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2003年01月30日(木)

■就職活動で三題噺とかショートストーリーを書かされるのだが、
あれは考えている時間が本当に快感。(良し悪しはまた、別問題ね)
妄想の中だけで話を作れるというのは楽しい。
作文よりずっと自由だ。

どんなに退屈で筋のない話でも、
フィクションを書くというのは結構ストレス解消になるのではないかと思う。
小説を書く人の気持ちが少し分かった。
日記は自分と向き合う作業だし、レビューは誰かに伝わらないと意味がないから結構きつい。



■池沢夏樹「イラクの小さな橋を渡って」(光文社)を読んだ。
いかにも緊急、という感じで薄い本だけれど
戦争の前に出したことに意味があると思う。

イラクを訪れ、町を歩き、普通の人々に会った、それだけのルポ。
爆弾が投下されたら死ぬかもしれない一般市民が一体どんな風に
生きているのかを伝えてくれる。

個人的にひとつ違和感があったのは
「実に明るい人たちだ、しかも恐ろしく親切」という一節。
(それが事実だったというのは分かるのだが)
例えばイラクの人が極悪人で、
日本で犯罪を犯していたとしても、
彼らの国に爆弾を落とす理由はない。



■予告
明日から作文10本書きたいと思います。
最近(松尾スズキ的に言う)「駄日記」しか書けていなかったから、
少し気合い入れます。



2003年01月29日(水) 垂れ流し気味を許して

ああ、嫌なものを見た。

自分より綺麗なもののところにわらわらと
手放しで群がっていくちょっとだけ綺麗な女の浅ましさ。

ああた、そこには追いつけないってことを知りなさいよ。

可愛い女の子が好き!とかいう不思議少女は一体何を考えているのかしらね。
私は男の子が好き。




嘘です、ごめんなさい。
私もスッチーになりたいとか、少し思ってます。
おやすみ。(寝ないけど)



2003年01月26日(日)

ああ王子様、あなたにあんな繊細なふりの手紙を書いておきながら、
私本当は凄くストレスが溜まってイライラしたりするの。

ごめんね。

いっそ手紙日記にしたらどんなに楽かと思うよ。
「疲れた、だめだ」とかあなたに向けて書けたらね。

■ベックとママレイドラグのアルバムを買う。
ベックで涙。
ひくひくと泣きながら
「言葉も通じないのに音楽って凄いなあ」と
小学生の作文が頭に浮かんだ。

とてもとても、自分の内面におりていくことで
外側への力を獲得するとか、
そんな台詞は浮かばなかった。
ロッキンオンの締めきり迫る。



■「ああ、あれは向こうの庭にいるとらねことぶち猫夫婦の子供なんだよ」

大好きな先輩と御飯を食べた帰り道、
彼女は学校の花壇に猫を見つけると、嬉しそうに近づいていった。

猫が好きな人というのは
どんなに端っこに丸まっているのでもすぐに分かるらしい。
私のように動物に興味がないと、見のがして通り過ぎる隙間だ。



「あのぶちには兄弟が五匹いたんだけど、
愛想が悪い子は人間にえさをもらえないから死んじゃったの。
今はあの子と、孤高のとらねこの二匹だけ。
縄張り争いで勝ったから、あんな日なたのいいとこをとってるんだ。」
・・・
延々語られる猫代々の物語。
へえ。まるでドラマの世界だな。
「良く見てるねえ。
普通のひと毎日学校来ててもそんなの知らないって。
先輩それ合コンで言ったら、かわいいってもてるよ。」

「私もあなたみたいに考えられたら、少しは生きやすくなるのかもねえ。」

本気でアドバイスしたのに大笑いされた。

「この話、友達に言っても
『ああまた猫?はいはい』って相手にされないから
ずっと胸にしまってたのよ、全部話したのあなたが初めてだ。
こんなの面白がる人なかなかいないから。」

久しぶりに、相性がいいとはこういうことをいうのだろうと実感出来た人間関係だった。



話を聞いてもらうのがこの世の喜びだっていう誰かが
与えてくれたあらゆる話題のかわりに何かを受け取る欲を消し去ってくれたら。
誰にも聞いてもらえないくだらないことを、
心の奥にしまって眠りについてしまった誰かがベッドから出てきてくれたら。
私はもっと生きやすくなるのだろうか。

私は面白いと思ったものに「面白い」と、
かっこいいと思ったあなたに「かっこいい」と心から言うだけだ。
それが貴重がられたり、
重いと言われたりするけど、
本心だから変えようがない。



だからほとんどの場面では、嘘を吐く。



■池澤夏樹がイランの普通の家族を取材した本を出版するという。(新聞より)
彼らは戦争になったら被害を受けると予想される人々だ。

想像する、という行為は時に残酷だ。
しかしなんと有効な提案を、この人はしてくれたのか。
是非読みたい。




2003年01月25日(土) 「無い物頂戴なんて憤っている幼児同様」(椎名林檎)

王子様。

拝啓

埼玉は雪が降りました。
外出しない言い訳にはなったけれど、
良かったのか悪かったのか。

あなたのおうちのほうは、雨ですんだのかしら。

お元気そうで何より。
また手紙。ごめんなさい。
日記をちゃんと書けって、怒るかしら。
でもあなたという存在のおかげで、私はどれだけ助かっていることか。

椎名林檎の新曲が発売になり、
早速買ってリピートしています。
彼女の表現というのは、繊細であると同時にどこか滑稽で
笑ってしまうような所があり、
私はそこを愛しています。
(本当はこんな曖昧なレトリックで逃げたくないんだ。
もっときちんと伝えられたら、といつも思う。)

エンターテイメント?と呼んでいいのかな。
松尾さんの表現と、どこか重なる部分があると感じています。

「表現」。
偉そうな言葉を使いましたが
正直私に林檎ちゃんの表現が理解できているのかなんて
分かりません。
この前音楽的権威のお友達と話していたら、
むしろすっかり誤解をしていたことを思い知らされて
なんだか悲しくなりました。

私の意見「椎名某(本当の自分)と椎名林檎の表現を同一視されるのが嫌だったから」

友の意見「自分はこれじゃあーっ!ていう排泄物みたいな物が出なくなったから」

なにはともあれ新曲は良かったわよ。
あなたならきっと気に入るわ。
お勧めしておきます。



先日、大宅壮一文庫に初めて足を運びました。
日本唯一の雑誌図書館。
あらゆる雑誌のバックナンバーが揃っていて、
非常に快適でした。

本に囲まれている空間の、
あの上品さって何でしょうね。
至福の時です。
「海辺のカフカ」に大島さんが勤める図書館が出て来るじゃない?
ああいうところで人生の時を送れたらどんなに素敵かしら。

帰りに映画を見て帰ってきたんだ、と友達に話したら
「一人で居る時間の使い方が上手だね」といわれました。
そうかしら。
そうかもしれないけれど。

あなたと行ったらもっと楽しいかもしれない。
帰りにどこかの喫茶店で
映画の感想を話し合うとか。

嘘。
手紙だけでも満足よ。
その方がいいって、知っているのにね。
すぐに欲が出るわ。
俗にまみれずに、生きていたいとか言うくせに。

今日は書きすぎました。
書きすぎる、喋りすぎる、
踏み込みすぎる、
どれもいいことはないわ。



インフルエンザがはやっていると聞きます。
お体に気を付けて。
私はロッキンオンの作文を書きます。
拙い文章でごめんなさい。


かしこ


追伸
しまづくんのサイトが再開したそうです。
是非どうぞ。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/3541/



2003年01月23日(木)

友達の男の子が怒って電話をかけてきて、
「俺の代わりにウェブに書いてくれ!」って。

ビートルズの有名なCD、
「アビーロード」のジャケット(横断歩道を渡っているやつ)が
差し替えられるという。
なぜか?
ポールマッカートニーが写真でたばこを吸っているから。

ある喫煙に反対する社会団体がレコード会社に圧力をかけたのだという。

なんだこの社会は。
千代田区なんて可愛いもんだった。
ビートルズでやるならどこのジャケも差し替えになるよ。
ラルクのギター(ベース?演奏中にタバコすってる人)なんて首になるかも。
こんなやり方をするなら
タバコを一本400万円にしやがれ。
畜生。

というのが彼の意見だった。

みなさんはどうお考えでしょうか。



2003年01月22日(水) 続 どこかの星の王子様へ。

拝啓

夜の雨は寒いですね。
今日は渋谷で降られて傘もなく、
足が凍りそうでした。

お元気ですか。
疲れたら、あなたにお手紙を書くことにしています。

就職活動の自己PR完成が佳境に入ってきました。
毎日、人に相談をしていると
これでもかと言うくらいのだめ出しを食らいます。
人生二回ぶんくらい、「それは自己PRにならない」
「何を言っているのか分からない」と言われます。

私はもともとほめられて育つタイプですから
辛くて仕方ありません。
それでも相談し続けるのは、まだ何かを得られると
どこかで期待しているからでしょう。
慣れと言うのは恐ろしいもので、
だんだん涙も出なくなります。
こうして人は強くなるのかと、少し思います。

池澤夏樹「スティルライフ」を読みました。
その中に、星、遠方を見ている彼が僕にとっての彼で、
株をやっている実務的な姿に違和感を覚えた
というような内容の一節があって、私もこういう気持ちに
よくなるなあと思いました。

いつも、星を見ている人が好きです。
自分もそうありたいと思います。
私は私の、カナダでメープルシロップ農場員になる計画を
ばかにしないで聞いてくれる人が好きなんだ。

きれいごとでしょうか。
きっと、きれいごとね。



こういう手紙ならいくらだって長く書けるのです。
何の役にも立たないけれど。
ではまた。

かしこ



2003年01月19日(日) 羅列。

■加藤晴ちゃん(なぜか馴れ馴れしい)主演の「AIKI」を見てきた。
「人生はうんこだ、でっかくて蠅がとまってるうんこの中でみんな生きてんだよ。」
「そうかもね。でもたのしけりゃうんこまみれでもいいじゃん。」

ところどころ安いけど、いい映画だった。

うんこといえば、村上春樹の「ねじまき鳥〜」で
猿がした糞が肥料になって糞の木が育ち、その糞の実を猿が食べ、
又糞をして・・・っていう悪循環の話が出てきたのを思い出した。

高校生の時に片思いをしていた男の子が
もう「世界は腐ってるんだ」って絶望いっぱいで電話をかけてきて
この人死んだらどうしようと何度も思った。
私が村上春樹に少しも共感できなかった頃。

余談だが、「映画を見に行く」と言ったら数人に(母含)
「デート楽しんでね」と言われた。
え、ひとりだけど。

■素敵だと思う人に、心の一冊を聞いたら
つげ義春「無能の人」だというので読んでみる。

有名なので御存じの方も多いと思うけど、
私は今まで知らなくてショックが大きかった。
初めてねじまき鳥の話(上記)を聞いた時くらいショック。

私はここまで絶望しきれない。

ちなみに私の心の一冊は、松尾スズキの「大人失格」だ。
20歳の秋に、この人の本に出会っていなかったら
私の人生はおそらく変わっていた。(なんか綺麗にまとめ過ぎ)

それにしても素敵な人のお薦めだと数時間で読破でき、
松尾さん著の本なら何冊でも買ってしまうこの
「盲目力」をどこかに生かせないものか。

有効利用したら凄い力になりそうだな。



2003年01月18日(土) 連載第3回 

実を言うと、「考える人」を読み込んでいないがために紹介できる段階に至らず、
時間を稼いでだらだらしていました。

もう完璧主義を目指しても仕方がないので
現段階で自分が思ったことだけかくことにします。

第3回
考える人(新潮社)
1400円
季刊(年四回発売)

"Plain Living, High Thinking シンプルな暮らし、自分の頭で考える力"
イギリスのロマン派詩人、ワーズワスの言葉をコンセプトして
昨年の五月に創刊された。

売れているという。

9.11のテロが起こった時に
まわりの人たちが「やっぱりアメリカはやられたね」
と言っているのを聞いて、
私は何のことだか全く分からなかった。

あれだけ大きなビルに飛行機が激突するまで
私は世界の複雑な絡み合いや不平等に何も気がつかず、のうのうと暮らしていたのだ。

あの時だ、もう可愛いとか可愛くないとかどうでもいいから
自分の頭で考えられるようなりたい、
自分の中に何か一本芯が欲しいと
心底思ったのは。



今年の1月4日に発売された最新号は、
映画監督、伊丹十三のエッセイを特集していた。

「私は役に立つことをいろいろと知っている。
そうしてその役に立つことを普及もしている。
がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。
私自身はーーほとんど全く無内容な、空っぽの容れ物に過ぎない。」
(中略)
伊丹十三がひたすら本を読み続け、人の話を聞き、学び続けたのは、
このような自己認識に駆り立てられてのことだったのかもしれない。
(「考える人」創刊3号より)

伊丹十三が無内容であったとは思えないが、
空っぽの容れ物だからこそ出来ることというのを
考えていきたいと私は思う。
こんなことをここで言っても仕方がないけれど
私はむしろ「容れ物としてやっていく自分」さえ肯定できていない。

外枠だけというのはあまりにも受動的ではないか?
容れ物自体の魅力は、一体どこにあるのだろうか?
そう悩んでいくと、伊丹十三の開き直りにみえる態度が
いかに難しいことであったかを思い知らされる。

「考える人」はそういう意味で、
明確な意志を持った容れ物である。
理想的な形である。

豪華な執筆陣が人気の理由であることは間違いないけれど
自分の頭で考えよう、という一点をいつも読者に呼びかけてくる。
その軸がぶれることがない。

シンプルでいることは、非常に難しいといつも書いてきた。
悩んだ末に「動物のように生きたい」そういう人がまわりに増えた。

ぐちゃぐちゃと理屈をこね回し続けることは
非常に面倒で、
大した生産性がなかったとしても。
それを言うこと自体が
生産性を前提にした文脈であり、シンプルからかけ離れたところにあるとしても。

relaxを読んでカフェを巡り
毎日を丁寧に暮らす生活からもう一歩先へ。
行けたらいいなあ、でもなかなか難しいなあと思いながら
「おまえの言っていることは分からない」のだめ出しにも負けず
今日も「考える人」を鞄に入れて出かける私なのであった。

(もう一度書き直します)



2003年01月17日(金) 遠いところへ逆戻り。

「メメント」という映画を突然思い出した。

"fuck you!"と怒鳴られた数分後、そのことを全て忘れて
目の前にいる女に「君の名前は?」と尋ねる主人公。

「物語」をすっかり排除したところに
単発単発で存在していたい。
昨日の私と今日の私は何の脈絡もなく、
ただその場その場の自分は自由で。

目の前のものをただ処理する。
処理する、処理する、処理する・・・。

そういう世界がいい。
前頭葉をかち割りたい。

ごめん、明日はちゃんと書く。



2003年01月16日(木) 思ったままを書くとエンターテイメントにならない私の文章。

久しぶりに非常に尊敬している方とお会いした。

私が言うのも失礼な話だが、
人間的に成長しているなあということがはっきり分かった。
開き直って自分を肯定できている人というのは輝いている。
自己嫌悪と共に、嫉妬に近い気持ちを抱いた。

私は一年前、二年前と少しずつでも変わっているのだろうか。
とても不安になる。

「本当に思っていることをエンターテイメントにして書け」
その言葉が印象に残った。

松尾スズキのことを思い出した。
彼の本を読んでいると
「私の表現は誤解されてる!」と
ぐだぐだ言っている椎名林檎が幼く見えてくる。

身を削って絞り出す表現というのは
もう沢山だという気もする。
しかし一方で
身を削るからこそ美しく、儚く、心に響くのが
椎名林檎の表現なのだと私は思っているので
彼女にはそれを貫いて欲しいという気持ちもある。

レコファンで新曲のCDを予約し、
変わるんだ、と決意した帰り道であった。



2003年01月15日(水) 新しいだめの発掘

「連載は、連ねて載せると書くんだよ」
と、だめ出しを受けながらも
負けずに違う話題を書きます。

やほほ。(おおブレネリ)



強い男と弱い男、どちらが好きかと問われたならば
私は瞬時に「弱い男」と答えよう。

弱い男はいい。

謙虚だ。
優しい。
品がある。
腰が低い。
本が好きだ。
「料理、手伝うよ」と協力的に違いない。
真夜中に膝を抱えて泣いてる。
合コンでブスにも優しい。
伏し目がちに、「本当の愛なんてないけど。。。一緒にいたいよ。。。。」
とか言ってくれそうだ。
   ・
   ・
   ・
妄想も入ってきたので止めておくとして。
そうだ。大河ドラマ「武蔵MUSASHI」が、どうもいけない。

ここのところNHKを褒めてばかりいた私だが、
今日の二週目はさすがに見るに耐えなかったため、書かせて頂く。

おりしも不況の2003年である。
行き止まりである。
デッドエンドである。
いいことなんて無さそうである。
就職は氷河期でアナの内定は高橋秀樹の娘のマーヤにとられて、
雑誌には「うつですか?」という文字が並ぶ、
年の初めである。

そんな時に、「一度も負けたことのない男の話」を
週1で流すなんて。
毎回のサブタイトルに「!」がつくからね。
つらいよ!
「俺は強い!」って!!
弱い男なら
「俺は弱いけど弱いなんて言葉に出したらそれは嘘になるし、
ということを言葉に出している時点で救いを求めているだけだし、
と言いきれる自分は本当は弱いのかどうかなど分からないが
それは逃げで。」
となる筈だ。

市川新之助、ぶっちゃけもろ好みだけど
あんなにいつも「うわあああああああ!!!!」とか
「お通うううううう!!!!」とか言われてもね。
リストラされたおじさん見ないよ。

唯一救いなのが
ドラマの中で一人だけ弱い、又八(堤真一)だ。
情けないのはいい。
「百戦百勝」は息苦しいが、「百戦百敗」は笑える。

まあ日本人が一番好きなのは、
「百戦九十九敗、最後に一勝」だろうけど。(忠臣蔵とか、プロジェクトXとか)

・・・そんな理由から
だめんずうぉ〜か〜で有名なれいこさんだが、
最近新しいだめ男を発見。

町田康の小説の男たちだ。
彼はオリーブにでるほどかっこいいのに、
こんなだめだめ小説を書いていたのか。
「くっすん大黒」を読んで思った。
雰囲気が松尾スズキの文章と似ている。

非常に、面白いです。
だめはやっぱり、笑えるのです。
そして笑いが、世界を救うのです。
やほほ、も彼のぱくりです。


やほほ。



2003年01月12日(日) ”くる”雑誌でうらなう2003年 連載第二回

前回は反響をどうも有り難うございました。
一応、一回で終わらせるわけにもいかず、
おそらく二回で終わらせるわけにもいかないので
あと数回は、ずるずる続いていくのでしょう。

こちらも昨年創刊された新しい雑誌です。
TEREPALをTEREPAL f とテレビサライに分けたのは
功を奏している、と個人的には考えます。
(実際の売り上げは調べていません。申し訳ない。)



第二回
テレビサライ東版(小学館)
西版もあり
毎月26日発売・500円(税込)
A4版
発行部数はデータがないため不明
(旧TEREPALは60.0万部 角川書店・月刊ザ・テレビジョンは120.0万部)



私たちが中学時代に全盛だった「プチセブン」という雑誌が
少し前に休刊して、PSというティーンズファッション誌が登場した。

これが、いけない。
よく読んではいないけど、とにかくいけない。

なぜ読んでいないか、って
ファッション誌のくせに表紙のデザインが野暮ったすぎるからである。
中島美嘉もいけない。
なんとなーく、安い。

「表紙が野暮ったい」という
どうしようもない理由で、私のように本を開かない読者が沢山居る。
と、私は思う。

何を隠そう初めて私がSTUDIO VOICEを買った理由は
「何となくかっこいいから、何となくサブカルっぽいから」
である。
どうしようもない。
なんとなく緒川たまきが○で中島美嘉が×、これと一緒だ。

根拠も何もないのに、私みたいなあほ読者は
雑誌も見た目で判断するしかないのだ。

といったようなことは
前回の「暮らしの手帖」の回にも書いた。



で、テレビサライである。
PSと同じ、小学館の雑誌だ。

ここまで悪口を散々書いておきながらなんであるが
私は、小学館という出版社が大好きである。
よく読んでみると、本当に良くできている雑誌が多い。
最近は、PSももしかしたら
よく読んでみればいい雑誌なのかもしれないとさえ思う。
(買わないけど)

「美人は三日で飽きる」というではないか。
深く付き合っていくほどに良さが分かってくる人のほうが
本質的に魅力あり、という事実は明白だ。
そう、大切なのは何でもきちんと○○することなのである。

私はテレビには”よく見れば、まだ見るべき番組”が残っている
ということを
テレビサライに教えてもらった。

(というか、必死でその「残っている部分」を探さないといけないくらい
つまらないんだよね、最近のテレビ。
しかし、大学三年生になった途端
テレビ局に入ることはものすごいステイタスだとされる。
不思議な世の中だなあ。)

この雑誌がターゲットとするのは、
言うまでもなくサライ読者、定年後のお金持ち老夫婦である。
彼らが大好きな番組は?
そう、「プロジェクトX」に決まっている。

テレビサライはプロジェクトXの手法で
テレビを切っていく。
振り返ったり、裏側をのぞくことで
番組の奥行きは一気に増す。

開局50年にあたり黒柳徹子に当時の裏話を聞く。
宮本武蔵のストーリーから
今を見てみようと提案する。

かつての日本にあって、今の日本にないものを
私は知らない。
「昔の映画は良かった、トットちゃんがもう一度見られたら」と
この本を回顧録のように使うつもりもない。

ただ、見逃すはずだったテレビにフックを与えてくれるという点で
素晴らしいと感じるのだ。
”きっかけは○○”というどこかのテレビ局の
宣伝文句があったが、
正直きっかけにしてみよう、そのために見てみようと思える番組さえ
今までの私にはなかった。

きっかけをくれたのは、雑誌だった。

テレビで地球の果てをめぐり、
めぐった気になり、さらには本当にめぐってみようかという気にさせる。
紀行番組をひたすら集め、さらにはツアーまでつける、
金持ち小学館の心意気が好きだ。


掘り起こせばあったのだ、面白いことはこんなにも。


幸い、プロジェクトX世代の読者は、
表紙のデザインなどで本を判断しなそうである。
(テレビサライのデザイン結構好きだけど。字も大きくて良心的だし)

きちんとしたものを作れば、きちんと売れるという
小学館に追い風となる素晴らしい時代なのかもしれない、今は。



2003年01月08日(水) 全部事実だと思って読まれないことを前提としてる。

「連載」という言葉の持つ重みを実感する。
続けなきゃ・・・と思うと他のことが書きたくなるのね。
第二回はまた後日。
ごめんにゃんにゃん。(ぶりっこで逃げ)



■昨日買った本二冊をほぼ一日で読破。
松尾スズキ「ギリギリデイズ」「第3の役立たず」。

あぁた、(歌舞伎風の松尾さんの、まね)明日天下の小学館に
エントリーシート取りに行くんでしょう?
もうちょっと自己PRに使えるようなのを買いなさいよ。

ね。
それにしても素晴らしかった。
日記にまで、鬱と正気(でいようという心がけ)が共存している人というのは気持ちがいい。
不思議君
(=芸術家肌、変わってるって言われるんです〜オーラ、私って変〜?)
は嫌いだ。

うわ、また嫌いとか書いてるよ。
最近悪口が多くて駄目だ。
うそ。ごめんなさい。
不思議でもDJやってても全然いいと思います。
ありかなしかって、ありに入ります。



*****
あれなんですね、
この事件<’99の、ライフスペースのミイラ騒動の頃の日記>は、
人間は「同じ日本に生まれていながらここまでわかりあえない生き物なんだ」
というあっけらかんとした真実をさわやかに提出しましたね。
風刺漫画ののりで。
逆に言うとライフスペース側にしてみりゃ、なんだ、
「死んでるものを生きてる」とまで信じ込ませることに成功したわけだから
「どんなことでもわかりあえる」ということを提示したわけで。

要するに「わかりあえること」も「わかりあえないこと」も
大した価値を生まない。等価なのだ、という
私の日頃の言い分を証明してくれたわけであります。

(松尾スズキ『ギリギリデイズ松尾スズキ日記’99〜’01』)

このくだりを読んで、甘い甘ーいおつき合いの記憶が甦った。

「ねえ、喋っても喋ってもあなたにとって私の言葉は意味をなさないの?」
と可愛らしく不安がる私を、
当時の彼氏は
「人間は『分かり合えないことを分かり合う』ことで分かり合えるって何かで読んだよ」
と文学的かつ(眠かったから)適当に慰めてくれたものだ。

ぷぷ。
分かり合うとか合わないとか、
意味のないことをぐだぐだ言ってたんだなあ。私。
恋愛って恐いね、あとから見ると気持ち悪くて吐きそうだ。
そんなこと考えてる暇に手の一つや二つつなげばいいのに。

以前、彼としばらくぶりに話したら、
「俺はセックスをするために女の子と付き合うんだ」と言っていた。

「セックス以外で人間は分かり合えるはずだ!」というのが
添い寝愛好家である私の、長い間の持論だったので、
その場は断固反対したのだが。

もう最近はそれがごくまっとうな、正直な気持ちのように思う。
彼のように生きられたらどんなに楽だろう。
”分かり合う”とか”意味”だとか、そんなものは
便所かどこかに投げ捨てて
次々に愛をはぐくむあなたが羨ましいよ。

(でもそれはそれで楽じゃないんだろうね。
松尾さん抗うつ剤と睡眠薬飲みまくってるからね。
奥さんと愛人共有してるらしいし。)



■甘い恋愛つながりでもう一つ。
昨日は旧友と再会し、彼女の
「年末に告白。返事はもらえていないけど仲は良くて
今は付き合っているのか微妙な状況、
でもすっきり。幸せ!」ばなしを聞いてきた。

彼女は自分から行動したのは、今回が初めてだったのだという。
本当に嬉しそうだった。

「西武新宿線の改札の前でね、帰ろうとするからいわなきゃと思って
腕を引き留めたの、ドラマみたいだった!」
と顔を赤らめる。

私はそれを見て、何の皮肉もなく
心底いいなあ、かわいいなあと思った。

「人間誰でも自分が一番大切でしょう?
あなたが一番好きなんてきれい事じゃん。
だから私は世界で二番目にあなたのことが好きですって言ったの。」

ああ、薄っぺらなせりふだ。
(上記の)私が昔吐いたのとどっこいどっこいだよ。
でも、目の前で聞いていると、こっちまで幸せになる。
そういう笑顔で彼女は言うのだ。

斜に構えている自分が、恥ずかしくなるような輝きなんだ。
「頑張ってね」
心から応援してしまう。
恋をしている女の子というのは、なんて素敵なのだろうと思う。
自分がそこからどれだけ遠ざかっていたかを思い知らされ、愕然とする。

”何?くっだらない話。どーでもいいよあんたの彼氏なんか、暇人。”
魚喃きりこ漫画の心の声なら、そう言うのかもしれない。

でも、
薄っぺらで、くだらなくて、どうでもいいのが恋愛じゃないだろうか。

そして人生ではどうでもいい部分こそが「美しい」のだし、
生きていく喜びになるのだと私は思う。

・・・と
うまくまとまったところで、
橋本治『人はなぜ「美しい」が分かるのか』(ちくま新書)はおすすめです。
はじめは何を言おうとしているか分からなかったけど、
第二章の清少納言「枕草子」と兼行「徒然草」の比較なんてもう、
目から鱗もの。
『桃尻語訳枕草子』も読まないわけにはいかなくなった。



2003年01月06日(月) ”くる”雑誌(勝手にわたくしめがそう決めた)でうらなう2003年 連載第一回(全何回かは不明)

人の悪口を書くものではないですね。
胸くそが悪くて、
結局今日も更新しないといけなくなってしまいました。
自業自得。

今日から数日間(あえてあやふや)は、2002年に創刊、またはリニューアルされた雑誌で
私が気に入っているものをご紹介します。
今年さらに大きく羽ばたくことを、願ってやみません。

   第一回
   暮らしの手帖(暮らしの手帖社)

   隔月刊・900円(税込) 
   A4判・176頁
   リニューアル第一号(301号)は
   11月25日発売
   発行部数 35.0万部(主婦の友36.0 婦人画報18.7)


300号保存版を母が「買ってきて」とうるさかったので
たまたま手に取り、初めて知った。
お恥ずかしいことですが。

「暮らしの手帖」は4世紀目に入ったという。
300号。
故・花森安治さんというのはなんと偉大な方だったのかと
保存版で再構成された創刊号からの軌跡を見て思った。
レイアウト、イラスト、デザイン、すべて自分でこなしたという。

装丁や雑誌のデザインで買うかどうかを決める
私のような”おしゃれっぽい層”がいる以上、
「見た目」が大切なのはいうまでもないことだ。

しかしそれを決めるのは編集者でもライターでもなくて
デザイナーだ。
というのを初めて知った時「えー」と結構素で驚いた。

デザインのセンスは悪いけれど素晴らしい本と、
その逆のもの(かっちょいいけど中身は空っぽ)って、
沢山あると私は思う。

すべてに納得して本を作るのには
一人でやるしかないのかもしれないと、この人の仕事を見て考えてしまった。

それにしても創刊時の執筆陣の豪華さには舌を巻く。
川端康成、幸田文、阿刀田高・・・凄い人脈だなあ。

さらに、(有名な話ですが)
広告をとらないそのいさぎよい姿勢!
「広告をとらないで、会社が成り立つのかなあ」と
本気で母と考えてしまった。
ということは広告部っていうのが会社に存在しないのか。
dentsuさんとの取引もないのか。

「丁寧に暮らす」という今年の目標は
実はここから頂いたもので、
私が生まれて21年でようやくたどり着いた理想の生活を
(そして最近relaxがおしゃれーに言いはじめたスローライフを)
この人たちは昭和23年(1948年)から考えていたのかと思うと
どうしようもなく気が遠くなる。

こんなに素晴らしい、いいなと思えるライフプランを提示されてもなお、
”他人がしない新しい発想”など
どうやってひねり出したらいいものかしらと新年から頭が痛くなった。



2003年01月04日(土) この嫌悪感は何だろう。

NHKのドキュメント、
「鬼束ちひろ・22歳の素顔」を見た。
テレビっこだな、私も。

正直、私はこの人が嫌いである。
恐いし。
暗いし。
トラウマしょってます!って言い過ぎだし。

「優等生だった」とか、
「陸上部だった」とか、なんとなく
私の経歴とかぶってるし。
向こうから見れば、そんな小市民沢山居るんだろうけど。
むしろそういう一見恵まれた経歴の背後にある
「理由なき孤独感」(ロッキンオンジャパン風)に
共感する人々が引きつけられるのだろうけど。

「こんなにも無力」「こんなにも醜いあたし」とか
堂々と言ってるのに駄目だしされないのはなんでよ?
そんなの知ってるよ、
知ってても言ったらいけないんじゃないの?

まあ、
結局私はこの人が羨ましいだけなんだろうな。
なんかんだいってJAPANに載ってるし、
なんだかんだいって可愛いよ。
負けです。
過剰な思い入れです。



印象的だったことが一つ。

私の大好きな林檎ちゃんが
「椎名林檎と椎名云々である私を一緒にしないで!」と言って
苦しんでいたのと対照的に、
彼女の歌は「彼女自身」から出てくるのだという。

ああ、ひさしぶりに人の悪口言ったら気分が悪い。
ファンのかた、居たらごめんなさい。
それは違う!って書いてください。



2003年01月03日(金) 紅白歌合戦

久しぶりに、実家のこたつで紅白を見た。
去年はバイトをしていたし、おととしはミレナリオを見ていた。

隣には父と母が居て、
机の上にはみかんがある。
絵に描いたような大晦日。

「多くの人が幸せだったこととそうでないことを実感するのが、
『紅白』が流れている時間帯ではないだろうか。」
朝日新聞のテレビ欄のコメントに共感する。

BEGINの『島人ぬ宝』を初めて聞いた。
とてもいい歌で、
ぽろぽろ泣いてしまった。
不思議な出会いだと思った。

毎年こうして一年が終わり、
新しい一年が始まる。
きっと6月頃には
今日の清々しい気持ちを忘れ、
文句を言ったりバカ騒ぎしたりしているのだろう。

それでもまた来年も、紅白は来る。
それぞれの歌手の一年があって、
中島みゆきの歌った場所--黒部ダムの、作業員さんたちの一年があって、
私にもいつ死ぬか分からない一年があるのだ。

それだけの、ことなのだ。
それだけのことの、ごく一瞬に、
テレビを見ながら私は泣いたのだ。



『島人ぬ宝』BEGIN

僕が生まれたこの島の空を 僕はどれくらい知っているんだろう
輝く星も 流れる雲も 名前を聞かれてもわからない
でも誰より 誰よりも知っている
哀しい時も 嬉しい時も 何度も見上げていたこの空を
教科書に書いてある事だけじゃわからない 
大切なものがきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝

僕が生まれたこの島の海を 僕はどれくらい知っているんだろう
汚れてくサンゴも 減っていく魚も どうしたらいいのかわからない
でも誰より 誰よりも知っている
砂にまみれて 波にゆられて 少しずつ変わっていくこの海を
テレビでは映せない ラジオでも流せない 
大切なものがきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝

僕が生まれたこの島の唄を 僕はどれくらい知っているんだろう
トゥバラーマも デンサー節も 言葉の意味さえわからない
でも誰より 誰よりも知っている 
祝いの夜も 祭りの朝も 何処からか聞こえてくるこの唄を
いつの日かこの島を離れてくその日まで 
大切なものをもっと深く知っていたい
それが島人ぬ宝


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