オクラホマ・スティルウォーターから

2004年10月31日(日) ハロウィン

 サマータイムが終わり、時計の針を一時間戻す。

 隣の人にハロウィンの「Trick or Treat」に誘われていたので、この前のお礼も兼ねてジャングルジムズでワインを探していて、ふと目にしたのがトルコのものだった。トルコ語を知っているわけではないが、意味も知らない言葉でも見たら何となくトルコ語っぽいなあと思うと当たっていることが多いのだが、それはいいとして、ネジャーティに見せたら知っているブランドだったらしい。

 トルコのワインか、地元西宮で作られた日本酒か、と迷ったのだが、日本酒が好きかどうかわからなかったので、ワインにした。後で日本酒や梅酒も好きだというのを聞いたのだが、地元は日本酒の産地なんですよ、というとびっくりしていた。今度何か機会があったら、西宮で作られた日本酒にしようっと(同じ会社でもお酒によってはカリフォルニアで作られているものもあるのです)。
 
 ところでここシンシナティで3回目のハロウィンを迎えるのだが、去年は5人ぐらいしかおかしをもらいに来ず、驚いていた。隣の人によると、去年アパート内を歩いて、おかしをもらえたのは7軒ぐらいで、後は「うちはお祝いをしないから」ということだったらしい。それで今年は隣の人のおばあちゃんが住むところでおかしをもらいに歩くことになり、梨奈も一緒に回らせてもらった。

 時間は6〜8時と決まっているのだが、1軒1軒回るのに2時間フルに使った。



2004年10月30日(土) 炭水化物

 今年はアメリカで炭水化物の量を減らした製品が流行っているというのを以前の日記にも書いたような気がするが、うちは流行に反して思いっきり炭水化物を取っている。ごはんは好きだし、麺類も餃子も、パンもおいしいものは好きだし、気にしないで食べている。アメリカ人の食卓と比べても絶対うちの方が炭水化物の食事が多い(と思う)。なぜアメリカ人はそれほどまでに気にするんだろうと思うのだが、パンやスパゲティーにしてもその付け合わせがよくないんだと思う。


ドレッシングの表示。サービングサイズ(29g)に1gだけというふれこみ



2004年10月29日(金) 昨日が満月

 昨日も腰が砕けそうな昔のビデオをもらった。題名は「京ふたり」。英語のサブタイトルがついている。放映されたのはまだ大学生だった頃だ。そういえば、横浜出身でNHKに長く勤めていた教授が授業で、大阪放送局製作の番組は朝からどたばたしていて落ち着かない、というようなことを言っていたが、ちょうどその授業があった年に放映されているので、この番組のことだったのかも。

 昨日が満月だったようだが、月が上がった時にはオレンジ色だった。でも1日経っただけで欠けているのがよくわかる。



2004年10月28日(木) 中国で行ってみたいところ

 火曜日の午後、UC関係の中国人の方のお宅にお邪魔していたのだが、中国のどこがお勧めかという話になって、逆に行きたいなあと思うところでは桂林というのがあるのだが、ふと、「公園」に行ってみたいと思うのだった。

 もちろん歴史的建築物も見てみたいけど、なぜ公園かというと、大学時代に第二外国語として取っていた中国語のクラスのテキストに、名前は忘れたが公園の名前が出ていて、中国らしい公園(庭園という方が正しいかな?)を見てみたいなあと思ったのだった。イメージとしては池のほとりに柳があって、屋根の先のとんがった浮見堂があって、橋がかかっているというものだが、期待通りの公園でなくてもいいかな。



2004年10月27日(水) 子供のこだわりに親は?

 晩ご飯の後にネジャーティがアイスクリームを用意してたのだが、梨奈が自分のを最初に入れてくれなかったというので、すねて泣き始めた。ネジャーティがなだめたが泣くだけなので、私はちょっと怒って、「もう食べんでいい」とアイスクリームを冷凍庫に入れた。

 ネジャーティは梨奈を2階に連れてしばらく遊んだ後(賑やかな声が聞こえていたが)、そっと下に下りて台所に向かっていった。アイスクリームとジュースを手にして、梨奈はネジャーティの陰に隠れて歩き、そっと2階に上がって行った。私一人だけ悪者かい・・・・。



2004年10月26日(火) 消防車、救急車、パトカーの行き先は

 お昼の2時ごろから出かけて、近所の図書館に寄った後、7時半に帰宅したら、電気が全くつかない。回りを見渡すとうちだけ電気がついていない。同じく図書館から帰った隣人のドアをノックし、ろうそくを貸してもらうことになった。

 電話も使えないので、アパートのメインテナンスに隣人が携帯からかけて30分後に来てもらったのだが、何とアパートの建物に備え付けてある電気のメーターが外されていた。メーターはアパートの反対側に置いてあった。電気会社に電話する前に警察に言った方がいいだろう、ということで、隣人が警察に電話して事情を説明し、その後電気会社に電話したのだが、5分ぐらいしてサイレンを鳴らした消防車3台に救急車が続き、パトカーも1台やって来た。

 雰囲気だけはものものしいものの、メーターをチェックし、消防車1台とパトカーを残して、後は帰って行った。そのうちネジャーティも帰って来て、1時間ほどして電気会社が来て、新しいメーターを取り付けてすぐに電気がついたのでホッとしたが、帰ってきてから電気がつくまでのたった2時間でも疲れてしまった。

 新潟で震災に遭った方の大変さとは比較にならないものの、電気がつくまでの不安を抱えながら、隣人は「ハロウィンに負けないぐらいエキサイトするね」といって、メインテナンスの人やネジャーティが帰ってくるまで、晩ご飯も食べないでずっと付き合ってくれたり、お宅で紅茶を出してくれたりして、感謝してもしきれなかった。



2004年10月24日(日) 行楽の秋

 昨日の天気とは打って変わって快晴となった。

 ウィントンウッズという森林公園の近くに住んでいて、今日初めて公園内のパーキーズファームに行った。屋外で午後を過ごし、ポニーライドや屋内で遊べるところは利用しなかったのだが、ハロウィンのイベントのものが置いてあったり、干し草を積み上げて作った迷路があったり(大人は見渡せる)、秋にぴったりの風景を満喫した。



2004年10月23日(土) バス/インテリア

☆バス
 昨日のプレイグループの後、新しくできた日本の食材店や(迷わずに無事行けました)モールにちょっと寄り、帰ってみると留守電にネジャーティのメッセージが残っていた。7時50分ダウンタウン発のバスで帰ってくる、とあったのだが、スケジュールを見ると7時45分発になっている。案の定、少ししてからネジャーティから、バスに乗り遅れたという電話があった。最近また少し改正があったスケジュールをちゃんと見ていなかったらしい。「だから乗り遅れるんだ」と納得したネジャーティ。バスが早く来ていたのではなく、あなたが遅れていたのです・・・。

☆インテリア
 いつもどなたかのお宅にお邪魔してはインテリアがすてきだなあと思い、自分の所はなぜ垢抜けしないのだろうと振り返るのだった。行きつくところ、芸術のセンスがないのと、やはり仮の住まいという気持ちがどこかにあるのかな。

 目下、物を減らす一つとして、DVDが録画できるものを買って、今持っているビデオを録画して処分したい、というのがあるが、それを買うのがいつのことやら、というのが今の状況。 

 今度の目標は(何の目標やねんって)、2週間後のプレイグループだ。



2004年10月22日(金) 早めのハロウィン

 今月最後にあるハロウィンの前ということで、プレイグループではハロウィンパーティがあったが、この時期になるとハロウィンにちなんだ商品がたくさんあり、たいていはシンボルマークのオレンジ色と黒が使われる。オレンジ色のポテトチップスや(味は普通だった)、オレンジとチョコレートのマフィンなど食べ物もそうだが、パーティーグッズもちゃんとその2色のものがあって、各行事にかけるアメリカ人の意気込みは相当なものだ。

 今年はハロウィンが日曜日になるので、いつもより賑やかになる気がする。隣の人からも、「Trick or Treat」のお誘いを受けている。最近雨が多いので、雨が降らないといいけどなあ(てるてる坊主でも吊るしておくかな)。



2004年10月21日(木) 共通の悩み

 子供が部屋を散らかすのは子供の仕事かもしれないが、毎日散らかされる方としてはたまらないわけで、放っておいたらネジャーティに、落ち着かないだの、精神的に疲れる、だのと言われ、そういうのは私ぐらいなのかと思っていたら、どうもそうでないということがわかり、変な安心感を覚えたのだった。

 今年は最初に夏ぐらいに引っ越すかもしれない、というのがあったりして、よく考えたらあまりお友達をお呼びしていないというのがあったのだが、そういう緊張感を持たないといけない、と戒めるのだった。
 



2004年10月20日(水) 今も昔も

 これもまた、「君の名は」に入っていた昔の映像の話。

 東京の多摩川のほとりで行われた集団お見合い。参加者はなんと1万人。ねるとん紅鯨団(古い・・・)顔負けのお見合いだ。情報交換をする男女、一人で立っている男性、今も昔もその図は変わらない。

 集団お見合いはうまくいったのだろうか。その世代は今や80才前後。



2004年10月19日(火) 図書館で

 すっきりしないお天気だが、昨日の雨よりはましだった。

 買い物に行って帰って来たのが7時少し過ぎで、近所の図書館から借りていたビデオの返却日が今日だということに気が付いて、慌てて返しに行った。幸いにも火曜日は8時まで開いていたので間に合ったのだが、水曜日だったら6時までで間に合わなかった。

 館内の一角で化学の実験ショーが行われていた。それはこの前Germania Parkでピクニックがあった、American Chemical Society主催のデモンストレーションらしい。今週ハミルトン郡の図書館を回るようで、今週は水、木、土が残っている。今日が一番多くの図書館であったようだ。そういえば、この前のピクニックで図書館を回る、というようなことを言っていたが、まさかこんなに早いとは思わなかった。

 ちょうど隣の親子も来ていて、来週の火曜日にはハロウィンにちなんだイベントがあるらしいということを教えてくれた。行ってみようかな。



2004年10月18日(月) 知らない時代

 今日は近所の人に頼まれてデートンに行くことになっていたが、朝から土砂降りだったのと、雷も鳴っていたし、デートンに行くのはやめにした。

 それで、一日中ビデオ三昧となり、以前もらった「君の名は」の前後のビデオを先日もらったので、それを見ていた。日によっては1分早く終わり、その当時の映像が流れるのだが、それがなかなか面白い。自分の知っている時代はたかだか○十年だが、うちの親の世代は知ってても、自分にとっては知らない時代の映像を見るのは面白い。その一つ、かの阪妻(阪東妻三郎)の葬儀の様子が映っていて、阪妻がそんな昔に亡くなった人とは知らなかったのだが、葬儀に出席している子供たちが、あの田村三兄弟(本当は4人兄弟)なんだなあと、しみじみと思うのだった。一番上の田村高廣さんは阪妻さんそっくりだ。

 当時の歌も流れるのだが、それもなかなか新鮮で、こんな歌い方をする人はいないだろう、とか、こういう声の人っていないなあと思うのだった。



2004年10月16日(土) 時間の過ごし方>難しい

 昨日、今日とネジャーティは学校でシンポジウムがあるらしく、今朝は一緒に出て、補習校の後ネジャーティを送って一度帰宅した。せっかく一人だったから外で過ごしたらよかった。



2004年10月14日(木) 物持ちがいい私も顔負け

 インターネットは大学のラインからつなげているのだが、天気が悪いときはなぜかつながりが悪く、使っていて突然切れてそれ以降つながらなかったりと、まさしくお天気屋だ(と、今日の日記も後日載せている)。

 ところで近所の日本人の方が、お友達から無理やり週刊誌をもらうようで、それがほしいか聞かれるのだが、見せてもらうと約20年前のものなので、腰が砕けそうになった。正確な年度は忘れたが、自殺した沖雅也の関連写真が載っていたり、亡き古尾谷雅人さんの披露宴の写真が載っていたりして、へぇ〜、と思っていたのだが、それを大切に持っていたお友達にとっては200円ほどの雑誌でも当時日本の雑誌が今よりも手に入りにくいだろうから、きっと200円以上の価値がしたんだろうなあと思いつつ、日本でその時代を経験した私が、異国まで来て見るものではないので、結果的にはこちらに渡ることはなく処分となった。

 まぁ、私も友人の間では物持ちのいいので知られていて、雑誌関連でいうと、大学時代に買ったオレンジページの特集を今でも愛用しているが、それは今でも役に立っているからいいとしよう。

 その20年前の週刊誌は別にいいのだが、他に男性を対象とした週刊誌ももらった中に入ってたようで(それも20年ぐらい前)、その人はページをめくってびっくりして、ごみに出すにもそのままでは日本人の恥だと思って、女性の写真をはさみで切り刻んで捨てているらしい。それで、「それを私にくれるという友達の気が知れない」とか、「こんなのを平気で載せるなんて」と言いながら、そのページ開いて怒りながら私に見せるのはやめてほしい。男性週刊誌だからそうなんでしょうけど、世代を越えた女性2人が一緒に見る写真じゃ決してないですって。写真の男性と女性も今はきっといい年齢のおじさんやおばさんになってるんだろうけど・・・・・。



2004年10月13日(水) 秋雨

 昨日の夕方に買い物に行っておいてよかったなあと思ったのは、夜には雨が降っていたし、今日も雨がずっと降っていた。裏庭の木も紅葉が進む一方で葉っぱが落ちているようで、夕方ほとんど止んでいる時に子供たちが落ち葉を集めていた。

 この辺は雨が降ると気圧が低いのか、雨の日は眠たい。



2004年10月12日(火) リモコン

 ニューハンプシャーから引っ越して来る時にビデオデッキをもらったのだが、リモコンがついていなかったので、長い間(約2年間)リモコンなしで作動させていた。ビデオデッキにつなげているテレビにはリモコンがあったのだが、ビデオを作動させるのにはいちいちビデオデッキまで行かないといけなかった。

 狭い部屋なので行き来が大変というのはないのだが、なぜかリモコンを買うまでに至らなかった。それで昨日電気屋に行った時に広告で見たリモコンを買い、ネジャーティが設定して、無事テレビとビデオと一つのリモコンでできるようになった。便利、便利。でも最近のリモコンは軽いのに驚いた。



2004年10月11日(月) スーパーマンよ、永遠に 

 今日のニュースでスーパーマンを演じたクリストファー・リーブが亡くなったことを知った。小学生だったか中学に入ってからかスーパーマンの映画を見に行ったもので、小学生時代は日本のヒーローはウルトラマンや仮面ライダー、ゴレンジャーだったが、アメリカンヒーローはスーパーマンだった。

 クリストファー・リーブの落馬事故のニュースはショックだったが、その後、必死に前向きに半身不随と立ち向かう姿はまさにスーパーマンそのものだった。

 スーパーマンよ、永遠に・・・・。 



2004年10月10日(日) 結婚記念日

 今日はお昼にどこかに食べに行こうと思い、カフェ・イスタンブールを候補に挙げていたが、ネジャーティはどうも乗る気でないようで(なぜかは謎)、結局去年か今年にオープンしたチーズケーキファクトリーに行ってみることにした。

 サンデーブランチが終わった時間に行ったので普通のメニューになったが、メニューの種類はいろいろあって、最初に前菜に頼んだベトナム風サマーロール(本当は夏巻きというのかもしれないけど生春巻き?)はおいしかった。パンも食べたらそれだけでおなか一杯になってしまい、メインは半分ぐらいしか食べられなかった。それでもせっかくだからチーズケーキを一つ頼んで食べたが(持って帰ってもよかったかな)、おなか一杯の満足感というよりは拷問に近かった・・・・。家に帰ってからウシ状態で寝る私・・・。

 夜に学校に行こうかなと言っていたネジャーティは結局行かなかったが、ただごろごろしていただけで(テレビも今日に限って面白いものはないし)、お祝いというよりは、おなか一杯で苦しいまま一日が終わってしまった私たちの結婚記念日って・・・・・。



2004年10月09日(土) 補習校で

 補習校での2回目のお茶当番が回ってきた。前回は4月だったのでお茶だけを持って行って終わりだったのだが、今回は遊び場での見回りがあった。

 遊び場の真ん中にいたからか、梨奈と同じクラスの男の子にはずっと手をつながれていたり、一つ上の学年の、これまた男の子から泣きつかれたり、別の男の子が「○○くんが悪いこと言った」とか言ってきたりしたのだが、それがまた全然知らない男の子ばかりなので、意外だったというのと、実はうれしかったというのと複雑な気持ちになったというのが本音だった。

 今までの経験や思いが頭をよぎって、複雑な気持ちになった理由がこうだ、とはっきり書けるものがないのだが、一つはきっとその年齢の男の子心というのがわからない、というものかもしれない。うちは私と同性の梨奈しかいないのでわからないというのもあるのかもしれないが、男の子から見たお母さん、またお母さんと同世代のお母さん(決しておばさんと言わないのがミソ)はどう見ているんだろうと思うのだった。そういえば一度そんな話題が出たような気がするのだが、どうなんだろうなあ。



2004年10月08日(金) トルコ語もいろいろ

 今日は梨奈のプレイグループのお友達の誕生日でもあり、実は母の誕生日だったりもする。

 プレイグループが終わった後、子供たちも帰りを惜しんで外で遊んでいたのだが、近所の女性が出てきたので話をしていた。会話ではプレイグループのことを話していたが、すぐに話がそれて全然違うことを話していたので、みなさん大丈夫ですよ〜(>と呼びかける)。

 ちょっと話が飛ぶが、トルコ人の見分け方を顔の特徴と英語のトルコ語訛りの発音で、ある程度習得した(?)私としては、この前の月曜日にディレクさんの駐車場で見かけた人がトルコ人だと気づかず、たまたま携帯で話していたトルコ語を聞いてトルコ人だとわかり、不覚(?)だったが、その近所の女性の顔立ちがトルコ人に近いと敏感になり、でもトルコ人の話す英語とはちょっと違うか微妙なところだなと思って、出身国を聞いてみた。

 すると、女性はイランから来た人だとわかったのだが、アメリカには28年ぐらい住んでいるらしい。ネジャーティのことを話すと、オットマン(トルコ本国)のトルコ語ではないが、親がトルコ語を話すので、自分もトルコ語がわかると言っていた。帰ってネジャーティに話すと、アゼルバイジャンからイランに移った人たちもいるのか、イランの中にはアゼルバイジャンで話されるトルコ語を話す人もいるらしい。

 ニューハンプシャーにいた時に、インターナショナルチャンネルだったかスコラだったか忘れたが、アゼルバイジャンのニュースの時間帯があって、ネジャーティはほとんどがわかると言っていた。古いトルコ語が残っているのはトルクメニスタンで、トルコでは古語になっている言葉がまだ使われているらしい。なので、トルクメニスタンのニュースはネジャーティはあまり理解できないようだった。多分日本語で言うと、古典の文章でニュースを聞いているようなものだろう。もう一つは70年ほど前にトルコが共和国になった時、意図的に変えられた言葉もあるようで、以前の言葉は古くなって使われないらしい。

 言葉は面白い。



2004年10月07日(木) 理想的な時間

 おとといネジャーティが1本早いバスで帰ってきたのだが、昨日も前触れなく1本早いバスで帰ってきた。これから1本早いバスで帰ってきたいらしい。

 8月末にバススケジュールが変わった時に、朝のバスが30分早くなったので、それに合わせて起きるとなると、今までより早く起きなければならず、夜に今まで通りの時間に帰ってくると、どうしてもしわ寄せがくる。昨日もおとといも、1本早いバスで帰ってきて、夜寝るまでにゆっくり時間を過ごすことができたようで、理想的かも。

 ・・・とまあ、理想的な時間を過ごそうと今日も1本早いバスで帰ってきたが、ゆっくりくつろぐはずだったソファーを梨奈にぶん取られ、寝る時間が前と同じになった。そして私も夜更かしをしてしまった。



2004年10月06日(水) ヒツジのチーズ

 月曜日にお邪魔したディレクさんにたまたまジャングルジムズで買ったブルガリア産のチーズの容器を見せてもらった(バケツという表現が近い)。中身はもうなかったのでどのぐらいの大きさのチーズが入っているのかわからなかったのだが、容器全体がチーズの大きさでなく、豆腐のように水に漬かっているというようだ。

 ディレクさんのお宅の後、ジャングルジムズに買い物に行く予定にしていたので、チーズを探していたら、そのチーズが3種類ほどの大きさの容器に入っていたので、一番小さい箱入りのものにした。それでも以前買っていたフェタチーズよりは大きい。チーズを作っているのはギリシャの会社で、アメリカにいるギリシャ人やトルコ人向けに作っているようで、ジャングルジムズでもその会社のロゴの製品をよく見かける。箱を見ると「ヒツジのチーズ」と英語で書いてある他に、箱の側面にギリシャ語でも書いてあったのだが、別の側面にはトルコ語で書いてあった。他の側面にはアラビア文字が。でもチーズ自体はブルガリア産(どないやねんって・・・・)。

 ディレクさんが持っていた容器からすると、きっと毎日朝食でチーズを食べているんだろうね、とネジャーティ。今度の週末、そのチーズを食べてみよう。



2004年10月05日(火) バスの時間にネジャーティ怒る

 このところ、ネジャーティはバス運?が悪く、昨日はいつも乗る78番のバスを3つも逃し、同じ78番の違うルートで帰ってきた。違うルートでも最後のバス停がとても近くなったのでその点は楽になったのだが、8月末に変わったバスのスケジュールがまだ安定しないのか、早く来たり遅く来たりしているらしい。同じルートのバスは1時間に1本だが、違うルートのだと30分後に来るので、それで帰ってきたらよかったのに、と言ったのだが、これから寒くなるから晩に30分待つのは厳しいかも。

 そして今朝もバスを逃し、また一度歩いて帰ってきて、違うルートの最初のバス停まで送っていった。さすがに今日は疲れたらしく、1本早いバスで帰ってきた。歩いて帰るのもかわいそうだからとバス停まで迎えにいったのだが、ちょっと遅く出たにもかかわらず、バス停近くでネジャーティを拾った。本当はバスがもう少し早く着くはずだけどと言うと、バスが少し遅れたらしい。

 ネジャーティの文句→「ほぼ時間どおりにバス停に行くと、時間より早くバスが来るし、少し早く行っておくとバスが遅れて、すごく待つ羽目になる。」

 リスクを負わないように、早めに行ってください→by わたし。



2004年10月04日(月) トルコ語復活

 お昼からUC近くに住むトルコ人のディレクさんのお宅にお邪魔した。3歳の男の子はサープというのだが、2ヶ月前に来たばっかりなのでトルコ語しかわからない。そういえば梨奈は同年齢のトルコ人の子供が周りにいないので、トルコ語を話す子供と一緒に遊ぶのは初めてだった。

 梨奈も少しずつトルコ語を覚えないとと思うのだが、少し前に梨奈は日本語と英語と、近所のヒスパニックの子供たちが話すスペイン語の3つが言語の世界で、ネジャーティが唯一トルコにかける時にしゃべるトルコ語はスペイン語と思っていたらしい。それはまずいと思い、やはり身近なところからトルコ語を覚えないと、と思ったのだった。

 それで、自分もトルコ語は初心者なので、何を覚えていけばいいんだろうと考えると、やはり「〜が食べたい、飲みたい」というような要求や、それは好きだ、好きではない、いいです、いやです、というような意思を伝える言い方かなと思うのだった。
そういえば、サープも「いやだ〜」といってお母さんに抵抗していたのだが、子供の感情が入った言葉を聞くと、本で知った言葉がまるで中に飛んで生きているように聞こえた。

 というわけで、しばらく冬眠していたトルコ語の勉強を復活させようかなと思うのだった。



2004年10月03日(日) パンプキン拾いと巨大迷路@郊外

 今日は快晴で、どこかに出かけなければもったいない気がして、先週薦められたファームに行ってみることにした。

そこはりんご狩りやパンプキン拾い、コーン畑に作られた巨大迷路などがあり、今日行ったらりんご狩りは終わっていたが、干し草の荷台に乗って、パンプキン拾いや迷路に行くことができる。それらの様子はこちらから→

 荷台からの風景やラマやヒツジ、ヤギなどの動物たちのにおいなど、ネジャーティにとってはトルコを思わせる懐かしさがあるようで、喜んでいた。



2004年10月02日(土) 土曜の朝に黙々と仕事をする主は・・・

 補習校に行く途中の高速道路の電光掲示板にダウンタウンの手前の出口で事故があり、15-20分の遅れ(しかも左側の車線しか開いていないらしい)とあったので、途中で降りて、一般道を走って、また高速道路に入った。帰りにどんな事故だったんだろうと思って見ると、2台のトレーラーの事故だったらしく、そこの4車線のうち、3車線も通行止めになっていた。

 パトカーや牽引車が来てすごいことになっている中、反対車線では白バイのおまわりさんが取締りをしていて、黙々と仕事をこなしている。実はこの白バイのおまわりさん、土曜日の朝に必ず見かける人で、(I-75の)Exit1(1Fあたりから2の間)が担当の場所なのか、出口付近でスピードガンで計っているか、北に向かう車線ですでに誰かを捕まえているかで、とても仕事熱心(?)なのである。

 またあのおまわりさんだと思いながらも、違う意味でお世話にならないようにと思いながら走っている。



2004年10月01日(金) 衣替え

 毎年秋ほぼ恒例(?)の衣替えをした。

 といっても、簡易たんすと衣装ケースの中身を取り替えるだけで終了する、というとても簡単なものなのだが、服を見ながら、もう少し寒くなったら着るのかなあと思ったりしている(そして押入れや部屋では樟脳?のにおいが漂っている)。

 もっとも衣替えは私のみで、ネジャーティは着たきりすずめで、下はジーンズ、上は半そでのTシャツに何かを羽織るだけなので、服を入れ替える、ということはない。なぜ半そででも大丈夫かというと、建物の中が暖かく、薄着して重ね着する方が温度調節がしやすい。

 そろそろ晩に暖房をつけたくなる時期が来た。


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