この日記のRSSは下記のURLになります。
http://www.enpitu.ne.jp/tool/rdf.cgi?id=6723

2005年01月28日(金) 暗い話ですみません

就職活動時代からずっと、『マスコミ就職読本』のメールマガジンをとっている。その中の「コラム 編集長の目」(創出版社の篠田編集長が書いている)にある記事を見つけ、体の力がすーっと抜けていくような感覚にとらわれた。今年の四月入社、つまり私と同じ時に就職活動をして新潮社に内定した新入社員が、自殺したという。



(第9回から引用)

いろいろ書こうと思ったことがあるが、忙しいので次回に。ひとつは新潮社に昨年4月入社したばかりの『週刊新潮』新人編集者が12月下旬に自殺した話。軽々しく語るべきことでもない深刻な事件なので改めて書くことにしよう。

(第10回から引用)

実は、だいぶ以前、小学館でも入社して3カ月くらいで自殺した社員がいて、その新人がその年、『マス読』に合格体験記を書いていたことがわかり、母親から連絡をもらったことがある。親は子供の自殺に納得しておらず、職場でどういうことがあったのか知りたいというので、取材したうえで『創』に詳しいレポートを書いた。

今回の新潮社のケースも、気になるのは、遺書の中に、良心の呵責を感じながら仕事をしていたといった意味の文言があったとされることだ。ただ、相当デリケートな問題なので、このテーマ、もう少し慎重に調べて、できれば『創』でレポートしようと思う。

仕事柄、取材現場で他社の記者に会う機会が多いのだが、必ず言われるのが、入社する時は『マス読』読んでました、という挨拶。毎年相当数の人材を『マス読』はマスコミ界に送り込んでいるのだが、入社後のこういう問題もフォローせねばと思っている。




就職活動時代、私は新潮社が第一志望だった。書類選考→筆記試験→一次面接→二次面接+集団ディスカッションと進み、これが受かれば最終に行く、という面接で落ちた。「今回はご縁がなかったということで」という事務的な女性の声を、高田馬場の明治通りと早稲田通りの交差点で聞いた。ケータイに結果が来る(合否に関わらず連絡してくれるのだ)のが気になって、デニーズにさんざん長居をし、それでも鳴らない電話にしびれを切らして外に出た矢先だった。体の中にうずまいてパンパンになっていたいろいろな感情が一瞬で消え、体が空洞になった感じがして、脱力し、スーツ姿でひとり歩きながらくやし涙を必死でこらえた。あの時、私は、本当に、死んでしまいたいと思ったのだ。

生きるとは、働くとは、一体何だろうと思う。新潮社に受かりたくて受かりたくて、それでもたいしたことないところで落ちて、別の会社に入って、のうのうと働きながらたまにクライアントへのグチなんかを話して、原稿を作っている自分は一体、何なのだろう、と思う。

内田樹が以前書いていた文章を思い出した。学生運動の時、自分の隣りでバリケードを作っていた学生が銃弾に当たって死に、「自分は、生き残ってしまった」と思ったのだという。

私は編集者を辞めない。こんなこと過剰な思い入れに過ぎないし、そんなこといわれても自殺した本人にしたら困るか困惑するかどーでもいいと思うかのどれかだろうけど。それにもともと辞めるつもりはなかったし、偉そうに宣言することでもない。でも、書いておきたかったのだ。

彼?彼女?が新潮社を目指した理由は何だったのだろう。何に憧れ、何を夢見て、そして一体どんな現実にぶつかったのだろう。私には私の、小さな日々が続くのみだ。





2005年01月22日(土) 王子様への手紙

前略 王子様


気付いてみれば一月も二十日過ぎ。
大変遅くなりましたが、本年もよろしくお願いします。

届いているのか分からない手紙を、
私は今年も粛々と書き続けるでしょう。
そうすることでしか、解決し得ない感情の行き場を求めながら。

毎日寒いけれどお元気ですか?
駅からの帰り道に空を見上げたら、
東京の空にもオリオン座が見えました。
こちらは、よく晴れています。
私は元気です。

今日は少しだけ、うしろめたい話です。
ようやく書く気になった、恋の話。
(僕以外の人に?って怒るかな。
それともつたない人間関係にすぎないと笑うかな。
ばかにしないでまあ最後まで読んでくれたらうれしいです)

あなたがスペインだかどこだか、
よく分からないところに旅立ってしまった一昨年の秋、
私はある人に出会いました。

彼が私の手紙(もちろんあなたへ向けての)を
たまたま拾って読んでくれたことが
知り合ったきっかけです。

どこを気に入ってくれたのかは分からないけれど
「面白いね。高野文子の『黄色い本』を思い出したよ」と
言ってくれました。

フィッシュマンズと果物と、
マルタンマルジェラとフセインチャラヤンと、
ヴィクターアンドロルフと葛西薫と、
「オルタナティブ」コーナーにあるような(よく分からない)音楽と、
くだらない笑いと女の人の足と、
ピエール瀧と花くまゆうさくと、
楽しいお酒とウディアレンと、
NHKの夜中の変な映像と坂口憲治のサーフィンの番組が好きな、
とても気さくでかっこいい男の子でした。

目と口角が垂れていて、そこがベックに似ていました。
私は彼の顔が好きでした。
Tシャツから見える鎖骨や、
ズボンの中に潜んでいる膝の骨も好きでした。
ぼそぼそ話す小さな声には鳥肌が立ちました。
私をバカにするときの、意地悪な笑い声を聞くと、
いつでも涙が出ました。

彼とはよく長電話をしました。

いろいろなことを教わりました。
洋服とデザインについて、たいていのことは知っていました。
自然に、ではなく
「知らないことは恥ずかしいことだ」と言って
きちんと勉強している真面目な人でした。

ほげほげと生きること、
ウィットをもって人生をやりすごすこと。
相手を浸食せずに人と向き合うこと。
彼のやり方はいつも上品で、節度があって、
私はそれに波風を立てたいと思いました。

心の奥には、黒々とした弱さを持っている人でした。
彼は「そんなものないよ」と否定するかもしれない。
だから私はそれがあったから惹かれただなんて
無責任なことは言えません。
でも、私は(あなたがそうであるように)泣き叫ばない類の
弱さや虚無寸前の闇を持つ人を、とても魅力的だと思っています。

彼に会ってから私の毎日は変わりました。

今まで目もくれなかったもののすばらしさを、
たくさん気付かせてもらったと思っています。

目白に行った時のこと。
道を歩くたびに
「あ、いい団地」
「夕焼けだ」と
いちいち立ち止まるその人の目の先には、
見たこともない風景が広がっていました。
いったいあの汚れて黒ずみ、淡いグレーに変化した白壁や
紫からピンクへグラデーションされていく太陽は
今までどこにあったのでしょう。

彼は日々の隙間から色や美を見つける天才でした。

私たちはそういう話
(日々の隙間から色や美を見つけることについて)をよくしました。
「NHKドキュメンタリーで、
マイマイティさんというアフリカ人の話をやっていたよ。
彼は家族を抱えて荒れ地に越してきて、
少しも作物がとれず、途方に暮れていたよ。
でもね、井戸が出て
『水が出た、水が出た』ってみんなでさわぐんだ。
それが、すごくいい話だと思ったよ」

「世界はただそこにある」とよく彼はいいました。
肯定も否定もされずに、ただ、そこにある。
悲しいこともうれしいことも、ただ、そういうものとしてあるのだ。

彼はよく怒りました。
私のわがままに、いちいち腹を立てていました。
「信用できない、気持ち悪い」と何度も言われました。
私は何度も泣きました。
伝えたいことが、伝わるまで泣きました。
なぜなのか、彼に対してはそうしたいと思ったのです。
(迷惑な話だよね。でも、こんな風に人の前で
きちんと泣けることがこれからあるのか、すこし心配です。
王子様、あなたの前だったらできると思う?)

彼はよく私に、「文章書けよ」と言ってくれました。
つまらないときは「つまらない」と告げてきました。
「つまらない」と言われると、
私は自分の彼に対する存在価値がなくなったようで本当に悲しくなって
またわんわん泣くことになりました。



……こんなことを書いて、
あなたには何も面白くないし
腹を立てるくらいのものかもしれないけれど
あなた以外の人とこんな風にきちんと、頑張って、
向き合った人間関係とは何だったのかを
書くことで少し分かりたかったのだと思います。

人を好きになるのは、けっこう気持ち悪くてどろどろで、
ひとりよがりで嫉妬深くて
自己満足的で笑ってしまうような行為だと、
振り返るとつくづく感じます。

しかし、それがあるとなかったとでは
確実に何かが変わっているのだし、
前向きな私はまた努力して
その向こうに行かないといけないですね。

村上春樹が阪神大震災十年の新聞記事に、
書いていた文章を興味深く読みました。




僕が『神の子どもたちはみな踊る』という連載小説集を書き始めたのは、
地震から四年を経た夏のことだ。
この連作短編は、
失われた僕の街とのコミットメント回復の作業であると同時に、
自分の中にある源と時間軸の今一度の見直し作業
―僕はそのとき五十歳になっていた―でもあった。

その六編の物語の中で、登場人物たちは
今もそれぞれに余震を感じ続けている。
個人的余震だ。
彼らは地震の後の世界に住んでいる。
その世界は彼らがかつて見知っていた世界ではない。
それでも彼らはもう一度、個人的源への信頼を取り戻そうと試みている。




かしこ



2005年01月15日(土) 近況

雨が降っている。家の中には洗濯物がある。結露のついた窓を開けたら水の流れる音と、男の人の咳払いが聞こえた。電柱と電線と古い一軒家と高層のマンション。小さな路地。空。鳩。鉢植え。家の窓から見える風景が好きだ。



■「霧のように雨を含んでひろがる風である」

先週、石牟礼道子の『苦海浄土』を読了してから、ずっとそのことを考えている。こんなに折り目を付けた本は、久しぶりだった。



(引用:チッソの社長が患者宅を訪れた後の場面)

「ちっとも気が晴れんよ……。今日こそはいおうと、十五年間考え続けたあれこればいおうと、思うとったのに。いえんじゃった。
泣かんつもりじゃったのに、泣いてしもうて。あとが出んじゃった。悲しゅうて気が沈む」

彼女は前庭を歩き回ったり、そばに来て縁に腰かけたり、かがみこんだりしながらいう。

「親からはおなごに生んでもろうたが、わたしは男になったばい。このごろはもう男ばい」

伏目になるとき風が来て、ばらりとほつれ毛がその頬と褐色の頸すじにかかる。その眸のあまりのふかいうつくしさに、わたくしは息を呑んだ。霧のように雨を含んでひろがる風である。




なんときれいな言葉だろうか。何を見ても、聞いても、リアルには感じられないもどかしさを、石牟礼さんの文章は溶かして、読者の体にしみこませてくれるのだ。水俣病について本を書き、それを売ってお金にすることについて、作家の中にあっただろう葛藤を想像する。それでも(不特定多数ではなく、特定の)誰かの苦しみや悶えを、自分の年月に引き受けて書き続ける人の、強さを思う。

昨年、ある人から「バナナさんの日記を読んでいて、今日は空滑りだな、と思う日は、たいてい読んだ本や人から聞いた話について書かれています」というダメだしのメールをもらった。本を読んだこと自体が、あなた(私)の価値になるのではない。それを自分に引き寄せて考えなければ、感想を書く意味はないということだ。

私は石牟礼道子に、もっと近づきたいと思う。現実的には何の接点もない彼女の文章に、いったい何故惹かれるのか。しばらく考え続けるべき命題である。



■森山新宿荒木@オペラシティー

目新しいものはあまりないような気がしたが、展示の最後にあった『≒森山大道』という映像作品を見られたことが一番の収穫。楽しそうに写真をとる人を見ているとこちらも楽しくなる。良作も駄作も含めて、こうして愛せる作家がいてくれることに感謝する。

森山氏は昔、ナショナルのこたつのカタログを撮ったことがあるとか。その写真見たいなあ。



■Caz

今年の目標は100万円貯金なので(おまえはすてきな奥さんか)『お金を貯める! 絶対殖やす!!』特集を買ってみる。よく考えてみたら、30歳まであと7年しかないわけで、一年に100万ずつためていっても700万。1000万には遠く届かないということが判明した。その上月3万円の今のペースでは、年100万なんて単純計算しても絶対にたまらない。やばいなあ。やっぱりもっとボーナスがほしいなあ。

…と電話で母に愚痴っていたら「そんなにお金お金言ってるとお嫁に行けなくなるわよ。もっときれいなかっこしなさい」とたしなめられる。そうだな、きれいなかっこして30歳付近のアートディレクターと結婚し、伊藤まさこのように布を愛して生きていくのが最良だ、という結論に達する。



2005年01月10日(月) I saw the light.

また谷中に行った。友人が根津、千駄木界隈でアパートを探すというのでついていくことにしたのだ。よく晴れた日で、光が溢れて風景の上にこぼれ、通り全体を金色に染めていた。あまりきれいなので、時間が止まっているのかと思う。谷中に来るたびに、こんな奇跡に気がつかず、一体自分は今まで何を見て生きてきたのだろうかと考える。

見せてもらった2軒は、路地の間に建っていた。「この辺は細い裏道がいっぱいあるからね、嫌な人に会いたくなかったらこそこそって一本通りをずらせばいいのよ。ふふ」案内してくれた不動産屋のおばさんが笑って言った。隣から隣へ並ぶたくさんのぼろアパートの軒先を眺めると、シーツやパンツやタオルや靴下が干してある。光に覆われたそれらは、すっかり乾いてからからと北風に揺れていた。私の生は、冬の日溜まりの午後に揺れる洗濯物の中にある。

根津神社にお参りをして、木漏れ日を眺めた。

例えばこの世が地獄だとして、人と人が絶対に分かり合えないとして、私の気持ちがあなたに届かないとして、それでも私は谷中の午後を信じるだろう。3連休が終わるとのたうち回っている夜に、それが私を救えないとしても。



2005年01月08日(土) お姫様からの手紙(投稿)

ばなおへ。

今日は最高だったね、ていうか完璧。太陽はポカポカ暖かかったし、ビールは美味しかった。ちょっと酔っぱらっちゃった。ベンチで休んだ後にやったバトミントンも完璧。パッパパーバシバシバシってあなたのスマッシュ最高ー。私の上司の編集長にも見せてあげたいわ。ていうかあのハゲ親父のturupikaハゲ頭にばなおのスマッシュお見舞いさせてあげたいわ。

うん。確かに今日は楽しかった。やっぱりばなおと一緒だと楽しいかもね。今度はビニールシートでも持っていって一日ダラーとしましょう。

ひとつ謝らなくてはならないことあるの。読んで怒らないでね。あなたから来るメール、焦らして焦らして返信しなかったの、あれって作戦。だってあんまりすぐ返したりするより、こっちのほうが楽しかったの。もう私も大人だからね。それにねわかってたわ、あなたはどーせ私からのメールが来ない来ないって気が狂いそうになってたって。でもね、私は私なりに心配だったんだ。だからね、あなたの気持ちを私に置いておくための、これが私なりのやりかただったんだ。ね、これからはちゃんと返事するからさ、ゆるして、ごめんね。

私は明日からソウルに行って来るわ。きっとねペ・ヨンジュンに会えると思うの。だってあそこはそういう国だもんね。関係ないけど「猟奇的な彼女」ってウディ・アレンみたいよね。キョニュ大好き。

それじゃあね。ばいばい。

追伸
ソウルから帰ってきたら、恵比寿遊びに行こうね。都築響一が新しいお店始めたって噂。歌謡曲ばっかりかかる変なお店なんだって。ばなおもきっと気に入ると思うわ。




2005年01月03日(月) Nadiff

昨日から鬱々とした気持ちが消えず、その上今日は花粉症が出て午前中の体調はさんざんだった。アレルギーの薬を飲むと、鼻はスーッとするけれども副作用で眠くなり、体もだるいので気持ちが内向的になる。

ここ一年ほど、私はつまるところ、あるひとりへ向けてこの日記を書いていたのだと思う。理由もなく、そのひとりを失うかもしれない。そのことが残念でならなかった。積み上げてきたもの、読み、書いて伝えるという行為そのものが、虚しい繰り返しとなって自分の前にほっぽりだされた感じだった。

どうしようもないこと。を、受け入れたり飲み込んだり、切り刻んだり悶え合ったりしながら進んでいくのが私であると、そんなことは大人なので知っている。それでも、どうしても体はだるかった。顔もむくんでいる気がした。



六時半に待ち合わせがあり、Nadiffに行った。店の真ん中のギャラリースペースで、長島有里枝の展示をしていた。お客さんが少ないから空間を独り占めできたので、同じところを何度も何度も歩いて、決して広くない空間にこれでもかと貼り付けてある彼女のだんなだという人の写真を眺めた。もっと俗っぽくて、「新しいことをしています」という気概にあふれすぎた(つまり苦手なタイプの)写真家かと思っていたが、とてもよかった。気持ちが外に向かない私に、壁の白さが優しく染みた。この本屋は、私が「嫌だ嫌だ」と言って劣等感を持っている、アートやらデザインやらの権化のような場所なのに、いつ来ても気持ち悪い感じがしない。控えめで、小さい声でぼそぼそ話す人のような品がある。

友人に会って、色々話していたら自然にとげとげした気持ちが解けた。お土産にもらった鮭を抱えて、湘南新宿ラインで帰る。帰りの電車で読んだ、石牟礼道子の『苦海浄土』の文章が迫ってきて、胸がいっぱいになった。水俣病になった人々の語った言葉が、語られたままに本のページを埋めている。漁師のだんなさんと、毎日海へ出ていた女性は、船の上から見た(汚染される前の)不知火海の様子を細かく再現する。自分の日常生活について人は、こんなにもありのままに、美しく語れるものかと思う。苦しみながら、患者がのたうちまわりながら言葉に置き換えたものが、結果としてきれいだということに、感動する。自分がこれから書いていくということについて、目標を示された気がした。



コミュニケーションの相手がいないということを、私は声高に叫ぶ。しかし、今日の、薬でやられただるい体に染みたのは、そんな自己主張の微塵も見えない、半径数メートルを淡々と穏やかに切り取り、それをそのままぽんと差し出しただけの、穏やかな風景だった。私は不在のあなたへ向けて、だから静かに書き続けよう。音のしない深夜のコタツで、パソコンに向って、しっとしっとと泣きながら。私が書き留められるのは、こういうことでしかない。

夕焼けを見た。無音で暖かい、高崎線の車内が好きだ。こういう、ことでしかない。



2005年01月02日(日) あけまして

おめでとうございます。こんなしょぼしょぼサイトですが、誠実に書いていけたらと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。


■初詣

大宮の氷川神社に、着物を着て初詣に行った。母と二人、雪に反射する日光が美しかった。家に帰ってデジカメの写真を整理していたら、忘れていた記録がたくさん出てきた。下手だけど載せちゃおう。



■何かとても大きなもの

昨日今日と、NHK特選アーカイブス『シルクロード』を見ている。25年前に訪れた道を、これから『新シルクロード』でもう一度訪ねるそうだ。ナレーションをしていた石坂浩二も、25年歳をとっていた。四半世紀とは、そうして受け継がれる番組(作品)とは、一体どんな意味を持つのであろうか。仕事なんかやめて、砂漠に行ってみたくなった、とただ書いてみたくなったのだった。





新年だというのに気持ちがめいってどうしようもない。いつもそうだ。相手は自分の鏡だ、なんて優等生ぶったことを思って突き進んでいけるのは調子がいいときだけで、少しでもつまづいたらコミュニケーションなんて真っ暗だ。伝えたいことを伝える相手が不在なら、私は何を書いたらいいのだろうか。ふう。





大宮の氷川神社。今日。



うちの前の通り。夏。



冷蔵庫一掃カレー。



神保町のカレー屋。



北海道の旭山動物園。



『エンドレスワルツ』の町田氏。


 < 過去  INDEX  未来 >


バナナカレーログ [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加