この日記のRSSは下記のURLになります。
http://www.enpitu.ne.jp/tool/rdf.cgi?id=6723

2007年06月26日(火) 自己啓発っぽいですが

少しずつ、お世話になったスタッフ・企業の方々に、退職のお知らせメールを送る。一人ひとりに、一緒にお仕事した時に感じた本音、感謝の気持ちを書いた。少しずつ返事を頂き、全員が何かひと言大切な言葉をくれる。

ある人は「転職はいいことだよ」、ある人は「びっくりしました」、またある人は「バナナさんは知性と根性を兼ね備えた希有な編集者」(これは半分以上社交辞令ね)と書いてくれた。私が尊敬しているライターさんは、「これまで忙しい職場だったみたいだけど、次は自分の時間を作ってね。今リラックスして自分の時間を持ったり、勉強したりしたことが10年後に生きてきます」とメッセージをくれた。

この間仲のいい先輩と飲んだ時に聞いた「仕事は勝ち取るもの」というコメントも衝撃的だった。「今さらだけど、私は甘かったなあと思うんです」と部長に言ったら「バナさん、仕事は勝ち取らなくても勝手に来る人気者になる状態が、一番良いし、楽なんだよ」と答えが来た。

皆に、違う哲学がある。なるべく多くの意見を聞くと、「なあんだそうか」と力が抜けたり「私はコレに乗っていこう」と思えたり、道の幅が広がる。人の話に耳を澄ますことの大切さを知る。



2007年06月24日(日) アンリ・カルティエ=ブレッソン展

朝は晴れていたのに、昼過ぎから雨。500円の傘をさして、アンリ・カルティエ=ブレッソン展を見に行く。写真を見るのは久方ぶりだ。

竹橋駅を降りて、美術館へ向かう人の多さに驚いた。会場の列は、閉館前になっても途切れない。皆、じっくり目を凝らして見ている。若い人も多い。前を歩くキャップをかぶったお兄さんは、プロのカメラマンだろうと想像した。「この人、こういう構図が多いんだよね」と彼女に説明をしている。

私が目をひかれたのは、HCB自らがプリントしたという「ヴィンテージプリント」シリーズ―その陰の黒の深さと、河岸で食事をとる家族の後ろ姿。まるまると太った奥さんのふくよかな肉、ワイン、広げられた新聞紙。休日の午後の空気が、伝わってきた。

写真の中で時間が、止まっている。「決定的瞬間」(彼がアメリカで発表したファースト写真集の名前)とはよく言ったものだ。戦争や革命のただ中でさえ、その風景は一瞬という塊に変化して紙に焼き付けられていた。ドキュメンタリー写真とは、荒々しく動きがあるものだと偏見を持っていた私には、新鮮だった。

白と黒をずっと見ていたから、今日の気分には雨が似合うなと思いながら帰る。中野駅で地下鉄が地上に上がる瞬間、数日前に中央線から見た光を思い出す。雲間から差し込む金色の夕焼け空。読みかけの本から目を上げて、しばらく視線を戻せなかった。今日の空に金色はない。灰色のまま、徐々に暗さを増していく。最後は黒。うだるような夏も待ち遠しいが、ぐっしょりした梅雨も嫌いではない。



2007年06月20日(水) 体調がいいから新生したスローな夜

昨日、仕事を辞めるまで体がだるいのだと絶望的なことを書いたが、あのだるさは生理のせいだったと判明した。最近カレンダーに生理の日と、そこから推測される排卵日、そして次の生理を書き込んでいるが(気分や体調の悪さを予測できるから。できちゃった結婚のためじゃありません←誰も聞いてない)これがピタリと当たる。人の体の神秘だ。

今回は、予想より1日早く今日来た。だいたい生理前は便秘になり、それが終わるとどどっとお腹の張りが崩れる。仕事のせいにしていただるさもいっきに改善され、なんだってできる明るい気持ちになる。排卵前もだいたい同じ。アレルギーも、生理前と排卵前にひどくなる。

あらゆることは予測することにより自分の理解の枠にはめられる。このやり方で混沌とともに過ごす苦しみからは逃れられるが、絶対的な今、ここにある苦しみは避けられない。生理がきて体調がよくなるたびに、そんなことを考える。「生理前だから」と知っていても、アレルギーがくれば絶望的に、永遠にこのくしゃみは続くんじゃないかと感じるし、情緒不安定のただ中にいるときは、それがいつか終わることをいくら頭で知っていても意味がない。しかしそれでもカレンダーに次の生理を知るべく書き込む自分に気付くたび、神が光あれという「言葉」によりカオス(混沌)をロゴス(理性)に変えたという旧約聖書の一節を思い出す(いきなり話が飛びすぎで怪しいが、本当に思い出す。あたしは理性の生き物なんですね、と確認するのです)。

体調がいいのでさらに近況を書くと、銀行を、りそなから新生銀行に変えようと思う。そもそもりそなだった理由は埼玉に多い(元埼玉銀行)ということくらいで、東京に出てきてからはほとんど意味がなかったのに、変えずにいた。給料の振込先、公共料金の引き落とし先を変えるのが面倒だったため。その上公的資金流入後のりそなは本当に頑張っていて、振り込み手数料は100円だし、最近も提携銀行のATMは夜間も無料になったので少し未練もあった。しかし、いかんせん都内にATMが少なすぎる。結局他行で降ろすたびに手数料を取られるのでは意味がない。

新生銀行はすごい。こちらはセブンイレブン、デイリーヤマザキから引き出しても手数料ゼロ。金利はそれほど高くないが、私のようなビンボー人はお金を降ろすだけでキャッシュが減っていく方が問題なのよ。

ああ、体調がいいと筆も進む。最後に、この写真、スローな夜なのに昼の光が差し込む部屋で眠っているように見えるのは私だけでしょうか。






2007年06月19日(火) 初夏の宵

退職前で仕事が少し軽くなり、毎日9時から10時の間に帰れている。ワールドビジネスサテライトを見ながら夕食。普段の生活より楽なはずなのに、体のだるさと頭痛が抜けない。こういう理由のない体調の悪さと、いつまでつき合えばいいのか。ときおり途方に暮れる(おそらく仕事を辞めるまでだろう)。

それでも暖かい時期は好きだ。体が自由になって、どこまでも歩こうという気になる。先日も、新宿から高円寺の家まで、彼と2人で歩いて帰った。彼が「青梅街道沿いは歩いても面白くないよ」と言うのを説得して。タクシーで通り過ぎたらどうということはない大通りから少し奥を覗き込むと、色々なものが見えてくる。

だいぶ家に近づいたところで、中野駅のそばの公園を突っ切る。夜の10時過ぎだというのに、ダンスの練習をする若者の集団がいた。30人弱といったところか。建物のガラスに姿を写して、ステップを踏んでいる。通り抜けるのが少し怖くて、私も彼も雑談をやめる。

公園を過ぎ、中野のガード沿いに来たところで張りつめていた雰囲気がやっとゆるむ。ほっとして、「センセイ、あの若者の群れは何でしょう」と尋ねると「昔からいる。毎週集まってくるようだ」と答えが来る。センセイは昔、新中野に住んでいた。今よりもずっと狭い1Kで、騒音もうるさかった。ただ、お風呂だけは浴槽があって今より良かったと懐かしそうにしている。ユニットバスはお風呂好きにとっては大きな妥協なのだという。

センセイの新中野の家に、一度だけお邪魔したことがある。屋上から月を見た。あれはロマンチックでよかった。恋の炎を、盛り上げた(そうでもないか)。今の家には屋上がない。仕方がないので、ベランダから月を見ている。



2007年06月17日(日) 古道具屋

高円寺の風俗街を抜けた先の路地に、新しい古道具屋ができた。瓶、栓抜き、ねずみ取り、陶器、ガラス食器、椅子、ランプなどを、押しつけがましくないおばさんが売っている。夜の8時過ぎ。夕食の買い物に出たついでに、店をのぞいた。

骨董というには高尚すぎる「古道具」というたたずまい、値段のものが多い。ステンレス製のお盆が気になって、値段を尋ねる。表面の銀メッキがはがれて、黒ずんでいる。これにぶどうやバナナをのせておいておきたいと思った。麦茶も運びたい。

おばさんはむらさき色のパラフィン紙にお盆を包んで、紙リボンでそれをくるくると巻き、端をからげて渡してくれた。パラフィン紙には油のしみがついていた。これも古いものなのだと知る。

東急ストアでカレー味のスープとナポリタンの材料を買う。風が気持ちいい。どの家の窓も、ガラス戸を開けて網戸にしている。ひとり暮らし(予想)の窓には、ペットボトルがたてかけてあり、中からはロックが聞こえてきた。大家さんの家の庭には、あじさいが咲いている。家に着いて、梅雨の晴れ間に大急ぎで洗ったパリパリの洗濯物をしまった。



2007年06月14日(木) 医療ミス(続 医療の不正を訴える)

仕事を途中で抜けて、歯医者に行く。体のメンテナンスを全て終わらせてから、新しい会社に行きたいと思ったからだ。実は3月に、生え替わらなかった乳歯を抜くという大仕事をして、それ以来、怖くて歯医者に通うのをフェイドアウトしていた。麻酔で気分が悪くなったのに、先生(おばちゃん)が少しもいたわってくれなかったのも原因の一つだった。それどころか「弱いのね〜」なんて少しバカにされた。患者が不安なときに、かける言葉でしょうか。

さて、今日。虫歯の治療をしてもらうだけのつもりが、先日抜いた乳歯の根っこが出てきているので、再び抜くという。仕方がないので言いなりになっていると、口の中に大きな衝撃が!!

がこっっっっ。

歯を引っ張った拍子に、先生が器具を私ののどの肉に突き刺さった!!!!!

いたいっ!!!

(麻酔してるから正確には痛くないんだろうけどすんごい驚いて泣きそうになる。)

その瞬間の私を支えていたのは、「私は大人だ、泣いてはいけない」という小さな小さなプライドだけ。ほんと、家でおかーさんにやられようものなら泣きわめき、怒り狂っておわびにマドレーヌでも焼いてもらうとこだよ。

先生は、「ごめんね」と言っていたけれど、その後も歯科衛生士に冗談を言いながら治療をしていました。ひどすぎる。

術後(手術じゃないけど)の様態はというと、帰宅してしばらくして、のどがはれてきた。カレーを流し込むたびに、痛みがくる。もう絶対あの歯医者には行きません。



2007年06月13日(水) ごはんの写真は難しい

あんまりうまく撮れていないですが、自炊した日のごはんとデザート。やっぱり食べ物の写真は難しいなあ。訓練しないと。

今週は自炊に対してやる気が出ず、新宿ルミネのブックファースト→スープストックっていう流れが多いです。ルミネのスープストックは一人ごはんの女の子が多くて楽。読書もはかどる。今読んでいるのはアントニオ・タブッキ『逆さまゲーム』。久しぶりにとてもよい短編に出会った。



カレーそうめん。ケンタロウくん直伝。うまい。すごい。10分くらいでできあがる。



明太子パスタ。まぜるだけ。



バナナのキャラメリゼ。長尾智子『今日のデザート帖』の影響。



2007年06月08日(金) 近況

転職することになった。

今の会社との話し合いは、本当に大変だった。小泉純一郎が、「離婚は結婚よりもずっとエネルギーを使うから、もう結婚はしたくない」と言っていたことを途中で思い出した。こういう経験は、もうなるべくしたくないものだと思う。上司が「ま、しょうがないよ」と最後はいつもの調子で言ってくれたので、席に戻って少し涙が出た。

今の会社に不満があるとか、仕事がいやだとかではないから、最後は本当に迷った。それでもどうせなら次の一歩を踏み出して、クビになるまではやってみようと決めた。最後に自分自身が前向きになれたので、これでよかったと感じている。

迷った時期、親しい人数人に悩みを打ち明けると、皆「他人ごと」にていねいに向き合ってくれた。父と母からは、2人別々の文面でメールをもらった(お互いの意見は、特に確認しあっていないらしい)。編集者の先輩は、知り合いの方を紹介してくださった(無理してお願いしたんだけど)。彼は、「嫌だったらすぐ辞めればいいんじゃない」と言っていた。どれも私には有益で、それらを総合して結論を出した。こういうとき、本当に味方の人がいるというのはなんとありがたいことなのだろう。

4月ごろからの、なんとなく落ち着かない気持ちに終止符が打たれて、これからは日記もたくさん書けるような気がする。居も定まったし。



ところで、らぶらぶ同居生活が始まって1カ月弱経った。彼氏がいないときは、「同棲」ってなんか破廉恥だし、孤独をすりあわせて依存している感じで面倒くさそうだなあと思っていたけれど、やってみると、意外に良いことばかりです。

メリットは、大きく2つ。
1つは、金銭的な余裕ができること。食費も光熱費も家賃も、2人で出した方が効率的だし、それからインターネットって、2人つないでもひとりと同額って、知ってました?

そしてもう1つ、一番大きいのが、すべての精神的、肉体的疲労による打撃を、効率的に吸収できること。疲れ果てて帰って、今日はどうしてもご飯が作りたくないし、お茶もいれたくない。そういう日でもご飯が出てくるし、洗い物もたまらない。その逆もしかり。つまり、お互いが疲れ果てて……という日は外食するなりなんなりになるけれど、ひとりのときよりその率は減るから、結果的に、健康面を考えてもダメージ快復率が高くなるのだ。私はひとりでいると、ぐぐーっと沈み込んで一歩も動けない、という日がけっこう多かったのだが、無意識のうちにその日数が減ったように思う。

まあとにかく、思っていたより転職は大変で、同居はいいッスよ、ということで今日は終わり。おやすみ!



2007年06月03日(日) 絵の具と餃子

家にかけてある暮しの手帖のカレンダーをめくったら、「冷蔵庫の整理をしましょう」と書いてあった。6月は、衣替えの月だ。



家に、絵を描く人がいる。




餃子。日曜の夕方はゆっくりご飯をつくる。



2007年06月02日(土) 私たちは単なる奴隷だ

高校時代の友人と飲むことになり、湘南新宿ラインで大宮へ。途中、電車の窓から見た荒川が、美しかった。夕焼けが出る前のうすぐらい光の中に、青黒い光をたたえて、川は郊外の家々の間を流れていた。水は、止まって見えた。

大まかにいえば、私はこの川のようなものを見たくて、日々を生きているのだ。電車が陸橋を渡る数秒の間に、そう思った。


帰りは、実家に泊まることにする。母はお盆に「ひよこ」と柳月の「防風林」と、急須と湯飲みをのせて、待っていてくれた。自分のことは、自分でしか決められないし責任も取れないけれど、必ず味方はいる。私の人生のうねりが帰っていくのは、結局青黒く静かな荒川の中なのだと思う。


そういえば、時間つぶしに駅の売店で買った本の中で、作家がこんなことを書いている。

 闇を見て、また光が降り注いで、思い出を抱いて……うんざりするほどくりかえして喜びも苦しみもまたどこかへ消えていくサイクルの中で、立ち止まることも許されない人生の、私たちは単なる奴隷だ。
 なのにどうして、こんなにもいいものだと思えるのだろう。
(よしもとばなな『なんくるない』)


 < 過去  INDEX  未来 >


バナナカレーログ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加