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2005年02月28日(月) 2月のまとめ

2月に見た映画
『ブリジットジョーンズの日記 きれそうな私の12か月』(試写)
『モーターサイクルダイアリーズ』
『LEFT ALONE』

2月に見たビデオ
『ブリジットジョーンズの日記』
『おいしい生活』
『やかまし村の子どもたち』(途中眠)

2月に見たライブ
ブラッド・メルドーピアノソロ@すみだトリフォニーホール(2曲ほど眠。ごめん)

2月によかった本
夏目漱石『坊ちゃん』

2月の恋
合コン1回
この項目なくしたい

反省点
あいかわらずよく眠ってしまった
あらゆる場面で素直に謝れなかった

来月の目標
雑司ヶ谷霊園にいきたい



2005年02月26日(土) 紙の切れ端になぐり書く

前略 王子様

外が寒い。
かわいいとかでぶだなとか、
仕事がんばれとかそんなことは言わなくていいので、
顔も見られなくてもいいので、
ただあなたと一言でも話せたらいいのにと思う。

たまにすべてが嫌になる。
そんなことは
だれでもあることだと、叱って欲しい。

かしこ



2005年02月25日(金) 金曜日の夜

一番仲の良かった先輩が転職するという。アルバイトでお手伝いを始めたときから同じチームで、生まれて初めてラフをきったり原稿を書いたりするのを全部教えてくれた人だ。昨日、久しぶりに二人で深夜にお茶をした。「部署が離れてからあまりじっくり話してなかったよね」といいながら。

根本のところは保守的なところが、私と似ていた。ガッツがあった。嫌だいやだと言いながら休日出勤をしたり徹夜をしたりしていた。仕事のことでいちいち傷つき、人生について悩み、それを私に話してくれる気さくで裏表のない人だった。

何回誤植やミスを、あやまってもらったか知れない。それでも怒られた次の日には、安田大サーカスの話をしてくれた。

去年の夏には、よく徹夜をした。いつも先輩と一緒だった。
「あーあ、こうやってバナナさんとの夏の思い出ばっかり積み重なっていくんだねえ」
コンビニからおやつを買って帰る道で話したことが、なぜか今になって浮き上がる。
「いやです! 彼氏との思い出が作りたいです!」
「え、社内でいいじゃん。○○さんでさあ」。

私には私、先輩には先輩に、いろいろな小さな不満や希望があって、いつもはそれぞれのところをひとりで歩いている。お互い自分でなんとかしないといけないことを、抱えている。それでも、会社に入ってすぐ、こんなにいい人に育ててもらったことは、本当にラッキーだったと思う。

最近心にたまっていたもやもやした気持ちを、彼女に全部話した。とても楽になって、こんど新居に遊びに行く約束をして別れた。最近ソファを買ったという。



家に帰る途中、久しぶりにラブリーから電話があった。明日も仕事だそうだ。私も仕事よ。「でぶさあ、肉あるから冬でも寒くないだろう」という。でぶ声ネタでひとしきり引っ張った後、はっと我に返って葛西薫どうだった?と聞いたら「最高。端正な顔立ちだったよ」というところで電車が来てしまった。感想が聞けていない。



もうこの世には望みがない、暗黒だ、巨大な悪からは逃れられないんだ、という気分になった時でも、きっと分かり合える人はいるし市ヶ谷のお堀はきれいだ。なんていい金曜日だろう。



2005年02月22日(火) メモ

■あーあ

会社が早く終わり、なおかつそんなに寒くない日は、新宿ルミネ2のブックファースト(いまだに「青ブック」と呼んでしまう)に寄って帰る。今日は夜も暖かいからのぞいて帰ろうと五階に上がったら、リニューアルが終わっていた。

書店巡りをライフワークとし、夜開いている本屋さんに精神的安定をいただいている私としては、正直、本当に残念な、だめだめリニューアルでした。今まで本屋だけだった階に雑貨店やインテリアショップが入った分売り場面積が狭くなり、通路が半分くらいになった。すぐ人にぶつかるし、立ち読みしている人の横を通るのがストレス。ゆっくり選べないのなら、行く意味がないのじゃ。(売り場面積が狭まったのだから仕方ないことだし、それを狭めているのは私の大好きな雑貨店「smith」なのですが……)

そんなわけで、ストレスが溜まった私は近所のあおい書店(11時閉店)でお口直しをして帰りました。居心地のいい本屋さんは人と人の距離があって、なんともいえないゆるい雰囲気がでているものだと思うのです。



■銭湯とお墓

『散歩の達人』読んでるおやじみたいですが、銭湯に行きたいです。あと、有名人の墓が多数あるという谷中霊園と雑司ヶ谷霊園にも。



■拾

ゴミ捨て場で素敵な電話台を拾った。



■さいごにつらつら本のこと

最近だんとつではまったのが、夏目漱石の『坊ちゃん』。こんなに面白い本を、「文豪の」「読まなければならない某」と形容するのはもったいない。石田千の新刊『踏切趣味』が出たのでほくほく読む。



2005年02月20日(日) ブラッド・メルドー

ブラッド・メルドーというジャズミュージシャンの、ピアノソロコンサートに行きました。ジャズ好きの友人が誘ってくれたのです。アンコールを3回もやってくれた上、普段ほとんど感情の起伏がない友人が、興奮しているところを見られて非常に満足でした。ジャズはトリオとかソロとか、スタンダードとかフリーとか、色々大変そうだけれど勉強しがいがありそうです。



2005年02月19日(土) 日本館

小雨が降る早稲田通りを通って、修理に出していたブーツを取りに行く。郵便局にも用があるので、明治通りを曲がる。

大通りから路地をのぞくと、日本館があった。「男子下宿 賄付」という文字が、壁に掛かっている。

大学1年生の時、バドミントンサークルに入っていた。どうでもいい活動しかしていなかったが、たまに体育館に行った。その日は、二つ年上の幹事長といっしょに、20分くらいかかる距離を歩いた。

色々な話をした。彼が、「あ、日本館だ。おれ、去年までここに住んでたんだよね。じいちゃんが厳しくて、東京の大学行くなら下宿しかゆるさん!て言うからさあ」。男の子なのに、寮のひとり暮らしでハムスターを飼っていたという。「ハムスターは話さないからいいよ」と本気でつぶやくのがあんまりおかしく、「暗いですよ〜」とけたけた笑った。

こんなことをいつも思い出すわけではない。一度思い出しても、また忘れてしまう。そういう類の、大切な記憶がいくつもある。

速達を出した帰り道は、雨が上がっていた。



2005年02月16日(水) 地震

明け方に地震があった。揺れたのは頭の隅で知っていたが目は覚めなかった。

(私の眠りは本当に深い。自慢ではないが、「眠れない」という悩みだけは持ったことがない。高校時代も大学時代も、授業中に本気の睡眠をして疲れを癒していた効率的な人生であった。)

しばらくして、電話が鳴った。寝ぼけていたのでとれなかった。着信履歴を見ると、友人からだ。午前5時前。こんな時間にかかってくるはずがないなだね、まちがいだろうにゃにゃぽぽ、と寝ぼけた頭ながらも判断した私は再び布団をかぶって眠りについた。

2分後、再び電話が鳴る。

今度はとってみる。やはり友人だった。

何だろう、私がホームページにラブリーのことなどあほくさい日記(ラブリーの件は本当に笑えないのであほくさくないんだけど)を書いているからダメ出しをされるのだろうか、などと邪推していると、きゃつはひとこと「地震、大丈夫だった?」という。

「うん。寝てた」
「寝てた? あんなにすごい揺れだったのに? もう、死ぬと思ったよ。ああ、もう自分は死ぬんだと思った」
「はあ、で、用件は?」

どうやら、私の安否確認のためにわざわざ電話をくれたらしい。私以外にも、友人という友人に「生きてるか?」と連絡しているそうだ。私は半分寝ぼけたままその律儀さ、誠実さに礼を言い、それじゃあこれから何が起こるか分からないから、待ち合わせ場所を決めよう、と提案をした。

「そうだなー、じゃあ馬場にしよっか」
「馬場じゃあ、遠いよ。それに、地震が来たらすぐに会えるかは分からないから、はりがみを貼るとか、伝達手段を決めないと。」
「いいアイデアだね。じゃあ早稲田大学に貼ろう。文キャンの、門の横のところにしよう」

そんなわけで私たちは、大きな天災があった場合には早稲田の文学部キャンパスの門のところに、「ダイガクノトショカンにヒナン バナナカレ」などと書いて貼っておくことにしました。皆さんもどうぞ。

と、なぜこんなことをわざわざ書いたかと言えば、この一連のできごとは、私の中ですべて寝ぼけつつ行われたため、地震も含めてフィクションだったような、そんな感覚があったからなのです。

8時に起床して洗面所に行くと、コンタクト溶液や入浴剤のボトルが倒れて、流しに落ちていた。現実の揺れ、現実の裂け目、現実の向こう側。



2005年02月15日(火) にんげんだもの〜私の受難日記〜

表参道で、(著名人のオフィスというのは表参道にあるものらしい)生まれて初めて「著名人」の取材。顔が小さく、お子さんがいらっしゃるのにとても若くてすてきな女性で、仕事も家事もさくさくさくさくとこなしているのだろうな、ということが話し方や身のこなしから伝わってくる。それでいて気取らず、物腰もおだやか。「ピリ辛」くらいに毒舌。「ほー」とうなることばかりおっしゃる。1時間の予定が、さくさくさく、と15分で終わる。

取材の前に、町田康『外道の条件』を読んでぷぷぷと笑うことをこの世の最高点の楽しみとし、「自立した女性ボブ」にしたつもりがここ半年美容院に行っていない、会社では相撲(しかも千代乃富士、大乃国とかあのへんの時代)の話題ばかりしてしまう私は、この世のあまりの不公平を呪い、だからといって今日は火曜日だから(ってだけじゃないけど)おしゃれっ子パークSHIMAに入ることはできず、おろおろしながら癒しの地、青山ブックセンターに逃げ込んだのであった。

しかし、受難はここからだった。

店に入ってすぐのところに、私は「イベント関連」というコーナーを発見した。そこには、「葛西薫」というすてきキーワードの入った書籍がたくさん積んであった。なぜか。それは今週末、つまり私にとっては何の予定も入ってないからオーケーよハニー、という19日土曜日に、葛西薫大先生が青ブックにきます、直接見れます、デザインについてのお話聞けちゃいます、という素晴らしい企画があるからだった。

そもそも、私は1年前まで葛西薫の「か」の字も知らなかった。何故知ったかと言えば、とても簡単、ラブリーが、葛西薫を好きだったからであった。座右の銘は「恋は盲目」、好きな人の好きなものは全部好きになる私なのですぐに一昨年の末から勉強を開始、葛西薫と書いてあるものは全て読んだ。

そんなわけで、私はすぐにラブリーとのラブラブな週末を思いついたのだった。私が「しゅきしゅき」と言って言い寄るのを「きもい」と言っているラブリーも、きっと葛西薫の力を使えば落とせるに違いない、すばらしい計画だ。よし、これだ、えいっ。

「今日仕事で表参道に来たから青ブックに寄ったら土曜日に葛西薫さんが来るみたいだよ よかったら一緒に行きませんか? すでに予定があるならいいです」

気持ち悪さを極力避け、謙虚な態度でメールを出す。とはいえ、ラブリーとは絶縁状態、きっとメールは返ってこないんだろうなあ、性格が暗くて友だちがいないとはいえ、イケメンだから彼女とデートは毎週してるんだろうしなあ、とぐずぐずしながら表参道を去ろうとしたその時、メールの着信音が鳴った。





「彼女と申し込み済みです」





ガーン。





あ、マンガだ。と私は思った。これが松尾さんが書いていた「コレハマンガナノダ」と歌い、笑いたくなる状況だったのだ。(2002年12月20日の日記参照)

そんなわけで私は、そのようなことになって振られましたので、土曜日は彼女に三行半をつきつけられながらも引き下がらないぞ、と頑張っているお友達の引越を手伝いますよ。やれやれ。



2005年02月13日(日) How can I go on without you?

前略王子様



あなたに関係あるのかないのかわからないけれど、
世間はバレンタインの三連休でしたよ。
ちょっとは私が怒っていることに気付いてくれたらうれしいわ。
そう思って手紙を書きました。

お元気ですか。

毎日寒くて
同じコートで同じマフラーで
少し飽きたけれど私は元気です。
風邪も引かずに、やっています。
そろそろ花粉症が始まる頃かな。
薬を切らさないように、薬局に行っておこうと思います。



この三日間は、
仕事のことを考えずにゆっくりしようと決めて、
色々な人に会いました。



まずは父母。

父親の誕生日だったので、
実家に帰ったのです。

うちは、ひとりっこの私がアイドルのような家庭なので
私が帰ると父も母も
「待ってたよ」ととたんに明るくなって、
最近二人で行った朝倉彫塑館の話や
私のお嫁に行く話などを長々とするのでした。

大人になって、(もう大人だけれど)
結婚して子どもを作ったら、
私が育ったこの家のような温かいうちをつくろうと
勝手に夢見ています。
私みたいな脳天気な子が、
「トイレにいきた〜い〜」と変な鼻歌を歌っているような
くだらない楽しさがあればいい気がします。

帰りには、母が家庭菜園で作った野菜を
たくさん持たされたよ。
よかったら、今度鍋でもしようね。



それから、
大阪に勤めているおーちゃんが帰って来るというので、
チエコと私と3人で、大宮で再会しました。

仕事がどうしたとか
彼氏がどうしたとか、
くだらない話ばかりなのは
高校時代と何も変わっていなくて
ミニスカートにルーズソックスだったあのころから
時間は止まったままなのに
私たちはいつの間にか23歳になっていて
出会った17歳からは
5年も経過しているという
どうしようもない事実だけが、ただ、あるのです。

おーちゃんやチエコに会っていつも思うのは、
私たちが変わらないことは、
悪いことじゃないかもしれない、ということ。

あの2年6組の窓際で、
吉本ばななと『ガラスの仮面』を回し読みしたことがふと頭をよぎる。
お弁当の時間になっても席を動かずに
もくもくとページを繰っていた私を、
受け入れてくれる人たちがいた。

そういう喜びをかみしめて、
また世知がない社会でも
しゃーないやっていこうかしらと笑顔で別れるのです。



夜は、引っ越し準備中の友人宅に、
大量の音楽雑誌を取りに行きました。
良い機会だから捨ててしまうというのを
もったいないのでもらってくることにしたのです。

部屋中にうずたかく積まれた『ロッキング・オン』『スヌーザー』、
『バズ』『ミュージック・マガジン』……。

山から数冊を拾い出し、
若いミュージシャンたちの写真を見ては
「ああスーパーカーのミキちゃんかわいいね」だとか
「ここから編集長が鹿野さんになってる」などと話した。
そのうちに友人が
「俺、よく捨てたよ。うん。俺、変われるかも!」と
ロック少年みたいなことを言い出すのを聞いて、
大笑いをしました。

大学時代の私はあなたから色々音楽を教わって、
それがあんまり今までの自分が知っていた音楽と違っていたことに
本当にびっくりしたものです。
だから、
あなたが教えてくれた『ロッキング・オン』みたいな
雑誌は私の大学時代そのものであり、
いいね、と言ってヘビーローテーションで流した曲もあれば
よく分からなくて適当に話を合わせた歌もあったけれど
どちらも大切な思い出であることに変わりはないのです。



なんだかこうして見ると
思い出の話ばかりですね。
後ろ向きな話は嫌いかしら。
だとしたらごめんね。



思い出に心が震えるのは、
その時はなんとも思わなかった普通の風景が
愛しいものとして自分の心に宿っていることに、
気付いた時です。

あなたには、そういう風景が
ありますか、ねえ、王子様。

こんなに長い手紙を書いて、
まとまりも名言もなんにもなしのまま出すのは、
つまり、
恥ずかしいからです。



好きです。
涙が出て、ひくひくして、かわいくない感じに好きです。
チョコを同封します。
鼻血でもだしやがれ。

かしこ



2005年02月12日(土) マスト!

友人サイトを新しく発見。
おせじぬきで面白いのでみるべし。
近々リンク貼ります。

pop a shutter
と、
カドマエブログ



2005年02月11日(金) モーターサイクル・ダイアリーズ




恵比寿ガーデンプレイスで、『モーターサイクル・ダイアリーズ』を見た。3連休の1日目のせいか、ほとんど満席だった。けっこう一人で来ている人が多くて、別にだからなんだってわけではないけど、少しうれしくなった。最近「勉強しよう」ということではなく、素直に映画が好きだなあと思う。

映画館に行って、チケットを買って、席に座って、息をのんで幕が開くのを待って、予告編を見て、また息をのんで、泣いたり笑ったり、寝たりする。幕が下りて、物語の余韻が残ったまま町を歩く。そういう一連の行為が、とてもいいなと思う。

『モーターサイクル・ダイアリーズ』を見ていたら、南米に行きたくなった。インカ帝国の都、クスコの石畳を見てみたい。ぜんそくで苦しむエルネスト・ゲバラに、ベトナム旅行のときの、食中毒になった自分を重ねた。リュックひとつで、すべてを忘れてどこかに逃げたい。どこまで行っても同じことは知っている。でも、同じ同心円の中のディティールは予想できないことも、知っている。

(写真は主演のガエル・ガルシア・ベルナル。やばいね。こういう顔にすっかりはまってしまうようになったよ。次回作は、ペドロ・アルモドバルの『バッド・エデュケーション』だそう)

ある男の子に最近見た映画について話していたら、「バナナさんは仕事もプライベートも充実していていいね」と言われた。彼は何年も同じ彼女と暮らしている。なんだかんだあるそうだけれど、なんだかんだ言って幸せそうだ。

そんな充実どうでもいいからご飯いっしょに食べてくれる人が欲しいって言ってるじゃん。あなたは私がラジオ深夜便聞いて「たらたったらったらーたらたったらたらー」と鼻歌歌ってお茶飲んで新聞広げながら、「へえ、parisに留学した日本人女性がたくさんがうつになってるのねえ」とひとりごとをつぶやいているときに、ひとつのおふとんに二人で入ってにゃごにゃごしてるんでしょ? 「今日はなにがあったのにゃご」「仕事で失敗しちゃったにゃご」「大丈夫だよ失敗してる君もとってもすてきさ。かわいいよにゃご」「私はだめなにんげんなのよにゃご。それでもいいの?」「そんな君がいいんだよにゃご」とピロートークしてるんでしょ? どっちが充実してるかなんてそんなの明白じゃない。きー。

と思いながら「はあ、充実ねえ」と相槌を打っておいたよ。やれやれ。



2005年02月07日(月) 1月のまとめ

1か月ごとに反省をメモしていくことにする。

1月に見た映画
『マイ・ボディガード』
『レイクサイド・マーダーケース』
『ベルリンフィルと子どもたち』

1月に行った展覧会
デュシャン展
金子みみすず展
森山新宿荒木展

1月に読んだ本
書くのが面倒くさい
圧倒的に『苦海浄土』がよかった

1月の恋
ラブリーと和解を試みる→うやむや
合コン0回
彼氏はできず

よかった点
石牟礼道子の本に出会えた

悪かった点
早起きができなかった



2005年02月06日(日) 福山雅治の誕生日

土曜日、日曜日とごぶさたしていた友人と会った。最近あんまり人に対してかっこつけなくなったと思う。もっとおしゃれとかダイエットとかしたほうがいいのかもしれないけど、あんまり興味がもてないなあ。好きな納豆食べて、好きなラジオ深夜便聞いて、好きな文章書いて、好きな町蔵先生を応援して、ほげほげ生きていきたいんだよねー。あんまり波風立てずにねー。でも彼氏は欲しいなー。優しくて気取ってなくて、お仕事終わった後に私が作ったごはん「大丈夫これー?」とか文句言いながら食べてくれる人がいいなー。

『情熱大陸』がsu-suだった。『BRUTUS』の撮影風景。PRADAとmiumiuの撮影って、組み合わせ決められてるんだー、とか、海外ロケしまくってどんだけお金あるんだろうこの雑誌、とか、色々勉強になりました。

夜、メールをしていてラブリーがまだこのサイトを見てくれていることが発覚。もう飽きられたと思っていたのでとても嬉しい。夜中にデブ泣き。

あと、ベックがかっこよすぎて眠れません。




2005年02月01日(火) メモ

深夜につらつらとメモ(ほとんど考えず書いている)



■最近読んだ本とか

角田光代の『対岸の彼女』を読んだ。とてもよかった。(勝手に)フィクションを書くなら、この人みたいなことをやっていけたらいいなあと思った。それは私がここ5年ほどで、タブーとして言葉に全く出さなかった種類の、自分の本質に関わるような弱さ、汚さ、恐怖についてである。

角田光代は私に似ている。と勝手に思う。「文学賞がとれなかった時、自分はここが悪いんだ、と考えてさらに自分の内面を凝視した」というところや、「話してもうまく言えないことも、書けば伝えられる」(ともに『文藝』のインタビューより)と信じているところ。

村上春樹の「僕らはどこにも行けない」という感覚が、なんとなく分かっても実感できなかったのとは対照的に、角田氏のそれは具体的体験をフラッシュバックさせる「行き場のなさ」であった。

と、そんなことを考えていたら今読んでいる中俣暁生『極西文学論』に村上春樹の「どこにも行けない感じ」について解説してあって、非常に興味深い。



■棒読み

土曜日にかどちんの家で鍋をした時、最近友だちになる男の子について考えてみた。するとみんな「セリフが棒読みで、心がない人たち」だという共通項を見つける。さらに立ち止まって考えてみたところ、私はおそらくそういう性格の悪さを内包している人たちが、誤解を恐れずに言うと「好み」なんだろうな、と思った。

あれだけ、好きだった人に気持ち悪いことを言い続けた末に何だけど、普段の生活なんて、上滑りで実用的な(これは大事だ)会話の連続だけがあればよくて、本当のところ私は私の生活に入ってきて欲しくないのかもしれない。

入ってきて私の生活をめちゃめちゃにして、殴って、汚い言葉をはいて欲しいのは、町田先生だけなのかもしれない。なんてすぐ忘れることだけど。



■仕事

アルバイトさんの取材で、映画館のスタッフさんに会う。またひとつ、いい話を聞いた。仕事中、あるおじいさんに図書館までの道を聞かれ、歩いて案内してあげた。そうしたら後日、「お礼に映画を」とわざわざ彼に会いに来てくれたのだという。こういう生活の細部を教えてもらった瞬間は、仕事を忘れて本当に鳥肌が立つ。



■だからこんなにきれいなものを

深夜、あゆみブックスから早稲田通りを歩いていると、妙な安心感が体を覆う。同時に、「結局あなたはこの思い出から抜け出せないのよ」と言われている気分にもなる。あの日の私の気持ちが甦る。例えば、学食に走る秋の昼下がり。夏目坂のデニーズでおそばを頼んだ深夜。きっとそれは、どこにも行けない私が行くことを欲する、どこでもない場所なのだろう。ぼんやり空を眺めた。穴八幡の斜め上に、丸い月が見えた。


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