きまぐれがき
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2004年07月31日(土) 重慶からシチリアへ。アレトゥサの伝説

重慶で開催されているサッカーのアジア・カップでの日本チームへ
の酷過ぎるブーイングについてを、ネットのはしごで読み漁る。
だって日本のメディアは、何を遠慮しているのか詳しく伝えてない
ものね。

ついにジーコ監督は、中国人観客のマナーの悪さを批判してくれま
したよ。

「国歌の時にブーイングをするのはどうしても納得がいかない。
試合開始の笛が鳴ったらいくらしてもいいが (略)」

他国の国歌や国旗に敬意をはらうという、最も基本的なマナーさえ
なされていないなんて、2008年に北京で開催されるオリンピック
で全世界に知られたら恥ずかしくない?

本日も相も変らぬブーイングの中、たった今ヨルダンに勝ったぞ!!


このところシチリアに関心が向いてます。
昨年、家人がイタリアを旅する折には「シチリア?別に行かなくても
いいんじゃないの」なんて言っていたのに、この変りよう。
それというのもダーチャ・マライーニの「帰郷シチーリアへ」を読んだ
からなのだ。
今日はAmazonで「アレトゥサの伝説・地中海世界の十字路<シチリ
ア>の物語」という新刊本を注文してみたけれど、後になって著者が
柘植久慶だったのね、と気がついた。 この著者ちょっと苦手なのだ。

けれど本の紹介に、シチリアの2000年を越える歴史を、血沸き肉躍
る面白さで詳らかにしていく歴史読本とあったので届くのが楽しみ。
血に肉か。 おおギトギト。 胃痛ぶり返すかも。




2004年07月24日(土) エレクトラ

小まめといずみホールへ「エレクトラ」を観に行くことになっていた
のだが、昨日から母が体調を崩しているので私はお留守番。

「エレクトラ」といえば、大好きなデヴィッド・ルヴォー(またかい)演出
の舞台が強烈な印象を残して今も忘れられない。というか.........
舞台上で役者が叩き割ったワイン瓶から飛び散ったワインが、1番
前の席で観ていた私にものの見事にひっかかって、洋服をシミだら
けにしてくれたのだ〜
いやあそれもルヴォーの演出だと思えば、有難いことでした。(クリー
ニング大変でしたけど。なにしろワインとみせて、内容物はコーヒーに
オレンジジュースに他にももろもろを混ぜたものだったんですからね)

今回のは正確には「エレクトラ3部作」<アトレウス家の崩壊と再生>
第2話「エレクトラ」なのである。ふ〜
これが、パンフレットによると3人の俳優の朗読とコロス(合唱と踊り
を担当する数十人の集団)というギリシア時代の様式を、一人の
俳優、一人の歌手、一人のダンサーという様式に編みなおしての
上演に挑戦、とある。

昨年の1部を見ていない私としては、どんなだ?どんなだ?と興味
をそそられて、楽しみにしていた舞台でもあったのだ。
ついこの間ブラッド・ピットの「トロイ」を見たばかりの小まめは
「トロイと同じ時代の話でしょ。人物関係ごちゃごちゃしない。整理
できている」と自身満々で出かけていった。

帰宅した小まめが身振り手振りで話してくれたところによると、
おぉ〜私が望んでいた!そういう舞台が観たかった!そのもので
あるように思えて、また今回も逃しちゃったなと失意のどん底に陥
りがっくりうなだれてしまった。

「でさ、エレクトラのお母さんのクリュタイムネストラって、ヘレネの
お姉さんなんだよ」と言ってみたところ、「ほんま?」と以外な言葉
が返ってきた。
アナタさぁ「人物関係、整理できている」と豪語して出かけて行った
のではなかったの。


劇場で小まめの面倒をみてくださったNさん、Wさん有難うござい
ました。 小まめが「○ちゃん(私)のお友達ってなんであんなに
可愛くて、お姉さんみたいなんだろう」とつくづく申しておりました。
悪かったね、私は可愛くなくて婆さんみたいで。。。。。。。しゅん。




2004年07月23日(金) 程好さとは

あまりにもむさ苦しくなった庭木を見た植木屋さんが、台風が来る
前に刈ってしまったほうがいいと言うので、手入れを頼んだ。

くすの木の枝のかなりの高いところに登って、余分な枝を切り落と
している姿が、こんもりと茂った葉の隙間からチラリと見えるだけで、
あとはチョキンチョキンギーコギーコと刃の音だけが聴こえるのみの
数時間。
あまりにも葉が茂りすぎて、鳩やらスズメやらなんだか分らない鳥の
巣やらがいくつもかけてあったそうだ。


おやつに軽いサンドイッチでもと作りだしたところ、キュウリ、トマトは
厚切りだったし、たまごも厚焼きになってしまったし、そこに薄切り
ハムを何枚も重ねて缶詰の白アスパラをはさんだら、口を目一杯開
けても入りきれないようなぶ厚くて重たいサンドが出来上がった。

こんなサンドイッチを目の前に差し出されても困っちゃうだろうな。
植木屋さんは、パンの間から白アスパラを引きずり出して指先でつまみ、
考え深げにしばらく眺めてから、顔を上向き加減にして上から垂らすよう
に口に入れた。
次に、はみ出たトマトとハムを引きずり出し観念したように口に入れた。
これでこざっぱりと、ほどよい感じになったサンドイッチに、やっと落ち
着くことができた様子だった。

少し離れたところから、きちんとお座りをして一部始終を見つめていた
犬たちのハァ〜ハァ〜した息遣いは、植木屋さんの指先がアスパラや
トマトやハムを引きずり出すたびにピタッと止んで、もらえるのかなぁ
との期待で目も輝いてしまっていたが、すぐに失望でまたハァ〜ハァ〜
となっていた。



7月19日の夕空。3日間ピンクの夕方が続きました。




2004年07月18日(日) ブルーリボン

夕暮れ時、室内がやけにピンク色だけど?と窓ガラスに
目をやると曇りガラスが鮮やかなピンク色に染まっている。
窓を開けると、このような夕焼けなのだった。




曽我さんは夫と子供達を連れて日本に帰って来られた。
タラップを降りてくる曽我さんを見て、妻は強し、母は強し、
どんなことだって乗り越えていけそうにとっても頼もしく思えた。


安否不明といわれていた人たち、何百人もの特定失踪者を乗せた
飛行機の扉がひらいて、全員がタラップを降り日本の地に還って
来るのなら、噂されている「むむっ」と思うような交渉ルート、
裏取引、莫大な援助、そして政治利用も致し方ないのかなあと
思う。

でも現実は畳の目ほどしか、事が進んでいかないのだ。

外交交渉とは、思惑が絡み絡んで歯痒くて、目に見える成果は
なかなか得ることができないで、いたずらに時ばかりが過ぎていく
ものなのだと、あちらが拉致を認めた日からこれだけの時間が
経った今、ほんとに実感。



2004年07月15日(木) 桃を食べると思い出すのよ、アナタを

胃痛のため飲まず食わずでいたせいで体重が2キロ減ったからと
気をよくしたところで、そんなものはその時だけで食べだせばすぐに
元に戻ってしまうのだ(涙)




今日送られてきた桃は、なんでも6月早々に千○屋で「とびっきり
美味しいのが入ったら贈ってほしい」と依頼したものだそうで、望み
とおりの桃の入荷を待っこと半月にして、我が家にやって来た。
それ故間違いなくとびっきりの美味しさであった。

桃の皮のむき方については、幼い頃から祖母にこうるさく言われてきた。

「剥いた皮はナイフでくるくると巻いて、色変わりして汚くなる皮の裏面
を見せないようにしておくのよ」

あ〜ごめんなさい、おばあちゃん。
おばあちゃんが見ていないところでは、そんな面倒なことをしたことは
ないのだ。
ちょっと爪をたてて皮をつまんだら、途中で切れないように一気にスィー
と剥いて、また剥いてまた剥いてまた剥いて.......
ツルンとした果肉にかぶりつくの。
種にとどく辺りまでしゃぶり尽くし、その間水分が桃をつかんだ手を
伝わってポタポタと流れ落ちて、テーブルや床までも汚すのを見たら
アナタは何て言うだろう。
何も言わずに諦めたようにふっと肩で息をはいて、くるんと向こうを
むいて行ってしまうのだろうなあ。

「椅子の背もたれに、だらしなく寄りかかるような座り方をしないの」

とも言われ続けた。
ああそれなのに、私の世代にきて急激に乱れてしまった立ち居振る舞い。


昨日の深夜、というより今日の夜明け前の時間帯にフジテレビで、フォス
コ・マライーニ(6月9日の日記参照)が敗戦まもない日本を撮影した記録
や、その後の彼を訪ね日本に対する思いなどを聴いた番組が放映された
そうだけど、残念ながら関西では見られなかった。
番組タイトル「日本へのラブレター フォスコの愛した人たち」

彼の娘ダーチャ・マライーニの著書からそこはかとなく伝わってくる
父親への恋する目。
フォスコ氏はずいぶん魅力的な人物だったようだ。



2004年07月09日(金) 曽我さんよかったね

曽我さんの夫とお嬢さん二人を乗せたチャーター機がジャカルタの
スカルノ・ハッタ国際空港の上空に姿を現した映像をTVが映し出し
た時、どっと涙が流れてしかたがなかった。

曽我さんがおっしゃった「私って何てややこしい人生になってしまっ
たんでしょうね」 そこまでではないにしても、この言葉はお二人の
お嬢さん、他の拉致被害者の子供達にもあてはまると思うと、たま
らない。
再会の喜びの陰で、ご家族のそれぞれの胸の内では複雑で苦しい
思いが幾重にも交差することだってあるだろう。


ゆっくりと時間をかけて話し合い、すべてがうまくいって
「4人で帰ってきますので待っていてください」
曽我さんがジャカルタに向かう前に残したこの言葉とおりになってほ
しいと祈ってやまない。




胃痛にて、身体は腹部を谷折にした二つ折れ状態で、一日中
ソファーに転がってみたり床に移動してみたりしながら、ふと
窓の外に目をやると、綿を千切って散らかしたような空が広が
っていた。


2004年07月04日(日) 蛾・蛾というやつは

椅子に座った途端、指輪やイヤリングをはずして目の前の
テーブルの上に置きたくなる癖というのも困ったものだ。
外出先でこれをやると、だいたい置き忘れて来てそのまま
忘れてしまう。

かのマリッジリング(前回の日記参照)もはずしてテーブル
の上に置いた。
我が家でのことである。
それがいつの間にか床に落ちたのだろう、絨毯の模様にまぎれ
て気がつかないでいた。

何時もはずぼらな私も、そのような時にかぎって掃除機などを
かけたものだ。
カラカラという音が聴こえたような気がした。
「あれ?何を吸い込んだのかな?」


生駒山系の斜面を切り開いて造られたニュータウンには、都心
では見られないようなばかでかい蛾が、網戸に羽根をひろげて
ジットリと醜くへばりついていることなど珍しくもなく、蛾が
恐くてたまらない私は、生きた心地のしない夏を恐怖におののき
ながら過していた。


その夜は、細心の注意をはらいながら網戸の開け閉めを行って
いたはずなのに、どうしたはずみか大人の両手のひらを広げた
ほどの大きさの蛾が、室内に飛び込んで来た。
慌てた私は掃除機を引きずり出してきて、逃げ惑う恐怖の悪魔を
吸い込み口で追い詰め、挌闘の末どうにか吸い込んでやった。
この口からヒラ〜と飛び出してくるような恐ろしいことがあっては
ならじと、吸い込み口にはガムテープで蓋をして、さらに念には念
をと、スイッチを入れたままモーターを轟かすこと数十分。

これでどうだ!とホッとした瞬間、昼間のカラカラを思い出した
のだった。
ひょっとしてあの音は?テーブルの上に放置していた指輪じゃ
なかったのか?
それが今、恐怖の蛾と同じ掃除機内の胃袋で混ざっちゃって
いるわけ〜


その袋内を点検して、蛾が振りまいた粉にまみれた指輪を取り出し
たところで、入念に洗ったとしても指にはめることなどできやしない。
だいたい指輪を確認するためには、蛾の状態だって目にするのを避け
られないだろう。
そんなこと気持ち悪くて、とても私にはできない。
私にできないことはオットにだってできそうもない。
それにオットは、自分のマリッジリングをとっくに失くしているのだ。

もうここで覚悟は決まった。
「袋もろとも捨てちゃえ!」

おそるおそる掃除機から袋をはずし、内部を見ないようにしな
がらビニール袋にそっと入れて、台所のゴミと一緒に出してしまっ
たのだった。

しかし、あの時は、指輪を捨ててしまったことよりも、一人で蛾と
戦いながら捕らえることができた喜びの方が大きかった。
とてつもなく大きな仕事をやり遂げた後のような満足感。おい!





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