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湿っぽい話    …2006年03月09日(木)

漠然とした焦りだとか不安をいっちょまえに抱え込みながらも、じゃあ現状を打破すべく現実的な取り組みはしているのかと問われればしていません。してやるもんか。一切。全然。やましいことをしているつもりは1ミリもないのに、誰に、何に対してなのか対象が曖昧なこのうしろめたさはたぶん私自身に向けられたものなんだろうな。何だこれは。やることやらないで腐ってるからじゃん。つまらないことを考えてばかりいるのは御前が暇でくさくさしてる証拠ジャマイカ?へーふーんそうだよねーやっぱりー。アタイもそう思ってたのー。で、やることってなによ?求職活動?用水路の清掃?自問自答ライフはいよいよ佳境、理由もなく転がっているだけの日々に期限切れが迫っていることを誰が教えてくれずともオデは感覚的に知っている、もちろん知っている、知っている。「まあそのうちね。そのうち何とかなるでしょー」なんて一生やってこないかもしれない「そのうち」をジャージ姿で微動だにせず軽薄なポーズで待ちぶせているその最中。すっかり飽きてしまうまで。飽きることはないかもしれないのに。ジャージと5本指くつ下は欠かせませんね。蒸れないですし。ねえ。死後4日目のような毎日を過ごすうちに絵を描くことからもじわじわと少しずつ少しずついやらしい速度で遠ざかっています。遠ざけてしまいました。熱烈に愛するものを愛しつづけるという唯一持ち合わせた誇りがしなびたあとに何が、何か残るだろうか。なあ。

遡ること数年前、修士に進んで間もないころのじめじめした話。
美大、とりわけ油科なんてまあ図画工作じゃん楽勝楽勝、まさに高等ゆとり教育、美大って人格破綻したナルシストかうわ言みたいに自分語りを繰り返すキチ蟹しかいないよねー。その通りございますことよ。返す刀はございません。平にひらに。関わりを持ってはいけないファイン畑に属する人間の順序としてまずは演劇を筆頭に、映像、絵画、彫刻、版画、陶芸、なんてことも耳にします。しました。関わりを持ってはいけないランキング堂々の3位入りを果たした絵画の人間ばかりが集まる油科というミクロな部落の中にも秩序があり、競争があり、そしてあくまでもアカデミックな場である以上、「明らかにさぼっている」層と「明らかに突出している」層を二極として、その中間を浮き沈みする層に関してはどんな規定で点が出されているかの線引きが極端にふやけた成績があり。修士課程を通して3.0GPA以上を維持しなくては卒業できないものだからどいつもこいつもドキュソなりに必要とあらば熱に浮かされたように寝食をムリヤリ忘れて必死で作業に没頭します。もはや力技の領域でスジャータ。修士以前の数年間をひたすらひたむきに絵画に費やしてきたのだしよほど無茶な要求を突き付けられでもしない限りは頭の中にあるものを頭の中が命ずる通り二次元に複写できるだけの技術も甲斐性もあります。そこそこそれなりに。でもね、せんせいあのね、そこは院。誰も無茶な要求を突き付けたりはしないけれど、「そこの花瓶を写生なさい」など安易な課題を与えてくれることもないのです。すべては自主性、自己責任という厄介なものに委ねられ豪腕を誇る右腕で丸投げされ、より柔軟な発想で、より高尚な思考で、何を置いてもまずコンセプトありきで、手を動かすより頭で考えるのが先で、フォルムや色彩や技術や外的要素よりテーマ性を重視され、美しいものをただ美しく描くだけでは、ただインディアンイエローを使いたいだけでは、「部屋の隅の綿ぼこりが力強かったから描きました」ただそれだけでは評価の対象外でしかなく点も出ない。抽象的なものに基準が判らないまま点がつけられてゆく理不尽さったらもう。コンセプチュアリティ云々でダメ出しを食らった日には人格を人生を全否定をされたような被害妄想でちりちりと身が焦げるようです。教授陣の基本姿勢は「管理もフォローはしないけどツッコミは入れちゃいますよー、でもヒントはあげませんよー」とややサド寄りを貫いた筋金入りの放置プレイ。ルネサンスよりダダイズム。ドラクロワよりデュシャン。ボテロよりハースト。バロックよりコンテンポラリ。オールドスクールよりNYスクール。天才の名を欲しいままにした巨匠たちが遺した功罪について議論しましょう、私たちはそれぞれが知らず知らずのうちに、宿命的に彼らが遺した火種と向き合っているのです。台所のチンケなやかんを描写する暇があるなら現代社会に深く深く根ざした闇にメスを。それが院。なんだよなんだよもう。おじさん難しいのは苦手。若いコにはついてけないよ。どうなってほしいんだよまったく。そう、俺は池沼。

好きなものを描きながら、点も出さなくちゃと考える自分が卑しく、おそろしく媚びた人間に思えて、ひどく混乱してどうにかなってしまいそうだった時、「本気で芸術家を名乗りたいなら美大なんてやめろー、学校に納める25,000ドルの授業料を毎週末パーティを開く費用にあてなさい、そこで地道に人脈を開拓していく方がよっぽど役にたつ」だとか学校否定発言を平然と繰り出すせいか出世に縁がなかった恩師がしんみり声をかけてくれた言葉をことあるごとに思い出しています。私がその時々で抱えている限りなくインディゴに近い真っ黒な気分をカラカラに晴らすまでの効用はないものの、ただただ何となく習慣的に思い出してはまだ大丈夫だと根拠のないぼんやりした自信が戻ってくるマジックワード。

 it's not why you love it, but how.
 it's not why you love it, but how.
 it's not why you love it, but how.

いまの私に、愛していると懸命に胸を張って訴えたいものがあるだろうか。
気が遠くなるほど真剣十代しゃべり場めいた青リンゴな話を出張で東京に舞い降りたタカシに向かって延々と垂れ流すうちにおいおいと泣ける泣ける。ちょっとちょっと今年は三十路に挿入しちゃうんですよ、頼むからマジで。本当にもう。親の前で号泣するなら嬉し涙を見せるのが親孝行。俺は情緒不安定な女子中学生か、と。とうとう俺もメンヘラーの仲間入りか。手首を斬り刻みたい衝動に駆られちゃうからお薬がないと不安なんですー、なのか。そもそも春は苦手です。私の周りで不吉なことが起きるのはきまって春だったし件の恩師が鬼籍に入ってしまわれたのも春先のこと。春になると誰も彼もが我先にと競って死にたがる。そうして陰鬱な気持ちを引きずったままタカシの出張に合わせて上京したはいいけれど今さら東京を見て回りたいとも遊びたいとも思わない。よって暇。暇が腐った無職を育てます。腐った無職に血税を投与してまで救済処置をとるだなんてと市民団体に叩かれます。突発的な上京も突然の帰和歌山もいつものことで誰とも連絡を取っていませんでした。後出しジャンケン的に都内在住のフレンズ及びほぼ赤の他人を順に各個突撃し飯に誘うもサイトウさん仕事中。ジョージさん携帯不通。ナヲミちゃん仕事中。アウチ!俺がアメ人なら舌打ち時は絶対絶対アウチの一言を添えるね。虫の息で捕獲したフジマキさんと代田のきたねえ小料理屋で時候の挨拶代わりに交した軽い無職ジョークから話は広がり広がった末にふたりで出した結論は「他の男前はどうでもいいけど竹野内豊なら抱かれてもいい、むしろ抱きたい」って優香、無職無職うるさくてすみません。

俺は豊と結婚します。

携帯からちまちま打ち込める、メモ代わりに使える何か防備録めいたサーヴィスを探しています。読んだ本だとかいった記録を残しておきたいだけなので高度な機能は不要、何かいいものをご存知であったり実際にお使いになられてこれええで。というものがありましたらご一報おながいします。

▲トツプパゲ