんと聡太さんが出てきて、大谷さんは
スタジアムの中を、聡太さんは野球場を延々とランニングしてました。
聡太さんを見てたんですが、走るだけじゃなくて、一人でジグザグ後方ダッシュや
ももあげとかしてて、なんかこっち(野球場)で一人でなんかしてるのを
見るのはもう本当に嫌だと思いました。ここ2年、そんな姿ばっかり見てる気がして。

ずっと待ってて、声をかけようと思ったら、子供を抱いた方に聡太さんとの
スリーショット撮影依頼が。だ、だから私に写真を頼むのはやばいんですって(汗)
スナップ写真がうまく撮れないなんてありえないとさえ言われたことあるんですが、
本当にダメなんですよ!(大汗)そんなわけで、見てるわけないと思いますが
その方へ心からお詫びしておきます。え、えーっと、ファインダーの中央にある
マークみたいなのを、被写体の中央へ据えれば大丈夫なんですよね?(滝汗)
写真の端を示すマークを据えかけて、慌てて直したのは記憶にあるけど…(激汗)

そして、それが済むと私を置き去りにしてずんずん進む聡太さん…。
ひどいや、もう嫌(笑)不意に気づいたようなリアクションは天然なのか
演技なのか、それももう分かりません。ただ一つだけ覚えているのは、
今年も終わっちゃいましたね―という言葉に対して、サインを書き終えると
速攻でやはり去っていった聡太さんが、軽く左手を上げながら、ぼそっと言った
「来年はがんばるよ」(そういえば聡太さんって相手がママさんでもタメ口…?
いわく、お菓子の味にはハマったりしないらしい)という言葉―が正確かすら
もう断言できる自信がない、それくらい私の記憶力は使えないし、彼の口調も
重くはなく軽かった、とにかく聴覚情報(でも彼のハスキーバスボイスは
やっぱり大好き)が完全にぶっ飛んでしまった、その分、深く深く視覚へ
刻み込まれた大きな背中でした。ちょっとだけ顔の向きが私の方へ残っていて、
それでも全く私なんぞは―後方は見てなくて、ただ前だけ見て。そんな背中。

…知っている人は知っていると思いますが、私、背中フェチなんですよ。

美というのは理屈ぬきで快さを感じる対象の特色を示す際に用いられる
概念ですけど、どれほど心が枯れ果てたりあるいは消えうせたとしても、
美しいものを見て反応がある以上、魂は死んではいないのだと思いました。

ずっと人工芝コートではジュニア世代がプレーしていて、父兄の方々で
あふれていたのですが、その合間にレイソルユースの選手を最後に発見。
でも、一般人がいない中で見ているわけにもいかず、泣く泣く帰りました。


 2003年12月25日(木)   クリスマスは優しい気持ちになるための日だね 

倉庫内作業のBGMとしてBay FMを流してくれるのは嬉しいんですが、日付的に
クリスマスソングが多いのがなんとも…そしてナラヨシタカの声はすぐ分かった私。

そんなわけで、遅くなりましたがメリークリスマス♪です。
ここをご覧くださっているビジターの皆様には、ますくんの画像をプレゼント★
自分には素敵な笑顔が見られるのを期待して鹿嶋行きのプレゼントを。では後程。

昨日書き忘れたこと。「やぶさん(仮名)って訛りがないね、関東弁喋る」と
名古屋の職場では言われていたのに、千葉では「なんか関西弁入ってるね」と。
自分はどこの人間だと思いました。「〜っちゃ」なんて冗談では言うけど。


 2003年12月24日(水)   舞浜の夜空には冬でも華が咲く 

何が楽しくて、こんな日に舞浜乗換で葛西臨海公園へ(単純作業をやりに)
行かなきゃいけないんでしょうか。武蔵野線は連日連夜の通勤ラッシュ+
TDRフィーバーなのに、8両しかなくて、本数が少ないんですよ。いつ乗っても地獄。

ふと降り立った舞浜駅のホームから、花火が見えちゃうのは幸福なんでしょうか?

私は学生時代、中央線沿線に住んでいたので、電車の間隔…感覚が全て
中央線なんですよ、東京近郊に対して適応されるのが。それが大間違いなのは
今の日雇い仕事であちこち行っているうちに身に染みてきたのですが。
常磐線も少ないと文句言ってますが、武蔵野・京葉線には負けました(殴)

1週間待たされて受け取った知らせが不採用通知でも、実家から転送されてきた
(クロネコのメール便は当たり前ですが郵便局に転居届を出しても転送されません)
レイソル後援会の入会案内に当案内書限定レイ君ストラップの特典がついてても、
(前にも書いたように、磐田のファンクラブも何度迷っても入ってない私が
ついに入会してしまいました。来年のふれフェスは行きますよ!)
某イラストがクリスマスになっても完成しなくても、マツモトキヨシが
帰ってきたらもう閉店していても、その他面白くないことが(いずれも些細とはいえ)
山積みになったイブだったとしても、私はめげません! 頑張ります!

あ、まだレイソルのアンチクライマックスが録画できてるか確認してない…。
サンタさんサンタさん(と書くと、特定のハンドルのよう(苦笑))
私は一人暮らしを続けられるだけの収入がある仕事が、切実に欲しいです。

それにしても、来年のナビスコ予選リーグの組分けは、何かの嫌がらせですか?(笑)
FC東京・鹿島アントラーズ・柏レイソル・ヴィッセル神戸って。
近い将来にあまり希望を持てないから、逃避の一環として、手帳へ来年の
サッカーカレンダーを一生懸命書き写してました。どんな1年になるのかな?


 2003年12月23日(火)   早大・渡辺康幸コーチですって?! 

箱根駅伝は関東の大学しか出られず、しかも駅伝にしては1区間の距離が
やたら長い(ほとんどハーフマラソン。よって練習ではマラソン並みの
距離を走りこむことが求められる)何かおかしな大会ですが、年末年始の
風物詩にして一大イベントゆえに、本屋では新撰組並みに関連書籍が並びます。
そこで知った事実―サッカーよりも野球よりも先に触れた世界の人、他競技よりは
現役の期間は長いけれども、この人もセカンドキャリア突入なのかと。

市内の本屋を虱潰しに探索しても見つからなかったサッカークリニックが、
東京駅構内の大きくもない書店であっさり発見(しかも2冊も)できたのには
拍子抜けというか、いやはや。巻頭特集は日本では育たないといわれて久しい
ストライカーの育成で、最初に静学の井田監督のインタビューがあって
(谷澤さんを学園出身のFWとして紹介されるのは著しい違和感が)
続いて現役選手を代表して深井・貴章の凸凹コンビのインタビューでした。
これが読みたかったんですけど、クリニックの読者層へ訴求できる対象なのかは
私には少々疑問です(苦笑)それはさておき、面白かったですよ、結構。

今をときめく(微笑)深井さんの武器といえばドリブル。そういえば前回の天皇杯、
私は長良川へ来た深井さんへ鹿島サポへ見てほしい点を尋ねたところ、
「ドリブルからのシュート」と答えてくれました。今ではそのプレーは
絶大な支持を受けているわけですが―たとえ1%でも可能性があったら
シュートを打つ、というのはFWにはよくある回答ですが、印象的だったのは
大学時代、あまり下がってきてボールを触るなと言われたらしく、今でも
それを心掛けているという話。最前線でボールが回ってこないといらついて
必要以上に下がってきてボールを受ける選手が多いのですが、下がったところでは
ボールを触れてもゴールは遠く、またマイボールを失った時には前で失う以上に
より簡単にピンチへつながってしまうといいことなしだからです。

深井さんは声をかけた時、こちらが何か言う前から「お疲れ様です」と
爽やかに挨拶してくれたのが、あの時非常に好感度をアップさせたものです。

貴章さんはキャリアの少なくない時間をDF(SB)として過ごしているだけに、
深井さんに比べるとゴールへの執着心(井田監督はストライカーは芸術家と同じ
特殊な才能が最も必要な要素といっていましたが、確かにそうだと思います)でなく
フォア・ザ・チームを強調しているのが気になりました。なんといっても、
ボールチェイスをおもしろいと言うのですから。普段はあまり話題にされませんが
彼はジュビロSS浜北の出身で、当時トップの試合で中山隊長のチェイスを
見る機会が多かったらしく、それで感化されてしまったようです。

サッカーを始めてから決してうまくいっていたわけではなく、何度も何度も
やめようとしては“途中でやめるのはかっこ悪い”と踏ん張った貴章さん。
浜北で同学年のみの大会でもあまり出番がなく、ふとしたことで呼ばれた
U-15代表が大きな転機となったのは知られてますが(いわく、一度呼ばれると
そのハイレベルな環境が忘れられなくなるそうで、田嶋ジャパンへ入った時は
かなり嬉しかったようです)ほとんど戦術に関する指導はなく、個人技術ばかりを
仕込まれた(ジュビロの下部組織の本来のカラーはこれらしいんですが、
今では変質して昔の伝統を残すのは沼津だけだという噂)とか、珍しく(?)
中学時代の話が多いと思いました。でも中学から帰ってまたグラウンドまで
出かけてサッカー、というのが嫌だったそうで、高校では高校生活として
サッカーをしたくて浜名高へ行ったのだとか。いわく、もし中学が部活だったら
高校はクラブを選んでいたかも、とのこと。レイソルを選んだのは、やはり
出番が得やすそうだったからのようで。ここから先の壁にぶつかっているのが、
今の貴章さんなのです。本人もしっかり自覚しているようですけど。

貴章さんがReysol o'leへ電話出演すると分かっていたら、今日も丸ビルへ
寄り道なんてしないですぐに帰ってくるのに。まだこのラジオは聴いたことないです。
でも丸ビルのB1で売っているテイクアウトOKのスープはおいしかったですよ。

天皇杯準決勝、存分に鹿島寄りで見るべくチケットを取ったのですが、
家事を溜め込んでしまったのと(…)都内への所要時間をなめきっていたので
(どこへ行くにも路線検索が必須です。地下鉄が複雑に相互乗り入れしているのが
状況を複雑にしています)キックオフに間に合いませんでした。最悪です。


 2003年12月22日(月)   ゆく年くる年 

身内の皆様へお知らせ・お願い・お断りです。

宛先(住所・メルアド)が分かる物を置き去りにしてきてしまったので、
年賀状・年賀メールをこちらより差し上げることができません。
頂戴した分全てにお返事させていただきますので、ご了承下さい。

なお旧住所へ送られると見るのが遅くなる(1月中に一度帰りますが)ので、
年賀状を出していただける場合は、新住所をご面倒ですが
メールでお問い合わせ下さい。よろしくお願いいたします。

---------------------------------

先週、選手権群馬決勝の録画を失敗した教訓を踏まえ、今日は無事に千葉決勝の
録画に成功しました♪ 解説が「ロバートくん」と呼んでいるのが不思議な感じです。
あとでじっくりと増嶋くんのプレーを堪能したいと思います。何をやってるんだか、
全日本ユースの決勝は録画しなかったので…いまだに後悔してます…。

クリスマスも近いのに、やることにだけ追われていて(しかも何をやっても一人、
咳をしても一人)寂しい生活ですが、今はこの街自体が恋人であり友人かもしれません。
少なくとも市街の地図は冗談抜きで無二の相棒です、今の私にとっては。

「敵として対戦して、引退を決意させるくらいに頑張りたい。
そう思わせるのが、ほかの選手であってほしくない」

名古屋移籍の決まった秋田さんへ、不甲斐ないCBの弟子たち(Wツカサ)に
代わってギラギラした闘志で一番弟子の座をゲットした(秋田さんはいつも
一番弟子とアップでパス交換します。私は深井さんが弟子になったことも
カシマで聞かされるまで知りませんでした)深井さんのコメントです。
この人の言葉はいつも力強い―それも聡太さんの強さとも異なり、静かに燃えてます。

現地ではゴールに全く喜べなかった(なぜならそれは永田さんの失点だから…。
中島さんのゴールの時、永田さんは一緒に飛び込んだ深井さんに気をとられてます)のですが、
やはりこの人を応援できるということは、この上ない幸福ですよ。
この前の試合は、そう、まるで駒大で彼がゴールを決めたのを見たような気分でした。

某駅前のスーパーに柚子が売ってなかったので、柚子の入浴剤入れました。


 2003年12月21日(日)   好奇心は知っている事項には刺激されない 

現在進行形で「笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ」へ呼ばれて、一生懸命喋ってる
市船の石渡監督のトークを聞いてます。これ、サッカー全然知らないのに
先週のBSを見て感銘を受けたので監督を(こういう時、鶴瓶氏は選手ではなく
監督に興味が湧くんだそうです)呼んじゃったという、すごい企画です。

この番組以外にも、サッカーを知らない人にもいろいろ感激を伝えられたそうで、
石渡監督も、むしろそういう時に抱かれる感想を知りたくて、唐突な出演依頼を
引き受けたんだそうです。鶴瓶氏にサッカー知識がないからプロ野球に
たとえられたりと大変ですけど、これもBS放送による晒し者効果なんでしょうか。
Fマリノスは両ステージ制覇のJ1リーグチャンピオンなんで、余計にですね。
チャレンジャーとして前半2失点は上出来とハーフタイムには言ったそうです。
そもそも対戦自体が目標だったので(それを目指して勝ち上がってきた)
三ツ沢の試合はただ楽しめていたイレブン。異様な空気を味わっていたのです。

スタンド全体を市船寄りの興奮へ陥れた2点目は、残っていたたった2人による
カウンターでした。カレンのドリブルはベンチから見ていても一人抜くたび
「あ…」(抜けるのか?)「あ…」(抜いた!)「あ…」で、最後にパスが
田中くんへ出た時点で初めて「入るのか?!」とゴールの予感を覚えたそうです。

ちなみに、布先生@当日はワールドユース現地視察中の後任を引き受けるのは
スタッフ歴10年の監督にとってもかなりの重荷だったそうです。引き受けるか
迷ったと。部長時代から家庭かえりみず状態のようですが、今日はスタジオに
奥様と息子さん(10歳。サッカーを始めたいらしい)がご一緒でした。

なんと、このセッションは前番組にいたユーミンも興味津々だったそうですよ(^^)
「監督がいらっしゃるんですか?」って。いや、すごいですね、市立船橋。
スタジオにはオリジナルグッズのタオルやらストラップやらボールペンを
残していきました。市船はこの手のも以前から充実してますよね(苦笑)

--------------------------------------------

近頃は風呂へ入浴剤を入れて、湯船へ浸かりながら無料配布求人情報誌を
読みふけるのがお約束となってます。濡れて使い物にならなくなるので
(濡れた紙はリサイクルもできない)読み終わったら燃えるゴミの紙袋直行ですが。
今日は緑茶でしたが明日は冬至なので柚子の入浴剤を使う予定。実家では
母が嫌うため全くこの手のは使えなかったので、もう使いまくりですよ。
ついでに既製品をほんのちょっとですが、南瓜の煮物も買ってきてたり。

無料配布の求人誌がいくつ、どこにあるか…あるいはローソン以外のコンビニで
どうやってチケットを買うか、全てが未知の領域で、日々学習を繰り返してます。

名古屋では大きな本屋へ行かないと読めなかったChiba Walkerが当然ながら
何食わぬ顔で売られているわけですが、立ち読みして、石渡監督の出演で
繰り返されていた「選手たちは場数を踏んでいるから」というのと似たことを
増嶋キャプテンが言っていたのに目が留まりました。どんな状況でも…格上相手でも、
あるいは県大会5連覇の未知なる挑戦でも、一切緊張などせず、自由に自分たちの
サッカーを楽しめるのが今年の市船だそうです。プレッシャー歓迎という感じ。
増嶋くんは去年のチームよりチームワークがいいと自信たっぷりでした。
(ちなみにカレンとのツーショットで着ていたのは多分東京のジャージ…)

これに限らず、ごく普通に電車へ乗って、柏だの松戸だの船橋だのという
地名と接するのですが、いまだに…半月が経過しても、自分が住んでいる実感が
しっかりとは得られません。頭では分かっていても、体では分からないのです。
千葉の…特に東京湾岸の地名は、高校へ入ったばかりの頃から、頭の中で、
そう空想で何度も躍ってきたものだから。鹿嶋は今も昔も変わらず遥か彼方の
アウェーだけど、柏や船橋はもうホームのはず。けれど、これまで積み上げてきた記憶が
認識を、慣れを邪魔するのです。人間の生き様は、なんていい加減なのでしょう。
イトーヨーカドーで買い物するとなんとなく安心するのも、おそらく同じメカニズム。

お小遣い稼ぎの最中に、柏から来た主婦の方々がレイソルの話をしていて、
どこのチームにしろ地元で愛されている様を聞くのは快いと思いました。
もっとも、話題は某所の公園に選手が出没だの、J昇格前はタダで見られたのに
今は結構な金額を取るだの、お陰で家の周りが駐禁になっただのなんですが(^^;

不眠に悩まされていた身としては、眠気に襲われるのは幸福でもあるのですが…

追伸:後援会にはまだ申込書を出した段階、としか言わなかったのに、
レイソルカレンダーを会員価格で売ってくれたショップのお兄さんありがとう(^^)


 2003年12月20日(土)   始まりがあるものには、すべて、終わりがある 

ものすごい風が吹き荒れてました。サッカースタジアム駅で帰りの電車を待つ時も
(一番早く安く行けるのは我孫子→成田経由のJR!)風をしのぐ場所がなくて
会談で座り込むしかなかったのですが、それでも空が青かったは幸福でしょう。

岐阜に17cmも雪が積もるなんて、久々だったのでは…高校時代に体育を教わっていた
某先生は、引き受け会場のなかったアトランタ五輪最終予選走行試合を招致し、
5割しか客が入らなかったために長良川へは試合を回してもらえなくなったと
こぼしていて、今回の天皇杯が久々のゲームだったはずなのに―先週買った
プログラムの役員一覧に先生の名前があったから、また頭を抱えたことでしょう。
下手すると、先生も試合前に雪かきなんかしていたかもしれないですね…。

脱線してしまいました。アウェー側は日陰なのと売店が少ないのと、何よりも
試合後の挨拶が聞きたかった(その割に現地へつくまで相馬さんが長期離脱中なのを
全く知らなかったりするのですが(殴))のがあって、羽田さんに申し訳ないと
自覚しつつも14番シャツを持参(ポンちゃんは家に置き去り…)しました。
会う方会う方に「なんでこっちにいるの?」とも口を揃えられましたが。

実際に試合が始まってからのリアクションも、日ごろから蓄積している情報量、
何より頻度(どんな対象であれ、見る回数が多ければそれに関する知識が増え、
積み上げが愛着に変化していくのを、私は西京極で身をもって体験しました)が
レイソル>アントラーズなので、反応するのも―試合中に口走る言葉なんて
大抵は反射的に高まる感情―レイソルのプレーに対してばかり。

※続く


 2003年12月19日(金)   朦朧 

10時間働いてぼんやりした頭で、やっと答えを見つけました。
水曜まで貴章さんは五輪代表合宿へ参加していたのです。すっかり忘れてました。
彼が帰還したことで、菅沼くんが玉突きで野球場へ追いやられた、それだけじゃないですか。
いかに私の中で五輪代表が軽い存在か分かります。これからはこんなこと言ってられないのに。

まだ1時間半ほど残ってます。明日は電車を乗り継いで行くことにしたのですが、
はたして無事にカシマスタジアムへ試合開始前にたどり着けるでしょうか。

素敵な生活を送る代償は、あまりにもこの身には重い。


 2003年12月18日(木)   曖昧模糊 

薄々自分の記憶が間違っていると気づいていたので、あえて確認しようとは
今までしてこなかったのですが、やっぱり菅沼くんが初ゴールの時に抱きついた相手は
谷澤さんでしたよ(笑)これだから師走は嫌なんです。何かにつけ振り返るから。
しかし、動画もサクサク落とせて綺麗に見られて幸せです。これまで敬遠してきた
アントラーズのメンバーズルームもいっぱい見てみようと思いました。
(注意:上のリンクにある動画はJ-COMの人しか見られません)
あと40分か…早く手紙書き上げないと練習始まっちゃうよ!

--------------------------------------

何から書けばいいんですか?(最近こればっかりだな…)
日立台行ってきました(最近こればっか(以下略))

最初は二人一組ストレッチ。永田さんは練習前から大きな鳥かごから離れて
一緒にパス交換していた玉田さんと。この場面では、相変わらず仲良しな
矢野貴章&中井昇吾コンビが体格差にもめげずにやっていたのが印象的。
(というか他のコンビもあまり身長差を考慮してない組み合わせだった…)
そのコンビでじゃんけんをして二組に別れ、全員で巨大鳥かごチックなボール回し。
ゲーム形式よりも声出しや視野の広さが分かりやすいメニューだったりもします。

それからやっと紅白戦。でも菅沼くんは中井さんと謎の練習生4人(いずれも
そこそこ年のいった日本人。全く見覚えのない人)と共に野球場行きを命じられて
私はガクリ。でも凄いのは、ここで野球場を見ていたファンが複数いたこと。
人気者ですよねぇ、滋賀のファンタジスタは。それにしても、昨日は間違いなく
サブ組のFWだったのに、前節まではレギュラーだったのに、酷い扱いだなと
贔屓目を爆発させてました。それでも野球場を自動販売機へホットココアを
買いに行った時しか見ないあたりが、私が私たる所以(ゆえん)ですけれど。

ビブス(レイソルではレギュラーがビブスを着るのが通例):
清水・近藤・永田・渡辺毅・田ノ上・渡辺光・萩村・明神・増田・谷澤・玉田

ノンビブス:
南・永井・中澤・根引・矢野哲・大谷・下平・落合・宇野沢・加藤・矢野貴

携帯へ打ち込みながら、じゃあ昨日は貴章さんどこにいたんだろう…と
記憶をたどるのですが思い出せません。古田さん@スワローズが主張するように
人間の記憶力なんていい加減なものです。だからゲーム内容も覚えてません。

いや、いつもこうやって紅白戦見るたびに携帯へメンバーを打ち込むのですが、
他に何か特記事項がある日はほとんどないのです。展開なんて試合のままだし。
当たり前ですが―ミッドフィールドという概念がこのチームにはないのです。
独力でどうにかする以外にすべを持たない者ばかりが前へずらずらと並んで。
そんな中で、時折ゴール前まで中央突破したり、なぜかサイドをオーバーラップする
永田さんがいるのですが、それもまた、試合ほど控えめではないのですが
いつものままでしかなくて…正直、何を見ればいいのか分からないという贅沢ぶり。
これでは、練習には目もくれず、照明塔の下で話し込んでいる人と変わりません。

最後は選ばれし者だけがPKの練習。これは先週もやってました。天皇杯だから。
そんな中でも永田さんや近藤さんは素直に蹴りすぎて、あっさり南さんに止められて。
渡辺毅さんのタイミングをずらしたキック(南さん全く動けず)を見習いなさい。

他のメンバーは反対側のゴールで高校のようにシュート練習をしているのですが、
永田さんがあの増田さんよりも早い電光石火のあがり(…)を披露してくれたので、
おちおち見てもいられずピアノの方へ。割にすっすと前進した永田さんですが、
単にみんな最後に話し込む座を狙って、後ろ後ろで待っているだけだったのです。
私は人が待っている前で話すのが一番苦手なので、渡す物渡して即終了。

なんか凄かったですよ。柵の向こうでプレスカード下げた人が待っているのですが、
一番長かったのは、そのプレスからリリースされた後の立ち話…増田さんやら
明神さんやらがあがっていくのですが、一体何人の選手に抜かれたでしょう?
なんだかんだと15分以上は外にいたような。さすがはレイソル一番人気。
先週あれだけ行ったけど、平日でここまでつかまる人はいませんでしたよ…。
鼻をずーっとグズグズさせているのは本人いわく癖らしいのですが(それって
慢性鼻炎って言わないのかなぁ…(苦笑))なんだかなぁ、と思いました。

思えば、今まで永田さんと話したのってU-20合宿やらサテ練やらでした。
フル代表・優秀新人賞へ登りつめた今の永田さんに、ファンが多いのは当たり前。
なんだか、大昔に本山さんと話した記憶をしつこく抱えている自分、
正確には自分の乖離した過去と同じだな、とちょっと複雑な気分でした。
二番人気は谷澤さん、三番手を近藤さんが田ノ上さんと争う感じで、
みんな現金で分かりやすい(だって宇野沢さんが(以下略))なぁ、と。
中澤聡太&永井俊太の時代も遠くなったようです。フィールドの中以上に
外では世代交代が進んでますね。でもその割には菅沼くんはあまり(以下削除)

聡太さんもいつも早く上がりますね。対照的に貴章さんや菅沼くんは、
ほとんど居残りやっていきます。後片付けの関係もあるんでしょうけど。
今日は矢野哲也さんが右から上げたクロスをシュート、を30分近くやってました。
昨日は少なくとも1時間半(=私が到着した時点での経過時間)やったのに
今日は1時間ちょっとで練習終わってしまいまいたから、年頃の男の子には
物足りないのでしょう。FW(として使われる選手)がいっぱいいるのも事実ですし。

こっちで知っている本屋を全部回ったのにサッカークリニックが見つからなかったので
疲れ果てて、夕食を作るのが面倒くさくなって、近所の某とんこつラーメン屋で
チャーシューメン食べて済ませてしまいました。噂には聞いてましたが、
本当に脂の塊が一面に浮いてて、カロリーが高そう…それがおいしいんですけど。
ちなみにブリッコして並で食べてしまいましたが、大盛でも良かったかもしれません。
だって、並でも中でも大盛でも値段同じだから。50円引きで量も減らすのもあり。

今日の一言:
「来年は裏方さんたちがイキイキする。間違いない。目に見える」
(某U-20CB、練習後にスタッフと談笑しながら)


 2003年12月17日(水)   無意味の意味 

本当なら長々と書きたいところですが、全くそんな体力も気力もありません。
小遣い稼ぎを目的とした肉体労働(ピッキングした商品の送付先ラベルを眺めては
日本中にいろいろな想念が染み付いている自分を不思議に思ったり―単純作業も
この国を回していく血液として必要なのだと実感しました)の連続よりも、
今日一日の徒労の方が辛かったり。せっかくのCATVも“愉しむ”レベルへ達するには
まだまだ時間がかかりそうです。ピッキングでラベルを見る余裕ができたのは
残業へ突入した18時過ぎだったように。人間は何にでも慣れてしまいます。
ちょっとした用事の帰りに日立台へルート的に寄れてしまうという幸福にも
そのうち慣れてしまうのでしょう。それが今から恐ろしくてたまりません。

今日は用事が早く終わってしまったので、こっそり覗いてきました。
練習開始が30分遅くなったと知っていたら、ちゃんとそれ用の物持っていったのに。
食費は切り詰めるくせに、1食分の費用より明らかに高い差し入れは割と迷わず
買えてしまう自分が嫌かもしれません。それはともかく、帰ってきたU-20組が
合流して人的余裕ができたせいか、中井さんや大谷さんは野球場で別にやってました。

スタジアムの方ではレギュラー組が「近藤・永田・渡辺毅」の3バックだったのが
印象的でした。早速オーバーラップやフィードを披露し、また監督からも
声をかけられる姿を見て、心の底から「おかえり」って思いました。思っただけですが。
谷澤さんもレギュラー組で、唯一ワールドユースでも出番のなかった宇野沢さんは
残念ながら菅沼くんとサブ組のツートップ。この紅白戦での攻守は、個人的には
おいしいのですけれど、でもやっぱりこのツートップをトップで見たいです。
まだ書き上げていないんですけど(殴)神戸で菅沼くんがゴールを決めた時は
この2人で、菅沼くんは決めるなり先輩へ駆け寄って、抱き合って喜んでました。

ま、この辺は明日へ持ち越すとして―せっかくのCATVなのに、なかなか見たい番組が
ないのが寂しいです。最初に見た番組はギャバンでしたよ…幼女時代の記憶。
あとTV with HDDより手に負えないのが、今こうしてタイプしているPC。
タイピングひとつとっても、まだ慣れなくてイライラします。道理で、
昼間受けたタイピングテストが我ながら不本意すぎる低成績なわけですよ…。

とにかく、周りを巻き込んでまで不満を叫ぶのだけは避けたいです。
もっと自分の人生に対して、のんびりとはいかなくても、おおらかに構えたいです。
私は常に苛立って、焦って、追い詰められているから―深い理由もなく。

※今日一番時間かかったのは、上に並べたバナーを表示するまでです。
 とうとう、きちんと表示されたのは日付が変わってからでしたよ。
 私がちゃんとマニュアル読まないのがいけないんですが…実家にも迷惑かけて。


 2003年12月15日(月)   最後に遺された幹 

その瞬間はとても大切だったはずの事柄でさえ、
書き残さなければわずか半月でさっぱり消え去ってしまいます。

何はともあれ、まずは「おかえりなさい」。
まさか本当にアウォーズへ間に合うように帰ってくるとは…
しかし、なんで今年はフェアプレー賞の受賞者が多いんでしょう?

…お金を稼ぐって、本当に大変ですね。
最近の趣味は駅前のインフォメーションでゲットしたマップを見ながら、
市内のラーメン屋巡りをすることだったりします。本当に(笑)


 2003年12月14日(日)   興奮という媚薬 

へとへとです。実質3試合消化(いや、4試合か?!)
日立台のダブルヘッダーは分かってて行ったんですけど…インターバルが
あんなのになるとはなぁ、としみじみ。いやはや、トーナメントは恐ろしいです。
なのに、明日はめちゃくちゃ朝が早いのです。しょうがないです。自分で望んで
不相応に高いレベルで新生活を始めてしまったから。今日、やっと待ちに待った
PCとDVDレコーダが届きました。ぶっちゃけ、切実に必要でないものも結構買ってて、
心境としては“ポルシェカレラを一括払い”に近いものがあります。追い詰める手段。

KさんへBSの経過を教えてもらおうと電話した時に、引っ越してからは
楽しそうと言われたんですが、楽しくなかったら意味がないですから。
厳密には、楽しいというよりは刺激が強すぎ。少なくともサッカーに関しては
生観戦・テレビ観戦・ネット観戦(!)とこれまでとは比べ物にならない
濃度へ浸かれる環境を用意しました。苦悩から一時でも逃れるため。
だから、この前市立図書館で借りてきた哲学概論の本を読む気になれません。
そんなことを考えている場合じゃないと思っているから―“まだ夕方じゃない”。

最大の問題は収入の目処が立たないことで、その次は、覚悟していたとはいえ
一切の物理的コミュニティから乖離しているので話し相手が全くいない
(トライアウトでご一緒したSさんの次に話しているのは、しゃれでもなく
某Sくんかもしれないという有り様…これを否定できる状況の記憶を発掘しようと
むきになってしまいましたよ。ちなみにトライアウトは大榎コーチの茶色いコートと
飯田さんのビニールバッグと高橋範夫さんのハンチング帽にKOされました(殴))こと。

だけど、こんな私でも…鬱を経て心身ともに限りなく醜くなった私でも
生きていて、相手をしてくれる人がまだいるのは、本当に幸せだと思います。

脱線しすぎました。天皇杯@日立台、ガラガラだろうとは思っていたのですが
予想以上だったので、割とぎりぎりまで野球場でランニングする聡太さんを
眺めていたりもしたのですが、ホーム側ゴール裏も余裕そうだったので、
普段は出入りできない領域だと思って、つい悪乗りして柵またぎにトライ。
ユニフォームは訳あって(え、勝手な推測でしょ)来年までお預けなので
コアサポにもらったビニールまとって、小学校の頃、合唱クラブで培った
アルトで勝負。といっても、メロディものしか対応できないんですね。
地声は耳で聞いてあわせるなんて無理…やっぱり縁のない場所です…。

試合は大宮が一人退場したなんて忘れそうなぐらい、お寒い内容でした。
ロングボールを蹴る人がいない、タメ作れる人もいない、だから短く
ボールをつないでいくしかないのに、そのビクチャーさえ一致しない…。
とりあえず渡辺毅さんの経験はさすがだなとは思いました。うーん、あとは?

菅沼くんは例によって手で自分の前にあるスペースへボールを欲しがるのですが、
これが全くといっていいほど無視(泣笑)彼は周囲と噛み合わないなあ、とは
カシマから思い続けていることですが。それが彼のせいなのか周囲のせいなのかは
フィルタがかかっている私の目では判別不能です。まあ、結果としては
練習でもグラウンダでしかミドルが枠に飛ばない(DF皆無でも!)明神さんぽいな、と。

この後、カシマの結果はアントの携帯速報を申し込んでいるから、と安心して
三ツ沢の情報収集へ躍起に。ふと駅前の某ゲーセンにあるビジョンが
いつもBSを映しているのを思い出して自転車を飛ばしたのですが…甘かったです。
レイソル通りにある電気店でもすごい人だかりだったのですが、駅前の方は
歩行者天国なのをいいことに、それこそ道幅いっぱいの人・人・人。
しかも見ている人ほぼ全員、リアクションが市船寄り。市船の選手が相手を抜くと
歓声が起こったり。初めて千葉に住んでいる実感をしみじみ感じました。
(今日初めてCan Do!を見たけど、もう感動の水準が全く違う)
というか、市船が千葉県にあることを今更のように思い知ったというか。
あと、完全優勝したFマリの構成法(補強)はあまり他サポには好かれてないようで。

ドキドキしましたよ。市船のサブGKが羽田くんなのは事前に知ってたけど。

日立台へ引き返して、本日本来はメインイベントだったはずのユースカップ観戦。
リザーブのアナウンスで「すがぬまみのる」がアナウンスされた時は
スタンドから「えーっ」とどよめきが起こりましたが…彼を使わざるを得ない
状況に追い込まれた時点で、つまり45分の時点で事実上は負けてました。
たとえ菅沼くんを入れて勝っていたとしても、それはどこか歪んでます。

試合自体はトップより面白かったと思うのですが―細かくつなぎすぎ、狙いすぎ。
柳澤くんはあんなに通しにくいパスを狙う選手だったかなぁ…あとDFが
どことなくおぼつかなくて。大型選手はテクがちゃんとしてなくても
通用してしまうだけ磨く機会がないのかな、と思ったりもしました。
昔の柳本さんが、スピードがあれば後は何とかなるからって、本当に
目も当てられないような技術しかもっていなかったのと同じ理屈で。

どんどんFWを増やして、最後には柴田くんを前へ出して、カウンターを食らうと
常に数的不利になるような布陣を敷き、最後の最後まで攻めてました。
最初は前で待っていることの多かった菅沼くんが、いつしか最後尾まで走って
石川くんとチェックをかけているのを見た時は、かなり複雑な気分になりました。

チームメイトを呼ぶ声もよく聞こえる、手を差し出した先には大抵ボールが入る
(その精度はともかくとして)二足のわらじ生活は彼にとって幸福だったか?

試合後、3年生の多くは泣いてました。そういえば、笛が鳴った直後は
倒れこんで顔を覆い天を仰いでいたような。眠気で意識が飛びそうな今も
なんとなく覚えているだけでこれだけ書けるなんて、濃い一日でした。本当。

唯一分からないのは、私が何を見たくてスタジアムへ足を運んでいるか。


 2003年12月13日(土)   下部組織 

仮眠を取らないと起きていられないのは経験で百も承知だったけれど、
電話待ちをしている以上、一人の大人としてそれを止めるわけにもいかなかった。
目が覚めたら、ちょうど4時だった―「みっちゃん!」とだけ書かれた携帯メール。
携帯版日刊スポーツが伝える惨状。前夜もあまり嬉しくない知らせがあって
落ち込んでいただけに、頭も回らなくて、ただぼんやりと、訪れてほしくなかった、
けれどいつかは必ず訪れる瞬間である“終末”の到来を悟った。曖昧にだけれど。

U-20日本代表、解散。
今年の2月、磐田で見た時は顔が分からない選手が多かったチーム。
あれから何度、J1サテライトとの練習試合を見て、そしてへこまされただろう。
これまでの実績からすれば、よくやったほうだと思う―甘いのだろうけれども。

今は、素直にお疲れ様と言える…だけど、最後の最後まで、
永田さんが信頼を回復できなかったのだけが心残りで、悔しい。
最後の闘いを見ずに語るのは失礼千万だけれども。



今朝も、性懲りもなく日立台行ってきました。昨日も今日も仕事が入らなくて…
まあ、昨日は終わった頃についたので、何も見てないといえばそうなのですが。

で、トップ練ではなくU-13の大会をぼんやり見始めちゃったりしてたんですが、
(試合より、むしろアップにチームというか指導者の個性を感じました。
一番印象的だったのはレスチの整然としたさま。もしかしなくても、
ユニの魔力かもしれないんですけど、まさに「ユースの血を引きし者」でした。
選抜チームは急造なだけに意思疎通が大変そう。あとはレイソルのコーチが
中体連へ行った子へ声をかけていたりなんてシーンもありました)

のんびりまったりと野球場を一周したちょうどその時、アンブロのウェアを着た
ちょっと大きなお兄さん達がわらわらと出現。野球場の隅にある水道の所で
談笑している紅顔の美少年、どうもどこかで見たことあるなぁ…と思ったら、
石川くんでした。その一団は他でもない、レイソルユースだったのです。

浮き足立った私は、トップ練習をほぼ完全無視(土曜で天気もいいから
ファンも多い―貴章さんも菅沼くんも平日とは違い前へ進めないぐらい
大量のギャルと少年(一部U-13大会参加選手あり)に囲まれてました―し、
メニューもコートを小さくしてのミニゲームとPK練習、多少の居残りぐらいだし)して
ユースの練習を見てました。ただ誰が誰だか、ほとんど判別のつかないのが
悔やまれるんですけど…柴田くん・桜井くん・石川くん・柳澤くんぐらいしか。

U-13大会の隙間を縫うように行われたので、ほとんどハーフコート状態で、
アップ→巨大鳥かご→パス練→セットプレー確認(両CK、間接FK、直接FKなど
多くのシチュエーションを繰り返して)→後方からの攻撃パターンの確認→
ダウンの順番でした、フィールドプレーヤーは。U-13の父兄へ紛れるように
隠れて見てたんですが、GKの子には見つかっていたかもしれません(苦笑)
所要時間はトップが1時間半弱+ファンサタイム、ユースが2時間強ですか。

明日はどっちも勝ってほしい―トップは帰ってくるU-20組と、光輝さんのために。
(光輝さんもすごい囲まれてました…フォトギャラリーのコメント切なかったです)
ユースは言うまでもなく。少しでも長く、日立台へ行ける幸せを味わいたいから。


 2003年12月12日(金)   ミネルバのフクロウは夕暮れに飛び立つ 

最寄り駅近くの光景を一言で言い表すと「胡散臭い」です。

ようやく新居宛の郵便が来たので、住所を証明し市立図書館のカードを作ることができました。
以前、立ち読みを断念した『勝利のチームメイク』もバッチリ借りてきましたよ。

今日のタイトルは哲学概論本より、ヘーゲルの言葉です。
古代ギリシアから、哲学は考え込むゆとりがある人のもの。
私は夕暮れの訪れを拒否して引っ越したのですが、暇を持て余しており、
目的が達成されているか微妙です。三日連続レギュラー組、なんて言ってる場合でもなく。

「試合中のマスさんは怖い」
ストライカーをまた買ってしまいました。市船が柏の葉とは知りませんでした(笑)
編集後記の小ねた以外に、下平さんのページで何気に某薄着くんが出てるのがポイント高し。

ああ、まだ2時間半もあるよ…今日のU-20はどんなバックスになるか、
世界大会なのに、毎試合ドキドキしてます。それは良いことか違うのか、私には分かりません。


 2003年12月11日(木)   雨に濡れて 

炭酸ガス系の入浴剤は芯まで暖まるけど、着色料入りを贈るのは躊躇ってしまいます。
まあ、自分が暖まりたい気分だったからって、衝動買いしてラッピングしてもらい渡す、
それも傘のさし方が下手なせいでベタベタなビニール袋で、というのはどうかと思います。
なんか、毎日謝りたくなりますよ。今日は本当に謝ったけど(苦笑)
私も笑って許せる度量を持ちたいです。幸せですよ。

ようやくネット復帰も目処がたち、不足を感じた品を折々に買い足す日々ですが、
生活レベルがぐんぐん上がるイコールそれだけの出費があるわけで、
無収入な点だけが現在の懸念材料です。かつても感じたことですが、
働かないと金が入らないのもありますけど、とにかく暇なんです。
しかも「普通の人」は仕事なり学校なりがあるから、私のように暇ではない…

今日は面接を二つ入れたのですが、いずれもすぐに片づき、結局行くつもりのなかった
日立台へまた行ってしまいました。暇だから、どうせ家へ(歩いて)帰る途中にあるから、
そんな理由で雨の中行けてしまうシチュエーションって、本来は幸福で
私はそれを望んだはずですが、なんだか妙な気分だったりもします。
正直、鹿嶋も行きたいのですが、遠い(=お金がかかる)です…

日立台は1円も使わないで行けてしまう。

で、今日は雨で、洗濯物がたまり途方に暮れてるんですが、そんな天気でも
思ったよりは見学者がいたんですけど、実際に練習を見てる人が少ないんですよ。
私が開始から1時間過ぎた頃に着いたせいかもしれませんが。
ずっと雨宿りしてる人は、何をしにわざわざ雨の中を来たんだろう…
もっとも、雨の日は選手も重装備で、特にニット帽が著しく判別を難しくすると思いましたが。
雨の日はファンサなんぞしたくないでしょうね…(この辺は選手により極度に違ってました)

こんな日でも短パンなんて、見てるこっちが寒いんですよ。
なんとなくでも。確か動きづらいからという理由で絶対履かないのは
望月さん(はジェフの人と言えばいいの?)だったと記憶してますが、断言する自信ないです。
まさか、そこに反応されるとは思いもよりませんでしたけど。

何はともあれ、きびきびした動きを見ると嬉しくなる。

しかし、お金を使わずに暇を潰す方法はないのでしょうか?(苦笑)
レイソルの天皇杯は、いつ終わりを迎えるか分かりません。
永田さんたちが帰ってくるまでシーズン続いてるか…(涙)


 2003年12月10日(水)   決断 

私はあの日、ヤマスタで市長が俊哉さんの移籍をフライング発表するのを聞いた。
俊哉さんの挨拶も聞いた。嬉しそうだった。清商以来の俊哉ファンの友人は泣いていた。
あれからどれだけがすぎただろう。私は思いもよらなかった地に住んでいる。
環境を変える、それが人生においていかに鮮やかな意味を持つかを噛みしめながら。

やるせない。


ようやく、日常と近接した非日常に足を踏み入れる機会を得ました。
非日常自体は、これまで何度となく触れた光景と何ら変わりないのですが、
(たとえば、いつ見ても菅沼くんは薄着です)
それと日常―その象徴たる自宅との距離、具体的には移動に要する時間が、未体験の領域なのです。

ついさっきまでグラウンドへいたのに、もう家にいる。
長良川でさえ30分以上の"distance"を必要としたのに。

現時点では、どちらに関しても「微妙」としか答えようがないようです。
当たり前ですよね。まだ水曜日ですし。試合は日曜日。
気持ちとしては両方出たいようですが…そう尋ねる人も多そうで、申し訳なさでいっぱいです。

顔をまじまじと見られるのは、照れる、なんて可愛い感情でもないものがあります。

自転車置き場へ同じような色のばかり4台も並んでて、
紛らわしいなぁ、とそれぞれに記された名前を確認したら、
それが「輪湖」「浜屋」「石田」だったのには、正直複雑な気分になりました。
来た時は別の自転車が並んでたから置き場かと思って置いたのに、そこは厳密には違ったんですけど。

夕食の食材をどこで買おうか悩んだ末に(自転車ならいろいろ行ける)家から一番近いスーパーへ行ったのですが、
安さで近隣には知られてる店らしいとはいえ、陳列という概念を無視した店内に
前職でレイアウトマニュアルの印刷などもしていた身としては、イライラしました。
やはり商品は見やすく整然と並んでいるべきではないでしょうか?
レジ袋を広げるために湿らせた布が雑巾のようだったり、最初の日に手伝ってくれた母いわく
腐ったミカンが売っていたり、でも近さと安さには代えられないかな、と妥協しているのが現状なのです。

今日も卵10個入りパックを落として、やむなく5個分のスクランブルエッグを
食すことを強要されたりしてますが、私は元気です。
こんなボケを書く気になるだけ、まだまだテンション高いのかな、と。

あ、打ち込んでいる間に嘉人さんが退場……


 2003年12月09日(火)   どこにいたってさびしくなんかないよ 

支払いを済ませた焼きたて食パンを店へ忘れてきたり、
外したコンタクトをケアせず空気中へ放り出して乾燥させたりしてますが、私は元気です。

U-20が唯一1面だった日刊を、携帯でいつも読んでるにも関わらず買ったんですけど、
こっちは都内より版が一つ古くて、写真が喜んでるみんな(永田さんもいる!)でなく、
プレー中の坂田さんだったのが、ちょっぴり残念です。

それも都内へ行ったから知ってるんですが―飛田給へ行ってきました。遠いです(苦笑)
多くは語れませんが、全ての参加選手…特にサンガというチーム(notクラブ)と
その現所属選手の未来に幸あれと、サンガサポでないながら祈らずにいられません。


 2003年12月08日(月)   虚構の微笑、現実の憫笑 

最新の情報を手に入れる努力を怠らないのは、重要なことです。
でないと、潰れた店まで国道16号(環状のどこで接してもろくな思い出のない
魔の国道ですよ、私には)を自転車で大型車だらけのトンネルくぐりまでして
行ってしまったり、既に移転した某役所へ行こうと違う駅で降りてしまったり、
体力やら金銭やら、とにかく無駄に消費しますから。しかし、地上波でしか
観戦できない人間は、自分のささやかな興奮を保つため、これから情報を
遮断しなければならないのです…韓国に対する怒りのあまり、衝撃的な
一言を口走ってしまった記事を確認するためにネカフェまで飛んできたんですが。

日立台をはじめ、市内に「台」がつく地名が多い理由を実感できました。
自転車ではアップダウンの激しい街は辛いです。あけぼの山や柏の葉は
もっともっと遠くにあるのですが。清水でもそうだったんですが、地図で仕込んだ
二次元の地理感覚と、実際に移動して(徒歩と自転車ではまた違ってくる)
三次元の距離感を照合する作業を午前に、伊勢丹側しか歩いてない松戸駅周辺の
反対側を歩き回る作業を午後に行いました。バンダイミュージアム楽しすぎです。
クレーンゲーム大好き人間には、ワンフロアまるごとって、たまらないですよ。
他のお客さんが大きな商品を次々ゲットしていく横で、私はサービスで
ツメが大きくなっている台で、小さなキーホルダーを取るのが精一杯だったりしますが。
イトーヨーカドーも広いし、こっちでも良かったかな、と思ってしまいました(笑)

…早くネットを自由にできるようになりたいです、心底。


 2003年12月07日(日)   不干渉・不感知 

ようやくPCと向い合う時間が取れました。といっても、行きつけの某カフェからですが。
今回の引越費用は、2年前に地球の裏側へ行くつもりで貯めたお金を回しました。
多くが備品だった東京時代と違い、色々買い揃えたので生活感のある部屋となりましたが、
(単純な部屋のサイズもかなり違います。今度の部屋はキッチンやトイレなど、
あまり使わないところになぜか収納スペースのある、そこそこ広いところです)
PCを新調するには別途貯金を取り崩さねばなりません。もちろん、そうしなければ
生活に支障が出るのは既に現在進行形で明らか(今の時期は1年で最もサッカー界が
激しく動く時期なので、ついていけないのはあまりに辛いです。移籍関係はおろか
天皇杯で市船が勝ったことでさえ、知ったのは22時半過ぎ、ここへ来てからです)なので
買わざるを得ないんですけど…保証人になることを承諾してもらうまで、色々と揉めた
両親の理解もあり、予想していた以上にレベルの高い生活環境を手に入れたのですが、
それを維持するために今後懸命にならないといけないので、頭が痛いです。

親不孝な子供ですよ、私は。

ここ3日間、持ってきた荷物の整理や買い物に追われ、息つく暇もありませんでしたが、
1人になった瞬間―それを自覚できた時は、到着した際でさえ感慨がなかった程
歩き慣れた駅前の風景の只中にあったのに、なぜか涙が止まりませんでした。
自分で望んで選んだ道なのに。そのまま部屋へ歩いて帰って、泣いてました。
そういえば、ここ何年と泣いてなかったのに、揉めてる段階でも号泣しました。
ステモの、何階だったかな…子供用の品が売っているフロア、お約束のごとく
駄々をこねてわんわん泣いている子供が何人もいたのですが、今の自分は
それとあまり変わらないのかもしれないと思いました。全く同じことを、大昔、
自分もしていた記憶がほんのりあるのです。買ってほしい、買ってくれないと帰らない、と。

それでも、J-COM東関東のReysol TIMEを自宅のTVでまじまじと見つめ(これまでは
駅前の大きなビジョンでしか見たことがなかった)その偏りっぷりをまじまじと味わい、
また自分へ何かを言い聞かせるようにチームショップへ行き、明日はとうとう…やっと
日立台へ行こうかと思っているのです。自転車で。それも買ってから30分もしないうちに
転倒してベルを壊してしまうという、某Sさんも真っ青のリカっぷり(この表記、
意味が分かる人はどのくらい残っているんだろう?)を発揮してますが、直後には
ぶち切れてすごいことになっていた自分も、あの道の恐ろしさ(車道は常に大渋滞、
歩道は極度に細く凸凹だらけで飛ばすと間違いなくやばい)をベル1個で学習できたなら
良しとしないと、と考え直していたりします。他にも壊した細かい物は結構ある、
だけど明日からもとりあえず生きていける、自分のために生きる時間があっても
いいじゃないかと考えてこっちへ来たんだから、そのために頑張らなきゃいけない。

もっと書きたいことがあった気がするのですが、忘れました(苦笑)心身の疲労で。
一通り引っ越し関連の作業は終了した(でもお金が絡むものは明日か…)ので、
明日からは生活するための努力をしないと、本当。ここにだってそうは来れないと思います。
いつも朝が多かったのでガラガラなここも、今は空きがないぐらい埋まってます。

1人になった瞬間、この街は私の中で意味を変えた―ここはもう、アウェーじゃない。
私が帰る場所は、ここなんだ。

ちなみに、この地方は祖父が若かりし頃、ゆえあって住んでいたこともある土地らしく
全く無縁ではなかったようです。何はともあれ、分別表を見ないと分けられない
ゴミについて慣れるのが先決です。紙袋で捨てるってかなり予想外の事態…。

天皇杯3回戦、体が3つぐらい欲しいです。そんな贅沢も踏ん張りと理解あってこそのもの。
もっと強く自覚して、やっていかないと―やっと住所は覚えたものの(ついでに
今まで全く覚えられなかった自分の携帯番号も、書きまくっているおかげで覚えました)
郵便番号をすぐ忘れてしまうのですけれど。どんどん記憶力が衰えてますよ。

本当は、このLRへ書きたいと思いながらかけていない出来事がいくつもあるのに。

さて、またこれから寒い中、自転車こいで帰りますよ。誰もいない部屋へ。
散々迷った挙句、黄色と黒のカレンダーは買えなかった意気地なしです。
でも、部屋にはえんじ#14のサイン入りシャツが飾ってあったりもします。


 2003年12月06日(土)   生活がスタジアム 

…という、明神さんと少年が日立台で向き合うポスターがあります。
シーズンはじめよりある物ですが、フレッツBBの集合写真より身に染みました。
今まで特に気にもならなかったのに。

ホームタウン。
一部のクラブを除き、幻想にも近い響きを有する概念ですが、
それは例えばケーヨーD2で買い物をしていると自覚することなのか、
はたまたその逆(特別な意識を抱かなくなること)なのか、よく分かりません。

道の反対側まで漂うとんこつスープの匂いを切なくも感じながら、
録画ツールのない今夜は寝たらおしまいだと自分へ言い聞かせている次第です。
これまで多くをネットへ依存してきた自分を痛感しつつ。

早くキーホルダーを買いに行きたいです。


 2003年12月05日(金)   TAKE OFF 

って筑波の誰かの応援歌を思い出す…。

未来日記というか、過去日記というか―本日よりしばしPCレス生活を送るので、
ここ書いたりメール見たり情報チェックしたりが極度に遅くなります。
HPサーバやメールアカウントは今後も生きてますので、ご心配なく。
どうせ日立台や鹿嶋や飛田給にいると思いますが探さないで下さい。

もう買い物しちゃダメだと思って、岡田×平尾×古田のハードカバー対談本は
泣く泣く見送ったのに、タコのガラス細工が入った消臭剤は買うんだもん自分。

親父と同年代の同僚に、サッカーを続けている人がいるらしく、これまで
全くのサッカー音痴だった親父からコロンビア戦のスコアについてなじられたり
私が綺麗に忘れていた中国戦を教えてくれたり(だから後半しか見てません。
感想は、やっぱり本山さんが好きだ、以外は特になく)それを一緒に見ながら
アレックスの起用についてつっこまれたり、3バックについて語ったり、
嘉人さんのシュート精度を嘆いたりしていたのですが、変な感じです。
どうやら親父はその人と話を合わせるため、情報収集に懸命のようです(笑)
私はプロ野球やバレーボールの話になると、途端についていけないのですが…。

「(コロンビア戦の1対1は)自信になった。カバーリングも? それはどうかな(苦笑)
自分としては追い込まれているとは思わない。グループの中でも不利とは思っていないし、
普通に勝ち点を取ればいい。緊張感の中でやるのを幸せに感じるし、
いい結果が残れば、自分のこれからのサッカー人生の財産になる。
アウエー状態というのも、力になると思う。

今日の練習での指示は、戦術的なことより、力を出して点を取ろうという話。
いずれにしても、ゼロに抑えればいいわけだから、後ろは集中して戦いたい。
(コロンビアの4失点は)逆に開き直るくらいの失点。試合の夜にもう忘れようと思った。
今は『4点なんて取られたっけ』くらいに考えている。単に相手がうまかっただけだし。
反省は大会が終わってからすればいい。

いま反省すべき部分があるとすれば、2点目の後の失点。あれはいらなかった。
前へ出るばかりで、冷静さを欠いていた。あんなにガンガン行く必要があったのかと思う。
みんな一つ一つの試合に勝つことに気持ちが入り過ぎている。
リーグ戦なんだから、2-1とかで抑えておけばよかったし、それはできたと思う。
ラインが下がってしまったのも、イケイケ状態で、みんな何も考えていなかったから。
もっと冷静に後ろから言えればよかったけど、自分のその中に入っていた。

明日は前半どれくらいしのげるかだ。そうすれば僕たちの形になる。
相手をしっかり狙えばマンマーク気味になる。
そしてサイドハーフも下がってくると思うから、こっちのサイドが前に出て、
自分たちの形が作れる。バランスさえ失わなければ問題ない。
明日はたぶん、みっちゃん(永田)が入るだろうけど、
今まで何度もやってきたから大丈夫。アジアユースもやっているから」

スポナビより菊地さんの前日コメントです。この人の口にする言葉の強さを
ひしひしと感じる人が増えてきたようで、それは菊地語録マニアとしては嬉しいというか。

ただ気になるのは、予選リーグの経過がトリニダードトバゴ@U-17世界選手権に
酷似しているためか、U-17経験組の持つ“記憶”へスポットが当たりがちなこと。
現U-20は立ち上げ時U-18とU-17という別個のチームで、合同合宿では別であるがゆえの
言葉が飛び交った(思えばこの頃から菊地さんは凄かったなぁ(苦笑))ものですが、
なんだかんだで1984年組は淘汰されていき、逆に1983年早生まれ組が主軸となりました。
上の学年が圧倒的有利という二層構成がほとんどだったこれまでのユース代表と違い、
学年では1983年早生まれから1985年まで4学年となり、人数分布もばらけている
このチームにおいて、そういう見方はどうかと、私は…私は思ってしまうのです。

何はともあれ、この試合が見れそうにないのが辛いところです。

2003 12 4 wrote


 2003年12月04日(木)   Lack of Reason 

やっと落ち着きました。することがないとも言いますが(苦笑)

で、ようやくシーズン末関係の話をできるわけですが―秋田さん・相馬さんの
突然の(実際は結構前から…今シーズンつきまとってた懸案だったようですが)
戦力外に周りの鹿島好きはほとんど全員涙してて、割に淡々と受け止めた私は
やはり浮気者なのかなと思ったり。いや、鹿島の戦力外発表、今年は自分としては
並々ならぬ覚悟を決めて―マイナス思考の人間は最悪を予測することによって
その事態が訪れた時のダメージを軽減しようとする生き物―待っていたので、
むしろそこまではひどくなかった、というわけなのです。自分勝手ですけど。

それに、高年俸(Jでは規約で30%ダウンまでしか通知できない。野球は50%)に
値するだけのパフォーマンスが二人ともできなくなっているのは、残念ながら、
この目で…今年は鹿島を敬遠していたのであまり見てはいないけれど、それでも
西京極の1試合(あの日、角田さんが相馬さんの股を抜き去り、試合後に相馬さんを
狙い打ちにしていた旨のコメントを出した時には切なくなったものです)で見て、
無情な時の流れを痛感したものです。あの日まで、どれだけネット上で
相馬さんの衰えを叫ぶ声を見ても、信じようとはしなかった…信じたくなかったのに。

でも秋田さんも相馬さんもまだまだやれる…特に鹿島では次(というのが、既に
V6生き残り世代を指すあたり、また切ない)が自立してあまり求められなくなった
経験豊富なものにしか伝えられない、表現できない要素を必要としているクラブが
日本にはたくさんあるはずなのです。その証拠に、もう二人にはオファーが来てます。

秋田さんはともかく、相馬さんには指導者・フロントではなく、JFAを代表ともども
世界で勝負できる組織へ変えてくれる数少ない人材として、フランス大会の頃から
期待を寄せているのですが(でも本人は指導者の勉強を海外でするプランがあるらしく。
反町さんの道を歩むのでしょうか?)それはまだずっと先へ回してもできること。
選手生活よりも第二の人生は長いのです。そして相馬さんは第二の人生にも
大活躍してくれるはずの…大活躍してくれなければ困ってしまう人なのです。
だからこそ、まだ選手生活を続けられるのなら、どこでどうやってでもやってほしいのです。

鹿島フロントへはサポーターから電話やメールで抗議が殺到したそうですが、
どれだけよい成績をあげても監督が代わる磐田や、リハビリ中だった渡辺光輝さんを
平気な顔で放り出してしまう柏に比べたら遥かに納得できる処置だと私は思います。
いや、今季の場合は、どんなに酷く不条理で受け入れ難い発表があったとしても、
私の胸へ深く刺さらない状態となっています。下には下があるから。ありえない程の。

京都パープルサンガ関連の動向を知るたび、その一つ一つが、全くもって理解できません。

この時期のニュースは、ほぼ全て感情的に同意し難いものばかりだけれど、
それでも相応の理由があるのだからと、理屈で自分を抑え付ける繰り返しです。
しかし、サンガの情勢は、自分を説き伏せるための屁理屈さえ浮かびません。

レイソルが光輝さんを切ったのは、代わりに若手を右サイドへコンバートするという
全くもってふざけた、甘い見通しに立っているのですが、それでも、あるだけまともです。
サンガの来季は、全く想像がつきません。かろうじて西村さんが監督だと分かるだけ。
西村さんは大変お世話になった方だから、その方がサンガを率いるというのならば
応援したいのはやまやまなのですが、何を応援していいのか分かりません。

そして誰もいなくなる、のか?―もともとJ1願望がある人は別として、
あまりの迷走ぶりに嫌気が差したり、またその離脱者を見越して確保しておくべき
代わりの戦力までも自ら流出させて、どこへソフトランディングするつもりなのでしょう?

松本さんが解雇されたと知った時は、悲しかったけれど、悲しみを覚える自分の感情も
その由来である近頃の彼についての情報も、あくまで個人レベルという自覚がありました。
しかし、今朝、京都新聞に掲載されたというこれを読んだ時は、違う―と感じました。

>FW町田忠道(22)に戦力外通告を行っていたことが分かった。
>町田は「サンガの力になれたら一番だが、自分でもトライアウトなどで
>移籍先を探したい」という。町田は昨季末に柏を戦力外となり、
>今季からサンガに加入、14試合に出場し4得点を挙げた。
>練習試合ではチーム最多の17得点を挙げたが、公式戦では力を発揮しきれなかった。

サンガとは、サンスクリット語で仲間という意味です。仲間意識なんて、
理屈では説明できない部分(フィーリング)が大半で、それに関して何かを書き立てても
しょうがないとは思います。しかし、この町田さんの発言はサンガサポではない私でさえ、
自分のサッカークラブ観に自信をなくしそうなぐらい、チームという要素を
構成する骨組みの成分は何なのだろうと問い詰めてくれます。チームって…何?

最後に添えられた説明文が事実と相反すると言い切れる自信は、今年それなりに
東城陽へ通ってしまったので、あったりするのですが。黒部さんには勝てなくても、
短い出場時間で町田さんがサンガサポの信頼を勝ち得たのは、本当に嬉しかったんです。

西村監督に美濃部ヘッドコーチ―あとは何が一体サンガの一部になるんだろう?

胸が詰まるので、明るい話。昨夜のNステ市船vsザスパ特集は最高でした!
カレン中心と聞いていたので期待はしなかったのですが、守備の要である増嶋くんは
抜かれまくりな上にコメント(自チームの堅守速攻を堂々と、誇らしげに
あの声で語る様は、試合中叫んでいる姿と同様、素敵すぎました♪ とはいえ、
市船サッカーを声高に主張されるのは、実は私にとって快いことではありません)まで流れ、
さらには石渡監督による、市船史上最高のDF(さすがに一番とは言わなかったけど、
言いたそうだった…(苦笑))という褒め言葉まで。録画すれば良かったです、本当。

市船の#5には好きな選手が何人もいますが、私的No.1はもちろん羽田さんですけど、
DFとしての(高校生段階の)完成度は増嶋くん、確かに市船史上最高かもしれません。
ヘッドが強く、動作予測も的確(羽田さんはこれが飛び抜けてた)、スピードもそれなり、
それ以上に対応しきれなかった時の動作修正が早く(実は羽田さん、これも結構
ハイレベルだったんだけどあまり語られない)コーチングで味方を動かすこともできる。
何より、セットプレーでの異常な得点力があります。欠点は体格ぐらいでしょう。
もっとも、プロ入りした後はその欠点が非常に痛手となってくるんでしょうけど。

入浴剤を使うと芯まで温まりますね。いろいろグッズを使い風呂を好きになりたいです。


 2003年12月03日(水)   Count Down Hyper 

戦力外通告だワールドユースだと心休まる暇がありませんけど
かといってブラウザへかじりついている時間もないのですよ。
今日の午後集荷なのですよ。でもいまだに荷造り終わってないのですよ。
コロンビア戦まで1時間以上あるけど既に眠いのですよ。
部屋の整理始めたら探しても見つからなかった深井&巻の駒大スポーツコピーやら
懐かしのメンバー表やら出てきてつい手が止まってしまうのですよ。
ふと取り出したポールがサイン入り筑波フラッグでそれが京輔さんなのにビックリですよ。
とにかくこの部屋には自分でも存在を忘れていたものが多すぎますよ。
だけど向こうへはビデオ1本も持っていかないし雑誌も年鑑系の最新ものだけだし
CDも厳選して10枚+αにするつもりだし荷物は少ないはずなのですよ。
ウェアだってえんじ#14と代表のサインだらけ白ユニ以外はこの前しまいこんだのですよ。
それなのにまだ終わらないのですよ。しかも今日も永田さんは出ないらしいのですよ。
どうしたものかと考えたり聴き納めだとCDかけたりサッカー情報ネットで集めたり
脱線している場合じゃないのですよ。ああどうしましょう中田さん!(青木風)

***************************************

約1時間経過。服とTV(これから試合を見るのでまだ梱包できないのですよ)以外は
どうにか終了しました。少ない…東京を引き揚げる時は雑誌だけで2箱できてしまい、
あまりの重さにクロネコのお兄さんが目を丸くして中身を訊ねてきたのを思い出すと、
隔世の感があります。作業を中断してまで必死に探したL⇔Rの表ベストは
まだ見つかりませんが、代わりに久しく行方不明だったTWO-MIXのベストを発掘。
なんとなく荷物の隙間へ永田さんインタビューの載ったサカダイ(notサカマガ)を挟んで。
さて、録画のセットしないと…途中で寝る可能性非常に大だから(−−;

***************************************

朝8時です。眠いです。胃が痛いです―眠気覚ましに苦手なコーヒー飲んだから。
でもコロンビア戦0-3で撃沈しました。その前も一度10分ぐらいタイムラグありましたが。
笑えるのが、その後目が覚めた時、巻き戻して続きを見ようとしたのですが、
二度繰り返してもどうしても谷澤さんのゴールが見られませんでした。
秋田さんの涙記事もショックでしたけど、いろいろ語りたいこともあるんですけど、
U-20好きとしては今しか存在し得ない、この大会が終わったら消えてしまうチームへ
必死にならないと、と思うのです…その割に寝てばっかりですが…ああ今野キャプテン!
傷んだ選手続出で、次は不可抗力でスタメンをいじらないといけない気もしますが、
何はともあれ、悔いのない戦いを。この状況を楽しむなんて発想はできませんけど。
さすがは菊地さんですよ。彼には彼なりの戦いを判断する物差しがあるのです。

***************************************

正午を回りました。30分前にどうにか梱包終了して、無事に全て出荷しました。
12時頃と言っていたクロネコの馬場憂太さん似のお兄さんは、余裕で12時前に来てくれて
自分としては予定の倍ぐらいになった荷物を見て「これだけですか?」と二度も念押し。
やっぱり私は年頃の奴にしては物へお金をかけないで暮らしてるんですね。今更ですが。

靴はたった2足、洋服も3段収納の衣裳ケース1個+ボストンバッグ1つだけ。
前回お兄さんを唖然とさせた書籍だって、読み掛けの文庫本5冊ぐらいと
今年の名鑑、サッカークリニックのDF本、レイソルの今年のイヤーブック、
Footival10月号(理由は聞かないで下さい)、HP作成のHow to本2冊、日本地図、
あとFREAKS最新号(特集に秋田さん…)は持っていかないと間違いなく
住所変更を忘れるので(アントのファンクラブは事務局とニコスの両方へ
連絡しないといけないので面倒)入れただけ、あとは最後の最後に入れたサカダイ1冊。

フィンクもポンペイもマッチも送りましたけど、今こうやって音楽を聴きながら
LRを打てるということは、生活必需品をいくつも向こうでは欠くことを意味するわけで、
実際エジプト戦は大事な試合になりそうなのに見れる確率が1%もないのですが、
まあ…なんですか、それだけやり直したいって気持ちが強いってことで。

部屋を見回してもかけてあった服と横にあったTVが消えただけで、最大の家具である
机の上および本棚へ並んだおびただしい書籍がほぼそのまま残っているので、
なんだか引っ越すという実感が湧きません。机にはマサフィ(水)もそのまま。
マサフィ自体は先日、鹿嶋からの帰りに幕張のPAで見つけて、Sさんと共に試飲して
日本の水とほとんど変わらないのを確信したので、別にいいんですけど。

さて、これからビデオの山に埋もれたコロンビア戦を発掘して、後半確認しないと…。


 2003年12月02日(火)   あくせすあならいず 

…嫌いなものの5本の指に入りそうな。

「コロンビアの印象は、体が強くてパス回しが速いというイメージ。
かなり守らないといけないだろう。じっと耐えて、
イングランド戦のようにワンチャンスを生かせればいい。
コンディションはいい。しっかり食事もできているし、ホテルもいいんで、
かなり快適に過ごしている。初戦は出られなかったけど、
出られなくてもモチベーションが下がることはない。
使ってもらえる時に結果を出せればいい。

とりあえず、初戦で勝てたのは良かった。
あんなふうに、相手の攻めをしのいで1点を取るという形がこのチームは多いから。
ツーロンでポルトガルに勝った時も最後の一発で勝ったし。
もしも、自分が(3バックの)真ん中に入るとしたら、声を出して
FWからの守備をしっかりさせたい。サイドに(ボールが)入った時、
一気にプレスをかけてボールを奪うという約束事も、後ろから指示したい。
あとはラインの押し上げとコントロール。
それは僕が中心になってくるんで、うまくやりたい。
明日は菊地がいるから、自分は出ないとは思うけど
チャンスがあれば頑張りたい」

if―好きな選手の弱気なコメントを聞くのは辛いですけど、考えてみたら
こうやってコメントを流してもらえるだけいいんですよ、永田さんは。
痛み止めを飲んでどうにかやっている近藤さん、左足の甲を軽く傷めた菊地さん、
警告累積の懸念が消せない角田さん…という状況にあって、思いはいろいろあれど、
やっぱり準備をしておくことが一番大事で、それが今の永田さんの役割だから。
何が正しいかなんて、分かるのは全て終わってから―それを2年の時を経て知りました。

ネット上の罵詈雑言についての続き―自分はいつもいい子過ぎると言われるけど、
何であれネットで書くのは読ませたいから書くはずなわけで、言いたいから言うのとは
違うと思うんです。でも、自分が叫びたいために叫んでいる人もたくさんいます。
ここで私が鬱だ鬱だと書き連ねているのと同じく。それは、賛同者が欲しいだけ。
自分は正しいという(少なくとも無意識のレベルでは)のがれえないイドラ。

だから、賛成できない言葉は、無視すればいいのです。反対も意見への干渉のうち。
反対されれば連ねられた文は意味を持つけれど、無視されればただの点の集合体、
無意味にサーバを占拠する何かでしかありません。読む人を想定して、その人たちへの
リスペクトがあれば、誰だって快い言葉は快く、不快な言葉は不快だと分かるはず。

言葉はどんな殺戮兵器よりも酷く人の心を殺せる武器。同時に、使い方によっては
何よりも人の心を揺さぶれる素晴らしいツール。だから、私は言の葉使いになりたいのです。
私の並べたつたない言葉で、私の愛するものの良さが伝わったら、本当に幸せです。

応援対象には愛を、それ以外のものには敬意を―書く者が言葉を吟味すると共に、
読む側も自分と同じ価値観を持つ人間なんて究極的には存在し得ないことを理解して、
自分が言葉を選んで発するように、一言一言を噛み締めて読むべきです。
少なくとも、物書きを自負し、言葉をチョイスしている自覚がある人間なら。

―人間は、自分が思っているほど綺麗なものじゃない、他の人と同じ程度には醜い。


 2003年12月01日(月)   刻印 

お誕生日おめでとう、ハネ!

X-DAY決定しました。金曜日。いや、本当は記念すべき今日から…と思って、
家族には「まだあんた会社辞めてから半月(以下略)」と言われるような
スピードでやってきました。とはいえ、部屋はいつも通り汚いままですが。

特別な日、特別な人。

週末は戦力外の情報収集に忙殺され、たまったLRも書くつもりでさっぱりでした。
23日―試合を終え、即座にスタジアムを飛び出しそうとした私へ聞こえてきた、
ホーム最終戦だから(アントラーズイレブンが)場内一周をするというアナウンス。
慌てて階段を駆け登り、スタンド―アウェー側のゴール裏だけど―へ戻りました。
飛び込んできたのは、誰かの息子さん(たっくん?)と戯れる野沢さん。
焦点の合う先を探しているうちに、野沢さんは“照準”のすぐ隣に来てました。
羽田さん―試合の途中、ちらちらメインスタンドを探そうともした人。

もう2年以上、こんな形でしかホームのピッチへ立てなくなってしまった羽田さん。
他の選手と同じコートを着ている…なんら疑問を挟む余地のない姿を目にして、
私は気づいたのです。いや、気づいていたかもしれない、だけど捩じ伏せてきた感情。

私は……羽田さんの現実を直視するのが辛くて、アントラーズを敬遠してきた。

えんじと紺のウェアは、カシマスタジアムは、羽田さんの所属するクラブの一部で、
むしろ現在も羽田さんの一部で、羽田さんもクラブの一部で、それらの連関が
連想させる力の強さ―つまり想像力に対する刺激の度合は、永田さんや増嶋くんなど
“3バックの中央に入ってのディフェンス”とは比較にならないのです。
だって、彼らは私の心の中でしかつながっていない、でも茨城県鹿嶋市に実在する
ハード(スタやクラブハウス)やソフト(たとえば野沢さん)は本当につながってます。

私は、弱いから、過ぎ去った2年3ヶ月の時間を、背負う重みに耐えられなくなっている。

ただのファンなんだから、捨てられるんです。浮気とかして。実際にしてますし。
でも、本人は彼の人生を放棄する…そういう生き方をやめることはできないのです。
あの試合、アウェー側のチケットを買う時点から何度も試されてるような気がした、
菅沼くんが下がってからは何に焦点を定めればいいか心底分からなくなった
(だから私は仕方なくスタンド下で試合を眺める聡太さんを見てました)
中途半端な自分へ下された鉄槌でした。一番内回りですすっと歩いていく彼は。

想像力なんてものがなかったら、私はもっと幸せになれる、そんな確信がある。

自分を幸せにする、幸せになるのだってどうしていいか分からなくて、悩んで、
もがいて、あがいて、日々苦しんでいるのに、誰かを幸せにするなんて、
どうすればいいか、見当もつきません。心からの笑顔をまたこの目で見るには。

…私は、イングランド戦で、永田さんが、本当に笑っていたとは思えない。あの目は。

結婚とか、出産とか、友情とか、家族とか、談笑とか、ヒトに普遍の概念たちが
抽象的な形でわんさか襲い掛かってくる…歓喜の歌@ベートーベンを聴いていると。

話は変わって―サッカーを見ていると、嬉しいことより悲しかったり怒ったりの方が
多いのは分かりきってますけど、罵詈雑言をネットで書く日記でも並べられる人って
凄いバイタリティの持ち主(書く間怒りを持続しないといけない…)だと思います。
私も反射的な暴言はスタンドでどっさり吐いてますけど、ネットでは書けません。
形に残って、それを後から読み返すことができる―しかも、自分以外の人にも。

なんか嫌です。それとも、ここも感情の記録を目指すならそうあるべきでしょうか?
書くことで高ぶった感情が収まるのは、経験で知ってますけど。


やぶ |MailWeblog