オクラホマ・スティルウォーターから

2004年03月31日(水) 銀行

 今日はいろいろと用事があって、出かけていたのだが、その一つが銀行。銀行にネジャーティが来月から(と言っても明日から)使うバスのカードを買いに行ったのだった。銀行で買えると言うのも変な話しだが、バスのHPで買える所のリストに載っていたので行ってみた。本当は大学のキャンパスの本屋も売っているらしいのだが、ネジャーティ曰く、自分の研究室から本屋へは遠いらしい。

 「なに寝ぼけたこと言ってるねん! こっちは車で走らなあかん距離のところまで買いに行くねんで!」と「心の中で」思いながら、銀行に行ったのだが、どうもそこでは売っていないらしく、同じ通りにある2マイル(3.2キロ)ほど離れた別の支店で売っているということで、そこで無事買った。バスカードは月ごとに発行するので、1ヶ月フルに使わないともったいない。本当はインターネットでも買えるらしいので、来月からはそうすると思う。

 最初の銀行の支店に行って気が付いたのはカウンターがものすごく高いということ。私の首ぐらいの辺まで高さがある。そういえば、いつも行く支店もカウンターが高い。フロリダでもニューハンプシャーでも、利用していた銀行のカウンターはそんなに高くはなかった記憶がある。

 日本の銀行と違って、アメリカの銀行は立ち仕事だ。といっても、カウンターの向こうの行員は高椅子に座っているのだろうが、顧客は立ち仕事である。しかし、カウンターでの用事は預金や現金引出しなど短時間に済むもので、たとえば、送金とか、行員が書類を書きこまないといけないものは、ちゃんと別部屋がいくつかあって、そこで座って手続きをすることになっている。カウンターが高いのはおそらく強盗が入ってもカウンターを越えられない。

 バスカードを買った銀行はもっと重厚装備で、それがその地域だからなのか、古い銀行はそうなのかわからないが、カウンターの上は柵があり、行員と顧客はその柵で仕切られている。行員が次の客を呼ぶときは、柵についている小さい窓(それも柵になっている)を開けるが、客が来る時にはすでに閉められていて、現金を渡すときも、そのカードをもらうときも、柵の下の狭い、手先がかろうじて入るようなスペース(腕は入らない)でやり取りする。こういう銀行があるというのを聞いたことはあったが、自分の住む地域で見たのは初めてだ。



2004年03月30日(火) 雷雨

 朝はいい天気だったが、だんだん暗雲が立ちこもり、近くで雷が鳴り、雨も振り出した。今日はネジャーティの所でプリンターで印刷をしてもらうのがあったので、午後、あまり雨が降っていない時に出かけて、学校に車を走らせたら、だんだん明るくなって、雨も止んだ。バックミラーには暗雲が映っていた。

 その後、キャンパス近くの24時間開いているKinko'sでコピーをして、空港近くの、これもまた24時間開いている郵便局に行って郵便物を出してきた。郵便局でも車の乗り降りの時にはうまい具合に雨に遭わず、帰りの道で雨に遭った。

 天気予報どおりの天気だった。



2004年03月29日(月)

 昨日イスマイルを空港に送って行ったが、行く道で桜を見かけ、もう咲いているんだぁ、とびっくりした。近所の家にもあるのは去年見つけたが、その辺はまだ通っていないので、桜が咲いているかどうかわからないが、おそらく咲いているのだろう。イスマイルを送って行った後に、Devou Parkという、シンシナティのすぐ手前にある公園に立ち寄ったが、そこにも桜が咲いていた。



 桜の種類が違うのか、それとも剪定にもよるのか、日本の桜の風景とは少し異なるのだが、もし桜に似た違った花でも、花が咲くと春が来たなあと思う。

 早いもので、今週には4月に入る。3月もあっという間だった。



2004年03月28日(日) イスマイル帰る

 ところで、早いもので、この前シカゴの会議のためにトルコから来たイスマイルが今日トルコに帰った。お昼の便で、シンシナティからニューヨークまでデルタ、ニューヨークからイスタンブール、アンカラまでトルコ航空で飛ぶらしい。シンシナティの空港まで送っていったが、ここにはいつも誰かを迎えに行くか、見送りに行くかで、自分は利用したことがない。ちなみにネジャーティは2年前にボストンからシンシナティに飛んで来ているのだが、帰りは天候が悪く、大変な目に遭っている(詳細はこちらから)

 ベルナは今回来なかったので、イスマイルに買い物を託していたが、ベルナもNine Westのかばんが好きなので、今出ている春ものかばんとベルナが買ってきてほしいとイスマイルに頼んでいたお財布をプレゼントした。色の好みがあるのでわからないが、春っぽい色を選んだ(この色だけ少なかったからおそらく人が買っていっていると思う)ので、かばんは喜んでくれたらいいなあ。 

 トルコに帰る人、帰る人に、トルコにも遊びに来てください、と言われるのだが、なかなかいけない。行けた時は楽しいだろうなあ。



2004年03月27日(土) 甘納豆

 白花豆(白い大きな豆)の甘納豆をネジャーティに開けたが、意外にもネジャーティは甘納豆が初めてだったらしい。
 甘納豆の材料は豆だというのは言ったのだが、どうもすりつぶしたものと思ったらしく、「ほら、豆の形してて面白いね」というので、「これは豆そのものだ」と言ったら、びっくりしていた。一つは豆が大きかったからというのもあったようだ。

 小豆でもそうだが日本のお菓子には豆がよく使われているし、甘納豆も昔からあるような、シンプルなお菓子なので、日本人にしてみれば馴染みがある、いたって普通のものなのだが、ネジャーティ曰く、トルコにも豆はあって、チックピー(ヒヨコマメ?)の表面をお砂糖でコーティングしたものはあるのだが、豆そのものを甘くしたお菓子はなく(というのはネジャーティの知識内なので正確なことはわからないが)、「何とクリエイティブなお菓子だろう」となどと言っていた。そんな、たいそうな。大げさやねんから。

 ようかんやおしるこなどの小豆のお菓子はネジャーティはよく食べるのだが、甘納豆というのは頭になかったなあ。



2004年03月24日(水) 外出→暖かかった。

 昨日は一日インターネットがつながらず(つながっているようだったが、何も現れず)、こういう時に限って、送られてくるはずの返信が見られず、昨日一日は諦めたが、今日はその返信が見られてよかった。

 メールを朝チェックした後、今日は運転を頼まれていて、午前中から郊外を走り、戻ってきてゴールデンコラルに行ったら、知っている方がいらして、こういう偶然もうれしいものだ。

 うちから15分ほどのところにある日本食専門のお店に久しぶりに行った。案外お菓子とかもいろいろ置いてあって、お菓子を買いに来るかもしれない。お店でNHKのニュースが流れていたが、自分のアパートでは契約していないのでNHKのニュースを自宅で見たことがなく、日本に帰る国際線の機内で流れるニュースを、日本だあ、と新鮮味を感じて見るので、そんな感覚に陥った。

 家に帰って急に眠気が襲い、思考力ゼロ。

 



2004年03月22日(月) 長さん逝く

 いかりや長介さんが亡くなったことは、驚きとともにやはりショックだった。先日亡くなった喜味こいしさんの時もそうだったが、大学時代に藤山寛美が亡くなった時もとてもショックで、よく考えると、お笑い界の人が亡くなる、というのはなぜかショックだ。

 毎週月、火とある、インターネットラジオのこころ晴天でも、今日はこの話が出るだろうなあと思ったら、やはりその話題が出てきた(とともに、トミーズ健さん、お大事に)。上沼恵美子さんは、関西は吉本や松竹があるから、ドリフターズのお笑いはワンクッションある、というようなことをおっしゃっていたのだが、全員集合をオンタイムで観ていた私としては、吉本は吉本、ドリフはドリフだった。欽ちゃんやたけちゃんマンが出てきても、ドリフのファンだった。ニューハンプシャーで迎えたお正月では、紅白で全員集合を見ることができたが、あれが最後になってしまった。

 当時の全員集合が終わって、いかりや長介さんが俳優になった時はびっくりしたものの、渋い役がぴったりで、私より若い世代だと、ドリフのいかりや長介さんというより、俳優のイメージがきっと大きいのかもしれない。でも私の世代ではお笑いのドリフだが、私の前の世代はおそらくビートルズの前座のドリフターズというイメージなんだろうなあ。

 リーダーが最高齢にしても、リーダーが逝ってしまうというのは、なんとも寂しい限りだ。
 長さんありがとう。そしてゆっくり休んでください。



2004年03月18日(木) 本屋に行ってみた

 今日お出かけの帰りに、移転したという本屋に行ってみた。なるほど、いつの間に移ったんだろう、と移転した本屋を見て思った。

 以前、プレイグループの方のお宅にお邪魔した時に、この高速の出口を出たのを覚えているが、その時にすでに建物ができていたのかどうか、も覚えていない。この周辺はまだまだ開発の余地がある地域で、きっと人がどんどん移っていくんだろうなあという気がする。

 本屋には入り口が2つあるようで、私が入ったのはDVDやCD売り場の方だった。以前の所はその売り場がなかったが、今の場所には大きくコーナーが設けてある。インターナショナル、というのもあって、世界各地のものがあったが、日本の物は、尺八とか琴とかの曲だった。個人的にはトルコの音楽にも似ているが、エキゾチックなアラブ系の曲が好きなので、いいのがあったらいつか買ってみたい。ちなみにアラブ系の曲は、フロリダ時代に人生の中で(といったら大げさかもしれないけど)初めて聞いて、こんなリズムやテンポの音楽があるんだあと、新しい発見をし、中東系に詳しかった日本人学生も、そうでしょう、いいでしょう、と言っていた。トルコのポップスでさえ、独特のリズムがあって、新鮮味があっていい。ネジャーティは逆にそれが普通で、日本の尺八や琴といった伝統楽器の曲が新鮮らしい。

 さて、その本屋で、梨奈はお決まりの電車遊びをして帰り、今日はお出かけでも遊んだので、早々と寝てしまった(こういう時に限って、ネジャーティがバスに乗り遅れ、梨奈を起こして迎えに行く羽目に)。



2004年03月17日(水) かぼちゃの種

 今日はフロリダにいるボブの誕生日だった。Eカードを送ったら早速返事が来て喜んでくれたようでよかった。今日はセントパトリックスデーでもあるので覚えているということもあったが、個人的にあと2人ほど今日が誕生日という人を知っていて、覚えやすかった。

 ところで、フロリダにいた当時、ひまわりの種が食べられるということを初めて知った。もちろん煎ってあるもので(ローストしてある)、皮を剥いて食べるか、剥いたものが売られている。ひまわりの種はわかったが、今トルコから来ているイスマイルからいろいろもらったお土産の中に、日本でいう柿の種みたいなものがあって、ヒヨコマメやらいろいろ入っている中に、かぼちゃの種を見つけた。

 乾燥したかぼちゃの種(こちらもおそらく煎ってある)だったので、ネジャーティに、これって食べられるの? と聞くと、食べられるよ、というので、そのまま口に入れたら、「皮を剥いて食べなきゃ」と言われ、かぼちゃの種もひまわりの種と同じように皮を剥いて中身を食べるということを知った。
 
 すいかの種ではないが、種を食べると、おなかの中で育って花や実が成りはしないかとふと思ってしまうのである。



2004年03月15日(月) 雨のち・・・・

 昨日の夜から雨が降っていたが、窓に当たっていた雨の音が大きかったので、みぞれっぽくなっていたのかもしれない。

 そして・・・・朝起きたら一面雪だった。

 せっかく暖かくなってたのに、何で雪やねん〜! と突っ込みたくなる気候。

 雪はまだ降り続く。



2004年03月14日(日) 本屋

 先週1週間の郵便物を昨日受け取って、入っていた広告を見たら、近くの本屋が引っ越したというお知らせと、本屋に入っているカフェのコーヒー券が入っていた。少し北の方に引っ越したみたいで、今までだと高速を使わなくても行けたが、今度は高速を使わないと時間がかかりそうなところだ。

 このところ、うちの近辺はお店が別のところに引っ越したり、閉店になったり、店舗を縮小したり、ということがよく起きている。シンシナティ郊外の北の地域がどんどん開けていて、人も移っているようだ。

 ドライブもかねて本屋の新店舗に近々行ってみるかな。



2004年03月13日(土) 帰って来ました

 シカゴから帰って来ました。写真をいろいろ撮ってきたので、またHPに載せたいと思います。



2004年03月12日(金) お互い見失う? @高速道路

 今日も午前中みんな会議に出かけて、梨奈と私は帰る準備をした。シカゴの滞在は中4日というところだったが、行けなかったところもあったわけで、またシカゴに来たいなあと思う。

 お昼にホテルを出て、湖沿いからダウンタウンを運転した後、ヘミングウェイの生家があるオークパークへ向かった。生家はガイドのおじさんがいて、博物館と込みで○ドルの入場料、と入り口に書いてあったのに、私が車にカメラの電池を取りに行っている間に、それを知らないみんなが中に入っていった。それで入場料がいると気が付いた3人は外で待つことにして、成り行きでネジャーティと私が中を見て回ることになった。

 ガイドのおじさんは得意になって部屋のいろんな説明をするのだが、ネジャーティも私も、外にいるみんなのことが気になって、話に身が入らない。でも気にしても気にしなくてもその時間はおじさんの話を聞くのだから、と割り切って聞くことにした。

 おじさんから聞いた興味深い話と写真は後日HPで。

 オークパークからそのまま州道43を北に走るとチーズケーキのお店に行けるのだが、時間がないので、帰途につくことになった。

 オークパークから帰るのに、いったんシカゴの中心街まで車を走らせないといけなくて、金曜日は混むと聞いていた通りだった。そして、シカゴ中心部より少し南でお互いの車を見失うのであった・・・・。

 その話も地図入りで後日HPで。

 すっかり夜になり、インディアナ州を走ると、周りは平地で何もなく、星が無数に見える。今住んでいるところだと、ちょっと明るいからか、よく見える時というのは限られている(それでもうちの実家の方と比べると見えている)が、車から見たオリオン座は、もしこれがオリオン座と教えられなければ形がわからないほど、オリオン座の中や周りに星がいっぱいあって感動した。

 シンシナティに着いたのは深夜を回っていた。

 



2004年03月11日(木) ネイビーピア&マーシャルフィールズ

 昨日は天気もよく、少し暖かかったのに、今日は雪が時折ちらついている。

 今日はみんなで晩ご飯を食べに行くから、夕方にはホテルに戻っておきたい。そして梨奈が遅く起きたので、時間が限られている。今日はゆっくり回るとしてネイビーピアに行くことにした。
 ホテル近くからバス#29が出ていてネイビーピアに行くというのを聞いたので、バス停で待つことに。黒人のおじさんが、寒いねえと話し掛けてきた。遠くにバスが見えたが、一つ手前の通で曲がって行ったので、あれじゃないね、とか、子供さんのズボンのすそをもう少し下ろしたほうがいいよ、とか、朝は毎日天気予報を見ていて、最低気温が0°Fになるって聞いたよ、とか(いつも朝早く出かけるって言ってたような)、とてもフレンドリーなおっちゃんだった。バスは5分ほどで来て、乗り込む時にベビーカーを持つのを手伝ってくれた。

 バス#29というのはステート通りを走るのだが、ステート通りはミシガン通りに負けないほどお店が建ち並んでいる。そして、マーシャルフィールズで乗客がほとんど降りた。そして、一本前のバスに追いつき、運転手のおっちゃんは、あとは任せたで、と言わんばかりにクラクションを鳴らして合図をして、ネイビーピアまでバス停に止まらずに運転して行った。途中のバス停には1人か2人の待ち客もいたが、すぐバスが後から来るからね、と心の中で叫んでいた。

 ネイビーピアで時間を過ごし、そこから無料のトロリーバスに乗って、ステート通りまで出て、通りを南下して、マーシャルフィールズに行ってみた。

 その後はホテルに戻り、みんなでコーナーベーカリーカフェに行って晩ご飯を食べた。
 



2004年03月10日(水) ヘミングウェイ&日本のお店&IKEA

 今日は雲一つないいい天気で、少し暖かい。車を走らせ、最初にOak Parkという町へ。そこはヘミングウェイの生家と少年時代を過ごした家、旧帝国ホテルを建てたフランク・ロイド・ライトの家がある。車で回っただけで中には入らず写真を撮る。

 その後、日本のお店が集中しているArlington Heightsという町へ。シカゴのオヘア空港近くなのだが、シカゴのダウンタウンや周辺と違って、土地はふんだんにあり、そもすると、シンシナティ郊外と違いはない。シカゴの地域ではあっても、日常生活ではおそらくそこでの生活が中心だと思う。私が今住んでいるところも、シンシナティと言えどもフォレストパークという市にあって、シンシナティのダウンタウンには用事がないといかないのと一緒なんだと思う。

 シカゴにはミツワという旧ヤオハンのお店があって、ここはまさに日本。

 美容室では髪の毛を短くしてもらい、一つの目的が達成されてうれしい。 

 その後IKEAのお店にも行くが、大きくてびっくり。

 時間が遅くなり、ホテルの電話番号を持っていないことに気づき、ホテルに戻るとネジャーティが心配かつ少し怒りぎみ。理由を言うと、ルームキーのカードに電話番号があるよ、というので、こんなところにあったのか、とがっくり。電話ができたらもう少し買い物したかったなあ。

 詳細と写真は後日HPで。



2004年03月09日(火) 美術館&ミシガン通り

 美術館へはホテルから3ブロック行ったところととても近い。火曜日は入場料が無料なので、地元の学校の生徒も先生の引率で美術館に来ていた。

 お昼はホテル近くのチャイニーズでバッフェ。日本の寿司バーもあるところなので、バッフェにはお寿司もあったので、ちょっとよかった。

 その後は北ミシガン通りを歩く。詳細と写真は後日HPで。



2004年03月08日(月) トルコのお店とチーズケーキ

 今日回ったところ。

 お昼ご飯(飲茶)→トルコのお店→Eli's Cheesecake。

 後日詳細&写真をHPで。



2004年03月07日(日) シカゴへ

 シカゴの旅行記は折々書くとして、今日はシカゴへ車で移動。シンシナティからI-74でインディアナ州に入る。シンシナティのすぐ西はインディアナ州なのだが、シンシナティと違ってインディアナは平地が続き、今日は風が強く吹いて、ハンドルがぶれることもあった。

 シカゴではネジャーティたちは化学学会会議の会場に登録しに行った。私と梨奈はホテルでゆっくり過ごす。



2004年03月06日(土) 一週間お休み

 明日からシカゴに行ってきます。一週間お休みします。



2004年03月04日(木) たまねぎの芽が出た時

 ここ最近暖かくなってきて、暖房も切るようになったが、たまねぎが一つ(だけ)、芽を出していた。この葉っぱって食べられるのかなあと話していたが、ネジャーティは、食べられるという意見。見た目は球根からでた葉っぱで、ちょうど玄関先に芽を出しているチューリップみたいだ。



こんなことになってしまいました↑


 食材に詳しい辛晩のHARUさんにお聞きした方がいいのかもしれないが、とりあえず検索すると、農水省のページがひっかかった。

 消費者相談Q&Aというのがあって、そこで誰かがすでにたまねぎの芽について聞いていた。いくつか回答があって、次のようなことが書いてあった。

 ・たまねぎの場合は芽は毒性は全くない
 ・商品価値はないが、食べる人もいる
 ・たまねぎ自体は食べられるが、食味が落ちたり、栄養素が低下することもあるからなるべく早めに食べた方がいい

 ・・・「商品価値がない」という表現が、なんとも・・・。


 もしこれを植えたらどうなるか、というのは別のサイトで見つけたが、

 1.春に出た芽をプランターか庭の隅に植えておく(ちょうど春だからいいタイミング)。
 2.初夏を迎える頃に無数の白い花を咲かせる。
 3.秋に一つ一つの花が各々、種子となるので、その種を蒔くとたまねぎの苗ができる。葉たまねぎにして食べるといい。

 とあったのだが、この、「葉たまねぎ」がわからなく、野菜図鑑なるものを発見。そこには長ねぎと同じように食べられる、とあった。

 う〜ん、植えてみるかなぁ。



2004年03月03日(水) ひな祭り

 ひな祭りではハマグリのお吸い物もあるということをすっかり忘れていた私は、ジャングルジムズに買いに行った。レシピによると一晩ぐらい砂出しのために塩水につけておくようになっているらしく、夕食には間に合うものの、砂が出てくれればいいなあと思った。

 雨が降り出してきたので、気圧のせいか眠たくて、昼寝をしてから買いに行ったのだが、普段着のまま、ちょっと羽織ってジャングルジムズに行ったら、こういうときに限って日本人を見かけるものである。といっても知らない人だったが、もしこの日記を読んでおられたら、あの人がそうだったんだあと思われるだろうなあ。ラフな格好のアメリカ人の中だと気を遣わないんやけど・・・・。

 ジャングルジムズの貝コーナーではいくつかの種類を見かけたが、どれがハマグリなのかわからず、でもレシピの写真にあったように、おわんの中でちゃんと貝が開くサイズ、と思って、選んで買ってみた。貝には見かけは同じ柄なのに大きいのもあって(名前はなんだろう・・・)、お吸い物としては大きすぎて、貝が開いた時にはおわんに入りきらないものもある。

 それで、ネジャーティには一本早いバスで帰ってきてもらって、ひな祭りのお祝いをしたのだが、ネジャーティは貝を食べるといつも、小さい内臓らしきものを取り出している。貝の体の機能がどうなっているかすっかり忘れたが(理科の時間で習ったことあるかなあ)、食べるところではないと判断しているらしい。砂出しの時にきれいになってると思うんだけどなあ。

 そして、ひな祭りはこのお吸い物が出されることになってるねん、と、ハマグリのお吸い物のことをすっかり忘れていた私が言うことではなかったが言ってみると、

 「これお吸い物? 貝がお湯に入っているぐらいしか見えないけど。スープというと、もっとリッチでクリーミーなものが普通だし。」とネジャーティ。日本の食べ物にクリーミーなものを求めてはいけません。ちなみに日本人監修の日本料理の英語のサイトにはちゃんとクラムスープと載っているのです・・・・。

 でも自分としてはいい味が出せたと思ったので、いいとしよう。

 ちらし寿司はネジャーティも好きだし、何かあるとちらし寿司を作って学校に持っていくのだが、ネジャーティが「いつもどうやって作るのか、って聞かれるんだけど、どうやって作るの?」というので、ご飯に混ぜるだけ、とキャッチフレーズのようなことを言うしかない。これだけ具が入ったものを手作りというのは難しい。英語のサイトを紹介しておくかな。

 →満腹の後ネジャーティはソファーでぐっすり寝入っていた。



2004年03月02日(火) 物忘れ

 最近物忘れをするなあと実感した。今まで物忘れというのは大したものではなかったが、これほど実感したことはない。

 たとえば、食器洗い機に入れたものは、これから洗うものだったか洗った後だったか、というのを覚えていなくて、グラスやカップの底のへこみの水のたまり具合で判断したり、新しく知り合った方からメールで頂いた住所をアドレス帳に書き込もうとすると、すでに書いてあって、そういえば、お会いした時に直接住所を頂いたんだと思い出したり、それが1、2回ならともかく、何回も続くと、とても深刻に思える。老人性の痴呆症で、ご飯を食べていないという、というのをよく聞くが、この物忘れがひどくなると、そういうのもあり得るのかもと思ってしまう。

 亡くなった祖母は痴呆症になった姑を世話した経験があって、昔は着物だし、洗濯機もないし(着物は洗濯機で洗えないが)、洗濯が大変だったと言ってて、自分は絶対にボケたくないと言っていたのを思い出す。祖母は80代でも家事をしたり、ちゃんと物事は覚えていたりしていたので大丈夫だよ、とみんなが言っていたが、90代で亡くなるまで結局痴呆症になることはなかった。

 老いには勝てなくても、自分は頑張らなあかん、という心がけ一つでも違ってくるのかな。



2004年03月01日(月) ネジャーティに分けてあげたい

 シカゴ行きも来週になり、カットもしてもらう予定なので、この重たい髪ももう少しの我慢だ。私は髪の量が多く(特に後ろ)、実家の近くの美容室でも、だいぶすいてもらって、これが普通の髪の量ですよ、と言われている。切った後というのは一つかつらができるほどで、美容室の人が、ほんと、かつらができる、と冗談で言っていたほどだ。この多さをネジャーティにもわけてあげたい・・・。

 シンシナティに来ておそらく初めての遠出で、ネジャーティも、ここに来て全然どこも行ってないから、と申し訳なく思ってくれていたらしい。ネジャーティは会議で缶詰になっているのだが、こういう機会でもないとどこも行けないから、と言ってくれたので、内心うれしかったのだった。

 ところで、ネジャーティの化学学会の会議は規模が大きいらしく、聴きたいセッションもいくつか重なっているのでどれを選ぶかが悩むらしい。それで、ノーベル化学賞を取った田中さんの講演もあるらしい。

 それで、この会議にイスマイルがトルコから来るらしい。イスマイルというのは去年半年間ここに滞在して、ネジャーティの研究室で研究をしていた人なのだが、ここで研究したことをポスターセッションで発表(っていうのかな)するのと、会議の後シンシナティにも2週間滞在するらしい。聞けば今度の金曜日に一度シンシナティまで来て、2泊した後、日曜日にシカゴに一緒に行くことになったらしい。シンシナティの滞在は研究室の教授が手配したB&Bらしいが、シンシナティにもB&Bがあるんだ、と意外だった(多分あるんだろうけど)。調べてみようっと。


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