オクラホマ・スティルウォーターから

2003年12月31日(水) 年忘れ

 今年もあっという間に終わってしまった。

 昨日は雨が降ったこともあって、ちょっと暖かい陽気だったが、今日はすがすがしい天気だったにもかかわらず、風があって寒かった。

 さて、年忘れ、ということで昨日の明け方に起こったことを一つ。

 最近梨奈が、私たちのベッドで寝ていて、ネジャーティが弾き飛ばされて床に寝ている、という日が続いているのだが、明け方に目が覚めて、なんか梨奈がぐずっている感じだなあと思ったら、梨奈のパジャマ全体がぬれていることに気が付いた。それで梨奈が泣き出したのだが、どうもおねしょをしてしまっていたらしい。こんなことは初めてだったので、梨奈もびっくりして泣いたようだったが、私が心配だったのは、パジャマが冷たかったので、風邪を引かないか、ということだった。

 幸い、ベッドのシーツとパッドの下に、ビニール製のカバーをつけているのでマットレスに染み込む、ということはないので、ただシーツなどを洗濯すればいいだけだった(染み込まない分、梨奈のパジャマが思いっきりぬれた)。

 一年を締めくくる、我が家の一大事件でした。

 今年一年、日記ならびにホームページをご愛顧いただきありがとうございました。皆様もよいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いします。



2003年12月30日(火) 普段通りの日/メール

☆普段通りの日
 こちらではクリスマスとその週末が終わって、普段通りの日になっている。

 日本だと年末の忙しさとお正月がくるというそわそわした気分があるのだが、その気分を味わおうにも普段通りなので、気持ちがあちこちに行っている。

 そうは言ってもとりあえず簡単なおせち料理が作れそうな材料をジャングルジムズで買ってきた。

☆メール
 ひょんなことから、今でも尊敬している高校時代の先輩と何年ぶりかにメールでお話しすることができ、とても嬉しかった。

 同級生の友人などからその先輩のことは聞いていたが、最後にその先輩に会ったのが何年前になるだろう、というぐらい前のことだったのと、その時にはまだメールと言うものがなかったから、メールアドレスの交換ということもしてなかった。なので、メールでお話できた時はとても嬉しかった。それから驚いたのは、先輩と私は大学が違うにもかかわらず、日本で私と同じゼミだった人を先輩が知っていたことだった。そういう偶然のつながりと言うのはこれまでも何回かあるが、やはり何回起こって驚くものだ。



2003年12月29日(月) トルコ語

 先週本屋に行った時に、偶然トルコ語の本を見つけて買ってしまった。

 著者はトルコ人の奥さんとイギリス人の旦那さんで、英文を見ながらトルコ語を勉強するようになっている。それで途中、単語の意味で、え?と思うことがあったりして、トルコではイギリス英語を習ったネジャーティに聞くと、イギリス英語ではそういうんだよ、というので一安心。

 例えば、サバイバルガイド(これだけ知っていたらいいというもの)の項目の場所のところで"eczane(エジュザネと発音する)"の訳語に、"chemist's" とあって、思わず「化学者?」=ネジャーティ? と、ネジャーティの顔を見つめてしまったが、ネジャーティによると、それは薬屋さんのことで、アメリカ英語だと、"pharmacy(ファーマスィー)"というところらしい。また、グラムも"gramme"と書いてあって、一瞬ひやっとしたが、イギリス英語ではそう書くんだった、とホッとした。

 それはいいとして、英語を読んで勉強するので、英語の文と比べてしまうのだが、トルコ語は日本語と同じ語族なので、日本語で考えて覚えた方がいいらしい。でも、日本語にない文法もあるので、大変だ。

 でも、イントネーションとかネジャーティに教えてもらえるし、問題も答えがついているが、解説をしてもらえるし、ネジャーティも普段意識していない文法を再確認できる、というのでちょっと嬉しそうにしていた。

 そういえば、数が出てきたのだが、再来年ぐらいにトルコリラの通貨の切り下げがあるみたいで、今いっぱいあるゼロが減るみたいだ。この前女子高生が教えてくれた話があって、日本で彼女が見た番組でアイドルグループが2つのグループで100万の賞金を競っていて、司会者が100万といっても100万トルコリラです、といって、日本円にして450円ぐらいの硬貨をちゃりちゃり〜と賞金として渡していたという話で大笑いしたのだが、それをネジャーティに話したら笑っていた。



2003年12月28日(日) 金曜日の続き

 夜にシンシナティーのダウンタウンで撮った写真



ファウンテンスクエアの電飾



ダウンタウン近く



2003年12月27日(土) コーヒー店談義

 昨日、スターバックスで婦人と話している時に、婦人の親戚がバーモントにいる、という話から、ネジャーティが、スターバックスの本社はバーモントじゃなかったですか、というので、スターバックスはシアトルだよ、と言うと、バーモントに本社があるコーヒーはなかったっけ? というので、確かグリーンマウンテンがそうだったかなと思ったが、その話は終わりになって、帰ってきてから調べてみたら、やはりそうだった。

 バーモントと言うと日本ではカレーの名前になっていて、なぜバーモントというのかというのはさておき、どこにあるかというと、アメリカの北東部に位置し、西のニューヨーク州、東のニューハンプシャー州、南のマサチューセッツ州に囲まれている小さな州である。

 バーモントの製品で有名なものはBen& Jerry'sというブランドのアイスクリームもあるが、コーヒーもニューハンプシャー大学では確かグリーンマウンテンの物を使っていたと思うし、(UNHの方、訂正があったらお願いします)スーパーでも売られていたような気がする(4年間いてはっきり覚えてへんのんか・・・・)。

 インターネットで調べていたら、おそらく個人のサイトで、各地のスターバックスのお店の写真が載っていて、ニューハンプシャーのスターバックスのお店の写真もあって、懐かしかった。



2003年12月26日(金) 電飾

 クリスマスは終わったものの、クリスマスの電飾をつけている家も数多く、今日はみんなでネジャーティのバス通りにある隣り合わせた2軒の家の電飾を見に行き、写真を撮った。ディズニーランドのパレードみたいに見た目は写真よりもっと派手で、これを見た後の他の家の電飾は比べ物にならないほどだ。

 


2軒の家の電飾

 
左の家。電飾の鹿が電動で動いている。

 その後、ダウンタウンに行き、ファウンテンスクエアに行った後、近くのスターバックス(4th & Vine St.)でコーヒーを飲んでいたら、近くに座っていた婦人に声をかけられた。最初は梨奈は何歳?と聞かれて、それから少し話し込んだのだが、婦人がもともとはコネティカット州の出身で、オーランドやモンタナ州に移り住み、今はここに住んでいて、これから娘さんを訪ねると言っていた。モンタナはとても景色がいいところだが、物価が高くて、割に合わない、といっていた。それから、私たちがフロリダで知り合ったことや、ニューハンプシャーに移ったことも話すと、親戚がバーモント州に親戚がいるのよ、ということで、話も盛り上がった。



2003年12月25日(木) クリスマス

 前日の夜にはテレビでは教会の行事が映され、クリスマスが改めて宗教儀式だと痛感した。

 クリスマスカードを送ってくださった方もいらっしゃって、ありがとうございます。改めて新年のご挨拶をしたいと思います。



2003年12月24日(水) 歴史観

 昨日まで遊びに来ていた女子高生と話していて面白かったのは、つい最近起こった国際情勢も、彼女にとっては本で読む歴史になっていることだった。

 そういうと年がばれてしまうが(というよりとっくにばれているが)、たとえば、ソ連崩壊やドイツ統一、湾岸戦争など、つい最近(といっても10年以上が経っているが)起こったことのように思えてしまうが、彼女にとっては生まれたばかりの頃、あるいは幼少の頃の出来事で、自分の記憶として覚えているものではない。

 教科の歴史は、どちらかというと実際に経験したことのないものを本で学ぶという感じなのだが、すでに湾岸戦争のことも歴史の資料集には載っているようで、そうすると、私にとっては、自分で経験したことと、本に載っていることがどんどん重複していることになるのだろうか。

 例えば、歴史の本でゴルバチョフのペレストロイカのことが載っているとして、その頃のソ連を知らないというと、ただ単にゴルバチョフがペレストロイカを行ったということしかわからないが、行間に含まれることと言うのはたくさんあって、その当時のソ連の最高権力者である書記長、というと、アメリカの大統領あるいはそれ以上に権限や権力があるような感じがして、ソ連というと、ものすごい大国(しかも怖い国)に思えたし、その国が崩壊してしまったことも驚いたし、その後ゴルバチョフが軟禁された時には無事を祈ったし、ソ連崩壊の流れで東西ドイツが統一し、ベルリンの壁の崩壊を画像で見て感激したし、本の上では歴史になっていることを、この目で見たことというのは、本当は大きいものなんだなあと感じた。

 歴史の本と言うと、起こったことをただ単に述べている、という感じもあるが、本当は、書き切れないことがたくさんあって、そういう意味では、本に載っていることを実際に経験した人から聞く、というのはとても意味があることじゃないかと思った。



2003年12月23日(火) 買い物、おしゃべり

 ネジャーティが起きた時にいったん目が覚めたものの、二度寝をしてしまい、ドン、ドン、ドンというものすごい音で目を覚ますと、10時半ぐらいになっていた。9時に起きてご飯にしましょう、と言っていたのに、寝過ごしてしまうとは・・・。昨日、勝手に3時まで起きていたのが原因・・・・。といっても、ちゃんと女子高生は起きていました。

 ものすごい音と一緒に、話し声が屋根から聞こえてきたので、メンテナンスの人が屋根の点検に来ていたことがわかった(あとで、裏庭をはさんだ他の棟の屋根に何人かがいて、屋根瓦をチェックしていた)。

 遅い朝食(ほとんどお昼ごはん)を取って、梨奈を起こしてWalmartと、お目当てのジャングルジムズに行った。日本食品の専門店もあるが、そこは値段的には一番高くて、そこで買い物することはほとんどなく、ジャングルジムズは値段も個人経営のお店としては良心的かな、と思っている。ジャングルジムズがあれば、アメリカのどこに行ってもいいと思っているぐらいだ(でもこの1店しかない)。聞けば、女子高生のホストがいつかここに連れてこようと思っていたようなので、どうもシンシナティーならずとも知られたお店らしい。

 晩ご飯を食べてから彼女を家まで送ったが、梨奈は車に乗ってしばらくしてから眠ったので、2人で最後までおしゃべり。この2日間は私自身も楽しかったが、遅い食事などで彼女には申し訳なかったことがいくつかあって、反省。



2003年12月22日(月) 夜景

 あいにくの曇り空だった。今日は割と近くに住んでいる日本人から頼まれごとの約束が午前中にあったので、女子高生にモールに行ってもらっている間に訪ねてみたがお留守だったか出てこられなかったので、その足でKinkoとトイザラスに行った。

 グランマからの誕生日プレゼントをまだ買っていなかったので、何がいいかなと思った挙句、前々からいいなあと思っていた、LeapPadを買った。しかし電池がついていなかったので、今日は結局試せなかった。

 モールで女子高生と待ち合わせて、とりあえずお昼ご飯に戻って、その後シンシナティーのダウンタウンへ。といっても、雨が降り出してきたし、ちょっと寒かったので、車で抜けて、オハイオ川の対岸にあるケンタッキーのニューポートへ行った。

 ニューポートは規模としては小さいものの、神戸のハーバーランドの雰囲気にちょっと似ていて、対岸のシンシナティーのビル街を見渡せるので、誰かが来た時は決まって案内し、Barnes&Nobleの2階に入っているカフェの窓際から対岸を見るというパターンだ。

 そして、暗くなって外から撮った写真が↓。夜の風景を撮る機能がついているが、女子高生がきれいに撮ってくれて、やはりさすがである。





 ちなみに本屋では、コーヒーを飲んで落ち着きたいところを梨奈が子供の本のコーナーに行きたいと泣き出し、困ってしまった。

 その後ネジャーティを迎えに行って、帰った時にはとても遅い夕食となり、女子高生には申し訳なかった。



2003年12月21日(日) 暖かかった

 今日は暖かいようで、裏庭の芝生の雪もすっかり解けた。

 今日から火曜日まで、デートンに滞在している日本人の女子高校生が泊まりにくるので、デートン中心街より南にあるモール近くの本屋で待ち合わせになっていたので迎えに行った。

 明日シンシナティーを回ったりしようと思っている。

 



2003年12月20日(土) 梨奈の誕生日


4歳になりました。









2003年12月19日(金) ♪雪の降る街よ〜!

 オハイオに来て2回目の冬を迎えているが、今日もまた雪が降っている。

 クリスマスを前に控えて、ネジャーティは学校の人から、私は友人からカードなどをもらっている。デトロイトに住む友人はスヌーピーフリークで、お店で見つけたスヌーピーのチョコ(デトロイトでもおそらくある)を朝送ったら、お昼の配達で、その友人からカードとチョコがきていた。ちょうど入れ替わりになって、ちょっと面白かった。

 クリスマスでは本当はギフトをツリーの下に置いておいて、クリスマス当日に開けることになっているらしいが、友人からの包みもさっさと開けてしまった(というより、ツリーがないので置いておく意味なし)。

 そういえば、ネジャーティの通勤バスから、隣同士の家が競ってつけている(としか思えない)クリスマスの電飾が今年もあるようなので、また見に行こうかな。その電飾を見てしまうと、他の電飾が何でもないように思えるほどのすごさなのだ。一般の家庭でこの電飾だと、電気代食うやろうなあ、と思うほどなのだ。

 うまく写真に撮れたら載せてみます。



2003年12月18日(木) 卵焼き? 冬の飲み物?

☆お知らせ

 電話が鳴ると走って受話器を取る梨奈ですが、何も言わないで黙っているだけで、「誰もいない」といって、電話を切っています。もしお心当たりのある方、犯人は梨奈です。申し訳ありません。

お知らせ終わり。


 今日郵便局へ行こうと思ったが、雪がずっと降っていたので行かなかった。

 昨日ネジャーティが歯医者に行って、車に乗っていったのをすっかり忘れていて、早めに帰ってきてドアのチャイムを鳴らすので、びっくりして誰だろうと思って開けたらネジャーティだった。

 手には、スーパーで買ったものを持ち、その中に、自分で作ってみたい、と思ったものがあるらしい。フロリダ時代に、寮のカフェテリアで出ていた卵焼きは、卵を割らなくてもすでに黄身だけカートンに入っているものがあって、それを自分で買って作りたかったらしい。

 それで、袋からおもむろにカートンを出して、「これ、間違っていなければいいんだけど」と出したものは「エッグノッグ(Egg nog)」だった。

 「それ、違うよ」と間髪入れずに言った私の言葉にもめげず、卵焼き器を出して作り始めたが、失敗に終わった。

 エッグノッグは、卵、牛乳、砂糖をかき混ぜたものにお酒類を入れたもの、というのが一般的なものらしいが、スーパーに売っているものはお酒類は入っていない。季節ものなのかどうかわからないが、冬になると目に付く飲み物だ。

 ネジャーティは牛乳売り場でそれを見つけたらしいが、カートンに入っている卵は卵のコーナーに置いてある。ちなみに、ネジャーティが買いたかったのはおそらく「エッグヨーク(Egg yolk)」で、黄身が入っているものだ。白身だけというのもあって、それは「エッグホワイト(Egg white)として売られている。 

 ネジャーティ、残念。次回、見つけて作ってみてね。



2003年12月17日(水) ネジャーティ、歯医者へ

 先週、ネジャーティが口をゆすいでいる時に何か硬いものが出てきて、よく見たら、歯の詰め物が部分的に砕けて取れたらしい。そして、今日の朝8時に、予約を入れて歯医者に行ってきた。

 実はネジャーティ、アメリカで初めて歯医者に行くのである。もともと虫歯の治療跡も、取れてしまったという詰め物のところぐらいで、歯全体がとても健康なのである。やはり乳製品に囲まれて育ったトルコ人は歯が強い。ネジャーティは特に、自分のうちで乳製品を作っていて、それを食していたらしい。「ミルク」といったら牛乳しか思い浮かばない私だが、ネジャーティにとって「ミルク」は牛乳以外に、ヤギやヒツジのミルクもあって、バター、チーズ、ヨーグルトも自分のところで作っていたらしいから、カルシウムの摂取量は比べ物にならない。うらやましい限りだ。

 歯医者は私が行っている、すぐ近くのところで、歯医者も助手も受け付けもみんな女性、というところだったので、ネジャーティは女性ばかりの歯科に圧倒されるのではないかと思ったが(または、喜んだかもしれないが)、お昼近くにネジャーティに電話して聞いてみると、とてもよかったと言っていた(それは女性ばかりだったからというわけではないが)。

 今日のところは詰め物はしなかったようで、1月に入ってから保険が多く降りるそうなので、1月に入れることを勧められたらしい。そして今日はレントゲンや写真を撮ったり、歯垢を取ったりしたらしい。そして、歯垢を取った後を診るために、もう一度予約をするらしい。虫歯も、2,3ヶ所あるらしいが、取るに足らないものらしい。今日のクリーニングで、着色していたところもきれいになったみたいなので、満足げだった。 



2003年12月16日(火) 漫画本

 雪が解け出して芝生の草も見えてきていたが、今日の雨ですっかり解けてしまった。

 来週はクリスマスがあって、サンタに手紙を送る子供もいるらしいが、1920年代に新聞にサンタへの手紙が掲載された記事を読んだ。それによると、その当時の10歳ぐらいの子供が、サンタにほしいものなどを書いていた。その子供はもし生きていたら90代だ。
 1930年代のものもあって、漫画本の主人公が着ているような帽子や服がほしいとねだっている子供の手紙があった。ネジャーティはその漫画本を知っていて、子供時代の漫画本の話になった。

 私は漫画はテレビで見るのが主だったので、持っている漫画本は少ない。初めて持った漫画本というのは、実はこの前うちに遊びにきたいかさんが誕生日にくれたもので、今は実家に置いてある。それで自分でシリーズで集めた漫画本が2種類あって、1つは新聞の4コマ漫画を集めたもので、1巻から24巻ぐらいまで持っていると思う。不覚にも同じものを一度買ってしまったことがあり、同じ巻が2冊ある。

 もう一つは、手塚治虫の漫画だ。江戸時代の医師の話(しかも、医師だったご先祖の話をもとにしたもの)で、アメリカに来る前に神戸でアルバイトをしている時に、漫画本専門店で見つけたもので、これを何冊か買って読んだことがある。

 アメリカでは漫画本は極端に少なくて、日本のものも入ってきたりするが、日本人は文章でも「読む」というよりは漢字を「見て」理解するので、本の上でも視覚に訴えるものの方が受けやすいのかもしれない。それは漫画に限らなくて、アメリカでは旅行の本にしても、料理の本にしても文章がほとんどで、日本人の私としては、料理の本では、どう作るかというのはどうでもいいから、少なくても出来上がりの料理を写真で見せてほしい、とよく思う。



2003年12月15日(月) 点数稼ぎ

 昨日、例のごとく私一人、みんなより早く起きて自分の時間を作り、インターネットを開いたら、飛び込んできたのは、フセインが拘束されたというニュース。そのニュースを読んだ後はメールを読んだり、2人が起きてくるのでご飯の用意をしたり、と忙しさで忘れてしまった。そして、買い物に行った時にふと思い出し、「そういえば、フセインが拘束されたんだって」とネジャーティに言って、びっくりさせた。

 ニュースを読んだ時に、とうとう見つかったかという感想の次に思ったことは、もう少し早く見つかれば、大使館の日本人のお二方が亡くならずに済んだのではないか、また、お二方はきっとこのニュースを直接聞きたかっただろうなあということ。そして、MSNのHPでブッシュの写真を見た時に、ブッシュは来年の大統領選挙を前に、うまい具合に点数稼ぎをしたなぁということ。

 今後の動向が注目されるところだが、独裁者の末路はあわれなものと、相場が決まっている。一番印象にあるのは、ルーマニアの独裁者で、銃殺刑にあったチャウシェスクだ。独裁者ほど、自分の身がかわいく、欲のためなら他人の犠牲は何とも思っている人間はいない。たった一人の人間のために、人々やその国が左右されるなんて、もし自分の国がそうだと考えると、真っ平ごめんだ。今の時代の人間には受け入れられない。



2003年12月14日(日) 雪景色

 昨日の夕方、梨奈と近所のケイラ、ジャキアと遊んでいた様子が下の通り。



 そして、一夜明けて、今日の雪景色







 左から妹のジャキアと姉のケイラ(妹の方が大きい)



2003年12月13日(土)

 この冬、初めて本格的に雪が降った。11月にも雪がちらつくことはあったが、積もったのは今日が初めてだ。
夕方ぐらいから降り始めてすぐに止むかなと思っていたが、夜に台所の窓から少し白いのが見えて、もしかしたらと思い、外を見てみたら芝生が雪で覆われていた。

 こういう、ちょっとした雪は冬の季節を楽しく感じるが、ニューハンプシャーの、1月に入ると3月ぐらいまで地面が見えることがない、雪に閉ざされた冬で、雪国の厳しさを十分に味わった。



2003年12月12日(金) 「上」=「2階」?

 ここは2階建てのタウンハウスで、寝室が2階、リビングやキッチンが1階にあるという構造になっている。

 朝起きた時には梨奈に「下に行こうか?」と言っているし、2階に上がる時は「上に行く」とも「2階に行く」とも言っている。それを毎日繰り返すと、「上」と「下」の概念はわかるようになったらしい。

 晩にインターネットである旅行に関するHPを見ていた時のこと。ホテルの2階の部屋や朝食の写真が載っていたが、そのページを読み終えると、梨奈が私に、

 「2階、2階」と言っている。

 ホテルの2階の部屋が見たかったのかな、と思ってページを上に上げていると、まだ「2階、2階」といって、人差し指で上に上げる仕草をしている。

 そこで、ふと気付いたこと。2階の部屋の写真というのは、そうHPに書いてあっただけで、私が梨奈に言ったわけではないので、その写真が2階かどうかというのは梨奈は知らない。そして、「上」と「2階」を同じように使おうとしたらしい。「2階」が「上」というのは成り立つのだが、「上」は必ずしも「2階」ではない。こういう間違い、というのはするんだろうなあ。

 もしかしたら、外国語を習う時のように、子供も母国語を覚える時に、結構間違ったりしながら習得しているのかもしれない。
 



2003年12月10日(水) トルコのオカンからの便り

 オカンというのはネジャーティの知り合いのトルコ人だ。関西人に「オカン」というとちょっと笑いが出てしまうのは、関西弁で「お母さん」という意味があるからだ。そして、このオカンは男性である。

 オハイオのコロンバスに住んでいたオカン家族とは長く連絡を取っておらず、11月に入って、一度行ってみない? とネジャーティに言ってみたが、いつも忙しいネジャーティは重い腰を上げなかった。
 
 それで、先月終わりにひょんなことからオカンを知っている人から、オカン家族が11月の中頃にトルコに帰ったという話を聞いた。オカンの奥さんや子供は今年中に帰ることになっていたが、オカンはもう1年残ることになっていた。

 そして、つい最近、オカンからネジャーティにメールが届いたらしい。 

 それによると、今年の夏にオカンがトルコに2〜3週間の予定で帰った時に、切れていた査証(ビザ)の更新をしたのだが、ビザがもらえなかったらしい。6月にオカンが来た時に、夏のトルコ行きの話が出た時に、ネジャーティはとても心配したそうなのだが、結局は残念な結果になってしまった。トルコは一応イスラム圏になるし、専攻が化学というと、オカンがいくらいい人でも、ビザを出す側としては出したくないというのが本音かもしれない。

 ビザは入国の時に必要なもので、滞在には別の書類があるので、滞在には問題なかったのだが、肝心な入国ビザがもらえなかったので、オカンはそのままトルコにいることになった。ちなみにトルコはアメリカに入国するには観光目的でもビザが必要で、観光ビザの免除にはなっていない。

 もちろんテロの影響でだんだん厳しくなっているのだが、あのテロでイスラム圏の人や、アメリカにいるイスラム圏出身の人も大きな迷惑を被っていると思う。少なくてもオカンはその一人だろう。



2003年12月09日(火) ベビー・シャワーのギフト

 ネジャーティの研究室で今週の金曜日、ベビー・シャワーのパーティーがあるらしい。それでネジャーティに「プレゼント買ってきてね」と頼まれていた。ネジャーティの研究室でも今年すでに一度ベビー・シャワーのパーティがあったし、今年はベビーラッシュだ。

 ベビー・シャワーというのは、赤ちゃんが生まれる前に、出産後に必要になってくるものなどをみんなでプレゼントする、というものだ。

 ネジャーティがもらってきたベビー・シャワーのカードには、プレゼントでほしいものがターゲットとベビーザラスの2つのお店に登録してある、ということなので、今日の午後、矯正歯科に行った後、ベビーザラスに行ってみた。

 家からわりと近いベビーザラスは、日本にもあるトイザラスの姉妹店のようなもので、ベビー用品ばかりが置いてあるお店だ。その他にキッザラスという姉妹店もある。それで、ベビーザラスのそのお店は去年だか高速道路をはさんで反対側に新しいお店を作ってそっちに移ったのだが、新しくなってから行ったのは今日が初めてだ。

 ギフトレジストリー(ギフト登録)のコンピューターが置いてあって、そこで苗字と州を入力すると、登録者の名前が出て、ギフトのリストが印刷されるのだが、ネジャーティがもらったカードの名前を入れても出てこず、カウンターの人に見てもらった。

 それで、どうもカードに苗字が入ってないらしく(下の名前で探していた)、誰か苗字を知っている人に聞いてみますか?、と電話を使わせてくれて、研究室の人にかけて聞いて、その苗字でリストが無事出てきた。

 リストにはかなりの品目があって、数量と購入済みの数量も載っているのだが、購入済みは0になっていたので、だれもまだベビーザラスでは買っていないらしい。結局その中から、お皿とスプーンのセットと、おもちゃを買ったのだが、お皿とスプーンなんて、まだ半年も使わないだろうし、それだったら、哺乳瓶を洗うブラシの方がすぐ使えるものだからそれにすればよかったと後悔。

 レジを出ると、ベビーザラスの無料の包装紙が置いてあって、そこでラッピングもできるようになっている(梨奈と一緒にラッピングした)。

 それにしても、メーカーごとに品物がたくさんあって、品揃えがとてもよかった。
 



2003年12月07日(日) 冬の富士山

 昨日は寝付いたのが遅かったにも関わらず、今日は天気もよかったし、早く起きて買い物に行ってきた。一人で行動できるのはいいことだ。買い物を終えて家に帰っても、2人ともまだ寝ていた(いつまで寝てるねん・・・・)。

 そうそう、こういう冬には荘厳な富士山を思い出す。静岡の三島での6年間、富士山がいつも見られるというとても贅沢な毎日を過ごした。

 関西出身の私は、三島に行くまでは富士山を見たのが、飛行機から一度、新幹線から一、二度、というところだった。兵庫県でも富士山がぎりぎり見えるといわれるところがあるかないか、というぐらいで、普段は縁のない富士山である。一生に一度、きれいな富士山が見られれば、というのが関西を含め、西日本の人の夢と言っても言い過ぎではない。

 三島に行って間近に見て驚いた富士山というのは、大学の教室でオリエンテーションか何かを受ける時に、ふっと窓に目をやって飛び込んできた富士山だった。こんなに間近で見えるんだ、とびっくりした。富士山が見える教室での授業、富士山を見ながらの屋外の授業(要するに教養の一つの体育)はとても贅沢だった。
 
 そして、きれいに見えるなあと思った時期というのはおそらく12月で、天気のいい日が続き、空気も乾燥しているからか、雪のかぶった富士山がくっきりと見える。アパートに2年間暮らした私は、玄関を開けると正面に見える富士山にいつも感動していた。富士山は季節によって様相も変わるので、富士山の光景は飽きないものだ。

 大学の休みが終わって、新幹線で戻る時に、新大阪から三島に止まるひかりを狙っていつも戻っていたのだが、慣れた頃には、浜名湖に差し掛かる時に目が覚めて、富士山が徐々に見えてくるのを楽しみにする、というのが習慣になっていた。

 三保の松原から見た富士山、伊豆半島から見える、海に浮かぶ富士山、山梨(だったかな?)にある遊園地から見た、差し迫るような巨大な富士山、長野に抜ける時に、富士山の東側を走って見えた、朝日を浴びた赤富士(本当に赤いのでびっくりした)など、どんな富士山でも美しい。

 最後に見た富士山は伊丹から成田への飛行機の中からだ。



2003年12月06日(土) 棒の正体は?

 昨日は暗いうちだったのでネジャーティもよくわからなかったが、今日は近くのCarXに車を見てもらおうと、昼過ぎにネジャーティが見てみると、その平たい棒が外れたらしい。昨日は運転した時に「ぶ〜ん」と言う音がしたが、今日車を動かした時には音がしなかったので、やはりその棒で音がしていたらしい。

 それをお店の人に見てもらったら、車の部品ではないけど、念のために見ましょう、ということで見てもらった。

 車を電動のジャッキで上げて、見てもらったが、結局何もないということで、すぐに下げて、お金も取られずに、そのまま帰ることになった(その後は買い物に行ったが)。

 結局何の棒かわからなかったが、棒の先にビスみたいなのがついてて、どうもそれがタイヤに引っかかったらしい。もしそれがついていなければ、それを踏んだだけで終わったのだろうが、引っかかってタイヤが巻き込んでしまったらしい。

 何もなくてよかったが、高速道路に変なものを落とさないでほしい。



2003年12月05日(金) 高速道路で

 ワシントンDCに行った方から、高速道路が片側6車線だった、というのを、それはすごいと驚いていた。この辺は、3車線(4車線ってあったかなあ?)なので、その倍というのは想像し難い。

 高速道路で思い出すのは、ボストンのダウンタウン近くの高速道路だ。I-93というのが走っていて、ダウンタウンでは高架になっている。この高速道路がとても邪魔なのだ。ダウンタウンの東側にあるのだが、ちょうどイタリア人街となっているノースエンドが分断されていたりして、この高架がなければすっきりするだろうなあ、と思っていた。

 それは誰もが思っていることで、実は現在地下に埋める工事が進んでいる。「ビッグ・ディグ(Big Dig)」というプロジェクトで、今年の9月現在で90%進んでいて、今年の3月には、北に走る道路が完成したらしい。工事の完了予定は2005年なので、もう少しだ。完成して、高架が取り払われた風景を見てみたいなあと思っている。

 さて、シンシナティーに話を戻して、昨日I-275という環状の高速道路を走っていたら、突然、タイヤに「バン!」という音が聞こえた。一瞬破裂したかと思ったが、パンクしたら走れないので、とりあえず、いつもの出口で降りて、自分のうちまで戻った。見たら、左の後ろのタイヤ近くから、金属の平たい棒が出ている。修理をしないといけなかったらいやだなあ。



2003年12月04日(木) ラストサムライ

 MSN(アメリカ)でもトップにラストサムライの映画が取り上げられていて、十差のHPに行って、どんな俳優さんたちが出ているか見てみた。渡辺謙が出ているというのは知っていたが、なんと、福本清三さんが出ているではないか。

 時代劇に詳しい人なら必ず知っているし、名前を知らなくても顔を見たらわかる、という人だ。斬られ役40年の福本さんは、時代劇では名前がつく役というのはほとんどないが、奉行所にいる役人勢の一番前にいたり、「出あえ〜」という悪役の言葉で出てくる、多数大勢には必ずいたり、斬られ役としては今では第一人者、ベテランである。今月15日にある水戸黄門の3時間スペシャルには出ているらしい(アメリカにいながらなぜか詳しい→情報入手@インターネット)。

 映画では「サイレントサムライ(無口な侍)」の設定らしいので、しゃべるシーンはないにしても、わりとトム・クルーズと映っているシーンがあるらしい。すごい、福本さん〜!



2003年12月03日(水) トルコのデザート、ヘルバ(helva)

 ネジャーティが学校からデザートを持って帰ってきた。研究室に今学期から来ているバングラディッシュの人に女の子が2、3ヶ月前かに生まれて、私たちも服を贈ったのだが、研究室のみんなでベビーカーを買って贈ったらしい。今日はそのお礼に、というのでケーキと、奥さんが作ったと思われるバングラディッシュのデザート・アルバを学校に持ってきたらしい。



 それはトルコではヘルバというもので、小麦粉を粗く挽いたサモリナという粉を使ったお菓子だ。それで、トルコにもあるよ、というと、スリランカやセルビア出身の学生も、アルバという同じものやよく似たお菓子がある、というので、おそらく広い範囲で共通したお菓子らしい。特に、旧ユーゴスラビアはオスマントルコの領土になったこともあるので、オスマントルコの遺産が多く残っているので、食べ物も然りだろう。

 食べた感想は、素朴な味で、おそらく、材料の一つであるセモリナ粉の味というか匂いがして、異国のお菓子という感じだ。

 それで、こういうお菓子を見ると懐かしいんじゃないの、というと、苦い思い出しかない、という。その思い出だけでなくて、子供の時にあったことを話すと、出てくる、出てくる。男の子はこういうもんなんやろうなあ、といくつかの話も聞いてる途中からなんとなく何が起こったか想像できて大笑いしてしまった。



2003年12月02日(火) 5年前の自分

 先月はあっという間に終わってしまい、先月中にお会いしましょう、とか、電話で話そう、といっていた約束事が果たせないままになっていた。

 電話をしたが話ができなかったフロリダ時代の友人にメールで詫びを入れたところ、早速電話をかけてきてくれて、いろんな話で盛り上がってしまった。

 同じ年の彼女と私は同じ学期に修了し、お互いフロリダを離れて、それ以来会っておらず、お互い忙しい生活を送り、気が付いてみれば、フロリダを離れて5年も経っていた。気心が知れた彼女と電話で話すのは本当に久しぶりだったが、一気にフロリダ時代の自分に戻り、当時いた日本人の仲間の安否を気遣ったり、思い出話をしたりした。

 この5年で仲間たちの環境も変わって、日本に帰っている人もいるし、何より結婚して子供がいる人も私を含めて何人かいる。日本の住所は持っているが、音沙汰ない人も何人かいて、何かの折に、どうしてるんだろうなあ、と思うこともあるが、彼女とも、どうしてるんだろうね、と話した。

 彼女も私も気が付けばアメリカでの生活が長くなっていて、滞在年数によって変わっていった気持ちも同じようだった。でも、最近里帰りした時のことを話してくれて、そういえば最後に日本に帰ったのが2年前だった私は、浦島太郎ならぬ、浦島花子になっていることを思い知らされた。特に、日本はアメリカと比べて技術をより生活の中に入れているので、そういう点では完全に時代遅れの人間となっている。ネジャーティと日本に行った時も、MDを見て「何これ?」と思ったし(アメリカではMDはほとんど見ない)、今でも携帯電話を使う必要性がない生活になっている。

 楽しい会話ですっかり長電話になってしまったものの、普段の生活で眠ってしまっていた自分の一面が呼び起こされた気がして、すっきりとした爽やかな気持ちの余韻が残った(また話そうね)。



2003年12月01日(月) 黄金の夕日

 感謝祭の連休も終わり、12月に入って、今年も後1ヶ月となった。

 昨日一人でドライブして、実はとても感動したことがあった。それは高速道路から見た夕日だ。西の空が黄金に輝いていて、文字としては黄金というのはわかっても、空が黄金に染まる、というまさしく文字通りの光景だった。そして、目に入った夕日というのはまたまばゆいぐらいに(というよりもまぶしかった)黄金に輝いていたのだが、それが、とても大きかったのだ。大きさを比較できないが、おそらく今まで見た一番大きな夕日(これも夏にうちの近くで見た真っ赤な夕日)と同じぐらいで、太陽であんな大きさに見えることってあるのかなというぐらいだった。高速道路の、ちょっと小高いところから見えたので、ある角度だと多分そう見えるのだと思う。シンシナティー市内は高速道路でもアップダウンがあるので、そのうち夕日は見えなくなったが、あの黄金の夕日は感動ものだった。


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