きまぐれがき
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2005年04月26日(火) 凍りつく惨事

JR脱線事故の大惨事を伝えるニュース画面を、飛行機事故で
身内や友人を亡くしている私としては、とても正視することが
できなかった。

安全性よりも定時性が優先されているというのが本当で、1分
そこそこの遅れを取り戻すためにあれだけ沢山の犠牲者を
だしてしまったのだったら、今回の事故は運転士の資質以前に、
JRの体質こそを問わなくてはならないのではと思えてくる。

亡くなられた方がたのご冥福をお祈りします。


2005年04月22日(金) おばあちゃまの口を塞げ!

「カナリアだけじゃなかったでしょ。」

前回の日記を読んでくれたのか、油壷夫人から早速電話がきた!
あの贋作を買った時、一緒にいたのだからなにか言ってくるとは
思っていたらやっぱりね。

ご指摘のとおりこちらもあの時に↓
それにしてもよく憶えていること。



話しているうちに、とうに忘れていたことも思い出させてくれた。
油壷夫人が
「絵にひけ目を感じるのなら(強調したくないが贋だということね)、
額縁を誂えちゃえば」
などと横からチグハグなことを言ってくれるので、
「はぁ?」
と思いながらもそのとおりにしたバカな私は、なんだか高額な額縁
を誂えるはめになったのだったと。

さらに、絵画にまつわるこんなことも。
私たちがまだ学生だった頃に、油壷夫人の自宅が絵画泥棒に襲わ
れ、壁に掛かっていた絵が何点も盗まれるということがあった。
油壷夫人宅の至宝はなんといっても、間違いなく本物の横山大観だ
と誰もが思っていた!
それなのに、その泥棒は横山大観を盗んでいかなかったのだ。
警察も妙な泥棒がいるもんだと不思議がった。

絵画泥棒が横山大観を盗まなかったことだけでも驚きなのに、
輪をかけてびっくりしたのが油壷夫人のおばあちゃまの
「廊下で泥棒とすれちがったのよ」
のさりげない言葉だった。
なんでも、夜中にトイレに行こうと廊下を歩いていると、向こうから
男がやってきた。
その男から
「こんばんは」
と、すれちがいざまに声をかけられたおばあちゃまは、てっきり
家族の誰かの友人が泊まっているのだろうと思い込んで、この時には
不信な感じを抱かなかったというのだ。

そういやぁ油壷夫人のママが保護司をされているとかで、刑務所から
出所してきた人が、職や住まいが見つかるまでの間泊まっていること
もあったよな。
「この人は尊属殺人で刑務所に入っていたの」
なんてやけに明るく紹介されても、かえす言葉がないもんだ;;

が、その夜は誰も泊ってはいなかった。
それでは暗闇ですれちがった男。。あれは泥棒だったのだと、翌朝の
てんやわんやの騒ぎの時に、はたっ!と気が付いたおばあちゃま。
遅すぎ!

「その男の顔は?土足のままだった?」
など警察や家族からいろいろ聴かれても
「だって、廊下の電気が切れていたし、玄関ホールの薄明かりだけが
頼りで、ほとんど闇にちかい廊下だもの、顔などわかるはずがないじゃ
ありませんか」
を通してきたおばあちゃまだったが、しばらくしてまたもやびっくり
発言をかましてくれた!

「あのこんばんはの声ね。○○さんの声に似ていたわ〜」
と、油壷夫人宅に出入りしている人間だったら誰でもが知っている男性
の名前をあげたからたまらない。
「迂闊なことを言わないで」
と、おばあちゃまはまわりからしばらく責められる日々が続いて、絵を
盗まれたことよりも、こちらの騒動の方が後を引いて大変だったのだそ
うだが、なんとも不可解な事件なのだった;;;





2005年04月14日(木) 鑑定してもらう?

友人の拘りが、いつの間にか私にも伝染して、さほど興味の
なかったエコール・ド・パリの画家たちの美術展に足を運ぶ
ようになって10数年が経つ。
この時代の画家たちの中で、心惹かれるのはキスリングと
藤田嗣治だ。

キスリングのミモザはすごい。
じっと眺めていると、花房が揺れる。花粉が飛び散りそうだ。
瑠璃色の小ぶりの花瓶から溢れそうになって、どうだ!見てくれ!
といわんばかりに咲き誇っている。
あまりの堂々とした様に、花瓶がひっくり返らないか不安になって
しまうほどだ。

藤田が描く「手」。
独特の乳白色よりも、私はこの「手」が気になる。
「藤田はどうしてダヴィンチが描く手の真似ばかりしてるの?」
と、何も知らない私は友に訊いてみた。
「その手に惚れていたからさ」
ああ、だから洗礼名をレオナールにしたというわけね。

そんな藤田を、多分真似したものだと思うけれど(謎だ。。)、
レプリカ、贋作。。なんとでも言ってぇ〜〜〜
欲しくてたまらなくて10数年前に買った木版「カナリアを抱いた
少女」。

やはりダヴィンチの手をしたこの少女との出逢いが、
「贋物を持つよりも、なにも持たないほうがはるかにいい」
のポリシーを、ついに捨てさせたのだ。但しこの時だけ。





2005年04月08日(金) 哀悼

ローマ教皇に最後のお別れ。

>主要八カ国で首脳級の参列がないのは、日本のみ。

これを受けてどこかのコメンテーターが言っていた。
「日本はキリスト教の国ではないですからね」

まぁ言いそうなことだ。
大方の日本人もそう思っているだろう。

これで思い出したのが、イスラエルのラビン首相が暗殺された時
のこと。
あの時の国葬にも各国の首脳がそろって参列した中、当時のG7
からは日本だけが外相だった。
日本の外務省の判断って、国際社会からズレまくっているのよね
と感じたけれど、さらにそりゃぁないだろうと呆れたのが、首相の
葬儀に参列しない理由だった。

その時の首相は誰だった?。。村山さんだ。
村山首相は記者に問われて、
「国会があるから」「ラビン首相とは、この間会って話したばかり
だから」と答えたのだ。

だから、その。。会って話したばかりの方が暗殺されたのですよ。。
が通じないのだから困ったものだ。。思い出したら、怒りたくなっ
てきた。

死者を悼むという心から、遠くかけ離れているような人がトップと
いうのも悲しいことだったが、外務省の甘々な判断なんていうのは
恥さらしもいいとこ。繰り返さないでほしいと願ってみても、むな
しいばかり。。



2005年04月07日(木) 桜の季節は

ここ関西の盆地でも桜がいっせいに開花♪
我が家の桜も、今年は世間と足並みをそろえて咲いてくれたでは
ないか!あのしょぼ桜め!可愛い奴め!(嬉)



義姉の形見にもらった電気自転車で坂道もスイスイ。
桜を見てまわっているうちに家からどんどん離れて、気が付けば
4駅先までの遠出。
田舎の駅と駅の間はとっても距離が長いのよ〜〜
ちょっと先は明日香じゃないの?

子供の頃は毛虫の巣窟としか思えなくて嫌いだった桜なのに、
今はこの季節になると、どうしてこんなにも浮かれた気分になる
のだろう。

無駄遣いがしたくなるし、お小遣いもはい!はい!とふるまって
しまいたくなるよなぁ。


2005年04月04日(月) ローマのパパさま

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が亡くなられた。

徳岡孝夫・訳の「法王暗殺」(デヴィッド・ヤロップ著)を読んだ時には、
精神世界に巣くう闇の部分のおぞましさにぞっとしながらも、人が集
まるところはそれがバチカンといえども同じなのだなぁと、極めて人間
的なものを感じたりしたものだ。

先日亡くなられた教皇の前の教皇ヨハネ・パウロ1世の死が就位33
日目というあまりにも突然なことだったために、その死をめぐって
いろいろと取り沙汰されたもののうちの一つにすぎないといえばそれ
までだが、バチカンの内部を知るうえでも興味深かった。
カトリック信者の徳岡孝夫氏の翻訳であるというところも。

この急死された教皇の後に選ばれたのが、2日に亡くなられたヨハネ・
パウロ2世。
教皇の故郷であるポーランドのワレサ率いる連帯の動きに、世界が
注目をしていた頃で、当時の新聞記事を読むと新教皇誕生が東欧の
民主化への布石になるのではとの見かたもあったようだ。

訪問先の国に飛行機から降り立つと、まずひざまずいて大地に接吻を
された姿が忘れられない。
来日された時のこともかすかに憶えているが、不謹慎にも教皇の追っ
かけシスターなんていうのが出現して、撮られた写真をいただいたり
した。

その写真、今でも大切に持っています。


ーーある幼稚園にてーー

パパさま、安らかにお眠り下さい。。



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