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2007年07月30日(月) いきるかなしみ

「サマ〜レイン〜」なんて歌っていたら、どしゃぶりの雨が降ってきた。

選挙は政治を大きく変えるだろう。しかし私の生活には、何の影響もないように見える。政治は社会を変える。頭では分かっているし向き合いたいとも思う。でも本性のところでは、雨が降るか晴れるかのほうが、ずっと気になっている。

本来働くことや早く考えることに、全く向いていない。ゆっくりぼんやりと何もせずに生きて、それでも小さな楽しみが見つかる。今日、仕事でたまたま会ったハンガリー出身の人は、「ヨーロッパ人は自分の人生を中心に、仕事とプライベートを考える。日本人は仕事が中心」と言っていた。よく聞く言い回しだが、欧州育ち、在日歴3年の人から出た言葉には、実感がこもっていた。

例えば、イタリア人の生活を少し見れば分かる。彼らは歩きながらよく歌う。生きる悲しみは明るい夏の太陽に、吸い込まれて消え、しかし日陰の黒く深い陰となって、彼らの内部に留まっているようだった。明るい人たちというのは、単に明るいだけではないことくらい、大人になれば分かる。それでもなお明るいイタリア人を、私は尊敬したいと思った。自分の心に降りていく。一日の終わりに畠山美由紀の声を聞くと、何故だか涙が出てくるから不思議だ。



ラグーナ(潟)。この湿地帯の上に、人工的に建設された都市がヴェネツィアだ。




ブラーノ島に行った日は、熱い上に自分も熱を出していた。美しい風景は病気も治すんだなあと思った。




お兄さんを撮ろうとしたら、風景の邪魔だと思ったのかわざわざよけてくれた。



2007年07月28日(土) うつわ



(※カレーは彼ぴ作です)


驚くほど眠っていた。排卵日前だからだろうか(最近、バイオリズムのことばかり書いている気がする)。

3時過ぎに起きて、東中野のうつわ屋に行く。4畳ほどのアパートの一室に、上品なお茶碗や花瓶、うすはりのガラスコップなどが並んでいた。小柄な女性店主が、麦茶を出してくれる。石田誠さん(松山在住の作家)の作品だという。「石田さんのファンの方ですか」と聞かれたので「ごめんなさい。知らないんですけど……。有名な方なんですか?」。野暮なことを聞いた。

少ない収入と値段を見くらべて悩んだ末、4000円のお茶碗を2つ買った。黒に近い焦げ茶色が、ところどころ紫色に光る。土曜の夜はカレーだったので、福神漬けを盛った。おかずが映える。網戸から入る風が気持ちいい。遠くで電車の音が聞こえる。



2007年07月27日(金) Summer Clouds, Summer Rain

仕事帰り、本当に久しぶりにそういう気分になって、タワーレコードに寄った。畠山美由紀さんの新譜(もしかしたら、もう新しくないのかもしれない)とアン・サリーの新譜が試聴コーナーに並んでいて、両方聞いて、断然前者が好みだったので買う。今回はギターと、ヴォーカルだけのシンプルな曲ばかり。畠山さんと同じ系統の歌い手は多くいるが、私にとってこの人はオンリーワンだ。切ない。それでいて、強い。特に英語やフランス語の歌を歌うとき、歌は言葉の意味を離れ、どこまでも伸びやかに、広がっていく。

中野駅で降りて、線路沿いを歩く。後ろから近づいてきたタクシーのライトが私の前の道をこうこうと照らし出し、すごいスピードで追い抜いていった。

Sちゃんからのメールのことを考える。過日の日記で通信社の記者という仕事を「価値ある」と書いた私に、わざわざお返事をくれた。何故、仕事を辞めるのか。何故、働くのか。

幸せというのは自分を中心に考えないとぶれてしまうのではないだろうか。世の中のために働くことが自分の幸せならその道を突き進むべきだし、それは二の次で好きな人と一緒にいることが幸せならそれを優先する。どちらも同じぐらい大事なら頑張って両立させれば良い。とてもシンプルなことだと思う。

書いてある言葉はこの上なく明快で、思わず納得しそうになり、しかしこの言葉を書くまでに彼女が抱えたであろうあらゆる葛藤を思う。社会に向けて何かを訴え、社会を変えることが価値あることだとして、その人が家庭を犠牲にし、健康を犠牲にし、かつて好きだった思索することを犠牲にしたとき、その仕事の価値とは、果たして何だろうか。立ち止まる。

左に曲がって住宅街の路地に入ると、目の前には丸い月があった。7月最後の週が来る。



2007年07月20日(金) 世紀の大傑作マンガの宣伝です

新しい会社に入って、最初の1週間が終わった。会社が違うと、「良し」とされることは全く異なる。今年の3月に社内で異動をした時に、それをかなりガツンと経験した(要は壁に当たった)ことが、今になって役立っている気がします。耐性ができたというか。

どの会社にも、自分にとって良い面と悪い面があり、それを見きわめて自分がどううまく仕事をしていくかが一番大切なのだと思う。上司になった人は怖そうに見えるが(というか怖い)おそらく根は優しい。少なくとも、ついていこうと思わせる何かがあるので頑張ってついていくつもり。

毎日8時半出社なので、平日にパソコンを開く時間がなくなってしまいましたよ。悲しいけど、更新はするので夜露四苦。あ、あと宣伝。友人がまたまたマンガを完成させたので、見てあげてください。ナウシカのパクリのようでもあり、壮大なようでもあり(※下ネタあり)。

http://www.h7.dion.ne.jp/~naka17/koudakumi1.htm



2007年07月15日(日) ヴェネツィア、トリエステ






朝、霧雨のヴェネツィア。数時間後には、忘れたようにカラッと晴れる。




サン・マルコ広場。観光客が増える前、朝の6時に出かけた。




毎日こんな夕暮れを見る人たちはどんな気持ちで生きているのだろう。




日曜のペンキ塗り。




光と陰。夏のヴェネツィアはそのどちらも強い。




ゲット。




ゲットの入口。




ゲット。ユダヤ人のために、ヘブライ語の貼り紙がある。




リド島。ヴァカンス中のヨーロッパ人を見ていると、帰るのが嫌になった。




おしゃべりは尽きない。




海水浴場への道。




いちじくに似た味。甘かった。




こういうモノが見られるなら、早起きは苦ではない。




小さな、大学の入口。探すのに1時間ほど歩き回った。




須賀敦子の作品に登場する、アドリアーナさん。この人を探していた。




雑誌を売る店。




トリエステの光。




ウンベルト・サバ書店。




壁に掛かっているのがサバだ。



2007年07月14日(土) ご連絡はmixiか掲示板で

皆様にご連絡です。スパムが多いため、フリーメールのアドレスを、そろそろ封印することにしました。今後のご連絡は、mixi経由か、掲示板でいただけると幸いです。よろしくお願いしますです。



2007年07月06日(金) 送別会

7月13日付けで、3年3カ月(学生アルバイトを含めると4年弱)勤めた会社を辞める。今日の送別会では、ターコイズブルーの革名刺入れ、ひまわりの入った元気なブーケ、須賀敦子を旅する写真集、月兎印の琺瑯ポット、そしてメッセージがぎっしりの色紙をいただいた。

一番好きだった上司が「バナナさんとは面接の時からの縁で」から始まる無難な挨拶をして、最後に少し声を詰まらせていたのがなんだかとても嬉しくて、泣いてしまった。社会で、私のことを認めてくれた初めての人だった。

私は編集プロダクションと呼ばれる業態の、小さな会社に勤めていた。本、雑誌、その他を製作する企業だ。就活中の学生や、別の業界の人には分かりづらいことだが、世間の出版物は、出版社の名前を冠して売られているけれども必ずしも出版社の人が作っているとは限らない。それから、世の中に出回っている紙媒体は、書店で売っている本ばかりではない。紙の上に字が印刷してあるものには全て、必ず作り手がいる。それを企画立案し、編集して、さらにもしミスが出たら菓子折を持って謝りにいく係の人間だ。

世間一般ではおそらく、編プロは「出版社への足がかり」だとか「版元に入れない人が行くところ」「なんだかキツそう」というイメージが強いと思う。私も学生の頃は、そう感じていた。今の会社に入ったのも、出版社の面接に軒並み落ちて、最後に拾ってもらったからでしかなかった。しかし、(もし出版志望の学生や、未経験で本が作りたいと思っていてここを読んでいる人がもしいらしたらここは強く強調したいけれども)私の3年間は、本当に面白いことの連続だった。それは会社の良さのおかげでもあり、業態の良さのおかげでもあったと思う。

面白かったポイントはいくつかある。1つめは、会社が小さくて皆が忙しいことが幸いし「やりたい」と志願した仕事は、重すぎるくらいの責任で、ババンと任せてもらえたこと。私のキャリアのターニングポイントは、2年目の夏。先輩が退職して担当者がいなくなった雑誌に手を挙げて、進行管理から版元とのやりとり、予算のとりまとめ、そして特集の編集を、全て担当させてもらえるようになったのだ。何度も何度も怒られて、徹夜もしたが、毎号毎号必ず反省と、次号への課題があり、それが次の回にクリアできることがとても楽しかった。

2つめは、版元にいたらできなかった経験が積めたこと。最近は某企業の社内報担当だったが、何度本を読んでも理解できなかった世界経済の仕組みが、取材を積み重ねるうちに少しずつだが見えてきた。半分お勉強みたいな仕事だ。英文科出身でおようふくくらいにしか興味がなかった私が、日経新聞を読むのが楽しみになったのは大きな収穫だと思う。変な担当者に振り回されて蕁麻疹になったりもしたが、蕁麻疹まで行くと、その後の怖いことはだいぶ減る。

3つめは―これがこれからも仕事を続ける一番の理由かもしれないが―モノを作る瞬間のちまっとした快感を得られること。例えば構成を練る、原稿を書く、リライトする。もやもやしていたものが、バシッとロジカルに構成できたときの小さな快感は、手を動かさなければ得られない。

高校・大学時代には、何一つ打ち込んだものがなかった。それが私の心にしこりのように残って、今に至る。空白の7年間を埋めるために、私は働き続けるのかもしれない。仕事には、手触りがあるから好きだ。「こんなに手触りのあるものに出会ったのは、小学校のミニバス以来です」と社内用の退職挨拶文に書いた。



2007年07月04日(水) 偽装請負について熱弁

今週の頭から体がだるく、家に帰っても何もやる気が起きなくてうだうだし、洗い物も何もせずに新聞だけ読んで寝る、読んで寝ればまだよいものの夕刊を机の上に散らかして寝る、といった不安定な日々が続いていたが、今日になって突然体が軽くなった。「なんだこれは」と思ってカレンダーを見たところ、なんと排卵(予定)日。そういえば今日、うんちくんが出た。これが合図だったのだと気付く。

私が機能不全だったこの数日、もっくん(最近カレシをこう読んでいる)は終電で帰宅した後一人でゴハンをつくって食べ、切れていた台所洗剤を補充して洗い物をし、洗濯物をベランダから中に入れてさらに部屋干しトップまで買ってきてくれた。人間として、スゴイと思う。安定感がある。

体が軽くなったのを機会に彼に恩返しをしようと、洗い物をし、送別会でもらった花を家中に飾り、文机とちゃぶ台を磨く。新しい麦茶を作って冷蔵庫に入れ、週末自分がいないのを見越して洗濯もした。色々終えたら余裕が出たのか、最近読んでいた朝日新書『偽装請負―格差社会の労働現場』についてもっくんに話していないことを突然思い出し、おもむろに語り始める。

偽装請負については朝日新聞の一面で何度か見ていたが、この新書を読んで、色々と驚いた(驚きたい方は、読んでみてください。一日でさくっと読了できます)。企業のコンプライアンス、倫理観、労働者の権利云々もさることながら、私が最も感じたのは「ジャーナリズムの役割」みたいなこと。キヤノンや松下、シャープといった優良企業が手を染める違法行為に対して、はっきりと「NO」を出せる力が、まだ朝日新聞の一面にはある。これはすごいことだ(もちろん朝日の記事が言っていることが、すべて正しいとは言い切れないことは前提です)。

日本企業がもうかるなら国だってうれしいし、もうかるためなら法律だって変えちゃおうよ、というのが資本主義社会の自然な流れだろう。朝日が、それを止めたのだ。

最近「マスコミ(特に自分の仕事)って、結局いろんなものの周辺を行ったり来たりしてお金をもらっているだけだな」という実感が強くなっていたので、そうか、1つ(あるいは2つ、3つ、4つと連なることで)の記事が、社会を変える力があるんだというのは、今更だがブレイクスルーだった。こういう役割を新聞が担い続けてくれるのならば、彼らが朝日新聞という後ろ盾のもとに、自分の署名を入れて怖がらずにキヤノンや松下に文句を言い続けてくれるのならば、記者の年収が1億だろうが、年功序列で終身雇用だろうが、それは納得してもいい気がした。自分の仕事に対する姿勢にも、影響することだ。

上記のようなことをばばーっと洗濯物をたたみながら話して、もっくんはうんうん言いながら聞いてくれ、さらに「そんなこと、就活の時に知っておくべきじゃないの」とぶつぶつ言いながら、ぽつぽつ意見をくれた。私は、だからやっぱりSちゃん(通信社勤務)は仕事を辞めずに続けるべきだ。価値ある仕事だと言ったが、「そんなことより、自分が陶芸とかして幸せに暮らす方が優先だよ」とまたある面から言えば非常にもっともで、難しい答えが返ってくる。



2007年07月01日(日) 実家に帰る

母と大宮の氷川神社を歩く。1年の折り返しで、「茅の輪」と、縁日がちょこちょこ出ていた。茅の輪とは、わらを編んでつくられた直径2メートルほどの輪っか。境内の手前に用意されており、それをくぐると、その後の半年を無病息災で過ごせるのだとか。お参りの帰りに、大宮の高級住宅街を歩いて帰る。道路、1軒1軒の家の間取り、隣家との感覚などが東京の1.5倍くらいの広さで、せせこましくない。民家の間に古いせんべい屋や盆栽最中を売る老舗和菓子店、母が子どもの頃からあるという写真館を見つけた。

夜、高円寺の家に帰って「情熱大陸」(内澤旬子)。内澤さんて、南陀楼綾繁と夫婦だったのですね。しかも、この2人が一箱古本市をされていたのですね。全然知らなかった。おとーさん(南陀楼綾繁)が動物みたいな夫婦で非常に好ましかった。

ところで、私が実家に帰っている間に、あっちゃんは生乾きが悲しかったのか「部屋干しトップ」を購入していた。人が突然買うものって、その人の願望が映し出されて面白いなと思う。あたしゃ来週の土日から、ヴェネツィアに行きますんで、頑張って部屋干してください。

内澤さんのブログ↓
http://d.hatena.ne.jp/halohalo7676/


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