オクラホマ・スティルウォーターから

2003年11月30日(日) 感謝祭休日最終日

 今日で感謝祭の休みも終わりで、明日から12月だ。今年も後1ヶ月を残すところ、早かったなあ。

 私はいつも家にいるが、今週は木曜日からネジャーティが日中家にいるので、休日気分を味わった・・・・のはずなのだが、休日だからといって、自分の時間があるわけではなく、旅館の女将のように働かないといけないので、今日は夕方3時間弱の自分の時間をもらい、ちょっと行ってみたいキッチン用品のお店に一人で車を走らせた。

 買い物に行く前に、お店に行きたいというと、何を買いたいの? と尋問があり、何かなかったらあかんのか、と思いつつ、キッチン用品、といって出て行ったのだが、女性は特にお目当てのものがなくても、ちょっとぶらぶら歩いて、お店を見てみたいものだ。でも、なんで女性は買い物が好きなんやろう?

 今日の収穫は半額になっていた急須と湯のみセット@Pier1。小さい急須を持っているのだが、一杯分で終わってしまうものなので、大きいのがあればいいなあと前々から思っていた。今日のお目当て品ではなかったのだが、たまたま見つけたので買ってしまった。

 帰って見せたら、案の定、同じ物持ってるんじゃないの、という言葉の後、急須と湯のみの吟味が始まり、お客さんが来た時にいいかもね、という言葉で安堵。おみやげのトルコのデザート、バクラワでご機嫌を取り、自由時間は終了。



2003年11月29日(土) 感謝祭休日真っ最中

 感謝祭当日はショッピングモールは休みだが、24時間営業のMeijer(マイヤー)は木曜日も開いていたらしく、金、土、日とモールにお客が流れる前にお客を呼び寄せようとする策らしい。

 結局Meijerには行かなかったが、昨日モールに行ってみた。一年で最大のセールなので、見る人、見る人、手には紙袋を持っていた。

 特にお目当てのものというのはなかったので、自分用には何も買わなかったが、今から思えば、9月にいかさんとデパートに行った時に、「あのかばんかわいいね」というのがあったので、それを見るのを忘れてた。

 明日、また買い物に行ってみようかな。



2003年11月28日(金) 子供がきっとやってみること

 昨日の夜、コンピューターに向かっていた時のこと。リビングにいた梨奈が私を呼んでいたが、次に聞こえたのは泣き声だった。泣き声で尋常ではないことを察して飛んでいって、どうしたの、と聞くと、どうも遊んでいた赤いプラスチックのビーズを鼻の中に入れてしまったらしい。

 ビーズというのはそんなに小さなものではないのだが、形によってはもしかしたら鼻に入るかもしれない大きさで、前々から梨奈が鼻に入れようとしていたのを見かけた。ちょっと大きめで形のあるものだったので鼻には入らなかったし、私が見たので、したらいけないんだろうなあと思っていることがわかったが、どうも鼻に入れたがっていた。今回入れたものは丸い小さい輪のもので、すぽっと入ってしまったらしい。指で触ろうとするので、それをやめさせて、反対の鼻を押さえると、フン、フン、と2回目ですぽっと音がして出てきた。

 泣いたのはきっと怖くなって泣いたからだろうし、おそらくもうしないだろうと思っているが、ネジャーティも同じような経験をしたことを知っているので、梨奈も同じことをやったと、夜起こったことを伝えた。でも、思い出すとなんか笑えてしまう。取れたからほんとによかった。



2003年11月27日(木) 感謝祭---といっても片付けの日

 昨日は遅くまで起きていたこともあるからか、今日は遅く起きてしまった。朝から雨が降ってたらしく、低血圧気味の私たちはこういう天気で起きるのは苦手だ。

 ネジャーティとテレビを見たり、ちょっと片付けをしたりして、晩ご飯の後はネジャーティは学校に行ってしまった。家にいるとどうも息が詰まるらしい。どうしても梨奈のおもちゃで家の中が散らかってしまうのだが、それが嫌みたいだ。しかし、梨奈が散らかした端から片付けていると一日が終わってしまうので、日中梨奈が散らかしているのは仕方がないと諦めている私だ。おもちゃを次から次に遊ぶのが子供の性分なんだろう。今年の夏にペンシルベニアに帰ったネジャーティの研究室の人の奥さんも、旦那さんが帰る前におもちゃを片付けている、と言っていたから、旦那さんにしてみれば一日中きれいな状態でいる、と思っているらしいが、実際はそうではなくて、おもちゃでひっくり返っていると言っていた。ネジャーティはほとんどの時間を学校で過ごしているだけだが、一日中つき合わされている私の身にもなってほしい、とちょっと愚痴っぽく思ってしまった。

 それでも、先週ぐらいから、自分のものも少し片付けて処分したりしている。今減らしたいなあと思っているのはビデオテープ類。これをDVDに入れれば、すっきりするが、うちにはDVDプレーヤーもなければレコーダーもないし、もうちょっとレコーダーが安くなるのを待っている。

 来年本当に引っ越すことになったら、もう少し自分の荷物を何とかしたいと思っている。自分の部屋がほしいというのは贅沢かな?  



2003年11月26日(水) 機内にほしいもの

 ふと、飛行機に子供が遊べるちょっとしたスペースか床があったらなあと思った。

 機内のスペースというのは限られているので、そういうスペースというのは設けられないと思うが、そもそも座席も椅子でなくてもよかろうに、と思ってしまう。日本人はどうしても床に座る方がリラックスできるし、機内に椅子をたくさん作るよりも、子供が遊べるスペースに限らず床だけのスペースを作るとか、そうすると、ちょっとごろんとなれるし、その方が日本人に合ってるのではないかと思った。

 でも、安全面のこともあるし、椅子の方がもしかしたらスペースを取らないのかもしれないし、もし床だと、壁際にベルトをつけるとか、でも椅子の方が着陸した時の振動が少ないと思うし、椅子の方がいいのかなあ。

 ネジャーティに最初に床に座りたいというと、コタツがほしいの? といわれたが、掘りごたつっぽくしてもいいんじゃないか、と思った。テーブルも簡易性のものをつくるとか、座るところにちゃんとベルトもついているとか、座席を倒してちょっと寝ることができるとか、もしスペースの問題がなければ、そういうのもあってもほしいなあ。椅子よりもコストがかかるかなあ。



2003年11月24日(月) ラマダン終わる

 昨日から雨が降って、今日朝起きたらとても寒かった。


 ネジャーティがイスタンブールの総領事館の話の続きをしてくれたが、総領事は靴を磨いていたのではなくて、奥さんと一緒に道を歩いていたらしい。それで、その近所のお店の人にお茶を誘われて、総領事は忙しいからといって断ったみたいなのだが、奥さんはお店に立ち寄ったらしい。その5分後に爆発があったという、このお茶の誘いにのるか断るかで運命の分かれ道があるような、そんな感じだ。奥さんはまさか5分後に主人をなくすなんて夢にも思っていなかっただろう。


 ところでラマダンが今日で終わって、トルコでは3日ぐらいはお休みがあるそうだ。それでキャンディーデーと呼ばれていて、小さい子供は親や親戚からお菓子を、少し大きい子供はお小遣いをもらうそうだ。日本のお年玉とちょっと似てるかな?

 それで、ラマダンの間は水を飲んでいいかどうか、というのを聞いたら、水も飲めないし、たばこもだめらしい。水も飲めないというのは夏場は大変だろうなあ。「大変だね」というと、オフィス勤めの人はいいけど、工事の人とか肉体労働の人はもっと大変だよ、というので、どうやって、このラマダンを乗り越えるんだろうと不思議だ。



2003年11月23日(日) コンピューター

 今日も学校に行ったネジャーティを夜に迎えに行ったら、コンピューターを持って帰りたいから一緒にオフィスに来てほしいと言われた。この前買ったコンピューターを持って帰るのかなと思ったら、そうではなかった。

 オフィスに行くと、古いモニターとハードドライブがあって、どうも他の学部で処分されたものらしい。大学では新しいコンピューターを入れて、古いコンピューターを処分することがあって、それがおもむろに廊下に置かれていたらしい。ネジャーティはZipドライバーがあるのを金曜日に見つけたらしいが、ちょうど帰る途中でバスの時間があったのでオフィスに持っていく時間がなかったが、土曜日に行った時にはそれはすでになかったらしい。それで、ハードドライバーのいい部分だけをいくつかから取り出してくっつけたらしいし、モニターも一番ましなものを取ってきたようだった。

 家に帰ってセッティングして作動させたのだが、ワードの代わりにワードパーフェクトが入っていると聞いて私は喜んでしまった。

 今ではワードもよくなったが、フロリダにいた当初はワードパーフェクトがよく使われていて、エクセルと併用する場合には互換性のあるワードを使う人もいたが、もし書くことが主な場合は、ワードパーフェクトの方がよかった。それで、ワードパーフェクトで書いて保存しておいたものがほとんどで、今あるワードではその文書が開けなかった。なので、何年かぶりに開けられたのでちょっと喜んでしまった。

 でも、Cドライブには以前使っていた人のデータや文書が入っているということで、処分するということはちゃんとどこかに保存されていることと思うが、ちゃんと保存されていなくて、データをなくしたと後で思われたらちょっといやかなあ。

 あとは、ネジャーティがいろいろ入れてくれると思うし、日本語も入れたいので、2台あるというのは便利かな。



2003年11月22日(土) 料理の鉄人

 先日日本人の方からお借りしたビデオで料理の鉄人を久しぶりに見た。ニューヨークでの対決の特別番組のものだったが、料理の鉄人はアメリカでもアイアンシェフとして知られているようで、フレンチシェフ坂井さんがニューヨークの料理学校で特別講義をしている様子や、りんごの皮むきの生徒との対決(もちろん坂井さんの圧勝)などとても面白かった。

 それで、デーブ・スペクターが通訳に入ったのだが、普段デーブ・スペクターの日本語しか聞いたことがない私は、英語をしゃべっているのを見て、英語がうまいなあと思ってしまった。そりゃ、英語のネイティブスピーカーやから英語がうまいのは当たり前やって・・・・。

 長野智子さんがキッチンスタジアムでレポートをするというので、対戦前に紹介があったのだが、長野さん、実は6年前に私がニューヨークに行った時に、紀伊国屋でトークとサイン会があって行ったことがある。その日は野茂投手がニューヨークで試合がある、というのでどちらに行くか迷ったが、野茂投手の試合はまた見られても長野さんに会うことはないだろうと思って、長野さんの方を選んだ。長野さんはテレビで見るよりスレンダーできれいな方だった。トークの後、ちょうど出版された長野さんの著書にサインをしてもらったので、長野さん、というとその時の思い出が甦る。

 日本人シェフとアメリカ人シェフの対決は、「かに」のテーマの下、日本人シェフの勝利で終わったが、盛り付けや味付け、器などで日本らしさを見ると、いつも、日本に生まれてきてよかった、という感想になってしまう。そして、先人の創作に感謝するのである。アメリカはいろんな民族の集まりで、食べ物でアメリカらしさを出すにはまだ歴史が新しすぎる。アメリカ人シェフは南部のスパイシーな料理を得意としていて、エスニックの色を少し出しているが、インパクトという点ではまだ弱いかなという感じだ。こういう時に、普段は感じない歴史や文化の重さを感じる。

 それにしても、両者の料理はプロで、とてもかなわない。

 それで、一緒にテレビを見ていたネジャーティがどこか行ったなあと思ったら台所にいて何かを用意していた。料理の鉄人に刺激されてか、ネジャーティが用意したものとは・・・・・。



マンゴーのクリーム、チョコレート添え
(マンゴーのスライスに、ただホイップクリームとチョコレートシロップをかけただけ)



2003年11月21日(金) イスタンブールでの爆発

<爆発>
 いろんな方からお見舞いの言葉をいただき、ありがとうございます。ネジャーティのところはイスタンブールより離れた町なので大丈夫です。

 ・・・・・とはいっても、爆発に巻き込まれた人にはお気の毒としかいいようがなく、ネジャーティが得た情報によると、爆発で亡くなったイギリスの総領事は建物の前でくつを磨いてたそうで、近所のお店のおじさんにお茶を(トルコの場合はチャイという紅茶のことだが)飲まないかと誘われたらしいが、忙しいからといって建物に入った5分後に爆発が起きて亡くなったらしい。

 それとか、総領事館の前にあるオフィスでは、ある女性の机が窓に面していたらしいが、鉛筆を取りにオフィスから出た時に爆発があって、オフィスに帰ってきたら爆風でめちゃくちゃだったから、その女性は、筆記具を忘れたことで命拾いをしたとか、いろいろな話があるらしい。


<ラマダン>
 トルコはちょうどラマダンが終わるころで、ネジャーティはトルコにいた時は、高校ぐらいまでラマダンを守っていたらしいが、大学に入ったぐらいからやめたらいしく、アメリカに来てからも堂々と(?)やっていない。
 とにかく日の出ている間は食べてはいけないことになっていて、飲むのはどうなのか聞かれたが、ネジャーティがラマダンをしていないので、申し訳なくも答えられなかった。でも飲まないんだったかなあ。

 ニューハンプシャーにいた時に、近所に住んでいたトルコ人カップルの主人の名前が「ラマザン」だった。ラマザンというのはトルコ語でラマダンの意味だ。そして、苗字が「ティリヤキ」だった。よく「てりやき」と茶化されるそうなのだが、どんな意味か聞いたら、常用とか常用者(英語ではaddictとか addiction)という意味で、ラマザン・ティリヤキって、すごい意味だなあと思ってしまった。

 ラマザンはもちろんラマダンをしていて(ややこしいなあ)、当時は冬にラマダンがあったので、どうしていたかというと、朝遅く(昼近くか昼過ぎに)起きて、日の入りを待ってご飯を食べていたらしい。そしたら空腹になることはないでしょ、と笑って言っていた。

 それで、確かラマザンがイスタンブールにいるし、他にも知り合いがいるので、大丈夫なの?とネジャーティに聞くと、大丈夫だろう、という。でも、死亡者が発表された時に、ティリヤキという名前の人がいたらしい。同じ苗字の人が何千人といるから本人じゃないだろう、というけど、ちょっと心配だなあ。



2003年11月20日(木) 客層

 シンシナティー郊外に新しくできるモールの中に、この前行った屋外のモールに入っているオーガニックのお店もできるらしい、という話を聞いた。

 この前の日記にも書いたが、そのオーガニックのお店というのは、関西で言うイカリスーパーのようなハイソなお店で、そのモールに入る、と聞いた時に、客層をちゃんと見ているなあと思った。

 シンシナティーはアメリカの中では中都市か小都市といったところだが、都市が持つ性格もちゃんとあって、ドーナツ化現象という、郊外に住宅地ができて、中心地が空洞化してくる、という現象もあるし、近郊の町によっても所得の格差というのはあるし、日本と違うところは、アメリカは人種によって住む場所というのもだいぶ分かれている。シンシナティーは白人と黒人の家族(どちらかというと、黒人の旦那さんと白人の奥さんというケースが多いのかな)というのも、案外よく見るが、それでもシンシナティーは分かれているといえば、分かれている。私が住んでいるところはその境界線と言ったところで、最近は黒人の人口も多くなってきているらしいが、それでも治安が悪いわけではなく、黒人が住んでいる場所としてはおそらくいい地域に入っていると思う。

 さて、話は長くなったが、そのオーガニックのお店ができる地域というのはシンシナティー近郊でも「いい地域」で、実際の数字を見たいなあと思って、Census Bureauという政府の機関が出している州や郡別の資料で、郡の人口構成や所得などを見てみた。

 シンシナティーと近郊は3つの郡のいずれかに属しているが、その3つの郡で比べると、そのお店ができる郡というのは2つの郡よりも家族の平均収入が7千ドルから1万ドルも多い。円に換算すると、約76万から110万といったところだろうか。

 数字を見てこの件は終わりにして、何系のアメリカ人か、という数字を見ると、圧倒的にドイツ系が多いのは周知の通りだが、それについでイギリス系を抜いてアイルランド系が多いのもびっくりした。



2003年11月19日(水) 明治は遠くになりにけり

 昨日は暖かくて暖房を消して寝たが、それでも暖かすぎるからか、寝つきが悪く、明け方まで、眠れなかった。

 日本から持ってきている数少ない小説になぜか「坊っちゃん」があって、それを読んでいたら、もう今は使わないという言葉もあったが(簡単が「単簡」と書かれていた)、それでも書かれた時代からどんどん遠ざかっているわりには、言葉も内容も十分通じるものだった。何年経っても、人間の不変的な部分というのはあるんだなあと思った。

 日本の歴史から言うと、明治は新しいのだが、実際の生活の中では、明治は遠くになりにけり、で、明治時代の前半に生まれた人というのはもう存在しない。

 私の世代だと慶応生まれの人というのをぎりぎり知っていて、その一人、長寿世界一だった泉重千代さんは有名だ。徳之島の五つ子ちゃん(「ちゃん」といっても、もう20代になっていると思うが)の名付け親にもなった人だと思うが、今となってはもちろん慶応生まれの人はいないし、この前亡くなった長寿世界一の方でさえ、約25年前に亡くなった私の祖父と1歳しか違わなかった。

 当たり前のことだが、何万人と生まれたであろう、その年代の人が一人も残っていないということである。そして、明治生まれの人口もだんだん少なくなっていっている。5年前に93歳で亡くなった祖母でさえ、明治38年生まれだったから、明治の最後の年に生まれた人というのは91歳だ。大正生まれでも90歳に届いている。そして、計算してびっくりしたのは、昭和一桁生まれでも70代で、もうすぐ80歳に届こうとしていることだ。昭和生まれの80歳というのはとても考えにくい。

 自分が還暦になるころには、明治生まれの人というのはもういないのかもしれない。明治生まれの人は明治生まれの人たちで、同じように思ったかもしれない。

 私の年代が80代になっている頃には、年号もあと一つぐらい増えているだろうし、同じように、「昭和は遠くになりにけり」なんて言われてしまうのだろう。

 世代はどんどん変わっていくんやなあ。



2003年11月18日(火) もしタイムワープしたら

 ネジャーティと水戸黄門のビデオを見ていて、ネジャーティが、「もし3人でこの時代に行ったら、何をする?」と突拍子もないことを言うので、う〜んと考えてしまった。

 まず、今の格好では怪しまれるから、着る物から変えないといけないが、ネジャーティが「外国人ってすぐわかるかなあ」というから、着物を着ていたら案外わからないかもしれないよ、と言っておいた。

 「公衆衛生が心配だ」というと、今より人は少ないし、ごみごみしていないだろうし、というので、ひらめいたのが、海に行きたいこと。きっとあの時代は海がきれいだったことだろう。私の地元、西宮はヨットハーバーがあったりするが、大阪湾に面していて、あまり海がきれいじゃない。西隣の芦屋は、昭和30年代はまだ泳げたらしいが、私が幼い時にはすでに海は汚くなっていた。西宮は江戸時代でも栄えていたが、芦屋、神戸は漁村だったらしいし、その西の明石は今でも魚の宝庫なので、魚もおいしかったに違いない。

 それから思いついたのは、史跡めぐり。明石で思い出したのだが、取り壊されたお城を見ること。実家の周りだけでも、尼崎、明石、篠山にお城があったので、どんなお城だったか見てみたい。今ある大阪城も新しいものなので(中にエレベーターがある)、大阪城とかかな。実家の近くの岩山から、岩が切り出されて大阪城の建築に使われたらしいし、実家からだと大阪のビル街が遠くに見えるぐらいなので、きっとビル街がないと大阪城も見えるかもしれない(でも豆粒ぐらいかな?)。金閣寺も昔の金閣寺を知らないので、どんなものだったか見てみたい。ちなみにうちの父は、焼ける前のもともとの金閣寺を知っている。

 当時の関西弁がどんなのかも興味あるかな? 今でも世代によって使い方が違うので、当時でどのぐらい違うのかな。案外通じなかったりして。

 「先祖に会ってみるのはどう? それで、代々伝えるものを渡しといて、それを親からもらうの。」 とあれこれアイデアを出してくれる。そういえば、バックトゥー・ザ・フューチャーの映画に、よく似たことがあったなあ。

 あとは何だろう。いっそうのこと、東海道五十三次を歩いてみる、とか。でもずっと歩かなあかんもんなあ(途中、七里の渡しはあるが)。富士山はいっしょかな。でも江戸時代の宝永噴火の前の富士山を見てみたい。三島あたりだと噴火口が真正面に見えるのだが、あれがない風景というのはどんな感じかなあ。

 「もしタイムワープが一方通行で帰れなかったらどうする?」と、新たな質問が来たが、その時代に暮らしていけるだろうか。今でこそいろんな物に囲まれているが、おそらく感動するのが、全ての物が手作りということだろう。それに人工的なもの、プラスチックとか、ビニール袋とか、そういうものがなくて、すっきりするかな。でも、女性だと困ることがあるなあ。

 病気になったら困るかなあ。おそらく現代に生きている一般人の方が、昔の医者よりも病状がよくわかっているかもしれないが、今のような病院の施設がないから、助かるような病気でも、何もできなくて、歯がゆい気持ちになるかもしれない。

 ネジャーティはいろいろしてみたいらしい。理系だからきっと平賀源内がしたようなことを考えているんじゃないかな。



2003年11月17日(月) トレーディング・スペース

 ニューハンプシャーでは大学のアパートに住んでいて、テレビもケーブルが入っていたので、いろんな番組を楽しんでいた。

 ディスカバリーチャンネルもその一つで、以前の日記でも(いつか忘れたが)インテリアコーディネートの話を書いたが、ディスカバリーチャンネル系のTLCで放映しているトレーディング・スペースも面白くてよく見ていた。

 トレーディング・スペースというのは近所の2家族が参加し、お互いの家の1つの部屋を2日をかけて改装するもの。アメリカの家は壁がペンキ塗りなので、壁の色を変えたり、板間をカーペットにしたり、家具を変えたりする。コーディネーターや大工さん(というのかなあ)もついているが、近所の人が主に仕事をする。

 出来上がるまではその部屋を見ることができないので、完成した時には、その家の人は目をつぶってその部屋につれてこられて、「タダーン!」という感じで目を開けてびっくり、感激(いつもかな?)となる。

 センスの問題もあるので、改装した結果は、なかなかいいやん、というのも、え〜っ?というのもあるが、実際にそこに住む人が気に入ったかどうか、というのは本当のところはわからない。

 それで、シンシナティーにもその番組が来るというのを聞いていたのでHPでチェックすると、確かに3ヶ所で行われたらしい。ちなみに応募資格というのか条件があって、自分の持ち家か、借家でも部屋の改装ができること、という他には、近所の人が一緒に休みを取れることとか(週末とは限らないので)、家族構成(何歳ぐらいの子供がいること)とかあるらしい。

 ちなみに、シンシナティーの家も含めて、いくつか改装前と後の写真が見たい場合はここをクリック。



2003年11月16日(日)

 このところ雨がよく降っている。この前は竜巻警報も出ていた。

 テレビの天気予報で天気図を見ると、アメリカ全土の半分に低気圧が、あとの半分に高気圧があって、オハイオなど中西部はちょうどその間にあった。こういう気象条件は風を生み出すらしい。

 この前も、京都の住宅事情について読んでいたら、うなぎの寝床のような細長い家では、中庭に木を植えて温度を下げることで、家の中の温度差を作って風が通るようにするという昔の人の知恵があるらしい。

 でもなんで温度差を起こすと風が出るんだろう、と、こういうことはネジャーティに聞いたほうが早い。理科の授業で習ったような内容でも忘れてしまっている私である。

 ネジャーティによると、温かい空気は軽く、冷たい空気は重く、下に入り込もうとするらしい。そこで風が起こるらしいのだが、私にとってはなぜ温かい空気より冷たい空気の方が重いのか、というのがわからない。確かに、冬でも足元の方が寒いし、上の方が温かい。

 普通だったらそうなのか、と終わってしまうところでも、私の場合、一つの疑問がまた別の疑問を生み出し、きりがないのである。理系の頭を持ち合わせていない限りだ。

 一家に一台、いや一人、理系の人間がいると便利でいい。週末でも夕方から学校に行くというコテコテの理系の人間だが、もし自分が理系に進んでいなかったら、社会科学系に進んでいただろうと珍しいことを言っていた。ネジャーティならおそらく社会科学系でもいけただろう。自然科学と社会科学、研究対象が自然か人間か、というところである。



2003年11月15日(土) 大きい電球?

 このアパートの台所の照明は大きく丸いボールで、3つついている。そのうち1つが切れていた。この1年、電球を交換したことがあるかどうか覚えていない。いすを使えば届く高さだが、それより何より、こういう丸い電球は特別なものだし、アパートのオフィスに言って換えてもらわないといけないのだろうか、と考えていた。

 ネジャーティが「電球が切れてるね。確かうちに新しいのがあるよ。」というので、「そんな大きな丸いのがあったっけ?」というと、ネジャーティ曰く、「これは電球カバーだよ。」

 ネジャーティがいすに立って電球カバーをはずすと、確かに中に切れた電球があって、新しい電球に換えるとちゃんと電気がついて明るくなった。

 そりゃそうだ。こんな電球あるわけがない。久しぶりに(?)勘違いして、自分でも笑えた。



2003年11月13日(木) 2800円の海老

 遠い昔、5歳か6歳の時に、幼稚園を休んで、東京の親戚の結婚式に行ったことがあった。当時新幹線はすでにあったが、それには乗らずに飛行機で東京に行った。飛行機も東京も初めてで、上野の西郷さんの銅像と、動物園に中国から贈られたパンダのランラン、カンカンを見たり、東京タワーに上ったりした。

 結婚式で泊まったホテルで、目の前で揚げてくれる天ぷらを食べたそうだが、今の物価でも十分高い、海老1匹700円の天ぷらを4匹おいしそうに食べたらしい。それをネジャーティに言うと、お父さんとお母さんは海老なんか食べられなかっただろう、と言ってたが、自分が親の立場だったら、きっと食べてる場合じゃなかったと思う(両親はもちろん海老には手が出なかったようで)。

 その場のことは全然覚えていないのだが、海老のことは言われてみれば、おいしかったという頭での記憶というより満足感の感覚が残っている。

 先にも後にも食事でこのような類の贅沢を越えたものはなく、小さい時の無邪気さというのは時としてとても恐ろしいことをしでかすんだなと思い、反省した。



2003年11月12日(水) お湯が出ない

 昨日のこと、お湯の出が悪くなったなあと思ってネジャーティと話していたら、シャワーを浴びてるうちにお湯がぬるくなってきたようだった。
 それで台所の隣にあるお湯のタンクとFurnaceのガスの種火がついているかどうか見たら消えていた。でもなんで消えているのかなと思って、アパートのメンテナンスの人に来てもらったら、ガスが来てないらしい。

 「ガス代払ってる?」と聞かれたので、払ってます、と言ったが、払うも何も、銀行の口座から自動引き落としになっているので、払い損ねるということはない。それでメンテナンスの人が表に出てガスメーターを見たら、それはちゃんとなっているらしい。

 シンシナティーの電気・ガスを統括しているシナジー(Cinergy --- Cincinnati+Energy 、それに音は多分synergyというのとひっかけてあるような・・)の緊急連絡先に電話をして、メンテナンスの人が親切にも事情を説明をしてくれたので助かった。

 そして夕方シナジーの人が来て調べたら、やっぱりガスが来ていないようで、後で他の人をよこすから、と帰っていった。

 どうなってるんだろうと思っていたら、夜の10時ごろにシナジーの人が来て、どうやらうちも含めて3世帯のガスが止まっているらしい。終わるは12時過ぎるし、明日の朝7時にガスの種火をつけに来るから、と言って去っていったが、近くで道路を掘り起こしている音が聞こえた。そのうち、降っていた雨足の音も強くなり、雷は光って鳴るし、かわいそうだった。

 今朝、シナジーの人が来て種火をつけてくれたのでよかった。昨日も今日も暖かくてよかったが、また寒くなるみたいなので、寒い日じゃなくてよかった。



2003年11月11日(火) 休日?

 今日はベテランズデーで学校が休みで、昨日の段階では普通通りに学校に行くといっていたが、お昼近くまで寝てゆっくりして、買い物した後、車に乗って学校に行った。

 これまでのアメリカ生活で、私やネジャーティも含め、大学のお休みにも合わせて来て、ベテランズデーは必ずお休みになっていた(と思う)。こういう日は役所関係は休みなのだが、驚いたのは、地元の学校は休みではなかったことだ。買い物途中で近くの小学校の下校時間にあたり、小学校は休みじゃなかったんだ、と思った。

 そうすると、今まで思っていた「ベテランズデー=学校は休み」という構図が成り立たなくなった。

 州によってもちがうのかな?



2003年11月10日(月) 乾燥季節の新兵器

 アメリカの乾燥というのは日本よりも乾燥しているように思える。それか私が日本の乾燥に耐えてきたが、年齢的にも乾燥にだんだん弱くなり、それがアメリカでとても感じられるのか、というところだろうが、去年ぐらいから、台所で使うスポンジで手のひらが乾燥して、時にはひび割れを起こしていた。ここに引っ越してからは食器洗い機というありがたいものもあるので、それを使う時もあるが、ちょちょこっと洗いたい時に、やはりスポンジを使いたい。そして今年とうとう強い味方を買い求めた。それは、


 「柄つきスポンジ」


 柄と一緒について売られているスポンジはたわし部分が表面に来ていて、スポンジ部分がうまく使えないので、スポンジのみのものも買って(買わせようという商戦か?)、スポンジに取り替えた。

 そして、柄には洗剤が入れられるようになっていて、柄についているゴムの部分を押すとスポンジに洗剤が出てくるようになっている。もっとも、洗剤をスポンジに直接つけるという従来の方法もある。

 ニューハンプシャーにいた時、敏感肌のトルコ人のエモッシュが使っていて、いいなあと思っていたが、実際に使ってみると、やはりいい。背の高いコップを洗う時に、コップに入るかなと思ったが、スポンジをちょっとへこませて押し込めば、手をすぼめて洗わないといけないようなコップでも洗えて便利(特にネジャーティは手が入らないコップがある)。



2003年11月09日(日) 訃報 from フロリダ

 昨日は心から買い物を楽しんだ、といくはずだったのだが、実はモールに行く前にちょっとメールをチェックしておこう、と思ってチェックしたら、悲しいニュースがあって、モールの行き帰りや外を歩いている時に考え事をしたりしていた。そのメールというのは、フロリダ時代の教授が訪問先のドイツで亡くなったということだった。

 今週に入って、すでに退官しておられる教授から、その教授が年内に心臓の手術を行うことになっていて来年の春学期の終わりまでは養生する(おそらく秋から学校に復帰するんだったのだろう)というのを聞いた矢先だったので、ドイツで心臓発作で亡くなった、というのを聞いて、ショックだったし、手術がもう少し早かったら、と残念にも思ったし、57歳という若さだったから、なおさら驚いた。退官教授はその教授が大学院生の時から知っているそうなので、個人的にもショックは大きいようだった。教授は私がいたセンターの所長だったし、授業も受けたことがあるし、プログラムにいる学生にとっては他の先生よりも何かしら関わりがある。センターにとっても痛手だろうし、在学生や卒業生にとってもショックは大きい。

 でも急な死で、時間がたつにつれ、本当に亡くなったのか、という気持ちの方が大きくなった。



2003年11月08日(土) 目の保養

やっと今日の晩からコンピューターもインターネットも使える。というので、日記をまとめて書いています。


 まだ寝ている梨奈とネジャーティを残して、今週末特別に倉庫で行われている陶器のセールに行った。

 もともとは日本のブランドということもあって、日本人も多かった。結局陶器とは関係のないやかんとサービングセットを購入。

 夕方からは、大学にネジャーティを残して、そこからそれほど遠くないオープンモールへ行ってきた。私はこのモールと、もうひとつのモールをごっちゃにしていて、確かその辺にモールがあったはずと思いながら、そのままにしていた。

 ショッピングモールは普通は建物の中にあるが、オープンモールは敷地に一つずつ店舗が建っていて、外を歩いて回る、というスタイルだ。季節や天候に左右されるかも、と思いながらも、外の空気を吸うのもいいかも。

 それで、大体の店舗はモールの中に入っているか、あるいはモール周辺に構えているか、というおなじみのお店が多かったが、昨日、日本人の方とお話した時に、ちょっと話題に出たキッチン用品のお店に行ってみた。なかなか品揃えもよくて、アメリカのキッチン用品のお店とはちょっと違う品物があったり、フランスのお鍋の製品があったりして、このお鍋だったんだぁ、と以前話題に出た鍋の実物を見て頷いたりした。

 はぁ〜、とため息が出る反面、またまた反省の声。「いかさん、ごめん」

 といっても、日本でなら、このようなお店は、というか品揃えは百貨店に行けば見られるわけで、日本のお店の品揃えには負けるでしょう、と思いながらも、アメリカではこのお店の価値はとても大きいでしょう。

 お店でもらったカタログで見ると、フロリダにはないそうだし、ニューハンプシャーもないや、と思っていたら、マサチューセッツのChestnut Hillにありました。

 そして、近くのオーガニックのお店に行ってみた。なるほど、以前聞いた評判どおり、関西で言うと「いかりスーパー」の雰囲気だ。

 いかりスーパーというのはとてもハイソなお店で、特に芦屋店では、ちょっとこぎれいな格好をしていないと、浮いてしまう雰囲気だ。駐車場には外車が並んでいたりする。エプロンにつっかけ、という格好ではちょっと入れない。品物はオーガニック専門というわけではないが、やはりいいものを置いている。そして、日本のスーパーでは珍しく、店員が手提げの紙袋に入れてくれるので自分で入れなくていい。大きい紙袋は防水もしてあって頑丈で何回でも使えるので、再利用で袋を持っていくとスタンプを押してくれる、というところだ。

 梨奈がおなかがすいた、と言ったので、おすしコーナーでおすしを選んで、スープを買って、店内で食べた。実はキッチン用品のお店で、どこか気軽に食べられるところがあるか聞いたら、オーガニックのお店は店内でも食べられるますよ、ということだったので、そこにしたのだが、日本でもそういうのがあったらいいかも(って、スペースの問題があるかな)。

 梨奈は車に乗ってすぐに寝てしまったのだが、いやいや、この1年、このモールの存在を知らなかったというのは損をした気分がしてしまった(知るのが早いか遅いか、という問題だけかもしれないが)。

 それにしても目の保養になった。



2003年11月07日(金) 早く直ってね、コンピューター

 先月から今月にかけてサーバーの調子がおかしくて、自分のホームページが開かなかったということがあったが、ここ何日か、コンピューター自体の調子がおかしく、ネジャーティが見てくれることになった。

 それで、メールをチェックしないといけなかったので、ネジャーティの研究室に置いてるコンピューターや、他の研究室のを使わせてもらったりしたのだが、それで困るのは日本語環境だ。最近は日本語で読むことはぞうさもない、という感じだが、書くことに関しては問題があって、ネジャーティのコンピューターでさえ、今のところメールを直接書けないので、ワードで書いて、あとでコピー、貼り付けしている(ちゃんと設定しているのになぜか書けない)。

 将来、日本語のノートパソコンを持ってやる〜!



2003年11月06日(木) 発砲事件@郊外

 テレビをつけたら臨時ニュース(Breaking News)が入っていた。シンシナティー郊外のある町にある運送会社で、発砲事件があって、2人が亡くなって、3人が負傷した。亡くなった方も家族もお気の毒としかいいようがなかった。

 運送会社で以前働いていた従業員が発砲したのだが、この運送会社、いろんなところに支店があり、実際にこの従業員が働いていたのはアトランタの支店だったそうで、なぜシンシナティー郊外の支店を選んだのかはまだはっきりしていないらしい。隣の州のインディアナ州で結局逮捕されて、今はその郊外の町の郡の留置所に身柄が拘束されているようだった。
 なので、亡くなった2人も犯人も面識はないし、わけのわからない事件だった。

 それにしても、その町は閑静な住宅地もあって、みんな静かに暮らしているのに、他の州からいきなりやってきて、発砲事件やなんて・・・。



2003年11月05日(水) お届け人は・・・・

 今週はコンピューターの調子がおかしかったので、日記をまとめて書いています。


 ネジャーティがオンライン注文したデジカメが今日届くということだったので待っていた。

 「キンコ〜ン、ドンドンドン」というドアの音がして、UPS(配達の会社)の人かなあと思ってドアを開けたら、警官だった。

 どうもこのアパートの過去の住人の息子を訪ねてきたらしい。その名前は今でもたまに来る郵便でも知っているし、郵便受けにもシールが貼ってあるし、知っている。過去の住人の名前のシールがいくつか貼ってあるが、順番がわからないので、どの人がいつ住んだのかはわからない。

 「いつ引っ越してきたの?」と聞かれたので、去年の7月です、と答えたが、私の前に住んでいた人でも1年以上経っているし、その息子、というのは警官にお世話になったのだろうか、と思いながらも、警官が「○○という名前の人はいないんですね」という確認の言葉で、帰っていったのでホッとした。

 午後になって、またドアの音がしたし、窓からUPSの人が来るのが見えたので、今度は間違いなくそうだった。

 ネジャーティに電話をした後、中身を開けて、マニュアルにあるようにしようとしたのだが、動かない。充電式の電池は充電されていないので、24時間充電しないといけないらしい。そしたら使えるのって明日やん・・・・。

 ちなみに、言語設定ができて、日本語も入っているのだが、ネジャーティに言ったら「英語にしてね」と念を押されてしまった。日本で使うことがあったら、日本語にしてやるぅ。



2003年11月01日(土) カリフォルニアの山火事

 カリフォルニアの山火事で家を失った人には本当にお気の毒だと思う。

 先日見たエンターテイメントの番組でもハリウッドスターのインタビューで山火事の話題になっていた。その中で、以前の山火事で家が火事の危険にさらされていた女優は、「持ち出すとしたら、これまでの賞(盾や賞状)や宝石かな」と言っていたが、私たちもいざの時に持ち出すもののリストや、持ち出すいように用意をしておいた方がいいかもしれないね、と話した。というのも、この棟には6世帯が入っているので、私たち以外が出火元になる可能性もある。

 といっても、各世帯には壁に煙探知機が取り付けられていて、煙に反応して音が鳴るようになっているので、火事には至らないと思う。そういえば、煙探知機は電池で動いているが、日本で見たことあるかなあ。取り付けは簡単なので、もし売られていなければ、あれはいい製品だと思う。

 そして、貴重品や書類の他に持ち出すものとしたら、コンピューター、ディスク、写真類だと思う。もう少し物を整理しておこう。


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