オクラホマ・スティルウォーターから

2004年02月28日(土) 2つの公園へ

 来週はもう3月、気候も暖かくなってきている。今日も出かけるにはいい気候で、公園へ出かけることにした。

 今日行ってみたのは2つで、一つはネジャーティのバス通りからちょっと入ったところにある、Caldwell Parkという公園・・・・のはずだったが、手前にある遊戯具がある公園に立ち寄り少し遊ぶ。この地域は工場や配送の会社が多く、プレイグランドも道路脇にあって車がよく通り、わざわざ行くというところではない。近所に住む人にとってはいいプレイグランドかも。

 Caldwell Park自体は森林公園のような公園で、3.5マイルの自然遊歩道があり、遊歩道はMill Creekという川に出るいくつかの小さな小川沿いにあるので、いい季節にゆっくり歩いてみるといいと思う。今日はそこには立ち寄らず、車でぐるっと回るだけにした。公園の北側にはゴルフコースがあり、コースには高圧線の塔(何ていうんだっけなあ?)がいくつか立っている。普通は使い道のないところをコースにするのは面白い。この気候なので何人かプレーしていた。

 別の公園に行ってみようというので、そこから比較的近かったFrench Parkというかなり大きそうな公園に行ってみた。French ParkはAmberleyという閑静な住宅街の中にある。少し雰囲気がよくないGolf Manorという地域がすぐ近くにあって、通りを隔てて車を走らせると町の雰囲気が変わるというのがアメリカらしい。

 French Parkの中を車で行けるところまで行くと、行き止まりにブランコがある。今は枯れ木になっているが、新緑の季節は雰囲気が違うと思う。お弁当を持って新緑の季節に来たいなあと思った。



 



2004年02月26日(木) 世間は狭い・・・何回目やら

 ネジャーティはいつものように大学近くのバス停からバスに乗り、帰ってくるのだが、ここ数ヶ月、大学近くのバス停から女性が乗るようになったらしい。最近だったか、大学近辺で窃盗事件があって、その女性は後ろを歩いていたネジャーティや他の男性に注意を払っていると言うことがネジャーティにもわかったらしい。

 バス停に着いて時間があったので話してみると、夜のコースに数学を教えているルーマニア人の女性ということがわかった。最近引っ越して、バスで通うようになったらしい。常勤のアシスタントプロフェッサーとして雇われたのは2,3年前らしい。

 ネジャーティは自分はここでポスドクとして働いているが、その前はUniversity of New Hampshire(UNH)にいて、そこでPhDを取ったんです、と話をすると、ニューハンプシャー? と驚き、実は自分もUNHで数学でPhDを取ったんですと、ここでもニューハンプシャーでつながっていた。

 その女性は、92年から97年まで在籍し、隣町に住んでいたが、最後の1年間はキャンパスにある大学院留学生が住む寮に住んでいた、と話すと、ネジャーティは、自分は96年にその寮の○階に住んでいた、と、またまた驚く事実が判明。寮の中で会っていたのかも。

 ネジャーティは数学の学科がどの建物にあったか覚えていなくて聞いたところ、工学部の建物だったらしい。その建物は工学部の建物としては知られていたが、数学の学科があるのは知らなかったようだが、その建物は化学の建物の隣で、住んでいたアパートのすぐ前にあるのである。

 ニューハンプシャーからシンシナティに引き寄せられる磁力があったりして・・・・。



2004年02月25日(水) チューリップ

 暖かい日が続いたと思ったら昨日は寒かったし、よくわからない気候だ。

 今朝ネジャーティをバス停まで送っていく時に、前の庭にチューリップの芽がいくつか出ていることに気が付いた。

 去年は裏庭に植えておいたものが咲いたのだが(去年咲いた様子)、前の庭には球根を遅く植えてしまい、葉っぱは出たものの、花が咲くまでには至らなかった。それで咲いた後のチューリップは何かしないといけないのかなと調べていたら、日本の気候だと咲いた後に一度球根を取って秋に植えるということだったが(気温の関係だったかな)、おそらくここはそうしなくても大丈夫だろうと思って放っていた。

 裏庭のチューリップが今年も咲くかなあということは気にかかっていたが、前の庭のことはすっかり忘れていたので、芽が出ていてうれしかった。

 ちなみに裏庭を見たが、裏庭は暖かい日がまだ当たらないからか、芽はまだ出ていないようだった。



2004年02月24日(火) 明日はKohl'sでセール

 今日は天気がよくなく、少し寒かった。あと少しで3月というのに・・・。

 矯正歯科での調整の後、モールやパネラに寄ったりしたが、パネラでKohl'sの明日一日だけのセールという広告を目にして、明日はKohl'sに行く予定(といっても一日中行くわけではないが)。



2004年02月23日(月) 安全な国は?

 昨日公園から帰った後、ネジャーティは学校に行き、そんなに遅くない時間に帰ってきたのだが、学校で読んだ記事が気になったらしい。それはこれからの20年の世界情勢、という話題としてはお堅いものだったのだが、一つは温暖化でイギリスがとても寒くなって、オランダの3分の1の国土が水面下になって(でも堤防を高くしたらいいのかな?)、世界的にも(今より)飢餓に苦しむ国が増えて、争いが起こるとか、インドも国内での紛争でいくつかの地域に分かれるとか、自国の自衛のためにイラン、北朝鮮、日本が核武装するとかなどの内容で、ネジャーティは住みやすい国として残るのはどこだろう、といってカナダを挙げていた。あとはオーストラリアかなと言ったら、オーストラリアは島だよ、と言う。→でも一応大陸なんだけど・・・。

 日本が自衛のために核武装するっていうのは日本人としてははずれとしたい。いくら技術を持っていても、絶対に核武装してはいけないと強く思っているし、国が軍事利用するようなことはしないだろうと思っている。でも国民がいくらそう思っていても、政府がそこまで信頼できるものなのか、という疑問がある。

 Foreign Affairsという国際関係のジャーナルでも、去年の年末に日本のナショナリズムの台頭を懸念した記事が出ていた。本屋で見かけただけなので全部を読んだわけではないが、石原知事が名指しされているぐらいで、著者によるとアメリカは日本のナショナリズムの台頭を見過ごしてはいけない、というような感じで書いていた。

 政府首脳の中では核武装に関して誤解を生むようなあいまいな表現をしてマスコミに突っ込まれていたが、核武装はしないと言い切らないと必ず誤解を生むと思うし、核武装に反対しているわけではないと思われても仕方がない。というより、反対ではないと思っている政治家がいると思っている。

 大学時代のゼミの先生は金融の専門だったが、日本が、核を積み込んだ偵察衛星を打ち上げることに賛成しているようなことを大学祭の基調講演で話したぐらい時代錯誤の考えの持ち主で、この先生のエリート思考からの発言で、私の中で不信感が生まれ、院に入ってゼミを変えることに至ったのだが、おそらく首脳陣でもこういった考えをする人がいないとは限らない。

 核兵器が作れる技術はあっても、それを軍事利用してはいけないと思っているが、これが片思いであってはいけないと思う。政府が軍事利用しないようにしっかり監視していないといけないと思う。知らず知らずのうちに日本が太平洋戦争へ突入していったと言われるように、少しの流れというのは人々も大したものと思わないが、沢の水が洪水となった時に、その流れが大きくなって気が付いたときには誰も止められなくなった、というのはとても恐ろしいと思う。



2004年02月22日(日) 空港近くの公園へ(写真を掲載しました)

 昨日は曇り空だったが、今日は晴れて暖かかった。

 夕方になったが、また別の公園に行ってみようというので行ったのは、シンシナティにあるLunken空港のすぐそばの公園だった。以前はシンシナティの空港として使われていたが、そばの川の水かさが増したときに、空港が水浸しになることがよくあったそうで、ケンタッキー側に建設された空港が現在シンシナティの空港として使われていて、Lunken空港は今はセスナ機が飛んでいる。

 I-75からだとExit7から州道562に入って州道561に最終的に行けば着くというはずだったが、Exit7で降りると言うのをすっかり忘れていて、話に夢中になって気が付けばExit6まで来ていた。地図を見ながら、こうなれば、Exit3を出て、ネジャーティの研究室のある建物の前を通っていこうという考えに達し、見慣れた道路を通っていく、という目新しいものがないまま走って行くことになった。

 研究室の前を通ってずっと行くと、先週通った道まで出てきた。それでそのまま行けば州道561が交差している。州道561近辺はハイドパークと呼ばれる地域があり、閑静な住宅街だ。この辺はあまり来たことがないので、また別の機会にゆっくり来るとして、最初、地図にあるLittle Miami State Scenic River Parkに行ってみたのだが、その公園は州道125をはさんで2ヶ所に分かれていて、一つの方は何もなかった。地図をもう一度見て、空港のすぐそばにあるAirport Playfieldに行ってみようということになった。後で調べると市の公園というわけではなかった。

 車をプレイフィールドに走らせると駐車場があり、子供の遊び場とゴルフの練習場(打ちっぱなし?)があった。地図でも確かにゴルフ場がある。空港はプライベートのセスナ機が飛ぶだけなので、今日は日曜日だから飛ぶにしても、平日でも一日中飛んでいるわけではないだろう。公園で梨奈が遊んでいる間にもセスナ機が何機も降りてきたが、ゴルフの打ちっぱなしの練習でゴルフ球がセスナ機に、コン、と当たることはない。ちなみに公園の隣にテニスコートもあって、ネジャーティがテニス道具を持ってきたらよかったと言っていた(でも私は今日はテニスをする気分ではなかった)。





 今まで行った公園の中でおそらく一番遊具の(数というより)種類が多い公園で、ネジャーティは一番気に行ったらしい。

 日も落ちてきたので、公園を後にして、何か食べたいというのでとりあえず車を走らせた。違う道を通ろうというので、空港の前をそのまま通って、US-52からI-275でケンタッキーに入った。川を渡ってシンシナティに入ろうと言っていたが、その手前のニューポートの出口付近に何かありそうだったので、出口を降りた。普通なら左に曲がるといつも行くニューポートのちょっとしたスポットがあるのだが、今回は右に曲がってみたら、すぐのところにガソリンスタンドとUDFがあった。UDFはコンビニにもなっているが、UDFが作っているアイスクリームも売られていて店内で食べることもできる。

 UDFは川沿いにあって、駐車場にきてシンシナティの中心街がよく見えた。日が沈んですぐだったので、写真を撮ってみる。↓




 帰る頃にはビル街は夜景となって、その中を車を走らせるのもいいものだった。

 今度はどの公園に行ってみようかな。



2004年02月21日(土) チョコ談義

 ネジャーティの研究室ではみんな用にチョコレートが常備してあって、研究室に行くと、梨奈も私もどんなチョコレートがあるのかを見ている。

 アメリカのチョコレートというとハーシーズのチョコも知られているが、ハーシーズを最初に知ったのはおそらく大学の語学研修に参加した時で、滞在したペンシルベニアの大学から、町の名前にもなっているハーシーズまで車で30分〜1時間の距離だったので、一度ハーシーズパークという遊園地に行ったのが最初だと思う。

 帰国後は、神戸の輸入品店でハーシーズのチョコだけでなく、ペンシルベニアで週末にホームステイした時に食べたピーナッツバターを探してみたり、ポテトチップスをつけて食べたディップなど懐かしがったが、今ではハーシーズのチョコをどこでも見かけるし、繊細な味の日本のチョコがかえって懐かしかったり、ピーナッツバターもホームステイ先で食べて以来、同じ味のものにめぐり合えず、あの味は幻だったのか、ホームステイ先だったからおいしかったのか、謎が深まるばかりである。

 中学の時にブラックチョコレートにはまったので、最初ここでブラックチョコを見つけるのは難しいなと思っていたが、ハーシーズがいつだったかダークチョコレートというのを売り出して、そんなに買うことはないが、ネジャーティの研究室でダークチョコを見つけたらそれを頂戴している。

 そういえば先週のバレンタインズデーで、はい、と渡された「一口」のチョコはダークチョコだったが(これだけかいって)、それはハーシーズではなくて、Doveというものだ。これは果たして石鹸のDoveと同じところから出しているのだろうか、という話になったのだが、Doveはフロリダ時代の友人が好きなブランドで、おいしいよと勧められて知ったのだが、調べてみるとDoveのチョコレートは1985年にM&M'sの会社に買収されたらしい。石鹸の方はDoveで独立しているので、別の会社と見ていいのかな。

 石鹸の方のHPを見ると、無料サンプルが一世帯に一つもらえそうなのだが、どうしたものかな・・・・?



2004年02月20日(金) 洋裁

 昨日と今日と暖かかったが、今日は雨が降りそうな気配が、、、と思っていたら夕方雨が降った。

 祖母が亡くなって今日で6年。もし生きていたら来年は100歳だ。祖母がいないことには慣れたが、この日が来るとやはり少し寂しさを感じる。


 今日のプレイグループでは洋裁の話でも盛り上がった。同じ年代のお母さん方なので、中学の時にパジャマを作ったとかスカートも作ったという話になったが、何を隠そう、家庭科の授業ではミシンとの相性が悪く、中2の夏休みに家庭科の補習に参加した(させられた)私である。夏休みが終わる頃にはみんなに追いつき、同じミシンのはずなのに2学期にはミシンとの相性もよくなって、夏休みの補習も報われたというものだ。

 家庭科の補習は、関西人の私としては笑いの種、悪く言えば人生の中では汚点の一つ(なんてったって、クラスで私一人だけだったから)だったが、それを親友に話したら、親友も他のクラスからその補習に参加していたことが判明し、○(十?)年前の昔話で盛り上がったのがこの前の秋だった。

 中3のパジャマではおそらくうまくいっていて、秋の修学旅行で持っていって着ることになっていたのだが、ちゃんと持っていったから、よかったんだろう。

 高校での家庭科は省略して、家庭科での裁縫から離れて十○年だが、梨奈のちょっとしたものなど作ったら楽しいだろうなあと思いつつ、楽しいだろうなあ、で終わっている。私が幼い時に、母がおそろいのワンピースを作って、旅行に着ていった写真が実家にあるが、今度は私が梨奈に作る番なのかなと思いつつ、ミシンは持ち合わせておらず、かといって持っていたとしても年がら年中何かを作っているわけでもなく、何を作るんだろう、と頭の中で??が浮かんでいる。

 今日の話によると、ここで売られている生地は日本のものと比べると薄いらしいのと、種類は日本のものの方が多いのと、それより何より、生地を買うより服そのものを買った方が安い、ということらしいが、作っている方も現におられて、尊敬のまなざしである。

 今のところ、作ってもいいかなと思ったのはクッションカバーという梨奈のものとは関係ないもので、アイロンでくっつくテープを使おうかな?
 ↓
 やはり夏休みの補習は報われないのか・・・・・。



2004年02月19日(木) 女性は聞き上手?

 梨奈が言葉を覚えていくものの、自分が知っている単語では表現できないこともあるが、それまでの経験で、こういうことが言いたいんだろう、という察しがつくが、それは、母親は子供が言いたいことがわかる、とよくいうように言葉だけではなくて、それまでの状況でわかるということかな、と思う。

 基本的に、女性は相手が何を言おうとしているのかを辛抱強く聞けるのかな、と思うのは、外国語である英語を話す時に、女性の方がよくわかってくれる、というか、わかろうとしてくれる、ということを私だけでなく他の方も経験しているということだった。

 そういえば、1月にシニアの女性とオフィスに一緒に行った時に応対したのが男性で、何を言おうとしているのかわからない、と向こうも困っていた。そして、シニアの女性は、以前応対してくれた女性は親切だった、と言っていたのを思い出し、もしかしたら、女性の方が聞く耳を持ってくれるのかなと思ったのだった。

 理系のネジャーティは、的を得ていない話が好きでないらしく、私が的を得ない話し方をすると、こういうふうに言えばわかりやすい、と言い直し、理系の人が英語が苦手、という日本でのステレオタイプは間違っていると思ってしまうほどだ。ネジャーティ曰く、自分は辛抱強く聞いている方だ、というが、言葉に対する辛抱強さの度合いは男性と女性ではおそらく違うと思う。

 ・・・・と書きながら、日本の会社での会議のステレオタイプというと、時間が長い割には的を得ない、非効率な会議というのが思い浮かぶが、男性も違う意味で辛抱強く聞くのかな?



2004年02月18日(水) 寒さに思う

 寒いと外出も億劫になる。でも3月になったらもう少し春らしくなるかなあと思い、春の到来を楽しみにしている。

 いくら焦っても時期を待たないと春が来ないというのは私たちにも当てはまることで、時には焦ってしまう状況でも、焦らないで時期を待つしかないこともあるんだと思う。寒い日の中には今日のように、ちょっと暖かいこともある。暖かい日をありがたく思って、またしばらくは寒い日を辛抱しないといけないのかもしれない。



2004年02月17日(火) うちでおとなしく

 2月の真っ只中、寒い日があったりして、外出すると何となく調子が悪い。

 今日はインターネットもつながらなくて(そう、これは後日書いたものなので)、静かにビデオ三昧を続行中。



2004年02月16日(月) ビデオ三昧

 今日はプレジデントデーだが、郵便局のような公の所はおそらくお休みで、ネジャーティは学校もあるし、我が家では平常通りの日となっている。

 午前中にドアのたたく音がして、ドアを開けて見ると、郵便配達のおじさんだった。郵便配達はいつもお昼頃なのだし、今日はないはずなのだが、午前中にくる郵便物というのは国内ではプライオリティーメールとなっている。

 郵便物は日本の友人からのもので、EMSで送ってくれたので、国内ではプライオリティーメール扱いになっていた。この友人にはビデオの録画をずっと頼んでいたのだが、バレンタインデーにちなんでチョコレートと一緒にビデオを送ってくれていて、こういう突然の郵便というのはうれしいものである。

 今日からしばらくはずっと水戸黄門のビデオ三昧が続く・・・・。

 亜里沙さん、ありがとう〜!



2004年02月15日(日) シンシナティの公園へ

 3月の化学学会での発表の準備もあってか、昨日の晩に学校に出かけて、今朝帰ってきたらしい。

 今日は風がちょっとあったが、いつもと違うところに行こう、というので、エコーパークという公園にいってみることにした。公園というと、ハミルトン郡の森林公園ばかりを考えていたが、よく考えたらシンシナティ市が管理する公園もあって、エコー公園もその一つだったらしい。
 中心街から西というのはほとんど行かない地域なのだが、市が管理する公園では見晴らしがいい公園の一つらしい。

 写真はここから。

 それで、ネジャーティがおなかがすいたらしく、それだったら、とリクエストしたところがあって、そこまでダウンタウンの南側の川沿いの道を通って行くことにした。



ダウンタウンのビル街


夕日に照らされたスタジアム


昨年5月にオープンしたインターナショナルフレンドシップパーク


 途中、ハイドパークを通り、ネジャーティが聞き覚えのある公園のそばを通り(多分もう少し暖かくなったら行くと思う)、着いたところは戸外のモールだった。いいところなのでいつかネジャーティを連れて行きたいと思っていたが、まさか今日行くとは思わなかった。
 オーガニック専門のお店で腹ごしらえをしたが、ネジャーティはなかなか気に入ったらしい。コーヒーを飲んだのだが、よく見たらグリーンマウンテンだった。お〜! こんなところでバーモント州のグリーンマウンテンのコーヒーが飲めるとは・・・。う〜ん、懐かしい。
 ちなみに置いてあるクリームやミルクもオーガニックで、何もかもオーガニックに囲まれている。



 ネジャーティも梨奈もご満悦


 今のところ、先行き不透明で、ネジャーティも神経質気味になっているが、それを悪く思っているらしい。息が詰まりそうになる日々もお互いあったが、久しぶりにいつもと違うショートトリップができて、ネジャーティも少しはリフレッシュできただろうし、私自身も公園でまだ少し冷たい風に当たりながらシンシナティの街を眺めたりできて楽しかった。

 もう少し春を待つとするか。 



2004年02月14日(土) プレジデントデーセール

 今日は比較的暖かかった。

 お昼過ぎにネジャーティの散髪に付いていき、待っている間、昨日お借りした小説を読んでいた。



ネジャーティ、散髪中の図


 近くの森林公園に寄って、梨奈が少し遊んだが、湖が凍っていた。



凍っている湖の図


 モールに行ったのは夕方頃になったが、いつもにも増して混んでいた。バレンタインデーだからかなあと思って、目にしたお店の張り紙「プレジデントデーセール」。16日がプレジデントデーで、その前のセールだったんだぁ。

 昨日アウトレットの話をしていたので、それに刺激されて、夕方モールに寄ってみたのだが、あるお店に行ったら、店員がパンツをきれいにたたんで棚に置く作業をしていて、よく見たら75%以上オフになっていたので、試着して買ったのだが、休日にちなんだセールが週末にある時は、店員は金曜日に次の日のセールの準備をするのかと思い、もしかしたら、金曜日の夕方というのは狙い目かもしれない。白と黒の2種類があったのだが、どちらもほとんどなくなっていた。ネジャーティにもいいかなと思うジャケットがあったのだが、買っておけばよかったと後悔(気に入らなければ返せばいいだけだったのに)。

 昨日収穫があったので、今日はこれといってなく、ネジャーティはコンピューター機器のお店に寄って学校に行ったので、バレンタインデーらしいことは何もなかった(後で、混ぜて冷やすだけというケーキミックスでケーキを作って、現在冷却中)。



2004年02月13日(金) ダンキンドーナツ

 今年に入って気が付いたら、コンピューターでの日本語の辞書が機能していなくて、単語登録もできなかったので、「ネジャーティ」と打つのも一苦労だったが、やっと解決してホッとした。プロパティーは英語で出るものの、この機能を使わないネジャーティにはちょっとわからないことなので、自分でできてよかった。

 ところで、ネジャーティがいつも乗るバス停の前(US-4のSpringfield Pike)にダンキンドーナツのお店があるのだが、いつだったかぼやがあったようで、内装を一新する工事をしていた。それで、今日の朝4時に再オープンしたようだった。ちなみにここは24時間開いている。

 ネジャーティが、帰りのバスに乗り遅れた、というので迎えに行って帰って来たときに、お店によってみたら、遅い時間にもかかわらず、店内で何人か買っている人がいた。店員は同じインド人だったので、経営者は変わっていないらしい。
 以前はカウンターだけのお店だったが、今度は席もいくつかあるし、トイレもちゃんとあるし、何もかもきれいになったので、今度店内で食べようかと言っている。



2004年02月12日(木) パーティー用品のお店

 こちらに来てから、パーティー用品が売られているお店に何回か行っている。

 バレンタインデーが近いとバレンタインデーのものが置いてある。それで、名前がわからなかったのだが、おそらくこのお店ならあるだろうと思っていた探し物があって、行ってみたらやはり置いてあった。
その探し物、というのはお菓子を入れる小分けの袋で、なんていうんだろう、と思ったら、「Treat Bag」とあった。

 その他見てみたら、この前来て気が付かなかったキャラクター別のコーナーもあって、アメリカらしく、ディズニーのプリンセスシリーズ、プーさん、ドラ・ザ・エクスプローラー、ブルーズ・クルーズもあった。キティーもあったかな。
 これからも活用しそうなお店だ。



2004年02月11日(水) 宮っ子

 題名の「宮っ子」とは、毎月西宮市が各家庭に配布している雑誌(?)のタイトルだ。

 先日、西宮はどういうところか、と聞かれ、東京近辺ではどの辺に例えていいのかわからず、はて、と考えた。西宮は住宅地で、大阪、神戸の中間にあって、通勤や買い物にも便利なところです、という無難な答えになってしまった。後で、宮っ子である私が西宮をアピールすると、こんな感じに↓。


 住宅地と言う意味では、関西の有名人や野球選手も住んでいて、近鉄の元監督がいたり、阪神の選手もいたり、関学近くには藤本義一がいたり、(うちの辺りが)飛び地となっているご町内には鶴瓶さんがいて、2回ほど見かけたことがある。

 地理的には西宮は海もあり、神戸の六甲連山の東端が西宮まで伸びていて、その南に甲山(かぶとやま)というお椀を伏せた形の山があり、市内のどこから見ても同じ形で、西宮のシンボルとなっている。地元の小学校では必ず春の遠足には甲山とそのふもとにある森林公園に行くことになっているが、高校になって森林公園まで10分ほどで行けるところに引っ越すとは思っても見なかった。鶴瓶さんがある番組で曰く、市内のゴルフ場は甲山に向かって芝が生えているらしい(「甲山に向かって打ってください」と言われるらしい)。



夙川(しゅくがわ)から見た甲山


 甲山と六甲連山から北の地域は猫の頭、南は猫の胴に例えられているが、首の所に山があって市内が分断されているようになっている。南の地域から北へ行こうとすると、首のくびれのところに入り込んでいる宝塚に電車が伸びているので、電車では阪急でいったん宝塚に出て、JRに乗り換えて次の駅が北部にある、ということになる。また北部には武田尾温泉という、水上勉の小説、『櫻守』の舞台となった温泉があるのだが、未だ行ったことはない。

 そして、甲山のすぐ南にある実家あたりは住宅街なのに、甲山を抜けると、のどかな農村のようになっていて、普段行かない私はとてもびっくりした。そして六甲の裏側(裏六甲)を通ると、すぐに神戸の有馬温泉に行けるのだが、武田尾とさほど距離は変わらないのかも。


 ちなみに、藤原紀香は西宮の北の地域の出身なのだが、地震直後、関空から実家に帰るのに、西宮北口から歩いて帰ったそうで、電車でも6〜7駅あるのに、よく歩いて帰ったなあと思った。

 それで六甲あたりは野性のイノシシが住んでいるので、実家周辺の住宅地にも出没する。実家の庭にも以前、鼻で土を掘った、鉢状の跡があったようだし、近所の犬にも吠えられたようだし、私も実家の隣の敷地でがさがさ、という音を聞いたし、亥年生まれの父は、家に帰る途中、1メートル後ろにイノシシについて歩かれたようだ。

 山のことばかり書いてしまったが、面積100平方キロ(北部が約半分と思う)に40万人が住んでいて、県内では人口は多い方である。甲山、六甲連山の南から海までの地域に人口が密集し、東西に平行して走っている3社の電車からは山も海も見えるので、神戸に行く時は、気分によって、六甲連山の山々を眺めたり、あるいは海を眺めたりしている。

 海のことを書かなかったが、西宮にはヨットハーバーがあり、太平洋を横断した堀江さんがこのヨットハーバーから出発している。また、宮崎アニメの「火垂るの墓」も西宮が舞台となっていて、兄弟のお母さんが入院する海辺の病院の風景は今と同じである。

 海辺は産業も発達しているが、工業は尼崎に任せて、西宮は古くから酒製造が盛んである。灘五郷のうち2つ西宮郷、今津郷が西宮にある。日本盛や白鹿、大関といったメーカーがあり、酒工場の近くを通ると、甘い香りが漂う。小学校の社会見学で、なぜか私の学年は日本盛というしぶい所に行き(下の学年はパン工場)、利き酒はしなかったものの、見学後ペンをもらったのを覚えている。そういえば、社会見学で、大阪の新日鐵にも行ったなあ。何でしぶい所ばかり・・・・。
 ここ、シンシナティにも、Jim・Beamの工場が高速沿いにあり、そこを通ると車の窓を開けていなくても甘い香りが中にまで漂ってきて、酒工場に縁のある私である。

 日本の伝統であるお酒に対して、西洋のもので挙げようとすると、おそらくケーキだろう。神戸、芦屋、西宮というとおいしいケーキ屋がたくさんあることで知られている。ガイドブックなどにも載っているし、そういうところは百貨店にも入っていたりするので本店以外でも食べられるのだが、うちの実家近くのケーキ屋は百貨店は日持ちする焼き菓子だけで、ケーキは本店にしか置かないので、ケーキを求めに人がよく来ている。
 おそらくそこも参加していると思うが、ここ数年、市と商工会議所が「西宮洋菓子園遊会〜ケーキバイキング〜」を主催していて、大盛況らしい。


 ・・・・とまあ、思いつくままに挙げてみたが、西宮は遠くからわざわざ行くところではないが、ちょっとした見所があったり、桜の名所もあったり、ちょっと行ってみようか、ぐらいなところで、もしわざわざ行こう、という理由があるとすれば、それは市内にある甲子園球場かな?



2004年02月10日(火) 風邪が流行ってるようで

 昨日は梨奈も私も体調が悪く、今日のお昼ぐらいまで頭も痛かった。午後からお邪魔した方で聞いた話によると、どうも補習校での説明会以降、体調が優れない方が多いらしい。おなかにくる風邪なのかな。



2004年02月09日(月)

 昨日Walmartに行ったら、花の種を買っている人がいて、もうそんな時期になったのかと思った。

 花以外にも野菜の種もあるのだが、にんじんとかきゃべつとか、ちょっとそういうのはここではできないので、もし植えるとしたら・・・と思って見てみたのが「にら」。

 にらも2種類あって、一つはおなじみのにらだが、もう一つは細くて短いにらで、簡単に育ちそうなのは細い方だが、実際に使うとなると、普通の方がいいかなあ、と思ったりする。でも、ある程度育ったら外に植え替えないといけなくなるし(家の中であんなに長いにらを育てるのもおかしいし)、やっぱり面倒かなあ。

 本当はお味噌汁に入れるような細いねぎがあったらと思うのだが、種がなかったのと、後でインターネットで調べてみると、ねぎ自体はわりと長期にかけて育てるらしく、細いねぎももしかしたら長期にわたるかもしれないから、諦めている。あとは貝割れとかがあったら、ちょっとサラダに入れてもいいし・・・・・

 と、買ったのは種でもなんでもない、ただの小さい観葉植物(つたの種類)で、日の当たる所に置け、とあるので、台所の窓の手前に置いてある。



2004年02月08日(日) 外国人研究者には厳しい?

 木曜の夜だったか、寝る前にネジャーティが「こんなのがあったよ」とインターネットから印刷してきた記事を見せてくれた。

 それは科学雑誌「ネイチャー」に載っていたもので、テロ以降のアメリカの外国人研究者に対する入国管理の厳しさを書いたものだった。私は社会科学の方なので、自然科学を対象としたネイチャーとは無縁なのだが、国際移民を専門としている私にとってはその記事は興味を引き一気に読んでしまった。といっても、化学を専門としているネジャーティにとってはとても深刻なもので、本当は他人事ではない。

 未だ謎が多い9・11のテロ事件は、世界中からアメリカに来ている、または来ようとしている外国人にも大きな影響を与えたことは間違いない。記事にもあったが、一つは国によってはアメリカの大使館や領事館からビザがなかなか下りないらしい。中国人とイラン人の経験談が乗っていたが、イラン人夫婦の場合はかわいそうだった。

 夫はマサチューセッツ工科大学で、妻はボストン大学でいずれも博士課程に入ることが決まっていた。夫はとても優秀な人らしく、1996年にノルウェイのオスロで行われた国際物理オリンピアドで金メダルを獲得したほどだという。イランにはアメリカ大使館がないので、2人はまずトルコのアンカラの大使館で2度ビザを申請したが却下され、次にアラブ首長国連邦のドバイにある大使館で申請したが、またもや却下された。いったんイランに戻ったあと、もう一度ドバイで申請したが、再び却下された。そして、その理由を尋ねた時に言われたのは「二度とアメリカのビザを申請するな!」ということだった→なんてひどいことを・・・・。

 その間、申請していたカナダの大学院からオファーが出ていたので、カナダの大使館でビザを申請し、その場でビザが下り、カナダの大学院に進学した。2人はカナダでの生活が気に入っているようだった。

 中国人の場合もイラン人の場合も、その国というだけでビザ申請が却下されているようで、それはオハイオのコロンバスにいたオカンが、トルコで切れたビザを申請しようとして、結果的にはビザが下りなかったのとよく似たケースのように思える。

 この記事にはグラフも載っていて、いかに多くの外国人研究者がいるかということがわかる。アメリカにいる、科学やエンジニアの分野で博士号を持つ外国人でトップは中国人の3万7900人、インド人が3万100人、イラン人は4800人、日本は12位で2800人となっている。

 アメリカの大学機関の科学の分野の研究室がいくら優秀な外国人学生が欲しくて入学許可を出しても、肝心のビザがもらえずアメリカに入国できないことは大きな痛手のようだ。また、アメリカで行われる学術学会の会議への参加に関しても、日本のようにビザなしで行ける分には問題ないが、どのような入国でもビザが必要な国の研究者にとっては、入国が不可能なので、出席も発表も諦めなければならない事態に陥っているらしい。

 他に、目を引いた記事は、イギリスやオーストラリア、それにカナダといった英語圏のコモンウエルスの国々が外国人に門戸を開いているということだった。それらの国々にとって、アメリカへの頭脳流出の流れを自国へと向ける絶好の機会となっている。この機会は、ふだんアメリカに人材を取られている反撃だ、と思ったが、イギリスは雨が多い気候が玉に瑕となっているらしい。

 記事としては興味深かったが、何せ、ネジャーティにとっては自分の身に大きくかかわる問題だし、私もネジャーティのビザでアメリカに滞在しているわけで、こういう場合、見返りも大きいが時としてはリスクになるハイリスク・ハイリターンの分野よりは、少なくても国に害を与えるようなことがほぼないだろう社会科学の方がいいのかも。→ネジャーティ、いっそのこと、社会科学に方向転換するとか? いやいや・・・・。



2004年02月07日(土) ネジャーティ、多くの日本人に驚く

 シンシナティーには日本の補習校があって、年少組からあるので、プレイグループでも以前から年少組について話が出ていたが、今日その説明会があってネジャーティといってきた。
 学校は正確にはケンタッキー側にあるのだが、補習校ができた当初はシンシナティにあったらしく、いくつか転々として現在のノースケンタッキー大学に落ち着いたらしい。

 シンシナティ大学だとおそらく少し手狭だろうが、ノースケンタッキー大学の施設自体へのアクセスもいいし、ごみごみしていないところだし、おそらくこの辺ではいい施設を使わせてもらっていると思う。

 説明会で提出する入学の申込書は1枚を除いてすべて日本語で、ネジャーティが、アメリカにあるんだから英語にしたらいいのに、というので、これは日本語の補習校だから、とそれ以上は説明の仕様がなかった。

 説明会にはプレイグループの梨奈のお友達のご両親や、夏以来久しぶりにお会いする方など、知っている方もいらっしゃったが、おそらく半数はまったく知らない人だ。土曜日は小学生から高校生まできていて、日本人しかいない様子にネジャーティは、「まるで日本だね。こんなに日本人が多いとは」と驚いていた。

 日本の最大手の自動車メーカーの工場がケンタッキーにあるからね、と言ったら、前々からそのオフィスがどこにあるかというのは知らなくて、もっと州都に近いのかと思って家に帰って調べてみたら、ネジャーティが、空港に行く手前で見たことがある、と言った通りだった。

 補習校の人数も年々増えているようで、それだけ日本人が来ているんだなあとびっくりした。幼稚部は年少組と年長組、それぞれ2クラスあるのだが、去年だけで80数人いたらしい。

 ネジャーティの、まるで日本という雰囲気の中で、私も久しぶりに説明会のようなものに出席して、少し戸惑ってしまった。



2004年02月06日(金) 甘〜い時間

 今日のプレイグループでは久しぶりにみんなが集まれて、またバレンタインデーの前ということで、子供たちはお菓子に囲まれながら、大人たちもデザートに舌鼓を打ちながら、甘〜い時間を過ごした。みなさんから面白いお話も聞けて、「げら」である私は思い出し笑いでこみ上げる笑いを抑えるのに必死だった。やっぱり私は関西人。「げら」虫がいてるのかも。



2004年02月05日(木) トルコのスープ

 このところ、トルコの話題で続いているが、今日はトルコのスープについて。

 ジャングルジムズでは最近トルコ製品が増えて、昨日行った時にスープを発見。トマトスープとレンティル豆のスープを買ってみた。





 今日食べたのは写真の右のレンティル豆のスープで、ペパーミントが入っていた。ネジャーティはこのとろっとしたスープが好きらしい。トルコのスープはハーブ類が入っているのが多い。



2004年02月03日(火) トルコの食料品店

 シカゴ行きもほぼあと1ヶ月となり、いろいろ楽しみにしているものがある。うっしっし・・・。
 シカゴの空港にはトルコ航空の直行便がくるぐらいなので、シカゴにはトルコ人が多いのではないかと思って、食料品店があるのか探してみると、あるサイトを見つけた。そこには全米にあるトルコ関係のお店のリストが載っていた。それにはシカゴには食料品店とCDを売っているお店もあるようで、そこは面白そうだとチェック。シカゴから1時間ほどのところに住んでいるメメットに聞けば詳しい情報はもらえそうだが、とりあえず自分で調べてみた。

 そして、食料品店のリストを見ると、ふと目にした州の名前「ニューハンプシャー」。

 えっ、ニューハンプシャー? と思って住所を見ると、グリーンランドという町になっている。グリーンランドってどこだろうと地図で検索してみると、ボストンへ行くバスターミナルからほど近いところで、あ、そうだ、そういえばポーツマスの隣にグリーンランドっていう小さい町があったなあと思い出した。

 私たちがいた時にはそのようなお店はなかったので、最近できたんだろうと思ったが、はて、数少ないトルコ人(ほとんど留学生)で誰が開いたんだろう、と不思議に思った。
 
 HPへリンクされて行ってみたのだが、誰が経営しているのか名前も載っていなくて、ネジャーティが学校から帰ってきた時に、誰だろうね、と話したら、ネジャーティは、カフェキリムの人かなあという意見。カフェキリムというのはポーツマスのダウンタウンにある郵便局の前でトルコ人が開いているコーヒーショップだが、出しているコーヒーはいたって普通のコーヒー。

 私が考えていたのは、トルコ人の教授の息子さん、というのだったが、息子さんはアメリカで生まれ育っていて、まったく普通のアメリカ人なので、そういうのは興味ないだろう、ということだった。

 真相はいかに!?



2004年02月02日(月) またまたトルコの話

 昨日ネジャーティから聞いたトルコの話はちょっとジーンとさせられるものだった。

 トルコが共和国になって70数年経つが、それまではオスマン帝国で、帝国というぐらいだから皇族がいたようだ。
 考えたことがなかったが、共和国を設立する時に、皇族は国外に追放されて、ヨーロッパやアメリカにその子孫が住んでいるらしい。つい最近、トルコの首相がアメリカを訪問した時も、ニューヨークに住む子孫を訪問したらしい。

 子孫たちはトルコの市民権や帰国が保証されているらしいが、イスタンブールにはその一人、80歳代の女性が住んでいるらしい。その女性は最後の皇帝の孫で、先日旧邸が美術館としてオープンした時に、その女性も招待され、テープカットが行われた。そして、各部屋を歩き、後々聞いた、各部屋にまつわる話を周りにしていたらしい。そして、高齢なのでちょっと休もうと椅子に腰掛けた時、その椅子に座って触った感触で、「この椅子に覚えがある」と急に思い出したらしい。当時3歳だった女性はよくこの椅子におじいさんと座ったらしい。70数年経った今でも保管されていることがとてもうれしかったようだ。

 「その椅子、おばあさんに返してあげられないの?」とネジャーティに聞いたが、今は国のものだから、あげるわけにはいかないらしい。ネジャーティ曰く、「でも、その椅子に会いに、いつでもその美術館に行けるからいいんじゃないかな。」



2004年02月01日(日) 本屋へ

 昨日は夕方からネジャーティが学校に出かけ、帰ってきたのは朝方だったらしい。今日も夕方から学校に出かけた。

 梨奈に悪いと思ったのか、今日は梨奈をどこかに連れて行きたい、というので、それなら本屋に電車で遊べるコーナーがあるから、と言ったら、そこにしよう、と行って本屋に出かけた。

 ネジャーティと梨奈を本屋にちょっと置いて、私は自分の用事を済ませたり、見たかったお店にもう一度行ってみたりした。おそろいのマグカップもあったので、おそらくシリアルボールであろう食器のピンクの2種類を購入。ピンクは3つしか残っていなかったから、ピンクの方が人気があったらしい。ちょっとかわいかったので買ってしまった。うちではちょっとした丼ものや麺類に使われる運命となっている。

 さて、本屋に戻ったら、ネジャーティと梨奈はカフェにいた。ネジャーティが、何でそんなに時間がかかったの? 5分ぐらいで用事は済むでしょう、というので、車に乗ってお店に行って戻ってくるだけでも15分かかるっちゅうねん、と、突っ込むよりも腹が立ったが、買うものもあったし、他のお店にも寄ったから、というと、ネジャーティ曰く、「戻ってこないから事故にでも遭ったんじゃないかって心配してきた。」

 そんなこと、ないない。要するに、梨奈を残されていややったんやろう。

 梨奈が楽しみにしていた電車のコーナーは男の子2人に占領されていて遊べなかったらしく、店内をうろうろしていたらしい。

 コーヒーは飲んできたので、紅茶を飲んだ。カフェの様子。↓





梨奈とケーキを物色


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